2024.03月開催 「境界線ワークショップ」あっさむクラス

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タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) あっさむクラス



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わたしは、境界線のことをわかってない、受講前からそう感じていた。
ということは、わたしは、自分の人生を作れてきてない、ということ。

わたしは、見えない利益を一生懸命大事に大事にしてきたこと。
こんなものを、わたしは大事にしてきたのかと思った。


だけど、これが力を育てないといけないリストであることが、救いだった。

見えない利益とわたしの処世術は、一致していた。
羨ましいぐらいしっかりタッグを組んでいるように見えた。

それが、わたしの現在位置なのだと思う。


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わたしは、今までの自分の真剣味のなさに、心底落ち込んだ(だが、落ち込み時間は今までより短縮されてきている)。
わたしは、落ち込みと反省の違いも知らなかったと思う。

ある意味、落ち込みは「親のやり方、考え方」なのだと思う。
落ち込む=わたしって、可哀想ワールド。

はっきり書いたものの、おそらく、わたしはまた「落ち込む」と思う。
だけど、その度に、わたしは方向転換したいと思う。


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わたしは、自分の物が継ぎ接ぎだらけなのも、理解できた。
それらがバラバラに解けた不安定なところを、わたしは感じていた。

それを縫うのに頑張っていたことも、わかった。
縫い付けた物で安心していたことも、わかった。

自分個人で、立つ。は、それはまだできていないが、視界がクリアで、清々しく、力強い感じがした。


文節区切りの線

わたしは、まだまだ「考えること」が、できないのだとわかった。
「練習すればいい」は、救いだった。

わたしは、まだまだ練習が足りていない。
まるで初めて何かの競技をやってみた、初めてラケット握った、ぐらいの感じだった。
これどう振るの? みたいな。ぎこちなさ、動かし方のわからなさ、があった。

理解のしにくいわたしでも、これはスポーツのようなものかな、となるとわかりやすくなる。
「訓練である」ということは、わかりやすい。
長年使ってない身体のところが、次第に硬くなってくような、そこをまた使う感じ。


そして、まだまだ何も始まってはいないが、わたしは、こういう「できなさ」が、過去とても嫌がっていたのだなと一つわかった。

「考えること」の中でいくつか、自分なりに気になったことがあったので、それを解くことを一つ今月したいと思う。
手帳に書いた。


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わたしは、「もう、あれもこれも、は言わない。
境界線がきちんとできる、それだけでもわたしは充分だ」と、受講前に思った。

そう思ったのが間違いではなかった。

わたしは、基礎に戻ってやっていきたい。
わたしは、250回かかる方だけど、一生のうちで基礎がしっかりできるようになれば、それでいい。
そう思った。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) あっさむクラス



タイトル下の線


私は今回ワークショップに参加して、自分の現状を把握することが出来て良かったです。

私は TEG の結果から自分がまだまだ受け身であることを知りました。
また、うっすら違和感のあった妙に懐かしい安心感は、以前の役に立たない処世術に自分が戻りつつあったからだということもわかりました。



文節区切りの線

ワークで「自分の隠れた目的、妄想」を書き出しました。
私は自分の甘さ、ずるさ、愚かさを再確認しました。

私は自分ではお花畑から少しは抜け出せてきたと思っていましたが、まだまだその中にいるのだということがわかって改めてその手強さを感じました。
そして、そのお花畑の考えが自分で気づかないほど当たり前に根底にあるから思考停止したり、行動が鈍っていたのだということがわかりました。


文節区切りの線

自分の愚かさをシェアしてさらけ出すことはとても恥ずかしかったですが、さらけ出して光を当てることで風通しも良くなったのかなんだかスッキリもしました。

自分がなぜつまづいてしまうのか、どれだけズレているのか、どれだけおかしいのかを知ることが出来たことはとても良かったです。
ここからまた修正したり、自分のクセに気をつけたりしながら油断せず(すぐに油断するので…)進んで行きたいです。

ありがとうございました。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) あっさむクラス



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私はいつも、自分を助けてくれる誰かを探している。
あわよくば…と思っている下心の、あまりの多さにガッカリする。

私は他人が察して何とかしてくれるのを、心のどこかで大いに期待している。
私に察しろと圧をかけ続けた親と変わらないことに、残念な気持ちでいっぱいになる。

でも、それが事実で、これが今の私だと思った。


私は自分で自分を生かすことができるのか考えた時、今の私には全然無理だと思う。
私は自分のことが全然理解できていないのに、何とかなるような思い違いをしている。


文節区切りの線

WORKSHOP の後、私は迷っていたことを習った方法を試して拙いながらに考えようとした。

考えようとして、私は自分で決めることが怖くて、そこから逃げようとする自分に気がついている。
何か一つ決めるだけでも、怖くて足がすくんでしまう。

怖いから誰かに決めてほしくなる。
答えを教えてほしくて、どこかに載っていないか探して、ふらふらとさまよい出す。
そういう自分がよく見えた。

いつも書店の中を延々とさまよっていた私は、今もさまよい続けてる。


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そして、私が自分で悩んで決めたことは、間違っていなかった。
自分で考えて行動できたことは、私の自信になる。

