ケアーにつながる[3]- 脳特性によって、こう見えているらしいことを、きちんと理解したい。

ONSA WORKSHOP にご参加判断をされる前に
ケアーにつながる[3]- 脳特性によって、こう見えているらしいことを、きちんと理解したい。


| こう見えているらしいことを、理解したい。特性であることを、きちんと理解したい。
大胆に、理解してみる


いわゆる「発達障害」と言った時の、一般的なイメージ。
それは、いわゆる特別なケアーが必要な、特別学級のイメージだったかもしれません。

でも実は、ちょっと違うらしいということを、情報として、分かち合った方がいいかもしれない。
なぜなら、この部分がおそらく、いわゆる「グレーゾーン」に属する皆さまの、苦しみの原因のように思いますから。

まずは図で理解して、その後、専門家の意見も聞いてみます。
「スペクトラム」という専門用語よりも、この説明が分かりやすかった! という方法を試してみます。


| 「ふつう」ではなく、「定型発達」という言葉があります


いわゆる、私たちが「ふつう」と呼んでいる世界は、こんな感じに感じることでしょう。

ちなみに、「ふつう」というのは、100人いれば100通りの「ふつう」があります。
ですので、ここでは、大きく一般化してお話しします。

専門用語で、「定型発達」という言葉があります。
これが、いわゆる「発達障害ではない人」のことをさします。

POINT |
発達障害の脳特性を持っている人 =発達障害
発達障害の脳特性を持っていない人=定型発達

発達障害でない人のことを、「普通の人」とは呼びません。
「定型発達」と呼びます。


まずは、大多数の人の「ものの見え方」を見てみる

発達障害ではない、「定型発達」の人の、世の中の見え方は、たぶんこんな感じかもしれません。



「実際には見えないけれど、まるで空気中に、文字が書いてある感じ」
と、説明しています。

そうすると、発達障害の方は、
「ええ!? 本当に書いてあるのですか?」
とおっしゃいます。
でも、そんなことはなくて、これはもちろん「たとえ」。

「実際には、実物の文字はない。でも、空気の中に『ああすべき』とか『ここでは、こうふるまうべき』といった感じの『見えない文字』が、まるで耳なし礮一の世界観みたいに、書いてあります。まるで、見えそうなほどですよ」


「空気を読め」が、成立する世界

いわゆる「定型発達」者は、「空気が読め」ます。
それゆえ反対に、「空気を読め」に、とても苦しめられますよね。

「空気って……。空気の中には、何もない」
……とはいえ、よく見ると、確かに「何か」はあります。

これが、いわゆる言語化されていないメッセージ。
「非言語メッセージ」というものをさします。

たとえるなら、空気の中には、こんなものがあります。

・社会常識(=「常識でしょ」の部分)
・その場での、適切なふるまいかた
・本音と建前
・していいことと、場を外れたふるまい
・「それは理想だけれど、現実は違うでしょ」という差
・周りに合わせた、適切な行動
・いわゆる「ふつう」

文字で明文化されていない、でも確かにある、「何か」の部分です。


ルールは、その場その場で微妙に変わる

「定型発達」者は、相手の微妙な表情を読んだり、場の雰囲気を読んだり、「空気を読んで」、その場その場でものごとを決めてゆきます。

「定型発達」者にとっては、それゆえ、ルールとはその場その場で、微妙に変わるもの。
そしてふだんは、そのことを特に、不思議とすら思っていません。

なぜなら、刻々と変わる現実に合わせて、ルールが微妙に変わらないことは、逆におかしいこと。
微妙なルール変更は、まるで「空気」のごとく、当たりまえです。


POINT |
ふだん、特に意識していなくとも。
空気の中には、「見えない文字」があります。

この「見えない文字」に影響されて、細かなルールは、その場その場で、微妙に変わります。
天気の具合によって、パン種の中に入れる水の量が一定ではなく、その日その場で、微妙に調整されるように。

空気の中の文字は、たとえ見えなくとも、その場の状況に、影響を与えています。
ある場面では「絶対に間違い」ということが、別の場面では、正しくあったりします。
ルールは硬直していなく、その場その場で解釈が変わります。この世の中は、そうやって回っています。


| 「空気を読め」は、しんどい。でも、少なくとも「読める」


この、空気の中に漂う「何か」を読みながら生きることは、時にしんどいことです。

著者(私)も、書籍の中でたびたび、この「空気を読め」について、取り上げています。
ONSA WORKSHOP に来てくださる、「機能不全家族問題」に巻き込まれた方も、この「空気を読め」の部分が、特にしんどいと言います。

