Gift from ONSA for「ONSA WORKSHOP」
– 11月 | 一人、そして二人。



一人で生きてゆくことは、二人で生きてゆくこと。

不思議です。
誰かと一緒にいたいと、切に願うほど、悪循環におちいってしまう。
「一人でなんて、生きてゆけない」
そんなふうに切羽詰まるほど、なぜか、人との距離がひらいてゆく。

それとは反対に。
一人で生きる力を、たくわえればたくわえるほど、なぜか、人と心地よく過ごせる。
特に意識もしないのに、人に囲まれている。

不思議な矛盾です。



11月のテーマは、「一人、そして二人」。
この2つの数字は、不思議なパラドクスを含んでいます。

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「心底、心許せる誰かと一緒に、生きてゆきたい」

これはおそらく、誰もの、切なる願いです。
切なる願いであるからこそ、その願いが、何度目かの挫折をむかえてしまうと……。

私たちは、こんなふうに、心を閉じてしまうかもしれません。

「どうせ、私には無理だ」
「私には、向いていない」

と。


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ところで、こんな用語があるのを、ご存知でしょうか。


成人した大人であるのに、自分の人生を、自分一人で生きてゆけないこと。
「誰か、私を支えてくれる人がいないと、生きてゆけない」
仮想であれ、具体的な人物であれ。
こんなふうに、自分の生き方の重心を、誰かに預けてゆだねてしまう。


そんな「誰か」の存在がないと、自分の生き方を、決められない。
何を選んで、どんな意見を持って、自分がどんな存在であっていいか、分からない。

こんな「人」への依存の状態……これを「共依存(きょういぞん)」といいます。
ちゃんとした用語があり、名前がついている状態です。


しかも、この「共依存」は、立派な依存症の一種。

アルコール依存症の人が、お酒に依存するように。
ドラッグ中毒の人が、薬物に依存するように。

「共依存」の人は、人に依存しています。

自分のめんどう……生活のめんどう、という意味のみならず、精神的なめんどうや、感情のめんどうを見てくれる誰かがいないと、生きているという実感が持てない。
そうでない時、いつも、どこか空虚な感じがする。


「共依存」状態にある人は、いつもだいたい、空虚に生きています。

空虚さ。
「空しい」という感じ。

これが、「共依存」であることの、典型的な感触です。

自分の人生なのに、自分の中に「自分」という存在がいない。
からっぽです。
埋めてくれる誰かや何かを、必死で探しています。

「自分の中に、『自分』という存在が、いない。」
それなら、空虚なのも、当たりまえかもしれません。




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ところで、私たちの世界を構成している多くのもの……ファンタジーやロマンス、おとぎ話は、こんなふうに、私たちに吹き込みます。

「いつか、理想通りの誰かがあらわれたら」
「その時から、私の人生はスタートする」


でも……なによこの現実!!


理想通りの人は、いっこうにあらわれません。

しかも、
「あ! この人、私の理想の人だ!」
今度こそと思った人は、じき、約束に遅れてきます。
私の心を、いつも満たしてはくれません。テキストの返事も、……遅い。

どうやら、みずからの意思を持っています。
私が、第一優先であったのは最初だけで、今はどうやら、順番が違ってきたらしい。

(私の側から見れば)好き勝手に生きています。
私の気持ちやニーズなど、脇に置いて。


「ああ、この人も、私の理想の人じゃなかった……」

またもや、「正しい人」ではない!
「外れ」だ!


そうして、次の「正しい人」を探して、それを何度も繰り返して……。
私の理想の人生は、いつスタートするの!?


そう、これです。

私の人生をスタートさせるのに、こんなふうに、えんえんと「誰か」をあてにしていたら。
いったいいつ、私の人生は、「本当に」スタートする?

私の人生のタイミングを、私以外の人に、依存してしまっている状態のこと。
こんな「人への依存状態」が、「共依存」という名で呼ばれています。



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不思議です。

私が、私一人の足で立てるようになると……。
私の人生を、私が決め、私が生きてゆくようになると。

私が一人で、勇敢に、人生を進めてゆけるようになると。


そうすると、じき。
まるで、すーっと視界がひらけてゆくように、別の世界が見えてくる。

私と同じように、「一人で生きてゆくことができる人」が、この世にはたくさんいることが分かる。



その人に寄りかかり、依存することでつなぎとめ。じき、「重い」と逃げられるような関係ではなく。
そうやって繰り広げられる、綱引きみたいなゲームによって、時間を空虚に消費するような関係ではなく。


一人の足で、しっかり立つこと。
そうすると私は、安心して、「二人」になることができる。


その人が、私にとって気に食わないことをしても、気にしません。
その人は、私のために、生きているわけではないから。

その人は、その人の人生のために、生きているのだから。


そう潔く、受け入れられる時。
私は、私の人生の幸せにだけ、責任を負いはじめます。

誰かの人生は、肯定的な意味で、その人に任せます。
私の人生は、同じように、私が引き受けます。

そうして、一人で生きてゆくことができて、はじめて。
私は、誰かと一緒に生きてゆくことが、苦ではなくなります。
妥協でもガマンでもなく、誰かと共にいることが、自然なこととして、可能になります。


一人で生きてゆくことは、ほんとうに、二人で生きてゆくことです。


Gift from ONSA(藤沢優月)