2020.06月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」らべんだークラス

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S. M. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) らべんだークラス


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「わたし」をわたしの手に取り戻す感覚でした。

土曜日からしばらく経って出てきたのは、
「あなた(母)じゃ、この子(わたし)は手に余るでしょ、わたしが育てなおすから返して!」

それは、わたしがダメでできなくて世話がかかるとかいう意味じゃない。
こんないろんな素敵なものを持って生まれた子を、この子が上手に表現できるようにあなたが育てるには、力不足でしょ。ということ。
わたしがやるから、お役御免にしますね。


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たくさんいろんなものが、WORKSHOP の時間には沸々と湧き上がっていて、ああそうだ、これもそうだって、納得できることがたくさんでした。

頭での理解というか、その出来事にある背景を知らなければ、ぜったいに乗り越えられないって思います。
それと同時に「感じること」の大切さを、またひしひしと、それこそ感じています。

回復って、もしかして感じること? 
そうと言っても過言じゃないわって、その後ふと思いつきました。


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優月さんのワンちゃんのお話は、ほんとにわかりやすかった。
後で「あ、わたし、ヒマだったんだ。」って、そのお話のワンちゃんになぞるように出てきた。

自分のやりたいこと好きなことをさせてももらえず、ただ抑えられて、それが「わたしの限界」って教えられて、「あ、だからヒマだったんだ、苦痛だったんだ。」って。

そのヒマの部分を本来どう使っていいか習ってもなかったんだから「わたし」を責めれない、人重心の苦しさで使っていたんだ。

「もっと、わたし、外に出したいよー!」
が、あのときの「声」に反映されていたのだと思います。


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しかも、うちの母って、声が大きいし…とそこもまた「うわーっ」となったポイント。
父は家では声も小さかったし、あまり話さなかった。
やはりわたしは父に似ているのかも。

仕事では声張ってできるし(声出さんと仕事になんないし。こういう普通のことで人より疲れてたかも)、今の仕事(子育て)でも子どもを呼ぶ声は大いに出る、たぶん、「自分のこと」ってなると、こんなふうに身体も遠慮しちゃってたんだ。

今、こう書いてる側から、血が隆々と身体を巡る感じがします。
わたし、もっと、出したかったんだ。
仕事だからとか、プライベートだからとか、そんなの関係なく、ただ、わたしは、いつもわたしらしくいたかったんだ。


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ほんとに「ねじれ」ていたんだって思った。

主役はわたしなの! 返して! 
「見てみてー、ママになったわたし」のあなたじゃない。わ、た、しだよ! 
この溢れんばかりに好奇心に満ちた愛らしい赤ちゃんだったわたし。

どうしてわたしが我慢して、辻褄合わせて、この人を「きちんとした母親」にしてあげないといけないんだよ。

そうするから、苦しいんだ。
それが証拠だ。
向こうは楽もらって、こっちは苦しさだけもらうって、やっぱり歪みじゃない。

欲しかったのはそれじゃなかった。
ハッキリ言うけど、あなたじゃ力不足なの。ちゃんとできてないから。


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プレワークで書いた手紙も、当日のワークも、「わたし」が「わたしのこと」を受け止めてあげれた、味方になれた感じがしました。

プレワークの手紙は、ほんとに自分にありがとうって出てきて、もっと言うなら、小さいわたしがこんなにもわたしのために頑張ってくれてたんだ、小さいから何も知らないしわからないのに、それでもこの子の知る限りのやり方でやってくれてたんだって泣けてきて、あのこともこのこともそうだったね、すごくよくわかるよ、だから、ちゃんとわたしが今度はお返しするからね、ってできたのが当日のワークの感じでした。


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ほんとにやってよかった、じゃない、これはやらないで何が育つんだと、必須の時間でした。

去年の冬の会頃は、わたしは自分で「進んでいる」んだと思ってたのだけど、それでいてどこか言葉にならないもどかしさのようなものがあったと思います。
進んでいるが、進んでないような。

そこから基礎に戻るっていうのは、これ以上時間を無駄にできないんだものっていう焦りのようなものがあった、けれど、今はガンガンに自分の選択に自信があります。

「わたし」だって、「ちょっと戻ろうよ」って「小さく」言ってたから。
小さくて聞こえにくいんだけど、そっちがほんとに聞かないといけないほうだったのね。

大事なことはとても小さく聞こえるものなのかも、だからよく聞いてあげないといけないんだ。


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先に進もうと思えば、時には一歩二歩戻らないといけない。ドイツのパラリンピックの選手の方の言葉だったと思うけど(優月さんも同じこと言ってたような)、ほんとにそうなんだ、そうできているんだって、すごく実感を持ってきています(思えば、先に先にこなしてくのが得意なのはそもそも持ってたんだよね)。

そういうのが、わかって、ほんとに嬉しいって、喜びだって出てくる。
「わたし」に時間をかけるのは無駄なんかじゃないものね。


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とっても貴重なものがたくさん詰まった時間でした、優月さん、ご一緒だったお仲間さん、ほんとにありがとう。
ただ、一緒に時間を共有できたこと、それだけでありがとう、です。





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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) らべんだークラス


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私は感情とトラウマがセットになっている。
セットになっているから感情を表現するととても疲れるし、だからこそ疲れないために(生きていくために)感情を低く設定する必要があった。

