2012.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」おりーぶクラス

PAY FORWARD:対面式「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」
2012.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」おりーぶクラス


「インナーチャイルド・ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「インナーチャイルド・ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
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S. K. さん(20代/神奈川県よりご参加) おりーぶクラス




おりーぶクラスの皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

私は、ワークショップ参加が、今回で3回目でした。
優月さんがブログで触れていた、ワークに参加された先輩たちが経験した「山」を感じることができました。

本当に、凄く楽しかった!
学校の床の雑巾がけは、本当に久しぶりでした。
(ここだけ読むと、何やったんだろうとなりますが……笑)

床に座り、寝転ぶことで、気持ちがリラックスして、本当に自然と泣くことができました。
赤ちゃんの頃のこと、記憶なんてほとんどないのに、この時期の子が、どのような状況にあったのかを聞いているうちに、心が思い出して、反応していました。
身体全体が覚えている、そんな感覚でした。


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特に、手紙を書いているときが、一番の大泣きポイントでした。
右手で書く手紙は、大人の私から、子供の私に。
左手で書く手紙は、子供の私から、大人の私に。
右手の私は、本当に優しく、頼もしくて。
左手の私は、本当に愛おしい。

この後の瞑想も、これほど私の存在を実感したことはないくらい、心の中に浮かんできました。
赤ちゃんを、こんなに愛しくて、可愛いと心の底から感じたのは、初めてでした。
この気持ちを感じることができたのは、本当に幸せです。
私が、初めて愛するのは、相手ではなく、自分であること。
これが取り戻せたことは、私にとって本当に大きなことです。

瞑想で、9ヶ月から3歳までの私に会ったとき、凄く笑顔で、元気に砂遊びをしている姿に、この位、パワフルだったな~と思い出しました。

大人になるって、自分の中の小さい子を、優しく包むことなんですね。
それぞれの時期の子達に、適切な守り方があるということも分かって、本当に良かったです。


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気分転換として、私たちがよく用いる行動の中に、この子達を守る方法があることに気付きました。
世に広く出ている気分転換の方法は、仕方が説明されているだけで、何故、それが私たちに必要かを説明しているものは、少ないように思います。
私たちの心と、身体の構造が繋がっていて、しっかりとした理由に基づくものなら、気分転換自体に妙な罪悪感を感じることは、なくなるのではないかなと思います。
少なくとも、私は、そう感じました。


今回のワークショップは、私にとって、本当に驚きの連続でした。
もし、これから参加しようかどうか迷っている方がいるなら、是非受けてみてください。
この時期に覚えてることなど、ほとんどなくても大丈夫です。
実際、私も覚えてないですし、覚えていても、正確にこの時期かどうかも判断できないことが多かったです。
それでも、本気でやれば、必ず「わたし」は答えてくれます。
そして、「わたし」を愛おしく感じることができると思います。

最後に、おりーぶクラスの皆さんと、ワークができて嬉しかったです。
ありがとうございました。



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A. N. さん(30代/千葉県よりご参加) おりーぶクラス




こんにちは。
優月さん、宇佐美さん、ワークショップ・クラスでご一緒した皆様、
先日は大変お世話になりました。
その後いかがお過ごしでしょうか?

(お約束した通り)ワークショップ2クラス目・歩行期について書きます。
子どもの私が見上げた、賢くて優しい魔法使いの大人の私は、現在の私自身でした。
言い換えるなら、現在の私は、過去の私の理想にコントロールされた姿だということに気づいたのです。
幼い頃に、「こういう大人に自分を守って欲しい」と思い描いた通りに、人生を歩んできたような感じです。

幼い頃の私は、周りの大人に真面目さや誠実さを求めていました。
誰よりも誠実で、誰よりも信頼に足る人物になれと自分を追い込んできた結果、人生において何を大事にしているのかが分からなくなりました。

自分を大切にし、必要以上に他人に気を遣わない術は、今までのワークショップで学んできましたが、自分自身が未だに安心を渇望していることに気がついていなかったので、やはり相変わらず人生を楽しむことが出来ていませんでした。

ワークショップ・クラス以来、私の中の小さな子と、大人の私二人とも WIN-WIN の関係になるためにはどうしたら良いのか考えています。
小さな私を大事にして、完璧でない大人の私でも、信頼に値する大人なのだと認めてもらえるよう、一緒に歩んで行きたいと思います。


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ちなみに、当日は床を拭いて地べたに座ってのワークでした。
スカートで参加される際には、下にタイツやレギンス等穿いていらした方が良いかもしれません。