心の中の自分は、ちゃんと答えを知ってる。
その声を拾いにいくことに、しっかり時間を掛けなくちゃいけない。

私は頭の整理に時間が掛かるし、つい面倒になって端折りがち。
私は反応で対処していることで、考えている気になっていた。

でも、時間を掛けてコツコツ努力する他はないし、そこから逃げてはいけないと改めて実感する。


文節区切りの線

だから、私は習慣を変えるとまず決める。そして、スケジュール帳に入れて練習していく。

私は私のことを守りたい。
全てを投げ出したくなっても、私はそこに立ち戻る。


今回もありがとうございました。




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S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) あっさむクラス



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私は、境界線の中には自分にとって大切なものを自分で入れるのだ、ということが、今回スッと入ってきた。
私はそれをあまりにしていなかったのだ、ということに、がく然としている。

こうして学ぶとあまりに当たり前で大事なことと思えるのに、それをやっていなかったなんて…いったい何をしていたのか。
他人の世話を焼いている場合ではなかった。自分のことをやらなくてはいけなかった。


文節区切りの線

私は、図で示されたように、ひとりひとりの境界線の中に、その人にとっての「衣」「食」「住」が入っていることを、想像した。

それはきっと、その人一人ひとりのにとって、中身が違う。
大切なことも、基準とする考え方も、とっていく方法も違う。


今の私の中には、成り行きで維持してきたこと、こうするべきだから、あの人にとって都合がいいから、といったものが、あふれている。
「私はどう生きたいの?」と問うてみてぼんやりと出てくることと、つながっていることは、少ない。

私はまだ、自分に関係のありそうなことを再優先にした行動は、あまりとっていない。
行動が伴っていないので、現実の時間は変わり映えせず、不安や不満、混乱に満ちてしまう。


文節区切りの線

ワークとして取り組んでみて、私には下心がたくさんあることが分かった。
「かくれた目的」「見えない利益」を書き出したものをながめると、冷静に見ればおかしくて笑えることばかりだ。
でも私は、それが自分の行動を妨げ、判断をゆがめているのだということも、痛感した。


私の処世術が示すとおり、私は依存をする気が満々で、自分以外の力で「なんとかならないか」と思っている。

他人が変わってくれることを願っている。
波風を立てずに、物事がすべて望み通りになればいいのにと思っている。

そんなことは、絶対に起こらない。
私には、それは現実的ではないのだ、ということが分かる自分も、確かにいる。
私には、現実的な対処をするための行動が必要である。


文節区切りの線

私は、「行動には衝撃がある」とも学んだ。

「行動」とは、「スケジュール帳に書いて動く」ということ。
これまでも確かに、どんなにぎこちなくても些細なことと思えても、実際にやってみたことは、現実に変化が起こった。


でも私は、その小さな着実な積み重ねのことを、すぐ忘れている。
どでかいことを一気完璧ににできないかと、夢見てしまう状態にある。

まだ行動を起こしていないことには、実感も衝撃もない。
あるのはただ、不安や恐怖、どうしたらいいか分からないと迷っている空想だけなのだと思う。


文節区切りの線

私は、限りのある時間を、自分が生きていくことに使いたい。
私は、自分の境界線に、自分にとって関係のある大切なものを入れる選択をしていきたい。

私は、自分にとって何が大切なのか、もっと理解を深めていく。
そのために、時間を確保し、必要な知識を学び、練習をしていく。




タイトルはじまり目印

A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) あっさむクラス



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「境界線とは、何もない中で、自分で衣食住を立てていくこと」と聞き、私は今まで自分が考えていた境界線が、また「反応」になっていたことに気がつきました。

向こうから何かがやってくるから、YES と言うか NO と言うか熟慮する…それが「境界線を守る」ということだと私は考えていました。
向こうから何も来なくたって、自分を生かす選択肢を探す、選ぶということが、境界線を守ることなのです。


文節区切りの線

私は、この春に視察に行きたい場所について、ワークショップが終わってからも自分でチェアワークをしました。

具体的にここに行く! という場所は、以前と変わってきつつあります。
調べているうちにアンテナが広がって、違うところに興味が湧いてきたからです。

それは、ビジョンから大きく外れていない限りは、どこであってもいいのだろうと思います。
だから、おおもとのビジョンは、とっても大切。


「ここいいな!」と思ってから、自分がやったチェアワークのビジョンを見直すと、「やっぱりちょっと違ったかも…」と冷静になることもあります。

慎重に、慎重に。
よく寝て、緩めて、何度でも、私はチェアワークを続けます。




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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) あっさむクラス



タイトル下の線


今回の WORKSHOP で、自分の隠れた目的とダメなパターンが、もうそのまんま今の現実に現れていると強く感じた。
TEG にも。

私の隠れた目的で、特に強いのは「私は動きたくない(変わりたくない)」だと思う。

もっと言えば、このままで、安心安全を手に入れたいし、傷つかずに生きていきたい。
私は、本当は今のままでいたい。


文節区切りの線

それなのに、外部から邪魔が入って動かなければ死んでしまう。
だから私は動かねばならない。


どこか仕方なしで、何かに突き動かされてやっている言動だから、いつまでたっても不安と焦りの日々で、本当の安心感は自分の中から湧いてこない。
自分では動かないがベースの上に誰かに依存しようとする。

