2020.06-09月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(1)コース1/STEP.1」れっどべーるクラス

画像

「コース1」のテーマは「時間習慣とこころの習慣」です。
本 PAY FORWARD(ご参加者のご感想)は、最終週の課題としてお取り組みいただく、締めくくりのワークです。
PAY FORWARD 中には、ワークショップで学んだ専門用語が登場する場合がございます。

タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) れっどべーるクラス


タイトル下の線


この3ヶ月のワークのまとめをしながらふと「わたしはやっと世界の入り口に立てているんだなぁ」と感じて涙が出てきた。


文節区切りの線


今までずっととても怖かった。怖くて硬直していたのに、長いことそのことにさえも気がつかないでいた。
緊張しているのにそのことに全く考えが及ばないで普通に生きている、生きられていると思っていた。
なのにできるはずだと思うことができないからもどかしくて腹立たしかったし、不安で仕方なかった。

わたしはものすごく緊張して生きている。だから万年胃が不調で、胃痛持ち。胃が弱いのではなくて、緊張が常時続いているから胃に負担がかかっているのだとは思っていなかった。
リラックス、という言葉は知っているけれどリラックスしたらどんな気持ちになるのか、身体はどんな感覚を覚えるのか、実はまだ知らないんだと思う。


文節区切りの線


わたしは今まで気がつかなかったけれど、わたしの望みは、自分の本当の希望や欲望を、本来の自分を取り戻すことなのかもしれないとやっと思えてきた。

本来の自分を取り戻す。甘ったるくて月並みで平凡でナイーブな表現だけど、わたしが掴んだわたしの夢はそんなに月並みでもナイーブでもなんでもない。
全然甘くもない。

すごく具体的ですごく現実的なことなんだと思う。
夢みたいなことでもない。
現実と自分とが切り離されてある。この現状をはじめっからやり直す、ということだった。


文節区切りの線


人を求める感じが止まらなかった。幻想を追い続けてるのか、一縷の希望を繋いでるのか、なんだかわからないけれど焦燥感が憧れが止まらなかった。
そしてどんなにそこへ憧れが向いていても結局は虚しいのだということをやっと理解できたような気がした。

それはこういうことだった。
「満たされていないのは、わたし自身だから。」


迷子になってしまっているのは、「わたし」なのだった。
だから「わたし」を探しに行かなくてはならない。

それは、何度も何度も聞いた「教え」でもある。巷にばらまかれている流行り言葉でもある。でもずっと長いこと全然ピンとはこなかった。意味がわからなかった。
ずっと。
たくさんの手紙を書いて、自分のありったけの声をぶつけてぶつけてみて、何度も繰り返すその声をはたと拾ってみたとき、それはふっと「降りて」きた。

「ああ、わたしはものすごく寂しかったのだ。本当に大切にしてもらいたかったんだ。」
そうふと受け入れられたような気がしたとき、自分のところにふわっと空間が広がったような気がした。


文節区切りの線


自分が不平や不満を切り離すしかなかった子どもだったんだと思いが至った。
大切にしてもらいたかった。優しくしてもらいたかった。
そのごくごく素直な気持ちを認めたら、急になんだか力がふっと抜けるような気がした。


自分の中の何がどこが、致命的に損なわれていたのか、ということ。そこが癒されなかったら、不毛なこのサイクルはずっとずっと続くんだな。っていうことがなんとなくふと理解できた。

そこの傷が塞がらなかったら、どんなに優しい人と一緒にいても、そこからずっと痛みが続いていくんだなっていうこと。
どんなに素晴らしい縁も、どんなに素晴らしい環境も、そこが塞がらなかったら、そこの傷を無視し続けていたなら、痛みが終わらないんだ。っていうこと。

それは、「わたしはほんとは何が欲しかった?」って聞くこと。
一度も聞かれたことのないこの質問を、わたしがわたしに聞くこと。

聞き始めること、聞き続けること。
怖くて飲み込んでしまった不平や不満を知ること。
ほんとはこうがよかったというその思いをわたしが見つけて、そしてそれを現実にしていくこと。

そのことを一度も聞いてもらえなかったってことを、そのどうしようもできない悲しみをちゃんと悲しむこと。


文節区切りの線


無理矢理に閉じ込めてないがしろにしてしまった自分自身の快さ、気持ち良さ、楽しさを自分が発掘してゆく作業。これがわたしの夢であり、これからのわたしの人生になるんだと思う。

