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PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2018.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」すのーくらうんクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) すのーくらうんクラス


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わたしへ

まずは、今回もお疲れさまでした。

台風が来ると聞いても「ワークショップに参加する」しか、頭になかったわたしよ、ありがとう。
「とにかく、ワークショップ中いらない心配をしたくない」
と、自分の希望を優先して、安全も考えて行動したこと、本当にありがとう。

自由に動ける今年だったからこそ叶ったことだったと思います。
そのチャンスを見逃さずに動いたこと、すごいと思う。
おかげで、しっかり集中できました。ありがとね。


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今回の「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」は初めての参加でした。
今思えば、この学童前期、学童期のインナーチャイルドが乳児期や歩行期ほどに自分に影響しているとは思っていなかった気がします。

その頃の記憶があまりないので軽く見積もっていたところもあると思います。
また、乳児期や歩行期の傷ついたインナーチャイルドを癒すことに力を入れていて、学童前期、学童期まで気が回っていなかった気がします。


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今年の自分の中でのテーマのひとつが「インナーチャイルドを癒す」でした。
今までいろいろとワークショップに参加して、自分の中にあるものを受け入れられるようになってきていたので、いいタイミングだとも思いました。


プレワークも含め、ワークをしていくうちに、とにかく自分はずっと傷ついていたんだなと思いました。
軽く見積もっていて、本当に自分に申し訳ないと思いました。

全体的に記憶が薄いのは、傷ついていないからではなく、傷ついていたからかもしれません。


今回、私の中で衝撃的だったのは、「男の子は女の子に暴力を振るわない」でした。
自分の中でもそれは当然のことだと思っていたはずでした。

私は両親に暴力を振るわれることはほとんどありませんでした。
だから、「暴力は振るわれていない」と思っていました。
でも、私は兄に暴力を振るわれていました。精神的にも、肉体的にも。

そして、私の記憶の限りではそれについて両親は兄をとがめることはありませんでした。
母は「ケンカ両成敗」だと言いました。だから、「そんなものだ」と思っていました。


「兄に暴力を振るわれてもしかたない。暴力を振るわれるのが当たり前。」と思っていた気がします。

そのことに気付いたとき、自分の中の奥底にある当たり前にびっくりしました。
うまくいえないけど、「常識的にはわかってるけれど、自分に起きてる事とは結びついてない」というか。

自分は暴力を振るわれていたのに、振るわれていないと思っていたことや、
「例外的に暴力を受け入れる」
「暴力を振るわれることはある」
と無意識に思っていたことにぞっとしました。

その無意識な思いこみと、自分に今まで起きたこととが「カチッ」と合った気がしました。

「なるほど…。そこを普通と思ったからおかしかったんや…。」
腑に落ちたのと、悲しさと、なんともいえない気持ちがしました。

最近、自分と健康な世界との距離をより実感し始めて苦しくなります。


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今回は
「健康的な世界の子どもの当たり前」
や、
「生まれながらにして、子どもが持つ資質」
を現実の世界で生活しながら自分をしつけし直していくということも学びました。

藤沢さんの話を
「本来の子どもって、そういうものなんだ~。」
と笑いながら聞いていました。
あたたかくて、裏のない、安心でまっすぐな世界でした。

そういう世界とは自分は関係ない、選ばれた家庭の子どもの世界だと思っていたように思います。
本当にそういうものと自分を切り離して考えていたのだと、いまさらですが気づきました。


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ワークの中で、私は小学校の先生に傷つけられたことを話していました。

意外でした。
心には引っかかっていましたが、それほど気にしているとは自分でも思っていませんでした。でも、どうしても気になってそのことを話しました。

その時、どんなに自分が不安で悲しかったのかがわかりました。
信頼できる大人が周りにいなかったのだということにも気が付きました。


母には
「だいじょうぶだよ。」
「そんなこと気にしなくていいからね。」
と言ってほしかった。励ましてほしかった。
自分を受け入れてほしかった。と、出てきました。

このように自分の希望がわかったり、実際に口に出せるようになったことは自分にとってはとても大きなことだと思いました。


そんな自分に会えてうれしかったです。
これからまた、インナーチャイルドを癒しながら、しつけをしながら安心して生きる日を目指したいと思います。


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クラスでご一緒したみなさん。お疲れさまでした。
安心して、心を開いて1日を過ごすことができました。ありがとうございました。


藤沢さん、ワークショップを開催していただいて、ありがとうございました。
いつもその真剣な熱量と、安心できる空間に感謝しています。

おかげさまで、今回も心全開でワークできました。
また、今回は勝手に「愛」を感じたワークショップでもありました(おそらくいつもあるのだと思いますが…)。

そこに、やっと気づけるようになったのかもしれません。
そういう自分を見つけることができてうれしかったです。

そして、スタッフのみなさん、いつも陰で支えてくださり感謝しています。

ありがとうございました。





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M. T. さん(30代/神奈川県よりご参加) すのーくらうんクラス


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皆さま本当にお疲れさまでした。
私は夏開催された「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」に引き続いての参加です。

今回は丁度予定的に仕事の勤務時間を変更した(増やした)直後にあたり、それに伴い様々なことに変化があり、多忙と疲労で中々ワークの時間が取れずバタバタした中での参加になってしまいましたが、
それでもおかげさまで、また一つ深く、気付きを得ることができました。


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私は小5の時に家族会議のようなもので、両親に私の人格というか、性格、アイデンティティを(強く)否定されたということがありました。
(今のままではダメ。もっと明るく、元気な、しっかりした性格になれないの? ならないとダメ(ありのまま、そのままのあなたでは駄目だよ)と。)

それと同時に、家では常に圧力を感じる中、家族や(自分以外の)周りの人々の事を背負わされていました(※今考えると、あんなに重い圧力の中、どうやったら「元気に明るく!」なんて振る舞えたでしょう。自由に意見なんかしたら、とてもじゃないけど生きていくことなんてできなかったあの家で…。)

ワークショップを経て気付けたのが、今思うとこれは結構な酷い虐待だったんじゃないか、ということでした。
 

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私は丁度その同じ頃に学校でいじめを受けていて、いじめてきた子に性格や容姿をからかわれ、否定されていました。

そんな事もあり、その後も私はかなり長い間(それこそ以前に「身体のワークショップ」を受けるまで、ずっと)自分はダメなものとして、自分の性格や容姿にとても強いコンプレックスを持っていたのですが、性格や容姿でいじめられた時に、とても過剰に、敏感に、とても強いダメージを受けていたのはそもそもちゃんと、アイデンティティが育てて(育てられて)いなかったから、確立できていなかったし、認められて(も)いなかったからなんだなと、仕組みとして理解することができました。

過去にそのことがあった、起こったということはもちろん知っているし、事実として経験したことであるということも、もちろん分かっていたのですが、改めて、そのことはどういうことであったのか知ることができました。


「なんでこんなこと!」と、両親にぶつけたい、ぶちまけて怒りたい気持ちはありますが、両親なんかに構っている暇はありません。
私はわたしをしあわせにしたいし、しあわせにしなきゃならないので!


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そしてワークショップ・クラス直後に、仕事で急に人間関係問題が勃発。
(本当に不思議とワークショップ・クラス後に問題が起こりますね(笑)!)

そこまで深刻なダメージを伴うようなものがないものが殆どだったものの、巻き込まれそうになった時、他人にエネルギーを使わない! 適切な距離を置く。自分重心。と意識しながら問題に対処しました。
そしてこれからも意識していこうと思う今日この頃です。


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ワークショップ・クラス当日はあいにくの台風により、残念ながらすべてのお仲間の皆さまにはお会いできませんでしたが、当日お越しになれなかった皆さまの分まで気合いを入れて参加させて頂いたつもりですし、また勝手ながら、すべての皆さま「全員」で参加していたつもりです!

それでは、優月さん、ONSA スタッフの皆さま、クラスのお仲間のすべての皆さま、本当に、ありがとうございました。
お疲れさまでした。





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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) すのーくらうんクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ」は2回目の参加。

ワークをして、私は条件つきではなく、親の為でもなく、本当の意味で愛されたかったことを改めて実感。
そして同時に、愛されていないとずっと感じていたんだなとと思う。

なんてさびしくて、悲しいことだと思う。

子供の私が「もう無理だよ。限界だよ」と、自分に、夢遊病や優しい夢をみては泣くという形でサインを出していたことにも気づいた。
私は本当に小さい頃から、自分の個性、自分の考えや感情をぐちゃぐちゃに握りつぶされてきたんだな。


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後半のワークでも、子供の私は0か100の世界で必死に生きてきたんだなと気づいた。
何をするにもハードルがとても高くて、でも私は認められたくて、そのハードルを越えようと必死だった。

あの頃、自分の意思で決めたり、動いていたと思っていたことは、自分の意思じゃなかった。
そうじゃない何かに突き動かされていたんだ。

100になろうと頑張らなくてもよかった。
ハードルを越えようとしなくてもよかったんだ。
本当は、そんなハードルを越えようとしなくていいんだよと言ってほしかった。

0か100じゃなく、その中間があってもいいこと。
あの頃の私に、それを教えてくれる人はいなかった。
でも、自分で自分にこれから教えていけばいいこと、学び直せばいいことも、また教わった。


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仕方なかった、子供である自分ではどうしようもなかった。
そう思うこと、子供時代を言葉にすることで子供のとき失ったもの、与えられなかったものを改めて思い出すのは本当に本当に今を生きる上で大事だと思った。

思ったとおりに自分を表現していいこと、0か100じゃなく中間があっていいこと。
今回のワークを通して改めて気づけたこと、きっとこれがこれからの私を救うと思う。


もう苦しまなくていい。
私が思ったとおりに発言していいし、動いていいし、しなくてもいい。

私がいいな、やってみたいな、なんか好きだなと思うことを、どんどんやってみようと思った。
あの頃の私と一緒に。

あの頃の私を受けとめられるのも、あの頃は得られなかったものを一緒に感じることができるのも、私だから。
そう思ったら、これからが楽しみになってきた気がする。


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このワークショップは、私が忘れてはいけないことを思い出させてくれるものだと思う。

誰に何を言われても、「私が」納得していればいい。
誰にも理解されなくても、理解されないことで苦しんでも、それでもいい。

私がわかっていればいい。
改めて、私は私を1番大事にしようと思う。

優月さん、ONSA のスタッフの皆様、クラスの皆さん、ありがとうございました。





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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) すのーくらうんクラス


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今回、台風の影響で当日のワークショップ・クラスは欠席しました。
(優月さん、スタッフの皆様、ご対応いただきありがとうございました。)

とても楽しみにしていて、かつ年に一度の貴重な機会だったので、やむを得ないこととしても欠席を選んだことに、私はとても残念な気持ちでいっぱいになりました。

でも、気づいたことがあります。
それは ONSA WORKSHOP(対面式)の威力、効果の大きさです。


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実際に「ワークショップの場に行く」
「優月さんの教えてくれる “健康” な空気にふれる(=今の私のズレの大きさに気づく)」
「お仲間さんと一緒に過ごす、気づきをシェアする」
「感じる」
「気づきを言葉にする、聞いてもらう」
「私の気持ちを素直に出せる」…

その「体験」の大きさを、改めて、ひしひしと私は感じました。
ONSA WORKSHOP(対面式)で私は、とても大きな回復への推進力を得ていたんだと実感できました。

なのでまた、参加します。


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そして、プレワークを通じて私が気づいたこと。

私が私に、うそをついちゃいけない。
うそやごまかしの状態の上には、本当の回復はない。

プレワークで子どもの頃のことを振り返るなかで、私は、母に対してわいてきた気持ちを書き出したくなり、実際に、書きました。

そうしたら、今まで書いてきた中で、一番荒れて、でも一番正直な手紙になりました。

書き終えて、私は気づきました。
あぁ、私は、私の内側の気持ちや思考ですらも「他人向け」になっていたんだ。


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他人に説明できるような、理屈めいた、つじつまあわせの思考。
私の本音や正直さとはかけ離れていて、でも「これなら成り立っていられる(大崩れしない)」と組み立てられた思考。

過去に私が受けたこと、感じたことすらも、私は「他人にも説明できるような」状態に固定して、「そういうもんだ」としていたんです。

(でもそれはまた、私の受けた痛みをリアルに受けとめられる状態に私がなっていなくて、私を守るために、自分でしていた防衛策でもあったと思います。
だから、そのことで私は私を責めません。
命や心は、本当にうまくできてるなと思います。)


でもそれを、今回私はやめることができました。
そうしたら「あ、これが私の正直な気持ちだったんだ」と、腑に落ちました。

心で感じてることなんだけど、なぜか私には「胸からお腹のあたりの、体の内側が、スッキリきれいになった」感じがしました。
ごしゃごしゃしていたものがすかんと抜けて、クリアーになって心地よかったです。


この感じ、身体感覚が、私には大事なんだ。
そのうえで、『未来日記』にも、私との対話にも、取り組んだ方がいい。

だって、つじつまあわせやごまかしだらけの土台の上には何も私の本音は出てこないから。

そもそも私が私に大いなるうそをついて、ごまかしているのに、そんななかで「本音を出せ」といっても、無理な話ですよね。
そのことが、ようやくわかりました。
理解というより、体感できて、よかったです。


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私の過去は、本当にごしゃごしゃと、乱れまくっていました。
そのゴミが今でも残っていて、私の現実に影響しまくっています。

でもこうして、ひとつ、またひとつと、私は気づき、吐き出し、掃除して、私に戻ってゆくことができました。
日々の中でも、ちゃんと私は歩けている。進むことができている。

そのことを、私は誇りに思います。
ほんとに、ありがとう。


私はまた、これからも進んでいきます。
これからもよろしくお願いします。





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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) すのーくらうんクラス


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私へ

今年は、「過去を癒そう」「私の子供時代・土台を理解しよう、私と私の痛みを知ろう」と思ってやってきたけれど、あっという間だったね。
毎日、本当によくやってきたよ。


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今回、スノボキッズの話を聞いて、ずっと胸が痛んでいた。
(* 編集注/ワークショップ・クラス中の「たとえ話」となります)

その痛みは、日常の中で、本当に関心と愛情を持って育てられて人の話を聞く時、そんな人が才能を開花させて社会にいる姿を見る時、家族仲のいい人の話を聞く時、そうやって自分の子供を育て、成長を見守る人の話を聞く時に感じる痛みと、同じだった。

そんな時、私は自分の
「そういう環境で育てられないと、幸せになんてなれない」
「もう遅いよ」
って声に、負けそうになる。


スノボキッズの話は本当に微笑ましくて、
「子供ってそうだよなぁ…」
「かわいいなぁ」
「そうやって育ててもらっている子もいるんだよね」
と感じた。

それと同時に、それと自分の通って来た道を比較すると、自分の失ったもの・持てなかったものの大きさが、胸に迫る。

私は、そんな機会や時間は持てなかったなぁ…。
スノボキッズがそうやって社会化していく時間、私は何をしていたんだろう。


私にだって、全くそういう機会がなかった訳ではなかったはず。
子供会に参加していたし、絵の教室にはある程度ばらけた年齢の子がいたと思うし。

それでも、「ブツッ」と何かが切れている感覚(「健全な環境では連続性がある」のと対照的に)。
家と学校も「ブツッ」。
学校の友達と近所の友達も「ブツッ」。
小学校・中学校・高校も「ブツッ」。

あるのは、常に孤独感。
テキストの
「『どうせ、私はひとりどっちだ』と泣いているのは、何歳の自分?」
の部分を読んで、今回初めてドキッとした。


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子供の頃、引っ越しした後の環境は、孤立していた。
今までは、それが当たり前だと思っていたけれど。

おかしかったよね? やっぱり。
今も心の中で泣いているのは、あなただよね?

そんな孤立の中で、私の世界にはあの母と姉しかいなかった。
本当に、辛かったね。本当に、よくがんばってきたんだね。

それに、私はあんなに小さい頃から、嗜癖行動するしかなかったんだね。
それしか、することがなかったから。
幼い私が、自分で出来ることは限られていたから。


その時間は、私が色々な人と触れ合いながらこの世界を学んで、色々経験して、失敗や成功しながら、少しずつ「好き・嫌い」「出来ること」を知り、お手本を見たりやってみたりしながらステップアップして、積み上げていくことの出来る時間だった。
私が、私を知ることの出来る時間だった。

それを、健康な世界観を知ることを出来ず、人とやっていく方法を学べずに、自分の好きなものにチャレンジすることもなく、家族の為に使ってきたんだね。
…使わざるを得なかったんだね。


今、あなたが
「こんなに自分を知らなくて」
「こんな齢になっても、なりたい方向が定まらないなんて。本当に、好きでやりたいことがないなんて。」
と思っていたとしても。
私にも(もちろん、他人にも)責められることじゃないんじゃないかな?

あなたは、いつもその時の出来る限りのことをして、誠意を持って、がんばってきたよ。


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今回、驚いたことがあった。
「あの頃」の自分の気持ち・ニーズを言うワークの時、言葉がなかなか出なかった。

そして、無理にでも何か言おうとしたら、頭が痛くて重くなり、肩・胸・喉が内側からキューッとしまってきて、すごく苦しくなった。
かなり息苦しくなった後、反対に息が荒くなって、ずっとハァハァいってた。
こんなのは、初めてだった。


やっと出て来た言葉は、
「苦しい」
「重い」
「きゅうくつ」
「押さえつけないで」
「勝手に決めないで」
「私の言うことを聞いて!」
「私にやらせて!」。

断片的にしか拾えなかったけれど、心の叫びだったと思う。


まだ引っ越し前で「幸せだった」と思っていた頃に、そんなことを感じていたとは知らなかった。
(引っ越し後は、家族として機能していないのに、人が来た時だけ仲のいいふりをするのを「おかしい!」と言っていた。)

言っている感覚も、言っても聞いてくれない・分かってもらえない母に対して言っていたから、誰もない空間に向かってずっと叫んでいるような感覚だった。


そして、そんなに分かって欲しくて、感情的になって言っているのに、「今、確かに自分のニーズを言った」と思ったのに、口に出したそばから流れていってしまう。
手のひらの中から砂がこぼれるようにさらさらと、言った言葉が消えてしまった。
口に出した瞬間、思い出そうとしても思い出せなくなった。

まるで、「自動消去装置」がついているみたい。

そう思いついた瞬間、何となく分かった。
「自動消去装置」は、私が自分で作り上げたものだったんじゃないか?


そうやって忘れて、「なかったこと」にしてきたんだね。
それほどまでに、私はつらくて、苦しくて、悔しくて、悲しくて、恥ずかしかったのか。
…今も、感じることを恐れるくらいに。


なんかもう、書いていてつらいよ。

でもね、今の状態になっているのは、そうなる理由が積み重なってきた結果。
私の目的は「今より、自分と自分の痛みを知ること」だったんだから、知ってあげられて良かったよね。
良くやってくれたね、ありがとう。


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印象に残った言葉があった。

「自分で、自分をしつける、境界線の位置を戻してあげる」
「私が、私のニーズを満たす(それが出来なくて、代わりにやってくれる人を探すのが共依存だから)」
「これから『社会化』していってもいい」

そうだよね。
私は、孤立じゃなく世の中で健康にやっていける術を学べなかったけれど。
誰が見てもすごいと思うようなことをするのではなく、自分で自分にしつけして、ニーズを満たすことで社会へ帰っていけるなら、私にも出来ることなのかもしれない。


「普通」のことかもしれないけれど、私に取っては切実で大切であきらめられないチャレンジだ。
私が、私の手でやりたい。

「あきらめないこと・ねばること・誠実であること」なら、私は得意だもんね?
小さかった私も、今の大人の私も、力を合わせてやっていこう。
いつも、一緒だよ。


最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、仲間の皆さん、本当にありがとうございました。





PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2017.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」はいくろっぷクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) はいくろっぷクラス


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参加しての感想は、私の中にこんな想いがあったんだな…という事です。

あれから、まだ一週間が経っていませんし、目の前の環境は同じだけど、
私の中に「あるもの」が、軽くなっている感覚があります。


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私のインナーチャイルドが言った言葉は、私にとったら驚くものでした。
なんか、もっと怒りの言葉だと思っていたから。
涙が溢れだして、とまらなかった。苦しくて苦しくて息が止まりそうで、このまま消えてしまんじゃないかと思った。

そして、私は今生きています。ちゃんと生きています。

ちゃんと食べて寝て、そうする事が私の力で出来るという事。そういった事実。
それが、もう子供じゃないってこと。


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今も思いだしたら涙で眼が潤みます。心から溢れてくるように想いが何度も何度もやってきます。
たまらなく苦しいけれど、きっと、もう少しすれば、何かまた変化するんじゃないかなって自分に優しくいます。

やっぱり、ワークはすごいなと思いました。
どんなけ本を読んだところで、実際と得るものは違う。
頑張って行ってよかったなと思っています。


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インナーチャイルドの言葉。なんでそんな言葉だったのかなぁと思ってみると、
それは、絶対に言ってはいけないと思っていたな。というものだったのかも、と思いました。
言ったら、私の世界が壊れてしまうと信じ込んでいたのかも。

あー、そう思ったら、腑に落ちました。


「私、もういいよ。そんなもの、もういらないよ。
私が助けてあげるからね。この私が助けてあげる。だから、安心して、笑っていこう。泣いている顔より、笑顔の方がかわいいよ。笑顔が一番可愛いよ。」

私、今回もおつかれさん!!





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A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) はいくろっぷクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」にご参加のお仲間さん。
先日はお世話になりました。

これまでに何度か「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」、共に参加させていただいてましたが、いつも「前期日程」の方がよりワークに身が入るというか…逆にいうと、「後期日程」はどこかまだ自分のことではないような感じがしていました。

今回の「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」のクラスはこれまでと違い、より「私のこと」という意識が強かったと思います。
夏に受けた同じ「インナーチャイルド・ワークショップ」でも、「前期日程」と「後期日程」では、「何か、どこか、違う」感じが、今回初めてしました。

それは取り扱う年齢に沿って、私の方の気持ちも変えてきている気がしました。
それは、普段相手の年齢が違えばそれに合わせて自分も変える、そんな感じです。
でも、それを今までの「インナーチャイルド・ワークショップ」ではしていませんでした。

多分、私にとって、「昔は昔」、「子供は子供」そういった大きなくくりで見ていたんだと思います。今回の自分は、自然とそうゆう気持ちになっていました。もしかしたら、自分のことをより詳しく、細かく見れるようになったのかもしれません、そして、興味を持ち、より真摯に取り合おうと思ったからかもしれません。

これまで、少し成長した、物分かりができるようになった自分と取り合うことは、これまでとても怖いことでした。
それがさらに私が私のこの時代を避ける原因だったのかもしれません。
今回、現実の私が成長したからか、逃げることなく「私は、私を助けられる。」と思えました。


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ワークで取り合った私の傷は、「前期日程」で取り合った傷とは、種類が違う気がしました。
「後期日程」で取り扱う、幼稚園や小学生の時の私の心。赤ちゃんより少し成長した私が傷ついた傷。これを感じ、私は、あぁ、私って成長していたんだなぁと実感しました。

本来の健康な家族で、健康に育つ時の指針のようなものを基準に、自分の過去を見る。
その視点は、私にどれほど自分の家庭がおかしかったのかを気づかせてくれました。

「当たり前」で「ふつう」だと思っていた私の原家族の風景や、やり取りは、やはりおかしかったのだと思いました。


そしてワークショップ・クラスでヒントをくださった、私の母親のこと。
私は、ずっと父親の方が疑わしいと思っていました。
きっと、母を基準に父を見ていたのでしょう。
それほど私にとって、母は絶対だったのだと気付きました。



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ワークショップ・クラス後、じわじわとそのヒントが私の理解へと向かいました。
いろんなことがすごく納得がいくと思いました。
詳しい知識の部分は追いついてませんが、感覚がすぐに納得につながりました。
「そうゆう人」に育てられた感じがしっくりきました。

目が覚めた感じがし「まとも」な側にすっと立った気がしました。
自分の「まともさ」を自分がちゃんと取り合える気がしました。
これまで、自分は「ヘン」で「おかしい」という思いがぬぐいきれず、それにすがっている部分もありましたが、なんか自然とそれが脱ぎ捨てられた感じがしました。

母との会話がうまく成立しなかったことが「ふつう」になっていました。
「機能不全家族だから…。」で済ましていました。
でも、
「だからあんなにもコミュニケーションがうまくいかなかったのかも。」
「母とのコミュニケーションでスキルを学べなかったことが今の私にも影響しているのかも。」
と、より深い理解が自然とできました。

そのほかにも、母の一貫性のない情緒。
私は私の中で学んできた「常識」の範囲で、母親のことをなんとか理解しようとしていましたが、今回のヒントがきっかけで、私の頭が理解するよりも早く、心と感覚が納得しました。

ワークショップ・クラスで私が取り扱った傷の一つに、いとことのことがありました。
彼女との出来事で傷ついた私。
この4日間、母のことについて調べていました、そのことは、このいとこの彼女のこととも繋がりました。


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私が今回取り扱った傷。
それは2つとも、普通の心では耐えられなく理解できない出来事であり、相手でした。
私は、振り回され、混乱させられていたんだ。
私の生まれながらに、持ち合わせていた心や感覚では、対処しきれないことが起きていたんだ。

なんども似たような理解は重ね重ねしてきましたが、また一歩深く、そして、違う角度で見れました。


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私の内側は日々浄化に向けて動いているようです。
ワークショップ・クラスからまだ4日しか経ってないとは信じがたいほど。

この4日間、発達障害や、パーソナリティー障害のことが私の回復を手助けしてくれる気がし、気になって、私が思いついたできる行動をとっていました。
ONSA の記事を読んだり、そこで挙がっている人物を調べたり、図書館に行ってみたり。

そういった行動がより私を、自己信頼へと導いてくれた気がします。
より自立しようと、心がすっと立った気がしました。

自分の未来を自分の手で創造したいと思いました。
私こそが、私を助け出し、守り、育てられるとより強く思いました。


私は、母の作った枠の中で生きてきたんだと自覚しました。
その枠は信じるに値すると思い、この枠さえ守れば、自分は安全に生きれるのだと思っていました。でも、この枠は私がこれから生きていくのには見合わないものだとわかりました。
私にとって全く安全なものではないし、素敵なものでもありません。


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今回のワークショップ・クラス、私の傷を癒すことはもちろん、その傷をヒントに、私のことやそこに付随する家族問題にも目を向けることができました。

今回も、大切な気づきをくださったこの機会、感謝いたします。
ゆっくり、じっくり、変化のプロセスを見守りたいと思います。





タイトルはじまり目印

T. S. さん(30代/長野県よりご参加) はいくろっぷクラス


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私にとって、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」は初めての受講でしたが、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」を受けてからの参加でしたので、以前ほど不安はなく、プレワークを進めていました。
でも日にちが近づくにつれ、だんだんと緊張が高まってきて、自分でもなんだか変だなあと思うまま当日を迎えました。


文節区切りの線


ワークショップ・クラスの最中、いろいろなことが思い出されました。幼い頃の体験、あれもひどかった、これも大変だった、こんなこともあった、っていろんなことが走馬灯のように思い出されました。
でも、「お母さん…」って呼びかけても、感情がでてこなかった。
ほんとうに感じて、身をゆだねることができなかった。それがショックでした。

「前期日程」を受けた時には、感情が溢れてきて、言葉も出てきたのに、今回は全くと言っていいほど、感じることができなかった。
言葉を出そうとすると、頭が作動して、いろいろ考え出すことの繰り返しでした。


でもそれは、どこかで、感じないようにしようと決めていたのかもしれない。それは幼い頃の私の決意だったのかも。もう、感じないようにしよう、それを出さないようにしようという…。

私は本当はとてもゆっくりで、微細にいろんなことを感じているのに、幼い頃はそのままであることが許されませんでした。感じているいろいろなことは、そんなちっぽけなこと、そんなつまらないことに関わっていられないと、無視され、次第に私自身もそう感じる自分をちっぽけでつまらない自分だと封印してしまったのかもしれません。
その決意をこの時期にしたのかもしれない…。
ワークショップ・クラスを終えて日々を過ごすうちにそう思いました。


ワークショップ・クラスの中では、何かを感じ切って表現することができなかったけれど、でもその後で、向き合って得たものが今回のワークショップの実りかなと思いました。
こんな風に得ていくものもあるんだなと気づき、改めて ONSA WORKSHOP(対面式)の威力に驚いたりしています。


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今回私には、回復を焦る気持ちがありました。
でも、そんな風にすぐには変わっていかないんだなあ。

今回のワークショップでは、それが身に染みた感じです。
できなくても大丈夫。
できないあなたでもいい。
今は感じられなくてもいい。この自分ともう一度、一歩一歩歩んで行こうと思います。

優月さんの言葉、クラスで組んでくださった方、「はいくろっぷクラス」のみなさんの歩みに励まされました。
ほんとうにありがとうございました。





タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) はいくろっぷクラス


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ワークショップ・クラスから1週間が経ちました。
先週のことなのに、はるか昔の様に感じています。

この1週間は体を低くして過ごす、感情の振り幅が大きくなるというのを、とても強く感じました。他人のちょっとした事に反応してイライラしたり、なんでもない事に慌てたりして、アナウンスがなければ一呼吸置いて落ち着くことはできなかったと思います。


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ワークショップ・クラスは新しい知識と知っていたけど理解できなかったことを説明され、また世界の見え方が変わった気がしました。私がみている世界観は大分変で、それが生きにくさに繋がってるのがまた一つわかってきました。
あと過去はすごく今の私に影響をしてるということも。

クラスのワークでとても印象強かったのが、子どもの私がして欲しかったニーズを話すということができなかったことです。
まず口を開いても喉が詰まって言葉が出てこなかった。
「お母さん」の一言が声にならなかった。
喉がキュとしまって口をパクパクしてました。

言いたいけど言えない、本当にそんな感じ。
何十年経っても子どもの私が感じていたことは変わってないみたいな、その場にいるみたいな感じでした。

あと、して欲しかったことが浮かびませんでした。
やっと口から出たことは「なんで」「どうしたらよかったの?」「わからない」。
どれも私が悪い、正解は何? どうしたらお母さんは褒めてくれたの? いいって言ってくれたの? と思ってました。

私がどうしたいか、どう感じてたじゃなくて間違ってた。愛されなかった。私が悪いからどうすればいいの? と泣いている感覚。私がどうして欲しいなんてわからない、感じない様にしてる気がしました。
子どもなのに欲しいがわからない、自覚はないけど大人の今振り返るとものすごく可哀想で辛い子どもなのだど思えます。自分のニーズを感じるようになるのはいつなのだろうか、どのくらいかかるのか、考えるとゾッとします。

知識をつけて、小さくても少し進むと自分の深刻さの度合いが予想よりずっど大きいことがわかってきてしんどいです。毎回このくらいと思うことを更新して行く感じで、うんざりもします。

いつかなんとかなるって甘い幻想は今でも思うけど、そんなんじゃどうしようもないのも感じられる様になってる。
先は本当に長いようです。


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クラス中に劣等感の話が出て、その時の私はあまり感じないと思っていたのですが、帰り道ずっと引っかかっていました。
ダンスをはじめてからのことを思い出していたら、全然そんなことなかったです!

めちゃめちゃ劣等感があって、しんどかった。悲しくて悔しかった。
踊れない自分が惨めで、なんとかしたかった。

諦めるにはキラキラしてる皆が羨ましくて、自分なりに必死にレッスンに参加し続けてました。ようやく最近出来ないことがわかる様になり、練習をすれば私なりのペースだけどいつかは出来るようになることが実感出来るようになり、劣等感を意識しなくなったみたいです。
うまく言葉にならないけど大人になってはじめたダンスのレッスンは、私の回復とても助けになってるのを感じました。


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PAY FORWARD を出したら、またワークショップ・クラス前の様に慌ただしい毎日に戻ってしまいそうで怖いです。
わかってるけど出来ない、いつもと同じぐるぐるとしてしまう、変わらない変えられない。
少しでも戻って立て直して、行動できるようにしたい、この気持ちを忘れないでいたいと強く感じています。





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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) はいくろっぷクラス


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Sちゃんへ

ワークお疲れさま。本当に疲れたね。
私を大事・大切にするために、時間とお金とパワーを使ってくれてありがとう。


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今、私は「しんどい」という疲労感とともに、不思議と清涼感のある、穏やかな気持ちを心に抱いています。その中に少し「もやもや」したものも感じています。

前半の学童前期のワークでは、気づいていたけど、やはり私のなかに「お父さんとお母さんに弟みたいに愛されたい」という思いがあったことを再確認できました。

我が家では、弟だけが「子ども」で、私は「お母さんとお父さんと同じ『大人』組」という雰囲気を私は感じていました。
そのなかで私は、弟と同じ子どもでありたかった。
自由に遊んだり、泣いたり、笑ったり、欲しいものを欲しがったりしたかった。「お姉ちゃんだから」と我慢したり、「女の子だから」と手伝いさせられたりするのがイヤだった。

でも、「お姉ちゃんだから仕方がないのかも?」とあきらめていたのかもしれません。
そんななかで、私は両親の(特に母の?)私と弟に対する接し方の違い・差にとても傷ついていたことにも気づけました。


私は今、自由に遊んだり、泣いたり、笑ったり、欲しいものを欲しがったりしたい。そして、失敗してもいいから、思ったことを挑戦・実践できるようになりたい。そして、「失敗すること」や「新しいことに挑戦すること」を怖いと思ってもいい、と自分に許したい。


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それから、私は「お母さんに急に殴られて、怒られること」がとても怖かったんだ、ということにも気づけてよかったです。
そして、まだ「私が悪かったからお母さんに殴られても仕方なかったのでは…」と思ってしまうけど、「小さな子どもにいきなり殴りかかり、罵倒する、怒りをぶちまける」大人=私の母の行動が異常だと気づけてよかったです。
社会で、他人に同じことをしたら暴行罪になるような危険な行為ですもんね。

(どうして、この「小さな子ども」が「自分」になってしまうと行動の異常性が薄れるのだろう?)


子どもの私にとって、「突然殴られ、怒られる」ことは、母に「言うことを聞かないから(殴るんだ)。」と説明されても、とても怖い体験だったと思います。
私は、母から突然殴られた驚きと痛みと、恐怖を感じていたろうな、と思います。


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また、学童後期では、ワークの場では声にしなかったけど、私は「お母さんに『死ね』ではなく、『生きていていいよ』と言ってほしかった。お母さんに言われた『死ね』という言葉を消す言葉がほしかった。」と、私のニーズに改めて気づきました。そして、母からずっと「(役に立たない・かわいくない・いうこときかない・みっともない)お前はいらない」という雰囲気・メッセージを感じていたなかで、「やっぱりいらないんだ。死んだほうがいいんだ。死ななくちゃいけないんだ。」私が思う決定打となった母の「死ね」という発言に、私は深く傷ついているんだ、ということも再確認できました。

しかし、推測だけど、私の母は記憶を維持することが難しく、子どもに「死ね」と言ったり、殴ったりすることがどれだけ子どもを傷つけるかを想像することが難しい人だったのかもしれないのです。
でも、「現実」はそうだったんだ、と考えると、私の体験が腑に落ちるのです。


私にヒドいこと(ブス・汚い・死ね・疫病神など)を言ったあとに、母から謝れることはありませんでした。そして、私に「○○しなさい」と言った数分後に「なんで○○してるのッ?! ○○してはダメだッ!!」と怒ったりしました。
母がそんなことをするのは、私が悪く、私のせいだ、私が母に仕方なく怒らせているのだ、と思っていました。
(どれだけ母を自分がコントロールできると思っていたのだろう。魔法使いかッ?! 「子どもの自動思考」コワい…。)

でも、現実には、「私は悪くなかった。」


私がどんなに「いい子」にしても、「頑張って」も、弟みたいにあの人たちの「天使のような可愛い子ども」にはなれなかっただろうし、喜ばすことはできなかった。逆に、怒らすこともできなかった(ハズ)。

母の機嫌の悪さに、私は責任がないし、本当は関係がなかった(ハズ)。

私は悪くなかった。


両親が記憶を維持しにくいために、言うことがコロコロ変わるので、私は混乱していた。

両親がヒドいことを言えば、殴れば、子どもが苦しむことを想像できないため、私は言われっぱなし、殴られっぱなしで、死に逃げたくなるぐらい苦しんでいた。

私がお母さんの言いつけを守れなかったり、聞いていなかったりして悪い子だったのではない。

私が悪いことをして、お母さんに殴らせ、怒らしていたのではない。

私は悪くなかった。

そして、私が私だから、お母さんに殴られ、怒られていたのではない。

私が存在していたから、怒られていたわけでもない。

SちゃんがSちゃんだから、悪かったわけでも、嫌われていたわけでもない。

私は私でよかった。

SちゃんはSちゃんのままでよかった。

Sちゃんは生きていてもいい。

本当は、現実には、お母さんの不機嫌はSちゃんには関係のないことだった。


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私はワークでこの事実・現実に気付いたとき、解放された気持ちになりました。
心のなかが穏やかで爽やかな感じもして、その気持ちをかみしめるほどに、涙が止まりません。

また、平気で子どもに暴言をはいたり、暴力をふるったりする両親に、私は「何をしてほしい」と求めていいのだろう、何を要求しても無駄だろうし、私が愛してほしいようには愛してもらえないだろう、と途方にもくれました。
そして、「でも、弟にはできていたのに?!」という怒りも感じ始めました。

ONSA WORKSHOP(対面式)のワークショップ・クラスを終えて時間が経てば経つほど、解放された爽快感や穏やかさは薄れていき、「もやもや」したものを多く感じるようになっています。

それでも、子どものときの私には両親に求めるものが何かしらあったはずだ、と思います。
そして、その要求を欲してもよかったし、「欲しい!」と声に上げてもいいはずだった、とも思います。
だから、これからは(も?)隠れた・気づいていない自分の要求を見つけたいと思います。

私はもっと私を知りたい。
そして、私は私で自分自身を満たしたいです。


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私は悪くなかった。
私は私のままでよかった。
私は存在していてよかった。
自然と同じく私も私で、すてきだった。
だから、私も欲してよかった。
私も「欲しい」と声をあげてよかった。
私は生きていてよかった。

お母さんなんて関係なかった。
私が存在していいかどうかに、お母さんなんて関係なかった。
お母さんに死ねと言われたからといって、存在してはダメなことはなかった。
 
私は私のままで生きていていい。

SちゃんはSちゃんのままで生きていていい。





PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2016.10月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」ゆめごろもクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。

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K. O. さん(30代/神奈川県よりご参加) ゆめごろもクラス


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一年ぶりの ONSA WORKSHOP でしたが、変わらずの落ち着いた雰囲気で安心しました。

今回は明確な目的をもって、この「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加しました。

テーマは「怒り」でした。
一年前の「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」で、地獄の釜の蓋が開き、親にものすごく怒っていたことに気づかされました。そして、そのことを親に向かって叫びたかったことも。

そのあと一年間、怒りの抑圧について気づかされることが多くありました。関係あるかはわからないけれど、その後、持病のアトピーが爆発して、苦しい日々を送ってきました。


でも,実際対面式ワークショップに参加してみて。プレワークをやってみて。
私、怒りを感じられている!! って思いました。

ワークショップ・クラス当日も、家のインターネットの接続の工事に関するトラブルで、イライラしていて、せっかくのワークショップに雑念が入るほどでした。
基本的には、集中していたけれど、心の隙間ができると心に浮かび上がってきて、そのことを思い出してイライラしていました。

イライラすること自体は決して悪いことではなくて、問題は、そこにとらわれすぎてしまうこと。
私なりに、そんな状況の中でもワークショップ・クラスの中にいられたと思います。

そして、自分自身が怒ることを抑圧しているせいか、他人が怒っているのを聞くのがこの一年特にすごくつらく感じることがありました。自分とは関係ないことなのに、後をひいてしまうことがたまにあるのです。

だけど、ワークショップでは、ペアになった方の怒りを問題なく受け止めることができました。そして、ペアの方も私の怒りを受け止めてくださいました。ありがとうございます。

私できている!
怒りを感じることも,怒りを受け止めることも。

それを実感できて、確認できたワークショップになりました。


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そして、「インナーチャイルド」の私が大人の私に宛てた手紙では、私の本音が書かれていました。


私をもう閉じ込めないで
ステレオタイプの理想の像に私を当てはめないで
束縛しないで
自由に遊ばせて
レールを押し付けないで
安全、安定の中に閉じ込めないで
仕事や安定的な給料よりも私を優先して
怒ってほしい、戦ってほしい、私を守るために


これから、この言葉を胸に生きていきます。

優月さん、一緒になったみなさん、ありがとうございました。





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H. M. さん(30代/広島県よりご参加) ゆめごろもクラス


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皆さん、藤沢さん、ワークショップ・クラスでは、本当にありがとうございました。
一緒に温かな時間を過ごせたことを幸せに思います。

そして、私。
ワークショップに参加してくれてありがとう。


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小さな自分も大人になった自分も共通しているのは、とても不安だということ。そして、混乱しているということ。正しいことを経験していないから、大人になった今でも、いつも手探りで正解を探しているような不安を抱えています。

「愛情」…我慢することが愛情だった。
相手が自分を愛しているかは、相手がどれほど譲って自分に歩み寄ってくれるか、だった。
私はそうやって親への愛情を示してきたし、親はそれを求めた。私の意見は尊重されなかったし、我慢することこそ愛情だと思ってきた。
結局はコントロールだった。愛情とコントロールの差がわからない。

両親は、お互いに憎みあい、罵り合いながら、それでもいつも一緒にいた。
たまに、「お父さんは私の悪いところを指摘してくれるんだ。」と母がいい、「お母さんがいるからこの家は回っているんだ。」と父がいうのが理解できなかった。でも、それが「愛情」というものなのだと思っていた。

「悔しさ」…悔しさの感情がわからない。
母はよく、「そんなこともできないの、悔しかったらやってみなさいよ。」と言っていた。
私は、馬鹿にされ、コントロールされていた。そこに必ずついてくるのは「悔しさ」だった。
健康的な「悔しさ」が良く分からない。

「罪悪感の多さ」…責任を多く引き受けてしまうのは、罪悪感があるからだと思う。
本当に、どこまですればちょうどいい責任なのかわからない。

「0か100かの考え」…知恵を出し合って、お互い譲り合ってちょうどいいところを探す、ということをした経験がほぼない。選択肢が少ないというか、根気よく色々な可能性を考えてみる、ということをしたことがない。
じっと黙る(我慢する)か、背を向けるか。白か黒か。


そんな、混乱に満ちた家庭に育ったことを、どこか「諦めている」自分がいます。どこか冷めています。
「仕方ないよ、しょうがなかったんだよ。」と思ってしまって、怒る権利すら自分にないと思っているところがあります。
あの人たちにはこんなこと、出来っこないよ。酷だよ。求めすぎだよ、と、どこまでも親の親役になってしまいます。
母の顔が浮かぶのです。
「こんな可哀想な私にそんなひどいこと言うのね。こんなに一生懸命我慢してやってる私をまだ責めるのね。」「どうしてそんな子になってしまったの。あなたは優しい子だったのに。」と泣く顔が。
そういうのうんざり。面倒みきれない。

でも、もっと私は怒っていいんだと思います。
私にも大事にされる権利があったのです。親に多大な気を使わず、自分が何者かをのびのび試す子ども時代を送る権利が私にもあったのです。

そして、私は、自分をもう一度温かく育てなおしたいです。
正しい「愛情」「感情」「罪悪感」「挑戦」そういうものを学びたい、身に着けたい、と思っています。





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Y. A. さん(20代/福岡県よりご参加) ゆめごろもクラス


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今回「インナーチャイルド・ワークショップ」に初めて参加しました。

私はあまり6歳以下の記憶が無いので、学童期(6歳~12歳)に取り組むことができると思いました。


どういうはじめ方をするのかとてもドキドキしました。

子ども時代に何が起こったのが、何が今にまで響いているのか。
それを心理学的な目線でやわらかく説明してもらえます。

そうして実践的なワークへ入ると、初めはよく分かっていないんです。

たしかに、自分の中には怒りや恐れがあったと記憶している。
でも、出していいのか?
あれ、こんなに感情があったっけ??