空気を、読みすぎてしまう。
あっちにもこっちにも、気を遣いすぎてしまう……。

実際の文字として、形はないけれど。
でも、空気の中に確実に描かれている「何か」は、事実として、存在しています。

私たちは、その「何か」……「常識でしょ」や「普通」「これぐらいが適切」「この場で言っていいことと、『それは、まずいだろう』という微妙な線引き」を、巧みに読みこなしながら、何とか日々を暮らしています。


本当に、見えない場合がある

でも実は、この「見えないけれどある」ものが、本当に見えない場合がある。

本当に見えないし、うすぼんやりとしか感じれない。
これが、いわゆる発達障害の、脳特性のしわざによるものです。

いわゆる「発達障害」をお持ちの方と、「機能不全家族問題」に苦しんでいる方。
この両者の苦しみは、こんなふうに、源が少し異なります。


POINT |
定型発達のうち、機能不全家族問題に巻き込まれた方の苦しみ
→ 空気を「読みすぎて」辛い

いわゆる、発達障害の方の苦しみ
→ 空気が「読みづらい」「読めない」脳特性である

苦しみの発生する、原因が異なる。
それゆえ、対処方法も、当然異なってきます。


| 「抜けて見える」ことは、実はとってもしんどい


いわゆる「発達障害」の方の、苦しみの源。

それを、例として描いてみると、こんな感じかもしれません。
ちなみにこれも、「たとえ」ですので、「私には、そんなふうには、見えていない!!」と、からまないでくださいね。
大胆に理解するために、大胆に「たとえ」ます。



いわゆる、「発達障害」の方にとって。
「空気を読め」と言われても、こういうふうに、抜けて見える場合があるといいます。

・ところどころしか、見えない。
・あるいは、「ぜんぜん見えない」場合もあるという。
・とぎれとぎれなので、意味がつながらず、分からないこともある。

本当に、人それぞれだと言います。



ところどころ欠けていることに、気づけないことは、しんどいこと

そして、これは実は、とてもしんどいこと。

英語で、考えてみてください。
単語力も増え、文法も理解してきて、「分かるところ」と「分からないところ」が、分かるようになってきた。
ですが、分かるようになればなるほど、分からない「何か」がある時、辛くありませんか?

辛さの原因は、やはり
「何が分からないのかが、微妙に分からない」
「わかっているように思えて、漠然としている」
ということだと思います。

「全部、分からないわけではない」
「でも、ところどころ、聞き取れない」
この、なんとも言えない宙ぶらりん感が、とても辛い。


たとえるなら、こんな感じです。
周りでワイワイと、話が進んでゆく。

でも自分は、肝心な文章や単語、何か致命的なものが聞き取れなかった。
でも、周りは聞き取れているようで、自分を置いて、どんどん話が進んでゆく……。


自分を置いて、話がどんどん進んでゆく。
自分だけ、仲間はずれ感。
これは、誰だって苦しい。


この「分からない」が、同じ言語の中で起こる

話が外国語ならば、こんなふうに、客観的に理解することもできます。
でも、日本語と日本語の間で、これが起こっている場合は、すごく気づきづらい。

「私、日本語は分かりますし」
「国語は、得意でした」
「本を読むのは、好きです」

同じ日本語ですから、字面通りの言葉は、理解できている。
意味も分かる。

でも、なぜか、現実でうまくゆかない。

なぜ?
なぜならば、発達障害の方の脳特性では、空気の中に書いてある「見えない文字」が、読みづらい/読めないから。


「見えない部分」が、苦しみの元になっているかもしれない

それゆえ、人に誤解されたり、細かなミスが続いたり、なぜか「それは、おかしい」と、ことあるごとに言われる。
言われるなら、まだありがたい方で、そっと距離を置かれることもある。

こうなると、傷つくどころの話ではない。

そうして気に病んでいるうちに、社会に居続けることや、人と関わりをもつことが、怖くなってしまう。
鬱っぽくなってしまう。
実際、発達障害の方は適切なケアーを受けなければ、二次障害として鬱症状を来す確率が、とても高いといいます。


でも、そもそも。
それは、
「何かが『おかしい』」
「話を、ちゃんと聞いていない」
「自分勝手だ」
という類の話ではなく、脳の特性に由来するとしたら?