このことが今回のワークショップで一番腑に落ちたことです。


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そして母のことを深く理解できるようになりました。
(人となりという意味ではなくて)母は、身勝手な父の言動に振り回されていたからだけではなく、何らかの障害を持っていたため子ども中心の状態で子育てが出来なかったということ。
そのせいで私は、安心して自己を探索したり表現したり出来なかったということ。

だから私は、感情を感じたり表現したり、温かな人間関係を構築する方法がずっと解らなかったこと。
それは今も続いているということ。

とても合点がいくし、深く納得できました。
自分の頑張りや気の持ちようの問題ではなかった。


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私は、新しいことをはじめたり新しい場所へ行く時、特に仕事の場面では「怖い」という感情を強く感じていました。
ホント、怖くて泣きそうなのです。

行ってしまえば楽しいだろうなと想定出来ることでさえ。
でもそれは、信頼や、安心を得ずに大人になってしまったから。


今までずっと、激しい父のことを中心に回復作業をしてきたせいか正直、母が母中心(自分中心)で子育てをしてきたのか、今でも母は自分中心で事やモノが回っているのか、疑ってしまう自分がいます。

なんていうか、信じたくないという気持ではなく、身勝手な父に耐えてガマン強かったし私にも社会人になってもずっと世話をやこうとしてきたし、いつも自分ではなく人の世話ばかりしているように見えたからです(これはこれで「共依存」まんまですが)。

だけど、もうそこを「違うんじゃないか」とか本当なのか母のことをもっと観察したいとか、そういう意欲がないというか、なんていうかどうでもいいやと思うようになりました。


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事実、私の症状からして母は自分中心な人らしい。
それは事実。

その事実に対して私はそうは思っていない。
これも事実。
だけど、自分の思いと事実に葛藤はないし、事実は事実と認められる感覚。

その先には、母のことをあれこれ考えるより自分を癒す時間を大切にする方が100倍大事だし超優先項目だと私は解っているからだと思います。
どちらにせよ、私を生んでくれたことにはとても感謝している。
この気持ちだけで今はいいのかなと。


自身の回復作業にはどの道母のことを思い出していかないといけないのだから、その時に怒りがわき起こったらその時に気持ちを感じればいいと思っています。


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「らべんだークラス」の皆さま、優月様、今回もありがとうございました。
ワークショップ・クラス後は死んだように寝てしまいました(笑)。
また、何処かでお会いできたら嬉しいです!





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M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) らべんだークラス


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今回の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では、こどもの自分に「会いにいけた」という感覚が持てています。


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昨年の「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」の受講時の PAY FORWARD を読んでみると、そこには、「心を開く」ことが思うようにいかず、悪戦苦闘している自分を感じました。
このときは、会えてなかったんだろうな。

1年かけて、自分は自分の心に正直になる訓練をしてきたんだなー。

1年かけてこれだけか…。
一歩一歩の歩みを遅いなー。
とも感じてしまうけど。

それでも、「ここまで来たんだ!」「頑張ったんだよ!」と自分を認めてあげることも上手になった。


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「褒めるのが上手な自分でなくちゃいけない」
(「出来る」自分でなくちゃいけない)
からではなく、自分のために、自分で自分を癒して、問題を解決する力にするために、やる(褒める)。

出来るようになったことを客観的に見る。見ようとする。

気休めで、褒めようとしていた頃とは、少し違う自分。
(真面目だなー)
「役に立つ」ことが好きなのか、止められないのか、自分を「ただ甘やかすこと」に罪悪感のようなものを感じている自分。

「感じる」ということができるようにもなってきた。
上達したよね。


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さて、ワークショップの中で、赤ちゃんの私はこんな風に言ってくれました。

「きづいてくれてありがとう」
「あいにきてくれてありがとう」と。
そして、さいごに
「また、きてね」
「ぜったいね」
といいました。

大人の私は、
「また会いに来る」
といえませんでした。(自信がなくて)
それで、「これから、あなたのために私の時間をもっと使うね」といいました。
できれば、秋の「インナーチャイルド・ワークショップ」も受講したいところです。
(が、他にも受講したいテーマがいろいろあるので…。)


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昨年、私がインナーチャイルドに会いに行けなかったのは、もしかしたら、怖かったのかもしれないな、と思いました。

息子を出産した時の子育ての辛さ。
それが本当に辛くて辛くて…。
「辛い」と感じてる自分が許せなくて。

自分は、母から「あ~、この子のせいで私は辛い」と感じてる気持ちを受け取ってる自分を想像していたのではないか?
そんな存在を否定された自分に会いに行くのが怖かったのかも。
だから、心を開くことが出来なかったのかも。

母となった自分と、赤ちゃんの自分を見つめる母、とを重ねてしまってた?

だけど、母と私はぜんぜん違っていた、と知り、母と私は別の人間と理解し、今回は、ちゃんと自分に向き合えたのかもしれない。


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まだまだ、頭でっかちに考える自分。
もっともっと「感じる」力をつけたい。
自分が感じたいように感じるだけでいいと、思えるようになりたい。

少なくとも、ワークショップの時間の中では、今回、それができたんだと思う。


優月さん、お仲間さん、ありがとうございました。
また、秋に!!
お会いできる日を楽しみにしています。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ

ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
その体験から、実際に回復(リカバー)した者が主催となりますため、実践的な内容となっております。

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