2018.11月開催 「冬の大勉強 & 大準備会」ときそうクラス

PAY FORWARD:対面式「冬の大勉強 & 大準備会」
2018.11月開催 「冬の大勉強 & 大準備会」ときそうクラス


「冬の大勉強 & 大準備会」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容
- 「冬の大勉強 & 大準備会」
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- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) ときそうクラス


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今回も歩ききった私へ

ほんとよくやっている。ほんとにそう思うよ。
だから、それをしっかりと受け止めよう。まずは、そこをすっ飛ばさないで。
お疲れさま!

いろんなことを学んだね。
いっぱいいっぱいにもなったし、今知れてよかった! と思った。
あと1年後なんて、ぞっとした。


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そして、空っぽになった私は、先が一向に見えずに不安です。

この先に何があるのか? さっぱり見えない。
あがいてもあがいても、今までの、子供の魔法を用いても、もう効かない。
というか、虚しさが増すだけだ。

………?!

ああ、そうか。
未来は、私が作っていいんだ。
見ようとしたって見えるわけがない。
だって、私がこの手でこの足で作っていくのだから。


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私が何を持っているのか。
何が好きで、どんな生き方がしたいのか。
自分の人生を取り戻すってどういうこと?

自問自答の日々。
いやいや、今に始まったこっちゃない。
ずっとそう歩いてきたし、これからもそう歩いて行く。

好きな未来を作っていい。
好きなように、ワクワクするものに。
どう生きたっていい。

年齢や世間や、親や、誰がなんと言おうと、私が決めてもいいんだ。
そう、未来は私が創っていく。

今、この時が繋がって人生になる。
この家事をすることも、育児も、仕事も。ホッとしてコーヒーを飲む時も。

どれも大事にしなくっちゃな。
どれも大事だわ、ほんと。
私は、こういう生き方をしたかった。
私、この未来を創ったんだわ。この私が。

びゅんびゅん過ぎていく時間。大切にしよう。
今、こうして自分と向き合っている時間も。


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共に学んだお仲間さん、1人じゃ無理でした。
一緒にいてくださってありがとう。

優月さん、今回も、がっつりな知識と愛あるパンチ、そして激励の言葉。
ありがとうございました。

さー、これからも歩いて行くか!
自分、自分、自分!





タイトルはじまり目印

A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) ときそうクラス


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ワークショップ・クラスで聞いたお話。
それは「人間関係」という視点で、「原家族」「機能不全家族」「共依存」というものを再度見直せた時間でした。

たくさんの新しい視点が私の中に取り込まれ、1週間経った今でもまだ、まるで水の中で舞い上がった砂状態です。
何も落ち着いてないし、何も納まっていない。
ただただ、舞い上がったまま。
無理にそれを落ち着かせても私のためにならないと覚悟し、その状態を受け入れているのが、今の私です。


「あの時、本当はあーだったんじゃないか、こーだったんじゃないか。」
「あの時の、あれはこうゆうことか? そして、これはこうゆうことだったのか?」

そんな考えが沸いては消えていきます。
それをそのまま、メモに取る。
そんな毎日をクラス後のこの1週間、過ごしていました。


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それと同時に、今回のクラスでは「変化」というものについてを改めて見直した経験をしました。
クラスの熱量はとても熱く、後半は私の脳みそが湯沸かし状態で、私の脳みそがやかんだったら、きっと「ピューピュー」音を立てていました。


その体感の衝撃は、クラス翌日まで残っていました。
それを感じたのは仕事をしていた時。
翌日は、仕事でした。

クラスを受ける前となんら変わらない、環境、仕事内容。
でも、人と接した時の感触がまるで違いました。


クラスに自分の体を運び、そのクラスの環境を身体で感じた。
その経験が、こんなにも人を変化させるんだという、人が持つ変化の力や神秘さを感じました。
私はただただ、頭を沸騰させながら、クラスで展開される話を聞いていただけなのに。