それは湯水のようにあふれ出る感情。
当時に戻るような感覚。
怒り過ぎて傷つきすぎてどうにかなってしまいそうな感覚。


27歳の私がしっかり封印して、平気そうな態度を取っていた。
それは、学童期の私がとった態度のまま。


あのころに、君を助け出したかった。
私という、幼い、無力な私を、助け出したかった。


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これだけのことをした後はふらふらです。

この1週間、アフターワークで手紙を書いていると、当時のノートでよく走り書きしていたような憎い感情がこんこんとわき出ていました。
そう、当時気づいていなかった、しつけだし当たり前と思っていたことも、とっても傷ついていたこと。
理不尽な女性というには幼い身体への暴力。


私は、向き合ってよかったと思います。心底。

一緒に集まったクラスの、何度か参加されている仲間がいて、その人たちの真剣に向き合う態度や思いも感じ、「私を癒しに来てよかった」と思いました。


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さて、ワークへ入る前の藤沢優月さんからのお話も、しっかり身に染みております。
自分をなんとなくそう? でも微妙だな…う~ん……? と、うだうだしていたので、はっきりさせるのに良い時期だったのだと思います。

今回ワークショップへ参加されたみなさん、お疲れ様でした。
運営されているスタッフのみなさん、いつもお疲れ様です。
藤沢優月さん、今回に限ったことでは無いのですが、このワークショップの参加者へ励ましの言葉をくださりありがとうございました。

ココロが大事、後天的な習慣を身に着けていこう。
これがきっと、私らしく生きるためだね。





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N. T. さん(20代/東京都よりご参加) ゆめごろもクラス


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ご参加された皆様、お疲れ様でした。

まずプレワークをしていて、書けば書くほど思い出していきました。
そうして書いていって気付いたことは、
「私小学生の頃から実はいい子を演じてた? それは自分の希望ではなく、そうしないといけないと思っていたみたい。」
「母は私をよく見てなくて理解してなかった。」
「小さい頃から母のイメージ通りを演じてた私に、本音を言ったり甘えられる訳がなかった。」

自分への手紙では
「もういい子しなくていいよ。」
「もう期待や要求に応えなくていいよ。」
そんな言葉が自然と出てきて、
「ああ、私はそう思ってたんだ。そうだよね。」
と驚いて、同時に納得しました。


そしてワークショップ・クラス当日、午前中のワークで
「ああ、私皆みたいに泣けない。泣けない私はダメだなぁ。集中できてないんだな。」
と落ち込んでましたが、優月さんに
「そんなことない。泣かないといけないわけじゃないんだよ。」
と言われて、また人と比べている私に気づきました。
改めてそう言っていただけて安心しました。
それに、だんだん対面式ワークショップの回を重ねるごとに
「ここは安全な場所だから言っても大丈夫。」
と思い始めてもいます。

そして午後のワークをしていて、回数を重ねていく内に私の本音が少し見えました。

私は、小さい頃から本音を言えない環境にあって、言ったらどう思われるだろうと思ったらとても心を開けなかった。
それは母は私のキレイな部分を求めているという非言語メッセージを感じたから。それから外れたら、無視、拒絶、2、3日口をきいてもらえなかった。
そんなことをされたら母に従順ないい子を演じるしかなかった。それを家の中でだけじゃなく、友人にもするようになった。

でも、本当は私という人間を受け入れてほしかった。
拒絶せずにありのままを見てほしかった。
そうしたら私はいい子を演じなくてよかったのに。そうしたら私はもっと自分に自信をもって自分がわからないなんてことなかったかもしれないのに。
本当は、大好きな人にもありのままの私を見せて、本当の信頼関係を築きたい。

私は自分も他人も信頼したい。それは私の願いの一つだ。
それがワークをしていてわかりました。親友と呼べる人にも言葉を選んだりしてしまって、どこかで孤独を感じてた。
「この人は本当の私を知ったらどう思うだろう」
と、どこかで考えてた。
孤独でそれがすごく寂しかったんだと気づきました。この寂しさを私はずっと抱えていたんだと気づきました。


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ワークショップ・クラス終了後、優月さんに活を入れられもやもやしてしまったけど、今更かもしれないけど、腹を括ろうと思いました。
今回の WORKSHOP でもすごく収穫があったし、色々考えたけれど、これは今私がやるべきことだと思います。

ワークで感じた心の奥にあった願いを実現させたい、もっと信頼したい、自分も他人も。
信頼できる自分になりたい。
私の為に、必死にしがみついて、自分の荷物を少しずつおろしていこうと思います。





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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) ゆめごろもクラス


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この数カ月を振り返ってみて、気がつけば自分の経験値と気持ちが大きく変化した期間だったと思います。
だけど同時に同じ位、「まぁ、このままでいいんじゃない?」という声に負けそうな自分もいます。
「どうせ、変わらない。
今までだってずっとそうだったんだし。
これ以上、がっかりしたくないし、傷つきたくないよ。」
そんな自分の勢力に
「ワクワクすること探そう! 新しいことしよう!」
という小さな私は、直ぐに負けてしまいます。


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今回 WORKSHOP に参加して、この世の中にはまだ私が知らない世界が未知数に広がっているんだと信じることが出来るようになりました。気の合う人達も、大好きな場所も、まだまだたくさんあるんだ。そう、私が知らないだけ。知ったかぶりは得意でも知ろうとしなかっただけ。
だったら、自分のセンサーを頼りに可能な限り、探していけばいいだけだ。焦っても、先には進めないって解ったから、もう開き直り。堂々としてるだけ。
私は、私。
世界に一人だけ。世界遺産以上の、私。

優月さんに「たくさん失敗しな」と言われて
「そっか~また失敗するのか~だったらやだな~」とか正直思いましたが(笑)。
一番は自分の気持ちに正直に、自分にウソをつかない習慣を、身につけていきたいです。


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もうひとつ、何度かうけたこの WORKSHOP で今回変化したことがありました。
それは、父に対して心の奥底から絞りとってくるような声がはきだせたこと。

今までは、わんわ泣いて父を責めていた感じだったのが今回は違いました。心の奥の奥にあった怒りが「もう、いい加減にしろ」という思いと共に言葉を吐き出すことができました。
でも、まだ出し切れてないような気もします。あと、もう少し。もっともっと自分を解放してあげたいです。

「ゆめごろもクラス」のみなさん。
今回は人数も少数だったせいかいつもより、一緒に頑張ってる感を感じていました。
日常に戻ると、本当に嫌になってしまうことたくさんだけど、前に進むことを諦めないでいたいですね。
本当に、ありがとうございました。





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Y. E. さん(30代/茨城県よりご参加) ゆめごろもクラス


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優月さん、参加された皆様、お元気ですか。
あっという間に「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」から1週間が経ちました。
本当に時間は「光陰矢の如し」で、あっという間に過ぎてしまう。
だけど久々にゆっくり過ごして、セルフケアらしいことができたように思う。

今回も色々な気付きがあったワークショップでした。
本当に、もう一人の自分、心の傷は全く癒されてこなかったことも。


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「インナーチャイルド・ワークショップ」は夏の前期に引き続き、秋の後期に初めて参加しました。
「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では、自分の言いたいことを言えずに終わってしまいました。
途中から「心」ではなく、「頭」で言葉を選んでしまっていた感じがしたから。
それでも、参加されている方達の悲痛な叫びと怒りが伝わってきた。
本当だったら、私だって思いっきり感情を出していてもおかしくないのにな…って。

だから「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加したら、当日はちゃんと心で感じていたことを出したい。
正直、プレワーク中は傷ついた出来事を書いている最中にも、
「テメェこの野郎!!」
って感情がたくさん出てきたし、思い出すだけでも憂鬱だった。

私だって相当というか、超怒っているし、苦しんでいる。
今でも苦しめてやりたい人間が多いから。
ずっとずっと、私の心は怒りや虚無感、諦め、恨み、無力感、不平不満といった負ばかり。

いつもいつも、
「何で私の言うことを聞いてくれないの!」
「こっちの話も聞けよ!」
と、家族や他人に対して不公平だと感じてきた。


何で私は理不尽を被らなきゃいけないんだろう?
全然納得いかない。
何で私に対して意地悪なんだ。何で私だけぞんざいに扱われなきゃいけないんだよ!
他人との関わりが鬱陶しく、疲れることも多かった。

そのうち私は「周りの人間に言っても聞いてくれないし、無駄だ」と、自分の気持ちを押し殺すようになりました。
何でもないように、普通のつもりでいたけど、全然普通じゃないし、何でもないわけがない。
私は器用な道化師じゃないんだ!
自分が感じてきたことを抑えながら生き続けるなんて、しんどい。
空しい。
怒りと不満が一方的に募るだけ。
全然楽しくないし、面白くもない。
心の中はちっとも穏やかじゃなかった。それは今でも感じている。


正直「学童前期」「学童期」「思春期」にかけての私は、「異常事態」の連続でした。
なぜかカヤの外。
いつも他人に意地悪される、攻撃される。
見てくれをからかわれる。
私の意見を聞いてくれないし、無視される。
友達ができない。
努力しても報われないことばかり。
家の中でも、祖父はいつも怒鳴ってばかり。
祖父からは母の文句、母からは祖父の文句を聞かされ、父からも母の文句を聞かされただけでなく、罵倒された。
家の中も、外も、全然平和じゃない。
同級生と遊んでもいつも不利な目に遭わされて疲れる。
全然学校は楽しくなかった。
楽しいことは漫画とか本とか、テレビぐらいしかなかった。
私はなかなか、「嫌だ」が言えない子供でした。

なぜ「異常事態」の連続だったのか、全く分からないままでした。
子供心に、何で私の生活は「異常」なことばかりなんだろうって。


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知るきっかけになったのは、高校生になってからでした。
父から、
「母ちゃんはお前の子守をしていない。代わりにテレビにさせていたからお前はずっとしゃべらなかった。」
と聞かされたからです。
しかし、父は
「俺は仕事をしていたから知らないよ。お前等のことを知っているのは母ちゃんだろ。」
と、仕事を理由に正当化して、母に全責任があるという言い方をしました。
私は内心、ずっと不満でした。
夫婦のくせに「仕事していたから悪くない」なんて、それが道理として通じるわけないだろ!


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優月さんがワーク中に話していましたが、親の都合は子供にとっては関係のないこと。子供は、歓迎されて、認められるべき存在だということです。
そう考えると、やはり父と母はお互い無責任であったということ。
夫婦としての責任どころか、子供である私に対して何の責任も果たしておらず、私の欲求も全然満たしてくれてもいなかったということです。

書いていて、また父と母に対して腹が立ってきました。
私が長年感じていた疑問と不満は間違っていなかったんだと、確信しました。

優月さんに上記の父の言動を話したところ、
「関心事じゃなかったんだね。」
と言われ、心にズーーーーーーーーーンときて、重かったです。

正直、「関心事じゃなかった」ということにショックでした。
でもそれは本当なんだろう。

やっぱり小さかった頃の私は、軽んじられていたという事実。
色々話を聞いていくうちに、父母、祖父は自分達の都合や感情を子供である私に押し付け、ぶつけてきたということも。
まさに、やってはいけない禁忌を犯し続けてきた、「不健康な家族」だったのです。
言いたいだけ言って、私の言い分や気持ちなんてまともに聞いてもくれず、反抗すればいつも人格攻撃された。
だから、大家族という家族形態が大嫌いになりました。
核家族で暮らしている家族が、気楽そうに見えて、羨ましかった。

家族の問題は子供には関係のないことなのに、私は知らない間に家族の問題に巻き込まれていたのでした。
私はアンタ等のサンドバッグじゃないんだよ!!

自分でも、何て人間達の集まりの中に生まれてしまったんだろうと思います。
以前お世話になっていた心理士さんも、私の描いたジェノグラムを見て、
「こうして見ると、ストレスの多い家だね。」
とおっしゃっていましたが、その言葉も WORKSHOP への参加と、優月さんの説明を聞いていくうちに真実味を帯びてきました。


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ペアワークでも、私は父母だけでなく、既に故人である祖父に対しても相当怒っていたんだと実感した。
全然、私の気持ちなんて分かってない!

私の気持ちを聞くどころか、一方的に自分の感情をぶつけて怒鳴っていただけだった祖父。
私が中学時代、同級生の男子女子だけでなく、下級生にも見てくれをからかわれて辛かった時期、母が私に歯列矯正をさせようとしていました。
しかし、それを聞いた祖父は
「どこもおかしくないのにする必要なんかないだろう!! 何考えているんだ!」
と母を怒鳴るだけ。
私に対して、
「どこもおかしくないよ。」
とは言ったものの、言われた私は全然嬉しくありませんでした。
むしろ祖父の無神経さに諦めを感じ、「おじいちゃんには何を言っても通じない」と思うようになっていた。
だから…何を言われても何にも言わないで、自分の本音をしまい込むだけ。結局母も、祖父に言われたせいで、歯列矯正の話は無くなってしまいました。

「2003年に亡くなってホッとした」とは、カウンセリングとかでも吐き出していましたが、それだけじゃ全然足りなかったんだな…。
全然癒されていなかったんだ。ずっと不満は残ったままだったんだ。
本音を抑えて生きてきたけど、ずっと辛かったのは変わりなかった。
私自身、祖父に対する怒りが段々出てきてビックリしました。
怒りを訴えていくうちに、いつの間にか泣いていました。


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その後、優月さんから「怒鳴る」癖を指摘されたこと。
「家では怒鳴ることが当たり前だった」と言われた時は、正直ありがたかったです。
そうそう、その通りです! ずっとそうだったよ! って思わず頷きました。

父もそうですが、祖父もそうですし、父の兄弟である叔父達にも共通しているのが、「怒鳴る」こと。父方の人間は声が大きくて通る上に、怒鳴ると余計に響くし。
生前祖父が怒鳴り散らしていた時は、正直、生きた心地はしませんでした。

私の家族の特徴であり、常套手段でなおかつ最も悪い癖。
処世術が出ていることです。

父は怒鳴る祖父のことを、「あれがじいちゃんのコミュニケーションだ。」と言っていましたが、普通だったら「怒鳴ること」なんて、もうその時点でコミュニケーションじゃなくなっていると思います。
私もそうですが、怒鳴られた方は怒鳴った相手に対していい気はしないだろうし、脅されている気になったり、萎縮したり、敵意を抱き始めるかもしれないのに。

家の中で起こっていたことは、全然健全なコミュニケーションじゃないよ。
威張って怒鳴り散らして、私は萎縮しまくりだったのに。
いつも祖父の都合ばかり。
どこがコミュニケーションなんだよ!
とっくに機能不全じゃないか!!


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「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では母の処世術も自覚するようになりましたが、やっぱり無意識のうちに、「怒鳴る」処世術も身に付いてしまっていることも。
私は、父と祖父、母の悪い癖が身に付いてしまっていました。感情的になると、無意識のうちに怒鳴っちゃったり、口調が強くなっちゃったりするので…(最初にペアになってくださったKさん、あの時恐がらせてしまったらごめんなさい)。

子供が父親と母親を人生におけるロールモデルとしながら成長していく、という話もありましたが、父と母はやっぱり私にとっては反面教師で、なおかつ非常に不健康なロールモデルだったんだなあと実感させられました。
「代理母」、「代理妻」の話もそうです。
私が恋愛や結婚願望、子供を持ちたいという願望が全くないのは、父と母の歪んだ関係を見てきたからです。
父と母のようになりたくない。第二の自分を作りたくない。それは今でも変わりません。

「子は親の鏡」
「親の背を見て子は育つ」
というけれど、本当ですね。
親が不健全なら、子供も当然不健全になる。
うちの父と母は長年私に何をしてくれていた訳?
本当に、スーザン・フォワードの著書のタイトル通り、『毒になる親』じゃないか。


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ずっと、もう一人の自分は飢餓状態だったんだ。長い間 SOS を送ってくれていたんだなあ…と、感謝です。
「インナーチャイルド」への手紙でも、もう一人の自分の手紙は、
「いやだ! いやだ! いやだ! いやだ! いやだ!」
「言ってくれてありがとう」
と記されていて、苦しみが伝わってきました。
私自身、「そうだよね、ずっと辛かったよね。これからは嫌だ! って言って良いんだよ。」って、「インナーチャイルド」を労わる気持ちも出てきました。

WORKSHOP 後半は、みぞおちが痛かったんです。おそらく、クレンジングリアクションかなって。
我慢できない程ではありませんでしたが、きっと、怒りを吐き出したからかな。
今もまだ痛みがあって、チクチクみぞおちが痛みます。
相当毒が溜まっていたんだろうな。
だけど、ようやく本音を出すことが出来て、一歩進んだ感じがした。

まだまだ言い足りないこともある。
だから、小さいもう一人の自分を癒すには、時間も相当かかるだろうと思う。


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どんなに時間とお金がかかっても、私は「これでいいのだ」と実感したい。
私の家族は、私の気持ちを考えたことをしてくれなかった。
今後もそれは変わらないし、現在大人の私が、もう一人の小さい自分を癒すしかない。
遠い道のりだけど、まずは一気じゃなくてできることから。


優月さん、クラスに参加された皆様、本当にありがとうございました。
毎回楽しみにしているのですが、皆さんとお話する時間も楽しかったです。
焦らず、できることから、一つずつ自分を幸せにしていきたいです。





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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) ゆめごろもクラス


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私は、母という重い課題を今まで背負ってきたのだなと思いました。
私にとって、母という存在は、子どもにとっていちばん好きなもの、嫌われたら生きていけないものでした。
私はもういい大人なのに、その幼い頃に思っていたままの気持ちで母と付き合ってきてしまいました。


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私にとっては、父という存在こそが私を縛り付けていて、そこが解消されれば私は自由になれると思っていました。
なので私は、ONSA で5年半、ほぼ父とのことに焦点を当ててワークをしてきました。
そして今、私の中で父の存在は、驚くほど小さくなってきて、おかげさまで、本当に生きやすくなってきました!
15年勤め続けた、ハラスメントが日常化していた職場をやめることもできました。

けれど私は、その過程で母と付き合うことが苦痛になってきてしまいました。
私は、母とはそれなりに付かず離れずで上手くやっていけると思っていました。
けれど、母と会うとどっと疲れが出たり、モヤモヤした気持ちが湧いてきたりすることが、私の中で無視できない大きさになり、それがイライラの元になっていきました。
母からの電話を着信すると、すごく嫌な気持ちになって、不機嫌に対応してしまう。そんな自分も嫌でした。


母を嫌うことなんてできない。
私は、ずっとそんなふうに思っていました。
母を拒絶している様を想像するだけで、とても悪いことをしているように感じていました。
今も、それは感じています。そのことを考えると、怖いし悲しいしせつないです。
健康な家族に生まれれば、こんな葛藤を感じずにすんだのに……。
私は、それがとても悔しいです。

そんなわけで、ワーク中も何か言おうとするたびに、なぜか言葉がでなくなってしまったり、「今日も何も言えなかった」と不完全燃焼な気持ちが残ってしまったりすることが多かったです。

私は、ここを打ち破ってやる! と思う気持ちと、どうせこのままワークを重ねても何も変わらないというあきらめの気持ちの両方を感じながら、ここ数年は鬱々と過ごしていました。

私は、対象が母になってから、ワークにもいつになく身が入らず、脱線してばかりいました。
それだけ母のことは、私にとって重いことなのだと思います。
父なら、やっつけてやる! と力わざで立ち向かっていくこともできますが、母は、それでは、罪悪感に押しつぶされて終わってしまう。
父と母とでは、アプローチが違うのだと気づきました。

父とはもうほぼ交流がありませんが、母はまだ私に連絡を取ってくることがあるので、それにどう対処していくかが、これからの課題です。
とにかく、今は、母に会うと気分が沈みます。だから、できるだけ会わずにいたい。


そんな中、ワークショップ・クラスの日に、ワークが終わってケータイの電源を入れてみると、母からの着信が何件も入っていました。
母の実家からもらったお米と、あとは食材などを家に持ってくるという用事の連絡だったようです。私は、電話に出られなかったので、夫に対応してもらったため、クレンジングリアクションが強く出ているときに、母と接することは避けられました。

母からは、対面式ワークショップの日になると、連絡がくるパターンが多く、私は毎度イライラしていました。
なぜ母はこのタイミングで連絡をしてくるのだろう、放っておいてほしいのにと思っていました。
しかし、よく考えてみると、10月3日は私の誕生日で、その付近はいつも対面式ワークショップを私が受けているからだと気づきました。

それはありがたいことではありますが、もう私は、母から誕生日を祝ってなんてほしくないと思っています。
お母さん、もう私を生んだことは忘れてくださいという思いでいっぱいです。
私は、私が10月3日に生まれたということを母の記憶から消し去りたいです。


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私は、今回の対面式ワークショップでは、だいぶ言いたいことが言えたという感覚がありました。
やっと、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」・「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」合わせて8回目で、自分が本音では何を感じているかわかってきました。

私が ONSA でお世話になった5年半。
対面式ワークショップと Web. WORKSHOP 合わせて、受講回数は40回を超えました。
私の想像では、もうほぼ回復している予定でしたが(笑)、ここまで来るのにも、想像していた以上に時間がかかりました。
実際にやってみると、時間の重みがわかります。


もっと早く始められていたらという思いと、あの時が私にとって一番のタイミングだったという思いとの両方があります。
そして、あのとき始めておいてよかったなと強く思います。

そうして自分と向き合い続けてきて、今、なんとなく一段落ついたかなという気持ちもしてきています。
これからは、また別の課題があるような気がしています。


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先日、やり残したTODO+ワクワクする予定を書きだしてみたら、100個以上もありました。
私は、年末から来年にかけて、このリストと向き合いながら、またワークに取り組んでいこうと思っています。

自分のやりたいことをやり始めたら、どんな気持ちがするのだろう。
自分に合う友達って実際どんな人なんだろう。
私の持っているやり残しをやり遂げたらどうなるかな。
ひとつひとつ感じながら、それらをワークに反映させながら、過ごしていきたいです。


「ゆめごろもクラス」の皆様、お疲れさまでした。
なかなか話しかけられないけれど、おなじみのお顔が見られると、とてもうれしくなります。またお会いできることを楽しみにしています。

また、優月さん、スタッフの皆様、おかげさまで、またひとつ無事に終えることができました。
今回も受講できてよかったです。
どうもありがとうございました。





PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2015.10月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」しすてぃーなクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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M. M. さん(20代/神奈川県よりご参加) しすてぃーなクラス


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(ワークショップ・クラスは)前半戦だけでとても疲れたので、帰るころはへろへろでした。
お母さんに対して気持ちを言ってみましたが、前半も後半も1回目は割とスラスラ言葉が出てくるのに、2回目になると「何を言ったらいいんだろう?」「感じてる気持ちって何?」と「頭」で考えてしまって上手くできなかったなぁと思います。

2回目になると急に冷静な自分が出てきて「何してるの?」とか「泣くようなことがある?」と傍観して言ってきました。
今思うと、これ、自分を裁いているなぁ。
自分の口をついて出てくる言葉に対して「本当はそんなこと思ってないでしょう?」とか「そんなこと言ってお母さんに嫌われたらどうするの?」とか、そんな言葉が聞こえてきて、ワークをしている自分が間違っているように感じさせられました。

自分で「いい子」と言うのに違和感を覚えて未だにしっくりこないのですが、どうやら「いい子型」の家族問題に巻き込まれている私は、以前に優月先生がブログに書いてくださったその記事の内容にばっちり当てはまっていて、感情の上に何重にも覆いが被さっている感覚が今回のワークを通してうっすらと実感できました。

今回は、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」への参加だったため、「前期日程」も予定をこじ開けて参加したいなぁと思いました。
たぶん、どちらも1回だけの参加では感情の覆いを取り払うことはできないと思うので、自分を癒しながらその日を待とうと思います。
一緒にワークをしてくださった方、クラスのみなさん、そして優月先生、どうもありがとうございました。




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C. H. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) しすてぃーなクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ」、前から気になってはいたけれど、何となく後回しにしていました。
「体験型のワークショップ」、頭でっかちの私には向いてなさそう。
でも他のワークショップに参加した時に優月さんに勧められたのをきっかけに、少しずつ、考えるようになって、ONSA Web. WORKSHOP「コース2/STEP.1(後期日程)」を受けた時に、はっきりと必要を感じて、申し込みました。

申し込んだ後も不安でいっぱい。
プレワークも全然進まないし。
やっぱりこんな向いてないことするんじゃなかった、と弱気になったりして。
その上、体調を崩して心身共に絶不調。
それがプレワークの最後に手紙を書いたとき、急にやる気が出て、いける気がしてきました。
我ながら単純。

そんな状態だったので、当日はいい感じに力が抜けていたようです。
もちろん緊張はしましたが、「うまくやらなきゃ」とか、いつもの「正解を探してしまう」心の癖は、あまり出なかった気がします。


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なんといってもワークショップ・クラスで初めて泣くことが出来たのが、私的には大きいです。それは優月さんが、そばでずっと励ましてくれたこと、それと、パートナーになってくださったお二人の方のおかげだと思っています。
午前の方は先に泣いてくれたので、私も泣くことが出来ました。
午後の方は、何度もうなづきながら聞いてくれたので、「言っていいんだ」という気持ちになって、どんどん気持ちを言うことが出来ました。
この場を借りて、お二人にお礼を言わせてください。
ありがとうございました。

そのことで得られた気付きは、感情の表出が出来たことで、私の中にも豊かな感情がある、ということが分かったのが一つ。
もう一つは、その時に自分が言ったことが今まで考えたこともなかったことなので、私ってホントはこんなこと思ってたんだ、という驚きです。

そうはいってもすべがうまくいくということはあんまりないですよね。
インナーチャイルドに会うワークでは、途中寝てしまったみたいです。優月さんの声があまりにも心地よくて…。

幼児期のインナーチャイルドは木の上にいたのは覚えているけど、学童期の方はどこにいたのか…思い出せません。
寝てしまっても潜在意識が聞いていると言われたので、それでいいのかも。何より、起きた時の妙にだるくて疲れてて、それなのに不思議にリラックスして気持ちい感じ。
私のインナーチャイルドは、きっと会いに来てくれたのだと思います。


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ワークショップ・クラスが終わって、現実に戻って、何も変わらない日常、何も変わらない自分。
あれはなんだったんだろう。
あの時自分が言ったことは本当に自分の本音だったのか。
もしかして、いつもの癖でその場に合わせて、「うまくやっていた」だけかもしれない。そんなふうに思っていた時に、「ひとりじゃないよスペース」でほかの人の投稿をよむと、…ワークショップ・クラス当日の感情がよみがえってきました。
 
ああ、あれは本物だったんだな。そう思いました。
そして、私が気付いても気付かなくても、意識している時もいない時も、私のインナーチャイルドは私のそばに、でなくて、私の中にいてくれるんだな、って。
こころがほっこりして、あったかくなりました。

そうなるとちょっぴり欲が出て、3歳以下の自分のインナーチャイルドにも会いたくなりました。
今までは絶対無理、って思ってたけど、そんな小さいころなんて全然覚えてないしって。でもその頃の自分に何が起こったのか、知りたくなってきちゃいました。

藤沢さんスタッフの皆さん、クラスの皆さん、お世話になりました。
ありがとうございました。




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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス


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「じーっと待っててくれてありがとう。遅くなっちゃったよ。」
そんな気持ちでした。
頬を膨らませながら、でも安心した表情で小さな私が大人の私を迎えてくれた気がしました。

本当によく頑張ったね。でも、もう頑張らなくていいから。そんな言葉をこの先ずっと、ちいさな私にかけてあげたいです。
私は、まだまだ思春期で信頼の部分が弱い。そして私は、「代理妻」を演じてきたから、「父からの離別」が早急課題です。

また、今回気がついた母へ対する新たな怒り。
今までは理不尽過ぎる父への怒りで誤魔化されてきたけど、母も大変だったのかもなんて思ったりしたけど、だからって、子どもの私には関係なかったはず。
私と兄を全力で守りきれなかったどころか、「妻」の役割を私の肩にどさっと乗せた母。
もう、新たな混乱です。

親子じゃなかったらどんなに楽だったんだろう。父も、母も。
「いつか変わってくれたら…」って思いをずっと捨てることが出来なかった。
でももう、ちいさな私と一緒なら大丈夫そうです。

こけても、しくじっても、もう誰も笑わない。そう考えらとても温かい、ほっとした気持ちになる。
これからも、どうぞ宜しくね。と子どもの私と大人の私が手を繋いでいます。
ずっとね!

「しすてぃーなクラス」のみなさん、お元気ですか? 
この一週間、私は本当にあっという間でした。
毎日、色々なことがありますが一緒にワークした日のことを思い出しながらこれからも頑張っていこうって思ってます。
本当にありがとうございました。




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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」のワークショップ・クラスを終えてみて、私のインナーチャイルドの傷は、まだまだ深いと感じました。
ワークショップ・クラス中に、傷ついてうずくまっている子どもが連想されて涙があふれました。
そして私は、誰かにあたたかく包み込んでもらうことを欲しているんだと感じました。

私は、今回こそは自分の気持ちをドカンと出せるかと思ったけれど、やっぱり抑えてしまいました。言いたいことはたくさんあるのに、なぜか言おうとすると、何を言いたかったのかすっかり頭から抜けてしまったり、違うことを考え始めたりしてしまうのです。
優月さんに声をかけていただきながらなんとか言えましたが、言いたいことを言えてスッキリというほどには至りませんでした。
私の怒りはこんなもんじゃない! とモヤモヤした気持ちが残りました。

私の中には、怒りに煮えたぎるもう一人の自分がいます。
もし、もう一人の自分に金属バットを持たせ、スイッチを入れたら、私を傷つけた全ての物、全ての空間をめちゃめちゃに壊しに行きそうです。
普段の生活でも、このもう一人の自分にスイッチが入るとまずいなと感じています。自分の大切なものたちを、それによって傷つけないようにとても気を付けています。
親に対して、別に復讐しようとは思いませんが、いつ噴き出すかわからない怒りを、思い切り発散したくなるときがあります。


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やはり、私はワークショップ・クラスでペアを組むと、私の怒りで相手の方を傷つけてしまうのではないかとすごく不安になってしまいます。
私は私の激しい怒りで誰かを傷つけてしまうのがすごく怖いです。もちろん相手の方に変な人だと思われたくないという気持ちもあります。
私はそんな事を考えてしまって自分に集中しきれませんでした。

私は、自宅で一人で自分の気持ちを言う練習をしてみた方がいいかも知れないなと感じました。
今回で「インナーチャイルド・ワークショップ」も3周目になり、ワークのやり方も分かってきました。また、数年前の自分が何を言いたいかもわからない頃に比べれば、私が何を感じているか、何に怒っているか、どれほど傷ついているかが、ずいぶん分かってきました。
今ならできるかもしれないので、自主練、トライしてみます。

私は今まで父が、私にしたことに罪悪感を抱えていて、それを気に病んで自殺でもしたら後味が悪くて嫌だなと思っていたのですが、どうやらそんな心配はなさそうです。父は父で一人の生活を満喫していて、私にそんなことをしたことさえ覚えていないかもしれません。
だから、私も思い切って関係を切ってしまってもいいのだと思うようになりました。
直接怒りをぶつけには行きませんが、ワークの中では思いっきり怒りをぶつけられるようになりたいです。


ワークでペアを組んでくださったお二方、ありがとうございました。
優月さん、スタッフの皆さま、いつもありがとうございます。こうして自分と向き合える場所があって、私は幸せです。




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S. H. さん(30代/新潟県よりご参加) しすてぃーなクラス


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対面式クラスでは、普段の自分の処世術が本当によく出るんだなと思いました。

今回のクラスは大人数だったので一瞬緊張しましたが、前夜2時間半しか寝てなかったこともあり、終始ぼーっとしていました。
最後の瞑想はほとんど記憶がないので眠ってしまっていたと思います。
集中が切れてしまって、パートナーが話しやすいように「うん、うん」って上手に聞いてあげられなかったと反省しました。

6万円と1日分の休日とエネルギー使って、そんないい加減な態度で受講したの?!
だったらもうワークショップ受けさせないよ!
そんな自分を叱咤する声が頭に浮かびました。

ワークでは、目を見て感情を話すということができませんでした。
パートナーの方のお話を聞いているときは「ああ、私もそうだったなあ」と共感して何の抵抗もなく涙が出てきました。
昔からもらい泣きは得意です。

自分の時は何を話したいのか分からなくて、相手を待たせてはいけない、何か言わなきゃってプレッシャーで、3分が長く感じました。
「お父さん」「お母さん」と言ってみたものの、気まずくてすぐ目を逸らしてしまい、ただただ床を見つめて話すことしかできませんでした。
相手が理解しやすいように言おうとしてしまったり。
この場で泣きながら話をしている私はなんか演技じみている感じがしました。
両方の人格に自覚はあるものの、二重人格のような乖離を感じました。
周りの人は上手にできているのになあと周囲を気にして焦ったり。
とうとう最後まで自分の感情を出すことへのブレーキを外せなくて不完全燃焼な感じでした。

私にとって「人前で泣く」というのは弱い自分をさらす恥ずかしい行為です。
自分がむき出しになるのは怖い、心が壊れそう、人前で狂ったら取り返しがつかない。
泣いて声が震えたり、小さくなってしまうのが恥ずかしい。
それは小学生の時そう思わされる出来事があったからだと思います。


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このワーク誰もいないところで一人でやりたいなあと思いました。
そうしたら思いっきりできるかもと思い、深夜入浴中にやってみました。
ただ泣くことはできても、なんで泣いているのか何を言いたいのか感じることができませんでした。
気づけば私の中のインナーチャイルドに「大丈夫、あなたは強くて優しい」と言い聞かせていました。

でも違うな、そんな言葉欲しいわけじゃない。たっぷり甘えさせて欲しいんだ。
しっかりしたいわけじゃないんだ。
それで泣いていたのかなあと後から思いました。

厳しすぎる(自分を罰する)。
100%を目指してる。
成果を求めてる。
「今この時間はやり過ごして、家帰って後でやろう」と思ってしまう。
外は発表の場であり、家は練習の場(醜態をさらせるのは家の中だけである)。

私の人格の未成熟な部分は、
「弱い面を隠さず、感情を分かち合う」
「悲しむべきことを悲しむ」
「背伸びをせず、ありのままの自分でいる」
というところだとより明らかになりました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) しすてぃーなクラス


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このクラスは、私にとって2回目の、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」でした。

1回目は、ちょうど3年前。
その時の私は、ワークでまったく、自分の感情を出せませんでした。
優月さんに「説明するんじゃないんだよ」と言ってもらってもうまくできない。
何を言っていいかわからない。
他のペアの人の声が聞こえてきて、
「あぁ、私もあれぐらい感情だけになれたら」
なんて思ってしまうくらい、
私は、何もできませんでした。

そして3年後のこのクラス。
私は、クラス前日まで「自分の感情をうまく出せるだろうか」と心配でした。

でも、前日に「お金と自立のワークショップ」のクラスに参加したことも後押しになって、
私は、思い切って自分の気持ち、言いたかったことを全力で言えました。

「3分」「4回」という、限られたチャンス。
私は、短距離走のように全力で、走り抜けました。

もちろん最初は、うまく言えるかとためらいました。
でも、思い切って口火を切ったら、次から次へと気持ちがあふれてきた。


私は、父親のことが大嫌いでした。
母親のことも、嫌いでした。

まだ幼かった兄を殴った、祖父も嫌いでした。

ずっと言いたくて、言えなかったこと。

家族は大事にしないといけない。
家族の悪口を言うなんて、良くない。
親だって1人の人間なんだから、いろんな事情がある。
親は、許さないといけない。
きっとお父さんだって、寂しがってるんだから、許してあげないと…。

そんな、自分と誰かによって打ち立てられた、数々の制限。
私はその中で、本当に苦しかった。

父さんや母さんにされたことだけでも苦しかったのに、
さらに自分の気持ちをねじ曲げて、大人のふりをしなければいけない、
愛を持って家族を許せるようにならなくては…という二重苦、三重苦の中で、私は息ができなくなっていた。

私は、理解できない苦しみから逃れたくて、一生懸命努力してきた。
正しい(と言われている)考え、清い考えをかき集めて、必死でそれをやり続けた。
でもそれこそが、私の感覚を狂わせ、痛みを否認し、偽りの自分をつくるという、
ますます苦しい状況に、私を追いやっていた。


相手の気持ちなんか考えず、自分の気持ちだけになること。
自分の気持ちの味方になって、言いたい放題言ってやること。

私は…人生で初めて、これができた。


そうだ、最初からこうすればよかったんだ。
こうして、よかったんだ。

たとえ親でも、
私は「おかしい」と自分が思ったことを「おかしい」って認めて、声を上げてよかったんだ。


そうして怒りを出せるだけ出して、1回目のワークが終わって、
2回目のワークでは、また違う気持ちが出てきた。

なんで? なんでうちは普通の家じゃなかったの?
なんで父さんも母さんも、私を守ってくれないの?

