2017.11-2018.02月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(後期日程)」ふぉるもさぬむクラス

PAY FORWARD:Web. WORKSHOP コース2/STEP.2(後期日程)
2017.11-2018.02月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(後期日程)」ふぉるもさぬむクラス


「コース2」のテーマは「いわゆる『家族問題』」です。
ONSA Web. WORKSHOP では、毎週1課題、全12週にわたり課題に取り組んでいただきます。本 PAY FORWARD は、最終12週目の課題としてお取り組みいただいた、締めくくりのワークです。

●コースの内容 
- 「ONSA Web. WORKSHOP(ウェブ・ワークショップ)」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
タイトルはじまり目印

H. M. さん(30代/広島県よりご参加) ふぉるもさぬむクラス


タイトル下の線


12週間、個人的に大変なことが多々ありましたが、このワークショップにつながっていたから無事にすごせたと思っています。
ご一緒してくださった皆さん、藤沢さん、有難うございました。

そして、私。今回もこのワークショップを続けてくれて、ありがとう。
とても感謝しています。
進んだり戻ったりしながらも、日々自分と向き合っている自分自身をとても誇りに思います。


文節区切りの線


なかなか自分の思い通りにいかない、と感じることが多いのですが、それでも日常の端々に以前とは違う自分を発見して嬉しくなる時があります。

自分のことが好きな私。
自分の味方になってあげられる私。
にっこり NO という私。
ひどく傷つくことを言われたとしてもそれを鵜呑みにしない私。
「自尊心」という大切なものがようやく私の心の中で育ってきているのだと感じています。

幸せになろう。
そのためにもっと自分のことを知ろう、自分と仲良くなろう、そして、自分の為になる新しい習慣を粘り強く身につけようと思っています。





タイトルはじまり目印

K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) ふぉるもさぬむクラス


タイトル下の線


1週目に書いた、自分がなりたい姿、向かいたい方向、ささやかな(でも私にとっては大切な)願い。
12週目の今振り返ると、ずいぶん明確になってきているし、少しずつだけど実行し始めて、現実でも変わってきているって実感できていたりすることもあります。


文節区切りの線


今回、私にとってこのコースは2周目でした。

1周目は課題を提出することで精一杯で。
終わったはずなのに、自分が変化していることが実感できずに、ちょっと迷ったけれど
「本気で回復するんだ」
「近道はないんだ」
と自分に言い聞かせ、「コース1/STEP.1」から2周目をやり直しました。
時々 ONSA WORKSHOP(対面式)や、カウンセリングを受け、心理学の勉強もし始めました。


毎日ちゃんと課題に向き合えたとは言えないし、時々課題から脱線したりもして、ほんの少しずつだったけど、それでも積み重ねてきたことは、いつの間にか私の血や肉になり、心の幹をしなやかに強くして、現実に近づいてきていることを実感できるくらいまで変化してくれていたのだ、ってやっと感じられるようになってきました。

まだまだ道なかばではありますが、私が背負ってきた余計なものがだいぶ取れてきて、思っていることとやっていることのギャップが無くなってきて、人間関係も変わってきたと思います。
すごくシンプルで、楽になってきました。


文節区切りの線


自分が積み上げてきた分もあるけど、その中にはみんなの書き込みを読んで学んだこと、励まされたことがたくさんあって、仲間のありがたさも痛感しました。
先導してくれた優月さん、一緒に歩いてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
これからもお互い、目指す人生を歩めるように、頑張っていきましょう。





タイトルはじまり目印

A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) ふぉるもさぬむクラス


タイトル下の線


年末年始をまたいだ今回の Web. WORKSHOP は、本当にあっという間の3ヶ月間でした。

そんな季節だったからこそ、Web. WORKSHOP という存在は、私にとって自分を見失わないでいられる助けとなりました。


文節区切りの線


そして今は2月。私にとってはこの時期、年始の高揚感や慌ただしさもひと段落し、ちょうど一息ついている状態です。
そんなタイミングでのこうした振り返りはとてもいいきっかけを与えられている気がします。この振り返りを節目に、これからの時間は自分のことに本腰を据えて集中したい。そんな気持ちでいます。

何度も繰り返し同じ問いに答える。
自分の考えや感じ方を更新してゆく。
前回あれほど考えて、精一杯取り組んで出した答えも、一周するとそれはまた新たな答えで更新されてゆく。