今回ペアになって下さった方に、心から感謝しています。
他人の話を、自分のことのように捉えてくださるお姿を拝見して、とてもお優しい方なのだと思いました。
今は不安で、何から手をつけていいか分からないような状態でも、いつかスッと視界がクリアになって、本当の自分と出会える日が必ず来ます。
どうぞそのことを信じてくださいね。

最後に、このワークショップの収穫が、皆様にとって実り多きものになりますよう、お祈りしています。



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H. K. さん(岐阜県よりご参加) おりーぶクラス




ワークショップ・クラスの後、帰りの新幹線から降りるときに、東京で買ったペットボトルの水が全部無くなったことに驚き、だけど、それくらい泣いたんだなぁと納得もしました。

今回、ワークショップに初めて参加させていただいて、自分自身に何が起こっているのか、今もまだはっきりと分からないでいます。
だけど、自分に自信が持てないことや、なんとなく満たされない気持ちを誰かに聞いて欲しくて、そんな状態でいたからなのか、すこし薄暗くて温かみのある明日館のお部屋と、藤沢さんのおっしゃるコトバのひとつひとつがわたしの感情を動かして、しょっぱなから泣けてしょうがありませんでした。

ワークを終えて帰ってからは、前よりも世界が開けて見えたような気がしました。
空がきれいだとか、色んな花が咲いている、虫がいる、雨が降ってる、水が落ちる、ただ世界はそこにあるということを強く感じることができました。
そして、それを素直に受け入れていいんだと思えました。
私は、大人になって行く中で、いろいろ余分なものも覚えてきてしまったんだな、と思いました。

同時に、ずっと自分が忘れようと見ないようにしようとしてきた自分の闇を、今回向き合わなければならない、取りかからねばならないと知り、暗い終わりの見えないトンネルの中へ放り込まれたような、そんな気持ちにもなりました。
だけど、これから始まる一歩一歩は、私だけのための、光に続く道だと、そう思ってゆっくりと進んで行きたいと思いました。

ありがとうございました。



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F. K. さん(30代/千葉県よりご参加) おりーぶクラス




やっと、泣けました。
指摘していただかなかったら、私は今でもそうしていて、知らないままだったと思います。

わたしの真の感情に触れたとき、これが本当にわたしが感じている感情なんだ、とびっくりしました。
今まで触れていはいけない感情だと思っていたので、それを素直に感じて、それをこの場で話すことが、心を開くということなんだ。
話してもいいんだ、という以前に、まったくといっていいほど、わたしは、わたしの気持ちというものを感じる取ることを、寸止めしていた状態を続けていたのですね。

わたし自身の真の感情に触れたとき、涙があふれんばかりに出てきて、ほんとうに驚きました。
今まで、自宅でワークをやっても、結果がついてこなかった理由がわかりました。
厳しく指摘していただき、ありがとうございました。


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共依存のことで、わたしの今後の人生に関わる、重大で悲惨な出来事や状況についても、注意喚起を受けました。
親をはじめ、親戚に顔を合わせるたびに言われ、うんざりとしていましたが。
彼ら以上に強く厳しく、しかもかなり具体的なことまで想像を絶することを言われて、身が引き締まる思いをしました。
と同時に、複雑な気持ちにもなってしまいました。
あれから、4年の月日が経っていたことにすら、気がつかないままだったなんて……。


思い返してみれば、職場では、確かにわたしは、わたしの決められないという性分につけこまれて、利用されたり、好き勝手なことを言われて落ち込んだりと、散々な目に遭っていました。
わたしは、人に支えてもらうこと、決めてもらうことに、何の疑問も持っていませんでした。
わたしの心のクセが、心を開くという約束ごとの邪魔をしていたということが、はじめてわかりました。

どんな人であろうと、顔色を瞬時に伺って、頭で分析することが、ごくごく自然と、わたしの中で行われていました。
わたしの抱いた感情が、正しいのか、正しくないのか、常に周りの人々に聞きまくっていた時期もありました。
それだけにわたしは、わたしの持ってしまった感情や感覚に、いつも疑いを隠せませんでした。


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クレンジング・リアクションがとても強くて、はじめて 2011年に ONSA WORKSHOP に参加した日のときほどではないにしろ、同様の身体のだるさを感じました。
180度反転してしまうようなことを体感したんだなと。
頭デッカチなわたしには、このワークショップは、身体の感覚機能に直接働きかけてきて、今までの思い込みを払拭してくれます。
本を読んだだけでは得られない体験です。
ONSA に出会えたこと感謝しています。