答えなんてなくても、私はただ、そう言いたかったんだ。
どうせどうにもならないだろうとあきらめるんじゃなくて、
ただ、言いたかった。叫びたかった。

理不尽で納得いかない、ひどい仕打ちを、私は呑み込むことができなかった。
そしてそれで、よかったんだ。
いい子のふりも、大丈夫だよって強がることも、愛のあるふりして許すことも、
私はしなくてよかった。

私は、泣きたかったんだ。
こんなの絶対許せない、お前らはおかしいって、
一人の人間として、言いたかった、ずっと。

私は一人の人間で、心もちゃんと動いていて、
父や母の、都合のいい人形なんかじゃなかったんだから。

そして、
私は、もっと普通に甘えたかった。
普通に、父さんや母さんにくっついて、たくさんなでてほしかった。
父さんを怖いと思わず、くっつくことができたらよかった。

全部、普通の家ならごく当たり前に許されていたこと。
それが、私の家には、なにひとつ許されていなかった。
私はそれが、悔しくて悲しくて、さみしくてしょうがない。


どうして、他のみんなには許されていて、
私には与えてもらえなかったんだろう。

自分の力では、どうすることもできなかったこと。
でも、それでもやっぱり、悔しいもんは悔しい。
私だって、ほしかった。


3分は、あっという間。
でも、それでも…3分の中でも
「まだ言いたい…でもなんて言いたいのか、わからない。もっともっとつかみたい」
というもどかしさもあった。

それぐらい、たくさんの気持ちを私は感じていたんだ。
そしてそれを、ふとした折りにこぼさないように、爆発させないようにと。
私はいつも、どこでも、誰といても慎重にガードして、
いつも代わりの感情で、フタをしていた。


私は、苦しかった。
こんなものを、私の責任ではまったくないもの、親の未消化の感情のツケを、
30年以上も背負い続けて、本当に苦しかった。

この日、それを私は、自分の力で吐き出すことができた。
安全な場所、支えてくれた優月さんと、それぞれに全力で向き合ってくれたクラスのみんな、
全部があったから、それができた。

そして…この3年の歩み、
たくさんのクラスに参加して、Web. WORKSHOP(ウェブ・ワークショップ)でコツコツと自分との会話を続けてきたこと。
カウンセリングや自助グループにも参加したこと。
その中で、それでも自分の気持ちにつながれなくて、もどかしくて悔しかったこと。

その全部が、この日の勇気に結実したって思う。
本当に、よく頑張ってこれた、よく頑張った。
そのこと、私は誇りに思う。


同時に、3年も私はやり過ごしてしまった。
もっと早く、吐き出せていたら、もっと私の時間は変わっていた。
時間の重みを感じられるようになった今だからこそ、悔しさもある。

だからこそ、ここをバネにして、私はもっと飛びたい。
もう、親や過去に私と私の人生を縛られるのは、うんざり。

私は、傷を癒す。
そして私は、私の人生を生きる。
そう、私は何度でも決意する。


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クラスから1週間後の今日。
私はモヤモヤする気持ちがわいてきたのを感じて、
それを安全な場所で吐き出した。

父親への罵詈雑言。
クラスのときより、より鋭い言葉が出た。

自分でも聞いたことのないような、ひっくい声(笑)。
あー、これが、ハラから出る声の一つかもな…。
私は今までどれだけ、私でない声、私でない言葉をしゃべってたんだろう。

でももう、それも手放してゆける。
もう、誰かから見て自分の感情を押し込めることはしない。


私は、私の気持ちや感覚を大事にする。
言いたい時に、安全な方法で、ちゃんと体から外に出してあげる。
そうやって、私は私の味方になる。私を守る。

瞑想では、大人の私の力強さを感じた。
前回は、インナーチャイルドの方に気持ちをとられ、
大人の私は、振り回されたり、自信がなかったりして、実体がなかった。

でも、今回は大人の私がしっかりといた。
私が、子どもの私をこの劣悪な環境から救い出すんだ、
そう思って、手を差し伸べることができた。
もう私は、過去にはのまれない。


私は親とも人とも、違ってていい。
違う気持ちや考えをもっていいし、無理に同じになろうとしなくていい。

私は、誰かのためには生きない、
私のために、生きる。

このクラスに参加できて、本当によかったです。
優月さん、クラスの皆さん、本当にありがとうございました。




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T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) しすてぃーなクラス


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わたしが小さかった頃、どんなに大変な思いをしていたか、どんなに辛かったか、はじめてわかりました。

わたしは小さいころからずっとずっと自分の気持ちを閉じ込めてきた。
母が怖くて怖くて、怒られないように、機嫌を悪くしないように、ずっと気を使ってきた。そのためには自分の感情を閉じ込めるしかなかった。

何よりも母から自分を守ることに必死だった。
母の言葉やしつけという罰で自分がどれほど傷ついていたか、どれほど自分を責めていたか、それに気がつかないようにしていた。

わたしの気持ちなんか誰も聞いてくれない。
わたしのことなんか誰も気にかけてくれない。

いつもいつも悪いのはわたし。
わたしがだめ。

ダメなわたしを誰にも知られないように、必死で隠していた。

怒られて怖かった。
叩かれて痛かった。
口をきいてくれなくて辛かった。

でも全部わたしが悪いから。
誰にも何も言えず、失敗は知られないように、間違いはわからないように、一生懸命ダメじゃない自分であろうとしていた。
そうじゃなきゃ、誰も一緒にいてくれないと思ってた。


幼稚園に行って、学校に行くようになって、いろんな人がわたしの前にあらわれるようになって、大変さが増えただけだった。
人は怖い。わたしを裁いて、傷つけるだけ。
敵はどんどん増えるばかり。
わたしの味方なんて誰もいなかった。
わたしはいつもひとりでなんとか自分を守らなきゃならなかった。
それで精一杯だった。

母が怖いと学校で言うこともできず、学校がつらいと家で言うこともできず、わたしは全てをひとりでかかえていた。
安心できる場所なんてなく、自分のままでいいのだ、なんて考えたこともなかった。


あのころは生きていることがほんとうに辛かったんだ、と、やっとわかった。
自分らしいことなんて何一つできなかった。
そんなことは怖くて怖くて、とてもできなかった。

わたしはそんな辛いわたしをなかったことにした。
なかったことにして、心の底にフタをして、なんでもない顔をして、ずっと抱えていた。

わたしが悪いんじゃないんだと、
わたしはわたしのままでいいんだと、

やっとわたしはわたしに言ってあげられる。




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A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) しすてぃーなクラス


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今週は、いつも以上に生活をぐちゃぐちゃにしてました。
ワークショップ・クラスで気付いたこと、薄々自覚してきたことに目を向けるのが怖くて堪らなくて、体がだるいのと気持ちがフワフワするのを言い訳に、時間もお金もエネルギーもめちゃくちゃに使っていました。
それだけ私にとって向き合うのが恐ろしいことなんだと思いました。


「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けるのは2回目です。
前回受けてみて、インナーチャイルドを癒すのは、本当に必要なことだと感じていました。ここが私の問題の根っこなんだと、わかっていました。それでも自分では後回しにしたり、怖くて向き合えず、ワークショップを受けるのを心待ちにしていました。

2回目のワークショップは1回目よりもずっとしっくりきました。
私がどんなに損なわれていたか、知識が実体験と照らし合わせることができたと思います。
認めたくはないけれど、私の両親には子どもを世話できるほど成熟していませんでした。
そしてやっぱり認めたくはないけれど、そんな中で育てられた私には罰則はあったけどしつけはなかった、とてもしんどくて辛くて感じない様にしなければ生きて行けない位傷ついていたみたいです。


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ワークでは、なかなか言葉にすることができませんでした。
口の中で舌がべったりとくっついて、胸のあたりで空気が詰まって何も言えなくなってしまいました。悲しい気持ちや感じていたことが一瞬でしまわれて、何も出てこなくなりました。

なぜなら今までそうやってきたから。
そうしないと、生きて行けなかったから。
辛くてしんどくて隠したり感じないようにしないと、死んでしまう位辛かったから。そしてそんなことを言って良いなんて思えなかったから。

後半になって優月さんの言った「ここは安全な場所。何を言っても大丈夫」ということを自分で何度も心の中で繰り返してようやく思ってることを口にできました。
安全な場所という事を言ってもらって、観察して自分に言い聞かせて、やっと話せました。
それだけ私は緊張していました。
自分の感じることをコントロールして、セーブしていました。
正直な気持ちを言うことも感じることを禁止していました。
無意識に、息を吐くような当たり前な感覚でおこなっていました。

私が口にできたのは「どうしたらよかったの?」「なんで」「わかんないよ」「こわいよ」「ずるいよ」それの繰り返しでした。
私はいつも自分が正解できてるのかわからなくて不安でした。
母の父の先生の思ってる通りのことができているのか、ちゃんとやれているのかわからなかった。
正解、正しくなければいけない、怒られる、価値がないって思っていました。不安でたまらない、けど確認もできなくて怖かった。

小さな私はずーっとそんな思いを抱えていて、それは今もずーっと変わらない。
安全な所でしか口にできないくらい怖くて不安なことでした。


私はなんてしんどい思いをして生きているんだろう、本当にそう感じています。

なんで私はこんな不安を抱えて生きているんだろう。
どうして私は私にはどうしようもない他人のことで苦しんでるんだろう。
どうしてほんの子ども私がこんなに悲しくて不安な気持ちのままでいなければならなかったのだろう。
本当に本当に私は可哀想だったんだ。
しんどい思いをしてきたんだ、そう感じています。


受ける前は、ワークショップを受ければ、この憂鬱な気持ちや向き合えない恐怖が和らぐかと思っていました。けれど、受けてみて自分のしんどさを再認識し、より怖くなりました。
私のこの気持ちが晴れることはないのではないか、そう感じています。
逃げ出したくなりますか、もう少ししがみついていこうと思います。

優月さん、クラスの皆さん
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. T. さん(40代以上/岡山県より しすてぃーなクラス


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2回目の「インナーチャイルド・ワークショップ」。
1週間前くらいから、正直「1回受けているから、実は必要なかったかも…」とか
「他の WORKSHOP に申し込んでおけばよかったかも…」という思いがありました。

それは、今から思えばインナーチャイルドを扱うことに抵抗があったのだと思います。
自分のインナーチャイルドに向き合うことが怖かったのだと思います。
ワークショップ・クラス前夜、今までにない落ち着きのなさに自分自身驚きました。
睡眠時間も短く、寝た気分ではありませんでした。


ワークショップ・クラス当日。
前半のクラスで優月さんの話や参加者の方の感想を聞きながら、わたしは自分のみぞおちのあたりが重いことに気付きました。
だんだんに重みが増える感じに、わたしの焦りも高まっていきました。
「どうしよう…なにこれ…どうしよう…」
重みを何とかしようと焦っている自分に気付きました。
「待って…このまま…とりあえずこのままでいよう…」
重みを感じながら、続けて話を聞きました。

ワークで2人組になり、口を開いて言葉を発していくと涙がこぼれました。
みぞおちの重みのあたりが苦しくて、ワークを重ねる度に涙が出ました。
前半が終わり、ぐったりでした。

休憩をはさみ、午後のクラス。
ワークでは、1回目のインナーチャイルドと同じような言葉を発していました。
言葉は同じようなものだったかもしれませんが、1回目よりもわたしのなかの深いところからわいたものだと感じました。
ワーク終盤で、わたしはみぞおちの重みの意味がなんとなく分かっていきました。
帰る頃には、「きっとそうだ」という思いになりました。
それは
ーーー 外側からの期待や要求や望み ーーー でした。


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今ふり返ってみると、
前半のクラスで重みを感じた時の焦りは「重みの正体(意味)が分からなかった」からだと思います。
分からないから不安になるし、どうしたらいいか分からないから焦ったのだと思います。
今までなら、「誰かに教えてほしい」「誰かに何とかしてもらいたい」と外側に求めていました。
今回、自分で重みの意味に気づけたことが、わたしにとってとても貴重な体験でした。

そのまま感じること。
感情を抑えないこと。
感じたままで今にいること。
そうすれば、不安や焦りや心配の正体(意味)に自分自身で辿り着けることを体験しました。
わたしには、その力があると分かりました。


2回目の「インナーチャイルド・ワークショップ」に参加した、自分の選択と行動はわたし自身を救ってくれました。
「1回やったからもういい」
「はい、次!」
「どんどん新しいことを」
そんな自分のパターンも自覚しました。
くり返せば、深まると実感しました。

また、今までのわたしだと「とにかく言わなきゃ」「全部言わなきゃ」と詰め込んで言葉を発していたところがありました。
今回は、自分の内側に意識を向け、言いたくなったら口に出しました。
「言いきれなかったかも」「まだ、言いたかったかも…」と思う時がありましたが、
相手の方の話を聞いていると、まるでわたしの内側から言葉が発せられているかのようでした。
わたし自身の内側を代弁をしてもらっている感じがしました。

だから、聞きながら泣けました。
泣きました。
ペアを組んでくださったお二人に感謝します。

そして、あの場に集った参加者のみなさんがそれぞれに真剣に取り組む姿勢に勇気をもらいました。
参加者のみなさんにも感謝です。

優月さん、スタッフのみなさま、今回もお世話になりました。
みなさまの幸せを祈っています。

最後に、
わたし自身の幸せのために、わたしはこれからもコツコツやり続けていきます。




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M. K. さん(20代/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」のワークショップ・クラスが終わってようやく一週間が経とうとしているところなのに、私にはワークショップ・クラスが遠い昔のことのように感じられます。
確かにあったことなのに、そして大きな変化があったのに、ワーク中のことがあまりよく思い出すことができません。

というのも、これまで感じてた過去の痛みを、ワークショップの時点で思い当たることはすべて吐き出したら、ひとりでさびしかったこと、親に関心を注いでもらえなくて辛かったこと、両親が怒るのが怖かったことも、性的なことで家に変な空気が流れて嫌だったことも、全部涙と一緒に不思議なくらい流れていってしまいました。
前よりも今の自分に響いてない感じがします。
どうにもならない、なんだかわからない、重さがとれて、体が軽い感じが、ワークショップ・クラスが終わってから続いています。

その代わりよく見えてきたもの、それは自分の今の現実です。
私は気がすすまないけど、上司の言われるままに営業をすることに決めて、成果を出さなければいけない現実に押しつぶされそうです。
ちょっと気を抜いたら逃げてしまいそうです。

1年前もそのプレッシャーを感じていたけど、結局私は具体的な解決を見出さないままでした。
自分の見ていた現実は確かに現実なのに、過去のフィルターを通して見ていたと思います。
そうして、自分に合わないことを選んだら、自分が苦しくなるという理屈も私の中にはなかったのです。
断ったらどうなるだろうか? ここに安心していられるだろうか? しか頭にありませんでした。


本当に自分のつくった現実が重いけれど、毎日できることをだけを考えて、積み上げていくしかないと思い、それに取り組み始めています。
ようやく現実に手をつけられていることに、よかったという思いもほんのちょっぴりとだけあります。
今までは過去の痛みのなかに留まっていたから、今の現実に手を出していたようで全く手をつけられてなかったからです。原因に取り組むから解決するという理屈も、自分の痛みに覆い尽くされて自分の現実に当てはめることができていませんでした。
ここにきてようやく、今まで学んだスキルがやっと安心して使える気がしています。


こんなにも自分が傷ついていたこと、それが今に影響して、大人の対処ができないこと。
子供の頃の痛みが長引けば長引くほど、自分の人生を壊してしまうのだとやっとやっと、自分のこととして因果関係が見えました。


私はずっとさみしさを抱えてきたけれど、それは子供の頃から私が私であることに、関心を注がれなかったからなのだ、それでこんなにも傷ついていた、と親への思いを口にしてみて、言葉にならない悲しさがあふれてきたときにそう感じました。
だから関心を注がれなくなってしまうこともつらかったのだと思いました。
そして、だからこそ不健康な関係に陥るし、不健康な人にひっかかるのだともわかりました。

それから、父に対して「行かないで」とか「忘れないで」と言って泣いているうちに、ずっとこだわりのあった S さんが重なって、おいおい泣けてきて、ああここだったんだ…って気づけました。
父にされたことが S さんにも重なってた。
父に対しての傷を洗い流したら S さんへのこだわりも流れてしまった。
あんなに苦労していたのに。それが嘘みたいにどこかにいってしまった。
会いたければ会うし、会えなければそれだけだ。だから何? みたいな気持ちになった。

前は言葉にならない思いがごちゃごちゃたくさんあったけど、それがなくなった。消えてしまった。
父と S さんは似てないから大丈夫って思ってたから、こんなにも他人と自分の関係のありかたを過去の父と私の関係にかぶせて見ていたなんて、全然気づけてなかったです。


私は私のインナーチャイルドが言ってくれたことが好きです。
手紙で書いてくれたので特に好きなのは、

がまんするのはいやだ。
おかしいことはおかしいって言いたい。
おねえちゃんはほんとうはすてきだよ。
わたしもすてき。いっしょにいていい?
信じられるのはわたしたちだけだよ。

というところ。
ほんとうにそうだね、信じるのは私たちの感じていることだねって心強く思えます。


瞑想ではもうたくさんいろんなことしてくれたよと言っていたことが意外でした。
そうなんだ! そうかもなと思いました。楽しいことはけっこうしてるね。
そしていろんな人に会いたいと言っていました。
もうちょっと待ってね、疲れちゃったし、準備がいるから、と思っています。

ようやくスタート地点に立った感じがします。
だけど、今までの歩みがあったからこその今だと思う。
ここからが大変だけど、ようやく確かに現実を変えることに力を注げるんだとも思えます。
私は誰よりも自分の正直さと勇気を信じているから、それらをもって進めばきっと大丈夫。そう思える自分がいます。




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R. K. さん(30代/静岡県よりご参加) しすてぃーなクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ」は初めての参加でしたが、「まだまだ私の殻は厚いらしい」ということを実感したというのが一番の感想です。
叫んだり、泣いたりするだけの膿みが私の中にたまっていて、それを出すことを恐れているのか、はたまた始めから膿みなどないから出ないのか…。前者であることはほぼはっきりしているのですが、正直まだ靄がかかっているような状態です。
なんだかすっきりしない…。
感じること、感じたことを表現することが私は本当に苦手なんだとよーく分かりました。

でも、出せない自分を、裁かない。
今の私の状態を、受け入れて、認めようと思います。

人づきあいでの不具合とかオールオアナッシング思考とか、これは時が経てばそのうちなんとかなる事柄では決してなく、立派な「症状」なんですよね。
長年のもやもやの原因が分かってきただけでも、本当によかった。
自分の「なんだかおかしい」という感覚を押し殺さなくてよかった…。

ワークショップ・クラス後、「○○ちゃん」と自分の名前を呼ぶと、切ないような、悲しいような気持ちになります。
きっと寂しかったんだよな、私…。だけどまだ、寂しい思いなんて、みんな少なからずしてるんじゃない? そのくらいで家族問題なんて言えるの? って声が内側から聞こえてくるのも事実です。
世間的には結婚適齢期と言われているような年齢で、今から回復作業を始めたら、回復し終えた時私はいくつになってるんだろう…という不安も正直、あります。
完璧なマニュアルなどない、人生という常に本番の時間の中で、私これからどうやって進んだらいいの? …たまにすごく怖くなります。
不安をあげ始めたらきりがありません。

でも今できることをやっていくしかない。
自分と向き合って心の声をきくこと、回復の手助けとなる本を読むこと、チェアワーク、自分の症状に合った自助グループを探して出向いてみること etc …。

まだまだ道は長いけれど、私は私を決して見捨てない!! 
しなやかでいきいきした毎日を送りたいから、そのために私は私と手をつなぐことを諦めずに進んで行きたいです。

ワーク中一緒にペアを組んでくれた方にもこの場を借りてお礼させていただきます。
「もっと(感情を)出していいよ!」って言ってくれて、本当にありがとうございました。
ご自分も大変な状況の中いただいたエール、とても嬉しかったです。

そして優月さん、今回も全力のワークをありがとうございました。
対面式ワークショップは3回めの私ですが、「心を開く」ってむずかしいなあ…ってつくづく思います。
またお目にかかる機会がありましたらその時は、今より少しでも良い方向に変化できていたらと思います。




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H. M. さん(30代/広島県よりご参加) しすてぃーなクラス


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本当に「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加して良かったです。とっても優しくてほんわかした気持ちになりました。
瞑想の時の優月さんの声が、本当に心地よくて、優しくて、私を丸ごと包み込むようで幸せな気持ちになりました。
「私、今まで本当によくやってきたなぁ。」
「私、小さいのに頑張ってきたなぁ」
と今までの自分を心から感謝する気持ちが湧いてきました。

今まで私は、過去のことを考えると、まるでそのことが、今まさに起こっている様で苦痛を感じることが多かったのですが、今回は現実と過去がしっかり分かれて客観的に感じることが出来ました。
大人の自分が、ちゃんと子どもの自分と会うことが出来ました。

私はまだ、両親に対して本気の怒りが沸いてきません。それは、本当に小さい頃、私が私の人生を「どうぞ」と両親に捧げたからです。
無理やり奪われたのではなく、自分で差し出したと感じているからです。
私が、自分を幸せにしよう、と決意する時に心の奥底で感じる罪悪感はここからくるものだと思います。親を見捨てたような、裏切ったような気持ちになるのです。

実際、結婚が決まって実家から遠く離れると分かった時、父は、「自分だけ幸せになれればそれでいいのか。親のことはどうするんだ」と本気で怒りました。私は、「もう自分の人生を生きたい」と思う気持ちと同じくらい申し訳ない気持ちを感じました。
それから数年後に娘が産まれて、それからすぐに病気がわかり、6歳になった今も寝たきりなのですが、病気がわかった時は、「私が自分だけの幸せを願ったからだ」と思いました。
これこそ「魔術的な思い込み」なのですが、私が自分の幸せを考えると良くないことが起こるのではないかという恐れがどこかにあります。


「私の人生は、親のものなのだ」そう長く強く信じてきたため、その思いを断ち切ることが難しいです。
私が両親を幸せにしなくては。
私が両親の面倒を見なくては。
そんなプレッシャーを強く感じて生きてきました。
私は、ただ単に認められたかった。愛されたかった。それだけなのです。

母は、私が不満を吐けるほど強い人ではありませんでした。本当に弱く、子どもでした。
「Hちゃんがそんなことしたら、お母さんが笑われちゃう」
「お母さんが働いてるからHちゃんが道を外したって言われちゃう。」
母はよくそうやって言っていました。
私は、母の顔色を見て物事の善悪を察していました。

母は、自分が弱くあれば、娘である私が自分の思い通りに生きてくれるという思いが少なからず(無意識にかもしれませんが)あったのだろうと思います。
それは、母なりのコントロールでした。
私は小さいのに、理不尽な思いを誰にも理解してもらえず孤独を抱えて生きてきました。
親でさえ(親だからこそ)弱音を吐けませんでした。
不完全な姿を見せて親をガッカリさせたくなかったからです。

親と同じ感情・意見を持てたらどんなに楽だろう。
親を喜ばせるだけの能力があったらどんなにいいだろう。
私はいつも至らない自分を責めてきました。
「私は私のままでいい」なんて私には別世界のことでした。


でも、もう、自分の人生を自分の手元に戻していい、だって私のものなんだから。
「どうぞ」って言った自分を責めなくていい。
そうしなければ生きていけなかったその状態が異常なのだから。
「魔術的な思い込み」からも解放されよう。だって娘は私の元に産まれてきてくれただけで、私は幸せなのだから。
私はもっと自分を癒して幸せになります。
 
優月さん、ご一緒してくださった皆さん、本当に有難うございました。




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R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス


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初めての「インナーチャイルド・ワークショップ」参加でした。予想以上に気持ちも言葉も涙も出て、とても充実した時間でした。
以下、自分の中の大人とこどもに話しかけるつもりで、気がついたことを書いてみます。

ワークショップ会場で優月さんがやってくれたように、これからはすればいいんだ。
ゆっくりでいいよーとか、なんにもしっかりしなくていいよー、とか、今のあなたが感じているきもちがすっごく大事なんだよとか、全部出していいよ、とか。
それをこどものわたしに、大人の私が言ってあげればいいんだ。
そして、新たなルールで「しつけ」(=教えと学び)し直してあげればいいんだ。
新しいルールは明るくて心地いいよ。
感情は感じていいし、泣いてもいいし、失敗してもいい、あなたの気持ちはすごく大事なんだって。
大人の私として、ちゃんと言ってあげよう。

どっと泣けてきたのは、優月さんが来てくれて「出していいよ」って言ってくれたから。
今まで、出しちゃダメだったんだ。表現したらダメだったんだね。不安とか不満とか悲しいとか怖いとか、これはイヤとかこっちがいいとか。とにかく出させてもらえなくて、出したらイヤな目で見られるか、叱られるか、ともかく嫌な感じにさせられてたんだね。
この長い年月、ずっとだもんね。そしたら胸もノドも首も、こんなに苦しくなって当然だよね。

出しちゃいけないって間違った命令だったんだよ。
そもそもの命令が間違ってたんだ。ほんとうは、周りの大人がこどものわたしに出させてあげなきゃいけなかったんだ、大人としてね。
それをしなかったのは周りの大人が適切じゃなかったんだ。こどものわたしが、気持ちを表現することは、自然で当然で必要なことだよ。

すぐには出せないかもしれないよね。まだ怖いよね。
出そうとすると、無様とかみっともないとか、しちゃいけないことをしてるみたいな感じがするよね。
数十年分の重さだから当然だよ。ゆっくりでいいから、練習してこう。
すぐできなくてもあせんなくていい。失敗してもいいんだから。失敗は学べるチャンスで、いいことなんだもん。

とりあえず、あなたの好きなことをしてみるよ。
好きな服を買って、着てみるね。自分で靴を作ったりもしてみよう。ワークショップやカウンセリングにも行こうね。たくさん出してラクになりたいよね。どんどん出していこう!

あなたは、ほんとうに長い間、我慢づよくがんばってきてくれた。それだけで十分えらいよ。ちゃんとしんどいって教えてくれたしね。
これから、ちゃんとしなきゃいけないときは、大人の私がするからね。
眠かったらいつでも寝ていいしゆっくり休んでいいよ。リラックスして、楽しく遊んでいいんだ。
あとは私がするからね。大丈夫、まかせて。


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この文章を書いたのはワークショップ・クラスの翌日ですが、今も印刷して持ち歩いています。
まさか「全部出していいよ」の一言にこんなに背中を押されるとは…。ここ数ヶ月首が硬くてバリバリで、息を深く吸うのも一苦労なのですが、こんなにいっぱいいっぱいだったかと思うと身体がかわいそうになりました。

そして今回もうひとつ気がついたことは、「ああ、こどものわたしは虐待されていたんだ」と、ようやく納得できたということです。
殴る・蹴る・無視するなどのわかりやすいものだけではなく、「大人が自分の利益のためにこどもを利用すること」が虐待だとするなら、たしかに私は虐待されていました。
親が、世間から、あるいは家族・親族からの良い評価を得るために、こどもの私は利用され、親が望む「以外」の気持ちや、表現や、行動が封じられていました。そのことで私は、自分が思っていた以上に深く傷ついていましたし、今も影響を受けています。

それが、今回のワークショップ参加でやっとほんとうに腑に落ちました。
「自分の傷の深さを見誤らない」という優月さんの言葉を思い出します。
人と比べてどうこうではない、私の大切さ(深刻さ)を発見できました。

これからも、日常の現実世界にもどって、「大したことないんじゃない?」「深く考えすぎじゃない?」「もう大丈夫じゃない?」というアタマの声に流されないように、ノートに向かい、ワークショップやカウンセリングに参加します。

優月さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
ワークショップ・クラスのあの場のように、現実世界が優しくあればいいのに、と毎回思います。
いつかそうなるように、まず私から、無理せず開いていこうと思います。変化は日々感じています。
またお会いできるのを楽しみにしています。




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K. O. さん(30代/神奈川県よりご参加) しすてぃーなクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」ははじめての受講でした。ONSA の「インナーチャイルド・ワークショップ」には前期日程をはじめて受講したときに私の問題のコアをみることができてから、絶大の信頼を寄せています。

あの場の空気がそうさせてくれるのか、いつもそのときの最大限進めると感じています。
終わった後、私の中にはもっともっと出したいものがあるという確信も感じたのでまたいつか再受講したいと思っています。

今回、私は友人になりたいと思っている男性に対して、すごくびくびくしていて、わざとぶっきらぼうに無愛想な態度をとっているということに気がつきました。

仲良くなりたい、もっと話したい、という気持ちをぶつけて、もし突き放されたら立ち直れない。その恐怖からあえて、あなたにそんなに関心がないですよー、という態度をとったりしていました。本当に面倒くさいことにエネルギーを使っていたなと思います。

人気者であるあの人が、私になんてかまってくれるわけがない…。
自己否定がここでも顔を出していました。

子供は、大好きな人には大好きって気持ちを全面に出して接していて、それはとっても無邪気でかわいい。
私もそんな風に本当は素直に愛情表現をしたいんだと気がつきました。

そのルーツは、父親に素直に愛情表現して突き放されたり、私に関心がないことをつきつけられることが怖くて父親の望む優秀でいい子でいるという方法で関心を引こうとしていた小さい私とつながっていました。

本当は私は、「お父さんのことが大好き!!」って言って抱きつきたかったんだ。
でもそれが怖くて怖くてできなかったんだなあ。

そして、母親に関しては、周りのご近所の女性に対していつも気をつかって、機嫌をとっていて、びくびくしていて、それでいて影で文句を言っている母のことが、無力で弱くてみじめで情けなくて、とっても嫌いだった。そして、そのことを母に直接、「そんなお母さんがきらい!!」って言いたかったんだと気がつきました。

でも、怖かった。
嫌いって母親に言って、唯一の味方である母親にその後助けてもらえなくなることが怖かった。見放されて一人きりになってしまうのがこわかった。だから、言えなかった。
そして、そんな嫌いな母親と今同じようになっている自分のことが、とてもつらくて、苦しく感じました。


また、健康な発達過程にいる子供は、自分のことをヒーロー、ヒロインだと信じているという話も、ああ、そのことを過去の私は諦めていたんだな、と改めて確認しました。

最近、少しずつ自分を愛せるようになってきて、やっぱりこれでいいんだ、私は自分の中のスターになっていいんだ! と、勇気をもらいました。

難しい道のりかもしれませんが、自分は自分の人生という舞台のスターでいられるようにやっていきたいと思います。

優月さん、人数が多い中目を配ってサポートしていただいてとてもありがたかったです。
サポートのおかげで、「怖い」という大きくて重たい気持ちが底から出てきました。

参加者のみなさん、ペアになっていただいたお二人もありがとうございました。
長い道のりですが、今の頑張りが将来実を結ぶと信じて歩き続けていきましょうね。
また、お会いするのを楽しみにしています。




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N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) しすてぃーなクラス


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ワークショップ・クラスにご参加されたみなさん、優月さん、ありがとうございました。

ちっちゃい私は、父と母に見放された感じがして、寂しくてただ認めて欲しかったと訴えていました。
構って欲しかった、ただ抱きしめて欲しかったと思っていたようです。
母に認められるためならば、色んなことを一生懸命頑張ったけど、もう無理だよーってちっちゃい私は訴えていました。
頑張りとかもう嫌みたいです。


前半のワークショップ・クラスで体力も奪われ、お昼はちっちゃいおにぎりを少し食べただけで、満足しました。
公園でぼーっとしながら、でもこれからは真剣に自分と向き合うぞと、共依存をしっかり治すぞという決意を胸にしていました。

後半のクラスに行きたくないなぁ、このまま帰りたいと思うくらい体力は消耗していました。

後半のワークで、私は母にそばにいて欲しかったこと、1人で頑張って寂しかったことをまだ訴えていました。

そして、祖父と父の喧嘩から、祖母と母が止めるというおきまりのパターンに、怒りを覚えていたようです。
子供の私にはどうすることも出来なかったし、子供のような大人が私の家族だから、私がしっかりしなきゃと頑張っていたんだと気がつけました。

めっちゃ疲れて、顔を上に上げる体力も気力もなかったけど、心の中でずっと自分が訴えてきた事の一つなんだろうなと私が私を理解してくれて、妙に清々しい気持ちでいっぱいです。


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いつもの私ならば、ここで投げ出す事はおきまりのパターンなので、それはやめて、じっくりしっかり私と向き合う事を大切にします。

それから、「もう遅い」という葛藤と少しサヨナラ出来ました。
晩年の過ごし方が幸福を決めるという優月さんの言葉と、みなさんのいくつになってもその時その年齢で、その方が置かれた立場でベストを尽くす姿勢に、徹底的に自分と向きやってやるー! 幸せになってやるー! という、他人任せな不安定な幸せではなく、私が私を幸せにする習慣を、今、ここから始めようと思います。

「お金と自立のワークショップ」「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」「インナーチャイルド・ワークショップ」と3つのワークショップに参加しました。

まだまだ私は共依存の回復に本気ではなかったこと、健康な人から見たこの世界の見え方、誰かいい人が現れたら結婚しようという危うい考え方、そんな自分の腹を据えするぞと決めること共依存を抜け出した新しい世界も垣間見れて本当に良かったです。
希望が持てました。

明日からは、じっくり腰を据えて共依存とコツコツ向き合う生活かと思うと途方に暮れますが、本当に私が望んでいるのはやっぱりそこなので、しっかり取り組みたいと思います。

みなさんの存在は本当に心強いです。ありがとうございました。




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M. T. さん(30代/東京都よりご参加) しすてぃーなクラス


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対面のワークショップに参加を何回かする中で、エネルギーをどれほど使うかにも慣れてきたと思って痛けれど、やはり参加するとぐったりとし、疲れました。

全身を駆け巡る衝撃は、2年前のワークショップの時に感じてから、ほとんどないけれど、事の重大さは、ボディブローのようにじわーっとくる。
「私、本当に、傷ついて育ってきたんだ…。傷の深さは、自分が思っているほど甘くない」って。

前回の「インナーチャイルド・ワークショップ」で、自分のことを欠陥品だと思っていたということに、気づかされたが、今回は「こわかった」「助けて欲しかった」「気づいて欲しかった」「何も言えなかった」「ただ話を聞いてほしかった」「自分の気持ちは抑えるしかなかった」ということを繰り返し、ワークの中で言っていた。あと、「さみしい」「お母さんはずるい」…とも。
私は自分の気持ちを大切にされることなく、育ってきてしまったんだと、改めて感じました。

それが、もらたす今への影響。私と母親との関係、それから私と子供との関係…。
本当に深いです。
その根深さに改めて気づかされ、かなり凹んだ気持ちになりました。
世代間連鎖も、そんなに甘くないと。
そして、これが、今の私の現実なんだということも。

気持ちは重いものがありますが、ここからやっていくしか変わらないということも、当たり前ではあるけれど、自分を大切にしながらやっていきたいと思います。

パートナーを組んで下さったお二人の力を借りて、自分の気持ちにも向き合うことができました。
本当にありがとうございました。




PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2014.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」つばきクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) つばきクラス


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優月さん、つばきクラスの皆さん、そして私!
ワークショップ・クラスお疲れ様でした! そしてありがとうございました!!