文節区切りの線


今回の Web. WORKSHOP のクラスも、おかげさまで、新しい私を更新することができました。毎日のように、知らなかった「自分」を発見しているようでした。

私ってそう感じていたんだ。
私ってそう考えていたんだ。
私って本当はそうしたかったんだ。

そういった発見が積み重なっていくにつれて、より自分への愛おしさも増していきました。


文節区切りの線


私の『未来日記』はというと、めくるーページ、めくるページ、どこもかしこも、「私はどうしたい?」の質問と、それに対する答えのオンパレード。自分でも気づいていませんでしたが、私は、毎日ように…いえ、毎日何度となくノートを開ける度に自分に、
「今の気分はどう?」
「私はどうしたい?」
と問いかけ、その答えをスケジュール帳に落とし込む。を繰り返していました。
いつのまにか私は、自分のニーズを聞く「トライアンドエラー」を来る日も来る日も繰り返していました。
それは見返している自分もびっくりするほど。

そうしていくうちに、取れかかったままだったり、錆びついたり、ガタついていた私の中の歯車。どんなに頑張って回しても空回りばかりしていた歯車が、ようやく最近噛み合うようになり、重く鈍いながらも、ゆっくり回り始めたような気がしてきました。

そして、
「ぎゅっと握りしめているコントロールの手を少し緩めてみよう。」
「無菌室から少し足を出してみよう。」
自然とそうゆう気持ちになっていった3ヶ月間でした。
まだまだ地中の中だけど、タネが水と養分を蓄えて土の中で少し芽を出し始めたような感じかな? と思いました。


今日は立春。
とてもいい節目に感じています。
いらないもの、必要のないものは去りゆく冬とともにお別れをし、生まれたての新しい春とともに私も前を向いて歩いていきたい気持ちです。

ありがとうございました。





タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) ふぉるもさぬむクラス


タイトル下の線


今までやってきた Web. WORKSHOP の中で、時の流れの早さを一番感じたような3ヶ月でした。
まだ6週目ぐらいではなかったっけ? 「まだ年明けてないよ。」と言われれば、「そうか。」と返事してしまいそうになります。
心と体感時間がちぐはぐな感じです。最近ずっと寒さが続いてるからかもしれない。

でも、やはり「じかんのきろく」を作っていくと、思ってたよりもしっかりと濃密に3ヶ月生きてきたんだと、その大切な重さをもう一度抱えたような感じを覚えました。「きろく」とはよく言ったものだ、振り返らないとやっぱりわからなくなっちゃう。


文節区切りの線


最終週辺りで、身体と心の日々の忙しさからか、ややふて気味状態ともなったけど、その状態の自分をほわっと解放してくれたのも、その3ヶ月分の過去のわたし。

「なんだ、そうだった、やれやれ。大切なこと、気づいていたんだ。」
「これも、一つできたことだし。そうかそうか。」
「今になって思うと、これもよかったことだな。」
「あんた、ぜったいいいヤツだよー!」
と、自分と肩組みまでしてた。

過去の自分、というのは、未来の自分への最高の応援者であって、最上のデータではないかなと思う。
自分にとっての最上のデータ。世界中の本屋さん、図書館、どこ探しても置いてないと思う。
「在庫はありません。」
検索ページもそう言うと思う。

今までは、過去あるいは過去のわたしを、そういうふうに思えたかな?
忌み嫌うような、消したいような、間違ってた証拠のような、恥ずかしいような、いつまで足を引っ張るの?! そういう感じじゃなかった?


文節区切りの線


一日、一日、とにかく一日…と、区切りのようなものがようやくできてきたように思います。
一日の終わりに、それは主に眠りにつく前だけれど、わずかな時間、自分との会話があるように思います。
今日はここまでやっといたよ。
これはできなかった、明日よろしくね。

今日のわたしのどの部分が、明日のわたしへ良いものとしてつなげることができたかな?
できたものも、できなかったものもある。
できなかったことすら、それはまたデータとして引き継がれるんだと思う。


文節区切りの線


毎日って、たぶん、自分から自分へのバトンパスのようなものじゃないかなと、ここ最近思うようになりました。
今日の自分から、明日の自分へ、「はいっ!」と渡していくような。
そのバトンリレーが追いついていなかったのだと思う。

つなぐことができなかったものが、めっちゃたくさん転がってたり(数年? 数十年前のもの? どれも拾いたくないが、自分しかいないから拾いに行く)、拾ったもののなにこれ? みたいなものもあったり、気づかずふんずけちゃって転んだり、そしてそこにあったことに気づいたり、ごろっごろに転がってたのを、拾っては明日の自分へ渡して、渡して、渡して…。
ようやく、バトンは一つになってきたような気がします。

もちろん、渡そうとしたのに「受け取りたくない。」ということもあったし(また置いてきちゃった、あるいは、しぶしぶ受け取る)、「こんなのいらん、もっといいの渡して!」と明日の自分に言われたり(いやいや、これしかないんだけど、と過去のわたしがとまどう)、うまく回らないこともあるけれど、それは現実でもあるようなバトンパスのミスのようなもので。

