2015.02-05月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(後期日程)」ふくじゅそうクラス

PAY FORWARD:Web. WORKSHOP コース2/STEP.1(後期日程)
2015.02-05月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(後期日程)」ふくじゅそうクラス


「コース2」のテーマは「いわゆる『家族問題』」です。
ONSA Web. WORKSHOP では、毎週1課題、全12週にわたり課題に取り組んでいただきます。本 PAY FORWARD は、最終12週目の課題としてお取り組みいただいた、締めくくりのワークです。

●コースの内容 
- 「ONSA Web. WORKSHOP(ウェブ・ワークショップ)」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) ふくじゅそうクラス




自分に、そして仲間に、気づきの報告やメッセージ、お手紙を書くつもりで、感じたことを素直にまとめてみます。

3カ月だったけど、はじめの記録から読んでみると、遠い昔のことみたい。
わたしは自分を守るのでせいいっぱい、というところから、一歩抜け出せた気がする。

わたしは自分のままでいたかったのだけど、気がつけば今は前よりもずっと一緒にいられる気がする。


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わたしがずっと自分が悪いのだと思っていたこと。
どうしていいかわからなくて、いつも正解を探していたこと。
何かを引き受けることが怖くてできなかった。
自分がやりたいことなんてない。自分の考えなんてない。
それよりも正しいこと、間違えないこと、失敗しないことのほうが大事。

しんどかったし、辛かったし、何より怖かった。

わたしはなにか悪いことがあると全部自分が悪いのだと思って、いつも怯えていた。
でもなんで悪いのかわからなかったから、どうすればいいのかもわからなかった。
確かなものが欲しかった。
不安定な土台の上に立って、いつも不安だった。

どうすればうまくいくのか、その方法が知りたかった。
わたしは自分を守るのに必死だった。


自分の問題に向き合うのがすごく怖かった。
自分がダメなことがまたわかってしまう。
だから全部見ないふりをして、心の中に閉じ込めていた。


誰一人信用できる人がいなかった。
わたしの味方になってくれて、わたしを守ってくれる人なんかいない。
辛いって言えないし、助けてって言えない。
言おうとも思わなかった。

だから、辛いことも苦しいことも、どうすればいいかわからなくて、みんな全部一人で抱えていた。
そういうものだと思っていた。


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わたしはそうやって問題から逃げ続けていた。
向き合うことを避けていた、ということも気がつかなかったし、問題から逃げてることも認められなかった。

とにかくダメな自分が許せなかった。
友達とうまくいかなくても、「寂しい」と思ってはいけなくて、「1人でも大丈夫」、「わたしは強い」ということにした。


正しい答えどおりにできない、あるべきようになれない。
それはすべてわたしが悪い。

そんなことは辛くて受け入れられない。
見ないことに、なかったことにしていた。


だから人の言うとおりに、母親の言うとおりにできなければ。
自分がしたいかどうかではなく、そうしなければ認めてもらえない。わたしがダメ。
自分の考えなんかもってはいけなかった。

そして、いろんな『べき』がずっとずっとわたしを縛っていた。
わたしは自分の考えを持つことはなかったから、嫌な気持ちになっても自動的にフタをしていたから、ずっと同じ『べき』に縛られ続けていた。
『べき』なら、そこで考えなくていい。
とりあえず、自分がその行動に責任やリスクをひきうけなくてもいい。
そうして、それ以外の可能性はすべて捨てられ、そこから抜け出せることはなかった。


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わたしは自分の怖い、という感情に向き合うことをすごく怖がっていた。

こんなことを怖がるわたしが悪いと思っている。
自分の感情を抑え込んでしまうほど、自分の感情を認めないほど、わたしは深く深く自分を責めていた。

これまで怖いという感情を受け止めたこともなかったし、受け止めてもらったこともなかった。
「怖い」と思ってはいけなかった。
誰も私の怖い気持ちに気がつかなかったし、わたしも自分に気づかれないようにいそいで蓋をした。


自分の感情を書くのが怖かった。
感じることを書いたら、そのことは自分のことになる。またあの感覚を思い出す。


できごとを書いている限り、それは自分の外のこととして冷静に見ていられる。
わたしは今まで辛いことをそうやって切り離してきた。
その時の感情を引き受けて、感じたことを少しずつ書けるようになってきて、よかった。


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自分の恐れと向き合って、自分が心の底の底で自分が悪いのだと責めていたことに気がついたから、わたしはわたしのままでいいのだ、と思えるようになった。
自分が精いっぱい自分を守っていたのだといって(それは本当だけど)、問題と向き合うことから逃げていた、と気づいたから、自分とちゃんと向き合おう、と思う。

