「いい子」は、しんどい。巻き込まれていることに気づけたら、自分を褒めてあげよう。

日々是「ターニングポイント」
「いい子」は、しんどい。巻き込まれていることに気づけたら、自分を褒めてあげよう。

2015年5月22日 18:30日々是「ターニングポイント」

ONSA WORKSHOP バナー・画像
イメージアイコン黄色の球イメージアイコン

こんにちは、藤沢優月です。

5時ごろに空を見上げたら、まだまだ日が高い。
まだ梅雨前ですが、「ああ、夏だなあ」と感じた出来事。

時間はこうやって、2015年もどんどん過ぎてゆく。

大切な時間だから、大事に使おう。
漫然と、まるで浪費するようにざぶざぶ使ってしまったら、本当にもったいないから。





今回の記事では、いわゆる「いい子」型の機能不全家族問題について、焦点を当ててみます。

誰か特定の方を指すのではなく、必要な方のお役に立てばと思い、配信します。
というのも、ONSA WORKSHOP の中にもまた、「いい子」に巻き込まれて、回復作業中の方も多々いらっしゃる。
また、このブログをご覧の方の中にも、「そうそう、私!」というご自覚者がいらっしゃることでしょう。

ですので、必要な方のお役に立ちますようにと、配信いたします。






「いい子」は、しんどいです。
なぜなら、「いい子」型の人生は、人生の「解決引き延ばし&負債状態」になっている。
巻き込まれていることに気づけたら、本当に、全力で自分を褒めてあげよう。



これは、暴力肯定という意味では、決してなく……。たとえば「虐待」と言った時、そこに暴言や暴力という「見える現象」があったら、見た目としては、すごく分かりやすい。

「お前はダメだ」などの暴言、家族の依存症・借金・アルコール問題など。
あるいは、殴られたり叩かれたり、性的被害にあったりすること。
あるいは、被害に合ったのに、放置されたこと。
このような、分かりやすい形をとった「ハラスメント(嫌がらせ)」があった場合、自分が何に巻き込まれたのか/巻き込まれているのかが、ある意味とても分かりやすい。

重ねて、これは決して暴力肯定というわけではない。
でも、これらのケースの場合、かろうじて救いなのは、被害者側が、加害したほうを、恨んだり憎んだりする自由を与えられていること。
与えられていないようで、でも、与えられている。

なぜなら、加害側がどんなにいい人ぶっても、まともで健康な大人なら、
「それは、おかしいでしょ」
ときっぱり線を引ける。

ある意味、どちらに非があるのか、きわめて明白。
加害/被害の因果関係がはっきりしているという意味で、気づきやすく、またサポートにつながりやすい。

この境遇の方も、もちろん、ONSA WORKSHOP にたくさん来てくださっています。



注意したいのは、「いい子」タイプの機能不全家族問題に、巻き込まれている方です。
「いい子」は、とても気づきづらい。そして、気づきづらさゆえ、本当にしんどいことになる。

ですから、もしあなたが「いい子」に巻き込まれていることに気づけたなら、自分を褒めてあげよう。
そしてぜひ、勇気を出して、何らかのサポートにつながってみてください。


「いい子」型の機能不全家族問題の場合の特徴を、ここに書いておきたいと思います。
自分で自覚しづらく、雲をつかむような感覚になっていると思いますので、特に本人的に分かりづらいポイントを、言葉や箇条書きにして書いておきます。


[1]
まず、「虐待というのは、何なのか」ということを定義します。
親が自分の何らかの利益のために、子どもを利用することは、すべて虐待です。

そのプロセスで、子どもが、

・自分の意見を取り上げられたり
・自分の生き方を取り上げられたり

・正直に感じることや、感じたことを表現する機会を取り上げられたり
・正直に感じたことを、「その感じ方はおかしい」「お前はおかしい」と、感じ方を差し替えられたり

・失敗を経験させてもらえる機会を、取り上げられたり
・自分の手で答えを探させてもらえる機会を、取り上げられたり

・うまくできても、うまくできなくともよいので、試行錯誤して、自分で考える機会を取り上げられたり
・「代わりにやってあげるよ」と、学習・練習の機会を取り上げられたり

