2015.04-07月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」たいはくクラス

PAY FORWARD:Web. WORKSHOP コース2/STEP.2(前期日程)
2015.04-07月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」たいはくクラス


「コース2」のテーマは「いわゆる『家族問題』」です。
ONSA Web. WORKSHOP では、毎週1課題、全12週にわたり課題に取り組んでいただきます。本 PAY FORWARD は、最終12週目の課題としてお取り組みいただいた、締めくくりのワークです。

●コースの内容 
- 「ONSA Web. WORKSHOP(ウェブ・ワークショップ)」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ

 PAY FORWARD(ペイ・フォーワード)とは「次の人につなぐ」という意味。すでに ONSA WORKSHOP にご参加されて、ひと足先に変化を歩き出した方々から贈られるメッセージです。
タイトルはじまり目印

K. O. さん(30代/神奈川県よりご参加) たいはくクラス


タイトル下の線


提出日を一日過ぎてしまいましたがようやく心が落ち着いてきたので、「ペイフォワード」をかけそうです。
「ペイフォワード」が書けないなんてはじめての体験です。
昨日,PC の前に座ったけれど全く書けなかった。書いても人の批判しかかけなかったから、思い切って寝ることにして正解でした。

今期,「境界線(バウンダリー)ワークショップ」 と「インナーチャイルド・ワークショップ」と「Web. WORKSHOP」を受けたのでその総括をここでは書こうと思います。


文節区切りの線


不思議なことに Web. WORKSHOP の終盤,私にとって何か重要なチャレンジであったり、葛藤があることが多いです。今回は,コースの内容ではなく,対面式での優月さんからのアドバイスに対する葛藤がかつてないほどすごかったです。

私の過去の大きい傷が二つ絡んでいたことで,穴から抜け出すのにものすごく大変な思いをしました。
今日やっと抜け出せました。


文節区切りの線


一つは,発達障がい、パーソナリティ障がいに対する私の偏見、レッテル張りです。
もし検査をしてそういう結果がでたら、この世の終わり、みたいな気分になっていました。だけど、名前がついたからといって私は何一つ変わらないという事実に気づいたとき、怖れから抜けることができ、結果はどっちでもいい、というところまでもってこれました。

二つ目は、優月さんのアドバイスが、威圧的で脅しのように感じられたことです。
(優月さん、ごめんなさい!)

それは、私の父が、自分が正しいと信じていることを私に押し付けてきたことに対する投影だということに気がつけました。

私は勝手に妄想を膨らませ、検査をしないと ONSA から排除される、というところまで言われている気がしてきて、拒絶される恐怖に怯えていました。

だけど、優月さんのいった言葉だけ客観的に抽出すると、

「自分に関係ないと思わずに調べて、もし、ん? 関係あるかも? と思ったら検査をうけてみてください。」

ただそういっただけでした。


威圧感に反応して、たいして調べずに行動に移した自分に対して、自分の感情、チャイルドは「嫌だ! 無視しないで!」と激しく怒っていました。


文節区切りの線


少し冷静になって情報を集めだして、友人の臨床心理士さんにも聞いてみたりして、一歩ひいてみてみると色んな意見があることがわかりました。

そして、正しい情報をみつけようとやっきになっていることに気がつけました。
そして自分の回復のために何がいいかは自分で判断して選択するしかないって、気がつけました。

私は自分の直感が、自分の回復の方向性はそっちじゃないっていっていると感じました。その感覚を無視しないで! って多分チャイルドは叫んでいたんだと思います。

最近、自分にとって必要なことは、自分のタイミングでやってくる気がしています。医療機関にかかることは、今は私にとってタイミングじゃないんだと思います。それが遠回りだったとしても、それが自分にとっては必要な選択で、経験なんだと思います。


文節区切りの線


この一連の葛藤を一つ一つ乗り越える作業を通して、何か、生きている実感ってこういうことかな? と感じました。
私の中で小さい自分が力強く立ち上がるのを感じました。

葛藤の中、自分で調べて、感じて、選択していく、これが自分を生きるってことなんだって感覚を味わいました。

健康な世界にも問題はあるけれど、健康な人は問題を解決できることを知っている、と優月さんが話していたことの「問題」という言葉を「葛藤」と置き換えてみてみたとき、ああ,そうだなと実感しました。

やっと「明けた!」って感じることができました。
今この瞬間、私の人生はとっても充実しているし、幸せだと感じました。

「たいはくクラス」のみなさん、3ヵ月間ありがとうございました。
3人のクラスだったのでより距離が近く一緒に歩いている感じでした。
身近に感じていました。
これからも一歩ずつ進んでいきましょう!




タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) たいはくクラス


タイトル下の線


私は、この「コース2/STEP.2(前期日程)」に参加するのは2回目でしたが、今回もキツかったし、目の前の課題に精一杯でした。

でも、1回目のときと比べると、精神的に少し落ち着いて取り組めたかなと思います。
冷静になっている時間もだんだん増えてきました。

今でも自分と向き合うことを投げ出したい気持ちや逃げ出したい気持ち、早く先に進まないと! と焦る気持ちはあるけれど、そこから戻って来る時間も早くなったし、何より、ここで粘っている自分を褒めたいと思います。


文節区切りの線


自分なりの境界線や限界も少しずつ実感できるようになってきました。自分のリズムというものがだんだん分かってきて、無謀なスケジュールを立てては実行できず、自分を責めるなどという不毛なことはずいぶん減りました。
また、簡単にあきらめることも少なくなってきました。
私にとって大きな収穫です。


文節区切りの線


私は、何が健康で、何が不健康なのか、全然知りませんでした。知る機会もなかったけど、何より知ろうともしてなかったと思います。
だからこそ、知識を学ぶことの大切さを痛感しました。
このままの世界では、健康に生きるスキルが身につきそうもないです。
それがよく分かりました。

健康な、新しい世界に引っ越すのは、「怖い」という気持ちもあるけど、このままとどまり続けるのはもう、しんどいです。
ひとつのクラスが終わるたび、もう戻りたくない気持ちが強くなっています。自分の足で立つために、今以上に真剣にならないといけないなと思います。


文節区切りの線


「たいはくクラス」の皆様、3ヶ月お疲れ様でした。
今回は、「対面式ワークショップ」とも重なっていて、いっぱいいっぱいでしたが、「みんなもがんばっている」と思うと、すごく励まされました。
本当に本当にありがとうございました!
また、どこかでお会いできたら嬉しいです。

優月さん、スタッフの皆様、今回もお世話になりました。ありがとうございました!
また、よろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

H. E. さん(30代/愛知県よりご参加) たいはくクラス


タイトル下の線


「たいはくクラス」のおふたり、連日投稿する私のコメントを UP してくれたスタッフさん、それからプログラムを作ってくれた優月さん。
またまた3ヶ月ちょっとのお時間、とてもお世話になりました。
ありがとうございました。

初回のこのコース、周りを気にする余裕がなくなるくらい、私には「追いつめられた」感があったと思います。
それって、いいことだったと思います。


文節区切りの線


あらためて自分の自己紹介を読んでみて、「この人の、どの辺がもう大丈夫で、平気なんだろう…」と思いました。
綱渡りもいいところ、ひどい人生です。
おもては、まとも風に取り繕っているかもしれないけれど、ぜんぜんまともじゃない。
私って、ぜんぜん本当にまだ少しも大丈夫ではないんだ…。

今更も何もないほど、今更だけど、自分の周りがまともに見えて、自分がない私はその外側の像をわが身に適用して、日々過ぎていく時間のなかで私自身は薄くますます滲んでいます。

恐ろしさの4分の1も実感できていない確信があるけれど、ものすごく怖いことです。

ものすごく、ものすごく、怖いことです。
そして私はこれを「実感」ではなくて、あたまで理解して、言っているのです。

そのことが、私はものすごく怖い。
そのことは、すごく怖い。
何度も何度も、釘を指してほしいです。
ドMでもなんでもいいので、指してほしい。


文節区切りの線


最初に書いていた目標。
  • ・「私の感情をわたしが認める、尊重する」
  • ・「まず、私」
  • ・「ひとに求めなくていい、私が知っていれば、それでいい」

とことん、できてなかったです。
やる覚悟もなかったです。

私のまんなかには、いつも私じゃない、違う人がいる。
その人まるごとが、私の「答え」になってたんじゃないか? といろいろ考えてみて、そう推測しました。

外側にたくさんある「答え」のうちから、私は「私はこれ」と選んでいる。
いろんなひとの「答え」を、それらしく、ツギハギ。

それが「私の選択」って私は思っている。

けど、違うんじゃないか。
知らないものは、うっすらと類推するしかないのだけど、違うんじゃないの。
ていうか、違うだろ。

だから、虚しくて、空っぽで、ハリボテのような私。
そして、私の時間。

演じる演じる演じ続けて止まらない空っぽの私。

そもそもそれ私?
それでも刻々と現実の身体のあるこの時間は過ぎてゆくし、命は命だし。
胸が苦しいです。


文節区切りの線


この事態は、おかしい。
(と、はっきり言っていい。)

私は、この事態に、何度も、断固、NOって言わなければ。
はっきりとそう言って、前にすすまなければ。

顔をあげて、前にすすまなければ。

(息もしっかりしてください。私はすぐ酸欠になって混乱していると思うので、しっかり呼吸してください。吸うためには、まずしっかり肺の空気を吐いてください。)