私は今回参加した「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」、2回目の参加でした。


去年受けた時は、今までで一番これでもかって位に泣いて泣いてしんどかった記憶があり、今回は自分で申し込んでおきながら憂鬱な気分になっていました。
プレワークに取り掛かるのも時間がかかって、結局一週間前に取り組んでる状態でした。

ワークショップ・クラスを申し込んで憂鬱な気分になるのは、自分の中でよくあるのですが今回はいつもと違って自分が受け止められるかという不安の方が大きかったです。
前回受けた時、自分が仕舞い込んでいた心のもやもや・過去の記憶とその傷になってる思いに触れて、泣いて泣いて頭が痛くなるまで泣いたのが衝撃的でした。
頭ではやって良かったと思っているし、心も今まで秘めていた自分の傷が表に出せて色々とすっきりし始めていたので良かった! と思えているのですが、私のどこかで「こわい!!」と思っている自分がいました。


またあんな風になったら、こわい。
しんどい、つらい。
死んでしまわないかしら・・・。

ワークショップ・クラスが終わった今なら、そんなことないと言えるんですけどね。
本気でそんな風に思っていたので、当日ワークショップ・クラス中もびくびく緊張していました。

そんな私が終わってみて思ったのは「死なない」ってことだったりします(笑)。
だって本当にそう思ったんですよ。


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去年受けた時、前半のワークショップ・クラスを終えて涙が止まらなかった。
言葉にならないような胸のあたりのもやもやが出てきてあふれていたのに、後半のワークショップ・クラスでは頭が茫洋として胸がいっぱいというかつっかえていて、言葉も思いも出てこない感じがしました。
そのことが、ワークショップ・クラスを終えてからも気になっていました。
振り返ってみると心が閉じてしまったのかな? と思っています。

あんなに涙が出て、泣いても泣いても子どもの私の気持ちがあふれてくるのは初めての事でこわかった。
言ってしまっても本当に大丈夫なのか不安。
死んでしまいそう、しんどい。

そんな風に思って私はいつも通り感じないよう防衛線を張っていた=心を閉じたのかも・・・。

今回のワークショップ・クラスでも途中で、胸がつっかえて頭でしゃべってる状態になりました。
前回の事があったから自分でもなんとなく、上滑りしているような気がしたのですが、どうしたらいいかわからなくて、とにかくしゃべろうとしていました。


その時、優月さんが本当に思っていることを言ってと言う様な事を言って下さって、ぽんっと「なんでわたしはだめなの」と言っていました。
そこからは頭じゃなくて胸のあたりから込み上げてきた、言葉と気持ちでいっぱいになっていました。

心を開くって本当に難しいなあ、と思います。
これだけ安全ってわかっているのに前回と今回ともに、なかなか開けなかった。
安全な空間、安全な指導があってようやく開けた。
そう思うと、そうまでしないと開いて向き合えない位、こどもの私にとって(もちろん今の私にとっても)大変なものを抱えているんだなあ、と思いました。


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ワークショップ・クラスを受けてどのタイミングで思ったことなのか忘れたのですが、こどもの頃の自分の好き嫌いに自信が持てなくなってきました。
私は子どもの頃から運動が苦手で嫌いと思っていた、小学生の時にはすでにそうだったと記憶していたのですが、ワークショップ・クラスを受けて実はそうでもないのかも? と思いました。

確かに短距離走だとかマラソンだとかは苦手だけど、それは競技自体よりも上手くできない自分がイヤだったのかも。
運動自体は楽しんでいたような気がしてきました。


子どもの頃の私は喘息持ちで、走って遊ぶと発作がでるため母親から走るということを禁止されていました。
それを破って走って遊ぶと、怒鳴られました。隠しても発作が出ると疑われてばれてしまうため、怒鳴られて説教されていました。

母の言うことは、もっともなのですが、当時の私は納得できず「私がつらいだけなんだから、べつにいいじゃん」と思っていました。そんなことを言ったらもっと叱られるだけだから、言ったことはありませんでしたけど。

その時どんな風に怒られたのかはっきりとは思い出せませんが、「だからあんたはだめなのよ」と言うような事を言われて傷ついたのと、捨てられるんじゃないかと感じていた事、叱られた理由を全く納得していなかったのを強く覚えています。


こんな経験から私が走るのが嫌い、運動苦手と思っていたのはそれ其の物どうこう以前の事。
自分の好き嫌いじゃなくて、それをすると怒られるからやらない考えない、に近いのかもしれないと思いました。
今まで本当は自分がどう感じていたのか、そもそも好き嫌いを考えたことや感じたことがあるのか、よくわからなくなりました。

小学生頃、そんな子ども時代から自分の思ってる事や感じてる事が素直にわからなかったなんてショックです。
それと同時に、今こんなに自分が分からない状態はこんな昔の頃から続いているのかと思うと当然のことだと納得してしまいました。


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あとワークショップ・クラス中で「癒す」について話をしていたのがとても印象に残っています。

私は無意識にどこかで、やっぱり癒す・回復と言うことについて、一瞬でこのどうにも息苦しい人生が魔法のように良くなる!・・・なんてことを思っていたようで、癒すとはどういうことなのか説明をきいて、再認識出来た気がします。

癒すこと、回復することは全然魔法とかではない、まったくもって現実的な事。
完璧な状態、傷のない状態になることじゃない。

地に足の着いた、自分で自分を健全に生かすことなんだと言うことに、はっとしました。
まだまだどっぷり共依存というか色々誤解しているのがわかって、先は長いなあと思っています。


対面式ワークショップを終えて、ひとまず今は進めた気になっています。
この先それで終わりにならないよう、しがみついてもっと私と仲良くなりたい。
私を癒してあげたい。子どもの私を可愛がってあげたい。
そんな風に思ってます。

あの安全で優しい空間でご一緒出来たクラスの皆さま。
皆さまもアフターワークに取り組まれていることを励みに、これからアフターワークに取り掛かろうと思います。

本当にありがとうございました。




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A. T. さん(30代/東京都よりご参加) つばきクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」ご参加のみなさん。
お疲れさまでした!

クレンジング・リアクションもおさまりつつある中、日常に戻った私は以前よりしっかりした自分を感じられています。


今回のワークショップ・クラス、プレワークの段階ではいまいち手応えが感じられなかった。
ワークショップ・クラス当日だって、いっぱい用意して準備したはずなのに何も持たないで参加したような感じだった。
こんなんで参加して大丈夫かな? と不安も抱えつつ、そんな自分を「それでもいいよ」と励ましながらどうにか会場に到着。いつもと違う部屋だった。

明かりのついた部屋に入ると、さっきまでの不安は嘘のように優月さんや仲間のいる空間に安心した自分が感じられた。
事前準備もうまく進まなかったけど、今までで一番落ち着いたし、自分でいられたワークショップ・クラスだった。


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私にとって、一番大きな傷になっているのは父親からの虐待。
それにまつわる記憶は思い出されるのに、それ以外の小学校~中学校あたりの記憶が「?」な感じだった。
プレワークで手こずったのもこの辺の記憶。
何も思い出せなくて、気持ちが繋がらなくて、わけが分からない。

その時に、優月さんが助け舟をだしてくれた。
頭で考えるんじゃなくて、ここ(心)で感じる! ストップかかっている「うっ」とした気持ちをガバッと取り払う! 言葉にする必要はない。

その言葉を頼りに暫くイメージと心に集中した。
そしたら、心の下のほうからグワ~っと感情の塊(悲しみ)が押し寄せた。
それを言葉にしなくていいと分かったから自分に集中できたし、ペアの方に過去の傷の証人になってもらうこともできました。
起きた出来事の説明をしなくても、ただ感情を感じるだけでも、というか、そのほうがむしろ、自分の過去に正直になれた気がした。
こういう体験ができたというのは本当に貴重でした。

過去と今をつなげる作業というのは、口で話す、説明する以外にも方法がある。
目の前にいる人にすべてを説明しなくても、私が私の感情を解放して吐き出すこと、そういう語り方もあるんだなと思った。


今回のワークショップ・クラス、過去のことを語ることも重要だったけど気持ちを解放する方法が分かったことは大きな収穫でした。
優月さんが言っていたように、この方法であれば家で一人でもできるし、今なら一人でやっても大丈夫だと思えます。
教えてもらった「指トントン」で自分の安全を確保する方法も試してみます。


ワークショップはじめた頃の自分だったら、一人じゃ手に負えない感情だったと思う。
それもこれも、「インナーチャイルド・ワークショップ」、「境界線ワークショップ」、「ONSA Web. WORKSHOP コース1」「コース2」と通して、自分と繋がりを持て信頼を築いてきた成果だと思っています。


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今回、もう一つの成果は子どもの「今、ここ」が分かったこと。これが本当に分かって良かったです。
私が小さい頃に取り上げられてしまった「今、ここ」の感覚。

これまで私は「今、ここ」が理解できなくて自分の親と同じように、自分の子どもからも取り上げていました。
私の理解の範囲を超えた「今、ここ」を子どもに見せつけられてイライラしたり、怒ったり、なんでもっと反省できないの? って思ったり・・・。そんなのどうでもいいことでした。

子どもが見せてくれた気持ち切り替え、目の前の一瞬一瞬を生きる姿こそ「今、ここ」だったと気がつきました。
子どもの素晴らしい素質を奪ってしまったことを後悔しました。
同時に、これからは肯定的に受け取れる自分に嬉しくもなりました。

私が失って、今必死で取り戻そうとしているもの。
「今、ここ」子どもはとっても上手です。すばらしいです。見ていて羨ましくなります。そういう風に感じられる自分も嬉しいです。


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あと、プレワークを提出した時に優月さんから指摘された、ワークは手書きで書く事! 清書もしなくていいこと。
私は知りませんでした。
ノートに書いて奇麗にまとめたものをタイプしたり、清書していました。

ぐちゃぐちゃのままでいいそうです! 参加した皆さんは知っていましたが、まだ知らない方やこれから参加を考えている方のために書いておきますね。
手は嘘を書けないし、手直しは検閲をかけてしまうからだそうです。

改めてプレワーク見ると、やっぱり手書きがいいですね。
『未来日記』だってぐちゃぐちゃのページのほうが気持ちが伝わってきたりします。
そのままでいい! って言われて安心しました。

これからも沢山本を読んで、ワークショップ・クラス、カウンセリング、自助グループなどの力を借りて回復の道を歩んでいきたいと思っています。
そして、私達、まだ、自力でいける! そのことを本当にラッキーに思って自分を自分の一番の親友にして、トライ&エラーする自分に思いやりと優しさをもち、日々本番の人生を生きていきます。


過去に大きな傷を受けた私、そしてみなさんにとっても、過去を話すということは本当に勇気のいることだと思うのです。
誰にも話せずに、自分にすら正直に語ってこなかったのですから、それをよく知らない人の前で話すなんて本当にハードルの高いことだと思います。

だけど、みなさんそれぞれが自分に集中してワークしていたので、私もその中で安心して自分のワークに集中できました。
今回も、これまでも、ONSA でワークショップ・クラスを受けて、色々な気づきが得られたのは参加している仲間の皆さんのおかげです。そして優月さんやスタッフの皆さんが責任を持って場の運営をしてくれているおかげです。
いつもいつも感謝しています。


ワークショップ・クラスを終えるといつも思うことがあります。
みんな、みんな、幸せになれますように!
10年後でも20年後でもいい、この苦しみに向き合って良かったと思う日が訪れますように!
私の、みんなの、幸せを願わずにはいられません。

私はまだまだしばらく、ONSA でお世話になろうと思っています。
そしてまた皆さんと会える日を楽しみにしています。
これからもよろしくおねがいします!




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H. N. さん(30代/香川県よりご参加) つばきクラス


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このワークショップ・クラスで私が発見したことは、小さい頃の私は怒っていたということでした。

自分の気持ちが受け止められないことにや、自分が軽んじられていたと感じられたことに怒っていました。

「なんで私の家は、こうなの!」
「なんでお父さんとお母さんはこうなの!」

ということがワークショップ・クラス中にたくさん出てきました。

そのことが理由かはわかりませんが、ワークショップ・クラス後のクレンジングリアクションも、今までよりはっきり現れていて、眠かったり、頭が痛かったり今週はしんどかったです。
これだけ体に現れるくらいのものを、小さいころから抱えていたんだなぁと思って、自分の中の小さい自分に、本当にかわいそうなことをしていたなと思います。


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今まで ONSA のほかのワークショップでも、これまで自分が傷ついたことを掘り起こしてきたけど、今回の発見は、それらの根っこにあるものだったと感じています。

学校や社会で傷ついたことも確かに苦しかったけど、私が本当に苦しかったのは、両親に対して自分を自由に表現できなかったことだったんだ。ということに初めて気づきました。
その状態のまま、社会に出て何とかしようとしていたことが、どれだけハンデになっていたかと思うと、想像の中で小さな自分をギュっと抱きしめたい気分になりました。


今回私は Web. WORKSHOP と同時並行で受講して、申込みするまで、時間が取れるかな~? 一つでも大変なのに大丈夫かな~? でも、なんかこれはきになるな~? と迷っていたのですが、申込み期限ギリギリで飛び込んだ私の勘は間違っていませんでした。
私にとっては、このワークショップ・クラスは受講料+移動費以上の価値がありました。
これからも、自分に正直に、一歩一歩自分を取り戻していきたいと思います。

最後に、優月さん今回のワークショップ・クラスでは色々なサポートをありがとうございました。
優月さんのアドバイスに勇気づけられて、自分が想像していた以上の気づきを得ることができました。ありがとうございます。




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M. K. さん(20代/東京都よりご参加) つばきクラス


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1週間前が遠い昔のように感じられます。

ワークショップ・クラスが終わってからこの一週間は色んな思いや考えがわきました。
もう自分の人生はとことんどうにもならないんじゃないかっていう考えがわきました。
どうしようっていう気持ちとだけど不思議とどうしたらいいかわかっている自分もいて。

何もしたくないって思ったけど、早速月曜日にはカウンセリングを予約しました。
どうにもならなくなった時にと調べておいたところが役に立ち、すぐ行動できました。

そうやって進めるようになったのは今までの私が私に関心をもって準備できてたから。それに助けられました。
私は私を助ける力がちゃんとある。そういうことに気づくこともできました。

今回のワークショップ・クラスをきっかけに、カウンセリングに行き、自分の子ども時代、私が置かれていた環境について助けを借りてもっと振り返り、自分に起こっていたことをちゃんと知ろう、それで今起っている不具合を解決しようという気持ちになれました。
絶望的な気持ちも今では薄れてきました。


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レクチャーやワークの途中で藤沢さんに言われた言葉に、私は傷ついた気分になりました。
根が深いこと、家族の中での役割について、自分でうすうす気づき始めたことを言われたからです。
参加する前に読み直したジョン・ブラッドショー『インナーチャイルド』に、家族の中で子どもが機能不全家族のバランスを保つためにしていた役割についてが書かれていて、自分の家族それぞれが本来の役割以外の役割があること、私には複数の役割があったことに気づきました。

代理妻の役割は本当に嫌ですが、でもそうなのだと思います。私はこの指摘が一番痛くつらかったです。指摘されて怒ってもいた。自分で気づいていたからです。
だけど、指摘されなかったら私はさほど深く考えずに、まだ自分で何とかなると思おうとしていたと思います。
指摘されたらそれができないから、わかってないわけじゃないって怒っていたんだと思います。今でも思い出すとじくじく胸が痛みます。

学童期のワークではプレワークでたくさん出来事を書き出したにもかかわらず、2回目になると言いたいことがあるような、ないような気持ちになりました。
出来事がみんな遠くに感じられ、感情も遠く感じられました。

藤沢さんに助けていただき、心にあるものを出す作業をしましたが、私からでてきたのは「こわい」の一言で後は言葉にならなくて、何に対しての気持ちなのかよくわかりませんでした。
子供の時の出来事とこわい気持ちがうまく結びつきませんでした。ただ怯えていて悲しくて、泣き出した感じでした。
ちょっと落ち着くと怒りを感じました。

今思い返すと、これからやってくることに対しての不安とワークででてきた怖さは似ています。
家族問題のルーツを探ることへの怖さがあります。
それを知って向き合って進まなければいけないことへの怖さです。

まだ何かあるんだろうか、もうこれ以上無理だって気持ちもあります。
このことを思い出すと暗い気持ちになります。子どもの私というより今の私でいたような気がしています。
それに、今回のワークショップ・クラスは私は始まったときから自分が恐れで閉じているように感じました。
それも今回私がワークで向き合ったこととつながりがあるのだと思います。


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瞑想の時間は学童期の時はすっかり寝てしまっていましたが、学童前期の時はとてもよいイメージが見えて、幼い頃の自分を感じることができました。
家の庭が温かい光につつまれていて、そこで大人の私と子どもの私がいるイメージです。
子どもの頃の私は怒っていました。私が関心をはらわないから、すぐ存在を忘れてしまうからです。
だんだん落ち着いて、柔らかくて小さな手をつないで並んで座っていられました。
もう行くねと言うと、行かないでと言われたので、ちゃんと戻ってくる約束をしました。

今度はちゃんと約束を守ろうと思って、毎日自分に話しかける時間をとっています。
横になって庭をイメージして、いろんな時期の子どもの私と大人の私が一緒にいるところを想像すると、落ち着いて自分のペースに戻れるし、私に戻れて楽になれる気がします。
この間やっていたら、頭痛が止まったのには驚きました。座って『未来日記』を書き出すと頭が働きだすので、まずは、ただぼーっと自分を感じることから始めて『未来日記』を書くようにし始めました。


私は子ども時代を失って大人になってしまいました。
子どもの自分として生きられず、周りの大人を気にかけることをしてきました。

失われた時間を思うとどうしようもない気持ちになります。もうどうしたらいいんだろうって思います。
子どもには到底背負いきれない役割の数々をこなして生きなければならなかった自分。
私はそんな自分がかわいそうでならないです。
だから、もう自分がそれを背負わせるのもやめたいです。私はもっと力を抜いて生きたい、楽になりたい、自分や人との関係を脅かす感情から自由になりたい、やりたいことをして生きていきたい、楽しく心から人と一緒にいられるようになりたいだけです。


私は私に戻る必要がある。
もう時間も無駄にしたくない。だから新しい方法で前に進みます。
これまでの歩みで、たくさんのことが私はできるようになり、変わることができました。

今回のことでふりだしに戻った気がして、私は何にも変わっていない気がしたけど、私は今よりもっと自分らしい生き方を求めて進んでるんだ、そのために必要な通過点なのだと思えるようになりました。
痛みを感じることを通り抜けないと、新しい道にでられないのは、しんどいけれど、たくさんの助けをかりながら、進んでいきたいです。




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A. Y. さん(30代/東京都よりご参加) つばきクラス


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つばきクラスのみなさん、いかがお過ごしですか。
この PAY FORWARD を書いているいま、ちょうどワークショップ・クラスを受けてから一週間が経とうとしています。
本当に、私は先週「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けたのだろうか? というくらい、一週間という時間は簡単に記憶を持っていってしまうのだと思いました。
記録、記録!


今回のワークショップ・クラス「も」とても濃い時間が過ごせました。
ワークショップ・クラスを受ける前、終わる頃には、ヘトヘトになるかなぁ・・・と、予想していました。

実際には、想像していた何倍もの体力を、ワークショップ・クラス前半でとうに使い果たしていました。
感情が動くって、こんなにもダイナミックなことなんだと、実感しました。
しばらくこんな体験をしていなかったように思いますし、もしかすると、これだけ深いところからわき起こった感情は、はじめてだったのかも知れないとも思いました。


ワークショップ・クラスが終わったあとの感触は、まるで私ではない、別の人がそのワークショップ・クラスを過ごしたような感覚でした。
帰り道、家に向かって歩いていると、「あれ? 私、ワークショップ・クラス行ったんだよね??」というくらい、ワークショップ・クラスを受けたことが、夢の中、非現実の世界のような感覚がありました。

それは、普段知っている自分とはまるで違う自分がワークショップ・クラスにいたと感じていたからです。
特に、体力がなくなり、ぼーとし始めた後半のワークショップ・クラス。
自分へのコントロールがなくなり、感じるまま、心の底からわき起こるまま、ワークに取り組んでいた気がしました。

その別の人とは、「本当の私。」だと思います。
「普段の私とは違う私。」
「いつも知っている自分とは違う私。」
とは、実のところ、「本当の私」だと思いました。
普段の私は、自分をコントロールし、演じていたんだ、ということを、その差を感じて実感しました。


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印象に残っている事がいくつかあったので、書き留めておきます。

  • 頭ではなく、胸のあたりでわき起こることを感じること。
    そして、もし出てくるのであれば、それについてくる言葉を口から出す。ということ。

    これが、私にとって、とても分かりやすく、自分がワークに取り組むときの大きな助けになりました。
    この体験で、自分が普段どれだけ、頭でいろいろ考えているかが、よーーーく分かりました。

  • 今回この「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けるのは、2周目目で、前回と大きく変わったなぁと思ったのは、瞑想の時に出会う、ちいさな私の反応でした。
    これまでのワークショップ・クラスでは、瞑想の中でちいさな私と出会ったとき、大人の私に信頼を寄せてくれることはなく、何を言っても信じられないと言った反応でした。

    今回、瞑想の中で3歳から6歳の頃の私に出会った時、はじめ、ちいさな私は、母の手を握りしめ、母の身体に半分自分の身を隠していました。
    私が何を聞いても、もじもじして、母の反応をうかがうばかり。

    でも、「こっちへおいで、一緒にお話をしよう。」といった内容の誘導があり、そう大人の私が、小さな私に話しかけると。
    ぱっと、母の手を放し、私の方へやってきました。その、「ぱっ」と母親の手を離した時、小さな私が勇気を出して、新しい選択をした気がしました。
    「もうこれ以上、こんなのはイヤ!」と言わんばかりに。「解放」という感覚のようなきがしました。

    それに続く瞑想で、私は、小さな私の大きな変化に、2つ気づきました。
    それは、ちいさな私が、大人の私を、とても頼れる人だと感じていること。
    それまでべったりだった、母よりも、私の方がよっぽど賢い大人だと、ちいさな私が感じていること。

    それから、大人の私から小さな私に語りかけた肯定的な言葉をきいて、ちいさな私は、心から自分の存在を肯定されていると感じられたこと。

    でした。
    この2つは、貴重で、忘れられない体験でした。

    ちなみに後半の6歳から13歳のころの瞑想は・・・「ぐっすり」でした(笑)。

    きっと、心の奥底に、優月さんの語りが響いていたことと信じています。
    私の気づかないところで、変化を起こしてくれているのでしょう。

  • 今年のはじめに、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」を受け、そして今回、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けることができました。
    比べてみると、自分の成長とともに、抱える感情の大きさも大きなものへと変化するのかもしれないと、思いました。
    ワークショップ・クラスで3歳から6歳の頃の自分の感情を受け取った、現在31歳の私。
    ほんの数分その感情を感じただけで、そのあと目を開けているのも無理! って言うくらい、体力を奪われたからです。
    小さい頃のその感情は、いまの私でも、手につかめるくらい、すぐ目の前にあって、とても大きな固まりを胸のあたりに感じました。とてもリアルで、とても「生モノ」でした。

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今年のうちに、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」が受けられてよかったです。
またいつか、タイミングを感じたら、受けようと思います。

しばらくは、せっかく修復の糸口をつかめた自分との関係を、自分のできる限りでケアをして、大切にしていきたいです。

つばきクラスのみなさん、私のワークの相手をしてくださった方々、優月さん、そして、クラスを安全に運営してくださったスタッフのみなさん。
みなさんのおかげで、無事、クラスを最後まで受け、貴重な経験を得ることができました。
本当にありがとうございました!




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Y. S. さん(30代/福島県よりご参加) つばきクラス


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Web. WORKSHOP を受けたことがなく、しかも「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」から入ったからか、当日は、ずっと「???」な感じと疎外感があって、「なんだかえらい所に来てしまった・・・」「Web. WORKSHOP を受けてからのほうがよかったかも・・・」と、思っていましたが、いきなり行ってショックを受けたことで、今の自分の状態がはっきりわかって、かえってよかったのかもしれないと、今は思っています。


ワークショップ・クラス中は、終始「怖い」と思っていました。

呼びかけること自体が怖くて、話すときは目を合わせることも難しくうつむきながら、なんとか言葉がでてくるという感じでした。
だから、当日はげっそりしすぎてうまく伝えられなかったけれど、ペアになってくださった方にはとても「感謝」です。


終わってからも、当日感じていたもやもやは継続中です。

私は「きゅぴーん」と何かがわかったわけではなく、参加してから3日後ぐらいにやっと、「私の中にあるのは、この心臓がきゅっとなる詰まる感じだ!」「この怖い感じが私の中にあるんだ」ということに気づいて、当日感じた怖さと今の自分の状態がやっとつながった感じがしています。

それから「今の感じ・・・そうかな?」「これも・・・かな?」という具合でぽろりぽろりと少しずついろいろなことがでてきたのは、むしろ、ワークショップ・クラスが終わってから今までの間でした。

正直まだ、とっちらかっている感じです。


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ワークショップ・クラス中に私が発した第1声は「もっと、遊びたかった」でした。

心臓がつかまれるような感じとともに、

「習い事に行くのが毎週毎週とても嫌だった」
「顔色を伺って、正しいことばかりしなければいけないのがつらかった」
「怒られるのが怖かった」
「もっとしたいことたくさんあったのに」

そんな言葉がぽろぽろでてきた。
小さい私の「遊びたかった」でもそれを表現できなかった感じに触れられました。

子どもの私は「代理妻」と「代理母」、もっと言うなら「家族が求めるそれぞれの理想の母」と「実際の母」の差分を埋める役割を必死に演じていた(今も?)ように思います。

そうすることでなんとか自分の居場所を確保し、自分の存在価値を確認しようとしていた。
そして、そう気づくとちょっと寒気がします。


私は「怒り」というものに必要以上に恐怖があって、それは職場でも、とても感じていました。

体調に不調をきたすぐらい一生懸命頑張って、つらいのにつらいと言えなくて、それでも雰囲気を悪くしたくなくて、黙って一人で耐え抜くことを選んでしまう・・・。

この追い立てられて、かつ、押さえ込まなければいけない感じ、今の私は、小さいころの私と同じことを職場で繰り返していることにも気づいてしまいました。
(うわぁ・・・確実に今に影響を及ぼしている!!)

まだ、いろいろ出てきそうな感じがしています。


これから先が長そうなことを考えるとげんなりしますが、でも、何もわからなかったときよりは、いい。
うん、いい。そう思います。

当日は、だいぶげっそり、げんなりしていて、よたよたと会場を後にしてしまったので、この場を借りて。

藤沢さん、ワークショップ・クラス参加者の皆様、大変お世話になりました。
ありがとうございました。




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N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) つばきクラス


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つばきクラスのみなさん、優月さん。
ワークショップ・クラス当日はありがとうございました。
今回は、私が今日できることを今日できる分やることを意識して参加しました。

「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」に参加して、私にとってはこのワークショップ・クラスが回復のカギを握っているのではないだろうかと思いました。
そのため、是非とも「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」も受けたいと思い、とても楽しみにしていました。


最近は、変わることを少しずつですが受け入れられるようになってきました。
だから、正直自分の内側を覗いてみることは楽しみが半分、怖さ半分という心境でもありました。

そして、やっぱり参加してみて思ったことは、よかったの一言につきます。


普段はなかなか感情だったり、泣いたり、弱音を吐いたりすることはできません。
それができる環境、自分を解放できる環境があるという安心感と解放感は私にとってはとても落ち着きます。

私は、今回家族以外の他人から子供の頃にあったイジメが大きなテーマなのではないかと頭で考えて、ワークショップ・クラスに臨みました。
実際、感情を解放したらそうではなくて、そこには私が父と母への不満や、恐れを抱いていた事が大きな原因だったと分かりました。

今、次のステップに向けて行動を始めようとしています。父へのトラウマ、家族を持つことへの恐れをカウンセリング、自助グループ、そして ONSA WORKSHOP など、複合的に活用し、もっともっと私を癒し、勉強し、いっぱいいっぱい自分と仲良くなりたいと思います。




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M. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) つばきクラス


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藤沢様、参加された皆様、お疲れ様でした。

ワークショップ・クラスを受けた後は、いつものように、身体はクタクタに疲れているのに、頭は妙に冴え冴えとして眠れない夜を過ごしました。
翌日は、どうしても外せない仕事があったので、身体は熱く、頭はボーっとしたまま、何とかして仕事に行きました(結局、その仕事は無くなってしまいましたが・・・。午後からが本当に辛かったです)。

今回は、1週間近く身体が熱くて重くて、トイレに行くと熱い尿が出て(尾籠な話ですみません)不安になりましたが、週末に近づくとそれもなくなって、身体はだいぶ楽になりました。

2回目の、自分の過去について話していた時、藤沢さんが傍に来て、「その時、どんな気持ちだった?」と聞かれて、私は、一瞬言葉に詰まりました。

私はやっぱり、「怖い」とか、「寂しい」とか、「悲しい」などの気持ちを、表現するのがものすごく苦手なようです。
Web. WORKSHOP を並行して受けているためか、最近そう感じるようになりました。


私は、本当は、「怖くて、不安で、悲しくて、死んでしまうんじゃないかと思っていた」のでした。
ずっと触れずに来ていた感情に、やっと触れられたように思いました。

週の半ばの夜に、ふと子供の頃のことが思い出され、「私は悲しくて、寂しくて、辛かった」と口に出して、泣いてしまいました(ひとりきりの空間をすぐ作れるのは、ひとり暮らしの利点です)。
もちろん、ワークショップ・クラスで教わった通り、膝を指でトントンするのを忘れませんでした。


対面式ワークショップは、いつも最後にほわんとした、何とも言えない温かい気持ちになることができますし、自分と同じ、または私以上に「人生を変えたい!」と思っていらっしゃる方々と直接触れ合える貴重な体験のできる場であるので、これらも受けていきたいと思います。

最後になりましたが、一緒に組んでくださった方々、私のお話を親身になって聞いていただき、本当にありがとうございました。お二人の優しさに支えられて、とても大切な時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

藤沢さん、お声掛けしてくださってありがとうございました。
大事なことに気付かせてくださって、本当にありがとうございました。




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H. W. さん(10代/宮崎県よりご参加) つばきクラス


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一週間、落ち着いて、ゆっくり考えてみました。

いま思っていることは、「私は悪くなかったんだ」ということです。
これは、私が知らなかったことです。

今回のワークショップ・クラス、とても怖かったです。
うまく言葉にならないけれど、そのことは私自身が、よく分かっています。

これからは、距離を置いていこうと思っています。

今回のワークショップ・クラスでも、とてもお世話になりました。引き続き、よろしくお願いします。




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J. O. さん(40代以上/東京都よりご参加) つばきクラス


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藤沢様、皆様 ありがとうございました。

今週はクレンジングリアクションで、下痢、便秘、そして、眠気・だるさ。
毎回毎回、眠気は本当にひどいです。

「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」は2回目ですが、手帳を見てみたら、昨年の11月9、10日で「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けていました。
1年あっという間です。

しかし、昨年までの「何も変化なく連日追い立てられて横滑りしているうちに、時間が過ぎていってしまったああ・・・」という感覚はすいぶんと薄らいできました。
今年の『夢かな手帳』は、共依存の訓練をよろけながらなんとか続けてきた記録みたいになっています。ちょっと誇らしかったりもします。

『夢かな手帳』も壊れて分解気味。8月ぐらいからマスキングテープで何箇所も補強して使っています。そんなになるまで手帳を使えた自分が嬉しいです。
記録って大切と藤沢さんはおっしゃいます。
私、ほんとうに少しずつだけど色々と変わってきていると感じました。


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私は孤独感や孤立感・疎外感を非常に強く感じて生きています。
今回もそれを強く認識したワークショップ・クラスとなりました。

小さいころや、小学生のころ、どうやってお友達と接していいのかわからなかった。
どうやって、お友達を作ればいいのかわからなかった。
学校で一人ぼっちだった時期もある。学校は辛かったです。

お友達になるためには相手に選んでもらう必要があった。
お友達は私が選ぶものではなかった。
だから、周りに選んでもらえるように周りに良い様に振舞っていた。

そんな私になってしまったのは、両親のコミュニケーションがおかしかったため、私が小さいころに学べなかったからだったのですね。

思い返すと、孤独・・・から浮かぶ、親からかけられた言葉は

「人間だれでも一人で孤独なもの」
「人間なんてしょせん一人なんだから」
「人間なんて寂しいのよ」
「最後は一人なんだから」

ある意味正解な言葉なのかも知れませんが、なんだろう、あなたが寂しいと感じていてもしょうがない。それは当たり前と言われていたのかな?

小学生高学年の頃には、この言葉を私は知っていました。
どういうシチュエーションで最初に言われたのかは覚えていませんが、そうか、人は寂しいと思うのはしょうがないことなんだ。これって、普通なんだ。とずっと認識して生きていました。

何回目かのペアワークの時、私は、話す時に顔に笑顔を作って、○○○について話しますと始めていました。
その瞬間、あ! 今私笑ったよ。これ、絞首台のほほえみっていうのじゃないの?? と笑った自分に動揺していました。

私は確実に笑っていました。瞬間で笑顔作っていました。笑顔なんて出るような状況じゃないのに。
今までも様々な場面でこうやって瞬間に笑顔で自分をごまかして、一生懸命悲しいことや辛いことから守ってきていたのかもしれないです。

脈絡なく、思いつくままに、つらつらと書いてしまいました。
今回も、藤沢さん・ペアワークをご一緒させていただいた方々・皆様から沢山の気づきをいただくことが出来ました。本当に心から感謝いたします。
自分に責任を持つことを心にとめ、止まらず、進んでいきます。
また、どこかでお会いすることがあるかと思います。今後ともよろしくお願いします。




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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) つばきクラス


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私は、「インナーチャイルド・ワークショップ」ではいつも何を話したらいいのかわからず「・・・」となってしまうのですが、今回も始めのうちは言葉が出なくて困りました。

何となく、喉のあたりで気持ちを表現することがブロックされているようで、言いたいことがあるのに言えない状態でした。
小さい私が「言っちゃだめ!」と必死で止めているようでした。
言いたいことがあるのに言えないのはとても苦しかったです。そして、やっと言葉に出せた感情は、とても激しい怒りと悲しみでした。

その感情を私が言葉にしたとき、あの頃に引き戻されたような気がしました。(あの頃と言っても、何歳の時だったか記憶が欠落してしまってわからないのですが。)
裏切られた怒りと悲しみ、そして母はそれに本気で向き合ってくれず、私を平手打ちにし父親との関係を選びました。その絶望感。

父親の「こんなこと、誰かに言ってみろ! 言っても信じてもらえるわけないぞ!」という態度に対する怒りと絶望感。
私自身が女であることへの怒りと嫌悪感。
そんなものがぐるぐると渦巻いて胸が苦しくなり、身体がぶるぶるふるえました。

私は、この気持ちをもう一度味わいたくなかったから、必要なときに誰もそばにいてくれなかったのを再度自覚するのが嫌だったから、感情と記憶を凍結してきたのかもしれません。
だって、痛すぎます。
子どもに耐えられることじゃなかったなって思います。


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今まで受けた中でいちばん素直な気持ちを出せた「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」でした。
今回も「・・・」で終わるかもなと思っていたので、少々驚いています。

こんなに大きな感情が出てくるなら、「ONSA TAT セッション」も一緒に申し込んでおけばよかったな、そしたらまた大きな荷物をおろせたのに・・・。なんて、後悔先に立たずですね。

ワークショップ・クラスから1週間、まだクレンジングリアクションがきついです。眠くて考えがまとまりません。
仕事も忙しいのに、細かい部分が気になって上手くはかどらなかったり、仕事が終わってぐったりしているのに夜寝付けなくて夜更かししてしまったりしています。
気分も落ち込み気味で、生きていて何が楽しいんだろうとか考えてしまいます。


数日前は私の誕生日でした。
やっぱり、全くうれしくありませんでした。
こんな思いまでして生きていて何が楽しいんだろう・・・苦しくてたまらない。
この苦しさから無理矢理私を引っ張り上げて日常をこなしている日々です。

ここ最近は、また数年前の苦しさに逆戻りしているように感じらて苦しいです。
これからどうしていったらいいんだろう・・・。

たぶん、その答えは急いで出すものではないのでしょう。
Web. WORKSHOP などを引き続き受けながら、考え続けていきたいと思います。


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つばきクラスの皆さま、おつかれさまでした。
このクラスの名前はつばさでもつばめでもなく、つばきクラスでしたね。
最近ボケボケしていて、優月さんに言われて「あ、花の名前だったんだ・・・」と認識しました(笑)。なんだか鳥のイメージだったもので。

ペアになってくださったお二方、ありがとうございました。
安心して自分に集中することができました。


優月さん、今回思い切って自分の気持ちを表現することができました。
ありがとうございます。

そして毎回、私的な質問をするたびに、私は自分で考える力が育っていないのだなと恥ずかしい気持ちになるのですが、そう感じられるようになっただけでも進歩したのかな・・・すみません。
ONSA スタッフの皆さまも、いつもありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) つばきクラス


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あっという間に、ワークショップ・クラス当日から1週間経ちました。
この1週間、様々な記憶や感情が浮かんでは消え(なぜか、今回は父に関することを思い出しました)、心が過去にいた時間が多かったです。

ご参加の皆さん、お互いに健闘しましたね。本当にお疲れさまでした。
そして、藤沢さん、スタッフの皆さん、安心して自分と向き合える場を提供して下さり、いつもありがとうございます。
皆さんの存在のおかげで、私は、今回やっと「自分に集中する」「がんばらなくてもその場にいていい」という感覚がつかめました。
(そして、自分の内側に集中していると、疎外感はあまり感じないものなのだと気付きました。日頃感じてしまうのは、今の自分が本当に大切にしたいもの、やりたいこと、なりたい状態が分からず、自分の人生に集中してないからなのだと感じました。)

PAY FORWARD は、毎回何をどう書いたらいいか迷います。
今回も、当日学んだり感じたりしたことの他に、プレワークで出てきたこと、この1週間で出てきたことが混じっていますが、今書けることが今の全てと思って書いてみます。


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今、1番に感じることは、私はまだこんなに傷ついていたんだということです。
ありのままの自分らしさを両親から認められなかったことが、今も本当に苦しくて悲しい。

この1年、対面式ワークショップや Web. WORKSHOP で自分の生い立ちや苦しかったことを沢山表現してきて、最近は両親に言いたいこともなくなってきたかな? と感じていましたが、そうではありませんでした。
(両親とも他界していて顔を合わせることがないので、感じる機会が少ないだけなのかもしれません。相手が目の前にいようといまいと、過去に相手に感じていた気持ちをしっかり感じ直して解放することは、必要で大切なことだと感じました。)


私は、自分の気持を言うワークの時(前期と後期共)、泣きながらすごく歯を食いしばっていました。
両親への、姉への理不尽さに対するくやしさ、怒りで全身が震え、その反応の強さに自分自身が驚きました。
私は悲しみの方が強く出るかと思っていたのですが。
(そんなに強く感じていたのに、今まで感じず忘れていたということは、「いい子にしてかわいがってもらいたい、認めてもらいたい」と思っていたからなんだろうと思います。)

具体的に何を言ったかあまり思い出せないのですが、相手に「どうして!」と責める口調になっていたと思うので、お相手になっていただいた方には本当に申し訳ない気持ちです。
ただ優しく寄りそって聞いていただいて、本当にありがとうございました。
ただありのままを聞いてくれる人がいるというだけで、私はすごく安心して表現出来ました。

私は、約1年前、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」に参加したのですが、その時は「自分の感情を表現する」がよく分からなくてひたすら状況説明になったり、泣いても「もらい泣き」で自分の感情を感じて泣けていませんでした。

今回、初めて自分の感情(本心)を表現して泣く、ということが分かった気がするので、これが今回の最大の「もう出来たこと」かな、と思っています。
つらかった気持ちを感じるのは本当に苦しいけれど、自分の気持ちに制限を加えないでただありのままに感じることは気持ちいいと、今は感じています。


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インナーチャイルドワーク(学童前期)で出会った子は、大好きなうさぎのぬいぐるみを抱いて、素直で好奇心いっぱいのキラキラした目で私を見ていました。
庭の縁側に座って話をした時、「助けにきたよ」と言ってもきょとんとしていました。
まだ、自分は愛されていて幸せで、両親のことを信じて好き、と感じているようでした。
「あなたと一緒にいるよ。一緒にやろうね。」というと、「ホント!?」とすごく嬉しそうでした。一生懸命いい子でいたけれど、本当はすごく寂しかったのだと大人の私は感じました。