怖い、ということが怖かった、自分の感情を引き受けるのが怖かった、と気がついたから、感情の受け入れて、サインを読もう、と思うようになった。
そして、たくさんの ‘べき’ がわたしを縛っている、と気がついたから、自分のことを決めるのは自分なのだ、と自分に言えるようになった。


この3カ月だけじゃなくて、これまで続けてきたワークショップ・クラスすべてで、ここまで来たんだと思う。
続けてきてよかった。

わたしがわたしに、わたしが悪いんじゃない、わたしはそのままでいい、と言えるようになったのは、ほんとうによかった。




タイトルはじまり目印

W. H. さん(20代/宮崎県よりご参加) ふくじゅそうクラス




Web. WORKSHOP「コース2/STEP.(後期日程)」まで進んでくることができました。
ここまで進んでこられたことが、私は信じられません。

ずっと続くと思っていたので、終わったことが不思議です。
泥の中を這って歩いた、暗くて長い3か月。それと同時に暗闇のなかに希望の光を感じます。

この PAY FORWARD も「立派なことを書かなくちゃ!」「外側から見えた時に、もっと立派に書かないと!」と思っている自分がいます。「うまく書けないからダメだ…」と、自分を責めるんじゃなくて、それも今の私なのだと受け入れようと思います。

この3か月、よくやりました。素晴らしいと思います。
季節が変わり、春が近づくにつれて感情面でも生活面でも大きな変化がありました。アップダウンが激しかったのに、よくしがみつきました。

今回は特に今までより、課題に集中して取り組めたね。
ワークショップ・クラスが始まったころは、夜が不安で怖くて夜中に目が覚めることがあったのに、今は眠れるようになっているんだよ。体調管理も整ってきたね。
誕生日には、私の中で大きな変化がありました。通過儀礼のようなもので、私は自分の人生に大きな区切りをつけました。
とても素敵な一日でした。大切にしていこう。

ゆっくり、少しずつだけど、本音が吐き出せるようになりました。
私が勇気を出して、心を開いてみようとしたから、別の道が開けたんだよ。
新しく道が開けました。素晴らしいと思います。

勇気を出して心を開いてゆっくり歩いていきたいです。ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. T. さん(30代/東京都よりご参加) ふくじゅそうクラス




今回の Web. WORKSHOP はきつかったね。
途中で、書き込んだり、自分と向き合う時間がほんとうに取れなくなってしまった。

忙しかったから…。
それは本当にそうなんだと思う。
ただ…本当にそれだけなんだろうか?

共依存の本当の怖さ、「油断」「甘くみる」というところを無意識のうちに行動に表れてしまった結果だったのではないだろうか。
自分を大切にしたい、自分と繋がり向き合いたい…と思っていても、自分の中で仕事で任されている役割に飲み込まれていなかっただろうか。

自分の中では、仕事のペースを落としたい、自分とつながれる時間と仕事量のバランスを取りたい、そう思い、日々の忙しさに苛立ち、そのうちその苛立ちも感じないくらい、感情を麻痺させるようになっていたと思う。
“責任感” という言葉で、隠していなかっただろうか?

本当によく頑張っている自分がいる。
けど、その頑張り、本当に自分のための頑張りなのかな?
そんな大きな壁にまたぶち当たっていることを感じるワークショップ・クラスだった。




タイトルはじまり目印

A. K. さん( 30代/北海道よりご参加) ふくじゅうそうクラス




藤沢さん、スタッフの皆様、同じ道を歩き通した皆様、3か月にわたり、どうもありがとうございました。
一人では歩けない道のりでした。

私のこのコースへの参加は2度目です。
1回目とは全然違う見方、ものが得られた…というより、その時の自分の中(心と体)と外(環境・状況)が課題に反応して、1回目と違う効果があったのかな。
今回は、今回の私に見合う効果が得られているといいな。

このコースの前半、私は通信制大学に行き詰ってしまって、気持ちだけ焦っていました。
できるだけ現実的・具体的なスケジュールを作ってみても、まるで気持ちがついて行かず、作業が進まない状況でした。

コース後半からは、現在収入を得ていることに関する資格のスクールに通うことに決め、通学と勉強が始まりました。
勉強自体は好きだし、通信と違ってモチベーションも保てるのがとても助かるのですが、長時間の通学と、楽しいとはいえ一気に増えた勉強量で、いつの間にか疲労を溜めこんでいました。

