Gift from ONSA for「ONSA WORKSHOP」
– 9月 | 怒りからの解放


「怒り」

もっとも強烈なキーワードになりえる、この言葉。

9月のテーマは、「怒り」。

季節が向きを変え、ものごとが内側に向かう、スタートの月であるからこそ。
心に耳を澄ませて、大切なことに、またひとつ、気づいてゆきたい。


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怒りについて、よく見かけるのは、こんな言葉です。

怒りを覚えるのは、精神的に未熟な証拠。
怒りの波動は低いから、怒りを覚えるということは、低い波動に巻き込まれているということ。精神的に「高くない」ことは、よくないので、しない方がいい。
怒ることは、良くない。

こんな俗説は、さまざまな本の中、あるいは、ブログや会話の中に発見できます。

子どものころ、こんなふうに諭されたことは、誰にでもありますよね。
「怒るのをやめなさい。怒るのは、よくないこと」


でも心理学的に言えば、怒りは、正常な感情です。

怒りは私たちを、暴力や不条理から守ってくれます。
犬や猫は、いきなり噛みつくのではなく、うなって怒りを示すことで、みずからの境界線を主張します。
私たち人間も、他人の怒りをほのかに察することで、「これ以上は踏み込んではいけないのだ」と、相手の境界線の位置を察します。


怒りを感じることは、生命にとって、きわめて正常なしくみ。
怒りの感情もまた、命の中に織り込み済みの、健康なしくみです。



このことを逆に言うならば、怒りを感じないことは、生命としてどこか「壊れている」とも言い得る。
その証拠に、怒りをガマンし、感じないようにし、抑圧し続けると……。

それが長いこと続くと、人はいずれ、鬱になるといいます。
「感じること」全体が、壊れてしまうのです。


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「怒り」が人間にとって、必要なものなら。
怒りはなぜ、このようにやっかいな存在なのか。

それはきっと、

「怒りを感じる」
「感じた怒りを、相手にぶつけ返す」

この2つの、まったく異なる次元のことが、一緒のボウルに入ってしまっているから。

2つの異なることを、同じボウルに入れて。
ぐるぐるとかき混ぜて、仕上がったものを、相手にぶつけ返す。

まるで、十分にガマンし、理不尽なことに耐え……。その代わりの、当然の権利として。
入れ替わりに、相手に怒りをぶつける権利が、手に入ったかのよう。
そんな勢いで、私たちは時々……いいえ「しばしば」、相手にそのまま、怒りを投げ返してしまいます。

「○○ちゃんが、こんなにひどいことをした。だから代わりに、同じことをしてやる!」
とばかりに。


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大人になるということ。
それは、この
「○○ちゃんが、こんなにひどいことをした!」
「だから代わりに、仕返しをしてやる!」
から、肯定的に距離を取ることでもある。


別の言い方でいうならば、決して否定的な意味ではなく、きちんと計算ができるようになること。
これが、大人の証でもあります。



子どもは、いつも「今ここ」に生きていますね?

時間の感覚が、立体的に発達していないこと。
「今ここ」と、その周りの時間に、集中して生きていること。
それが、子どもの時間感覚の特徴でもあります。


だから、小さな子どもは、おおむねいつも幸せで、やられたら、すぐにやり返します。
その代わり、すぐに許せてしまいます。


いっぽうで大人は、人生の時間を、立体的に考えることができる。

限間は無限ではなく、私は1年ずつ、どうやら年を重ねてゆく。
10代の頃は、自分だけは永遠に年を取らないと、無邪気に思い込んでいた。でも今は、自分もいつか、おばあちゃんになるらしいと、どこかで知っている。


そんな、限られた、人生の時間。

その中で、私が実現したいこと。夢。
行ってみたい場所。
会ってみたい人や、望む暮らし……。

それを実現するために、手元にある時間。
手持ちの時間の貴重さと、そして、目のまえの「怒り」。

これらを、冷静に天秤に乗せて計ったすえ、その怒りに「乗るか」「乗らないのか」……。

大人になるということ。
それは、目のまえの怒りに「乗らない」という選択肢を、つくりだせる能力を得ることでもある。



怒りを受け流せることが「高尚である」とか、波動が高い証拠とか、精神的に「高い」とか……。
多分、そういうことではない。

そうではなく、大切な時間の、辻褄を考えたとき。

もっとも大切なものを優先して、優先順位の低いものには、意識して「構わない」。
そんな、意識的な選択ができること。

よい意味での計算の力が、発達すること。
それが、大人になってゆくということでもある。



逆に、こんなことをも、言うことができる。

もっとも大切なものが、脅かされたり、虐げられたりしている時。
訓練された犬のように威嚇して、意識的に、ふさわしい怒りを表現できる。大切なものに害を与えようとする存在から、大切なものを守り、大切なままにしておける。
それもまた、大人としての、よい意味での計算能力。

怒りに巻き込まれるのではなく、怒りと共に、やってゆく。
私たちは、そんなことを、時間とともに学習してゆきます。



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「怒り」を「悪」として、怒りに背を向け、無視するのではなく。
私に備わっている、自然な感情のひとつとして、怒りの存在を認め、怒りについて学ぶこと。

言葉を換えれば、それは「『怒り』からの解放」でもあります。


怒りは私の敵ではなく、やっかいな存在でもない。
そうではなく、私の一部として、人生の味方になってくれる存在のひとつ。


それが、そもそもの、「怒り」の役割でした。


大人になり、精神的に成熟してゆくということ。
それはこんなふうに、バラバラだったいくつもの要素が、ひとつずつ、私の中で統合されてゆくことです。


Gift from ONSA(藤沢優月)