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きっと、私が認識していないたくさんの要素がこの変化の体験に影響していると思います。
そして、私が気づいたものの1つには、クラスの中で聞いた「仕事」というものの認識があります。
あの下りが、翌日私の仕事に影響している気がしました。

誰ともくっついていない感じ。
誰とも腕組みをしていない感じ。

誰ともドロドロ溶け合ってないない感じがしました。
そして、それまで、全てを相手のせいにしていた状況に対して、私が、相手にネチネチしたものを持ちかけていたんだということに気づきました。

いつもと同じような場面も、私の「ねちっこいもの」を出さなければ、「さらっ」とした清涼感あふれる感触に変わるんだと思いました。

それに気づいた時、自分が、過去を含めて放出していたその「ねちっこいもの」に、恥ずかしさと、ショックさとが入り混じったものを感じ、「あ~あ。」と、自分が作り上げていた張りぼてのプライドのようなものが崩れ落ちました。


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今回、今までにないほど、「恥ずかしい」を感じています。
1週間経った今、まだ何も納まっていない、と最初に申しましたが、この「恥ずかしい」だけははっきり感じているんです。
なんの「恥ずかしい」かもはっきりしないまま。

今まで、私がひた隠しにしていた、この「恥ずかしい」という感触。
バレなければ、お墓まで持ち込もうと思っていたこの感覚(笑)。
でも、今回バレてしまいました。
いろんな場面の、いろんな要素で感じる「恥ずかしい」。
それが、いっぱい出てきました。

この後も、ゆっくり丁寧に、アフターワークを続けます。





タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) ときそうクラス


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今回の「だいだい会」、私はたくさんのことを学び、たくさんのことに向き合いました。
1週間経った今でも、まだ咀嚼中です。

申し込んだ当初、私は私の中心軸から派生しているテーマのひとつ「人間関係」について学んで、解決の方に進みたい。
そう思って、この会に申し込みました。

そうしたら、プレワーク、会当日ともに私の予想と違っていて、私は驚きました。
私自身の「共依存、その深さと実態」に、がっつり向き合う内容だったからです。
でもそれが、私の人間関係にあらわれていることにも、深く納得しました。


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私は、私の未熟さ、世間知らずであることに、改めて直面しました。
自覚した今では、そこから這い上がりたいという気持ちと、わかってしまったが故の自信喪失や不安、やるせなさ…。
そんな気持ちをいったりきたりしています。
日々揺れ動いて、しんどいです。

でも、「知れて」私は良かったです。
知ったからこそ、「あ、これは違うな」とか「こっちの方向だ」と、私の日常、リアルな現実の中で判断できる。
気づいて、立ち止まって、微調節できる。


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これは、私が「知らない」ままだったら、決してできなかったこと。
いうなれば、会に出る前の私は、ちっとも知らなかった。
会に出て、学んだ今となっては、あの「知らなかった」ままの私で、その後の日々と人生を送っていたら…と思うと、私はぞっとします。

私は、あんなに不安定で、不確かで、場当たり的なやり方で、現実において、まったく機能しないやり方で、リアルな私の人生を、生きてきたのか…。

そしてそれを「ふつう」「当たり前」「スタンダード」として何の疑問も持たず、それをベースに引き続き生きようとしていた。
ほんと、「知らない」ってことは、すごく大きいって、改めて実感しました。


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自分の現状を知ること。
それは会を経た今でも、ものすごく大きな波のように何度も寄せてきて、私はショックに打ちのめされます。

でも、どこか…不思議なのですが、そうやって「絶望」を感じると、同時に、私の中の一方に「希望」も、感じる。
それが本当に、不思議です。
でも確かな感覚として、私は感じています。

それは多分、「これじゃないんだ」を私が知ることができたから。
「これじゃない」がわかれば「私はほしいのは、これ」も、わかる。
認識できる。


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私の人間関係は、会を経て振り返れば、なんとも無理難題すぎる状態でした。
私の我慢、演技、人に合わせすぎる、感情を麻痺させて付き合う…。