そして、心を吐露して泣きじゃくっても、あの場ではいいんだと、大丈夫なんだと。
わたしは、自身の心にも、あの場に対しても、自分でも気がつかない、見えないバリアを自然と張ってしまっていました。
これは、日常生活の中でもそうしているということを意味していたと、じわじわと実感して、その心のクセが、わたしを苦しめ、日常生活に混乱を招いていたのだと、ハッとさせられました。


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インナーチャイルドに出会う瞑想は、今まで自宅でやっていたとき以上に、深いところまで入り込むことができました。
頭で、ではなく、わたしの真の感情がどれなのかわかったあとに、床に寝そべって行ったから、だと思います。
自宅で行ったときと同じで、1歳半だったのが、不思議です。
しかも、人見知りしているのに、人が好きというところに、今の自分の原点を見た気がしました。

2011年に ONSA WORKSOP にたくさん参加して、ワークを進めていくうちに、大元の原因がわかってきました。
試行錯誤し、自分なりに学習と再訓練をやってはみたものの、いまいち結果がついて来ない……。どうしてなんだろう……?
今回、思い切って申し込んで、参加して、優月さんからの肯定的な NO を受け取ることができたことで、わたしはできてなかったんだ、という、とても大事なことに気づかせて頂きました。

ずっと、わたしの人生は母に支配されていました。
母は他界してすでにいないのに、それでもなお、わたしの中に存在し続けていて、わたしの行動に制限をかけていまいした。
その一方で、母に支配され、操作してもらう人生を、選んでしまっている節もありました。


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今度は、母に支配され、操作してもらっていた人生から抜けて、わたし自身の意志で選んでゆく人生に変える。
もう、反抗する相手はいない。
ただただ、将来を危惧してくれる家族がいる。
家族や親戚の中に、わたしの人生を支配し操作してやろう、という人は少なくともいない。

メモにあることを、少しずつ実践しています。
アフターワークをきちんと仕上げます。
今、それをしています。


最後に。
このワークショップが開催されたことに、感謝しています。
優月さんに注意されて、再度ワークに挑戦して、泣きじゃくっても、あたたかく見守ってくださっていたクラスのみなさん、ペアを組んでいただいた方、ありがとうございました。
優月さん、厳しく指摘していただき、ありがとうございました。

内側に耳を澄ます、内側からの答えをキャッチする、ということのほんとうの意味がわかりました。
がんばって、やってゆきます。
ありがとうございました。



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S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) おりーぶクラス




ワークショップ・クラスから、6日が経ちました。

翌日から、いつも通り職場と家庭の往復。
いつもと変わらない日常の中で、唯一違っていたのは私の内面でした。

ワークで気づいたこと。
それは、私の中に悲しみや寂しさを抱えたままの、傷ついた小さな小さな私が存在しているということ。
そして、小さな小さな私が傷を抱え、ずっと我慢して、抑えつけてきたのかということ。
そんな小さな小さな私の傷を、大人の私が共に悼んだこと。

ワークショップ・クラスに参加したことで、私は日常にもどってからも、小さな小さな私の存在を感じています。
この6日間、職場でも家庭でも、時折胸のあたりがチクチクしていました。

ワークショップ・クラス後、始めての休日である今日、胸のあたりのチクチクの訳が、じんわりと感じられるようになりました。
それは……
小さな小さな私が抱えてきた傷が、まだまだ疼いていること。
「まだ、ここに共に悼んで欲しい悲しみがあるんだ!!」と。

今、大人の私は、たとえどんなに時間がかかっても、
「小さな小さな私を救ってあげたい! 絶対見捨てない!」
そう思っています。
そう思えています。


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ワークショップに参加した大人の私に、小さな小さな私から感謝の気持ちを届けたい……。
「ワークショップによくぞ行ってくれたね!! 私の存在に気づいてくれてありがとう!!」

そして、大人の私と小さな小さな私から、皆さんへ感謝の気持ちを伝えたい……。

あの日、ワークを提供してくれた藤沢さんへ
「適切な知識を、『悼む』ということの大切さを伝えてくださって、ありがとうございます!!」

ペアになってくださった方へ
「お話を聞かせてくださって、そして、私の話を心を込めて聞いてくださってありがとうございます!!」

身体のワークショップと今回、ご一緒した方へ
「再会でき、お話できて、とてもうれしかった。ありがとうございます!!」

参加されていた皆さんへ
「一緒に取り組むことができたこと、一人じゃないと思えたことで、私は勇気づけられました。ありがとうございます!!」



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M. S. さん(30代/東京都よりご参加) おりーぶクラス




