Gift from ONSA for「ONSA WORKSHOP」  - 1月 | 折り合うことと、境界線

装飾バー黄色Gift from ONSA for「ONSA WORKSHOP」
  - 1月 | 折り合うことと、境界線




理屈でもなく、きれいごとでもなく、この世界の事実として。

「人は全員違う」と体感で理解したのは、大人になって、しばらくしてからでした。


いくら「似た」人間でも、私と「同じ」人間は、この世に一人もいない。
何度もの失敗と失望、ほろ苦さを経験して。そうして、私と「同じ」人間をさがして、ほぼすべてが一致できる人たちを求めて、さまよい歩いた末……。

「たぶん、想像の中にいるような『理想的な』人たちとは、一生出会えないのだろう」
このことが、実感・体感として理解できた時。

「折り合う」という言葉が、人生の中で、本気で意味を持ち出したのでした。
その言葉は不思議と、現実的で、そして、温かな質感を持っていることに、気づき始めたのです。


「折り合う」ということは、自分の譲れない部分は譲らずに、譲れる部分を譲り合って、共にやってゆくということ。
それは決して、相手の要求やリクエストに対して、できるかぎり「ノー」と言わないことではない。
「ノー」と言わないことで、摩擦や対決、波風を避けることではない。



「ノー」と言わない人間の周りには、いっけん、波風が立たない。
だから私たちは、つい「ノー」という選択肢を避ける誘惑に、勝てなくなってしまう。

でも、たぶん。
「ノー」と言わない人間の心の中は、大波がざぶざぶと立っている。
そして、内側で起こっていることを、外側に悟られないようにすることは、とても苦しい。

その波は、泡立って、荒れ狂って、私の全身を揺さぶっている。
私の心は、私の中の何かに「気づいて!」と、激しく主張している。


「譲れない部分は譲らずに、そして、譲れる部分は、譲り合う。
私の境界線……『人としての大切な一線』はしっかり保ち、そのかわり、肯定的な意味で妥協できる部分には、こだわらない」



たくさんのイベントや行事に囲まれた、1月という月。
心の波も高くなり、私の時間に、数々のレッスンを運び込んでくる月。

私はどれだけ、「折り合うこと」と「境界線」の意味を、考えることができるだろうか。

目先の小競り合いや、ばつの悪さ。
それらを避けるために、機械的に「はい」と口にすることを、一歩だけ思いとどまって。

その代わりに、
「これは、『折り合うこと』なのか、それとも、私の境界線を粗末に扱おうとしていることなのか」
と、自分に正直に問うことが、どれほどできるだろうか。

Gift from ONSA(藤沢優月)

TO TOP