変化とは、過去を否定することではない

INFORMATION | なんのために「今」、人生と向き合うのだろう
変化とは、過去を否定することではない


| 「機能不全家族問題」
それが、この「ぐるぐる状態」の正式名称


| 変化とは、過去を否定することではない

過去を、好きになることができる

ひとつ前の記事でもお伝えした通り、私は今、「理由の分からない、ぐるぐる状態」から脱して、ここにいます。

どうやって、そうするの?
どうやって、変えてゆくの?

長い長い話になります。
ですが、かいつまんで、ひとこと。

過去を、忌み嫌ったり、叩き壊すのではなく……。
今まで積み重ねてきた、あなたの歴史。ここまで生き抜いてきた、勇敢さ。それを、ひとつず手にとって、愛おしんで。そして、要るものと要らないものを、よりわけてゆくことができます。


「こうすれば、すべてうまくゆく」的な提案に、安易に頼るのではなく。
自分について学び、自分を活かす練習をし、自分の内側に、力をつける。

もし、「ためにならない、心の癖」みたいなものが、あるなら。
誰の内側にもある、「自分の人生を、つくってゆく力」を発見して、鍛えることで、そこから出てゆくことができるのです。



もっと、幸せを増すことも、できます

温かな人生を、生きることだってできる。
もっともっと、人を大切に、できるようになります。しかも、自分を犠牲にせずに。


なんの秘密も、ありません。
あなたの内側に、もうある力を発見して鍛えることで、現状や、人生を変えることができます。

いつまでも、あてになるかわからない「誰か」や「何か」を探して、うろうろと、さまよって……。そうやって、不安定な状況に、身を置いたままでいなくとも、よいのです。

あなたにも、誰にでも。
みずからの人生を善いものにしてゆく力が、備わっています。



| この状態には、正式な名前があります

正式名称は、「機能不全家族問題」

話は少し戻りまして、この「理由の分からない、ぐるぐる状態」問題。

折々の流行で、いろいろなニックネームで呼ばれていますが、正式名称があります。
それは、「機能不全家族問題」

確立された現象で、ずっと昔からある問題。
人類の歴史・家族の歴史とともに、脈々と、存在する問題です。

「理由の分からない、ぐるぐる状態」には、
「機能不全家族問題」という名前がついている
今にはじまったことではなく、歴史のある症状であり、問題


独特の「不安定さ」が、人生の土台に影響を与えた

「機能不全家族問題」とは、とてもシンプルに言いますと、こういう現象です。

愛情たっぷりの、安心安全で明るい、一貫性のある家庭環境ではなく……。
どこか不安定で、安全性や一貫性のない(うすい)家庭環境で育った。

心から安心を感じた、幼少時代というものを、過ごしたことがない。
その結果、人生の土台が不安定なまま、刻々、成長してしまった。

そんな中でも、決められたことは守り、「これが正しい」とされていることを、せいいっぱい選んできたはず。
ワガママを言わず、ひたすらがんばり、その時々を、必死で乗り切ってきた。

あなたも、そして私も。
決して、陽の当たるような意味での、「努力」ではなく。誰も知ることのない、心の奥底のレベルで、誰よりもがんばって、求められる期待に、応えてきたはずです。


土台の不安定さが、次々に「ずれ」を作っていった

ところが、人生の進みとともに、次々と、ライフイベントがやってくる。
進路を決めたり、将来を考えたり、進学したり、就職したり。
交際したり……もしかしたら、結婚したかもしれない。
その時々で、なかば訳も分からないまま、必死に、決断を積み重ねた結果……。

何を選んでも、なぜか、反対方向に進んでしまう。
「これは、私の人生ではない」
「私が、この人生の当事者ではない」
という感じが、選択を重ねるごとに、強まってしまう。


理由は、不安定な土台の上に、他人に遠慮した決断を、いくつも積み重ねたからです。

100%きっぱり、納得できる、「自分の決断」ではなく。
誰のものかわからない空気感の中、様々な人たちの思惑が入り混じる中で、一種場当たり的・その場の「流れ」……もっと言えば「逃れ」的な形で、重なった決断。