最初に感謝を。
ありがとうございます。
こころから。
涙がでてきます。

WORKSHOP の翌日朝起きて、会社やだな~と思っているのに、
その下に落ち着いたおだやかな気持ちがあって、同時平行に感じられていました。
すごい、なんやこれ! 不思議な気分でした。

25年以上ぶりくらいに、どう思われても、どう言われても、もういいと思えています。
傷ついていたわたし、こどもの私とつながっているからだと思います。
この子を守る、愛する、つながっていることが、人生で最優先にすることだってわかったから。

そして、ずっと勉強してきた練習してきた境界線の概念も、
相乗効果で自分とつながっていようとする意思を支えてくれていることに気づきます。

例えば、失礼と私が感じることをされたり、
その人が思う私へのレッテルをはられて接されたり、言われたりすると、
私はかなしいし、いやだし、むぅと怒りを感じます。
なんなんしつれいな……と。
でも、その人の言動、行動の責任は私にはない。
その人の言動、行動の結果は、その人が引き受けること。その人へ返る、戻る。
切り離せます。
また、わたし自身の言動、行動の責任、結果はわたしへ戻る、ということ。
相手がわたしにそうさせることは、もうできないんだと、今は静かにわかっています。


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私のせいだ、私の何かが相手にそうさせるのだ、私が原因でそのようにされるのだ、
相手にそうさせる当然の罪が私にあるのだ、私が悪いんだ、と自責する私の傾向はまだあります。
特に、相手とぶつかったと私が感じた時に。

ただ、他人をそのようにさせる、コントロールする、
変える力は私には無いのに、できないのに、
否定的なことであってもそう思ってきました。
好きになって欲しいという肯定的なことについてだって、そう思ってきました。
魔術的思考でした。

だから、本当にそんなことは、本当はないんだろうなって思います。
そのほうが自由だよな、とも思えます。
こちらが現実なんだなって。

だから、もし失恋したらかなしいだろうけど!
恋すらやったことないですが。(笑)
本当の恋をしたことがないってわかったことも、私が元に戻ってきたからでした。

境界線のない共依存の状態では、まるで相手が or 自分が、
そのようにさせた、させる力のある存在と思えるのですが、
自立した大人である以上、行動は自分で決められます。選びとることができます。
反応したり、やってしまった! と思える事でも、
学べるし、お話ししたり、フォローや、自分がそうしたいならば埋め合わせもできます。
なかったことにして忘れたフリをしたり、騙したり、無理して無視したり、
もみ消さなくても、ちゃんと相対することをやっていい、できます。

これは、クラスや本で教わった事でした。
そして、今の私は、こちらの考えに実感をともなってそうだな、と思えています。


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私は、私を守ることがいちばん大事。
自分を叩きのめして自責しなくても、
生きているからやったしっぱいから、ちゃんと前向きでまじめな反省や
必要な学びを、私の心は学んでくれます。

責任の正しいルートも、静かにわかっています。
私はもう大人だから、自分のやった、やらなかった結果を引き受けられる。
今まで、責任や結果についてこわいイメージが強かったです。
だから逃げ続けて、誰かに代わりに引き受けてもらって、
一見守ってもらえた風にして一瞬の安心感が欲しかったのですが、
それは健全とは言えない関係、自分の力を失ってゆく、共依存の病気のかりそめの夢でした。

たとえ、しっぱいと思える結果がやってきたとしても、
私は私に愛していてもらえる、ゆるしを受けられる、守り続けていてもらえる。
自分との絆を、信頼を築いてきたから。これからもそうしてゆくから。
だから、学んで、よし!とまたこのすぐあとからも、明日もチャレンジできる。
そして、責任や結果のうれしいことももっと体感したいな!


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私は、自分を愛しても、ゆるしても、大丈夫。

これが本当にわかったから、きっと人を愛してもゆるしても大丈夫だとわかる。
自分を大切にすることが最優先事項だってわかるから、
私の境界線を、相手にしめそうと行動できます。
そして、相手の境界線も大事だとわかるから、言い方やゆずりあえる案を話してみようと思える。
自分の境界線をしめして言い逃げ! とかでなくて。
(はずかしながら、恐くてやっていました)

インナーチャイルド・ワークを経て、私は感じられることをもっと取り戻しました。
家族や外の世界のたくさんの人たちの言葉、会社の会話、会議で言われている言葉を聞いていて、
痛ましすぎることがもっとわかります。
人の言葉を聞いていて、痛ましい。なんてことだろう。
言っている人も、ここにいない言われている人も、
言っている本人は言いながらそれをなんとも感じていないだろうことが、
よけいに胸が痛かったです。