反対に、インナーチャイルドワーク(学童期)に会った子は、暗い目をして何か言いたげに唇を尖らせていました。
何を話しかけても、不信のまなざしを向けてくるだけで、何も話してくれませんでした。
心を閉ざし身を固くして自分を守っている印象で、「どうせ私を傷つけるんでしょ」と言っているようでした。

今回思い出せたのですが、私は「上を目指せ」と言われなかったし、「あなたは次女だから自由に育てた」と言われていたので、自分は厳しく育てられたと思っていませんでした。
けれど、実際は相当「両親の望む・常識と思う子供像」「○○才なら、こうあって当然」にあてはめられて育ってきました。(これって、厳格なんでは? と感じます。)

その像になる為のやり方も教えてもらった記憶はないのですが、そこから外れると、「これ位出来るはずなのに(出来ないのはおかしい)。大丈夫なのか?」と言われていました。
(子供には分からないと思われていたようですが、私はしっかり感じていました。)

それが当たり前だったから、その延長で、私は大人になってからもずっと、大切な自分にいつも「こんなんじゃダメだ」とやっていました。
ちっとも自分で自分の味方ではなかった。
これじゃあ、小さい自分にそっぽを向かれても仕方ないと思いました。
又、子供の頃両親に言われたことを、いかに自分が素直に信じこんでいたかに気付きました。


この子との仲直りには、まだ時間がかかりそうです。
私の中には、今の私に気付かれ、癒されるのを待っている記憶・気持ちがまだ沢山眠っていると感じたので、これからも少しずつ向き合っていきたいです。
(私が過去にうまくいかなかったのは、自分の痛みを「人に分かってもらうこと」「共感・同調してもらうこと」を目指していたからでした。
まず、私が私の味方でいて、自分の痛みをしっかり感じて表現して癒すことが、何より大切と気付きました。)


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このワークショップ・クラスでは(「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」もそうでしたが)、色々なことのつじつまが合ったというか、「なるべくして今の自分になった」ということがよく分かりました。

私はすごくストレスを感じながら成長してきました(身体は)。でも、心は健全な依存を許してもらえず、押さえつけられていて、健康的に成長してきたとは言えなかった。

小さい子供なのに、周りに両親がいても「守ってもらえない」と感じながら過ごすのは、どれだけ不安で孤独だっただろう。
私は、泣いたり自分の感情をうったえると、聞いてもらえなかったり、責められたり、からかわれたりしてきたので、いつの間にか「責められないこと」を目的に生きるようになっていました。
今の自分が肯定感を持てないのも、安心感を感じられないのも、無理のないことだったかもしれない。


私がこの時期に学び損ねたテーマ・課題は・・・

  • 積極性
    年長~小学1年生にかけての約1年間、幼稚園に通えなかったりけがで学校を休んでいたから、そもそも人と関わる機会(コミュニケーションを学ぶ)が少なかった。
    積極的に何か言ったりすると、押さえつけられていた。

  • 男女役割モデル・コミュニケートの技術
    私は、多分両親から健全なパートナーシップを見せてもらっていない。
    2人が話し合って譲り合って協力する姿を見た記憶がない。
    母はこの頃すでに、自分の言いたいことを、私に代わりに言わせようとしていた。
    「仲直りの仕方」なんて、見たことがない気がする。いつも、「無かったこと」になっていたから。
    私が大人になるまでに両親から学んだ処世術は、「滅私奉公」と言っても過言でない気がする。
    暗なるメッセージは、「自分のことは置いていて、まず人につくしなさい。そうすれば、同じかそれ以上のものが返ってくるから」。

    だから、人と接する時疲れたり(私は自分の面倒を見てもらうことを期待して、せっせと人の感情の面倒を見ていた)、必要以上に緊張感を感じていた。
    (「1度コミュニケーションを失敗したら、お終いだ」という思い込みがあった。「『失敗してはいけない』という空気感だと、何が問題なのか分からず解決出来ない」には、納得しました。)

    又、誰かと親しくなることを「個性を認め合う」ではなく、「相手に同化すること」(家族の中で、同じ考えであることを求められていた)だと思い込んでいたから、自分の気持を抑えて相手に合わせる内に、自分が分からなくなった。
    そして、自分が分からない自分を人に分かってもらえるはずもなく、孤独感を感じる原因の1つになった。
    だから、人の間に出ていくことに気が重くなった。

    今回初めて思い出したけれど、父は2人目の子供は男の子が欲しかった。
    だからかもしれないけれど、私はこの頃男の子のように「活発」であることを期待されていた。
    (私には全く合っていなかったけれど。)
    それ以上思い出せなかったけれど、私は男の子なのか女の子なのか自覚しにくい育てられ方をしていたのかもしれない。
    又、私は代理父、夫、時には母を暗に演じさせられてきた。

    そのせいか、私は社会人になって大分経つまで、男女に役割の違いがあることに気付かなかった所があるし、男性に「頼る」という発想がなかった。
    必要以上にがんばるくせが付いていたのだと分かった。

    (話はそれますが、思い出しついでに・・・。)
    私は、20代の頃、父と同世代の男性に何となく怒りを感じていましたが、それは私を分かって守ってくれないのに、逆に「分かって欲しい」という空気感のあった父に対する怒りが転化したものだったと、今は思います。
    それから、今回「お父さんのかわいい娘」というフレーズが気になりました。私は、この頃父に構ってもらえなくなっていって、父は私にとって存在感の薄い人になっていったのに、不思議な気がします。

  • 「私はできる」相互依存、協調性
    自分が「したい」ことに挑戦して、「出来た」と感じる経験が少なかった。
    私は健全な心理的依存を許されておらず、代わりに「代理父・夫・母」を演じていた。
    小学4年生の時、いじめ(無視)という疎外にあっていた。

  • 自己確立、家族からの独立
    アイデンティティ、実験、コミュニケーション、性、職業、親離れなど自分を掘り下げる時期に家族の心理的面倒を見ていたから、本音で学び試せていなかった。

私は、その時々に必要なことを学べず、試せず、課題をクリア出来ていませんでした。
(それで、今までよくやってこられたと思います。)
そもそも人生の土台作りが準備不足だったから、どこかいつも「私の人生はいつ始まるのだろう?」と感じていたのも、ある意味当然のことでした。

学び損ねたなら、今からこつこつと学び直していくしかありません。
私は、素直でがまん強かったから共依存に巻き込まれ、留まっていた。それならば、そのねばり強さを回復に使おう、と改めて決意しました。

気が付いたら、ずいぶん沢山書いていました。(読んで下さって、ありがとうございます。)


最後に・・・私は今までの歩みの中、本当はしょっちゅう「もう遅いんじゃないだろうか?」「自分の中からやっかいなものが出てきたら、どうしよう。新たな問題が出てくるのが、こわい」と思っていました。
それでもあきらめたくなくて、助けを借りながら、あがいてここまで続けてきました。
そんな自分に、今回初めて心からの労わりの気持を持てました。
ありがとうございました。




PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2013.11月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」おおいぬクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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T. S. さん(20代/東京都よりご参加) おおいぬクラス


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おつかれさまでした!
対面式ワークショップ・クラスを終えて、ぐったりとつかれました。今もクレンジング・リアクションの中にいて、考えがまとまらない時間を過ごしています。
ワークショップに参加させて頂いて、気づいたことや感じたことを書かせて頂きます。

ワークショップを通して出会った「小さな自分」は、とってもしんどそうで、いっぱいがまんをしていました。
両親のことも大嫌いでしたし、恐ろしいほど「暗い衝動」も持っていました。
小さな自分からもらった手紙を読み返してみると、「むかえにきて、助けて、さみしい、くるしい、しんどい、こわい」と、切り刻まれるような想いが書いてありました。ゾッとしました。

私は、ありとあらゆる感情を心から切り離すことによって、彼女の存在をなきものにしてきました。それによって、彼女を長い間、置き去りにしてきてしまいました。
とっても大切な私なのに。
私は、小さな自分に対して、「ごめんね」という想いでいっぱいになりました。最後の瞑想の時、小さな私を抱きしめたら、ちょっとだけ泣いていて、お別れの時には、離れたくないと言っていました。
私も離れたくなかったのですが、「いつでも会える」と約束をして、バイバイをしました。
今も思い出して、悲しみで胸がいっぱいになります。


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実際のワークでは、「いやだ」、このひとことを言うことが、私にとって大きなチャレンジでした。
私はワークをしていても、全然感情が出てこなくて、心が凍り付いているのを感じました。言葉を並べているのですが、淡々と説明する感じになってしまいました。心が全く動かないのです。そうしないと話せない感じがしました。
そんな自分を見て、「私が家族に対して感じていたことは、本当はたいした痛みではなかったのでは?」と、錯覚してしまいました。
でもそれが、心理学の言葉で「乖離(かいり)」と言われていることを知りました。

この言葉を聞いたことはありましたが、まさか自分が乖離(かいり)の状態にあったなんて、と思いました。このことに気づかせて頂いたことが、最初の一歩でした。
そこから何度か練習を重ねるうちに、自分の「感じたこと」に意識を向けられるようになりました。途中、藤沢さんが「それで、どう感じたの?」と問いかけて下さって、少しずつ自分の感情をつかまえることができるようになりました。

私が「どう感じているか」はすぐ目の前にありました。
私は感情を見過ごしていただけなのだと思いました。
今回のワークでは、自分の感情を拾い上げて、名前をつけていってあげる初めての経験になりました。
本当はもっともっと感情に触れたかったです。なので、悔しかったという思いもあります。でも、少しずつ自分の「安全領域」をひろげていけたことが、前進だったと思います。
チャレンジをした自分に拍手をしてあげたいです。そして、サポートをして下さった藤沢さん、一緒にワークに取り組んで下さったお二方に、感謝をお伝えしたいです。


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今回、ワークショップに参加させて頂いたことは、私にとって、大事な意味があると思いました。
それは、また1つ心の壁がはがれて、事実に目を開くことができたためです。
特に、両親のことです。
今までは、両親との間に起こったことを、「たいしたことじゃない、これくらい普通でしょ?」と思っていました。ですが、それを改めて認識して、どうやらそれは普通ではないこと、自分はそのことに対してきちんとケアを受けるべきなのだとハッキリと知りました。そして、その傷を癒すのに、時間がかかるという事実も知りました。

今まで思っていた、「私の家で起こったことは、ちょっと他にはない “面白いこと” で、他の家と比べてそんなに大変じゃなかった」という考えは単なる「合理化」でした。
私のいた状況は、ずっとずっと重症でした。
「私が家の中で感じていたこと」、それこそが、私が見過ごしてはいけないことでした。この事実に対するショックが大きくて、これから両親のことをどう受け止めればいいのかと思いました。
でも、それは、私をカウンセリングへ具体的に踏み出すために、背中を押してくれた事実でした。


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このように、対面式のワークショップを受けさせて頂くたび、隠しようのない現実に直面し、奈落の底に突き落とされた気持ちになります。
Web. WORKSHOPで、「私、少し進んだかもしれない!」と感じることがあります。それで嬉しくなるのですが、対面式ワークショップに参加して、現実を知り、ショックを受け、またコツコツと自分と向き合うというサイクルにいるように思います。
でも、それを繰り返して、ワークショップを始めた9ヶ月前に比べて、自分の内面についての理解が深まったように感じます。
1回目よりも、2回目、という風にどんどんと見方が変わってきました。これは自分のためにやっているこだと思っているので、どの気づきも、ショックも、本当に必要な情報を頂いていると思っています。

私は、本当に自分を癒してあげたいです。
だから、ケアや学びを継続していけるように、しっかりと生活基盤を整えていきます。そしてできる限りの工夫をして、カウンセリングを受け、知識を得て、20代の最後を走れるだけ、走り抜けたいと思います。


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最後になりましたが、前半後半のワークを一緒に取り組んで下さったお二人に、改めて感謝をお伝えしたいと思います。お二人がさまざまなご経験や想いを共有して下さったおかげで、私も自分の内面と向き合うことができました。本当にありがとうございました。

そして、ワークショップを開催し、安全な場所を守って下さった藤沢優月さん。OFFICE ONSAのスタッフのみなさま。
同じ時間を過ごして下さったおおいぬクラスのみなさま。
本当に本当にありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。



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K. T. さん(40代以上/京都府よりご参加) おおいぬクラス


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こんばんは。
ワークショップ・クラスの後、一泊して横浜で遊んで帰りました。

藤沢様、またご参加の皆様、ワークショップでは大変お世話になりました。
帰宅してこのメッセージを書いていますが、ちょっと疲れています。


さて…

ワークショップ・クラスが終わって感じることは、つまり…私たちが傷ついたあれこれは、いったいなんだったのか?ということでした。

それは、私が思うに、「親」の人としての未熟さ、子供っぽさ、欠点、わがままさみたいなものだったのではないかという事です。
しかし、子供の私は、それがなんなのかわからず、しがみついた。信じた。愛情を求めた。そして、悲しかった。

必ずしも、私を傷つけようとしてやったことではないかもしれない。
しかし、大人が無意識にしてしまうそれらのことが、小さな私にとっては、とてもとても、ストレスをこうむるものだったのではないか、ということです。

今でも、人と接すると、そういった場面に遭遇します。
そんな時、
「ストレスだと感じてもいいんだよ、それはしたくないと思ってもいいんだよ。そして、その気持ちを表現してもいいんだよ」
ってことを、今回のワークショップで学んだ気がしました。

また、自分自身も、自分の不注意で人の心を弄ぶようなことがあれば、必ず、その人の心の中の子供は傷ついているとすれば・・・、それはひどいことだと思いました(たまにやってる気がします)。

何か、人と接するとき、注意深くなってしまいそうです。
それでも、やはり人を傷つけてしまったり、傷つけられたりしても、気付いたところからやり直せる。
そんな気もします。


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ワークショップ・クラスでは、日ごろ薄々感じていることでも、言葉にするとこんなに悲しい。涙が出る、ということが驚きでした。
でも、言葉にして、受け止めてもらえたり、聞いてもらえると、なんだかホッとします。
ペアを組んでくださった方、親身に聞いていただいてありがとうございましたm(_ _)m。

昨年の2月以来(境界線ワークショップ)で、約2年ぶり、2回目の参加となりました。
自分の過去や家庭環境を人に知られていることがちょっぴり恥ずかしく、ちょっとだけ「慣れ」と、いっぱいの緊張で、どうなるんだろう~(@@)と思いながら参加しました。
(* 編集注/ご参加の皆さまのプライバシーは、守秘義務および「4つの約束」の精神を元に、厳重に守られます。どうぞご安心ください)

私の最近の悩みは「結婚」で、長引く「婚活」をするうち、表面的なことばかりが気になっていましたが・・・。
家族のなかみはどうだったでしょうか。
そして、私が誰かと作ろうとしている家族のなかみはどんなものだったでしょうか。

色々考えさせられました。
そして、他人をうらやむという事が、意味のないことも。

つらつらと書いてしまいましたが、色々と・・・楽しい(?)ワークショップだったなぁと思います。
願わくば、もう少しこっち(関西)よりになってほしいものですが(//▽//)キャッ、また、機会があれば参加したいなぁ、と思いました。

最後に、藤沢様、スタッフ様、ご参加者の皆様、ありがとうございました。
同じ空の下で、どこかでお元気で!



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A. M. さん(30代/大阪府よりご参加) おおいぬクラス


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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期)」にご参加されたみなさん、お疲れさまでした。
夏頃からインナーチャイルドへの興味が増しており、当初は参加を迷っていました。そのまま締切日が過ぎ残念に思っていたところ、追加募集の告知を読んで、今のタイミングだ! と思い切って飛び込みました。

当日は、前日開催の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期)」から、連続参加されている方同士のまとまりや、自己開示具合に圧倒され、不安や恐れを感じて混乱しました。
徐々に落ち着きを取り戻し、みなさんの力に勇気をもらい、無事ワークに取り組むことができました。
ありがとうございます。
心の動揺には深呼吸と「足トントン」が効いたので、これからも使わせていただきます。

前半の瞑想では、3歳位のふんわりふわふわした雰囲気の小さな私に出会えました。
ずっとふんわり系の女の子に憧れていて、いつも羨ましいなと思っていたので「えーっ、私の中にふんわりした女の子がいるんだ!」と驚きました。
憧れの対象の要素は、元々その人が持っているものだと聞いたことがあります。
それは本当だったのですね。
無いものねだりじゃなかったのだと初めて分かり、安心しました。

後半の瞑想では、小学校の運動会で走っている私を父や母が応援していました。走りきった後「一番じゃなくていいの?」と私が問いかけている場面が出てきました。今と昔を行ったり来たりしているような感覚で、集中しているのかいないのか良く分からない感じでした。
他にも左手で大人の私に手紙を書いたり、右手で子供の私に手紙を書いたりと盛りだくさんの内容で、一日中小さな私と向き合いパワーを放出し、最後は体の中が空っぽになった様でした。


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ご一緒してくださったペアの方、ありがとうございました。
お二人のおかげで、眠っていた私の深い想いを口に出すことが出来ました。お互いにシェアの内容が酷似していたり、前半のペアの方と私の間に生まれた感覚が、後半のペアの方とのシェアに活きてきたりと、無駄なことは何一つありませんでした。
絶妙な組み合わせに感謝いたします。
優月さんにもペアになっていただき、本当にありがとうございました。澄んだ眼差しに力を感じて、心のカーテンがサーっと開いて想いを言葉にすることができました。
重ね重ね、ありがとうございます。

クレンジングリアクションは眠気が非常に強く、日々深い眠りに落ちています。
感情の起伏も激しくなったり、ボーっとした時間が増えたり、過去を数珠つなぎのように思い出したりして、時間が飛ぶように過ぎていく感覚があります。


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今回のワークショップに参加して、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期)」にも興味が湧き、ぜひ受けたいなと思いました。
連続で受ければ良かったなと後悔した位です。
乳児期のことを一体どうやって思い出すのだろうと疑問に思っていましたが、実際に参加された方の話を聞いて安心しました。
単発でもこれだけ効果があるのだから、連続ならよりいっそう、自分のことが深く理解できると思います。
対面式のワークショップに慣れていらっしゃらない方も、インナーチャイルド・ワークショップは取り組みやすい内容だと思います。お勧めです。

今回は、ふわふわの小さな私に出会えたことが大きな収穫でした。
いないと思い込んでいた人が本当はいることが分かって、とても嬉しかったです。今まで存在を感じていた元気いっぱいの小さな私も、今ここを生きている大人の私も、みんな大切にして生きていきたいです。


最後になりますが、ご一緒してくださったみなさん、優月さん、ONSAスタッフの皆様、お世話になり本当にありがとうございました。
このワークショップに関わるすべての皆様の幸せを、心からお祈りいたします。
ありがとうございました。



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Y. I. さん(20代/沖縄県よりご参加) おおいぬクラス


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初めての ONSA WORKSHOP 参加、今回はインナーチャイルド・ワークショップ前期日程と後期日程を連日受講しました。

前期日程と後期日程を連日で受講できたことで、より深く自分のことを発見できたと思います。
インナーチャイルド・ワークショップを受ける前の自分像と、受けた後の自分像は、まったくと言っていいほど「違う人」でした。

いや、厳密にいうと、時間を歩めば歩むほど、外側の社会に対して色々取り繕っていたことが分かりました。
そうして、いつの間にか本当の自分からだいぶ離れていました。
そんなことに気づけないほど、自分を守ることで必死だったのだと思います。


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「がむしゃらに頑張っているのに、こんなにも苦しい思いをしてでも頑張っているのに、こんなに我慢しているのに、一体私は、いつ報われるの?!」
私は、ずっとそういう気持ちを解決できないまま生きてきました。

正直、「まだ頑張れば……」「またチャンスが来れば……」なんて思っていたこともありました。
常に、「頑張る、我慢、頑張る」って言葉に縛られていました。
そうやって、みんな生きているのだと思っていたし、そうすれば報われると思っていたのです。

でも、 ONSA WORKSHOP を受講したことで、モヤモヤする気持ちの本当の原因を知ることができました。
もちろん、いきなり「これだ!!」って答えや原因が分かるわけではないと思います。
でも、確かな知識を元に、ゆっくり状況を理解してゆくことで、私はだいぶ救われました。
回復への覚悟と共に、すっきりした気持ちで日々を過ごせています。


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ONSA WORKSHOP を受講しなければ、私は、もっともっと自分を頑張らせて、自分を傷つけていたと思う。
ONSA WORKSHOP を受講することができた機会に、本当に感謝しております。
本当に、ありがとうございます。


最後に、おおいぬクラスで時間を共にしたみなさん、みなさんとのご縁に本当に感謝しています。
時折、ふとみなさんの顔がよぎって、とても朗らかな気持ちになります。
「みんなも、歩んでるんだ」と。

一人だったら、耐えられないな~(笑)。
さすがに、得意の「頑張り」も効かなかったと思います。
みなさんの健康とご多幸を、本当に、心からお祈りしています!!


そして私も、回復・ハッピーになるぞ!



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N. Y. さん(30代/千葉県よりご参加) おおいぬクラス


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優月さん、スタッフのみなさま、そしてクラスを共にしたみなさま。
日曜日はおつかれさまでした。

私は、前期は今年の春に受けており、間に対面式のワークショップを二つ挟んでからの参加でした。
(余談ですが2日連続で受けたられ方は、「おおいぬ」「こいぬ」と揃っているのがなんともかわいらしく、うらやましいです…)

初めて参加した ONSA WORKSHOP が、私はインナーチャイルドの前期クラスでした。
後期に参加する為に前期を受けたようなものでしたが、あの日、開始前から泣いていらっしゃる方、話しはじめるやその瞬間から涙を流される方々(ほとんどの皆さんがそうだったと記憶しています)に私は圧倒され、正直なところ、自分に集中どころか取り残されて終わってしまったように感じていました。

そんな前期を経ての後期の参加で、「どうやら泣く場所らしい」「私もあの場で、今度は涙を流すのだろうか?」そんなことを考えながらプレワークを進めていました。

参加したてのころに比べ、ずっと自分の心と繋がれるようになった。
苦しいのに言葉が思い浮かばなかったプレワークは、1行の枠に2行も埋められるようになった。
今度は私も涙を流すのかな?

そんな気持ちで、お気に入りの水筒2本…アルミボトルにミネラルウォーターを、魔法瓶にペパーミントティを詰め、ストールを用意して。
「悲しかった記憶に向き合いにいくのに、まるでピクニックの準備みたい」そう思いながら支度をしていました。そして、水筒を用意しながら、きっと私は泣かないだろう、とも思っていました。
「泣いてもいいようにとこんなに飲み物を用意して、意味あるの?」と思いながらも「飲み物を用意するの、楽しいからいいよね」と、私の疑問に覆いかぶせるようにお湯を沸かしていた時間を、今でも在り在りと思い出せます。


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そうして迎えたワークショップ・クラスの時間。
私が幼かった頃の私の言葉を伝えてあげるとき、私は案の定、泣くことが出来ませんでした。
周りの方々が、感情を込めて話している声が聞こえてくる中、苦しかった、辛かった、私自身がそういう種類の話をしているのに、ニコニコと笑顔を作ることしかできない私。
痛みの感情が出てくる訳でもなく、悼むような気持ちにもならず、ましては楽しい訳でもない。なにひとつ、感情が表に出てこない私。

あぁ、やっぱりね。思った通りだ。泣かなかったな。

別のことで泣けてきた場面はあったけれど、ちいさな私に、私は最後まで泣くことはできませんでした。
1時間目も、2時間目も、そうでした。

以前のワークショップで「絞首台の笑い」について教えていただきました。
そして、今回は「乖離(かいり)」という言葉を教えていただきました。
そういったものを知識としてこころに留めておき、クラスを終えてからの1週間、私は今までの人生を振り返って、もう一度そのころの私の気持ちを思い出していました。


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そうしてひとつ、気づいたことがあります。
それは、「ごまかす」という言葉がキーワードでした。
「絞首台の笑い」について教えていただいた時に、その時の場面で優月さんに「そうやっていつも笑ってごまかしてる?」と聞かれました。そのとき、私が率直に思ったことは「真面目にやってるのに、笑ってごまかしてるなんて…」というものでした。
(すみません)

ですが、今になってようやく気づきました。
私は、今までずっとずっと、あらゆる感情を笑顔で取り繕い、ごまかし続けてきたのだということに。
その笑顔のむかう先は他人ではなく、まずは自分自身。そうして自分に対してつき続けたごまかしは、いつしか私のビーカーを満たして外側に溢れ、外から見える私は偽りの私になる。
笑顔で取り繕うことでしか、自分の気持ちを表現してこなかった。悲しみ、苦しみ、怒り、そういう気持ちが自分にあることを、私が私自身に認めなかったし、許さなかった。ネガティブな感情を、ポジティブに置き換え、ごまかして笑顔を作り続けた。

そしてこれは、よく世間で聞く「悲しいときこそ笑顔でいよう」というような言葉で心がけてきたことなどではなく、私が自然と、誰に強制されるわけでもなく、自らしていた行動なのだと思います。
その証拠に、会場に来る前に、水筒の用意をしていた時の気持ち。
ふと湧いてきた小さな疑問を、楽しいことに置き換えて、ごまかして、疑問を無かったことにしている私。
無意識の習慣になっている!!!

ネガティブな感情を捉えたら、すかさずポジティブな別のものに置き換える。
何があっても、キラキラしたような何かにすり替えて、そんな自分に無意識で。
悲しくても、すり替えた瞬間にすら気づかず、笑っているのが慣い性で。

…それなら、泣けなくて、当然だ。

そのことに気づいた瞬間も、これを書いている今も、涙がでる気配はなく、私は相変わらず笑っています。


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クラス当日は、他人と比べなくていいことを知っていても、こうも泣けないと「どこかおかしいのかしら、私」っていう、わずかな疑問を持たざるを得ませんでした。そのくらいみなさん、涙を流されていました。
でも、泣けない理由が腑に落ちて、それが今の、そして今までの私なのだと、私なりの答えを出すことができました。今はそのことに安堵しています。
そして、自ら偽り続けた自分なのだから、他人に映る自分のなかに本当の私はいるはずはなく、他人に本当の私を理解されない苦しさ、孤独、そういうものは在って然るべきなのだ、と理解しました。

『未来日記』の表紙にある、「心をごまかすのを、やめる。自分といちばんの友だちになる。」という言葉、頭ではわかっているつもりでしたが、ようやく実感することができました。


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最後になりますが、この場をお借りして。
前半クラスでペアを組んでいただいた方には、淡々とした雰囲気に正直、安心していた自分がいました。
後半でご一緒してくださった方とは、ワークの後でお互いに「それ!わかります!!」っていう会話ができて、私はとても嬉しかったです。
お二人とご一緒できて良かったです。どうもありがとうございました。

そして、以前参加した別のクラスで、帰り道にご一緒したTさん(フルネーム覚えてしまいました^^)お会いできて嬉しかったです。
帰りにお伺いした話がきっかけで、私もその後、Web. WORKSHOP に申し込みました。
今回のクラスでたくさん引き合いに出されていたので、なんとなくお伝えしそびれてしまったのですが、ここでお礼を、です。

それから、優月さんへ。私、笑ってごまかしてました。
ようやくそれに気づいて、さらに輪をかけて笑っています。
「絞首台の笑い」の時に教えてくださったこと、今ようやく自分のこととして理解できました。
自己紹介シートに、たしか「来年に持ち越すつもりだった」と書いた気がしますが、今年のうちに参加して良かったです。

そしてクラスのみなさまと、ご一緒できてよかったです。
心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。



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A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) おおいぬクラス


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おおいぬクラスの皆さん、藤沢さん、お元気ですか?
ワークショップ本当にありがとうございました。

インナーチャイルド・ワークショップは盛り沢山で、心身ともにくたくたになってしまいました。
泣くのは体力使いますね。
帰りの新幹線は身体は疲れて、頭が空っぽという感じでした。
そのせいか今週は、体調不良でも睡眠不足とも違う、睡魔やだるさに襲われクレンジングリアクションを満喫してました。
以前はこんなにはっきりクレンジングリアクションだと、実感しなかったので、私が自分と向き合った証拠だと思って「よしよし」をガッツポーズしています。


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今回も藤沢さんの話をきき、知識をいれていくと、自分の問題の大きさにびっくりしました。
共依存の人は見込みが甘い…そうです。私がそうです。
先月「感情ワークショップ」にも参加したのですが、その時も「私やばい!」と驚いて、それを忘れるより早くまた「もっとやばい!! 見込みが甘かった!」とまた驚いています。
回復への道のりが果てしなく感じて、ワークショップ・クラス終了直後は途方に暮れてしまいました。

今は前より今少しでも進んでいく事が大切だと思えてきました。
気が付くと「0か100」で考えちゃうんですよね、そこに気が付けたぞ、私。


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色々なことに驚いたり納得したりしたのですが、とても印象深かったのが実は結婚願望の所でした。
昔から結婚したい・子供がほしいと思う事がありませんでした。
最近では適齢期ということもあり、友人職場でもそういう話題になることが多いのですが、皆で盛り上がる中「結婚しなくてもいい」とはとても言えず、適当に話を合わせることが多かったです。
私からすれば、なぜ結婚したいのか/子供がほしいのかわかりませんでした。そう思えるだけで「すごい」ことのように感じていました。

そう思っていたので話の中での「もう結婚してるから」「パパの小さなお嫁さん」はストンを私の中に落ちてきました。
今までの腑に落ちない思いが、やっとつながった気分でした。

私は「パパの小さなお嫁さん」というより、母の保護者(家にいない父の代わりに母を支えるのは自分)や妹の母(両親からことあるごとに「○○(妹)はあんたを見てるんだよ」「○○の担当は△△(私)」といわれる、割と今でも!)なのだから。
私はすでに支えるべき人も育てる子供もいるから結婚も子供も願望がない、なるほど納得。
どこかで、自分がダメだから結婚願望がないんだ、何か足りないから子供が欲しいと思わないんだと、感じていたので救われたような気持ちです。どこからきているのかわかなかった考えに、意味があって漸くしっくりきています。
藤沢さんの言うとおり早く「離婚」して(笑)、自分の本当の所、自由意志として結婚や子供の願望を考えられるようにしたいです。


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インナーチャイルドのワークは涙が止まりませんでした。
私の中の子どもの私は、今でも傷ついたままで、過去のあの時に叫べなかった感情をずっと持っていました。
ペアワークで子どもの頃のことを話すと、段々「かなしい」「ずるい」「こわい」「なんで」としか言えなくなってしまい不思議です。でもずっと言いたかったことをようやく言えた感じがしました。途中何度か何も言えなくなってしまう時もありましたが、ペアの方がやさしく見守っていてくれて、とても心強かったです。

ペアワークをした時、私は毎回先に話す側だったのですが、ペアの方が私の話に涙を流されて不思議でした。
でも交代して相手の方が話されていると、今度は自然と自分も涙が出て止まりませんでした。
話されている事が自分とリンクすることばかりで、まるで私が話している様で泣けてきました。

お二人とも、本当にありがとうございました。
思い出すと今でも涙が出ます。一緒に組むことができて良かったです。

「感情ワークショップ」で一緒だった皆さんにもお会いできたこと、ペアワークで一緒になった方、あの暖かい空間を分かち合ったこと、ひとりじゃないのは、とても心強いのだなあと思いました。
問題と向き合うのは嫌になってしまう事が多いけど、ワークショップに参加したり感想を読んだりして、励みにしていきたいです。

ワークショップ、ありがとうございました。



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T. I. さん(20代/愛媛県よりご参加) おおいぬクラス


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優月さん、クラスの皆さん、こんにちは!
私には、1週間はあっという間に過ぎていきました。
皆さんはどんな1週間でしたか?


今回は2日連続でインナーチャイルド・ワークショップの前・後期日程を受けたので、終わった後は頭痛やだるさがひどくて大変でした。
でも、連続で受けたことで2日目は最初から心を開いた状態だったし、知っている人も結構いたのでリラックスして取り組めました。

後期日程では、「学童前期」、「学童期」、「思春期」がテーマになりました。「思春期」は時間の関係上あまりできなかったけど、今回もたくさんのことを学びました。

3歳を過ぎたこの頃になると、家族以外の人との関係も少しずつ増えてきます。だから、試しに先生や友達に言われて嫌だったことをテーマにしてみました。
でも、確かに「嫌だな~」とは思うもののあまりぴんとこなくて・・・。それでもう一度、母親や家族の事にテーマを戻してみたら、「これだ!」と思うものが見つかりました。


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小さなわたしは乳児期から引き続き「さみしさ」を感じていました。
ちょうど学校に通い始めて、家族以外と過ごす時間も増えてきました。
ただ、両親や祖母は相変わらず仕事が忙しくて…。さらに、3学年上の兄が部活動を始めたことで、独りぼっちで皆が帰ってくるのを待つことになってしまったみたいです。
その時の記憶は今でも鮮明に残っていて、不安で薄暗い何ともいえない感じです。

わたしは皆が大好きでした。
でも、皆忙しくてわたしと一緒にいてくれないこと、わたしの気持ちを受け止めてくれないことにとても傷ついていました。
小さなわたしからの手紙には「大好き」という言葉と、「一緒にいて」という言葉が並んでいました。

それから、午後からのワークで、兄が母親役をすることに対してもいろんな気持ちが出てきました。
わたしは本当はお母さんにお母さん役をしてほしかった。
お兄ちゃんはしっかりしていても、やっぱり子供でお母さんじゃないって思ってた。それなのに、お母さんがお兄ちゃんに私を任せてしまったことが嫌だった。
そのことが今でもずっと心に引っかかっていたみたいです。


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このワークをしたからといって、両親や家族が変わるわけじゃない。
でも、私が自分の気持ちを知ることができて、少しほっとしました。
だから、私が私の気持ちを知っていることはとても大切なことなんだなと思いました。今まで得られなかったものを私がわたしに与えてあげられるように、これからいろいろ試してみようと思います。

最後に今回ペアになってくれたお2人、どうもありがとうございました。
ただ「うん、うん」と聞いてくれたこと、とても嬉しかったです。
私自身もお2人の話を聞いていて、思わず泣いてしまいました。
またどこかでお会いする機会があったら、ぜひ声をかけて下さいね^^



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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) おおいぬクラス


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前日の前期日程に引き続きの参加だったので、私の中では心を開くということがスムーズにできたように感じました。
そして、心を開くということは、こういうことなんだ、こういう感じなんだということが身体をもって分かった気がしました。
相手に心を開いていると体の力が抜けているんです。
でも、ブレーキがかかったりして、ちょっと心が閉じかかるとギュッと体に力が入るんです。特に肩あたりがギューっとなります。

私はずっと肩こりでした。仕事をしていたときは特にひどかったです。
そして、私は自分の気持ちを表現することが苦手です。
だから、たぶん心は閉じっぱなしだったんだと思うんです。そんな状態で社会に出て仕事をしていて・・・たぶん体に力を入れまくって過ごしていたんだろうなあと思いました。
しんどくてつらかったのは当然だなと感じました。


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後期日程では、より多くの人に対しての感情があふれてきました。
そのたびに、いかに自分で自分の気持ちを仕方ないよと流してきたか、見ないふりしてきたか、感じないようにしてきたかがよく分かりました。
そうすることによってしか生きてこられなかった小さな私を見つけられることが出来て、本当に良かった。小さな私の感情に気づくことが出来て本当に良かった。私が小さな私と一緒になれたこと、本当に良かったなと心から思います。
思い切って、追加募集に飛び込んでよかった!!!

藤沢さん、ONSAのスタッフのみなさん、ワークショップを開催してくださりありがとうございました。
貴重な時間を過ごせたことに心から感謝しています。

クラスをご一緒したみなさん、共に貴重な時間を過ごせたこと、とてもうれしく感じています。
パートナーとなり話を聞いてくださった方、本当にありがとうございました。言葉とともに涙があふれ出た時も、言葉が出てこなかった時も、私のことを見ていてくださり、心強かったです。
ありがたかったです。ありがとうございました。

また、帰りの電車でご一緒したみなさん、ありがとうございました。
短い時間でしたが、お話が出来たこととっても嬉しかったです。おかげで迷うことなく駅にもたどり着けました。
またいつかのワークショップでお会いできたらいいなと密かに思っております。
本当にありがとうございました。



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S. M. さん(30代/東京都よりご参加) おおいぬクラス


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今回、2日連続でワークショップに参加して本当によかったと思います。
前日、ワークショップ・クラスに参加していることもあり、ワークに取り組みやすい、心の扉の開きが早い…というか、開いているので仲間に安心してもっともっと話してみよう…自分の気持ちに素直になろう…と、1日目よりずっと速度が速い気がしました。

仲間の方が、怒ってみました…と、やり方をシェアしてくださり私も試してみました。
今、取り組んでいることに今、試すことができる。
これも対面式のよさですね。

「私は怒っている。子どもの私に大人の問題を巻き込んだこと。
最終決定を私にゆだねたこと、それに怒っている。」
沢山の気持ちを相手の方に聞いてもらい、最終的にでてきた私の気持ちは、
「子どもらしく過ごす時期を奪われたことが憎いのです。子どもとして過ごしたかった。」です。

8歳の少女が “憎い” なんて言葉は、まだ知らなかったかもしれません。
だけど、本能でそんな感情を持つことはいけないこと、恐ろしいことだと感じ、子どもなりに自分の気持ちにフタをし、大丈夫なふりをし、一生懸命に生きていたのです。

小さな私は、とっても傷ついている健気な少女でした。
私のことを傷つけた両親を思いやり、そんな感情を持った自分を責めてもいたのでしょう。
事が起こった次の日からも、また何でもなかった頃のように過ごすことは、8歳の少女には、とても辛く苦しい人生だったと思います。
そんな人生を過ごしてきたら、自分の感情が分からなくなってしまっても仕方がない。
そして、そういう原因を作った両親を、私を苦しめたことを、本当に憎い。と、思いました。

その気持ちに気づいても、両親に対するありがたさや感謝する心、親として好きな気持ちもきちんと存在するし、その気持ちも嘘ではないことも分かります。
だから、醜い感情を持っていいし、それを隠したり、大丈夫なふりをしたり、取り繕う必要もない。
どんな汚い言葉を使って表現してもいい。
傷ついた心を私には見せていい。
そして、そのどちらの感情も存在していいし、私はありのままの気持ちを感じていいのだと分かりました。


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小さい頃から結婚には憧れ・・・というか想像する時はいつも自分に与えられなかったことをしよう、子どもにはしてあげよう。と、いつも考えていましたが、世間でいう適齢期を迎える頃になっても一度も結婚したいと思いませんでした。
楽しい時や幸せな時もあるけれど、あのなんとも言えない空気もあるでしょう。
結婚した人たちのいつの間にか消えてしまうお互いを思いやる気持ちを見るたび、自分の好きなことや興味のあることに時間を使っている方がいい。
いつかはする結婚は後でいい。と、思っていました。

ここ数年、結婚して自分の家族が欲しいな・・・と、初めて結婚願望を持ちはじめたけど、現実はなかなかうまくいかず、ぐるぐるの一つでもありました、
親のパートナーの役割の話を聞き、すごく納得してしまい、「あぁ、だからだったんだ・・・」と、すとんと心が落ちました。
私は、両親どちらとものパートナーになっていました。
だから、きちんと「離婚」します。

私は、私のパートナーと結婚したい。
やっと、やっと分かった私の感情を大切にしたい。
これからも、たくさん気づいて大人の私が受け止めてあげようと思います。

優月さん、こいぬ・おおいぬクラスの皆さん、
あたたかい場所をありがとうございました。
自分と真剣に向き合っている姿は、私も皆さんもいつも本当に美しいと感じています。



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J. O. さん(40代以上/東京都よりご参加) おおいぬクラス


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藤沢様 クラスの皆様 お元気ですか?
そして、ありがとうございました。

今回の WS は2日続けて参加されている方が多く(私も連日参加でした。)
2日目の後期日程はあまり緊張せず挑むことができました。

前日のクレンジングリアクションなのか、朝から頭痛と下痢がひどくて。
あまり胃腸に来るタイプではないので、ちょっとびっくりしました。

2日間を振り返ると、じぶんが空っぽになった。という感覚が残っています。
そして、非常につかれました~~

ワークショップ・クラス明けの今週は仕事も忙しく、日曜日までぎっしりで気が遠くなってしまったのと。
月・火・水ぐらいまではなんとなく興奮状態で元気だったのですが、週末になるにつれてだるくて、眠くて、だるくて、眠くて…。
朝も起きられず。
毎日職場からの帰りの電車は座れると爆睡。ぐっすり寝すぎて、どこにいるかわからなくなり、起きたとたんきょろきょろしたり。
かなり挙動不審状態の1週間でした。


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前期日程と後期日程とのことが若干ぐちゃぐちゃになっているのですが、
印象に残った(というか衝撃をうけた)藤沢さんの言葉は
お昼休みの前にみんなに
「いま、心が拓いている状態だけれど、誰もなんにもしないからそのままお昼に言って大丈夫よ」といってくださったとき
そうなの? 大丈夫? 周りにガードしなくて・・ととっさに思ったこと。

ということは、常に自分の周りに色々くっつけていたってことですよね。
いつも一人でいるときは、ぼや~んとしていると思っていたけれど、そうじゃなかったんだ! と。そのお言葉のおかげで、そのお昼休みは気分的に安心して過ごした記憶があります。


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もう一つは、みんなでペアワークをしていて、
「感情を伝えて。言い訳や説明はいいから」と何度もおっしゃっていたこと。
そう、言い訳しちゃうんですよ。
気持ちを言う前に色々と、そんなこと言っちゃいけないのでは~こんなこと感じたら贅沢なんじゃないの?? とぐるぐるして、自分にもペアワークのお相手にも言い訳や説明を。

実際、自分が感じたことが全てなんだ。それが、たとえ世間の常識と異なっていても。
それこそを、拾わなくてはいけないんだ。ということがつかめたような感じがしました。
自分の気持ちが一番大切と言う事実がやっと腑に落ちた気がします。
『未来日記』を書くときも、言い訳もうしません。


まだまだ色々私の中にはありそうだ。と感じてます。
感じていた感情を表に出し、認識してという作業はまだまだこれからも続きそうです。

今回、一緒に参加されていた方々の存在が非常に心強く、またありがたく感じられました。
暖かい気持ちが帰りの電車でふつふつと出てきたのです。
「感情ワークショップ」でご一緒した皆さんにお会いできたのもすごく嬉しかった!