そんな「不自然」だらけの上に、私は人間関係をつくっていました。
苦しいのも、うまくいかないのも、人と心が通い合わないのも、当然です。


でもこれまでの私は「それが人間関係というもの(できない私がいけない、足りない)」と、本気で、信じ込んでいました。
この思い込みこそが、すべてのゆがみの元凶、源だと、私は気づきました。


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そして…こうして「知る」ことができれば、じゃあ、健康な人間関係って、あるんだ。
それは安心して、くつろげて、素の私でつきあえるものなんだ。

それ、夢物語のように思えるけど、現実にちゃんと「ある」。
まだ私が体感していないだけで、ちゃんと私も、そういう関係の世界に引っ越しすることができるんだ。

だって、私は「知る」ことができたから。
それが、まだ向かうプロセスの中であっても、私の中に確かに感じられる「希望」です。

健康な人間関係は、私にも相手にも、コントロールがない。
ただお互いがお互いとして存在してて、一緒にいたいと思うから、一緒に過ごす。
その関係を思うと、私はほっとして、安心します。


これまで、相手ありき、状況ありきだった、私の人間関係。
でも、そうじゃない。

「徹頭徹尾、自分自身との関係が重要」と教えてくれた、優月さんの言葉。
とても力強く、私の中に響いています。


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やっぱり、私が私をおざなりにしていたら、ないがしろにしていたら、私の人間関係も、人生も、ちっとも幸せにならないよね。
主役が不在なんだもん。

だから私は、私との関係の結び直しから、はじめます。
はっきり言って、慣れ親しんだ救済役、慰め役でいることは、私にはとてもラクです。

そこから脱してゆく、その役割を自分から「やめて」いくことの方が、今の私にはパワーが必要で、疲れて、しんどくなります。
日々の荒波の中、もういやだと、投げ出したくもなります。


でも私は「役割」だけを背負う生き方を、もうやめたい。
やめた先にある人生を、私は体験してみたい。

だから不器用でも、何でも、何度転んでも、私はやり続けていきます。
役割を捨てても、私はどこにいてもいいし、そのままでいていいのだから。


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優月さん、今回も非常に濃い学びを、ありがとうございました。
全力で真剣に教えてくださること、そしてあたたかく迎えてくださること、どちらにも本当に感謝しています。

そして、「だいだい会」のお仲間のみなさん。
今回もお会いできて、うれしかったです。
おなじみの方が多く、再会の気持ちでした。


今回ほど、お仲間さんがいてよかったと思う会はありませんでした。
それだけ、濃くてボリュームのある、かつリアルな内容だったから。

ひとりでは、乗り越えられませんでした。
本当にありがとうございました。





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T. S. さん(40代以上/長野県よりご参加) ときそうクラス


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人間関係、というパンドラの匣。
それはずっと私の中にあって、触れたくもなく、振り返りたくもないものだった。

今回、この「だいだい会」でとうとうその蓋を開けてしまった。

そこには見たくもないものがたくさんあった。
私が今まで築いてきた人間関係、受動的で、恐れに満ちていて、刹那的な関係。深く知り会うことよりも、その時々をやり過ごすための人間関係。
私はいつも人間関係を消費していた。


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「共依存とは、人に嗜癖するということ」と書かれたプレワークを見て、初めて、自分が人に嗜癖しているのか! と驚いた。
こんなに不安なのは、こんなにイライラするのは、こんなに緊張するのは…、人に嗜癖しているから?
まるで自分も周りも見えていなかった。

それは、私自身が、恐れに突き動かされて生きているから、自分自身に疑いをもっているから、自分と他者を比べているから、世界を信頼していないから、不安を抱いているから、に他ならない。
そうして自分はこうあるべきとコントロールして、外側にこういうものがあればいいと思って人をコントロールして、そういう風にすることが生きるということになっていたのだった。


そしてこれは、原家族が接してきた世界の有り様なのだった。
それしか学べなかったから、そうした。
原家族もそうされて、そうしてきたのだ。
それしか学べなかったから、そうした。
ものすごく単純な学習。

