


2003年4月24日
こんにちは、はじめまして。
最近本が出版されました。(本当にありがとうございます。)Discover21さんからの出版で、「夢をかなえる人の手帳術」という本、時間の本です。 この本のルーツになったのは、大学・院での歴史学(西洋史)……自然観・時間観の研究。その頃同時にスペイン語学校の秘書をしていましたから、学問と実地 の両方から、さまざまな価値観を体験する機会になりました。
世界って、さまざまな価値観のカオスで、おもしろい。
その後大学院の時に、カナダとヨーロッパに留学しました。それ以来訪ねた場所は、(カナダ)、シンガポール、ギリシャ、イタリア、スイス、ドイツ、オース トリア、チェコ、フランス、イギリス、ベトナム、タイ、台湾、、、、そしてまだまだ増える予定です。でも、世界のさまざまな国を回って、気がついたこと。 せかせかしているのって、「先進国!」って言っている人たちばかりですね。
仕事につくうちに、環境問題に出会いました。自分たちが洗練されていて、進んでいると自負している先進国ほど、環境に大きなインパクトを与えている。よく考えもしないで多くのものを壊したり、ものすごいスピードで資源を消費したりしている。
進んでいると自負している価値観は、本当にそうなのだろうか?
そんなに威張れる私たちの価値観って、一体どのようなものなのだろうか?
その答えに少しでも近づくべく、今日も好奇心爆発で生きています。原子力の現場を見に行ったり、有機農業の野菜を調べたり、放射性廃棄物を見に行ったり、戦争で使われた兵器の放射能情報を追ったりと、日々勉強の毎日です。
明 日の地球環境を作ってゆくのは私たち。物理的な環境もですが、心の環境についても言えること。自分が自分らしく生きることが、とってもささやかだけれど、 世界に貢献できることだと思っている。私の場合、文章を書くことと、生きることに矛盾がないライフスタイルで過ごし続けることが、一生を通じての夢です。
これからHPにいろいろ書かせて頂こうと思います。どうぞよろしくお願いします。
2003年4月25日
引き続き肩がまわらない状態で、自宅にて
21世紀の幕開けは、驚くほど衝撃的なものでしたね。本当の21世紀は、2001年9月11日に明けたと言う人もいますが、あの出来事からこちら、自分の 生活がたとえ平和だとしても、心から満ち足りて感じられることが、不思議となくなったような気がします。
アフガン攻撃やイラクの問題など、あまりにも多くの情報が日々私たちを襲います。そしてそこから目を背けたくなりますが、これは逃げようもない現実。ま た、この現実から目をそらし、生きることもまた不可能。世界はあまりにもひとつに結びついてしまっているからです。
仕事柄本もたくさん読むし、旅した国もそこそこの数だけれど、最近の出来事を見ていると「自分はなんてものを知らないんだろう!」と痛感することばかりです。
このHP(注*旧HP、現在はリニューアル済)に「PEACE EARTH」というシリーズを連載しようと思ったきっかけは、ずばり勉強するため。言葉で書き表わし、発表し、読んでもらうことで、まずは頭の中を整理したいと思ったのです。
そして同じ女性の人たちと、一緒に考えられたら。
尊敬する三輪明広さんは「女性の雑誌ときたら、恋愛とグルメとファッションしかテーマにしないけれど、最近の女性はそんな型におさまらない!」とおっ しゃっていました。女性が真剣に物事を考え、行動する。そうすればどれだけ現状を変えることが可能でしょうか。
私にはアメリカに友人がいます。彼ら彼女たちは、本当に好き。人間性に心から共感でき、友だちでいて良かったと思います。またアメリカは、ノーム・チョム スキーやアン・モロウ・リンドバーグ、…その他数え切れないほど、尊敬する人々を育んだ国。
でも同時に、イラクやアフガン、そして世界中に爆弾の雨を降らせている国でもある。CO2を大量に排出し、地球を壊そうとしている国。そして、遺伝子を操 作して、地球上のすべての生命を限りない危険に晒している国です。仕事上、いろいろ調べたりしていると、必ずといっていいほど、「アメリカ的」なる言葉で 表現できるようなある種の犯罪・許しがたい行為に出会ってしまいます。