それでも、しつこくやってきて、ようやく、どこかスタートラインに立ったような、そういう感じがしてます。
今回は、小さいわたしがずっと握っていたものを(それはたくさんあったのだけど、たくさん受け取ってきて残ってたもの)、今のわたしが受け取ったから、それが、最大に大きかった。

なかなか渡してくんないのだけど(疑ってる、これを離したらこれから何を持って立てばいいの?)、そんなの大事に持ってなくていい、それを離しても大丈夫、何も崩れないし、そうやって得てきたものだって消えたりはしない、逆にもっと軽やかに走れる。
しっかり受け取ったから。大丈夫、大丈夫、もらったよ、って声をかけて、ぎゅーっとして。

ヘンな言い方だけど、ようやくなついてくれた感じ。
もしかしたら、また見つけて持ってきてくれるかもしれない。


文節区切りの線


「何かを得ていくこと」か、「自分を知っていくこと」か、2つのバトンがあったなら、後者のバトンを手に取ろうと思う。

違う方を手にとってしまうこともあるし、それにハマっていってしまってるときもあるし(きっと、違ったバトンを握り締めて立ち止まってるんだろうなと思う)、一つになってきたバトンだって、日々の手入れをしないと、余計な飾りがたくさんついてしまいます。
(結局は自分でつけてるんだけど。携帯につけたじゃらっじゃらのストラップのような。今はもうそういうのあまりないか(笑)。)
これからだって、日々手入れしながらつないでいきたいと思う。


現実…いや、社会かな、その中に出ていけば、明確な名札のようなものを瞬時でもらえるんだけど、それもタダで、ヘタしたらネックストラップも名札ホルダーもついてくるかもしれない。
それは、やっぱりわかりやすいし、初対面ならときには安心感を与えることにもなるとも思う。

わたしだって、ほんとに何もなかったら、逆に不安にもなると思うし、ある種の立ち位置だってつかみにくくなると思う。
でも、それに踊らされて探して比べて上下つけて、になってたから、とてもしんどかったし、とても出口もなかったと思う。そもそも入口がどこかも覚えてないのに。
そして、どれだけ疲れてもそこに戻ってしまうのは、そこも小さいわたしが頑張って握り締めていたから。それも、ようやく受け取ったよ。

それに、周りの同世代の人は、もう成熟して完了してきちんとした名札を持っているのに(しかも、2枚も3枚も)、わたしはそうでない、早く早く、と焦ってたと思う。

それは、どこか、優月さんの著書かメッセージにもあるような、「いつまでも夢を探してるなんて…現実的になりなよ。」っていう側の人間に、わたしがいたから。
悲しいぐらい、そこにいたんだと思う。

そんなことないよ、わたし、夢を叶える、すてきだと思う。
そう思ってはいても、奥底では、焦ってたなんて。

そんな大人恥ずかしい、バカみたいに思われる、もうきちんとそういうの終えて完了してないといけない年齢なのに、という感じでいっぱいだったのだと思う。
あるいは、もう夢は叶えたことを知ってるし、経験済み的な、そういうものを醸し出したかったのかもしれない。

だから、焦ってたんか。と、なるほど、腕組みしてそのバトンを見る。
なんかさ、今は、夢を探してる大人、持続させていってること、サイコーやん、とてつもなくカッコいい、そういうふうになりたい、とすら思う。


文節区切りの線


たぶんやけど、どんな名札持ってようが、持ってなかろうが、「そこ」捨てたらあかんのやわ、って強く思う。の、「そこ」って「夢」っていう意味であって「わたし」っていう意味のように思う。

「わたし」を捨てることになる、それは大変だわ!
 「楽に流れる」こともできるのかもしれないけど、川のどこかで、あるいはボートのすぐ側かもしれない、わたしの本体が流されてるとしたら、やっぱ救助するでしょ、と。

これからは、名札に書くものも自分で決めたら楽しいのかもしれない。
そうだな、猫好きとか。
それに、完了することなんて、ないのだろうとも思う。

たぶん、たった一回しかそれは与えられてないようにも思う。
そして、それはまだ来てないみたいだし。


文節区切りの線


今回は、小さいわたしを身近に感じたからか、お仲間さんたちの文字や言葉から立体的につづられてきた小さい女の子を連想しました。
すみません、勝手にだけど。そういう感触があったので。

みんな、とっても可愛い女の子で、それぞれとっても個性があって、なんだかほんとの小学校の教室で席にそれぞれ座ってるクラスメイトのような、そういう感じもしました。
優月さんはちょっと学年上のお姉さんみたいで。なぜか先生ではないのね(笑)。

3ヶ月ありがとうございました、そして、またコツコツ走りつないでいこうと思います。






TO TOP