ひとりひとりは存在している場所も違うし、進み方も違う。
でも、みんなで一緒に歩いているんだ。「ひとりじゃないよ」って本当だと。

藤沢様、皆様 これからもよろしくお願いいたします。
きっと、またどこかでお会いすることがあるかもしれません。
その時まで、お元気でいてください。



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K. M. さん(30代/東京都よりご参加) おおいぬクラス


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前期に続いての参加だったので、ワークショップ・クラスの2日間は、自分の人生を歩き直しているような不思議な感覚でした。
ワークショップ・クラス後はクレンジングリアクションで、心の中が洗濯機のようにぐるぐるとしてとても疲れた一週間でした。
そんな中 Blog を通じてタイミングよく届けられる優月さんのメッセージにとても助けられました。

この時期は記憶もあり、自分では強く乗り越えた時期で大丈夫だと思っていましたが、ワークで出会った小さな私は全然大丈夫なんかではありませんでした。
以前他のワークショップで自分の繰返しパターンに気づいたのですが、よりシリアスなパターンに気づくことができました。
ワークが終わった後は、自分の中の小さな私が子供に帰れて喜んでいるように感じました。
あぁそっか、ごめんね…あなたはその時期には本当は子供だったんだよね、当たり前だよね、そう思いました。

ワークショップで学んだ中で、私には与えられていない物があまりにたくさんあった事を知りました。
根気強く、大人の私が温かい「しつけ」をしなおさなければなりませんね。


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この一週間は小さい頃に本当は好きだった事が少しずつあふれてきました。
今までの習慣は根強く染み付いていると思いますが、変えたいと強く思います。
そして心配していたことでしたが、正しい知識を得て再訓練を受けた後にも周囲への感謝が残っていた事は救いでした。

遅かったかもしれないけど、今参加できて良かったと思います。
優月さん、OFFICE ONSAの皆さま、ありがとうございました。
そしてご一緒させていただいた皆さま、ありがとうございます。本当にお疲れ様でした。



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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) おおいぬクラス


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前日に引き続いての参加でした。
前日の繰り返しのお話がありましたが、より自分に染み込むような感じがして良かったです。

これまでに参加したワークショップでは、ご一緒した方々が、それぞれのいろいろな壁に向かっているんだなあ、と思っていましたが、今回は、ペアを組んだ方のお話が、どの方もあまりにも自分の境遇と似ていて、驚くほどでした。
似た環境に育って、成長して、それぞれの壁にぶち当たるけれど、問題の根は同じ、ということなんですね。

私は Web. WORKSHOP を受けているのですが、対面式が「大きな一歩」になる、というのがよくわかりました。

私の5歳のインナーチャイルドは、私の膝の上で、私を見上げてニコニコしていました。
小学生のインナーチャイルドは、鉄棒につかまりながら、期待の眼差しで私を見つめていました。
これから、癒していけたら・・・と思います。



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M. T. さん(30代/東京都よりご参加) おおいぬクラス


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優月さん、クラスの皆さん、お疲れ様でした。
ワークショップ参加後は、眠気が強く、また毎日のように色つきの夢を見ています。
そのためかわかりませんが、朝からぐったりなことが多いです。


前期を受けた翌日は、けだるく、ぼんやりしたままのスタートでした。言葉では表現しがたいだるさでした。
後期のワークで、自分が過呼吸みたいになるなんて想像もしていませんでした。3-6歳のワークで気づいたこと、それはめちゃめちゃ苦しんでいるということでした。

嗚咽とも言える感じ、吐き気、呼吸の速さ、咳き込み…自分の身体の正直な変化に、かなりびっくりしました。
その後は、放心状態でした。
これまで感じることができなかった苦しみを、身体は真っ先に感じとったんだと思いました。

その後行った瞑想で伝えてあげた時、3-6歳の私は驚いていました。
”私、思うままに感じていいの?” って。

頭ではこんなこと当然のこととして思ってきましたが、傷ついた小さな私にはそれが許されていなかったことに、生まれて初めて気づいた。
思考と心に矛盾を抱えたまま、これまで生きてきたんだと…。

6歳-13歳の私も、言いたいことを言ってはいけないことに苦しんでた。
ひとりで抱えていて、誰も気づいてくれないことに傷ついていた。


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ワークショップ・クラス後から、抱えてきた事の重大さ、ぼわーっと感じ始めた。
3-6歳の性に関する大事な時期だったのに、子供の単なる興味にすぎなかったであろうことを、母から全否定された・・・と感じていて、このときのことが、今の私にも影響しているというか、支配しているんだと、気づいた。
私は追い詰められていたのだと・・・。
だから、ワーク中に自分が発した ”自分は欠陥品” という思いもよらなかった言葉に、納得がいくというか、自分のこと無意識下ではそんなふうに思っていたんだと、初めて言葉にして気づかされた。
(そんな言葉が出てくるなんて、思ってもみなかった)


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あとは、両親への怒り…。
一度、出だすと止めどなく溢れてくる。ノートに書き付けていると、そのうち怒りと悲しみが混在しだして…胸のあたりが息苦しくなってくる。
そうかと思うと、別の日には…
自分にとてつもないことが起きていたのに、感情にパタン…って蓋を閉めてしまってる?
何もなかったかのようにしてない?、無意識下で…って思ったり。

そうやって苦しいことから身を守ってきたパターンなのかな、つまりはそれくらい今回のワークショップで気づいた苦しみは大きく、悪しき習慣を頼らざるを得ないくらい、深く重いものなのかな・・・と思った。


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行ったり来たりをしている毎日です。
自分の身に起きていた家族問題の根深さ、重大さをぼんやりと認め始めているんだと思う。
こんなにも大変なことが自分に起こっていたなんて、最初、全く思わなかった。自分の家族は至って問題ないし…と思ってたけど。

BODY メンテナンスに行き始めたのですが、前回、トレーナーの方からも衝撃のことを言われてしまいました。
本来なら腰痛を感じてもおかしくない状態なのに、私の身体は痛みを感じなかったんです。
「まれに、いるんですよね。これ、けっこう重症なんですよ」と。
あぁー…心もそうだけど、身体まで痛みを感じなくなっていたことにショックでした。
そんなことないと思ってたから、身体は痛ければ痛みを感じるでしょって。
まさか、自分に…。


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ぐるぐる、行ったり来たりですが、
少しずつ感じることを大切に毎日を過ごしていきたいです。

ペアを組んで下さったお二人、クラスの皆さん、優月さん
みなさんのおかげで気づくことができました。
本当にありがとうございました。



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Y. I. さん(20代/神奈川県よりご参加) おおいぬクラス


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優月さん、おおいぬクラスのみなさん。あれからいかがお過ごしでしょうか。

私は前期日程・後期日程とも参加となったため、ワークショップ・クラス全てが終わった次の日は目覚めると「か、体が動かない……」という感じでした。
後期日程は飛び入り参加だったため、翌日早めに起きてプレワークに手をつけ、電車のなかでこっそり書いたり会場に着くギリギリまでやっていました。
前期日程が終わった後、帰り道はとてもイライラしていて、私は自分の中に怒りを溜めていることを感じました。

私は、自分の事で悲しんで泣いたり、泣き言を言ったりはするけれど、怒りを「私は怒ってるな」と意識して感じたり、ましてやそれを表現するなんてことは今まで殆どしたことが無いのではないかと思いました。
怒りなどの感情は表に出さないと消化されないらしい。とすれば今までの人生分の怒りは一体どこへ??
私が後期日程で「怒ってみたらどうなるだろう」と思ったきっかけでした。


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二日目は昨日の疲れもあってか、仕組みを学んでいる最中にすでにぐったりしていましたが、ワークは何とかこなせたと思います。
一組目の方とのやり取りで、自分の中で少し強めの感情で話してみて「自分が望むことに近いかもしれない」と感じました。

ワークの最後の方で優月さんに「怒ってみたいですか?」と聞かれ、見てもらいながら、やっと胸の底から感情を出すことができました。
練習したらできるのよ、と言われて涙が出ました。

それまではずっと母に対して怒りを訴えていたのですが、この時初めて父に対して怒りを表現できました。
本当に私を見捨てていたのは、父でした。
色んなものに紛れて上手く隠れていてずっと気づけなかった。
今はとても腹が立っています。

一体、今までどこにいたの!?
どうして私たちと向き合ってくれなかったの!?
私と母はずっと辛い思いをしてたのに!!

怒ることに慣れてないせいか、心の中を出し切れなくて、最後はすごくすごく辛かったです。

そして私の中で、私と母は今でも一心同体でいることにも気づきました。
今でも、色んなことを2人で乗り越えているのだという気持ちがあります。
きっとそれを今でも不健康な形で続けているのかもしれません。


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この二日間で本当にいろんな事に気づけたと思います。
私は「リラックスして」と言われても、ワークショップ・クラス中でも無意識に「しっかりしなきゃ」と感じている事。

あと、後期日程では「セルフトークをどかしてあげる」ということも意識してみました。
前期日程でワークが上手くいかなくてセルフトークが渦巻いていたので、後期日程は習ったとおりセルフトークが浮かんできたらどかしてあげる、ということを繰り返していました。

ワイパーで水滴を弾くイメージで、出てきたらどかす……を繰り返していたので、その日は心がすごく楽でした。
ワークショップ・クラスが終わった時、正直「長い時間かかって、お金払って、やっと怒れたってどんだけなの??」と感じました。
多分、それほど重症であることも気づいてきました。


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今回のインナーチャイルド・ワークショップに出て良かったなと思うことは、自分の中で次にやることの目標がちゃんと立てられたこと。
前までは「とにかく回復するために手当たり次第」という気持ちが強かったです。
でも自分で「次はこれだな」と決めれたのはとても大きいです。

あと、回を重ねるたびに問題だらけな自分に気づかされるのですが、それでもワークショップを「楽しい」と思ってるのもいい事だと感じています。
自分の事がわかると安心します。

また、自分の力で続けてきたことで見えなかったものが見える時、スッキリというかとても清々しいと感ることができます。
「こんなの今まで感じたこと無かったな~」と思います。

後期日程でペアを組んだお二人の方へ、お互い色々なものを出しあった貴重な体験を共有で来たことに感謝します。
一組目の方、前のワークショップでも一緒だったこともあり私自身、とても気を楽にして話すことができました。
帰りの電車でも少しお話できて良かったです。ありがとうございました。

二組目の方、本人には直接伝えられなかったのですが、私も地方出身なので方言を聞くと安心します(笑)。
最後の方、私のたどたどしい怒りに付き合って頂いてありがとうございました。


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そして優月さん。
後期日程は出席できたこととても良かったと感じています。ありがとうございます。

おおいぬクラスの皆さん、本原さん、ONSA運営チームの方々。
本当にありがとうございました。



PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2013.06月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」むすかりクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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N. H. さん(東京都よりご参加) むすかりクラス




4月に受講した「インナーチャイルド・ワークショップ」の前期クラスに引き続き、参加しました。
前期クラスで取り扱う時期より、もっと記憶がはっきりしてきている時期のことを対象にしており、また私自身が抱えている問題のルーツが凝縮されている時期でもあるため、満を持しての参加となりました。

ワークショップ・クラス参加に先立ち、すでにお世話になっているカウンセリングやセラピーの場で、既にこの時期のことを話したり癒したりということをしていたのですが、やはり自分が思っている以上に心にひっかかっていることがたくさんあるという事実を改めて実感しました。


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私がずっと抱えてきた両親への思いを語る上でのキーワードは
「噛み合わない」
でした。
ただ、何がどう噛み合わないのか、ということはなかなか自分でも説明がつかず、ぼんやりした重たい気持ちだけが蓄積されてきました。

子供のころから、立派な大人になったつい最近まで、両親は
「良かれと思って」
とか
「私たちは親なんだから、あなたは子供なんだから」
といいながらいろんなものを与えてきてくれたけれど、それって全然私が求めているものではなかった。

だけど、小さな私はそれをひたすら受け取り続けるしかなかった。
受け取らないことはわがままなことだし、許されないことだと思い込んでいたから。

実際に私が、親に与えられたものを拒絶しようとすれば、叱責されたり、見捨てるそぶりをして脅されてきたんだった。
だからいつしか、受け取りたくないな、本当はそれじゃないのにな、と思うことにすら罪悪感を感じるようになってきました。


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ワークで、子供時代に抱えてた理不尽な思いを吐き出していくにつれて、親が私に与えたものを素直に受け取らざるを得ない状況というのは、すなわち、私が感じる
「要る・要らない」
「ほしい・ほしくない」
「好き・嫌い」
を封じてこなくてはいけなかったということなんだと、はっきり体感しました。

本当はこう思っていた、こうしたかった、という思いにきちんと向き合い、そして自分で受け止めるという体験をしたことで、ほんの一歩、だけど絶対に必要な大切な一歩を進めた気がします。
この一歩の先には、私の中にある大切な自分自身という存在があるのだと思います。

今、私が一番苦しんでいる、
「自分の感覚を信用できない」
という大きな問題のルーツに光を当てることができたな、と思っています。


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午前・午後ともに、藤沢さんが一緒にワークを行うペアを作ってくださったのですが、いずれでお世話になった方々のお話しをうかがっても、自分の身にも心あたりのあることがあり、とても共感して一緒に泣いてしまいました。

でも、こうしてペアになってくださった方々のお話しを伺って泣かせてもらうというのも、クラスの大事な約束である
「心を開く」
「裁かない」
の実践だったのかなと思います。

ペアを組んでくださったお二人には心から感謝しています。
話してくださっている方のお話しに集中することで、次第に私の心も柔らかくなり、今、そこにいる自分自身が感じていることに集中することができました。


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また、前日に参加していた「感情ワークショップ」のクラスの時と同様、過去のことや未来のことが頭の中を駆け巡り、
「何でも頭で整理しようとする」
「頭で理解できたことを答えにしようとする」
という悪い癖が何度か顔を出しましたが、今に集中、その瞬間、瞬間に集中、ということを常に意識しました。

今、その時にできる精いっぱいのことをしていけば、過去にとらわれている自分や、未来に起こる何かに対してきちんと答えを出せるはずだと、自分を信じることができた時間だったと思います。


多分、これから先の道はまだまだ長いと思います。
いつになったら解放されるんだろうという気持ちも正直あります。
だけど、結局、未来は今の積み重ね。
今がなかったら未来もない。

まだやってきていない未来についてあれこれ思ったり心配するよりも、未来を作る今を大切にすることが大事なんですよね。

クラスで「今に集中」と実践したことを思い出し、日常生活においても、どんなに小さなことでも自分の感覚を信じる練習だと思って、大切に向き合っていきたいと思います。


藤沢さん、スタッフの皆様、そしてご一緒させていただいた皆様、お会いできてとても光栄でした。
本当にどうもありがとうございました。



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M. S. さん(30代/神奈川県よりご参加) むすかりクラス




ワークショップ・クラスを受け、
「なぜ、自分がなにをするにもこんなに自信がもてないのか」
「なぜ、心を許せる人間関係を心底望んでいるのに、人間が怖いのか」
「なにも悪いことや気に障るようなことしているわけじゃないのに、自分はいつか嫌われたり飽きられたりして、本当に困っている時に助けてくれる人がほんの少ししかいない気がして、生きるのが不安になるのか」
以前よりわかった気がしました。


私は安心して甘えたり、自分が感じるままに感じて、それを表現することができない家庭に育ちました。
ご飯がもらえなかったり、体罰があったりしたわけではないのですが、家族や親の手に余るような行動をすると、家の雰囲気が悪くなったりしたのです。
雰囲気が悪いままだとイヤなので、私は雰囲気が悪くならないように、子供の頭で考えた範囲で家族がニコニコしていられるように振る舞いました。

家族がニコニコしていられる範囲で、自分が好きなことをしました。
また、私の祖母は本人のいないところで私の母や私の弟への不満を漏らしていました。

私は、大事な家族の悪口(多分言った本人は悪口とは思っていないのだろうけど)を聞いたのは子供心にショックだったし、祖母や曽祖母の気に入らないことすると、いつのまにか相手にしてもらえなくなって、

「美味しいご飯を作ってもらうことも、人形を買ってもらうことも、もしかしたらできなくなってしまうのかもしれない」

「もしかしたら、一緒にいてもあんまり楽しくないおじいちゃんのところに行っていなさいと、厄介払いされるかもしれない」

と、イヤな気持ちになったことなど色々思い出しました。


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私の家族問題は、とても自分で気づきにくかったです。
私に対して直接、体罰などがなかったし、欲しいものを買ってもらった記憶もあったので、可愛がってもらったし、欲求も満たされていると思っていました。

このワークショップを経て、自分のなかから勝手に湧き上がってくるネガティブ思考の原因が何なのか、核心に迫れてよかったなと思っています。


30年以上、自分の本音を自分で聞いてこなかったせいか、自分がどういう人間か全然わからなくなってしまいました。
自分がやりたいことや好きなことって本当にあるのか、もし、もう何かを好きになるという気持ちが自分には無くなっちゃってたらどうしようとか、大人の私は自分のインナーチャイルドをちゃんと助けてあげられたのかなとか、色々心配なこともあります。

でも、人生をリセットしたり、巻き戻したりはできない。
今までは、その年齢での幸せっていうものを味わうことができなかったけど、これからは 33歳の人間には 33歳での幸せの形があるはずだから、過去に振り回されないで年相応の幸せをかみしめて生きて行きたい。
本当に、早くそうなりたいと思っています。


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最後に、一緒にペアを組んでくださった方をはじめ、クラスでご一緒した皆様、ありがとうございました。
特に一緒にペアを組んでくださったお二人は、こんなに優しい雰囲気の美人さんが、こんなに可愛らしい人懐っこい感じの方がどんな悩みを抱えているのか不思議に思っていたのですが、お話を聞いているうちに涙が止まらなくなってしまいました。

人にどう思われるか、嫌われたらイヤだなという不安でいっぱいの感情とサヨナラして、ワークショップで会ったような素敵な人と沢山お友達になりたいなと思います。



タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) むすかりクラス




優月さん、ONSA スタッフの皆さん、一緒に参加した皆さん、本当にありがとうございました。

実は、子供の頃の記憶があまりない割に、これまでこの WORKSHOP を受けようと思っていませんでした。
インナーチャイルドは本で読んだし、「TAT セッション」と「TAT セッション セルフセッション」も受けて色々と切り離したから、これ以上 WORKSHOP を受けるのは依存なのでは? とどこかで思っていたかもしれません。

優月さんのメッセージや皆さんの PAY FORWARD を読む内に、最近になって何だか気になり、直前まで受けていた Web. WORKSHOP でも子供の頃のことを幾つか思い出し、小さい私の無意識下の記憶が引っかかってくるようになりました。
そして、追加申込みのタイミングで私のスケジュールがパタパタと変わったことで、偶然 WORKSHOP の日程がぱかっと空き、何かに背中を押されるように今回の参加を決めました。


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慌しくプレワークに向き合いながら、過去に受けた傷の数々を事細かに客観的に眺めることができました。
中学生の頃襲われたことも初めて書きました。
自分ではたいしたことじゃないとフタをしていたけど、それに深く傷ついていたことも。

当日、優月さんから
「大変な中を生き延びてきたでしょ?」
と言われて、
「あ、やっぱり私大変だったんだ」
と改めて思いました。

いつも
「私より大変な人はいっぱいいるから」
と思ってしまう。
そんな風に比べる必要はなくて、私も大変だったんだよね。

ずっとずっと自分の状況や感情に気付かず、他者から指摘されて始めて気付くことが多かった。
私がどう思ってるかなんて言っちゃいけないし、知られちゃいけない。
だから、自分の感情を口にするのを避けてきた。
そしたら自分でも、自分の気持ちが分からなくなってしまった。

でも、本当は伝えてよかったんだ。
私は私が感じるままでいいんだ。
私は私のままで、十二分に価値ある存在なんだ。
そんなことが心の中に染みわたっていく気がしました。 


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セッションでは、胸のモヤモヤを吐き出す方法が分からなくて、最初はきれいな言葉しか出てこなかったけれど、優月さんに助けてもらいながら徐々に出すことが出来ました。
ペアとなった方に一生懸命聴いてもらったことにも助けられました。

私はちゃんと吐き出せたのかな? と不安に思いながらも、心の中がすっきりしているのがすぐに分かりました。
重石が取れたような、嫌などろどろしたものが洗い流されたような感じ。
胸のつかえがすっきりして、そこにあったものがなくなって、広々とした空間が広がっているような感覚です。

ぽっかりと空いたスペースに、またどこからか古い辛い記憶を引っ張り出してきて隙間を埋めるのではなく、そこにじんわりと光るような穏やかで温かな幸せを浮かべたいと思いました。

今週は、いつも以上に強力なクレンジング・リアクションと共に、自分の中が静かに明らかに変わっていることをじわじわ感じています。


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当日は慌しく退出することとなり、申し訳ありません。
空港に向かう電車の中で、WORKSHOP CLASS ラストに皆さんと手を繋いでいる様子を思い浮かべながら帰途につきました。

ペアとなった方に十分お礼も言えずに出たことが心残りでした。
お互いの痛みを分かち合い、背中をさすってあげたいような気持ちになりました。
一生懸命生きてきた人がここにいる。
そう思えることが本当に心強いです。
ありがとうございました。

仕事の合間に寄ったカフェで『未来日記』を書きながら、窓から見える緑と真っ青な空に刷毛でさっと描いたような白い雲のコントラストが美しくて、幸せな気持ちが広がりました。
そんな毎日を過ごしながら、参加した皆さんも同じような気持ちを感じているといいなと思っています。


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WORKSHOP CLASS 前日、首都圏に住む弟二人と中華街にご飯を食べに行きました。
三人で会うのは久しぶりで、美味しいものを食べて、ささやかなお土産を交換し合って、いっぱい笑ってとても楽しかった。

大変な両親の元で育ってきたけれど、弟達も必死で生き延びてきたんだね。
みんなどれだけの努力と我慢をして生き延びてきたんだろう。
大変な家族だったけど、こうして仲良く思い遣れる兄弟がいる。

私は一人じゃないと温かな気持ちになりました。
そんなこともおまけで付いてきた WORKSHOP CLASS でした。


最後に、小さな私と子供の私へ。
今まで本当にありがとう。
ずっと暗い闇の中に置き去りにしていてごめんね。
あなたを迎えに行くことはとても怖かったけど、それはパンドラの箱を開けることとは違ってた。

もう目を逸らさずに癒してあげるから。
いつまでも一緒に手をつないで歩いていこうね。



タイトルはじまり目印

N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) むすかりクラス




むすかりクラスのみなさん、優月さん。
お世話になりありがとうございました。


率直な感想は、疲れました。
普段の生活で私は、感情をほぼ 100%抑えています。
だから人には言えない悩みや感情をぶつける事で疲れと同時に、爽快な気分にもなりました。

本当によく泣きました。
駄々をこねた子供のように泣きじゃくったのは、小学生以来です。

優月さんが
「大変な家庭状況の中、みんなよく頑張ってきたね」
というような言葉を話されていた時に、私は涙が溢れました。

お姉ちゃんとしてよく我慢したね、私。
子供らしくいられなかった子供時代の私の苦しみ。
そんな思いがこみ上げてきて泣けてきました。


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私は弟と妹がいます。
家族の中では、「お姉ちゃん」という役割を与えられ、子供の頃から完璧なお姉ちゃんにならなきゃいけないというプレッシャーに押し潰されそうでした。
自分に自信をつけるためには、完璧な自分でいるように努力する方法しか知りませんでした。

子供の時から努力だけが、私を守ってくれると信じて、本当によく勉強も頑張ったと思います。
お手伝いも頑張りました。
運動会やマラソン大会、水泳大会のような、人と競争する場面ではいつもどんな時も一位を目指して頑張りました。
一位になると、母も祖父母も手ばなしで喜んでくれたから頑張りました。

家族を喜ばせる事に、子供時代の時間を費やし、本当に私には子供として無邪気にしていた時期は3才まででした。

なぜなら弟が生まれたからです。
弟の誕生が、私の中の最大の恐怖でした。
だから弟が生まれたから病院で、弟なんていらない、妹が欲しいと泣き叫ぶという記憶が今もはっきりと覚えているからです。

弟に、両親の私への関心を持っていかれるのが悔しかった。
弟という存在が憎かった。
邪魔だった。

色白の女の子みたいと、母から可愛がられた弟が羨ましかった。
弟は遊んでいても怒られないのに、私は手伝いをさせられた。
女の子だから、当然と言われた。

女って損な生き物だなと思った。
男に生まれたかった。
そうすれば、遊んでいても怒られなから。

お姉ちゃんってつくづく損な役回りだと思っていました。
お姉ちゃんなんだから、弟に譲りなさい。


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良い結果にならなかった時や、失敗して転んでしまった時には、自分はなんてダメな人間なんだろうって、とことんいじめ抜きました。

私は小学生の時にいじめらました。

他人にもいじめられたけど、自分でもいじめていたんだと思います。

せめて自分の味方になってあげられる術を幼い私が持っていたら、違った人生になってと思います。

好かれるために必死だった私のコレまでの人生。
今も好かれたいと想うのは、ここにルーツあると思います。


一緒にパートナーを組んで一生懸命話を聴いてくださった方々に、お礼を言いたいと思います。
ありがとうございました。

そして、帰り際に私に声をかけてくださったEさん。
私の Web. WORKSHOP での自分褒めを良かったと感想を述べてくれてありがとう。
私は素直に嬉しかったです。
また何かの機会でご一緒出来たら、嬉しいです。

今週はクレンジング・リアクションが、一週間後の今の日曜日がしんどかったです。
今日は眠っても眠っても眠かったです。

アフターワークをしっかり仕上げて締めくくりたいと思います。



タイトルはじまり目印

A. I. さん(20代/茨城県よりご参加) むすかりクラス




前期日程に引き続き、後期も参加させて頂きました。
どうしようか迷ったけど、参加して本当に良かった。


からだの反応としては、前半が終わってからずっと頭痛がしていて、ワーク直後はなぜか両方の大腿四頭筋が筋痛になっていた。
からだがほてっていて、帰りの電車では凄く眠かった。

そして電車に乗ってる沢山の人が嫌だった。
何故か「私を1人にして」という気持ちが強かったので、初めてグリーン車で帰宅しました。

次の次の日は仕事で、その時患者さんが赤ちゃんを連れてきました。
いつもならその子が泣きわめいても可愛いな~と思いつつあやしてたけど、なぜかその日はそんな気分になれず、私もつられて悲しくなって泣きそうになってしまった。


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ワークで、傷付いて冷凍保存されていた幼稚園~小学生の頃の私を解凍してみると、そこには泣き叫びたくなる程の怒りが封じこまれていた。

今までの私は、父から受けた心身の虐待と、その時の私の感情を必死に忘れようとしていた。
父を許し、必死に仲良くしてた。
もし父を傷付けてしまうような事があれば、確実に私が悪者になってしまうから。

19歳の時、過呼吸になりながら父に今までの思いをぶつけた時も、その後物凄い罪悪感に見舞われ苦しんだ。
なんで父にあんな事を言ってしまったんだろう、傷付けてしまったんだろう、と。

次の日、父から手紙が来た。
謝罪の内容だった。
その文面から、父は傷付いた事が明らかだった。

私は罪悪感で苦しくて苦しくて、思い出しては泣いた。
私はそんなつもり傷付けるつもりは無かったのに、私はなんて親不孝なんだろう、と。
自分を親不孝だと思いたくなかった。

「昔辛く当たられたから父が嫌いだ」
なんて、そんな事言う人は未熟だと思ってた。
育ててくれた親に対して大キライだなんて、バチ当たりだから思ってはいけないとも。

そしてなにより、親孝行がしたいのに、昔された事を今だにネチネチと根に持って思い出してしまう自分が大嫌いだった。
嫌いで嫌いでたまらなかった。
親を恨むなんてことをしたら不道徳だ、だからそんな事はあってはいけない、と思ってた。
全部、未熟な私が悪いと思ってた。
すごーく苦しかった。

だからなのか、私は親孝行に必死だった。
過去を埋め合わせるために、私が 20歳の誕生日の時は両親に「産み育ててくれてありがとう」という感謝の手紙と共にダイソンを贈ったり、初任給では両親に温泉旅行をプレゼントしたり。

母の日はもちろん、父の日のメールも欠かさなかった。
気は進まなかったが、父と2人で祖母の家に行くプチ旅行も断らなかった。

良い娘でいたかった。
昔傷付けてしまった傷は埋めたつもりだった。
父と仲良くなれたと思っていたし、父を好きだと思っていた。


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でも違ったみたい。
優月さんが
「胸につかえてること言っていいんだよ」
と言ってくださったとき、子供の私は
「お父さんなんて大嫌いなんだよ」
と驚く程素直にハッキリ言った。

私が今まで必死に築いてきた父とのなにかが、壊れるというよりスッと消えたような気がした。
しかし、それがなんだかしっくりときてしまった。

あとはもう怒りが収まらなかった。
多分、もう少し時間があったら死ねと叫んでいたと思う……。

19歳のときにもらった手紙だって、父は謝ってなんかいない。
内容をよーく吟味したら、ただの言い訳だった。
自己正当化するための言い訳。良い父親としてのメンツを守るための言い訳。

そこには、私の気持ちを配慮した言葉なんてなかった。
まるで私が悪者。
言い訳だらけで、必要以上に感情的になって被害者ぶって、まるで父親の気持ちを配慮しなかった私が悪いみたいになってた。

散々被害者ぶって、挙げ句の果て文末には
「死ぬまで許してもらえないかもしれないけど」
とか話を大きくして。
本当むかつく。
殺してやりたい。

やっぱり、いつだってお前は私より自分が1番大切なんだと再確認してしまった。
でも、それは手紙をもらって読んだ時点で分かっていたはず。

でもその時は素直に
「私はやっぱり父を傷付けてしまったんだ。こんな手紙を父に書かせてしまった私ってなんて親不孝なんだろう。こんなことになるなら言わなければ良かった。」
と思ってしまった。

物凄く自分を責めていた。
これじゃあ、まるで父の思惑通りだ。


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でも、父へ抱く私の主観に罪悪感を感じなくてもいいとやっと理解できた今は、父を冷静に見ている自分がいる。

結局、父が大切にして守りたいのは、私自体ではなく、良い家族を作り良い父親をしている自分なんだな、と気付いた。
だから父にとって、そこに他者(母・私・妹2人)の意見は必要ないし、関係なかった。
しかし、父はそれを自覚していない。

父が考える「良い家族像」が全て正しくて、それにそぐわないものは許さない。
だから家庭には、常に逆らえない無言の圧が存在した。

そして、みごとに私は
「家族は、父と子は仲良しでなければいけない。」
という父が作った呪縛にとらわれていた。

父が理想とする家族像に反してはいけない、という無言で絶対的な圧が、うちには確かにあったことに気が付いた。
その事実に、私はやっと気付く事ができた。
今まで何年も家族をやってて気付かなかったことに、少し衝撃をうけた。
私は私の想像以上に、父に支配されていた。


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昔、父は私が免許を取りたてで早速1人で運転しに行こうとした時、父は怒った。
どうやら私の初乗りの時は、隣で運転を指導したいらしかった。
私は指導して欲しいなんて一度も言ってないのに。

父は、父(私からすると祖父)が自分にしてくれたことを全部私にもしたいらしかった。
でも、私はそんなこと望んでなかったし、早く運転したかったから「別にいいよ」と言った。
そしたら、父は必要以上にキレて散々私を罵った。

要するに父は、自分の思い通りにならないとすぐこうなるのだ。
昔と全然変わってない。
父にとって、私の意見なんて関係ない。
良い父親で居たいんだろうけど、残念ながら私は全然そう思わない。
つまり、それが父の自己満足でしかないってことになるが、父は気付いていない。

私が父の自己満足に付き合ってあげてるってことさえ、気付いていなかったろうね。
全部自分が正しいって思ってるんだから、今も昔も。


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なんだかワークショップ・クラス後は、父への怒り、傍観者だった妹への怒りが収まらなかった。
特に父が許せなくて許せなくて、気持ち悪い。

お母さんに対する怒りはない。
お母さんはあくまでも健康な失敗を繰り返しながら、私の子育てを頑張ってた。
それは分かる。

でも父は違う。
明らかに不健康な間違い方だった。

今考えると、昨日までの私は本当に偉かったと思う。
父と仲良くしようと頑張ってた。

でも、今は気持ち悪い。
家族、家族、とこだわっている父を見ると気持ち悪い。

そこまでして作りたかった仲良し家族の一員である私に、ではなぜあんな態度を取れるわけ? 謎。
それとも、私は家族の一員として数えられてない?