疲れた体で家事や夫の出しっぱなしのものの後始末をするのに怒りが湧いて来たり、疲れた自分をケアすることがとても下手なことを再認識したり。
9週からの課題で、何かを自分なりに掴みかけた感触があったのに、疲労と頑張りの波に飲まれると、あっという間に見えなくなってしまうことも良くわかりました。

今までの課題を読み返していて、『がんばれ』ば『がんばる』ほど、ものごとは加速(スピードアップ)して、悪くなる」がずっしり来ました。
がんばりという勢いの波に乗って、目の前のことや自分の気持ちの一つ一つに全然向き合えていないと、あっという間に元通りになってしまう。


実際、今も疲労困憊に近い状態なので、どれほど自分のことが見えているかも不明ですが…。

疲れたまま突っ走ってしまう私は、もう一度時間と向き合う方がいいかも・・・。
Web. WORKSHOP の「コース1/STEP.1」に戻ろうかとも思いましたが、この先にある「コース2/STEP.2(前期日程)」の「コントロールをある程度手放す力」「ニーズを見分ける力」「限界と境界を設定する力」の方が、今の私には必要な気がするので、このまま進むことにします。
そして、やはり必要だと感じたら、また Web. WORKSHOP の「コース1/STEP.1」へ戻ればいい。


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「できる」ようになるまで、何度でもトライ&エラーを繰り返す。
そうしないと、自分の人生が進まない。
そのことが、恐ろしい重さで私にのしかかっています。

辛いこと苦しいことや大変なことがあった時、自分には関係ないとか何も感じないとか合理化して、乗り越えられずに迂回して来た沢山のこと。
それって、魔法みたいな迂回路があった訳じゃなかった。

人生のどこかでは必ず乗り越えないと先へ進めないことが沢山あったんだ。
逃げたことについては、逃げた時から私の時間は進んでいない。
そこから学べたはずの対処方法や経験は、私の中には存在しない。
そういう重さです。


すごく小さい、痛みも少ない例で言ってしまえば、たとえば私はリンゴの皮をナイフで剥けません。
ピーラーで剥けばいいやっていう迂回路でごまかしてたけど、ナイフ剥きを練習して「できる」ようにならないと、その先のうさぎリンゴを作れるようにはならない。
そして、立ち向かう機会のあった年齢から時間が経ちすぎてしまって、みんながリンゴで芸術的な彫刻を作っている年齢になっても、私はまだ皮むきが出来なくて固まってる、みたいな…。


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共依存のことをここで学ぶにつれ、みじめな気持ち、知らないで行動していた恥ずかしさや怖さ、辛い記憶や感情が蘇ります。
怒りもいっぱい沸いてきます。
そんな中でも、日々の生活は続いて、私の時間はどんどん過ぎて行く。
わーっと投げたい気持ちになることもしょっちゅうあります。


そういう時に、ちょっとだけ思い出すお話があります。
確か村上春樹の小説の中で、たとえ話に使われていた短いエピソードです。

別々の場所で生きている少年と少女が、一切の記憶を失ってしまう。
多分、人付き合いとかコミュニケーションの方法とか、この世界で生きる常識とか、そういう事も。
でも少年と少女は賢い子たちだったので、その年齢から改めてひとつひとつを学び直して、(人よりはちょっと遅れたかも知れないけど)大人になって、そして出会う。

それだけのお話だったと思うけど、忘れられないんです。

村上春樹が少年少女を「賢い」って表現したのは、彼らの学び直す要領のよさというよりは、自棄にならず、自分のために必要なことだと理解して、ひとつひとつを投げ出さずに学び直した、その点についてなのだと思うから。
そして、さらっと引用してあったけど、彼らがやり直す道のりは膨大な時間と手間と、もしかしたら私のような怒りやみじめさがあったんじゃないか。
そう思うようにもなりました。


ひとつひとつ、等身大でいいから、できるようになりたい。
そのための道を、不安と焦りで自分に鞭打つのではなくて、できたら楽しく、自分と仲良く歩けるようになりたい。
その気持ちが、今の私のこの3か月に対する感想です。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) ふくじゅうそうクラス




激流の3ヶ月。

ほんとに、よくできた! よくやったね!
それ以外に、言うことなんてないってぐらい。

“カンペキに” でもなく、”まあまあ” でもなく、”もっとできたはず”でもなく、今の私の、できること、で、それでいい。
この感じも、得られたもの。

最初は、新しいコースでワクワクしてて、
泣いて、大号泣して、
怒って、怒りまくって、
ふぬけたように、何にもする気も起こんなくなって、
ガーン、ショック、
もうヤダっ、ってごねて、拗ねて、
こんなこと思ってたんだ、恥ずかしー、ってなって、
はあー、ため息も多くて、

それでも、3ヶ月、戻って、感じて、書いて、
それだけでも、えっ、なんかさ、じゅうぶんすごくない?! すごいよ!


