日々是好日 | 伝えたいメッセージの芯 :「一緒に」は、プライスレス

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「時間」と「心」がテーマの著者、藤沢優月です。


私はふだん、主に、文章を書いて、伝える活動をしています。
たとえば、『夢かな手帳』はじめ、書籍であったり。あるいは、ONSA WORKSHOP であったり。


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それらを作る中心には、
「伝えたいメッセージの芯」
みたいなものが、もちろんある。……しかも、たいてい平凡で、とても地味なことです。


でも、その「芯」を、直接、言葉で書くことは、少ないかもしれない。


いわゆる、商業出版や、ワークショップ(=特定の目的のある場)。

共有の目標がある場では、貢献の方が、先。
つまり、あなたの方が、先だと思っています。


それが、当たりまえの順番だし、誰だって、何かをよくしたいと思って、プロダクトを手に取ってくれている。
それなのに、いっこうに方法にたどり着かず、著者の個人的な考えの、一方的な独演会みたいなのは、嫌ですよね……(´∀`; )


だから、「芯」のエッセンスは、少しだけ。
これは、「出し惜しみ」という意味ではなく、「適切性」ということだと思う。

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そして、それを言うなら、ここは、私(藤沢)の運営しているオフィスのブログ。
私が、私の考えを、自由に書いてもいい場所です。

だから、ここから先、少しのあいだ、私の考えを書いてみたいと思います。

お知らせして、共に、分かち合いたいことがあります。
同時に、そのための順番や、リスペクト(敬意)もまた、あると思う。

……と前置きしますが、おおごとではありません。


「あなたがいてくれて、嬉しい」
「あなたの時間が、素晴らしいものになるのが、嬉しい」
「みんな、それぞれ自分自身を保ったままで、仲よく一緒に生きたいよね」

本当に、それだけです。

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きれいごと抜きで、やっぱり好きです。

「一緒に」……が。



それぞれ、全員違う、「あなた」であり「私」。

それぞれが、自分をリスペクトして、その前提で、共にいられる。
「個」と「仲間」が、きちんと境界線を保って、存在できることが好き。


そうできなかった、混乱した幼少期があったからこそ、なおさら、好きです。


ひとりぼっちも、大嫌い。
“一人でいること” と、”ひとりぼっち” は、ぜんぜん違うことだと思っている。

かといって、自分が下敷きになり、犠牲が前提での「みんな仲よく」も、とっても嘘くさい。




「一緒に」

これは、実は、高度なことだと思う。

ただで、そうなれるわけではない。
それなりの、サボらない「心の筋トレ」みたいなものが、必要だと思う。

今日も動いている、この現実世界。
それを無視しないで、ふわっふわの「白昼夢」の中に逃避することなしに、刻々、自分と向き合ってゆく。
自分を、刻々、知ってゆく。


「自分」の側に、責任が持てる。
だからこそ実現できる、安定した状態。……同じような考えの、誰かと「一緒に」。


「一緒に」は、幼稚な状態では、得られない。
訓練によって洗練された、とても高度で高価(プライスレス)な、大人の持ち物だと思っています。


(続きます)