自分が怒鳴り散らしたい時は怒鳴り散らすけど、仲良し家族を作りたいから次の日は問答無用で何事もなかったように笑顔でいろ、って、どんだけ自己中心的なんだろう。
愕然とした。

あれだけ幼い私に
「お前はいつも自分のことしか考えていない」
と言っておきながら、いつも自分の事しか考えてないのは父の方じゃないか。
父以外は、父の圧力によって父の自己満足に付き合ってたんだ。

今考えると吐き気がする。
気持ち悪い。

父と一緒に居たくない時の方が多かったと思う。
でも、そんな自分の気持ちに気付いてしまったら終わりだと思って、私は必死に気付かないフリをしていた。


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今まで好きになった人も今付き合っている人も、全員、父とは正反対。
優しくて、私を否定せずにこにこ受け入れてくれる人。

私の人生には、父に全否定をされて受け入れてもらえなかった事や言われた事、心身共に虐待された事が絶大な影響を受けている。
うすうす感づいてはいたが、今回で完全に分かってしまった。

ちゃんと、今につながってる。
正直今だにどう接したら良いか分からない。
というか最近、分からなくなってしまった。

でも、優月さんが
「もう成人した大人同士だから、線を引いても良い」
「付き合いたくない人とは、嫌いな人とは、付き合わなくてもいい。選んでいい」
とおっしゃるのを聞いて、私は心につかえているものが少しほぐれた気がしました。

主観を大切にしても良いんだ、ということ、頭では分かっていても、実際はとても難しかった。
出来ていたつもりだったけど、全然出来てなかったんだなってことが分かった。

父が嫌いだ、と、ワーク中ではあんなにハッキリ言えたのに、いざ父を前にすると、やはりまだ少し罪悪感を感じてしまう自分も居る。
でも、前回よりは自分の主観を大切にしても良いんだということが、身を持って理解出来ているから、私はこの調子で焦らず、すぐ出来ないからって自分を裁かずに、問題を解決していきたいと思います。


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「インナーチャイルド・ワークショップ」で、私と似ている方々にお会い出来て共感し合えたこと、大きな励みになりました。
前期・後期共に私とペアだった方、本当にありがとうございました。

優月さんに最後「私と似ているね」と言って頂けた時、とても嬉しかったです。
私と似ている優月さんが問題を解決できてキラキラしてるんだから、私もいつか絶対に解決できるに違いないと思う事ができました。

私はこれからも頑張っていきます。
本当にありがとうございました。



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H. E. さん(30代/愛知県よりご参加) むすかりクラス




むすかりクラスのみなさま、先週はおつかれさまでした。
楽しかったし、それぞれ真剣でとても豊かな時間で、本当に心地いい空間だった~と思い返して、シミジミほっこりとしています。

それから、少し、懐かしいような気もします。
全然気がついていなかったけれど、私がほしいあたたかい居場所って、みんなの輪の中にもあったんだなって、どうして懐かしいような気がするんだろう? と考えてみたら、そう思いました。

大切な時間をご一緒できて、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。

優月さんにも、ONSA スタッフさんにも、今回もとてもお世話になりました。
いつも、本当に、本当にありがとうございます。


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私は「Web. WORKSHOP コース2/STEP.1」が終わった直後の参加でした。
コースのおかげで、過去の時間に巻き込まれたままじゃ、やばい、私がほしい未来は無いわ! と確信できて、自助グループにも足を運んで、カウンセリングもお時間を予約して、そして「インナーチャイルド・ワークショップ」にも参加を決めました。

……にも関わらず、モシモシ? 私のあの確信はどこへ…? という感じで、1週間フラフラ~としていました。

「私、何でこんなに必死になってるんだっけ?」
「私には大きな問題なんて無いのに、いったい何してるんだろう?」
と、何度も何度もそんなことばっかり考えて、不安でいっぱいで、えーん、こんなクレンジング・リアクションもありなの? という気持ちでした。


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忘れないために、迷子にならないために、書いておきたいです。

私がほしい、叶えたい夢のひとつは、あたたかい居場所をつくることです。
私が私でいてもいい、そういう私の居場所。
仕事と家族という場で叶えたいと思っていたけれど、居場所を感じるのが私であるなら、まず、私の中に私のあたたかい居場所を作れたら、それがいちばんなんだなって思ったりしました。

私の中に私のあたたかい居場所がある状態で、人とあたたかい関係を築けるようになれたら、それはとても安全だし、安定していそう。
そうしたら、人も外も怖くなくなるのかもしれないよね。
怖くなければ、この場所では、どんな私ならいいのかな? という、その場を乗り切る解決方法を無意識に持ち出さなくてもよくなるのかもしれない。
いちいち毎日ただ生きているだけで、こんなにクタクタに疲れなくっても、よくなるのかも、しれない。

「もう止めていいのよ? どんな私でも大丈夫」
と思うのに、演じなくていい私が何なのか、大丈夫ってどういうことなのか分からなければ、その解決方法を止めてみることなんて、怖くて怖くて、できないのよね。
それは、すごく道理にかなった私の要求だと思うから、やっぱり、ひとつずつ、学んで、順番に(=私の中を先に)、練習していってあげたいと思います。


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こうして書いてみると、共依存という習慣性の状態から、ただの大事な私を取り戻したいことと同じことみたい。
コツコツと、私を信じることにチャレンジしていこう、という事とも、おんなじに聞こえます。
いろいろな言い方ができるけれど、本当に、根っこは同じぽい。


「私、何でこんなに必死になってるんだっけ?」
これの答えは、私の感じ方、考え方を変えることで、あたたかさを感じて生きていけるのなら、本気で取り組む価値がある、と思ったから。
私が、私のために、そうしたいからだよ。

「私には大きな問題なんて無いのに、いったい何してるんだろう?」
こんな声には、傷のない人なんていないし、その傷を癒すことは、誰にも禁止されていないから、何のために、その傷をどうするかは、大人になった私が選べるし、選んで決めていいんだよって言ってあげたい。
だから、問題は大小で考えなくていいし、私は、私の問題に、私の今と未来のために、真摯に取り組んでもいいんだよって、何度も丁寧に自分に言ってあげたいです。

問題なんて無かったことにしようとして、全然うまくいかなかったのだから、そうするのが最善ぽいて身に沁みて思うのよね。
そう思うと、33歳の私の時間も、少しも無駄ではなかった。
むしろ、とても大事で豊かで愛しい時間だった。
本当にありがとう。


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……後期のクラスまで体験できて、ようやく、肩の力が抜ける気持ちです。
ここまで、何とか踏ん張りたかったのかな。
だけど、口から言葉が出ないほど何だか疲れきっているし、何の条件もなく、ただ私は私に優しくしてほしいと心から望んでいます。

ここから先は、無理してがんばるより、自然のリズムを知りたいよ~そうさせてよ~って聞こえるようです……。


「今ココ」の時間が、「今」私が生きている豊かで愛しい時間なのだって、それを忘れたくない。

早くあの家で過ごした時間がスッカリ過去になるといいのに! と願いつつ、早く早くと焦るよりも、小さいことから、しっかり褒めて認めて、満足も幸せも、ちゃんと感じてあげられることが、とっても大事。

私の嬉しいことも意味が無い、取るに足らない、そんな風に扱われて、とっても悔しくて悲しかった、そういう痛さがココにもあるから、モヤっとして、小さいことを認めるのも少し難しく感じるのよね。

インナーチャイルド・ワークも含めて、色んなアプローチがあるから、身につくまで、引き続き、これも何度もチャレンジチャレンジ。


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私にとって、チャレンジできるって、どんな小さいことでも、すごいことなのかもしれないです。
ずっと、したかったのに、できなかったことを思うと、しょっちゅうヘコたれつつも、やっぱり嬉しいし、ありがたいこと。

「いろんなことをやってみたかったし、私にはできることがたくさんあったの」
そう言う小さい私と、一緒に、小さいことを、ひとつずつ、積み上げていきたいな。


それから、あんなに大きな声で叫んだことって、本当に初めてでした。
貴重な体験を、ありがとうございました。
帰ってすぐに、近所のカラオケボックスを検索してしまいました(笑)。

社会的に縁が切れるわけではないし、この先、両親と私の力関係が、ふと気がついた時に逆転している日がくる可能性は高いわけですよね……。
怒りや恨みを溜め込んだままだと、同じことをやり返してしまう可能性もまた高いわけで、それは絶対に嫌だし、誰にとっても不幸なことに思います。

優月さんの目の真剣さも思い出します。
決して軽く見たりしないで、カラオケも真剣に検討しようと思いました。
カラオケじゃなくてもいいかもですけど、手軽だし慣れれば安全そうです。


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前半、後半、ペアになってくださったお二人には、改めてありがとうございました!
ほんの少しずつお話ししただけなのに、長いお友だちのような気持ちです……。
お二人それぞれの勇気が、素敵だったなぁと、とても思います。
同じように、私も素敵だったかもなぁ、とも思います!

「Web. WORKSHOP コース2/STEP.1」でご一緒していたお二人にも、お会いできて、お話しできて、嬉しかったな。

ひとりだけど、ひとりではないという事実は、こんなにも幸せなことみたいです。
そんな時間を感じながら、コツコツできるだけまっすぐ丁寧に自分に向き合って、変わることを楽しんでいけたら素敵です。

私にも、みんなにも、毎日の時間が豊かで愛しい時間でありますように。
たくさんたくさん感謝をこめて、祈ります。



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K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) むすかりクラス




優月さん、ご一緒させて頂いた皆様、ありがとうございました。
「インナーチャイルド・ワークショップ」の前期、後期に参加し、
親の思い通りにならない私はずいぶんひどい扱いをされていたなぁ、
こどもの私はちゃんとわかっていて、それでも何とかしようと頑張っていたんだ、と
改めて気づくことができました。

そして
たまっていた感情を涙と言葉にして、ずいぶん気持ちが軽くなりました。
(あんな声を上げて泣いた記憶なんてありませんでした)
実際にやってみることって本当に大切ですね。


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失った時間は取り戻すことはできません。
だからこそ、もう一刻も無駄にするのは勿体ないので、
まだ残っている問題を早々に片付けて、本当に幸せに生きていこうと思います。

皆さんも最短距離で幸せになれますように。



PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2012.12月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」おおくまクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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S. H.さん(30代/東京都よりご参加) おおくまクラス




 「私は重い病にかかっていたんだ!」
今回初めて、ことの重大さに気がついたのでした。
それまでは、いくつかの WARKSHOP に参加していたにも関わらず、どこか「人ごと」(正確に言えば人ごとと思いたかった)で、お得意の「頭」だけで理解しようと殻を破りきれていませんでした。


今回も、はじめのうちは感情なんて全然わいてこなかったから、出てくる言葉は全部事実をただ述べていただけ。
「感情感情……。」
思えば思うほど頭で考えてばかり。
でも、優月さんのお陰で、最後の最後ではじめて、本当の「感情」が出て来ました。

今まで受けてきた WORKSHOP の本当の意味、多くの自己啓発本や心理学本を読んでは出る筈のない答えを探し続けてきた日々……。
結局私は、「思春期真っ盛り」のままでした。


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でも、今まで私が感じてきた全ての「もやもや」の感情は正しかったです。
いつまでたっても地に足がつかない感じ、相手が誰であっても結婚に踏み切れない感じ、子どもを持つなんて想像すらできない感じ、等々。
きっと大人の私が暴走しないように、小さな私が必死にブレーキをかけてくれていたんだと思います。
「私に気づいて。こっちが先だよ!」って。


今日、仕事を休み、散歩がてら近くを歩いてみました。
寒かったけど冬を感じて、空は青くてすがすがしかったです。
「あの雲の形何に見える?」なんて幼い私と一緒に会話しながら、とても温かい気持ちにつつまれました。

今、私が一人暮らしをしているこの街は、私が3歳まで住んでいた場所の近く。
この場所を選んだのもきっと、こんな風におだやかな気持ちで両親に甘えたかった私がずっとそこで、待っていたのかもしれないです。

幼い時から父の妻と母、母の夫でいなければならなかったちいさな私。
もう大丈夫だから、これかも一緒にこの道散歩しようね。


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最後に、優月さん、受け止めてくれてティッシュをそっと渡してくれたパートナーの方、ありがとうございました。

この先もっとつらいことや大変なこと、たくさんあるかもしれない。
でも、今気づけて本当に良かったです。
そして、自分の未来にワクワクしている自分がいます。
この気持ちを忘れないように、ちいさな私と一緒にこれからも歩いて行きます。



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Y. I. さん(20代/兵庫県よりご参加) おおくまクラス




クラスの皆さん、藤沢さん、お疲れ様です。
そして、ありがとうございます。

いつもは無意識的に周りを意識しているのですが、
今回は自分のことばかり見ていた気がします。
というか、他を気にする余裕がなかった(笑)。

そういう雰囲気を、
自分に集中できる安全な空間を皆さんがつくってくれていたのだと思います。
今、そのことに対して素直な感謝の気持ちがあります。

この WORKSOHP では、たくさん泣きました。
感情が動くほどではなかったけど、本当にたくさん涙が流れていきました。
今思えば、最初のちょっと動きかけたときに出しとけばよかったなって思わないでもないです。
どうやら私、WSの最初にギアが入って、だんだん回転数が落ちていくみたいです。
集中力がないのかも。
感情の動きやすい時期と心のタイミングがかみ合ってないなと思いました。

チャイルドとは会えたのでしょうか?
正直、確信はありません。
でも、ちょっとだけ、笑ってくれている気がします。
心のどこかが少しだけ、温もりをもっている感じがするからです。
私の願望もあるのかもしれませんが、あの体験はきっと、そしてずっと、かけがえのないものだと思います。


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一つ引っかかるのは、怒り、が出なかったことです。
私が怒ってるのは私自身も知っています。
ことがある度、私は全力で怒り、全力でブレーキをかけ、なんとか衝突しないようにしている現実があるからです。
もしかしたら、怒りはそこで発散できていたのでしょうか。そうであればいいなと思います。

最後に質問しようとしたことは、親が 30代 → 40代 → 50代と着々と堕ちて行っていることに対し、なにかできることはないか、ということでした。
でも、帰り道、参加者の方とお話ししていて、たぶんないのだろうと思いました。
人を変えることはできないし、してはいけない。
それでもまだ、完全には葛藤は消えません。
親を心配してというより、将来迷惑をこうむる自分の心配をしている、というところもあります。

アルコール中毒者を取り囲む家族の問題は深刻だと言われたことが残っています。
確かにその深刻さを、私は今も理解していないのかもしれません。
けれど、今をなんとかしたいという想いは嘘ではないです。

いろいろと助けを探して、唯一繋がったのが当 WORKSHOP でした。
最初は一度だけのつもりでしたが、心の赴くままつい回を重ねてしまい、今ではここまでこれてよかったという思いです。

できることなら完治して笑って卒業したいものです。



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Y. S. さん(大阪府よりご参加) こぐまクラス/おおくまクラス(2クラスご参加)




まだまとまっていないけど、とにかく書き始めようと、ペンを手にしました。

最初に、ありがとうございました。
一人では、とても先へ進めていなかった。
きっと、途中で止まっていました。

それから、2日目(「おおくまクラス」の中休み)、帰ってくるのが少し遅れてしまいました。ごめんなさい。
帰ってくるのがいやだったわけではなく、ごはんを食べに行った先で、仕事にすごく役立つのだけど、普段めったに出会わないものに出会って、ついつい足が止まってしまっていたからです。


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うまく言えないのですが、この2年くらいの間、自分の人生がうまくいかなくて、苦しい原因や対処方法を探していて、やっと、扉の前にたどりついた気分です。
これだったのか……と。
もしかしたら、見ていないふりをしていたのかもしれない。
でも、しっかり見えてしまいました。


ワークショップ・クラスの後も、大きな変化はありません。
いつも無意識にやる「分析のくせ」はやめて、最近は、「感じること」を大切にして、「反応する」ことを控え目にしています。

通勤途中の電車の窓から見える川に太陽が反射して美しいって、2年半も同じ電車に乗っているのに、ワークショップ・クラスの次の日の月曜日に初めて気づきました。
(普段なら、ここで分析が始まる。「こう考えるのは、疲れているのか? ああ、今日は何があるのか、つらいことが待っているのか。などなど」)。
分析を一切やめて、感じるままに「ああ、きれいだな」と思うようになりました。
というか、それで充分じゃないか。感じるままに感じていよう。
今はそんな気分です。

毎日お風呂に入った時に、「今は大丈夫、泣いていい時だよ」と、自分に話しています。
顔はくしゃくしゃするし、何かこみあげてくるけど、涙は出ません。

心を開くって、当たり前のことなのに、私にとっては難しいです。

ワークショップ・クラスの後、親と口を利きたくなくなりました。
リビングに飾ってある、子どものころの父親と私の写真を見るのもつらいです。
ものすごい文句を親に投げつけそうになります。
今のところ、仕事でほとんど家にいないので、その暇もなくて助かっています。


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優月さんに、あるものに感謝する、というメッセージを告げられました。
今の私には、仕事があります。
そして、そこそこ健康です。
こうして、仕事帰りにジュンク堂に寄って本を探して、スタバでこれを書く自由もあります。
こんな幸せ、20代のころには思いもしませんでした。

と同時に、当たり前のものを得られなかった、今までの自分に苦しみます。
みんな、友人やパートナーがいて、当たり前に楽しそう。
私は一人。

以前、恩師に言われたことがありました。
「大人になっていないし、周りにとって当たり前にできていることが当たり前にできない。だから、生きているのがしんどくなる」
と。
まさに恩師の言うとおりでした。
これから、どうやって生きていったらいいのかな、どうしたらいいのかな。
考え出したら止まりません。

でも、それがなぜなのか、「ずるい!」と子どものようにわめいても仕方がないんですね。
誰のせいにしても、もう誰も相手にしてくれないし(今までもだけど)。
自分でやっていくしかない。
私は、無意識に、心の中で言い訳を探すくせがあるのですが、とにかく、それをしても何にもならない。
反応して言い訳する前に考えたい。
もう、このままの私は嫌なんです。
このまま生きて、そのうち身体に不調がきて、さびしく死んでしまうなんて、苦しすぎる。


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どなたかが、「2年間の集大成」と言っておられましたが、私もそんな気がしています。

2年間、いろいろ悩んでいたけど、もう、逃げない。
ワーク全部にきちんと取り組むことは私にとってすごく難しいことでした。
PCが不調とか、体調がとか、いろいろ言い訳をしつつ逃げていました。

私は、自分の人生を生きたい。
ただそれだけ。
私の中の不必要な記憶や古い考えは、もういりません。
苦しいけど、もう逃げません。
ありがとうございました。



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Y. A. さん(30代/東京都よりご参加) おおくまクラス




前日の前期にひきつづき、
後期にも参加する事ができました。

前日と変わっているはずのない
優月さんのはっきりとした迷いのない声は
前日よりも深く私の心に響いてきました。

前半のレクチャーでは、
内容の面で、前期と同じ部分もありました、
しかし、それがとても同じとは言えないくらい、
聞く方の私にとっては新鮮でした。
自然と深いうなずきをするくらい、納得の深さや、
私がレクチャーの中でキャッチする言葉が違うからです。


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学童前期の私は、
「嫌だ」と、言えないでいました。
言っても、その意思が受け入れてもらえなかったからです。
言う事をあきらめていたようにも見えます。
自分の意志が認められない事が、
こんなにも悲しい事なのかと、
体験した私自身も気づかずにいました。

そうして私は、
「嫌だという気持ちを押し通すよりは、
相手の意向に添った方が何事もなくうまくいく。」
と言う事を自然に、やっている今の自分に気づきました。
大した事ではないと思ってやっているのですから、
気づきませんよね。
「嫌だ」と言えない自分を
見ないようにしてきたとこも、あると思います。

学童期のシェアリングをするとき、
今までとは違い、私の内側がとても静かでした。
あれ? 何もないのかな? と思ったくらいに。

もう会話ができる時期、
それでも、何かあると思うと思い、
私は目をつむり、学童期の自分を感じて話しかけました。
「何か言いたいことある?」
「何か私に言って欲しい事、ある?」


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そうして、聞こえてきた私の答えは
その時まで、一切現れなかった人の名前でした。
私は、その人の名前を言うのを躊躇しました。
まさか、この人が? という人だったからです。
でも、言えるチャンスは今しかない。
間違えてもいいから、
とにかく言ってみようと思い、
名前を行った瞬間、
どっとつかえていたものが溢れ出してきました。
自分でも気づかなかった感情、思い、
考える間もなくどんどん口から出て行きました。

私は、自分らしさを失った原因を1つ、
見つけることができました。


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家に帰り、
ゆっくりとお風呂時間を過ごした後、
洗面台の鏡に映る
リラックスし、同時に
疲れて力の抜けきった自分に吸い込まれるように、
私は私を見つめ、
そして思いました。

これが “わたし” だ

そして、
今日クラスで、悲しくて、寂しくて泣いていたのは
他の誰でもない、目の前に映っているこのわたしだ、と。

言葉では表現しきれない感覚でした。


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クラスの次の日から
普段の生活にもどると、
生まれて初めて、自分の足で歩くような気がして、
その足取りも、おぼつかない感じでした。
それでも、
はじめの二日くらいは、気分がすっきりしていて、
新しく見える世界がとても新鮮で、

そうか、今感じているこの「寂しい」って気持ちは
あの頃の私が寂しいって思ってるんだ。

何度も文字で読んだり、
クラスで聞いていた、
あの事は、この事だったんだ、、
いくら頭で想像していたとしても、
体験してみると、その納得の感覚は別物でした。

クラス前と同じようなことが起きても、
以前と受け方が違う自分が
毎回とても新鮮で、
感動していました。

私に向かって投げられた言葉も、
受け取る衝撃が減り、
どれだけ私は、
今まで、からだを張って受け止めてきたんだろう
そうとう、大変だったなと今の私が
その当時を思い出すと、
素直にその衝撃を感じる事ができました。

あれ?
そういえば聞いていたようなクレンジング・リアクション、ないなぁ?
それとも、クレンジング・リアクションが来る程の何かは、なかったのかな?
と思っていた週の半ばごろから、
一日中眠かったり、
疲れやすかったり、
時には外にいるだけで、とても恐ろしい感覚に襲われました。
孤独というか、不安というか。
すぐにカフェに駆け込んで、『未来日記』を開きました。


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両親への愛、感謝がより深くなったと同時に、
怒りや、悲しみもより具体的に感じられとても大変でした。
これ、両面感情ですかね?
私は今、思春期を過ごしているのかもしれませんね。

この一週間、
『未来日記』にとても助けられている気がします。
それは、自分が自分を助けているんですよね。
いつもならスルーできた感情も
今となっては抑えきれず、
『未来日記』に書いて、
心を落ち着かせています。

『未来日記』を書きはじめると、
今の自分がいてくれて、
今の心で聞いてくれる気がして、
とても冷静になれます。

そして、
実体のあるものとして、
問題に「重さ」を感じました。
ずんっと。

この文章だけ見ると、
何だが開けてはいけない箱の蓋を
開けてしまったようにも見えますが
私は前よりも深く、静かなところにいる感じがします。
無理せず、落ち着いていられるからこそ、
こうした一週間が過ごせたのだと思います。。


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クラスで習った、新しいしつけ同様、
私は、そのとき得た新しい言葉も
自分にしゃべりかけ始めました。
それはクラスの中で、
優月さんがよく私たちにしゃべりかけてくれた言葉達です。
私は、自分で勝手にお土産にして持って帰りました(笑)。

普段の生活を送る中で、
今度は私がその言葉を使い、
自分の快復を後押しする番です。


出てきた感情を、
良い、悪い、で区別できない
と思いました。

「悲しい」「怖い」「嫌い」「イヤ」

どんな感情も、それらは受け入れて欲しいと望んでいる。
そして、知れるだけでもずいぶん変わることを、
体験する事ができました。


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29歳のわたしから、
30歳のわたしへと、バトンタッチするこの一週間。
ペイ・フォワードに取り組む事で、
自分とたくさんの会話を交わす事ができ、
以前よりも、私と私は仲良くなりました。

優月さん、
クラスを最後まで安心して過ごせる
気配りと空間を作りをしてくださり、
ありがとうございました。

おおくまクラスの皆さん、
そして、私の相手をしてくださった
パートナーの方、
皆さんがいたからこそ、
このような体験ができたのだと思います。

この二日間の体験を、
これから、もっともっと育てていきたいです。

心より、
ありがとうございました。



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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) おおくまクラス




おおくまクラスの皆さま、先日はお疲れさまでした。

ペアを組んでくださったSさん、一緒に想いをシェアしてくださって、ありがとうございました。
無事に新幹線に乗れたかなと気にかかっていました。

私はクレンジング・リアクションがとても強く出ていて、首から肩にかけてバキバキにこっています。
チェアワークをすると、メリメリ音がしそうな程です。
頭もボーっとしています。
それくらい深い部分をシェアしたのだな、と感じています。
Sさんもお身体に気を付けてくださいね。


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学童前期の私は、何かを作るということに没頭していました。
得意だったのは折り紙で、上手く出来すぎて、保育園のクラスメイトに取られてしまったこともありました。
自分をかわいく見せる洋服や、髪飾りが大好きでした。
目立ちたがり屋の一面もあり、卒園式でやった赤ずきんちゃんの劇で、主役の赤ずきんちゃんをやったりしていました。

とにかく元気で活発、身体を動かすことも大好きでしたが、家の中では、一人で何かを制作したり、お絵かきをしたりしていることが多かったです。
母と一緒に遊んだ記憶はありませんが、絵本はよく読んでくれていたようです。

家では、父と母がたびたびけんかをしていたので、私はとても恐くて、部屋の隅で小さくなって気配を消していました。
家にいるときは、自己主張をしたり、わがままを言ったりすることは安全ではありませんでした。
この頃から、わが家でのしつけは体罰でした。
父の機嫌をそこねると、すぐにげんこつが落ちてくるので、とても恐かったし、常に緊張していなければなりませんでした。

母は、そんな私を守ってはくれませんでした。
父の、私に対する暴力を、見て見ぬふりをしていました。
母は、「お父さんは、家が狭いからイライラしているんだよ。」と言っていましたが、イライラしたら、妻や子供に暴力を振るってもいいのか?! と、今の私は憤りを感じます。
3歳の頃に妹が産まれ、私はとってもさみしくなりました。


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学童期に印象深かったことは、小学校3年生の頃に引っ越しをして、とても不安だったことです。
親友とも家が離れてしまって、登下校も別になってしまって、悲しかった。

4年生の頃、道端でおじさんが股間をみせていたのを見てしまい、身の毛もよだつほど気持ちが悪かったこと。
走って逃げて、一人家の中で震えながら、夕方になってお母さんが仕事から帰ってくるのを待っていたことが、とても恐かった。
そして、親友だと思っていた友達の心が離れ始めて、さみしさと怒りを感じたこと、クラスの男子にからかわれたこと、一部の女子に無視されたことが嫌だったし、悲しかった。
それから、上級生に目をつけられて意地悪をされたのには、今でも相手の顔を覚えているくらい、怒りを感じていました。

5年生のクラス替えで、保育園時代からの親友とクラスが離れてしまい、クラス発表の日に、私は「先生方や、親友に裏切られた!!」とか、「もう何も信じられない!!」と、大泣きした。
親友とクラスが離れることは、私の一部を失うようで、しばらくショックで現実を受け入れられなかった。


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私は、ぐらぐらする土台の上に必死でなにかを積み上げながら生きてきたのに、それが決定的に壊されてしまった。
それが小学生の後半だった。
私は、お母さんに助けてほしかった。
傷ついた私を抱きしめてほしかった。
お母さんはその出来事に対処はしてくれたけど、私の心には、寄り添ってくれなかった。

さみしい、悔しい。
私はあのときを、どうやって生き抜いたのだろうか、
その部分の記憶が、すっぽりと抜け落ちている。

私はこれ以上傷つかないように、自分から感覚を切り捨てた。
お父さんから殴られても、髪の毛を持って引きずり回されても、痛みを感じなくなっていた。
けれど、自分の感覚を切り離したら、人の気持ちも分からなくなってしまった。
私には、そのあたりの部分が欠けていると感じる。

私の傷は、私が考えていたより、ザックリと深かったようだ。
そのことに対して、叫びだしたいほどの怒りを感じる。


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学童期のインナーチャイルドは、私が、抱っこしようと手を広げると、しがみ着いてきた。
また来るからねと私が帰ろうとすると、とても寂しそうな顔で見送っていた。
他の時期のインナーチャイルドには笑顔が見えたけれど、この時期からは笑顔が消えていた。
たくさん傷ついて、笑うどころではなかったのだろうな。


私が親から得られなかったことは、もう取り戻せない。
その悲しみや悔しさをかかえながらも、私が私を正しく導いて、再訓練していくしかないのだ。
途方もない道のりのようにも思えるけれど、いまやるしかないと感じている。
私は感じる心を取り戻したいし、自分らしさも取り戻していきたい。
そのために、できる限りのことをしていきたいです。


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優月さん、2日連続のワークショップ・クラス、お疲れ様でした。
私は、このワークショップに参加できて、とてもうれしかったです。
私にとって、素晴らしいワークショップとなりました。
ありがとうございました。



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T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) おおくまクラス




プレワークのときから、ほんとうに辛かった。
自分がこれまで辛くて見ないように抱えていたものに、向き合わなければいけなかった。

でてきたたくさんの涙と悲しみは、これまでわたしがずっと一人で、誰にも知られないように抱えていたものでした。
話し始めるときの重さ、出す言葉の重さをずっと抱えて、あまりに重くてあまりに長い時間だったので、抱えていることにも気がつかなかった。
手放すことができるなんて知りませんでした。

助けてって書いた手紙を見ると、今でも涙が出ます。
わたしはずっと辛くて、助けてって思ってたけど、助けてっていってはいけないと思っていました。
私はしっかりしていなくてはいけなかったし、自分ですべて解決できなくてはいけなかったし、誰かに頼ってはいけなかった。

助けを求めるということは、自分を否定することでした。
ダメな自分を認めることだったし、それを人に知らせることだったし、そうするとみんな離れてしまうと信じていた。

わたしはずっと一人でした。
一人ですべてを抱えて、自分を守っていた。
寂しかったけど、寂しいっていってはいけなかったのです。


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これまで少しずつ進んできました。
ワークショップに参加して、あれ、ちょっとわたし違うかも、と思って、次のワークショップに参加して、あれ、これはもってないかも、と思って、その繰り返しの1年でした。
藤沢さんを信じるにも時間がかかりました(笑)。

そのときはそのときに見えている景色がすべてで、たぶん方向はいいんじゃないかな、と思っても、この先どうなっているか、どれほど長いか、想像することもできませんでした。
ここまで進んで、やっと自分の傷の深さがわかるようになりました。
1年間、自分のペースで歩いたつもりだったけど、立っているところは大きく変わったかもしれません。

新しいルールはこれまでとあまりに違うので、慣れるには時間が必要かもしれません。
でも、このほうがずっといい。
わたしがわたしでいられる。
あれほど見えない、と思っていた自分が中心にいます。


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大阪のSさんへ
分析してしまって、実感がないとおっしゃってました。
勇気のいることだけど、ぜひ自分と向き合ってほしいな、と思っています。
自分が本当に望むことにであえるよう、それに向かって少しずつでも前進されるよう、願っています。



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T. N.さん(40代/神奈川県よりご参加) おおくまクラス かきクラス




おおくまクラスのみなさん、藤沢さん。
お疲れ様でした!
あれから、お元気ですか?

感情がうまく出せない私にとっては、とてもしんどいワークショップ・クラスでした。
素直に涙が流せる人がうらやましかったです。
感情が出せないことは、大きな問題だと気付いたことが、ひとつの収穫だったのですね。

怒りの感情をぶつけてしまい、怖い思いをさせてしまったパートナーの方、大丈夫でしたか?

みなさんと温かい時間と空間を共有できたことが、とてもうれしかったです。
本当に、ありがとうございました。



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N. O.さん(東京都よりご参加) おおくまクラス




何十年も
蓋をしていた感情が出てきました。

受ける前と受けた後とで、
確かに、なにかが変わった。

お話を聞いてわかったこと。
私は祖父と
心理的に結婚していました。

藤沢さんが親身に色々な話を
してくれたこと、
胸に響いています。

今、仕事のことや
問題に目を向けること、
真実を隠さないこと
考えています。

目を背けても、問題はなくならない。
手おくれにならないうちに、
やります。

ONSA に出逢えて、本当に良かった。

自分の感情を出せたのは、
みなさんが温かい場所だったから。

あの場にいたすべての方に
ありがとうございました。



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R. G.さん(40代以上/東京都よりご参加) おおくまクラス




優月さん、おおくまクラスのみなさん
とても有意義な時間を過ごす事ができました。
ありがとうございます。


今週はクレンジング・リアクションで頭が重い感じがしていたのですが、仕事で突発的な問題が発覚してバタバタしながら、なんとか一週間乗り切りました。

でも、私の中にはインナーチャイルドが確実に存在して、いろいろ話しかけてくれています。
とてもお喋りで、可愛らしい子です。
彼女が「お散歩したいな」って言うから、朝15分早く家を出て、一駅お散歩をしてから会社に出勤したりしました。
冬の朝の空気は凛として気持ち良かった。
「寒いね」とか「おなかすいたよー」とか「お部屋が散らかっているよ」とか「早くお家に帰ろうよ」とか、うるさい事も言ってきますが、ちょっとずつ彼女の願いを叶えたりしています。


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子供の私から、大人に私に書いた手紙には
「早く大人になって、ママを助けてあげるんだ」
と書いてありました。
本当だったら、子供時代をもっと楽しんで、早く大人になる必要なんてないのに。
読み返すと、余りに健気で涙が出てきます。

いろんな事を我慢して、いろんな事を諦めて、酷く怯えていた子供だった私は、気付いてくれてありがとうと喜んでいました。
瞑想の時、リビングでひざを抱えて怖がって震えているインナーチャイルドを、大人の私が、ぎゅっと抱きしめてあげました。
これから、少しずつインナーチャイルドと良い関係が築きたいという気持ちです。


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私は、自分の抱えている問題なんてどこの家庭でもある事で、全然珍しい事ではないと、どこか甘くみていた。
でも、今回の WORKSHOP で心からの声を聞いてみると、考えていたよりもずっと深く傷ついていた。

優月さんのアドバイスがなかったら、知らない振りをして、もっと多くの時間を過ごしてしまう所でした。
その事に気づかせて貰った、優月さんとおおくまクラスの皆さんに、本当に感謝していています。

この先自分を癒していく為にも、本を読んで知識を得たり、ONSA の WORKSHOP に参加したり、もしかしたら専門の機関でカウンセリングを受けたりという事を、あきらめないでやって行きたいと思います。

いつも安全な空間を提供して頂ける ONSA に感謝です。



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A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) こぐまクラス/おおくまクラス(2クラスご参加)




藤沢さん、こぐまクラス、おおくまクラスでご一緒した皆さん、本当にありがとうございました。

今年いっぱいで明日館でのワークショップ開催が最後になるとブログで拝見して、ワークショップを受ける前から、今回のワークショップがひと区切りだなと感じていたのですが、ワークショップが終わり、改めてその思いを強く感じています。

この2年間、集中的にワークショップを受けてきましたが、やっと今回のワークショップで一皮向けた気がします。


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今回のワークショップ・クラスでうれしかったことは、藤沢さんに「顔が全然違うね!」と声をかけて頂いたこと、ワークショップ・クラスでペアを組んだ方達が今までのワークショップでお見かけした方達で、自分から声をかけられたこと、周りを気にせず自分のワークに取り組めたことでした。

小学5年生の時にいじめを受けて以降、「集団」に対する恐怖心と、「友達」に対するどこか信頼できない気持ちと、人間関係に対するどこか煩わしい気持ちがあって、今までのワークショップ・クラスでは、どこか身構えているところがありました。

ですが、今回のワークショップを受けているうちにその理由も分かって、集団に対する恐怖心を感じなくなって、ワークショップ・クラスをリラックスして受けられるようになり、いっぱい泣けて、過去の色々な事を悼む事ができてよかったです。

ワークショップ・クラス中はチェアワークをしませんでしたが、少しでも自分とつながれるようにと、トイレに行った時にチェアワークをしていたのもよかったのかな?

あとは、旧姓に「熊」の字がつくので、ワークショップの名前が「こぐま」、「おおくま」だったのもうれしかったです♪


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今までの自分、本当にありがとう!! そしておつかれさまでした。
これからはもっと自分と仲良く手をつないでやっていきます。

今のタイミングで「インナーチャイルド・ワークショップ」を受ける事ができて、本当に良かったです。
これからの仕事でも、自分の子どもを授かる事になっても、今回の知識があるとないとでは大違いだなと感じました。

2日目に腰の左側が痛くなったこと、その場では笑ってごまかしてしまいましたが、後で考えると、自分のお金の使い方や現状把握がちゃんとできていない事について、不安を感じている事に気づきました。
これからの生活の為にも、今の自分に出来る事をやっていきたいと思います。


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藤沢さん、田宮さん、今までお世話になり本当にありがとうございました。
ONSA に出会えたこと、ワークショップでお2人に出会えたことに、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

この2年間、ワークショップを通して自分を見つめることができました。
少しずつですが、頭の声と心の声の違いに気づけるようになったり、考え方が柔軟になって、自分を大事に大切にできるようになってきました。

そして、「あぁ、これが今の自分なんだ」と俯瞰的に自分を見られるようになったのも、自分の中では大きいです。
現実の自分を以前よりありのまま見られるようになったし、いい意味で人を気にしなくなりました。

これからも、大小様々な問題が起こるかもしれませんが、今までのワークショップで教わった事を反芻しながら、毎日の生活を大事に、大切に、楽しく過ごしていけたらと思っています。



PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」|
2012.10月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」まーがれっとクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
タイトルはじまり目印

S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) まーがれっとクラス




参加者のみなさん、お元気ですか?