ことは複雑です。アメリカという国とアメリカ人は一体化ではない。でも、アメリカ的なるものが世界を壊しつつあることは、どうやら事実なのです。アメリカ 的なるものの押し付けで、多くの人が悲劇に見まわれ、人間としての尊厳を奪われた生活を強いられている現状があります。そして、21世紀が真に平和な世紀 になるのには、この「アメリカ的」なる問題の根を、一人でも多くの人が理解することが肝心だと思うのです。
だから私も、トライします。
種の特許の問題、
石油の問題、
イラク問題、
アフガン問題、
野菜の問題、添加物の問題、
地球環境の問題……、
熱い好奇心が燃えていますが、この続きは5月になってから。
ちょっと旅をしてきます。
2003年5月20日
仙川のカフェ・カルディで、にわか雨に潤いながら読書
ランチを食べに、住んでいる街のカフェに出向いた。
皿に盛られているお惣菜(最近はデリと言うらしい)をつまみながら、本のページをめくる。
今朝、宅急便の配達員にピンポン攻撃で起こされ、やっとのことで受け取ったアマゾンの小包。関岡英之さんの本『なんじ自身のために泣け』だ。
この本についてざっくり説明すると...。
著者の関岡さんは、元エリート銀行マン。高校の頃から中国に興味を抱き、社会人になってからは、銀行のお仕事で中国に駐在。その体験を中心に、カンボジ ア、インド、ベトナム、...そしてイスラム世界までをめぐったご自身の体験が書かれた本だ。
本のページをめるくにつけ、関岡さんの透明で力強い体験と、言葉にできようもない、決してありふれた物言いではない考え方に、徐々に引き込まれてゆく。
たとえば、改革解放後まもない中国の様子。そういえば私の小学校にも中国の偉い人が来て、みんなで旗をふったっけ...とかいう思い出がよみがえる。「そ の時分の中国は、こんな風になっていたんだー」と、関岡さんの体験を通じて反すうする。まるで自分が一緒に旅をしている感覚。あるいは、一緒に旅をした かったという感覚だ。
「その瞬間」を共有させてもらうことで、以前から興味のあった・でも立ち会うことができなかった中国の文化大革命(生まれた前後で記憶なし)やベトナム戦 争(これまた生まれた前後)、イラン・イラク戦争(ごくごくちびで記憶なし)...さまざまな歴史的事件を疑似体験させてもらう。
70年代に生まれた私は、身近に争乱のない世の中しか知らない代わりに、様々な出来事を身体感覚として知らない。また、いくら本を読んでも、体験そのもの を共有できはしない。しかし「本を書いた人を直接知っている」というラッキーな事実が、私にまた新たな身体的感覚をひとつくれた。
空からは突然、雨のシャワーが降り注いだ。
にわか雨だ。
石畳に打ち付ける強烈な雨粒に、たくさんの人が小走りで通り過ぎる。
急ぐ旅でもない、コーヒーもある。今日はゆっくり本を読むことにしよう。
関岡さんの目を通して、数々の歴史を眺める。
しかしこの本の醍醐味は、それだけじゃない。
ただの見聞録ではない。
30代で銀行の支店長代理(本に書いてあったので、ここに書いても大丈夫でしょう)にまで登り詰めた彼が、その席を辞して、自分の生き方の方向を変えてしまう。
日本経済の心臓部ともいえた証券のディーリィングルーム、そこから見たグローバリゼーションや拝金主義、経済至上主義に疑問を感じ、立ち去る決意を実行に移したのだ。
いわゆる、成功の階段というやつを私は登ったことがないけれど、そこにいれば、「今の」世界の基準で「幸せ」を保障されたようなものじゃないかと思ってしまう。
でも、関岡さんはそこから降りてしまった。
この本のリアリティは、なによりも動かしがたい、行動という事実にあるように思う。
感動の劇でもなく、悲壮な決意でもなく、本は淡々と素直でな文章で進む。
世界は広い、そして年を重ねるほど多くのことが学べるけれど、凝り固まったり決めつけたりすることこそが、しなやかさを消してゆく。
目の前の小さなことにこだわって、狭い方狭い方にどんどん流されがちだったここ
数日の私が、不思議とリセットされた。
いい感じだ。
今日は雨。
仕事をすべて放り出して、雨の音を聞きながら、ただ無心に本を読んだ。
