温かな祈りが必要。私たちの心に、平和の灯がともりますように

日々是好日_2015
温かな祈りが必要。私たちの心に、平和の灯がともりますように

2015年11月14日 14:25日々是好日_2015

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こんにちは、藤沢優月です。

これだけ世界がせまくなると、海外にご家族がいる方や、友人を持たれている方もいらっしゃるでしょう。
私もです。

パリに住む私の友人に、パリに、友人や家族が住む方々のために。
そして、ONSA WORKSHOP にご縁をいただいた、すべてのみんなに。
ブログをご訪問くださり、同じ痛みに苦しんでいる方々に、温かな祈りをお送りしたいです。

温かな祈りが必要だからこそ、私の意見を書かせてくださいね。
今現在、心の傷から立ち上がろうとしている方のお役に立てれば、本当に幸いです。





私の職業は、著者です。
著者とは、必要な境界線を持ちつつ、自分の心を隠しだてせずに、自らの体験を分かち合うという職業。
そのため、(重ねて)必要な境界線を保ちつつ、きちんとカムアウトしていますが、私は子どものころ、虐待と暴力のある家庭に生まれ育ちました。

家族という密室の中で行われていたことは、大人の私がふりかえっても、とても残虐なことでした。
ですから、その体験から救出され、癒され、回復することができた今。私は、著者という職業を選び、同じような体験を持つ方々をサポートする仕事に就いています。


私が虐待的な環境の中にいて、暴力にさらされていたころ。
私の心は、本当にすさんでいました。

どれぐらいすさんでいたかというと、人の命の重さなんて、とてもではないけれど、感じられなかった。
ニュースで報道される残虐な事件を、親が「信じられない」とつぶやきながら、ゴハンを食べているその横。私は無言で「何が『信じられない』だ。この偽善者」と、大人たちに、心の中で悪態をついていました。
これが、私の内面に起こっていたことです。

一方で、子どもはやはり、親を心底は、憎めないというのも事実。
私は、親を憎み嫌いながらも、親に「好かれたい」「愛されたい」という葛藤の中で、日々生きていました。

渇望するのに、得られない。
世の中にはたしかに、温かなものがあるのに、私にはそれが与えられない。

私の、何がいけないの?
どうすれば……どう努力すれば、どれだけ努力すれば、私は「愛」を得られるの?


ただ「愛」を……そして今だから分かりますが、理解と平和を求める私の心。
その心の中は、でも、怒りと嫉妬、暴力性と攻撃性で溢れていました。
私は、自分が「されたこと」をすることしか、知らなかったのです。

そんな私が、もし、自分自身を癒す機会を与えられなかったら。私はきっと、人の命の重みを知らない大人になっていたと、自分で確信できます。

傷つけられた痛みすら、感じられなかったでしょう。
それゆえ、人の心を傷つけてはいけないことも、理解できなかったでしょう。

なぜなら、「痛い」という感覚を感じないほどまでに、私の心はくりかえし踏みにじられ、利用され、嘘をつかれ、軽んじられていた。
大人の今なら、かつての自分の状況を客観的に、そんなふうに理解できます。





こんな暴力のさなかにいた私が、ひと一人の命の重さなんて、当然理解できるわけもありませんでした。

なぜなら、私一人が生きているという事実に、他ならぬ私が、価値を感じられなかったから。
当然、他人の命にも、他人の生(せい)にも、敬意を払えませんでした。


ひるがえって、だから今は、理解できます。

私一人の命の大切さを、私が理解できること。
それが、私以外の人の命の大切さを、理解できることにもつながると。


「私」を大切にできると、「私」以外の人も、自動的に大切にできる。
その「大切さ」の重みが、質感と質量を持って、理解できるようになる。





「まず、私が私のことに、責任を持つ」

これは決して閉鎖的なことでもなく、無責任なことでもなく、それゆえ「他者への無関心」とも違うことと、今なら理解できます。


誰にでも、「自分の庭」があります。
これを、専門用語で「境界線(バウンダリー)」といいます。


専門用語は置いておいて……。
つまりは、「自分の庭」の中の平和に、まずは責任を持つことが、とても大事。
なぜなら、「自分の庭」の大切さが分かれば、「他人の庭」を尊重できるから。



誰にでも、大切な価値観があって、大切な人生がある。
その人の中には、何より、大切な「心」が入っている。

まずは私が「自分の庭」のめんどうを、きちんと見ることで、そのことが理解できる。
そうなると、他人の庭の大切さ、その価値の重さに、敬意を払うことができる。


ものごとには、順番がある。
自分の庭のお手入れができてきたら、次は、他人の庭のお手入れを、ちょっと手伝えるかもしれない。
誰かが、その人の庭を大切にすることを、サポートできるかもしれない。

だから、決して閉鎖的な意味あいではなく、むしろ、積極的な意味あいで、「まずは、自分のことを」。


まずは、自分の傷を癒して、自分に温かくする。

自分を責めない。
自分という存在に、敬意と思いやりを持つ。



急場であればあるほど、このことは本質的で、とても大切なことのように感じられます。
みずからの経験から、少なくとも私は、そう確信しています。





週末、あなたの庭が平和でありますようにと、お祈りします。

そして、重ねて。
恐ろしい想いを味わわれている方、怖い想いをされている方に、温かな祈りが届きますように。

ぜったいに、一人じゃない。
「あなたの庭」を想っている人たちがいて、「あなたの庭」に、見知らぬ人から、温かな手が差し伸べられている。
世の中はそんなふうにできていると、私は信じています。……私にも温かな手があったように、あなたにも、温かな手が差し伸べられている。
絶対に。


だいぶ冷え込んできましたね。
どうぞ皆が、温かく平和に過ごせますように。

そして重ねて、怖い想いをされている方が、少しでも癒されますように。


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