・「お父さん/お母さんが正しい」と、立場の強さを利用して、考えを強要されたり
・「お父さん/お母さんの言う通りにしていればいい」と、経験を強要されたり

といったようなことは、すべて虐待です。

なぜなら、学習機会を取り上げられることによって、その子どもは、生きる力を練習するチャンスを取り上げられるからです。

子どもの、自立する機会を取り上げるということは、実際「あなた自身の人生を、生きられなくしてやる」ということと同然。
恐ろしいことです。

子どもの頃、自分で試行錯誤して、自分で選んだり決めたりできなければ、大人になって、自分で自分の人生を決められなくなります。
加害側が、意図的にそうした・しないは置いておいて、これは実際ひどいことです。


もし、こういったタイプの虐待に巻き込まれたなら、その子どもは
「私の考えは取るに足りない」
「私には、価値がない」
「私は、本当のところ、あまり賢くないに違いない。だって、自分で選ばせてもらえないのだから」
と、自分に自信が持てなくなってゆきます。

拳や暴言が飛び交っていないのに、心がこんな風に感じるならば、「いい子」型の虐待に巻き込まれたかもしれない、ひとつのサインです。


[2]
こういったことをする場合、親が暗に得ている「秘密の報酬」はなんでしょう。

それは、「立派な子どもを持った」「子育てに成功している親」と社会的に承認されるという、秘密の報酬でしょうか。
自分は「失敗しない」立派な人間であると、子どもを通じて、証明したい/されたい欲求でしょうか。

子どもを通じて、自分が立派な人間だと見られたい。
子どもは、親の優秀さを証明する手段のひとつとして、利用されたかもしれません。
ここでは、このことに親がどこまで自覚的かは、置いておきます。

いずれにせよ、「親が、何らか自分の利益のために、子どもを利用している」という状況は、虐待です。なぜなら、後にお伝えするように、このことで被害者側(子ども側)に、後々実害が発生する確率が高くなるからです。


[3]
このような状況……「いい子」タイプの虐待の場合、なぜ、気づくのが遅れるのか。
なぜなら、いわゆる世間一般の反応があるからです。

いかにも「虐待しています!」という親の場合は、周りも気づきやすい。

ところが、
「立派な親御さんですね」
と、周りの大人から言われるような親の場合、子どもは
「やっぱり親は立派なんだ。じゃあ、『なにかがおかしい』と感じる、私の感じ方のほうが、おかしいに違いない」
と、自分の感覚に疑問を抱き始めます。


この現象を、「否認(ひにん)」と言います。
「否認」とは、現実に起こっている事実を、ねじ曲げて見たり感じたりすることによって、「実際は、起こっていないに違いない」と否定する、心の「ねじれ」の動きを差します。

実際、「いい子」型の虐待に巻き込まれている場合、かなりの確率で
「お前の感じ方はおかしい」
「お前は、考え過ぎだ」
「お前の考え方は、甘い」

などと、子どもの側の感じ方を否定する言葉を、ひんぱんに与えられています。
これも、ご自身がこの型の問題に巻き込まれているかどうかを判断する、ひとつのサインとすることができます。


[4]
もっとやっかいなのは、親側から、
「お前は、本当にいい子だ」
「反抗期なんて、なかったものな」
「お父さんを/お母さんを悲しませないでくれ」
と、加害者を嫌う自由さえ与えてもらえないことです。

「親を嫌うことや、親を軽蔑することは、許されないこと」
そのような緊張感や圧力が、家の空気の中に満ちています。
親を「好きでいろ」「尊敬していろ」と、暗なる圧力がかかっています。