仕事のためでなく、資料集めのためでもなく、心をからっぽにして本を読んだ体験は、振り返ってみると本当にひさしぶりだった。
何だか私の心も潤った気がした。
2003年5月23日
ワークショップのエントリーを前にしてよく「どうして仕事のテーマが環境とライフスタイルなんですか?」と聞かれます。
ぜんぜん違う2つのジャンルを扱っているように思えるのでしょう。
でも私にすれば、この2つは全然矛盾しない...同じことを、別々の目線で伝えているだけなのです。
例えばエコについて。
身近な環境問題から、ダイオキシンや核、石油による汚染の問題まで。誰もが知っているように、これらはもはや日常生活に直結する問題です。空気汚染は花粉症、喘息、ヒートアイランド現象に直結。食品の諸問題は、アレルギーに直結。
それは遠い国の問題ではない。今目の前にある問題です。
では一方で、ライフスタイルの問題についてはどうでしょう?
例えば小著『夢をかなえる人の手帳術』には、全ての人に夢を尊重してほしいとのメッセージを込めました。
自分の人生に不満を持っている人に「地球全体のことを考える」ことができるのかと考えた時、私自身のこたえは「できない」でした。
自分の夢に沿っていなかった時は、世界の問題なんて他人事。きちんと作られた(...だからちょっと高い)製品を選ぶこともしなかったし、飢えている人、 困っている人の問題に関心を払ってはいられませんでした。だって自分の心が飢えていたからです。
しかし、夢の実現に様々な人が力を貸してくれ、「自分は生かされている」と感られるようになってきた結果。自分を包み込んでくれ、生かしてくれるこの世界に興味が出てきました。自然とです。
そして今は、欠けがえのないこの世界を大切にしたいと考えています。
ひとりひとりが夢を叶え、ライフスタイルに責任を持ち、満ち足りて生きることで、この世界に感謝できる。間接的に環境が良くなる。また、発見された誰かの夢が、直接的にこの世界を豊かにしてくれるかもしれない。
だから、私にとってはこの2つは全然矛盾しません。
どちらも同じ源から発していて、くっきりと繋がっている、とても大切なものなのです。
2003年5月30日 広河隆一さんのイラク・レポートを受けて
目下の流行病は、SARSと健忘症であると言ったのは、港千尋さんでした。
(「先見日記」 http://www/nttdata.co.jp 参照)
ついこの間まで、世間の注目であったイラク戦争は、早くも話題の中心から席を譲りつつあるようです。
しかしこの戦争のことを、こんなに簡単に忘れていいのでしょうか。
イラクではまだ、戦争のような毎日が続いています。
フォト・ジャーナリストの広河隆一さんが、イラクからレポートを送って下さいました。ここに許可を取って転載させて頂きます。
(以下、広河隆一さんのコラム)
しばらくコラムを休みました。5 月 11 日に日本を出て、イラクの南の端から北の端まで、今回の戦争被害の状況を調べて回り、昨日北部からバグダッドに戻ってきたところです。
そこで見たものは、クラスター爆弾の恐ろしさや、誤情報による爆撃、情報から数時間遅れた爆撃により、被害が圧倒的に市民を中心にしていた例 です。
トラックの荷台に子どもたちが大勢乗っているところを攻撃されたり、逃げまどう子どもたちに発砲されたという目撃証言もありました。
クラスター爆弾は今も住宅地周辺に大量に不発弾として散乱しています。私が訪れた前日にも、女性が死亡しました。米軍は不発弾処理を住民に約束していますが、その約束時間を遙かに過ぎても、処理はされていません。
私は今回はイラク戦争被害調査団 (ICIV) として来ていますが、それとは別に委託された募金 13,000 ドルをバスラの母子病院白血病治療部門に届けました。募金はチェルノブイリ子ども基金から 1 万ドルが、劣化ウラン被害者救援のために提供されたもので、残りは私の記事を読んだ人から送られたお金や友人からの募金、JVJA で私が報告したときの募金です。
私は 6 月 1 日に帰国します。
また詳しく報告させていただきます。
広河隆一
広河さんのHPは http://www.hiropress.net
まだまだ知られていないイラクの実情が、リポートされています。
ぜひご覧下さい。