それと全く同じことを、他人に、自分に繰り返してきた。


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その自分を目の前に出してきて、感じたのは深い喪失だった。
私の失われた大切な子供時代はもう決して戻ってこない。

大切な時間、その時失った、大切だった関係、暖かい人々との繋がり、世界への信頼は、築けなかった。
過ぎ去ってしまった。
それは、行為のひどさではなく、失われた時間の重みだ。

私は原家族から、そして原家族を出ても自分で奪い続けたのだ。
古いやり方を繰り返すことによって。


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私は、被害者であると同時に加害者でもある。
自分を否定し、感じることもせず、行動しない。
その現実は知ってはいたけれど、今まで見ないできた。その重さ、その現実の有り様にうちのめされた。

そもそも私は自分を信頼しているのだろうか? 本当に愛しているのだろうか?
そして何より、今自分が感じていることをそのまま感じているだろうか?

その確信がなく、能動的でもなく、疑いに満ちていて、外的条件でコロコロと変わってしまう…。
それが私の私との今の関係だった。


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今失われたものを一つ一つ確かめて、世界との健やかな関わりを取り戻そうとしている。
それはまた自分自身との関係をもっとあたたかく、もっと優しくしようとすることでもある。

自分を正すことでもなく、直すことでもなく、ただそのままを認めてあげること。
世界でただ一人私がやれること。
これが回復なんだ。


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今は、匣の蓋を開けたにすぎない。
匣の中では恐怖、不安、緊張、卑屈、無力、困惑、嫉妬…たくさんの感情と出来事が渦巻いている。

これを一つ一つ下ろしていくのだ。
取り出して、感じて、解放していくのだ。
私の毎日を通じて。

今はそんなの時がくることが想像もできないけれど、
一つ一つを取り出した匣の底にはきっと「希望」がある。
そう信じている。


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今回は盛りだくさんの知識に圧倒されましたが、優月さん、サポートいただいた ONSA の皆様、ありがとうございました。

お仲間の皆さん、みんなの暖かさを感じた今回のワークショップでした。
本当にありがとうございました。





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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) ときそうクラス


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今回の「冬のだいだい会」に参加できて、本当に良かったです。

プレワークでは、原家族の中で人の役に立とうとしてることや本音を言えなかったことなどに気づき、それがそのまま今の人間関係に現れていて、だんだん苦しいものになっていくのがよく分かりました。

ワークショップ・クラスでは、私にとって耳の痛いことをたくさん言われてしまって、身の縮む思いでした。
まずは、自分が大事で、自分はどうしたいのかに戻ってくる。それは、いろんなワークショップで痛いほど分かっているはずなのに、現実になると、人間関係になるとそうは出来切れていなくって、まだまだだと愕然としました。

自分のやり方を変えていかないといけないと、今まで以上に痛感しました。
自分ともっと本気で向き合っていきたいと思いました。

向き合っていく時間を辞めたくないと思いました。
そしてもっとたくさんの知識を身につけていきたいと身に染みて感じたワークショップ・クラスでした。


優月さん、クラスのみなさん、お会いできてうれしかったです。
今回もありがとうございました。





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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) ときそうクラス


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この ONSA WORKSHOP(対面式)のプレワーク中、当日、アフターワーク中、それぞれに変化があって、最終的には本当に別の人間になったんじゃないかと思ってしまうような大きな変化だった。

プレワーク中は、正直半分ぐらいかいていあることが自分の中でしっくりとこなかった。それは、自分には当てはまらない部分もあるからだと思ってた。

でも、そうじゃなかった。
全部当てはまってた、笑っちゃうぐらい、いや全く笑えないんだけど。

プレワークはわからなかった部分もあったけど、しんどかった。
自分の辛い過去を振り返るのが重すぎたのと、自分の人との接し方の下手くそさをさらけだしているようで。


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当日は、あまりの知識量の多さと、その一つ一つの衝撃の大きさをいちいち感じていたので、頭も心もパンクしそうだった。
その中でも気づいたのは、これ以上傷つきたくなくて心をガードしてコントロールしてた自分。

