ONSA WORKSHOP
自己犠牲型の人生から、安全に脱してゆく
もうひとつのワークショップ・プログラムである ONSA WORKSHOP では、もっと深部のテーマを扱っている。
先に、この社会が強要してくる、「お金のための」支配と搾取の構造について話した。
「時間・お金・エネルギーを、知らないうちに、搾取されてしまう」
重ねてこの構造は、前世紀から警告されているし、今に始まったことではない。
もっと言えば、はるか『聖書』の時代から、連綿と続いている構造だ。
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とはいえ人間は、この支配と搾取に、やすやすと巻き込まれるわけではない。
というのも、普通は親が、
「どんな生き方でもいい」
「あなたが、幸せであればいい」
子に、安全な生き方を教えてゆく。
この、目に見えない伝承があるからこそ、人間はたやすく負けず、そこそこ健やかに、命をつないでこられた。
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安全な生き方の智慧は、決して教科書に書かれないレベルで、口伝で教えられてゆく。
「この社会には、矛盾が山ほどある」
「それゆえ、必ずしも社会の言う通りに、生きなくともいい」
「矛盾だらけの社会の中で、理不尽や支配・搾取から、身を守ってゆくことが大事」
こんなふうに。
ところが、この教えが、受け継がれない環境がある。
それは、親が子の権利を奪い、子を支配するような環境。
ほかならぬ親こそが、子の搾取者になっているような環境だ。
危険なルール:「自分を滅して、他人に奉仕せよ」
このような環境に、偶然生まれ育った人が持つルールは、歪んでしまう。
「誰もが、自分の幸せのために生きる」
このような健康なルールは、その場所では教えられない。
代わりに、無茶苦茶なルールで、洗脳されてゆく。
「あなたが『がまん』し『がんばって』、他者を幸せにしなさい」
「他人に認められ、社会に認められる、立派な人間になりなさい」
「そうすれば、がんばり次第では、幸せになれる(かもしれない)」
「自分を滅して、他人に奉仕せよ」

「自分を滅して、他人に奉仕せよ」......"誰のために?"
こう教えられた子は、周りから見た時に、ものすごく「いい子」に育つ。
責任感が強く、他人の分まで進んで引き受け、理不尽にも文句すら言わない。
結果、学校で大きな問題を起こさない「(大人にとって都合の)いい子」が仕上がる。
社会の中でも、もちろん、ある程度やってゆけてしまう。
その人たちは、優秀な社員になったり、率先してチームを引っ張ったり、注意深く頼れる人間になる。
チームリーダーになったり、国家資格をとったり、医者や弁護士になったりする。
社会的に成功しているから、まさか自分が権利を奪われているとは、気づくことがない。
ところが内実は、非常に「支配しやすい」人間に仕上がってしまっている。
もちろん、この社会を生き抜くためには、とても危険な状態。
「がまんとがんばりで、人生を乗り切れ」
このルール(洗脳)は、社会の支配的な側面と、非常に親和性がいいからだ。
奪われ「透明」になっている「権利」の感覚を取り戻してゆく
そこそこ健康に育った人間は、この社会が一方的に押し付けてくるルールを、自分の基準で判断してゆく。
受け入れられるものは、ある程度受け入れる。
必要ないと思ったものは、避けるか無視する。
「それはおかしい」と感じたものには物申し、自分の権利を守るために、闘ってゆく。
あるいは、逃げ出す。......不正から堂々と逃げることも、私たちの権利の一部だ。
「権利」があること自体が、理解できない
ところが、権利を奪われて育った人は、自分に権利があること自体を、認知できていない。
「人として、尊重されること」
「存在を、当然のように認められること」
「大切な社会の一員として、意見を聞かれること」
「どう感じているか、どうしたいかに、注意を払われること」
「意思決定を、尊重されること」
これが「ない」環境で育った人には、これが「普通」であることが信じられない。
これが「普通」だった人には、これが「ない」環境が想像できないように。

権利は、当たりまえにある。「透明」だから、ないことに気づきづらくもある
権利とは、当たりまえに「ある」ものだ。
だから、権利を当たりまえとして育ってきた人間は、権利が「ない」という状態が理解できない。
逆に、権利を奪われて育った人は、権利が「ある」という状態が、理解できない。
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権利の感覚を教えることのできない親により、健康な伝承の機能が壊れた家族で、育てられた子。
このような環境のもとで育った子は、自分を把握することができない。
「自分を持つ」ということを、励まされてこなかったからだ。
なぜなら、言うなりにさせるためには、権利の感覚を教えると、都合が悪いから。
それゆえ、「自分を持ってもいい」という感覚を、体験させてもらったことがない。
だから、「自分を持つ」感覚が、うまくわからない。
場合によっては、自分を持とうとすると、罪悪感を覚えてしまう。
「権利」の代わりに、「がまん」と「がんばり」
結果、原家族の中で強いられたルール......「がまん」と「がんばり」を元に、この社会を生きてゆくしかなくなってしまう。
それしか、有効なやり方を知らないからだ。
そうして、「責任感のある」「きちんとした大人」になってゆく。
大きな問題を起こさず、社会の、よい構成員になる。
ところが、その生き方の中に、自分の幸せが見つけられない。
それどころか、どうすれば他人に奉仕できるかを、反射的に考えてしまう。
古来から連綿と続く問題......安全なメソッドは確立されている
この、根深い問題......「自己犠牲型」の「共依存」。
「自分を犠牲にし、役に立つこととひきかえに、この社会に参加してよい権利が与えられる」
そんなふうに、誤って洗脳されている状態。
この状態を脱し、「自分を生きる」を取り戻してゆくのが、ONSA WORKSHOP の目的。
重ねてこれは、今にはじまった問題ではない。
ゆえに、メソッドが確立されている。
このメソッドを、現代社会が抱える問題を込みで、プログラムとして提供しているのが、ONSA WORKSHOP になる。