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ナセル市場の爆撃で 負傷した子ども。 アルヌール病院で 注)この写真は、 広河隆一さんの作品。 平和目的の使用のみ 許可されています。 see↓ http://www.hiropress.net |
2003年6月3日 東京電力の不祥事隠しで、原発が止まるとの報道を受けて
東京大停電になるものなら、一度そうなってみるのもいいと、真剣に考えています。なぜなら東京に住んでいる私は、電気が流れてくる生活をおおむね無感覚に 享受して、石油を燃やしたり原子力で発電するエネルギーのことを、身体感覚で考えたことがないからです。
前回のエッセイでは、広河隆一さんのお仕事をご紹介させて頂きました。今、ニュースの彼方に消えてゆこうとしているイラクでは、まだまだ大混乱が続いてい ます。人々は清潔な水を手に入れるのにも苦労し、かつては中東の中でも極めて文化的な生活を営んでいた人たちが、劣化ウラン弾やクラスター爆弾におびえな がら暮らすはめになっていると、現地に赴いた仲間の人たちから伝え聞いています。
自分たちが当たり前のように享受している生活を支える燃料が、一体どこから来ているのか、それは誰の犠牲のもとに成り立っているのかを考えれば、おのずから今回の戦争の真の目的が浮かび上がってくるかもしれません。
一方の日本では、原発が動かせないことによる停電になれば、石油をがんがん燃やして不足分を補うのでしょうが(今もすでにそうされています)、その石油の ルーツについて考えた時、イラクの子どもたちの姿が自然と浮かび上がってくるのに胸が痛んでいます。
日本のエネルギーの50%以上は、いまだ石油によってつくられています。
原子力が石油発電を補っているなんて、偽りのイメージ。それはあくまで商用発電でのこと。よくよく調べれば、日本はいまだ立派な石油大国なんですね。
check→ http://www.enecho.meti.go.jp/faq/japan/q02.htm
2003年6月6日 沖縄のある島に来て、スローペースなわたし
沖縄県の竹富島に来ています。
6月4日に島に入って、今日でもう3日目になります。
今日やっとメールチェックをしました。いつものあわただしい東京の生活を離れ、この島にいると、本当にいろんなことを自然と感じることができます。(そし てじきに、頭の難しい部分を動かしたくなくなってくるのです。このままでは仕事が危険だ。)
この島に、現代文明の価値観を簡単に当てはめることはできません。きっとグローバリズムというのは、どこかの不幸な人間が作ったのではないだろうかと想像 してしまうぐらい、ここには等身大の生活があるみたいです。パソコンも携帯電話も慌ただしさも、そういう「気を紛らわすもの」が必要ないぐらい、この島の スローに流れる時間は魅力的。逆に言えば、私がいつも、いかに「気を紛らわす」ために時間を使い、生活を送っているか、つくづく思い至るのです。
私はここに、「グローバリゼーションとはどういうものなのか?」ということを考えたり書いたりしに来ているのですが、ここに住んでいる人にとってはきっと 「それって、なに?」という感じなのでしょう。そんな言葉、初めて聞いたよ...というリアクションが想像できそうです。リアルライフの中にいる人には、 自分の生活を定義づける言葉なんて必要ないのかもしれません。そのようなことを問う私のような人間は、とうにリアルな生活を失い、グローバリゼーションに 巻き込まれながら、大地とつながった生活を必死で取り戻そうとしているのかもしれません。この島のリズムからは、そんなことを学びます。
ともあれこれから、今まさに私が失おうとし、直面せざるを得ない問題について、じっくり考えたいと思っています。まずはご挨拶代わりに、竹富島の風景をほんの少し、おすそわけです。
| 飛行機の上から見えた空。 雲の上から見ると、地球は青いし、国境線もない。 こんなに美しい地球を見ると、汚したいとは思わなくなってしまう。 |
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ブーゲンビリアの花 あるのは原色ばかり 空と海の色によく似合う |