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何もかもが激流で、課題文を読む、それだけでも、体力か気力かがとってもいるコースだった。

“カンペキに” できてないし、わかってないとこも多いと思うし、
それでも、うん、これでよくて、できた、そういう感じがする。

“カンペキに” だとしたら、逆に繕ってる感じ。
おかしいね、今まで “カンペキに” にどれだけこだわってきたと思ってるの?
キレイな顔して、わかってますわよ、こんなこと、こういうことでこういうものでしょ、と取り繕いながら、
中身がグラグラなのを隠すようにやること、”カンペキに” 見えるように。

初めてやることでも、全てわかってる、ように、全て知ってる、ふうに=失敗などありえない、してはいけない。

ハードル高っ、神様? 微笑みながら、指先一本でなんでもできちゃう?
トライもエラーもなく、ただ怯えてる、中身がない、芯がぐらぐら、
それを補うために、手っ取り早さを求める、くっつける。
その繰り返しを今までずっとやってきたんだ。

もう、恥ずかしさバンザイ、ぐらぐらバンザイ、とすら思えちゃう。


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日々この空間で、文字で思う存分、子供のように暴れまくったから、そう思えちゃう。
キレイな顔して、できるものではなかったよ、この3ヶ月。

正直、読み返してて、自分を持て余してもいた、
自分で自分のこと持て余すぐらいなんだから、

ましてや、人のことは奥深くわかってあげれるわけないし、それはできないこと。
目の前の人、家族でも友人でも他人でも、もう違う惑星の宇宙人ぐらいなんだ、って思ったら、逆に楽な感じ。


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一番のポイントは「悼もう」だったと思う。

コース始まる前から、イヤな予感はしてた。
いや、だって、”悼もう” だよ、ゼッタイ、ロクなこと書いてなさそうな・・・ほんとは愛ある課題だとは、わかってます。
もう大号泣だった。

思ってたんだよね、私、思ってたんだ、
無意識にでも、思ってた。

まだ、10代20代の時間は “ある” んだって。
それ、”ない” んだって。今も泣けてくる。

無意識だった証拠なら、ある。
だって、私のこの、前を向いて進めない、今にいられない、この苦しい感じ、
それは、まだ “ある” はずの10代20代の時間から、どんどん遠ざかっていく、そこが遠くなる、だから焦る、過去のものを早く埋めないといけないのに、どう、取り返したらいいの?

“遠ざかる” んじゃなくて、もう、”ない” んだって。
“ある” と思ってたから、遠くなるよーってなってたけど、”ない” んだって、二度と取り返せないんだって。


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正直、新しいことを知るたびに訪れる、その後の混沌とした乱れた時間が、とってもイヤだった。
せっかくせっかく、いい感じにきたのに、また落ちたーってなるのが、とってもイヤだった。
もう、このコースだけで、何回落ちたか…。

それでも、知らない前のイイ感じ、なんて、ほんとにはいい感じじゃなかったんだ、って思ったし、
だって、どっか苦しくて焦ってたもの。

泣いて、怒って、もぬけの殻になって、落ちて、落ちて、ごねて、拗ねて、傷ついて、開けちゃいけないような孤独も感じて、それを感じて、
そうしてきた、そうだった、今もどっかそういうとこある、私、
それで、いい、よ。いい、いい。とっても、いい。


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“もっと他になにかできることがあるのでは”

何回も書いて、ずっと思い続けてきた、この思い、この感じ。微妙に苦しい。
その内容って、
“今、この目の前のことよりも、もっとなにかキラキラしたものがきっと用意されてるはずだから、それをしなくちゃいけないのに、何もできてない、早くしなくちゃ、遠ざかる、できなくなる”


今、不思議と、
“もっと他になにかできることが…”
んなもの、あるかーっ!
今、この私、だけで、手いっぱいだっ!
と思う。


最初に書いた、”私は私でいい、それがもっとわかるように”
なんて書いたんだ、っていうぐらい忘れてたけど、
不思議と、以前よりは、優しくそう思えるような、すこーし背筋が伸びたような、そんな感じがする。
これだけでも、ほんとにほんとに、嬉しい。