ただ、私は麻痺していなくて感じているのに、今までずっとやってきた反発の激情、
責め裁きたい怒りも溢れ出ていなくて、もれ出るのを抑えるのに必死、はありませんでした。

彼らと私は離れている、ちがう存在、別なのだとわかったまま想って痛いのと、
私自身はいやだというのもわかっていて、そしてなおかつ静かでした。
そして、ほんのりうれしいまま。
自分との信頼、つながりを感じたままでした。
不思議な気分です。
激情一色になっていないなんて、何十年ぶりかわからない。

こんなことがあるなんて、本当に思わなかったです。
こういう状態になりたいと、はっきり自覚していたわけでもなかった。

ただ、私の本当の本心は、これを望んでいたと知っていたんだと思います。


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私は、乳児期、歩行期の、詳しいエピソードは思い出していませんでした。
本では、とても詳しくトラウマのエピソードが書かれてあったから、
大丈夫かなぁ、効果あるかなぁ、と半信半疑で参加しました。

私の乳児期、歩行期の場合は、何か衝撃の事件があったというより、
誰もまわりにいなかったということが、”無かった” ということそのものが、
ものすごい喪失感、怖さ、不安になっていたのだとわかりました。
そんなあってあたりまえのことが無かったなんてみとめたら、
より惨めで取り返しが付かなくなる! と思っていました。

結果、大丈夫でした。
”無かった” と、わかったことで、泣いてわめいて、ひしって訴えて。
私は31歳ですが、充分間にあった。
31年前のことを泣き叫べました。

いまさら言ったってどうしようもないなんて思いそうな、あきらめそうなこと。
いまさら言ったってどうしようもないなんて、まったくそんなことなかった。
ぜんぜん、いまさらどうしようもなくなんてない。
もう間に合わないなんてない。
今、私がどうしようもなく痛みに泣き叫んだって、
そんなのどうにもならないなんて、私は一切思わないです。

思い切ってやってしまう。
仲間とあの守られた場でやってしまう。
さらけだす。
自分にもそれをすることをゆるして、やりました。

こんなに今痛いのだから、それを無視せんといてよ。
こんなに今痛い。
それだけでよかったです。
その感触だけでいけました。
うまく説明できなくったって、証明できなくったって、よかった。
死ぬほど泣きたいです。


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限界。
私は、限界をわかりたく、みたくありませんでした。
限界をみとめたら、すごくこわくてかなしくて、泣き叫びそうな気がしていました。

私の限界、父と母の限界、人の限界、ちいさいころの私には ”なかった” という意味の限界。
知ったら、認めたら、今度こそ崩壊してしまうと恐れていました。
張り裂けるような悲しみを感じすぎたら、崩壊してしまうと恐れていました。
感情をおそれていました。
たぶん子供のとき、そんな瞬間があったんだろうな。

ワークショップ・クラスで限界を知って、思いっきり泣いてわめいて叫びました。
私が恐れていたような、大切な何かが全壊して取り返しつかないみたいな、
途方にくれるような無気力、灰色の世界にはなりませんでした。
とても意外でした。
むしろ真逆。
力が抜けて、ほんのりうれしい感じ。
なのに、悲しい感じ、ほかの感情も一緒に感じられている。
そして、涙が出てくる。

私は、限界のある人間でした。
今まで、そんなことわかりたくない、みとめたくない、ききたくないと思っていました。
そんなことあってはいけないって、思いたかった。
傷ついたインナーチャイルドです。

今の私はなんだかほっとしています。
不思議なんだけれど、私は限界のある人間なんだと、わかって、なんだか視界がひらけたような、
身軽になったような、逆にできることが増えたような、動きやすいような、感じがあります。
本当は、私もわかりたかったのかな。31歳の私は。

限界があるとわかることと、制限されて縛られる枠にはめられる、
決めつけられるということはちがった。
違いは、私が大人として、私に重心があること。
私には、31年必要だったんだな。

大人になんてなりたくなかった、って聞きますが、私こそそうだったんだな。
でも、そんなことなかった。
大人って、深いなぁ。


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終わることが怖くなくなりました。
終わることも、私にとっては ”限界” を思わせることでした。
ぶつかること、別れることも、終わることを思わせた。

無かったものをやっともらえたと感じて、それを行かせてしまう、
ふたたび失う、離すのが恐かった。
これが、私のいろいろなものを手放せなかった理由でした。
依存、過去、プライド、男性、人との関係、人からの関心、
約束、仕事、お金、ほかにもいろいろ。
泣いてしまってもぜんぜんいいから、たくさん手放します。

