バイバイ、ハラスメント。「夢」と、ハラスメント(嫌がらせ)。正反対だけれど、とっても大切な関係性(中)

日々是「ターニングポイント」
バイバイ、ハラスメント。「夢」と、ハラスメント(嫌がらせ)。正反対だけれど、とっても大切な関係性(中)

2015年2月16日 13:45日々是「ターニングポイント」

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こんにちは、藤沢優月です。

同記事の、2回目の配信である今回は、
「ハラスメントをする方は、なぜするのか?」
そして
「なぜ私たちは、巻き込まれ続けてしまうのか」
について、少し書いてみたいと思います。

内容は、前回のものとひと続きになっていますので、(上)からご覧いただくと、わかりやすいかと思います。

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ハラスメントを受けた時、私が(ある程度)冷静でいられたのは、頭に入れた知識があったのが、大きかったと思います。
「知識」といいますが、それは ONSA WORKSHOP で学んでいるみんなと、同じ知識です。


ハラスメント……言葉の暴力や圧力のパワーは、私を「今」から吹き飛ばすのに、十分な力を持っています。

そうして吹き飛ばされた私は、
「私が悪かったんだ」
「私が何か、至らなかったんだ」
「まずかったんだ」
という風に、自動的に考えるようになってしまう。

なぜか全自動で、思考がそうなってしまう。

なぜか?

なぜなら、暴力・暴言を含むハラスメントというのは、尊敬や敬意といった自然に湧いてくる気持ちをもとにしてではなく、「力」をもってして、自分むりやりが優位に立とうとする行為のこと。
相手を力で威圧し、屈服させることで、相対的に、自分の位置が優位に上がる。

もちろん、巻き込まれた相手の位置は、相対的に下がってしまう。

暴力・圧力を前にすると、何とか逃れるには「悪いのは、私なのだ」と、無理に状況処理するしかないことが多々ある。その場を収めるには、それしか逃げ道がないから、自分を下げて何とか逃れる。
それを繰り返していると、いつしか自己肯定感は、最低水準になってしまう。



そもそもなぜ、こんなことになるのだろう。


子どもの頃は、分からなかった。子どもの頃は、大人はみんな立派で強いと思っていたから。
そして、大人になってから、分かりました。

相手を屈服させる必要がある人というのは、本当には、真の自信も余裕もない人ですよね。


本当に自信のある人は、こんな方法は使わない。

そもそも、使う必要がない。

相手をコントロールして「あなたは、よい」と言ってもらう必要もないし、相手に「ノー」と言われても、自分が否定されたとも感じない。

相手に「ノー」と言われたら、多少はしょんぼりしてしまうかもしれないけれど、でも、それが自己肯定感には影響しない。
「ああ、相手の答えは『ノー』なんだな」
ということを、客観的に受け止めるだけ。

「私は、私のままでじゅうぶんオッケー」
こんな自信……健康な自己肯定感があるからこそ、本当に自分に自信のある人は、自分を肯定するのと同じように、他人の人生も肯定する。

相手を一人の人間として肯定しているから、当然、相手の手に「力」をあずけておく。
だってそれは、相手のものだもの。
人は自分で決められるし、本当に自分で決めた者同士だけが、自分たちの意志で幸せな関係……友情や愛情や、協力関係を築けることを知っているから。




この逆を考えれば、分かりやすいですよね。

本当に自分に自信のない人・自己肯定感の低い人は、相手を脅し、コントロールし、力を奪い、相手を屈服させる。
偽りの「パワー」で、相手の自由を奪う。

なぜ?
相手が自分に屈服すれば、自分が「強くなった」かのように感じることができる。……一瞬。

相手が自分に「イエス」と言えば、自分が「肯定された」かのように感じる。……一瞬。


人生が、自分の味方をしてくれたように感じる。
自分には「力」があるように感じる。
一瞬。

ところが、この「偽りの強さの感覚」「偽りの肯定感」は一瞬しか続かない。
だって、「イエス」と言う方だって、本心の肯定ではないですものね。本心の感じられない満足感なんて、賞味期限は一瞬で終わってしまう。
アイスクリームの口溶けよりも、一瞬で消えてしまう。