プレワーク中はコントロールしてないって思ってたけど、当日そのことに気づいた。
コントロールしてしまう自分もすごくよくわかる。

今まで散々傷ついて、コントロールしていないと怖くて生きていけない。
痛いほどよくわかる。
でも、それを続けていたら、自分の快も楽しさも、自分にとってのあたたかい人間関係も、なにより自分がわからないままになってしまう。

すごく怖いけど、心を開いていきたい、無意識レベルのコントロールも気づいて一つ一つ拾っていきたい。


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そして、自分が思っていた以上に、私は「自分は劣っている人間だ」と思っていること。

優月さんに「あなたは劣っていない」と言われても、それを否定する自分がいることに気づいた。
それは子供時代に染みこまれたものだ。

健康な家に生まれていたら無縁だった感覚。
それを思うと涙が出てくる。

私はちっとも劣っていないと何度も言い聞かせよう。
日記でも、ミラーワークでも、「ひとりじゃないよ」でも。


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「虐待は犯罪」
本当にそう思う。

やり直させろと訴えたい。
私の時間を返してと言いたい。
しかも本人に自覚がない。
こんなことってあるだろうか。

当日は、失ったものの大きさについていまいちピンとこなかった。
皆が「やり直したい」と言う気持ちも、泣く気持ちも、正直よくわからなかった。
いつか私にもわかるだろうかと思うぐらいだった。

それが、アフターワーク中、突然実感した。
実感したら、怒りや悲しさや混乱や色んな感情が一気にあふれだして、それを感じるたびに泣いていた。

本当は、泣き叫びたい。
私の時間を返して!!

過去の失ったものだけじゃない。
健康であれば得られたであろうこれからの幸せや可能性も、私は失ったかもしれない。

それを覚悟して、それを認めて、生きていかなきゃいけない。
涙が止まらない。


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その失ったものの大きさが、重さが、日に日に強くなる。
こんなの、とてもじゃないけど一人じゃ抱えきれない。

一人一人、この重い自分の大きな問題に自分で向き合わないといけないけど、当日抱き合ったあの感触を思い出す。

正直、どうなるかわからないけど、心から笑いたいな。
散々な人生だったけど、取り返したぜって、心から笑い合いたい。

今まで色々ここのワークショップを受けてきたけれど、その度いっぱい学んだり感じたけれど、今回のワークショップが一番衝撃と破壊力が大きくて半端じゃなかったと思う。





タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) ときそうクラス


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私へ

いつもお疲れさま。

今回、向き合うのが特につらかったね。

プレワーク中から過去の出来事を想い出したり、過去の感情を改めて感じ直したりしたから、とても苦しかった。
当日は、「これ以上感じるのは嫌」という意識があったのか、どこか感じないようにしてしまう部分があったみたいだ。

言っても仕方ないけど、
「たまたまこの環境に産まれたばっかりに」
「基本フォームを間違って覚えたために」
と言いたくなる。

私は、こうやって時間を失ってきたんだな。
それが、あまりに重い。


文節区切りの線


何だかもう、ため息しか出なかった。
多分、それは「私の歴史=人で苦しんだ時間」で、それが丸見えだったから。

「人の間」で生きるのが「人間」で、私には人とやっていける能力があったのに出来なかった。
知らなかった。
今分かっているよりきっと、つらいことだったよね。

1週間経って、やっとポツポツと感じ出したし、過去のあれこれが「そういうことだったのか!」と、腑に落ち始めた。


文節区切りの線


基本フォームの話(釣りのたとえ話)は、すごく分かりやすかった。
私は本当その通りだった。
自分のしていたこと・家族のしていたことが、前よりよく理解出来た気がする。

私は、幼い頃から全身の神経を研ぎ澄ませて家族の気配を伺って、問題に対処したり、問題にならないようコントロールするのが当たり前だった。

私の母の世界観は、「経済的に安定した正しい相手と結婚すれば、その後の人生は安泰。自動的に人生が開ける。子供を産み、食べさせてさえいれば、勝手に成長して全ての面倒を見てもらえるようになる」だった。