だから、ご縁のない方というのもあるんだな、と、
さみしい気持ちと、しみじみそういうことはあるんだなと思えています。
うまくいかない、合わない、会えない、何かタイミングがずれる、そんな相手。
有限の時間を思うと、これも限界のひとつで、
私は彼、彼女をてばなして、
あたらしい方向へ目を向けていいんだなと思えています。


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傷ついた子供をほったらかして、何が傷なのかわからないままでも死ねてしまうと、今わかります。
今までの年齢とこれからの年数をためしに100歳にして、
Excel に1マス1年として並べてみたら、読める文字で A4 に収まってしまいました。
本当に、何にもなんともならないまま、死ねてしまう。

いつか自動的に大転換が!とか、お年寄りになれば自動的に賢人に!とか期待していました。
A4 の用紙を目の前にして思うのは、もうこの体で、そんなに永遠の時間なんて無い。

すごい……
本当に、この人生は終わるんやな。
私の時間の感覚が、元に戻りだした感じです。
エンドレスで繰り返すゆがんだループの時間の感覚から、
たぶんこれが普通の時間という感覚へ変わったから、終わるということがわかるんだと思います。
本当に、好きでないことをしている時間は無い。
藤沢さんの言ってくれていたことが、今なら本当にそうだなってわかる。

肉体、今のわたし、この顔、もっている資源、資質を、私は生かさなきゃ、活かさなきゃいけない。
生きやな。

もう憎みあい、辱め合い、貶めあうゲーム、レースはやっていられない。
もうその時間はない。もういいです。
私には私の旅がある、歩いていきたい旅があるから、お別れです。
それがわかる。
焦らされるように思っているのではなくて、静かにそれが本当だとわかる感じです。

私は死ぬんやな。
この人生は本当に終わるんやな。いつか。
涙が出ます。
それが本当だとわかるから。
いやで泣けてくるんじゃなくて、どうしてかわからないけれど涙がでます。

あたし、ほんまにしぬんやな。
わたしは、本当に死ぬ。
気持ちが静かで、落ち着いています。
涙がでる。


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翌朝、ちょっと早く家を出て、犬をなでさせてもらいたいなと、公園へお散歩に行きました。
わんちゃんの名刺をもらえました。
こんなものがこの世にあるなんて!! かわいい……。

お昼休みに、公園で野球をしていた青年達の方からボールが飛んできて、
すみませんと笑顔で言ってもらえました。
こんなことがあるなんて!
スポーツしているさわやかな青年なんて、目すら合わせられませんでした。

夜にランニングをしていて、土のコースを走っていて、地面が柔らかく感じて、風が吹いて、
サルスベリがきれいで、緑の木の下を走るのがたのしい。
すれちがった自転車を一生懸命こぐ子供のキラキラの目や、
赤ちゃんがママの肩越しにこっちをみてくれている目がかわいかった。

うれしいことがあった時、その瞬間に私が喜びを感じられて、
その後もうれしいままでいられていた。
しかも笑い返せた……! すごい!!

終わるのがわかるから、いつ終わるのかその大きな計らいは、本当に計り知れないから、
うれしさ、いとおしさがもっとわかる。得難くて、大切だと感じる。
もっと深いやさしさがわかる。
涙がでます。


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藤沢さんからもらった「現実に戻る時に、きっと役に立つメモ」は、とても役に立っています。
いつも持っています。
私が信じたかったこと、気づいていなかった失った事、
気づいていなかったもらえなかった、無かったことも書いてくださってありました。
内容を確認すると、ほっとします。

クラスの最後に、仲間へのことばの贈り物をさせてもらう機会を藤沢さんからもらえて、
うれしいのに驚いて、パニックになってしまいました。
しどろもどろで、自分でも言えば言うほどわけがわからなくなってしまいました。
私が、普段すてきな男女と話したいと思って、トライするときと同じです。
そう、私はトライできた。
藤沢さんからフォローをいただきました。
ありがとうございました。
私も、やさしく深く確かに、内容も感触も、伝わるようにお話したいな。

ちいさいわたしを守りたい、愛したい、ずっといっしょにいたい。
笑っていても、泣いていても、怒っていても、なにをしていても、していなくても大好きだ。
いるだけで、そのままで、なにもかも、だいすきよ。
ものすごくかわいくて、実は写真もいつも見ています。
そして、私のなかにいるわたしの全部、だいすきだ。


本当にありがとうございます。いつも。
いのち、存在を尊いと感じられています。
わたし、仲間、まだ見ぬ仲間、藤沢さん、ONSA のみなさま、世界のみなさま、
みんなのそれぞれの本物のしあわせを、私はこころから祈ります。