だから、もっと強い「偽りの肯定」が、次々に必要になってくる。
ということで、もっと強さを感じようと、圧力の行為がどんどんエスカレートしてくる。


ここ、ポイントです。
時間を追うごとに、エスカレートしてくる。


私が ONSA WORKSHOP で
「事実としっかり向き合うこと。目の前で起こっている事実から、目をそらすのはよくない」
「必要なら、距離をとる勇気を。そして、距離をとっても生きてゆけるように、まずは自立を。」

と強く言っているのは、このため。

時間を経るごとに、行為者の行為は通常、エスカレートしてくる。
「これも受け入れてくれた。じゃあ、もっと強い圧力でも大丈夫だろう」と。


一方で、圧力を受ける側は、暴言・暴力の恐怖で動けなくなって、あたかも「自分が悪い」ように思い込んでしまう。
その結果、
「これは明らかに不健康! ここから抜け出さなくては!」
という本質的なことよりも、
「どうしたら、相手を怒らせずに済むか・機嫌を損なわせずに済むか」
ということの方にエネルギーを注ぐようになり、結果、どんどん巻き込まれてゆく。

巻き込まれが強くなればなるほど、痛みの感覚を麻痺させないと生きてゆけないから、結果、どんどん感覚が麻痺してゆく。


ホッとできない。
自分の行動を、常に自分で点検するようになってくる。
びくびくしてしまう。

「私は、常にびくびくしている」
「自分の行動や言動に間違いがないか、いつ突っ込まれるか、おびえている」
というようなことに心当たりがあったら、ちょっと要注意です。


こうして
「行為者=どんどん圧力がエスカレートしてゆく」
「被行為者=どんどん感覚が麻痺してゆく」

このセットが、否定的な意味で威力を発揮して、暴力の構造が固定してしまう。

これが、暴力的な関係の、基本的な構造です。
そして、この構造を、知識としてしっかり頭に叩き込んでおくのと、そうでないのとでは、いざ巻き込まれた時の対処がぜんぜん違ってくる。


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ONSA WORKSHOP でがんばっているみんな。
みんなが日々していること……「意識して・知って・再訓練」は、とても大事なことなのです。

最初のうちは、とにかく「再訓練」にばかり興味がゆくかもしれません。
新しい方法を、身につけたい。
早く、この現実から抜け出したいものね。

でも、それ以上に、「知識を知る」ということは重要。
この段階がないと、そもそも、何を身につけてもはじまらない。

正確な知識のおかげで、私は、自分に何が起こっていたのかを知ることができましたから、命からがら「共依存(依存症)」の世界から逃げ出せました。

今回のことで言えば、一瞬で見切ることができました。
昔のことで言えば、トライして転んだり、失敗したり……何ヶ月もかかり、やっと抜け出していました。何ヶ月かかろうとも、失敗しても、軸にする知識があったからこそ、何度でもトライして、やり遂げることができたのです。


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それならば、
「倍返し!」
「私と同じ苦しみを絶対に味わわせてやる!」
と怨念を燃やすことをしないで、「勇気ある撤退」をすることの意味は、どこにあるのだろう。


失敗をさんざん繰り返して、私はもう、こんな風に思っています。

「こんな苦しいことに、もう1分たりとも、人生の余計な時間を割けない」


これは、みんなの未来だと思って、イメージしてもらえればと思います。
回復の道を歩いた未来には、きっと、こんな現実がある。善きことが待っているからこそ、進む力がわいてくる。