その上で自分のダメなパターンは、急かされたり、騒がれた時、また代わりにやってあげると言われた時、持ち上げられていい気分にさせられた時。
それらの時、私は気が付くと相手のパースにはまり断れない状態になっている。


文節区切りの線

書いていて思うけど、どうしたら、私は心が納得できるのかなと思う。

納得できないでいるのは、住むところやこれからの生き方に対して、私の本当の答えが未だに見つかっていないから。
そしてその答えは、数か月では見つからない位、とても大きな問いだということだって、どこかで解っている。


チェアワークと、体験。
行動しながら考えないと間に合わないけど、本来の自分は、それがやれるほど器用ではない。


文節区切りの線

私は、この数か月で自分にできる精一杯のことをやりたい。
私は、よくやったねって思えるようなそんな自分との時間を過ごしたいなと今は思う。

「あっさむクラス」の皆様
今回も、ありがとうございました。

お仲間さんの存在が、とても心強く感じています。
また、別の WORKSHOP でお会いすることを楽しみにしています。




タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) あっさむクラス



タイトル下の線


私へ

ものの見事に、自分の持って生まれたもの、弱いところ、分かっているはずなのにどうしても引っかかってしまう悪癖に直面した(前日のワークショップ・クラスを含めての
/* 編集注)2日間だったね。


私は、「分かっている」はずなのに「分かっていない」。
つい自分のバイアスで見てしまう。

境界線は表面上のことではなく、私が思っているよりもずっと深い。
毎回違う角度から教えてもらう度に、そう気づく。
(いつも分かり易く教えていだいて、ありがとうございます)

でも、「ショックだ」「又やってしまった」「こんなはずでは」というより、「気付かせてもらって良かった」という気持ちの方が大きい。
こうやって外側から自分を見る機会がないと、本当に「自分」というものはすぐにずれてどこかへ行ってしまう。


文節区切りの線

私が日頃「感じ・考えている」と思っているものは、感情ではないし、「考えている」ってことじゃない。
でも、私はいつの間にか、つい「私は考えている・感じている」と思ってしまうし、それが正しいものだと思いがちだ。

放っておくと、「分かっている」と思いながら、自分のスピードではなく状況に合せ追いつこうとして、詰め込んで進もうとする。
気付くと、チェアワークや「灯台の時間」さえ惜しんで、吹っ飛んでいる。
(何やってるんだか…)

私のつまづくポイントだ。


文節区切りの線

「この位寝たからから、十分なはずだ」…と身体の声をおざなりにする。

「がまんしてやり過ごせば、いつか解決するんじゃないか(ないない)」「いつか何かが起こって、誰かが表れて…(ないない)」
…一皮むくと、まだ出てくる。

そうじゃない。
ずっとそうやってきたから、私はこの状態だ。
「見えない利益」は、本当に怖い。
その通りの現実になってしまう。


文節区切りの線

チェアワークをすれば、1回で「これが自分の答え」の完成形が出てくるとどこかで思っている。
「答え」が出ない=すぐ「出来ない」になる。0か100かも。

これもそういうことじゃない。
目の前の小さな違和感・決断に日々小さく向き合わなければ、一体どうやって自分の内側から出たものにしたがって進めるのだろう?

私にだって、小さな小さな断片なら拾えるじゃないか。
一足飛びは本当に無理だし、「他人から見て整っている答え」は、私には何の関係もない。


文節区切りの線

「いつか出来る時にやる」「準備が完全に整ってからやる」
…違う。
まず自分の「感じ・考えた」目標があって、「いつまでに」があって、具体的な計画があって、実際行動する。

(「具体的な計画があって、7割方見通しが立っていないと怖い」って、納得でした)

書いてしまえばこれだけのことが、私にとって何と難しいことか…。


文節区切りの線

私のこれまでは、「反応」だらけだった。
私には反応とそうでないものが、良く分からない。

今しようとしていることにさえ、「反応ではないか?」という疑念がわいてしまう。
私は本当に、生きるってことがどういうことか知らなかったし、分からないんだな。


何かを変えることは本当に難しいと、最近よく分かってきた。
正直、ため息ばかりだ。

でも、私はそもそも、自分は本当はどういう人間で、何をしたくてどう生きたいのか、一度立ち止まって考えたいから・知りたいからこの道を歩き始めたのだから、何度でも「今ここ」で反応を止め、学んだことを思い返して、i – message で・時間軸を持って生きることを始めないと。

私は、「この自分」で最大限出来ることをしてやっていこう。


文節区切りの線

最後になりましたが、優月さん、お仲間さん、今回もありがとうございました。
そして、日々奮闘している私、お疲れさま。


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ

ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
実際に回復(リカバー)した者が主催であるため、現実的・実践的な内容が特徴です。

「その状況も気持ちも、"体験して" "知っている"」
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