愛をこめて。
ありがとうございました。



タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) おりーぶクラス




優月さん、宇佐美さん、おりーぶクラスのみなさん、
先日は、素敵な時間をありがとうございました。
みなさんのおかげで、とても貴重な時間を過ごすことができました。

ワークでは、まったく記憶がなかった頃の私の悲しみや憤り、混乱や無力感……たくさん出てきて、びっくりしました。

こんなに言いたいことがたくさんあった。
こんなに悲しい気持ちでいっぱいだった。

言いながら、自分の中にこんな気持ちが眠っていたと知って、本当に驚きました。
予想以上に傷ついて、そのまま放置され続けていたんだとショックでした。

でも、勇気を出して心の赴くままに言葉にできて良かった。
ワーク中、身体がビリビリして、
「ああ、閉じ込めてた感情とエネルギーが出ていってるな」
と感じました。
ようやく光のもとに出てこれた、私の想い。

とても悲しかった。
けれど、その後で出逢えた《幼い頃の私》は、とてもとてもかわいかったです。


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最初は、ワーク中に赤ちゃんの自分に会えたとしても、ごめんねと泣いて謝ることしかできない、そして子どもの私は許してくれないかもしれない、と少し怖かった。
けれど、実際に会ってみたら
「なんてかわいいんだろう。バラの花みたい」
という、やさしい気持ちしか出てきませんでした。

ほんとうにかわいくて、無邪気で、可能性にいっぱい満ちてました。
いてくれるだけで愛しいと無条件に思える、そんな気持ちがわいてきて、とても嬉しかった。
自分の中に「この子を絶対に守っていくんだ」という、あたたかくて強い想いが芽生えました。

漠然と「ふれるのが怖い(何が出てくるかわからないから)」と思っていたインナーチャイルド。
今回のクラスで、そのイメージが一新されました。
幸せで、あたたかく、大切にしたいと心から思います。


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父さんと母さんにもらえなかったもの、もらえたらよかったのになと思うことはたくさんあります。
けど、私はそれに、必要以上にとらわれていたみたいです。
「何とかしてもらわなくちゃ」という思い込みが、今の私を苦しめる原因の一つにもなっていました。

もらえたらよかったな、とは思う。
でも、もうそれに自分を縛るのはやめる。
大人の私が、私にあげればいい。
それは「孤独」や「1人ぼっちでがんばる」とは違うもの。

そう思えたとき、これが本当の自立か、なんて思いました。
まだまだはじまりの一歩ですが、それでも踏み出せたことは、私の誇りです。


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そしてクラス後、インナーチャイルドの汚染例に幾つも該当していることがわかった私は、
「私が私のことをわかってないから、苦しいんだ」
ということを実感しました。

けれどその上で、どうしたら自分のことがわかるのか、さっぱりわからない。
『未来日記』など、ツールはあるものの、どうやら気持ちの面で深い落ち込みに入ってしまったらしく、時間はできても自分と向き合えない……という1週間を過ごしました。

そして今日、ふっと気づいたこと。
「私のことわからない」という想いは、「どこかに、もっと《素敵な》自分がいるはず」という思い込みから生じているのかも。
「今の自分はダメだから、その自分はないものとして、もっと素敵な自分を見つけなきゃ(早く!)」
そんな幻想にとらわれていたのかもしれない、と思いました。

だって、私はここにいる。
いつでも、寸分違わず、ここにいる。
「わからない」のではなく、「認めたくない」だけだったのかもしれません。

がんばってるけど、中途半端。
どこかいまいち。

でも、それが今の私なんだよなぁ。

そう思ったら、ふっと、肩の力が抜けたような気がします。


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中途半端でも、いろいろ模索して、努力して、がんばってる自分。
そんな私を応援してあげることから、自分とのつながりや信頼関係が強くなっていく気がする。
失敗も「未知のことにチャレンジしてる証拠!」と褒めてあげられるようになりたいです。

今まで、「中途半端でモヤモヤしてる自分 → ダメだから変わらなきゃ(そのためには……)」でした。
でも本当は、「中途半端でモヤモヤしてる自分」をそのままで認めてあげること。
それこそ、まず私(とインナーチャイルド)がしたかったことなのかもしれません。

その上で、「本当はどうしたいの?どうなったらうれしい?」と聞いて、一緒に前に進んでいく。
フォーカスすべきところが違っていたんだなぁ、としみじみ思います。

だから、まずはそこからはじめます。
目の前の歩みは遅くなりますが、きっとこの方が早道だと思うから。

クラス後、ちょっと不安定な1週間でしたが、また新しい地平に立つことができました。


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優月さん、今回もたくさんの知識と支えと応援、本当にありがとうございます。
心に波はあっても、変化の前に戻ることはない。
私の答えは、私の中にすべてある。
そのことを深くかみしめたクラスでした。