私はもう、大切な人生を持っている。
夢もある。
仕事もある。仲間もいる。

やりかけの仕事がある。仕事が上がるのを、楽しみに待ってくれている仲間もいる。

私という存在を、大切にしてくれる人たちも、いっぱいいる。

たとえば、飲みに誘ってくれては、「参加してくれてありがとう」とメールをくれる大先輩。
「ヨシ、ガンバルゾー!」と、今日も共に歩ける仕事仲間。
「転んでも、楽しいね」と笑い合える、スポーツの仲間。
ハラスメントを、こんなにも「過去」のことにしてくれた、お世話になった人たち。
いつも行くカフェの、スタッフのみんなの優しい笑顔……。

気がつけば、こんなにたくさん、大切なものが増えていた。そしてこの先きっと、もっと増える。

よし。変な人にとらわれるより、世界を広げるんだ!
私が「共依存(依存症)」を、来世でも死後の世界ででもなく、この人生で抜けられたことの幸福と喜びを、もっともっと味わって楽しもう!

けっきょくどっちも倍返しになって私に戻ってくるなら、嫌な人に「倍返し」ではなく、親切にしてくれる人に、親切を倍にして返そう!


……こんなことが、みんなの未来にも待っている。



一方で、ハラスメントをする側の人はきっと、
「伝える=まくしたてる」
その結果、自分を押し通すという風にしか、人生を生きることができないのかもしれない。

人はもともと全員違うのだから、何かあったら「すまん」と言いつつ、小きざみに軌道修正ができること。
機関銃を乱射するような言い方をしなくとも、話し合い、譲り合うことができること。

話し合うことは、圧力で屈しさせるよりも時間がかかるけれど、人は話し合うことで、理解と絆が深まること。
おそらく、それを体験したことがないのかもしれない。
体験したことがないから、知らないのかもしれない。

そして、知ろうという気も、今さらないかもしれない。
それどころか、「自分は正しい」「これぐらい、誰でもやっている」と思っているかもしれない。

自分が「正しい」と信じ込んでいる人に、「倍返し!」したら、彼らの目から見れば、あなたが加害者。
じきあなたが、「なんて常識のない人間なんだ」なんて、「倍返し」を食らう。
これがお互いに連鎖発展していって、「巻き込まれ」とか、専門用語で「パワーゲーム」と呼ばれる状況が作られてゆく。
そうしてますます、あなたの脱出が難しくなる。



暴言や暴力の習慣は、人を遠ざけます。
こんな構造になっているからこそ、本当に健康な人は、暴力や暴言の香りのするものには、決して近づかない。
こうして「共依存(依存症)」の習慣を持つ人は、その習慣に耐えられる人同士でしか、つながれないというサークルが作られてゆく。


だからこそ私は、
「幸福こそ、最大の復讐である」
という言葉を、力強く採用します。

人と人とが、互いに手を取り合って譲り合いながら、仲良く生きてゆく。
こんなやりかたで人生を生きることは、本当に大事。

しっかりとした知識と再訓練で、まったく違う人生を生きる。
このやりかたの方が、同じエネルギーを注いでも、注いだ後に、確かなものが残ってゆく。

「この、相手に倍返ししてやりたいエネルギーを、本人にぶつけない! この怒りのエネルギーを、自分の未来のためになるものに、換えてみせる!」
私の場合は、気づけば「作家」と呼ばれるものに、なっておりましたよ。



この流れで次回は「ハラスメントからの脱出のプロセスで、なぜ『夢』は大事か?」について、少し書いてみたいと思います。
[(下)に続きます]

| ONSA は、『夢をかなえる人の手帳』シリーズを代表作とする、文筆業・藤沢優月のオフィス。「ONSA」には、「響き合い、調和し合う」という意味が込められています。

| 本記事は、ONSA WORKSHOP にご参加の方・共依存の巻き込まれやハラスメントに苦しんでいらっしゃる方・状況から脱出の道を一歩ずつ歩んでいらっしゃる仲間に向けて、書き下ろさせていただいております。
ONSA は仲間の皆さまと、日々共に歩ませていただいておりますため、内容に大変熱がこもりますことを、どうぞお許しいただきたく思います。
そして、この記事をご一読くださった、あなた様の大切な時間・人生のためにも、本記事が役立ちますように。

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