これって、例え話の「王子と出会って、そこから正しい人生・人間関係が始まる」と本質は一緒だ。
(自分を振り返っても、全くこの世界観だった。…あまりに痛い。あまりにコピーで、ぞっとする。)

そして、母にとっての王子(父)が自分の思った通りにならないと分かると、今度は姉に、姉が思い通りに動かず役に立たないと思うと、今度は私に救済者の役割が課せられた。
私は、母の、家族の、救済者だった。
残念だけど、納得出来る。


文節区切りの線


新潟の震災の後、他に親戚はいたのに、自分も夫を亡くしたばかりだったのに、うつを経験していたのに、私の反対を押し切って、認知症の祖母を自宅に呼び寄せた母。案の定うつを再発した。

そんな中、知らぬふりを決め込み何もしなかった姉。
そして、その問題を解決しようと背負いこんでいた自分…。
振り返ると、理路整然としていた。


私は、家の外でも「救済者」だった。
それ以外の居方・人とのつながり方を知らなかった。

そして、すごく受け身だった。
今までの人間関係で、「たまたま家が同じ方角だった」「相手から声をかけられた」「たまたま分かってくれるようなことを言ってくれたから」「必要とされたから」という理由で始まった関係が多く、自分が「好きだから」とか「楽しさ」でつながれた相手は、本当に少なかった。
…私の意思はどこ?


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ふと思い出したけれど、私はグループの中でやっていけるよう、必要とされようと、役に立ったり人のニーズを叶えたり、悩みの相談にのったりしても、楽しい活動からは外されたことがあった。

その度に、私は表面上何ともないふりをしながら傷ついていたけれど、今なら理由がわかる。
私は、「楽しさ」でつながっていなかったからだ。

人に「上げてもらう」ことを、「楽しさでつながっている」と勘違いしていたこともあった。
最初はうまくいっていたように見えた関係でも、相手が何となく引いたこともあった。

それは、私が「2人きりの閉じた関係」(それが親しくなることだと思っていたのもあるし、親に求めたかったものを無意識に人に求めたせいもあると思う)を求めていて、相手はそれが重いと感じたからかもしれない。
私は、本当世界が狭かった。

挙げだすときりがない。


文節区切りの線


当然、「それなりの相手」を自ら引き寄せることが多かったし、とても傷ついた。

人との温かく楽しい関係を持ちたいのに、幸せになりたいのにそうはならず、がんばればがんばるほど空しくなり、人と関わることが嫌になって、怖くなって、私は自分の心の中に引きこもった。

同時に、健全で楽しくて充実している人とつながろうと、必死だった。
「楽しい人といれば、楽しくなれる」「人が楽しいということをすれば、楽しくなれる」って、必死に人に釣り糸をかけていた。
楽しそうで充実していそうな人につながって、真似をすることで、自分もそうなった気分になっていた。
あれは、コントロールだったのか。


文節区切りの線


その姿勢は、人に対してだけじゃなかったね。

私は、幼い頃から、本やまんが、映画や舞台作品やライブを通して、自分の欲しかった物(絆や自己実現や幸せや楽しさ)を感じていた。
…それらを通して感じることしか、出来なかった。

自分の中に楽しさややりがいがないから、外側から補給する。
ちょっと元気になる。
その効き目が切れたら、又新しい物を求める。
そんなことの繰り返しだった。

でも、そのやり方では、私の中から「溢れて来るもの」は出てこなかった。
何も残らなかった。

本当に、
「自分とは?」
「自分の好きなこと・やりたいこと」
「自分は、どうなっていきたいか?」
が分かっていないと、なんだなぁ…。


文節区切りの線


今振り返ると、幸せになれなかったのは当たり前だ。
「やっていること」でもなく、究極は「人」が原因でもなく、自分だったのだから。
基本フォームが違っていたのだから。