巻き込まれている子どもは、「何かがおかしい」と感じます。
しかも通常であれば、しんどいことを強要された場合、人は自然な心の動きとして、その人を好きではなくなります。

しかし、こんなふうに
「気づいてはいけない」
「本当のことを感じてはいけない」

何重ものロックがかかっているため、果たして何がおかしいのか、さっぱり分からない。

自分側の自然な感情 - 「何かがおかしい」
強要されている感情 - 「お前の感じ方がおかしい」「親を好きでいろ」


「いい子」型の機能不全家族問題に巻き込まれている方は、こんな板挟みの精神状態に挟まれています。
この状態を、専門用語で「ダブルバインド」と言います。
相反する・決して折り合えない2つの考えに、板挟みになっている状態を指します。


ダブルバインドに挟まれた末、「いい子」型はけっきょく、目に見える状況で判断して、板挟み状態に折り合いをつけようとします。

社会的にも困っていないのに、みんなが「立派だ」という親なのに、いい教育を受けさせてもらったのに……。
「こんなに恵まれているのに、『おかしい』なんて感じる私が、おかしいんだ」
「私がワガママなんだ」

そんなふうに、自分を責めたり、自分の正直な気持ちを否定したりして、ますます苦しくなってしまいます。


[5]
もし、本当にそのまま……「私さえガマンすれば」で人生が終えられれば、私はおそらく、このようなブログも書いていないでしょう。
ONSA WORKSHOP も開催していないし、サイトで本も紹介していないはず。

「いい子」型の虐待の場合は、実は、のちのち大惨事につながることが多い。

ですから、もしあなたが、自分の「何かがおかしい」という気持ちを信じて、何に巻き込まれているかに気づけたら。
本当に本当に、自分を褒めてあげてほしい。
ある意味、あなたは自分の命を、自分で救ったも同然なのですから。


人間は、本当は嫌なことや、違和感を覚えることを、ずっとガマンしていることはできません。
どこかで、そのひずみが、必ず出てきてしまう。

身体の病気や、心の病気。
感情の爆発や、破壊衝動など。
さまざまな形をとって、「ガマン」の「ひずみ」は、どこかの時点で必ず噴出します。


「いい子」型の虐待の場合ですが、

「感じたままに感じることを、ずっと禁止されてきた」
「『こう感じるべき』『こう生きるべき』という暗なるルールを、ずっと強要されてきた」
「それなのに、親に感謝するよう・親を尊敬するよう、暗に強要されてきた」

これらを何十年も強要されるストレスは、並大抵のことではない。
その上、「感じるな」「憎むな」「嫌うな」「いい子でいろ」とフタをされる状態は、何重にもしんどい。

そのため、ある程度の年齢になると、びっくりするようなことをし出したりします。
たいていは、親を裏切ったり、親の体面をつぶしたりすることで、親に復讐をするようなことを、引き起こしはじめます。

しかも、降り積もる昔年(せきねん)の恨みです。そう簡単に、理性でコントロールはできない。
その上本人も、自分に何が起こっているのか無自覚。
無自覚なものを、意識的にコントロールなど、できません。


たとえば、親の勧める人と結婚した末、すさまじい浮気をする。
親を失望させるような、人生を送る。
身体を売る。……びっくりするかもしれませんが、いわゆる「東電OL殺人事件」に代表されるように、このような例は実際に多く、書籍などを通じて研究結果も発表されています。読みたいと思えば、あなたもいくらでも、該当例を探すことができます。

自分を粗末に扱う。
死を選ぶ。
あるいは、老いてきた親に、暗に復讐を開始する。
「あんな『いい子』が? どうして? 本当におとなしくて『いい子』なのよ」というような事件や民事を引き起こす。

無意識に積もり積もった恨みの力(パワー)、自分の人生を奪われたパワーは、このようなさまざまな手段を使い、親に復讐を開始する。
ところが、ポイントがあります。
この復讐の結果、本人もまた、幸せにはならない。