宇佐美さん、クラスを守ってくださってありがとうございます。
小柄でかわいらしい雰囲気なのに芯が通っていて、とても素敵な方だなと思いました。

そして、変容の時間をともにしてくださったみなさん、ありがとうございます。
みなさんの幸せと変化を、心から応援しています。



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N. N. さん(30代/埼玉県よりご参加) おりーぶクラス




ワークショップ・クラスを終えて、この1週間は、感情の起伏が激しくて、つらかったです。

1日めは、霧がかかったようにもやっとした感じがつきまとう。
2日めは、何度も意識を失う位眠い。
3日め、夜眠れず、寝付けず、武士の処刑みたいな、自分の首をはねられる夢を見た。

4日め、無性に泣きたくなって、泣けるかなと思ったら、やっぱり泣けなかった。
泣けたら、たぶん、すごくすっきりするはずなのに、なんで泣けないんだろう。

そして、ふと思った。
なんで、努力しなくちゃいけないんだろう。
これ以上、努力なんてしたくない。
時間をかけたくない。いつまで、続くの?

5日、6日め、やたら、昔の自分を思い出す。
思いもかけない時に。
プレワークの時も、ワークショップ・クラスの時も、全く思い出せなくて、本当に覚えてないよって、苦悩していたのに、なんで、今になって?


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ワークショップ・クラスで、大人のわたしが、こどものわたしを抱える瞑想を行ったとき、私は、ぶんって、ふり投げてた。
そして、時々、叱っていた。
大人のわたしが、立ったまま、こどもを見下ろしていて。

まさか、そんなイメージが浮かぶなんて、自分でも驚いた。
そうして、これはいけないことなんだととっさに思い、抱えてあげようと思ったけど、出来なかった。

ワークショップ・クラスを終えてからの方が、こどものわたしの記憶が芋づるみたいに思い出して、こどもだったわたしの気持ちが痛いほど、伝わってくる。

ああ、そういうことだったのね、わたし。
そうだったよね、こどものわたし。


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ワークショップに参加していってる中で、少し、疲れてしまった自分がいました。
(ワークショップが悪いという意味ではありません。)
変わりたいと思う自分と、変われないと思ってしまっている自分と。
そして、もっと、もっと、努力しなくちゃいけないの? と責めている自分がいて。
もうこれ以上は、無理だよ……と。

周囲からの、自分探しの旅はもう終わっているんじゃない? という無言のメッセージもあって、実際、そのようなことも言われました。
「自分の時間を持つことよりも、もっと、違うことに、目を向けたら……」って。

でも、こどもを抱えあげた時。
癒すってこういうことかもしれない。
自分が自分を癒してあげなかったら、どうするんだろう。
わたしがわたしを癒すことの意味を、少しだけわかった気がした。

きっと、努力することじゃない、頑張ることでもない。
向き合って、認めることだ。
完璧じゃない自分をそのまま。
そして、時間を決めることでもないんだ。
いつまで……なんて、たぶん、怯えなくてもいい。

今は、まだ、こどもを抱えてあげる私の手が震えている感じがする。
でも、さすがに、もう、ぶんっなんて、放り投げないけど。


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プレワーク中は、あまりに覚えてなくて、ワークショップへ申し込んだことを少し、後悔しました。
でも、やっぱり、身体は正直。
インナーチャイルド・ワークショップの説明を読んだ時、自分の中のこどもが泣いている気がした。
そして、いつの間にか申し込んでいた自分がいた。

だから、よかった。

優月さん、皆さん、ありがとうございました。



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T. N. さん(神奈川県よりご参加) おりーぶクラス




藤沢さん、おりーぶクラスのみなさん、お元気ですか?
私は、元気にしています。

プレワークでは、父母に小さな記憶のないときを聞く作業はとてもやりにくかったので、すべて自分の記憶を頼りにしていましたが、本当にあてにならないものでした。
ただ、少しずつワークの中で思い出していくうちに、思いもしなかったことが思い出されました。
ただ、自分の感情をうまく出し切れなかった感じはぬぐえませんでした。
そこが残念です。

だからこそですが、これから自分の記憶が鮮明になっていく後期のワークショップの段階で、感情が出し切れてくるのかな? と楽しみにしています。

みなさん、藤沢さん、どうもありがとうございました。
いつの日か、またお逢いできることが出来ますように。




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