いわゆる、「定型発達」の人に見えているのと、同じ「空気」の見え方が、していなかったら?
「空気を読む」の、「空気」の中の文字が、脳の特性の問題で、ぜんぜん見えなかったら?


もちろんこれは、人柄や性格、努力の問題とは、まったく別次元の話になってきます。


| 発達障害のタイプによっても、脳特性は違う


興味深いページがあります。
以下に、リンクを引用させていただきます。

発達障害の方のケアーをされている「NPO 法人 日本インクルーシブ研究所」の、中谷美佐子さんのブログからです。

本音と建前、言語と非言語コミュの難しさ


上記リンク中、本文中にも、「ちょっと脳のタイプが違います」という言葉が、出てきます。
いわゆる「空気を読む」ということが、きわめてきわめて、きわめて苦手ということが、書いてあります。

いわゆる発達障害は、脳特性が、ちょっと違う。
しかも、「どう違うか」も、人それぞれ。



これも、大胆な「たとえ」なのですが、右のような見え方の場合もあるし、左のような場合もある。
脳特性の違いで、見え方すらも違ってくる。


「好きにしなさい!」の解釈が異なる

見え方も違うので、上記リンク先のページに出てきたように、
「好きにしなさい!」
という言葉を、字面通り本当に
「好きにしていいんだ!!」
と、脳が解釈してしまう場合もある。

それゆえ、本当に好きにしてみたら、怒られた。
ご本人にすれば
「なんで!? 今、『好きにしていい』って、言ったじゃない!」
ということになる。

「好きにしなさい!」は、「定型発達」の世界では、「それは、してはいけない! もう、いい加減にして」という意味になります。
ところが、空気の中の文字が読めない……同じ前提を共有していないせいで、同じ言葉なのに、意味を共有できないことが起こるのです。

POINT |
「好きにしなさい!」
 ↓
背後の空気が読めず、言葉だけを読み取る
 ↓
「好きにしても、いいのだ!」
 ↓
トラブルになる

言葉は、その背景となる「空気」と一緒に、その場に存在しています。
それゆえ、この「空気」の部分が見えづらいまま、言葉の字面だけを読んでゆくと、現実のトラブルにつながります。
これが、いわゆる現実レベルの「噛み合わなさ」の、原因のひとつです。


| 実は、とても大変なことなのです


実際、著者(私)がお目にかかった方の中では、
「不思議ちゃん」
というあだ名をもらったと告白してくださる方が、とても多いです。

「ほんのちょっと」だけ、見えない。
でも、一生懸命推測して、合わせる。
その結果、ほんの少しだけ、何かが「ずれる」。
その現象を、
「不思議ちゃんだよね」
と、あだ名されたというのです。

発達障害の方の側に立てば、見えないものは、見えない。

ですから、見えていないものを「読め」と言われても、無理。

それゆえ、結果的に
「えっ? 何でそこで、それをする?」
という、言動や行動になってしまうことが多く、それゆえ「不思議ちゃん」扱いをされることが多かったといいます。


大人になればなるほど、「噛み合わなく」なる

仕事場などでは、決して自分はそんなつもりはないにも関わらず、辛い想いをされた方が多い。

仕事(事業)は基本的に、収益を上げる場所。
自分の能力を提供することで、ひきかえに、対価を得る場所です。

そのため、誰もが一から十まで全部、丁寧に説明はしてくれません。
仕事場はスクールではありませんし、いわば全員が、収益を得るための「戦闘要員」。
それぞれ、自分の仕事があります。

いわゆる、「察する力」「応用力」が求められます。
言い換えれば、「場の空気を読む」「気を利かせる」「譲り合う」ということが、大前提として求められています。

その「空気」が、読みづらい場合。
そしてご自身が、いわゆる「発達障害」である自覚が、ない場合。

空気的なものが理解できず、意図していないのに誤解を生んだりして、とても辛い想いをされるケースが多い。
ONSA WORKSHOP にたどり着いてくださった、ごくごく軽度の発達障害の方は、このような体験が多いと、告白してくださいます。





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