決断を「重ねた」のではない。
気づいたら、知らないうちに「重なっていた」が、実感として、正しい感覚かもしれません。



もともとは、あなたの責任ではない

違和感満載の、「ぐるぐ状態」。
どこか、借り物の人生。


もともと、この人生に対して、「これは私の人生」といったような、感覚はなかった。
自分の人生なのに、どこか、「お客様」のような感じがしていた。
いつか漠然と、自分にとっての「本物の人生」が、はじまるような気すらしていた。

この、ふわふわとあいまいな感覚の、もともとのルーツ。
機能不全の家族に、由来しています。

もともとの、おおもとまでたどってゆくと、あなたの責任で生じたことではない。
本当に。

それなのに、あなたが「その人生」の当事者であるゆえ、あなたの元に、決断の結果が、問題として降りかかってくる。
降りかかって、降り積もってゆく。

その蓄積として、違和感満載の「今」がある。
しかも、この違和感。
黙っていては、決してなくなることがなく、時間とともに、降り積もりを増してゆく。


この「機能不全家族問題」。
とうてい、言葉には言い表せないほど、理不尽な問題。
自分一人の力では、どうにもならないほど、根が深い問題です。



| 過去だけでなく、「今ここ」に影響を与えている問題

過去だけではなく、「今ここ」に影響を与えている問題。だから、やっかいなのです

さらに悪いことに、この「機能不全家族問題」。
過去の一時期に起こった問題ならまだしも、私たちを「今も」、苦しめ続けています。
つまり、日常の中で「今も」、こんなことが起こっているのです。

自分の意見やニーズよりも、
「人にどう見られるか」
「人がどう感じるか」
を、無意識に優先してしまう。

そちらの方に、より、注意関心が奪われてしまった結果……。一種、「自分がない」状態に、なっている。

他人のニーズや、他人の機嫌に、あまりにも焦点を合わせすぎてしまって、自分の心に焦点を合わせることが、できなくなっている。
どうしたらそうできるのか、さっぱり、わからない。

自分が何をしたいのか、どんな人生を選択したいのか、わからない。
どう生きたら、満ち足りるのか、わからない。
それゆえ、権威ある人の意見や、その時々に「正しい」とされる意見を、うかがってしまう。

「ノー」と言えない。
自分の人生なのに、他人の立場や意見、気持ちのほうが、大事だと感じてしまう。

自分を、どう尊重して、いたわっていいのか、わからない。
尊重して、いたわる権利が、どれぐらいあるのかも、わからない。

この、「理由の分からない、ぐるぐる状態」。

あなたが、あなたの人生を再発見して、大切に確立するまで、終わりがこない状態なのです。


| 過去を「完了する」。「今」が実感できてくる

過去を「完了する」。すると、「今ここ」に戻れる

この、終わりがない、不安定な状態。
当事者であった私が、その状態を、どうやって終わらせたかというと……。

王道です。
自分の人生を再発見して、大切に、確立し直しました。


不安定な形とはいえ、ある程度のところまで、とっくに育ってしまった、「私」という存在。

どうして、こんなことに、なってしまったのか。
この苦しさは、どうやって生まれたのか。

自分の過去や、過去の選択と向き合って、ふたたび自分を「育て直す」。それには、膨大な、時間とエネルギーがかかります。
山ほどのパワーも、必要そうです。

それゆえ、そう簡単には、現状が「問題だ」と認められない。

「今から、人生の方向転換を、するかもしれない」
そんな大きなことに、そう簡単には、向き合えない。


でも、私にはそれ以上、無理だったのです。

この、訳のわからない「生きづらさ」を抱えたまま。
誰に所属するのものかすら、よくわからない荷物を、背負ったままで。

「自分の人生」と呼べるものを生きることなく、ただ延々と、日々の時間を生きる。
朝、自分を引きずって起こして、1日じゅう、自分をおさえて生き抜く。夜になると、虚しい気持ちを抱えて、無理に自分の意識を「落とす」。
そこに、確かな実感や、満たされた気持ちはない。