いや、これだけ、なんて言っちゃダメだ、そこだよ、そこ、悪いクセ。
もう、それだけが、じゅうぶん素晴らしい。


“なにもしない1ヶ月、3ヶ月もあったけど、3ヶ月でここまで来ることができました” って、何回も読んできたけど、
今まで、そうかな? なんて思ってた。
ようやく、あっ、ほんとだ、って思えるようになった。
落ちて後退しまくってるけど、なんかそう思う。


あと、やたらと、
“遅いは、早い”
“目の前の一こ”
“今日、一日で OK ”
“今、ここ”
“今、ここを、丁寧に”
と、目から入ってきまくるので、逆洗脳(笑)?

ほんとに、目の前の一こ、でいいんだ。
いいの? いいのね、いいんだ。

コース、課題、日常の、
今、目の前のこと、一つ、
今、この目の前の人、宇宙人だと思ったら、ていねいに伝えないと、って思うし、
私のコピーぐらいにわかってくれ、とも求めなくてもいいし、
“その目の前の一つを、またそんな風に扱っていいの?”
それは、とても何かを感じた。


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目の前の一つを大切にしない。

それは、慣れた過去のデータを大事に抱えてて、
それでパッと処理して、
こんなことよりも、もっとキラキラしたもの欲しいよーってオカシく夢見がちで、
しかも、パッパと処理するものだから、
どんどんやってくる感じがして、
キラキラしたものが遠ざかるー、ってなって、
だから、もっと急ごうとパッパとやる…。

今にいなくて、自分を生きてない感じ。
なにも積み重なってもない。
そうやって、どれだけ損なってきたんだろう。


頭のスピードと、現実の時間は違う。
何回も読んできたのに、
ようやく、第1歩目の、あっ、ほんとだ。
焦る、どうして、もっとあれもこれもできないの? 責める。
“どうして、頭で考えてるスピードで、できないの?” って言ってるんだ。

それが、とってもムリ、なことなんだ。
よく思うと、ほんっと当たり前だー。
だから、微笑みながら指先一本で、できない、んだって。


知らなくてもいいし、
わかってないこともあっていいし、
大人でもできないことたくさんあって、当たり前、
ほんと、当たり前だよ、
目の前の一つ、で OK、
私は私でいていい、
どんな私でもいい、
一人の心ある存在で、
私は、私を大切に、
私は、私に集中していればいい、
できなくなったりしても、
またできるように、なっていけばいい。

前回、”私の大丈夫は大丈夫じゃない” ってわかったはずなのに、
また終盤で、調子乗った私、なんかいける~。
全能感、って、文字じたいが、もううさんくさいじゃない…。

すぐ調子乗る=なめてる。
これも、一つわかったこと。これは、第2歩目のわかった。


文節区切りの線


このコース中の優月さんのブログのメッセージも励みになった、なんか、自然と立ち止まって、自分に問いただしちゃう。

これは、この道は、一人じゃムリだ、
って、すなおに浮かんだ。

一人じゃない、ってほんとに涙が出る。
ありがと、ありがとう。



タイトルはじまり目印

M. N. さん(20代/埼玉県よりご参加) ふくじゅそうクラス




このコースは二回目になりますが、今回は課題提出出来なかったりぎりぎりになったりという事が結構たくさんありました。「まあ、いいかな」という気持ちで先送りしていってしまいました。

だんだんと、共依存に対する怖さが麻痺してきていると感じています。
それこそ、本当に恐ろしいことだと思います。
 
ワークショップ・クラスを始めた頃には、「こんな苦しいのは、もういや!」という強い気持ちがあって課題にも集中出来ていましたが、今はその気持ちが薄れてきて日々のあれこれの方に時間を多く使いがちに。
最初のあの熱意はどこ行ったの?! と自分でも思ってしまいます。

すごく苦しい時はなんとかしようと頑張れるけれど、
「なんとなく危険な感じはするけど、見ないふりしちゃえばなんとかなりそう」
「今やらなくても、いつかそのうちで間に合いそう」
という今まで慣れ親しんできた古い考えを拒否するのって本当に大変だと思いました。

でも以前のように、自分がダメだからこんな風になってるとは思わず、進んでいるからこそこうゆう問題が出てきたのかもとちょっと前向きにこの事を捉えられています。
とにかく、どんな状況になっても諦めないで歩き続けていこうと思っています。

クラスの皆さま、藤沢さんやスタッフ方々、12週間お世話になりました。
ありがとうございました!





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