島バナナ (さかさまじゃない) 重力に逆らって 生えています まだ食べてないけれど 近日トライしたい ↓ |
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← 村の道と、シーサー これはちょっととぼけた シーサーだけど どこの家の屋根にも シーサーがいる |
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道には、白砂が敷いてある |
海の色はグリーンに近い蒼 魚が跳ねるのが見える 恵みの海 |
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2003年6月8日 ミンサー織にチャレンジしながら、リンドバーグを回想
アン・モロウ・リンドバーグは、昔の女性の仕事...縫い物や機織りやパンを焼くこと...などの中には、静かな祈りの時間があったと語ります。実際、布を織っている時は、目はただ布目を追っているだけ。頭の中には静かな静寂が訪れています。
なぜこんなことを言うかというと、実は今、仕事もそこそこに(というのは言い過ぎですが)、毎日機織りにチャレンジしています。八重山ミンサー織に取り組んでいるのです。
私が滞在しているところは、奇遇にも、機織りの伝承者のお母さんのいる家。縁側には機織り機が3台鎮座しています。「ちゅらさん」ですっかり有名になった 八重山ミンサー織は、織り方そのものに深い意味と伝承があるそうです。また、中国やアフリカの部族社会のように、織の模様で所属している社会が分かるよう な仕組みにもなっているようです。
最近東京でも、インドやタイ、ベトナムの美しい布を目にする機会が多くなりました。
こうやって織っていると、手織りは本当に時間が必要なことが分かります。ですからそれらの布がフェアトレードで取り引きされる時、効率や経済性のみで判断 される価値観を超えて、互いを尊重する、リスペクトする新しいモノのやり取りが生まれていればいいと思っています。
布を織る時、織手には静かな祈りの時間が訪れ、それが美しい作品となって、私たちの日常生活に新しいストーリーを加えてくれるかと思うと、とてもいい気分。
もう、たくさんのモノは必要ないとつくづく思う瞬間です。自分にとって「たったひとつ」があれば、十分豊かなのですよね。
| 今日も海がきれい 島の人にパパイヤをもらってしまった 食べごろの判断がムズカシイ |
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| ミンサー織 中央はミンサー織で織った帯 向かって左は機織り機で織り上げている 男帯 右は麻の束(だと思う) |
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| 今日は雨が降り そして日が照った 花が白い道に映えてきれい |
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2003年6月10日 竹富島にて、釣り竿を見ながらふと思う
今いるのが島で、桟橋から釣り竿を見ているからこのような例えになってしまいますが、魚を求めている人と会ったと仮定したいと思います。
そして、その状況を解決するのに方法が3つあるとします。
まずひとつめは、魚そのものをあげること。でも魚をもらった人は、次の魚を得るための方法はひとつしかありません。それは「次の魚をくれ」と言うこと。これでは、魚をもらいたい人は、あげ手に依存した状態に留め置かれてしまいます。
ふたつめの方法は、釣り竿を渡すこと。これは一番目の方法よりも、すこしはいいかもしれません。釣り竿をもらった人は、それで魚を釣ることを考えるかもしれませんから。
でも、問題がいくつかあります。どうやって魚のいる場所を見分けるのか、どうやって釣るのか、竿が壊れた時にどうするのか。第一、竿そのものだけで、魚が釣れるのか...まだまだ問題山積です。
いちばんいい方法は、一見冷たいこと......魚もあげず、竿もあげず、魚の釣り方そのものの知識を与えることだといいます。