ワークショップ・クラスの日から3日が過ぎました。
私は、自分の中の小さな私を感じています。
そして、私が小さな私とつながっていると、物事がスムーズになっていくような気がしています。

ワークショップ・クラスの1週間前から、胸からお腹のあたりがチクチクして、泣きたくなることがよくありました。
当日も、東京に近づくにつれ、泣きそうになっている自分を感じました。

ワーク開始早々、優月さんが
「責任者は私です。だから、自分のことにしっかり取り組んで!」
と言われた瞬間、涙がこぼれました。
思えば、こんな風に「責任は私がとるから、思い切って自分の思うとおりにやってごらん!」なんて言われたことがなかったのです。

私は、学童前期からずっと家族や親戚に「任せる・頼むね・よろしく」と言われて大きくなってきました。
私の肩に長年、いろいろなものがのせられてきたことに気づくことができました。

前回(学童期まで)の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では、自分でも自覚していない悲しみや辛さが身体の中から湧いてくる感じで、私自身ビックリしていました。
こんなにたくさんの悲しみが自分の中にあると分かり、愕然としました。


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今回のワークショップ・クラスでは、悲しみや辛さを感じながらも、どこか落ち着いた自分を感じました。
それ故、前回との違いに戸惑いを感じました。
でもその違いは、大人の私がしっかり存在しているからだと、後になってわかりました。
大人の私が、小さなわたしを迎えに来たのだと実感できました。

ペアになった方からは、大きな気づきをいただきました。
沈黙の後、やっと口にした短い一言が、ズーンと私の心に響きました。
私は今まで、自分のことを「わかってもらいたくて、わかって欲しくて」状況を細かく説明する傾向が強かったです。
でも、短い言葉でも気持ちは十分伝わるということがわかりました。

見捨てられ感がいっぱいで、「ここに居る」と感じられなかった私。
小さいときから今まで、「ここに居ていい」と感じられなかった私。
その訳がわかった気がします。
ワークショップ・クラスに行かなければ、ずっと迷子のままでした。

迷子の私を、大人の私が救いに行きました。
今、やっと自分を取り戻すことができた気がしています。

あの日、あの場所でみなさんと共に、自分自身に向き合えた自分を誇りに思います。


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前期にペアを組んでくださったYさんをはじめ、参加者のみなさん。
一足先に会場を出る私に、笑顔で手を振って見送ってくださり、とてもうれしかったです。

参加者のみなさまの幸せを祈っています。

最後になりましたが、今回も全力で私たちが一歩を踏み出す後押しをしてくださった優月さん。
そっとティッシュを差し出してくださったスタッフの方。
本当にお世話になりました。
感謝の思いをいっぱい込めて「ありがとうございます!」



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F. K.さん(30代/千葉県よりご参加) まーがれっとクラス




「うわぁー、ついに、ついに見てみぬふりしてきたこと、本を読んで、もしかしたら……当てはまる……?」
と思ってきたことが、実感として得られた時間でした。
本を読んだときには、疑いが隠せなかった。
しかし、私の感じたことを大事にすると……やっぱりパズルのピースがちょうどいい具合に、カチッとはまってしまう。
今は、ショックというよりも、「やっぱり、そうだったんだー納得。」という気持ちのほうが強い。

私は、母との関係のみが問題だったとずっと思っていました。
実際、ONSA WORKSHOP に参加を決めた頃は、母子一体の感覚が私の人生を阻害している……と思っていました。
今回、帰宅後、アフターワークに取り組む中で、母以外の家族全員との関係にも問題があったことを発見しました。

家族の中で、私は「私である」という存在は否定され、家族のメンバーの誰かのための、その要望によって私という人格を演じ分けなければならなくなっていました。
私の意見や感情は無視され、両親、それぞれの価値観に従って生きていくことを強要されていました。

私は、その思いをずっと否定し続けていました。
しかし、9月の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」でそこを打破しなければ、次に進めないと指摘され、私の正直な感情を大事にしたら、憑き物が取れたように、とても楽になれました。
なので、今回そのような下地があったので、集中して、真剣に自分の感情とつながろうと必死でした。


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「学童前期」の頃に何かあったのかなぁ~?
なんともいえないほど、体調が悪かった。
瞑想したとき、よくわからない、なんか嫌ぁ~な感じがわいてきて、いたたまれなった。

「学童期」は、嫌なことがたくさんあったから、いっぱい出てくるかと思っていたけど。
「客観的事実ではなく、感情を言うのよ~」……ということで、感情を言い出したら、身体に異変があって驚いた。

私は、今回も全然、泣けなくて、それだけ、私は、感情と自分とを切り離していると、言われて、納得した。
「学童前期」頃に、あった出来事を通して、私は、私の人生をあきらめたように思う。
「あぁ、わたし、大事じゃないんだ……」
「わたしの意志なんて取るに足らないんだ……」
と次々とあきらめていった、そんな時期だったように思う。
あぁ、この時期から、私は私の人生を自分の足で歩くのを止めたんだね。
「もう、この人(母)には、力ではかなわない。しかたがない、この人の言うとおりにするしかない」
そんな覚悟を決めたのが「学童前期」だったのかもしれない。

この「学童前期」の前段階である「前期日程」の「乳児期」「歩行期」ともこの問題はつながっているようにも思いました。
「前期日程」の中で、私は、インナーチャイルドが、存在を肯定してもらっていなくて、寂しい思いをしていたことを知りました。
わたしの存在は、この「学童前期」でわたしを認めてもらう方法を、母とのコミュニケーションの中で、わたし自身を消し去ることと学んでしまったのだと思います。


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「学童期」である小学生の頃にはすでに、「実体としてこの世にいる感覚がないな~」と感じることのほうが多かった。
学校で学んだり、ともだちと遊んだりといったことに、真剣に取り組むことがなかったなー。
それに、クラスメイトに私の感情のことについて言われたときに、「あぁ、そうね、わたし、どこかに感情を捨ててきたよ……」って心の中で呟いたこともあった。
学校の課題にはまじめに取り組んではいたけど、それ以下でも、それ以上でもなく、ただ、義務だけでやっていたところがあったから、
通知表にも、向上心に欠けるとかって書かれていた。そーいや、積極的に生きてこなかったなー、とあらためて振り返ると思う。

1年前に参加した「時間のためのちいさなワークショップ」で、私には、私の身体が存在するんだ……という発見があって、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」では、私には、わたしという境界線があることをはじめて体感しました。
今回、「インナーチャイルド・ワークショップ」を受けて、その理由がはっきりと分かりました。

わたしは、1年前の「境界線(バウンダリー)ワークショップ」の『人生脚本』のコースや、「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」を通して、「インナーチャイルド」に問題があることがわかってから、おすすめの本を読んで、ひとりでインナーチャイルド・ワークを自宅でやったりしたりもした。
インナーチャイルドとつながれたけど、やはり、わたしひとりでやることには、限界を感じた。
カウンセリングに行っても、結局、客観的事実を淡々と話すだけになってしまって、なかなか、「わぁあああ……」となるほどの感情とはつながれなくて、
9月と10月の「インナーチャイルド・ワークショップ」は、待ちに待っていたものでした。

参加してよかった、と思っています。
それは、しっかりと洗い流されるから。
ほかの参加者の皆さんの様子に触発されるから。


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わたしは、ワークショップ・クラスの会場の近くに住んでいますが、クラス当日は、直帰せずに、ホテルを取りました。
それは、やはり、せっかく、ワークショップで体感としてしっかりと得られたことを、そのまま自宅に持って帰ってしまうと、家族と住んでいるので、また、家族に吸い寄せられてしまいそうだったからです。
家族と物理的に距離を置いて、わたしという考えの中にいたかったから。
まぁ、それだけではなくて、クレンジング・リアクションで、体力的にも自宅にたどり着くには、どうも無理っぽい、というのがあり、実際、そうだったりしました。

私が、はじめて ONSA WORKSHOP に参加した頃、わたしは、職場の人間関係で体調が悪くなって仕事を辞めて、うつうつと過ごしていました。
ワークショップ・クラス会場までは、自宅から片道約2時間半程度。
それ以前の私であれば、大丈夫な移動距離と移動時間でした。
しかし、この頃には長距離に感じられ、加えて、人に会うことに抵抗がありました。
10人程度の参加者さんたちと一体になったとも感じられなかったし、逆に孤独感だけが募っていました。
でも、今回は違いました。
クラスの人たちと一緒にワークショップをやっているんだなぁ……と思えました。


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小さい頃から、存在を肯定されなくて、私の意見は呑み込まれて、ないものとされ、親戚の集まりでは居場所がなく、家族だけがよりどころなんだけど、その一方で家族の中にいても居心地が悪くて、いつも孤独感でいっぱいでした。

だから、2011年に参加した頃は、今振り返ると、心はひらけていなかったし、裁きまくっていたし、なによりも、秘密を知ったら笑われるんじゃないか? と思って、心の奥底にひっそりと存在する秘密を話すことには抵抗があって、ここまでなら大丈夫というラインまでのことしか話せなかった。

だけど、今回は、前回の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」で、その心をひらけないラインをスパッと優月さんに切り込まれてから、「どぷぅわ~~~」と涙とともに吐き出しても、ここでは大丈夫だってわかったから、クラスのみんなの優しく温かいまなざしを感じたから、
「あぁ、ここは今までかかわった人たちとは違うんだなー」
と体感できたからだと思います。

なので、今回は、最初っから思いっきり吐き出せました。
今回ペアになって頂いた方には感謝です。
また、真剣に取り組めば取り組んだだけ、自分に返ってきたので、本当に嬉しいです。


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今、ようやく、スタートラインに立ったのだと思います。
今までは、ワークショップに参加する度に、これから先のことばかり、考えてしまっていて、「今」にいることができていませんでした。

ONSA WORKSHOP に参加したあと、私にはできなかったライン
(= 今までの私の人生の中で関わった人々に言われ続けてきた、これができて当たり前という地平線)
に立てると思っていました。
だけど、数々のワークショップを通して見えてきた景色は、違うものでした。

これから、どんな景色に出会うのかわかりませんが、「今、ここ」での「私の感情」を大事にして、ゆっくりと私のペースで思慮し、選択をし、行動してゆけたらと思っています。
どんな自分に出会えるのか、こわいところもありますが、少し楽しみになってきました。

これから、ゆっくりとアフターワークに取り組んで、このワークショップを完結させたいと思います。
しかし、私にも感情というものがあるんだ、と実感した今は、「感情ワークショップ」に参加してみたいかなーと思い始めてしまったりしています。


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今回、ご一緒させていただきましたクラスのみなさま、大変ありがとうございました。
彼女たちのコメントや質問も、とても勉強になりました。
私のコメントにも反応があったりして、本当にワークショップは生もので、クラスのみんなで作り上げてゆくものなんだなーと実感しました。

スタッフの方、何度も中座して面倒をお掛けしました。
ありがとうございました。

優月さん、このようなワークショップを開催して頂きありがとうございました。
また、機会がありましたら、そのときはよろしくお願いいたします。



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M. K. さん(30代/神奈川県よりご参加) まーがれっとクラス




藤沢さん、仲間のみなさまこんにちは。
お元気ですか?

私は、ワークショップ史上最大級のクレンジング・リアクションがきました。
腰痛・頭痛・肩こり・首こり・全身の倦怠感・強烈な眠気。
毎日の予定を這うようにこなし、可能な限り休む時間を作りながら、身体と心をいたわることの大切さを感じました。


私の学童期(6~13歳)のチャイルドは、全身に「あきらめ」をまとっていました。
どんなに優しい言葉をかけても、話を聞き出そうとしても、一向に心を開かない。
その頃の私がどう感じていたかを話そうとしても、出てくるのは状況説明ばかりで、頭の中は真っ白。
感情といえる言葉がひとつも見つかりませんでした。

「感情につながれていない」

指摘されたこの言葉の意味が、私にはよくわかりませんでした。
数々のワークショップや TAT を受け、窒息しそうな日々から変わってきている私。
自分の心の声を聞いたり、怒りも涙も喜びも前より素直に出るようになってきた。
それなのに、大切な「感情」につながれてないって……。

ふりだしに戻る。

そんな言葉がうかんで、
「結局ここに戻るの? 何度も同じとこ! ダメじゃん!!」
と自分を責めるセルフトークが始まりましたが、しばらくすると
「……ん? 癒すのはここか?」
と。
あぁ、ここに居たのか。
癒すべき場所を、やっと自覚できたように思います。


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私のチャイルドは、なかなか私を信用してくれません。
一切の大人を信用したくないそうです。
きっと、たくさん傷ついたんでしょう。
子供らしさを奪われて、たくさんあきらめたんでしょう。
「どうして? なんで? なんでなの!?」
こっちを見ないで、ずっと自分と他人を責め続けています。
時間がかかりそうですが、ワークショップで分けていただいた知識で、あきらめないでやってみます。

一転、学童前期(3~6歳)のチャイルドは「超ストロングガール」でした。
自分のことに夢中で、とても楽しそう。
約束なんてしなくても、また会えるし、味方でいるってわかってる。
絶対的な安心感に包まれていました。
私がポロっと愚痴でも言おうものなら「なんで? 大丈夫だよ~」と、逆に励まされるパワーがありました。
子供は光の存在だって思いました。


インナーチャイルド、私にとってこれは大仕事です。
でもやる価値はある、そう感じます。

ワークショップに参加できてよかったです。
貴重な時間をご一緒させていただいて感謝です。
ありがとうございました。



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S. K. さん(20代/神奈川県よりご参加) まーがれっとクラス




まーがれっとクラスの皆さん、いかがお過ごしですか?
わたしは、まだクレンジング・リアクションが残る中で、この PAY FORWARD を書いています。
週の最初は、感情があふれる状態を味わいました。
涙目で仕事をし、帰ってから自分の部屋で、自分の感情や、家族のことを思い返したら、しばらく涙が止まりませんでした。

わたしは、このワークショップ内で、家族と結婚、もしくは、精神的近親相姦の状態かもしれないと思いました。
「精神的近親相姦」という言葉は、優月さんのお話で初めて聴きました。
聴いた瞬間に、わたしの中の心がざわつき、感情が動きました。

ペアを組んでの話では、母に対して、してもらいたかったことが大半を占めていました。
それは、「話を聞いてもらいたかった」。
小さいときのわたしは、泣くことも多く、母からは、
「泣いていたって分からないから、ちゃんと話をしなさい。」
とよく言われていました。
話をすると、感情があふれて泣いてしまうし、泣くと話ができなくなってしまう。
年齢を重ねるにつれて、泣くという回数が少なくなって、それが自然のように思っていたけれど、抑えていたのではないかと思います。


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泣いていた子供のわたしを、「そうだね。」と優しく包み込んで欲しかった。
それが叶わなかった事が、すごく悲しくて、家で泣きました。

わたしは、言いたいことが、言えずにずっと苦しくて、怖かった。
小さいわたしは、大人のわたしにやっと、その事を打ち明けられました。
これから、「そうだね。」と言うのは、母ではなく、わたしなんだ。
そう、思いました。


前期、後期ともに参加しましたが、より深くわたしを思い出すことができました。
夕ご飯から戻るとき、暗くて、寒くて、雨が降っていて、いつもなら特に何も感じることはなかった道。
でも、この時は、なんだか心細かったです。
明日館の明かりと、中に入った時の「おかえりなさい」と、暖かさにほっとしました。
皆さんの顔も、何だか優しくて、嬉しかったです。

そして、わたしとペアを組んでくださった方、ありがとうございました。
集まってくる方の傾向が似ているように、ペアの中でも共感の部分が似ているというのが不思議で、ありがたかったです。



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H. K. さん(20代/岐阜県よりご参加) まーがれっとクラス




あっという間に、ワークショップ・クラスの参加から一週間が経とうとしています。

前期のクラスの後、家を出て一人暮らしを始めました。
心の嵐は激しかったですが、ここ数年足踏みを続けてできなかったことができて、今は穏やかな気分でいられる日が増えました。
自分は自分のためにいていいと知ることができました。
改めて、ありがとうございました。


後期は学童期と思春期を扱われましたが、前期と比べたら記憶がはっきりしているので、向き合うことが不安でした。

私は、子どもの自分を愛おしく思えませんでした。
はじめ、その子は無表情で何も言いませんでした。
おそらく実際には感情があったけれど、出せなかったんだと思いました。

私は過去を忘れたくて、全部を捨て去ろうと意識してきました。
ずっとそう思いこんで、やり過ごしてきました。
だからかと思いますが、私は前期のクラスも今回も、心を開くことの意味が分かっていませんでした。
まだ人を、自分を心から信じたり許したりできずにいたんだと思います。

でも、今回泣き続けて過去を悼むことができて、少しは前進したかな、と思いました。
藤沢さんとパートナーの方のおかげです。


他人を尊重しつつ、自分も尊重する。
私の中にはなかった世界です。
そうなりたいです。

すごく不安でまだ怖いけれど、元の自分に戻ってしまいそうな自分を救い上げながら、過ごしていきたいです。



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A. N. さん(30代/千葉県よりご参加) まーがれっとクラス




こんにちは。
あまりまとまっていないかも知れませんが、ありのままの感想を書こうと思います。

私は前期の「インナーチャイルド・ワークショップ」から続けて参加しました。
「インナーチャイルド・ワークショップ」の内容が Web. に上がった時、これはセットで参加した方が良いのではないかと思ったからです。
前期も後期もやる事はあまり変わらなかったのですが、心境の変化は全く違いました。

私の場合、前期を終えたときのクレンジング・リアクションが長く続き、(前期の)アフターワークを提出するまで不安がとても強かったです。
後期は、ワークショップ・クラス当日にもう一つ予定が入っていたこともあり、2つとも無事にこなせるだろうかという不安から、前夜に殆ど眠れず、コンディションが悪いまま参加することになりました。
調子が悪いと何かとネガティブに考えてしまい、ワークショップを楽しむことが出来ませんでした。
しかし翌日になると不安はいつの間にか消え去り、電車の中から見える穏やかな街の風景を見て、いつも通りの生活が送れることに、ただただ感謝したい気持ちで一杯になりました。
(どうしていきなりそんな穏やかな心境になったのかは謎なのですが(苦笑))

帰ってから数日経って思うことは、私の中では「インナーチャイルド・ワーク全体が一つの大きな流れになって、変化の時を経て定着し始めたのではないか」と。
後期のワークショップ・クラス以来、前期の時にあれほど仲良くするのが難しかったインナーチャイルドが、とても落ち着いているのです。
居場所をやっと見つけられたと安心しているかのようです。
私自身も、「いい子にならなくていいよ。一緒に泣いて、一緒に悩もう」と呼びかける余裕が出てきました。
これからも、二人で共に歩いていきます。


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優月さん、スタッフの方、ワークショップ・クラスでご一緒した皆さん、本当にありがとうございました。
ペアを組んでくださった方の、元気で前向きな姿勢を見て、私も頑張ろうと思いました。
ご縁を戴いたこと、とても感謝しています。

最後に、「インナーチャイルド・ワークショップ」への参加を検討されている方へ。
(ご都合が宜しければ、)前後期共に参加されると、また違った体験が出来るかも知れません。
心配事に、徹底的に取り組みたい方にはオススメですよ。



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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) まーがれっとクラス




優月さん、サポートスタッフさん、まーがれっとクラスの皆さま、素敵な時間をありがとうございました。
おかげさまで、今回もとても多くの気づきと恵みをいただきました。

子どもの頃の自分に起こったこと。
正しい知識とともにそれを振り返り、何が誤解で何が大切だったのか。
過去と、今の私に必要なものは何だったのか。
いろんなことを沢山感じたワークショップ・クラスでした。

クラス中も「今回は特に情報量が多い」と思いながら
整理するのは後にして、とにかく感じとることに集中して参加していました。

その中でも特に心に残ったのは、学童前期のレクチャーでした。
その時期に学ぶこと、そして起こりうる問題について聞いていたとき
「私はここが一つの転換期だったんじゃないか」
と思いました。
この時に受けた傷やショック、その痛みから身を守るために作ったルール(思い込み)が
私のその後と、今に大きく影響しているのではないかと。

その後、休憩時間に優月さんにそのことを聞いて
あぁ、やっぱりそうだったんだ、と思いました。


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そして、これは個人的なことになりますが
「あなたに起こったことは、決して浅くないと私は思っています」と
優月さんがおっしゃってくださった時
私はどこか、安堵を感じました。

私は今年、複数の WORKSHOP に参加させていただきましたが
きっと、受け始めた最初の頃にこの言葉を聞いていたら
ショックで悲しんでいただろうと思います。

けれど、このタイミングでこの言葉を聞いて
「そうか、それだけショックなことを経験したんだ。
だから、そこから抜け出すのにも、ある程度の時間が必要なんだ」
と受けとめることができ、安心したんです。

どこか、うまくいかない自分。
それを自分の能力不足、努力不足と自分を責めて、嘆いて、絶望していたけれど
本当は、癒されないまま放置された心の傷が原因だった。
無防備な子ども時代に受けたショックと、助けて欲しいという自分からの SOS。
それを無視して、押し込んで、前に進もうとしても、うまくいかないんだ。

そのことに気づけて、ヘンな言い方かもしれませんが、今の自分を肯定できました。
だから、安心したんだと思います。
これは、これまでの WORKSHOP で、たくさんの知識と気づきを受け取っていたおかげだと思います。

ケアのためにできることを、具体的に教えてくださったこともとても嬉しかったです。
自分の心と相談しながら、やっていきたいと思っています。

クラスのワークでは、やっぱり自分の気持ちを言うのは難しい……と感じつつ
「けど、それだけやってこなかったんだよ。そのことに気づけて良かった」
と思いました。
だから、まだまだ自分の気持ちを言うのに不慣れでも
今の自分のレベルで、十分合格点をあげたいです。


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そしてクラス後の1週間。
仕事で慌ただしい日々を送り、ゆっくり心の整理をすることができませんでした。
昨日、ようやく一段落し、読みたかった心理学の本を読みました。
読み進めるうちに、私の心の声が聞こえてきました。

本当はこうしてほしかった。
こんなことをされて、すごく辛かった。
その痛みや辛さを、誰にも言えなくて、悲しかった。

それをただ感じて、そしてただ泣きました。
久しぶりに泣けた、と嬉しくもありました。
(一時、悲しいのに泣くこともできない時期が続いていたので。)

私は、苦しみを癒す前に
まず、ただ、その苦しみや悲しみを感じたかった。
それを自分に許したかったんだと、ようやく気づけました。
それが、今の私が最初にしたかったことだったんです。

ずっと、この苦しみや悲しみから逃れたくて
なにか素敵そうなことや自分らしい生き方をしなくちゃ、
早くそういうものを見つけなきゃ、と焦っていました。
けどそれは結局、自己否定から生まれたもの。
焦る割に、全然前に進めなかった理由も、ようやくわかりました。

自分の苦しみを、ただ苦しみのままで受け入れられるようになること。
これがきっと、悼むこと。私が自分を取り戻す最初の一歩です。

そして、本当に私はひとりぼっちだったんだなと、思うことができました。
1人で頑張ってきたけど、1人で頑張りきることではなかった。
まだまだ、頑固な頑張りグセで反応してしまうところはあるけれど
少しずつでも、思い込みを変えて、自分にやさしい生き方にしていきたい。


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これから、少し時間をかけて、
これまでの WORKSHOP で優月さんに教えていただいたこと。
これまでの自分の「じかんのきろく」。
心理学の正しい知識。
それらを振り返り、結びつけ、深めていきたいです。
自分のために、幸せのために、「使える」ようになりたいです。

最後に、私が自分を癒すことについて
「逃げなんじゃないか」という迷いを打ち明けたとき
「大切なのは、幸せになることですよ」と優月さんがおっしゃってくださったこと。
すごく胸に沁みました。
一生大切にします。

優月さん、今回もパワフルで深くて、温かくて明るい!素敵な変容の時間をありがとうございました。
サポートスタッフさん、穏やかな強さと優しさで、場を守ってくださってありがとうございました。
おかげさまで、安心して心を開いてクラスに参加できました。
まーがれっとクラスの皆さん、あたたかで安全な場を作ってくださりありがとうございます。
以前のクラスでご一緒した方とも再会できて、嬉しかったです。
お一人お一人の、笑顔も涙も、とてもきれいで大好きです。

本当にありがとうございました。



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M. S. さん(30代/東京都よりご参加) まーがれっとクラス




「このクラスに参加したい。でもこわい……」

自分に必要なワークだと感じながらも、あと一歩自分と向き合う勇気を持てず、ギリギリまで悩んで申し込んだクラスでした。

でも、届いたプレワークを開いて読みだしたとたんに、涙がどっとあふれて止まりませんでした。
やっぱり、私はこの子と向き合う必要がある。
私の中のインナーチャイルドは、「やっとこっちを見てくれたね」と嬉し泣きのようでした。

それにしても、ワークショップに何度も参加して思うことは、頭で理解することと、体感してこころで感じることは全く別物だ、ということです。
こころで感じるって、本当に大切ですね。
嫌な思い出の多い学童期に焦点を当ててプレワークに取り組んでいましたが、実際は記憶のほとんど残っていない学童前期に「もやもや」の根っこを見つけました。

今の父と母は共依存の関係ですが、私が記憶にないくらい小さいころも、そうであったのだろうと思います。
父も母も、感情を表に出すことはもとより、感情を感じることすら分からなくなってしまったのかもしれません。
わたしは、いつもそばにいてくれたお母さんの愛情をもっともっと感じたかったし、私の感情も受け止めてほしかった。

もっとわたしを見て!

私は、こころを求めていたんだと思います。
でもそれは叶わなくて、私は感情を表現することも、ひとから感じることもできないまま育っていきました。


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だから私の小さいころの記憶は、イメージがほとんどです。
明るい感じがしない。
人の気配が感じられない。
家のなかが暗い。
思い出せるわたしは、いつも口を引き結んでいて目は笑っていない。
何を感じていたのかも全く分からない。無の世界にいました。

「おとなしくていい子ね」
「泣かなくてえらいね」

周りの大人たちは私に向かってそう言うので、自分はそういう性格なんだと思い、その言葉どおりにわたしは振る舞いました。
成長するにつれ、わたしは母親の生き方を真似るようになりました。
謙虚さは美徳。
感情は抑えるもので、自由に表現するのはわがままと思うようになりました。

クラスのワーク中に幼いわたしが、大人の私に宛てた手紙には、抑えていた怒りがわきあがっていました。

近所のお姉ちゃんたちの仲を壊そうとしたのも、
「そうだったんだね、うらやましかったんだね」
と分かってあげることができました。

性格が暗くて陰険な子供時代だったと、その頃のわたしを嫌っていたけれど。
本当はそうじゃなかった。
ごめんね、わたし。

ワークで思いきって、小さなわたしが抱えていた思いを、一緒に感じることができてよかった。
もう一度、一緒にやり直そうね。


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私は、二年前に一度夢を手に入れたものの挫折して、手放してしまった経験があります。
自分のなかに、夢を持って生きている人はいつも明るく元気なひと、という思い込みがありました。

当時のわたしが気づいていなかったこと。
それは、生きていくうえで一番大切な「ありのままの自分を肯定できること」です。

失敗してもいい。落ち込んだっていい。嫉妬も、怒りを感じる時も当然あっていい。
大切なのは、その時々の私のこころに寄り添って声をきいてあげること。
それがきっと「センスのある人」なのだろうなという気がします。

自分にしかできないことを仕事にしたい。好きなことを仕事にしたい。
ずっとずっとそう思っていました。
その一歩をようやく踏み出せる気がします。

感じるままに感じていいんだよ。

この言葉を、いつもわたしにかけてあげようと思います。


クラスでお会いしたみなさんと一緒に、優月さんの仰る「深いたのしさ」を作り出せたことを本当に嬉しく思っています。
ありがとうございました。



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M. K. さん(30代/東京都よりご参加) まーがれっとクラス




優月さん、サポートスタッフさん、まーがれっとクラスのみなさん、
昼間でも風が冷たく感じるようになって来ましたね。
いかがお過ごしでしょうか?

ワークショップ・クラスから、早いもので1週間。
優月さんがワークショップでおっしゃっていたとおり、まるで妊婦に戻ってしまったかのようなぼんやりした意識と、気持ちとは裏腹にスローにしか動けない身体の感覚にようやく慣れて来ました。

昨年の今頃、ちょうど臨月でした。
その頃と同じように、意識して自分を丁寧に扱うことに集中してみると、今のスローなペースが子どもの私とぴったりで。
「待って!」、といつも言いながら、「急がなくちゃ」と焦っていた子どものわたしが、安心していられるのがわかりました。
そのままの自分でいて大丈夫、安全だとわかったので、安心していろいろなことに腹を立てたりもしました。
いつもなら我慢して、もやもやした気持ちになるのに。

腹を立てながら、ワークショップ・クラスで寝そべったときの明日館の床の感覚を思い出して、心が静かになるのを感じたりもしました。

子どもの頃の、嫌だったことの数々。
父の転勤さえなかったら、辛い思いをしないで済んだかもしれないのに。
ずっとそう思い続けて来ました。


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ワークショップ・クラスでは、そのときどきの「悲しい、悔しい」気持ちが置いてけぼりになっていることに気づきました。
そのときどきで泣いては来たけれど、全然足りていない感じ。
子どもの私は、呼吸が苦しくなるほどしゃくりあげそうになっていて、大人の私はびっくりしてしまいました。

左手で書く子どもの私からの手紙は、本当につたなくて、一生懸命で、けなげで。
初めて自分をかわいいと思えました。
大人の私は子どもの私を守ってあげたいと、思えました。
まるで、自分の子どもを初めて抱っこしたときのように。

誰も自分のことを抱きしめてくれないのだとしたら、自分で自分を抱きしめればいい。
そんなことを思ったりしました。

優月さんと、サポートスタッフさんと、まーがれっとクラスのみなさんと、たくさんのティッシュペーパーと、ともにあの場所にいられたこと。
今も思い出すだけで心がふわっと温かくなって幸せです。
本当に、ありがとうございました。



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C. K. さん(30代/神奈川県よりご参加) まーがれっとクラス




私は「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」には参加していませんでしたが、前期参加者のPAY FORWARDと藤沢さんのブログでのお誘いの言葉に触発されて、今回、後期の WORKSOHP に参加させていただきました。

今回のプレワークで、改めて子供時代を振り返って書いてみると、全て記憶の中にあったこととはいえ、当時自分が大変だったのだ、ということを認識できました。

今回のプレワークは、以前に参加した他の WOKROSHP のワークに比べ、難しくはなかったのですが、一方 WORKSHOP 自体は大変でした。

私の現在の問題点として、事実は事実としてわかっていても、そこから自分の感情を引き出すのが難しいことがわかりました。
これは、前回別の WORKSOHP に参加した時にも薄々感じていたことでした。
今回は、特に具体的な記憶の少ない学童前期は、本当に困難でした。
これは次に別の WORKSHOP に参加する時にも、恐らく当面の私の課題となると思います。

次は是非「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」の WORKSHOP に参加したいと思っています。



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M. T. さん(20代/広島県よりご参加) まーがれっとクラス




頭の切れる女になりたかった。
誰にも迷惑をかけないように。
ひとりでも生きていけるように。
親や妹の視線に怯えないでいいように。

学業の成績は比較的良かった。
体育以外で4以下をとったことはほぼない。
それが、教師や周囲の期待を後押ししていたのは間違いない。
それでも、母はなぜオール5を狙わないのか常に訝しんでいたけれど。

幼い頃の私は愛されるということを知らず、
育てられているのは優秀だからだと信じ込んだ。
社会で何かをなすために育つことを許されている、
そう信じていた。重力を知るはるか前から、きっと。

最近気づいたことだが、私は目と運動神経の連携がかなり遅いらしい。
包むとか、切るとか、投げるとか、重ねるとか。
形や動きや距離感をとっさに見分けられないから、
おこなう動きがどこかでゆがんでしまう。

間に合わない。
自信が持てない。
挙動不審。
親や妹の視線。
潰される。

98点をとって帰ったら「なぜケアレスミスで点を落としたのか反省しろ」と言われる家が普通じゃないなんて思わなかったのだ。


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勉強はできた。
文を並べるのは楽しかった。
レポート課題や記述関係のテストは最後までさんざんだったけれど。
それでも、文を通してしゃべるのは楽しかった。

誰もが私に期待した。
私も私に期待していた。
家を離れて半年後に倒れるまで。
小説に、物語に、しがみついていなければ私はとうに飛び降りていたと思う。
長い長い不定愁訴の中で、それだけが顔を上げる理由だった。

誰にわかっただろう。
空腹や睡眠の感覚にギリギリまで気づけないこと。
からだよりも先に目や耳、頭がつかれてしまうこと。
ささいな気候の変化で、自律神経が簡単にくるってしまうこと。
そして、それらが起こすもろもろに対し、正すことを思いつきもしない、ということを。

同じ程度の知能を持つはずの人々の中でなんにもできない自分を見せつけられ続けて、私は本来逃げだしたかったはずのルートに戻ってしまった。

5年前には諦念があった。
1年前には困惑した。
半年前には周囲に苛立った。
今は――

私をさばく声を、聞き流す。
単純な動作ほど容赦なく辛辣に批判するその声を、とらえて、押し流す。
料理をするのがそんなに嫌いじゃなかったことを思い出して、
休日の夜からとうとつに作り出したりしてみる。
子どもよりも稚拙な動きにため息ついて苦笑して、
視線をあびないでいられることを素直に喜ぶ。

もういい、と、言えたらいいのにと思う。


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あの日、私はインナーチャイルドに会えなかった。
後半からの参加だったからだろうか。
瞑想の終わりにさびしさを感じたし、どこかでは会えたのかもしれないけれど、よくわからなかった。
あと、はからずも慟哭したことや思春期にいつの間にか入ってたことにびっくりしていた。
いつの間に1段階目の穴うめをしなくなったんだろう。

ワークショップを重ねていく中で、不本意な傷が、呪いがどんどん色を濃くしていく。
そろそろ専門機関の必要も素直に信じられる。
日常を生きながら、進んでいけますように。

ペアになった方、クラスの皆様、ありがとうございました。



タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/東京都よりご参加) まーがれっとクラス




ありがとうございました。
ご一緒できた時間に感謝を、こころから。


大きく2つ、私は気づくことができました。

1つめは、もらえなかったものを、
今度こそもらおうとする私のパターンのことです。

私の育った環境は、家族、親戚も含めて共依存と機能不全でした。
ちいさいころ、親戚の借金や祖父母の介護、混乱した家のなかで、
母親を、叔母を支えなければ、助けなければ、
なんとかしなければ、家族をもとに戻さなければと、
夜に聞こえてくる、何を言っているのかよく聞こえない重い話し合いを
自分の部屋のガラス戸越しに、緊張して震えて様子をうかがって、
小さいころ自分の部屋で決意していました。
私が家族を背負って、責任をおって、立て直さなければならないと
思っていました。
当時はわかっていなかったけれど、私はどうしようもなくこわかった。
体が固まるほど、こわくて、不安でした。


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会社でいそがしい人、大変な人がいると、無性になんとかしなければ、
何かして助けなければという変な焦りと不安が沸いてきて、
結局自分が力になれなかったという無力感をもち、
相手に恨まれているのでは、憎まれているのでは、
また助けられなかったと自分を責める mind-set がありました。
子供のころから延々ひきずってきた、凍ってしまっていた私の後悔でした。

今思えば、家族に大人の男性がいない感じでした。どこにも。
身体はそこにいるのだけれど、フワフワと存在感のない何かおかしい感じ。
私は、家族を守らない父に叔父に、怒りを感じていました。
「どうしてなの?! おまえらしっかりしろよ!
あまえてんなよ! にげてんなよ! なんでなんよ! なんなんだよ!」
と、責めて批判してきました。
どこかで、言葉にしてぶつけたらこの人は耐えられないだろうと感じていて、
何も言わずに私は我慢してためこんでいました。
だから、反抗期も思春期も親との衝突はなく部屋にひきこもって、不登校でした。
小学校中学年くらいから、もう心は閉じて人を疑っていました。
不信感でいっぱいでした。
小学校でも中学校でも高校でも大学でも、今までも、
ずっと友人らしい友人もいなくて、私はいつもひとりでした。
変な仲間はずれもあったし、自分から人を避けました。
強がって気にしないフリをしていたけれど、毎日こわかったし不安で、
ひとりの自分はどう思われているんだろうと比べて恥ずかしかった。
学校の成績や人の目が苦しくて、緊張してどこにも行き場がありませんでした。
やすらげる時間がありませんでした。
本当に私はつらかった。


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怒りの奥に、張り裂けるような痛みと恐怖がありました。
手術のときだって、私が大変なときだって、
いつだってお父さんに守ってもらえなくて、そばにいてくれなくて、
まともに聞いてもらえなくて、
私は本当にこわかった、本当にさびしかった、本当につらかった。
私は小さいころから今までどうしようもなくこわかった。
ひとりぼっち。死ぬほどさびしくてこわかった。
わたしどうなるんやろうという焦り、不安。
この感触を30年以上私は体にまとってきていました。
なかよしの家族やカップル、友人や仲間と楽しんでいる人達をみると
みじめな、さみしい気持ちでやりきれなくなりました。

私は、笑って安心して、皆となかよく暮らしたかった。
外から帰ったら、たくさんあったことをお話して聴いて欲しかった。
外でいろいろあったって、おうちに帰ったら大好きな人達がいて、
なぐさめてもらったり、励ましや、ほっとできる安心が本当に私は欲しかった。
一緒に楽しめる友達や仲間がいて思いっきり遊びたかった。
お父さんにも、お母さんにも
愛してほしくて、守ってほしかった。


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ちいさい私が、叫んでいたことはこうでした。
お父さんもお母さんも、わたしのこといちばん好きちがった。
お姉ちゃんも、おばあちゃんもおじいちゃんも。
わたしのこといちばん好きじゃなくなった。
だれももうわたしとあそんでくれやん。なんで?
わたしがすきな人が、わたしのことをいちばんすきとちがった。
ほしいものがほしい人からもらえなかった。

この痛みを感じると本当に切なくて痛くて、涙がでます。
すごく小さいときには信じていた愛が、家が混乱して
全部なくなってしまったと絶望した私が叫んでいた痛みでした。
家のなかにも、学校や外にももうなくなってしまった。
これを今も大人になっても、私は繰り返していました。
私は、この人のいちばん好きな人じゃなかった。
私は、また探さなきゃいけない。
そう思い知るたびに、傷ついて、涙がでました。

私は、ちいさな私の傷を埋めようと、
親からもらえなかったものを、今度こそもらいたいと
人間関係のなかで繰り返してきました。
そして、またもらえなかったら、また耐えられない痛みを
味わわなければならない恐怖も同時にあって、
好きだと言わないし、近づかない踏み込まないこともしてきました。
相手からの行動とひたすら待っていたり。
私が好きと感じた人達こそ特に。
逆に、相手に嫌われないように、もしくは好かれないように避けたり。
まったく出口のない、身動きのとれない、
恐すぎて、こんな矛盾に満ちた苦しい行動パターンを
私はやっていました。


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ちいさいわたしの叫び、傷が、こんなに今の私に影響していました。
ワークショップを体験して整理できるようになったから、つながりがわかります。
自分でわかったから、意識して止まれる。
自分のパターンを変えられます。
自分を愛して癒してあげることもできます。

ちいさい私がほしいものが、もらえなかった。
本当に本当にほしかったのに、もらえなかった。
もうもらえない。もうない。
悲しい。
感じながら今思うのは、だからこそ、私は私がいとおしい。
ちいさいわたしも、今のわたしのことも。
よく、ここまできたねっていとおしい。
過去を、両親を、育った環境、なにもかもすべて、
そしてわたしを、ゆるす。もういい。さよなら。
ありがとう。


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2つめは、私に暗に課せられていた家族での役割、
今は私こそが他の人にやっていた役割の押し付けのことです。

ワークショップで確かな知識をもらって、
私は、父から代理母、母から代理夫の役割を暗に要求されていたと気づきました。
小さいころから、なぜか落ち着かなくて、
特に小学校に入ってから今まで、父親、母親から接されるときの妙な感じ、
気持ち悪かった理由がわかりました。

今私も、両親にされたように人に対して代理夫、代理母、代理父を要求する、
隠された動機が私の中にあったことに気づきました。
私は、仲良くなりたくて境界線を近づける行為をしているつもりが、
無意識に、変な動機を水面下に隠して侵入しよう、
相手から愛や関心、資源をもらおうとしていたことに気づきました。

私もされてきたからわかる ”妙な感じ” を、相手も感じていたかもしれない。
関係がうまくいかないのは当然でした。
申し訳なかったな……
私は、相手を両親の身代わりにしようとしていました。
特に最近は、男性に父親を重ねて、身代わりになれと強制していました。
そして、今度こそ思い通りの親のように愛してくれと相手を変形させようとして、
また相手がそうならないことを非難して、逆恨みしていたんです。
過去からの未解決の怒りまでも相手にぶつけて解消しようとしていました。
なんてことだろう。
相手の人は、私の満たしてくれなかった両親の代理じゃない。
もし関係がもてたとしても、それは幻想でお互いに病気で本当の愛じゃない。
今の時間ではない、現実ではない、過去を満たそう埋めようとする幻想です。
もう私はやっちゃいけない。
私は、過去のトラウマ、役割から解放されよう。もうやめよう。
もう今は、相手を相手のまま見させてもらおう。
そうします。


文節区切りの線


だから今わかります。
私が私であることで、相手が相手であることで、
正気で、愛し合えることって、
こんなにうれしくて、ありがたいことなんてないんじゃないかな。

私は今まで、もやっとした過去のフィルター越しに今をみていました。
常にぐるぐる何か考えながら目に映るものをみていました。
物事も相手も自分も、正気の目で見られなかった。

私は、ワークショップ・クラスで過去の私の痛みをまともに感じて、
悼んで、なにもかもゆるして、
過去も含めて私のことがそのまま大事だと受け入れて、
私は私を本当に愛していると感じられるようになりました。
深い優しさをもてるようになった。
だから、ほんものの思いやり、優しさ、信頼、理解が実現できる。
尊重できて、敬意をはらい、尊厳をまもれる。
自分にも、相手にも。
それをやってゆきます。


文節区切りの線


2つの気づきをとおして。
私は、”いま” の私に立ち戻ったように感じています。
32歳のわたし。
今までの道を忘れていないから、私は深い優しさをもつことができました。
涙がでるような、いとおしむような優しさです。
そこにいて時間がとまったように密に感じられる、そこにいる、優しさ。
相手の目の前にいること、聞いて、話して、ただ見つめていて、
その方にあなたという存在がとても大切だと伝わったなら、うれしいな。
不思議なのは、そうしていると私こそが感謝や、愛おしさ、やすらぎを感じられます。
ほんのりとうれしくて満たされる感じ。あいさつのときと一緒です。
こんな私になれました。

私は、不毛な叶わない夢がわかりました。
過去満たされなかった、果たされなかった未完の想いを埋める、
まやかしの、実体のない夢ではない夢です。
今までの私が追ってきたものでした。
本当に私はがんばってきました。わたしを、ゆるします。
おつかれさま……もうやめていいよ。さようなら、です。

私は、私の ”いま” の自立した夢を生きよう。
私が私に責任をもって今を生きよう。
愛して、感じて、支えて、守って、思いやって、信じて、
お話をきいてあげたり、みとめてほめてあげたり、
泣いて笑って、抱きしめて、優しくして、
私重心の ”いま” 望む夢を生きてゆこう。
それがどんな感触どんな感じのものなのか、
またご報告させてもらえたら、うれしいです。


こころから、感謝を。
ちいさいわたしを助ける機会をいただけて、ありがとうございました。
ふじさわさん、ONSA、仲間との出会い、日常でやってきた試練に、感謝を。

愛をこめて。
ラブ!




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