「いい子」型の人生は、このように、時間とともに破滅型になる場合が多い。

ですから重ねて、自分が何に巻き込まれているかに気づけたら、本当に、自分を褒めてあげてほしい。


[6]
まとめます。
「いい子」型の虐待に巻き込まれている人の、生きていての正直な実感は、こんな感じだろうと思うのです。

・生きている実感がない。
・何のために生きているのか、分からない。
・でも、自分が歩いているレールはいっけん正しそうで、「何かがおかしい」なんて口にしたら、「ぜいたく」「頭がおかしい」なんて言われそう。

・私は、本音を口にしていない。ガマンしている。本音を口にしていない私を「好きだ」と言われても、そんなのうそっこだ。うそっこ同士で「好きごっこ」を演じている。
・私は「演じている」ことに、自分で気づいている。演じている状態で、仕事も友人もパートナーも得ている。それが、このまま続いていっても、どうしていいか分からない。
・どうやって「演じている」自分をやめたらいいのか、分からない。演じていない時なんて、気づいた時から、なかった。演じていない自分がどんなものなのか、私には分からない。


その上、「何かがおかしい」をたよりに心療内科などを受診しても
「社会で働けているでしょう。問題ないです」
「会社に行けているでしょう? では別に、問題ではないでしょう」
と言われて、「ケアー不要認定」を押されてしまう。
(ところが、そうして十数年後に、たとえば鬱病などを発症してから、「要ケアー認定」をされる)
ONSA WORKSHOP にも「心療内科に『おかしいところはない』と言われました」と言って、お越し下さる方が多いです。

身体の病気で言えば、「ガン」とか「心臓病」という病名がつく状態ではない。
でも、確実に「生活習慣病」の状態である。

たとえば、「鬱病」という病名はつかない。
でも、実感としては「何かがおかしい」。うまく言葉にならないレベルで、本当に、何かがおかしい。

心療内科のドクターも、ある意味では、正しいです。これは、病名のつく状態ではない。
同時にですが、あなたの感覚もまた、正しい。

この状態は、いわゆる「心の生活習慣病」のような状態。
「生活習慣病」ですから、今は「未病(みびょう)」の状態ですが、時が経つにつれ、確実に「何か」が引き起こされてくる状態です。



まとめます。
こんな、確定的な病名がつかない状況のため、「いい子」は真実のところ、自分に何が起こったか/起こっているかに、気づくのが遅れる傾向にあります。
社会的には、立派に立ち回れているからです。


ですから、もしあなたが、10代や20代で「何かがおかしい」と気づけたら、自分を褒めてあげてください。
もしあなたが、30代や40代で「私、『いい子』型に巻き込まれていた」と気づいても、どうぞご自身を責めないでください。
むしろ、自分の感覚を信じた、自分の勇敢さを、ぜひ褒めてあげてほしいです。



[7]
今までの経験と、様々な方の研究の結果から、状況好転のポイントを挙げてみました。

・自分に何が起こっているのか、知識として正確に理解すること
・自分が「どれぐらい(度合い)」で巻き込まれているのか。規模の大きさを、全身感覚で理解すること


キーワードは「体験」「実感」です。

ONSA で持っているプログラムの中で、私から提案できることは、「インナーチャイルド・ワークショップ」などの、体験型のプログラムに出てみること。

「いい子」は、本当に優秀なので、頭で理解することは、とても上手です。
でも一方で、本当の感情を感じることをずっと禁止されていたので、感情が凍っています。
表面的には、文字通り「いい子」……「いい方」で、柔らかな印象の方が多いのですが、内側はカッチコチ。

どこか一枚紗がかかったように、本当の感情がうすぼんやりしているのが、正直なところ。
(これが「生きている実感がない」という感覚につながります)