間違ったことをすれば、間違った結果になる。
当たり前と言えば、それまでだけども。
それだけのことを知らなかった・出来なかった為に損なったものの大きさは…。


文節区切りの線


今の私は、救済者の役割を放棄したものの(意識上は)、自分が求められる役割やキャラクターが分からないと、人の間でどうしていいのか分からない。
今も、変わらずに狭い世界で縮こまっている。
そうするしかない今の自分が歯がゆいし、つらい。

同時に、今の課題も見えてきた。

やっぱり、「自分とは?」「やりたいこと・楽しいこと」「なりたい状態」を具体的にしていかないと。
人と関わることが増えると、どうしても「私は、余計な存在だ」「どうせ、好かれない」…過去の声に引っ張られる。

秋の ONSA WORKSHOP(対面式)で、気になる身体症状も出て来た。
トラウマケアも必要かもしれない。


やることが山盛りだ。
「そうならないようにしよう」「次回、気をつけよう」では、どうにもならない。
今出来る目の前のことを、1つ1つやろうね。

最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、仲間の皆さん、今回も本当にありがとうございました。





タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) ときそうクラス


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人間関係という重いテーマが、思った以上に重たくて。それでも、振り返ると、今の私に本当に必要な知識だったと実感する。
プレワークで指摘されることが痛くて、私のことそのままで、課題に取組みながら痛すぎて涙が出た。

私の人間関係は切迫した状態からスタートしている、というのはまさにその通りで、私は子どもの頃から満たされなかったもの、与えてもらえなかったものを求めて、自分の渇きを満たそうと、そういう関係でつながることしか知らなかった。


文節区切りの線


共依存の私は「世間知らず」であるということに、少なからず傷付いた。
小さい頃から、両親に「あなたは世間知らずだから」とずっと言われてきた。

でも、それって狭い世界に閉じ込めてたあなた達のせいじゃない!! と思って、また怒りがわいてきた。

両親は、どこまでも、私の人生を邪魔してきた。
幸せに自分らしく生きることを、ことごとく妨げられてきた。


文節区切りの線


親しい関係を築くにも時間が掛かる。というより時間をかける。

親しくなりたい人に、少しずつ近づいたり、違うと思ったら引き返したり。
そんなこと、今まで考えたこともなかった。

人間関係の築き方を、私は本当に知らなかったのだと、つくづく思う。
教えてもらわなかったのだから、仕方がない。
両親も、それを知らなかったのだから。


文節区切りの線


幼い頃から、「みんなから愛される人間になりなさい」と言われ続けた。
そして、それはとても大事なことだと思ってきた。

だけど、それって相手が愛してくれる基準に合わせることで、愛されなければ私がダメと思っていたけど。
でも、千差万別の人たちから愛されるって、どう考えても無理がある。
人間関係が上手くいかないと後ろめたさを感じるのは、義務感が根底にあるからなのかな。


文節区切りの線


私が好きなこと。私に似合うもの。私が心地よいこと。
そんなことが分かるようになってきて。
私にはこういう関係性が合う、ということも、きっと分かるようになるのだろう。

もう、義務感からの関係性からは解放されたいと、心から思う。
それは今までにない新しい関係で、不安なところもあるけれど、私をきっと穏やかに幸せにしてくれるものだと思う。
だから、練習して、実感してみたい。


文節区切りの線


今でも、閉じ込められた世界に生きる両親のことを可哀そうに思う。
そして、普通の親子関係を築けなかったことが悲しくて、それを思うとまず涙がこぼれる。
怒りと悲しさの中で、小さな私は佇んでしまう。

そういう私の優しいところはそのままに、それでも自分の人生を自分で歩いて行くことに、私はまず集中したい。
そして、自分を自分で満たすことから始めなければ、私の人生はいつまでたっても始まらない。
だから、新たな知識を得て、再び歩き出す私のことを、いつでもどんな時でも応援していたい。


一緒に歩く仲間の皆さんのことを思い、いつも伴走してくれる優月さん、スタッフの皆さんがいる心強さを思い、そして参加を選択した自分を信じて、これからも歩き続けていこうと思います。

今回も参加できて、本当に良かったです。
ありがとうございました。






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