課題のなかで、なにより「遊ぶ」ってことが、思いのほか難題でした。
そんな余裕、もてなかったです。

「私を認める」ことも、難題でした。
自分に嘘ばっかりついてたら、そりゃあ難題だし、ぐるぐるの罪悪感からも逃れられなくて道理だったんじゃないか、と感じます。


文節区切りの線


難題だろうが、問題は問題で、それは「解決可能」って教えてもらいました。
100通りでも、200通りでも、解決方法はたぶん無限にある。
答えはきっと、人の数だけ。
「私の解決方法」を、「私」がひもといてゆくんじゃないかしら。
そういうことなんじゃ、ないかしら。


解決方法といえば、私はまた「子どもの魔法の解決方法」のなかで生きていました。
・いい子でいたら、助けてくれる。
・がんばっていたら、報われる。
回復の道から、どうやら遭難している私の手を、私はなんとか繋ぎ直せているだろうか。


それでも、私は、とてもよくやっていたと思います。
いま私が体感として感じているからだの歪みは、間違った自己流のやり方、の反映ではないかと感じるのですが、ちょっとずつこうやって、私なりのバランスを探していくんじゃないか、と思います。

強がるのは、やめよう。
ちゃかすのも、やめよう?

少しずつ、私のなかにある「怖さ」に向き合って、それを、私のちからにしてゆきたいです。
少しずつでいい。
だけど、日々、やろう。


文節区切りの線


今後の方針として、いま私の感じることも書き添えます。
  • ・私にとって、「身体を動かす」のとあわせて、「声をだす」というのは、とてもキーワードだと思います。
  • ・それから、利己的で、依存心が強固で巨大で、惨酷で、加虐的で、命にも無関心な私の感情をみつけたら丁寧にそのまま表現していこう。
鬱々と無意識な自動レベルで「いい人」を演技し続ける私にとって、重要なことなのかもしれないと思いました。
気づいて表現する、とは、無意識を、意識にあげるということです。
中・高校時代の地獄に戻りそうでものすごく嫌だし、最初はやりすぎて必要以上に辛くなりそうだけど…それでもやってみてください。

そこで生活が犠牲にならないように、睡眠時間の確保も、これまで以上に重視してね。
「今」に向き合う疲労度の高さを、今回、身にしみて感じました。
心身が疲弊するのに比例して、もともと低いストレス耐性も、どんどん下がっていたと思います。


自分や人と健康な関係を築くことが出来ない、どうやっても出来るわけがない(やってきていないんだから)、ということが、この先の私の未来の時間にとって、どんな意味をもつか。

バランスのとれたライフスキルを身につけていない、ということが、この先の私の未来の時間にとって、どんな意味をもつか。

破滅的な人生になることが多いってことは、はっきりとリアルだと理解します。
このコースを通して、感じることができたと思います。

1日でも早い方がいいって、それも本当にリアルなことです。
私の20代も、30代の半分ももう過ぎた時間。


文節区切りの線


沸々と思うのですが、私は、やっぱり、旅行がしたいです。
マティスの礼拝堂に、連日、日程の許す限り、通ってみたい。
まいにち刻々と光の違うのを、全身つかって体感してみたい。
それから、リスボンとかパリとかベルリンのカフェで連日、お茶をしてみたい。
スペインの巡礼路を歩きたい。
バリの田舎で心ゆくまで、のんびりしてみたい。
台湾で「あーん! もーーーーう無理!!! 大満足!」ってくらい、おいしいお茶と飲茶ざんまいしてみたい。

これくらいの夢、ひとつずつかなえてゆけるような、仕事ができるようになりたいです。

ぜったい、かなえる。
過去の負の遺産なんかに、私の人生のっとられたまま負けてたまるか。

…ってなんか、書いていたら、突如フツフツと思いました。
思ったので、書いておきます。


文節区切りの線


体力も前よりついてきたし、諦めないで、今はプログラムの課題に、しがみついてゆこうと思います。
(しがみつくというより、いつもかじりついているような気分ですが…)

油断も私の代名詞のようなものなのですが…「もう、油断することさえ諦めてほしいという期待を込めて」という内容を課題中に読んで、あ、そうなのか…「ちょっとくらい…」の油断も諦めるってことなのか…と「油断しない」という言葉のイメージが、「油断を含んだ油断しない」(なんだそりゃですが…)から、感触を変えてゆく必要があるんだ、と理解しました。
「ちょっとくらい…」って、もう依存症者にとって致命的にダメな言葉じゃないか…。

そうか…、
そうですよね…、
そうですよね。

そうですよね…、
私は、依存症者です。


ただ油断しないって、休まない、とか、遊ばない、ということではなくて、休むのも、遊ぶのも本気で、命を掛けるくらいの気持ちで(ああだって実際そうだ…)、本気で、真剣に。
そういうことだと思いました。
言うはやすし、だけど、そういうことだ、と思いました。

そして、わたし。
それが、私のいちばんの夢だったじゃない。

ほんとうにさ、かなえようよ。
かなえようね。

なめない。
やめない。

かなえようね。
かなえてゆこうね。

ぜったい、かなえようね。
「できる」ようになるまで、私やるから、待っててね。
楽しみに、待っててね。





TO TOP