他人からは、要求がどんどん飛んでくる。人生から求められるハードルも、刻々、高くなってゆく。
でも、私の人生は、誰にも本当には心を許せないまま、孤独で、ぽつんとさみしいまま。
がんばっても、なんの「いいこと」もない。


そんな時間を延々続けたまま、人生の時間が終了になるなんて、耐えられないことでした。
たった1週間ですら、果てしなく終わらない時間に感じられました。

もし、あの時、方向転換しなかったら。
あまりの時間の重さと、人生の理不尽さ。延々とした終わりのなさに、燃え尽きていたと思います。



過去と向き合い、過去をひとつずつ「完了する」

私がしたこと。
それは、サポートの力を借りながら、自分の過去と、必死で向き合ったことでした。

過去を、「投げ捨てた」わけでもない。
私に、発生の原因がなかったと分かった「黒歴史」を、消したわけでもない。
ひとつずつの過去と、ていねいに向き合うことで、過去を「完了した」のです。


みずからの過去と、向き合うこと。
それは、たくさんのパワーが必要で、重いこと。
一人ではきっと、できないでしょう。

生き抜くために、必死でフタをした、「過去」という時間。
その中には、無力感や絶望、怒り、悲しみ……さまざまに絡み合った想い出が、整理されないまま、封じ込められています。

どれほどの悲しみ、怒り、混乱、絶望が出てくるか、予測がつきません。
だからいっそ、ひとまとめに、「見ないこと」にして。そうして、蓋をしてしまったほうが、楽なのです。


でも、そんな過去をふり返って、過去を認めて。本来あるべき場所に、それを、優しく「置き直した」からこそ。

過去を、「過去とした」からこそ。
まったく新しい「今」が、スタートしはじめました。



過去が「完了する」たび、新しい「今」がはじまる

あれほど忌み嫌っていて、消したかった過去。
痛み。
混乱。
劣等感や、恥の感覚。
できれば、誰にも知られないまま、無視したままで、やり過ごしたかったもの。

向き合ったら、不思議なことが起こりました。

過去から、自由になれた。

そうしたら、私の「今ここ」もまた、自由になれたのです。
新しい人生が、はじまりました。
外側の条件が、急に、大きく変わったわけではありません。

解放されたのは、内側です。
心でした。

そして、その変化と、シンクロするようにして……。
外側の人生もまた、ゆっくりと、本心から望むような形に、変わりはじめたのです。



誰もが、幸せになるために、生まれてきた

私にとって、それは、時間の奇跡でした。
あの、重苦しい、終わりのない繰り返しの時間から、出られたのです。


そして今は、
「これが私の人生」
「これ以外に、生きたい人生はない」
と感じながら、日々を生きています。

世界のすべてが、親しみをもって、美しく見えます。
この世界は、私の居場所がある世界でもある。
未来に、希望が持てます。


本を書き、ONSA WORKSHOP(ワークショップ)を主催しているのは、こんな経験のため。
同じことを、同じ経験を抱えた方に、全霊でお勧めするため。
力づけ、サポートをするため。

そうすることで、どれほど楽になるか……。
どれほどの重荷や、終わりの見えない孤独、理不尽から解放されるかを、体験として知っているから。



たとえ、人生のさいしょに、どんな環境に生まれたとしても。

誰もが、本当に安心して、幸せな人生を生きてほしい。
そうできると知っているからこそ、そうなってほしい。

この安心の感覚を生きないで、人生の時間を終えるなんて、本当に残酷なこと。
それを、身を以て、みずから経験してみた。
「ひどい方」と「幸せな方」、どちらも。

だからこそ、自信をもって、言えることがあります。

あなたは、幸せになるために、生まれきました。
他の誰のものでもない、「あなたの人生」。その実感を生きるために、あなたは、この時間を生きています。

これは、間違いのないことです。





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