ですから、これら「体験型」の対面式ワークショップで、感じる力を、少しずつ取り戻してゆく。
1回ではなく、数回参加してみると、ある時、自分の感情に触れることができるようになります。
申し訳ないのですが、私は魔法は使えませんので、現実的に、あなたが想像しているより時間がかかります。いつから始まったのか、始まりも分からないほど「感じること」を禁止されていた方の感情は、カッチコチです。

一方で、うまく自分の感情につながることができるようになると、その時はじめて、
「私には、真実のところ、何が起こっていたのか」
が、実感として、しっかり理解できるようになる。

この言葉に心当たりのある方が、ONSA WORKSHOP の中にも、多々いらっしゃるように思います。


プロセスを速める手段のひとつとして、「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」「Web. WORKSHOP(ウェブ・ワークショップ)」など、知識型の学習と併用してもいい。
ただ、私が強調したいのは、「体験」が、「全身感覚で理解すること」が、とても重要だということ。


「いい子」タイプに巻き込まれた方は、とにかく、綺麗にまとまった答えを、与えられ続けられてきました。
「分からない」「できない」という経験を、経験ごと取り上げられてきた。
できないと、親が代わりにレールを敷いた。
「危ない」といって、経験を取り上げられた。経験する前に、経験を取り上げられた。
そのため、自分自身で、「危ない」とか「危なくない」を判断した経験が(かぎりなく)少ない。
考え方・感じ方すら、強要された。

「こうしたらいい(上手に選択できるように、代わりに考えてあげる)」
「できないなんて、許されない(という暗黙のプレッシャー。できないぐらいなら、最初から、やるな)」

「できない」という経験すら、経験ごと取り去られてきた。
だから、「できない」という経験が、とても怖い。


こんな過去の経験から、机の上で学習して、表面の言葉をなでて
「できた」
「分かった」
と終了にしてしまうことが、とても多い。

でも、じゃあ「真実に分かっているの?」というと、実際のところ、ぜんぜん腑に落ちていない。
これが「いい子」タイプの方が、バッチリ落ちる穴。


本当の理解とは、頭と身体、心……全身で起こること。

スポーツでいう「心・技・体」です。
机の上の、ペーパーテストの上で起こることではない。象徴的な意味で「泥だらけになって」、全身の実感をともなって起こることが、本当の理解。


全身の理解で、
「私は、違和感も覚えていない。虐待は、私に起こったことではない」
と、すっきり納得ができれば、それもまたよし。
もしそうなら、何より幸い。


逆に、いちばんいけないのは
「私は、『何かがおかしい』と違和感を覚える。でも実際、何がおかしいのか、分からない。……が、私が本気で取り組まなくとも、いずれ誰かが、きっと答えを与えてくれるだろう
これが、いちばんまずい。

問題の、先延ばしです。問題は、ふくれあがる負債として、未来に先送りされます。

その上、
「誰かが答えを与えてくれる」
「誰かが教えてくれる」
「誰かが、代わりに導いてくれる」

これは、依存症(共依存)の典型的な症状。
症状が出ているということは、確実に「何か」に巻き込まれたという証。

原因がなければ、結果は生じません。
依存症(共依存)の症状が出ているということは、逆算すればその源(みなもと)に、何らかの虐待があったという証です。



[8]
最後に。
何が本当に立派な……いえ、健康な親なのか、そのエッセンスを書いておきますね。
不健康な環境にある方は、何がいったい健康な環境なのか、さっぱり分からないと思いますから。

もし興味があるならば、何が健康か/何が不健康かは、ONSA Web. WORKSHOP 中で、時間をかけて学習しよう。しかしながら、あの膨大な量を、ここに、ひとことでは書けませんので、ここにはエッセンスだけを。