たしかに「モノ」はありません、魚も釣り竿もありません。でも、知恵に基づいた知識は、無から有を生み出す。そばにある木が釣り竿になり、魚のいる場所の見分け方を習い、魚の釣り方を習う。
魚をただもらうよりも、釣り竿をもらうよりも、魚を永久的に手に入れるにはいちばんいい方法です。それは、隷属、つまり魚のあげ手がいないとやってゆけない状態ではなく、自立した生き方だから。
多くの先進国と途上国の間で、同じような問題が発生しています。
援助とははたして何か、という問題です。
自立し、自分のちからでやってゆけるには、知恵に基づいた知識を得ることが肝心。日本の援助団体でも、知識をシェアしているところもあれば、延々魚を与え ているところもある。私たちが今行わなければならないのは、果たしてどちらでしょうか。南の島にいると、深く深く考えさせられます。
「モノ」だけを置いてゆくようなやり方の名残(残骸と言った方が適切かも)を、ところどころで見かけるからかもしれません。
2003年6月10日 夜の竹富島を徘徊して
夜は人間以外の世界です。
夜には、人間以外の動植物が一斉に活動を始めるみたい。海にゆけば蟹が這い回り、魚が飛び、汐の退いた浜辺にはさわさわという音がひびきます。無数の生き物たちが活動をしているのです。
海からの帰り道、白砂の敷かれた道を歩いていると、懐中電灯の明かりの先に、海へ向かって移動するやどかりの姿が。塀には螢の灯が光ります。
人間の活動が休みになる夜。動物たちの多様で壮大な世界が、密かに繰り広げられていることが分かります。
一日中こうこうとライトを照らし、夜の世界をなくしてしまった都会は、動物にとって住みやすい世界ではないはず。ということは、当然動物の一種である人間にとっても、極めて住みにくい世界であることは確かのようです。
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美しい竹富の夕日 桟橋には人が集まる |
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夜は動物の世界 夜の猫 ← 深夜にやどかり移動中 → |
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夜の竹富島を歩いていると、暗がりの中を、黒猫が近付いてきます。
いつも滞在先の民宿に姿をあらわし、なわばり争いを繰り広げているうちの一匹です。耳をそばだてたかと思うと、何かを発見して木に駆け登ったりします。私 たちは暗がりの中しばらく、猫の後をついて歩いたのですが、昼間の世界とは全く違う、静かだけれど極めて活動的な夜の世界に、わくわくする気持ちを隠しき れませんでした。
猫はやがて、民宿の庭に辿り着きます。
庭では、3匹のやどかりが移動中。
でもそんなことに注意も払わず、猫たちは縄張り争いを開始。
かたわらにおかれた生ゴミ...客人のために調理された魚の残りや、新鮮なニンジンの皮など「ジョウモノ」がいっぱいですから、この縄張は譲るわけにはゆきません。
ところが、猫が生ゴミをあさっているのを目の前にして、東京人の私は思わず「いけません!」と思い、生ゴミの入った段ボールにふたをしてしまいました。
でもその後で、はっと気がついたのです。もし猫に食べられたくなければ、島内の事情に精通した民宿のお母さんが、そもそも生ゴミを放置しておくはずがな い。民宿ではもしかして、猫に生ゴミを持ってゆかれるのも織り込み済みのことなのでしょうか。
「まあ困った〜よ〜ね〜」と言いながら、無防備に蓋を上げておくあたりに、竹富島と猫の関係があらわれているような気がします。
段ボールのふたをゆるめにしてもらった竹富島の猫たちは、とても自由に島の暮らしを楽しんでいます。
東京では、野良猫の害についてとかく言われます。
庭先に糞をするとか、草花を荒らすとか。
でも考えてみれば、庭先に糞をするのは、糞ができるような土が姿を消したからであり、草花をかき回したりするのは、猫も地球の住人の一員だからですね。
そしてそんな猫に案内されて、夜の豊かな世界を見学させてもらった後。ふだん知る機会の少ない多様な関係の中で自然は成り立っているのだと、改めて教えてもらいました。