本当に健康な親は、子どもから、人生を取り上げません。
なぜなら、子どもの人生は、その人(その子)のものだから。

親の人生と、子どもの人生は、別モノです。



たとえば、「お母さんなんてキライ!」と子どもに叫ばれても、(それは多少ショックでしょうが)「ああ、そうか。今はこの子は、お母さんキライなんだ」と、その子の感情を尊重します。
「いい子は、お母さんを嫌いません」
「お母さんを嫌うなんて、残酷な子」
「お母さん、傷ついた」
なんていうプレッシャーで、子どもをがんじがらめにしません。


子どもの「好き」「キライ」「嫌だ」「嬉しい」「悲しい」……すべての感情は、尊重されます。
そして、子どもの感情と、親の感情は、別モノです。



これはたとえば、公共スペースで好き放題に騒いでいいとか、それでも親は放っておくとか、そういうレベルの話ではない。
野放図なことと、尊重は、別次元。

マナーということではなく、子どもの自然なすべての感情は、尊重されます。
(その上で、マナーが悪かったら、ごっつり怒られるかもしれません)

「お父さん、お母さんキライ!」もふくめて、決して、感じることを取り上げられたり、感じたことを「感じなかったこと」にされたりしない。
感じたことを「恥ずかしい」ことにされたりも、しない。


健康な大人は、完璧な人ではありません。
でも、少なくとも、自分の大人性に自信があります。

それは、人を安易に傷つけたりしないという自信と、他人を尊重できるという自信です。
ですから、他人の感情を、わざわざ操作する必要がない。
相手の存在をありのままに尊重すれば、少なくとも自分は嫌われないと……普通であればちゃんと好かれると、経験的に分かっています。


相手に暗黙の圧力をかけて、「私を嫌ってはいけない」なんてコントロールをしなくとも、ただ私は、ありのままでいるだけでよい。
そのことが、経験的に分かっている。
それが、健康的な大人ということだと、私は理解しています。






「いい子」に巻き込まれて、今まさに、回復作業のプロセスの上にいる方。
様々な書籍等でも、知識を仕入れられたと思いますが、「いい子」は、手強いです。

「いい子」に巻き込まれた方は、何となく社会的にはうまくいっている場合が多い。
ですから、本当に破壊的な状況になるまで、自らの状況に直面することを、避け続けることが多い。

自分の手足で挫折を乗り越えてきた経験が少ないため、挫折が怖い。
一方で、つい「子どもの、魔法の解決法」……誰かが私の人生を、決めてくれるんじゃないか……に頼りたい誘惑に、反射的にかられてしまう。


そういう点で、しぶとい共依存者よりも、すごく手強いです。
手強さの自覚が薄いぶんだけ、滑りやすい。

ぜひ、油断しないで。
そして、巧妙な仕組みに気づけた、あなたの命の力・生きる力を、ぜひ褒めてあげてくださいね。


本記事が、必要とされている方に役立ちますようにと、お祈りいたします。


それでは、また。
どうぞ、よい週末をお過ごしくださいね。

| ONSA は、『夢をかなえる人の手帳』シリーズを代表作とする、文筆業・藤沢優月のオフィス。「ONSA」には、「響き合い、調和し合う」という意味が込められています。

| 本記事は、ONSA WORKSHOP にご参加の方・共依存の巻き込まれやハラスメントに苦しんでいらっしゃる方・状況から脱出の道を一歩ずつ歩んでいらっしゃる仲間に向けて、書き下ろさせていただいております。
ONSA は仲間の皆さまと、日々共に歩ませていただいておりますため、内容に大変熱がこもりますことを、どうぞお許しいただきたく思います。
そして、この記事をご一読くださった、あなた様の大切な時間・人生のためにも、本記事が役立ちますように。

| MESSAGE : メッセージはこちらようこそ画像

  1. 始めて投稿します。

    今回の記事で、本当に心からホッとして、涙が出ました。

    こういうことについて理解のある人が周りにとても少ないので、心細くて、疲れきっていました。

    ありがとうございます。また希望をもって、少しずつ歩んでいけそうです。
    夢かな手帳、毎年、大切に使っています。2016年版も、楽しみにしています。


TO TOP