命が続く限り、時間が与えられる限りわたしが探し続けたいことは、わたしが何を好きか、ということ。
自分自身が何に心が動かされ、何によって満たされるのか、ということ。

そこにいつも、「本当は?」がつく。
そうでなければわたしはついその場に自分を合わせてしまうから。それが永遠のテーマ。
そのために、いくらでも、文字通りいくらでも、わたしは自分の時間をエネルギーを使っていい。ということ。


誰かを待たせて悪いなんて思わなくっていいんだ。自分のことで忙しくても大丈夫。
それで本当に大丈夫っていうことを実践しながら理解する。そしてこの3ヶ月の中で随分とできてきた。


文節区切りの線


わたしは子どもの頃、大切にされなかった。見放されてた。
だけどそれでは生きていけないと思ったから必死でそれをなかったことにして、親にしがみついて生きてきた。

それを今も繰り返している。
そんな損なわれ方をして、なんとか生き延びてきて、もうこれ以上はそれを続けられないと感じてきていて、そして徐々にではあるけれどそれを変えてゆこうとしているところ。

境界線は物理的なもの、実質的で行動であるということがわかった。
行動、選択によって生み出される空間であり時間なのだということ、そしてそれを生み出すのは自分自身の選択と行動なのだということがわかった。


文節区切りの線


親がすること、やることを全力で肯定しながらしがみついてきた。そうでしか身を守れなかった。そうやっておいてきた自分をもうこれからは取り戻すし、本当に本当にそうしてもいいんだ。
そういう選択をしたのは自分自身だから、だから自分で変えられるし、わたしは自分の力をちゃんとあるものとして行動する。


ほんとは辛かった。
ほんとは深く傷ついていたし、ものすごく怒ってもいた。
おかしいって思っていた。

納得できないことがたくさんあった。理解できないこともたくさんあった。
でも全部飲み込んできた。

飲み込むだけじゃなく、打ち消して肯定してそんな両親を励ましさえしながら必死で生きてきた。
いつか押し殺した自分置き去りにした自分の存在はすっかり忘れ去ってしまった。恐ろしいことが起こっていた。
それがここまでのわたしの人生だった。


文節区切りの線

両親の理不尽な仕打ちを肯定する身代わりに打ち消した自分の本音を、本当の望みや欲をもう一度取り返す。
もうほとんど分からなくなった自分の素直な気持ちをもう一度思い出す。

取り戻す。肯定する。
探し出して実現する。

それが、これからのわたしがすることで、それがわたしの幸せに繋がること。
誰かに守ってもらっても誰かに見つけてもらっても幸せになれない。

なぜならわたしが「自分でしたい」って思っているから。
それがわたしの強い希望でもあるから。


文節区切りの線


小さな、本当にささやかなことでいいから、具体的で現実的なこと。本当に自分が好きなこと。
一個じゃなくてそれをたくさん色々と集める。そう考えたら、少しワクワクしてくる。
それは楽しい感じがする。嬉しい感じがする。

小さな好きをいっぱい。いっぱいでいい! 一個じゃなくていい! 
それはとてもワクワクすることだ。
小さい頃は決して実現され得なかったこと。わたしには許されていなかったことだから。

社会の中で果たすべき義務は今までもこれからもちゃんとやってゆく。
経済的な自立だって時間は必要だと思うけれどきっと実現できると思う。
それでもやっぱり大事なのは本来のわたしを探すことわたしが見つけること、認めること。これがなければわたしの時間はまた不毛な時間に戻ってしまうんだと思う。

なぜならそれが失われたから、損なわれたから、わたしの時間は空虚で痛みを伴うものになってしまったんだから。
アフターワークの表紙がいつも「おかえりなさい」なのがなぜだかやっとわかった気がした。


文節区切りの線


繰り返し襲ってくる安心や安堵を奪われる、というあの恐怖も同じ。それぐらい恐ろしい時間が充満してたってこと。
心細いはずの子ども時代に。怖くて当たり前。緊張して当然。
怖くなかったはずがない。ものすごく恐ろしかったはずだ。
あの恐怖は実際にわたしが感じてた恐怖そのままなんだと思う。

あれぐらい怖かった毎日に包まれた子ども時代。
なんて怖いことなんだろう。あの恐怖はわたしがそれを認めてあげられなかったからずっとずっと続いてたんだ。

「そんなわけない。」
そうやって両親から退けられたようにわたしもずっとわたしの気持ちを退けてきていたんだ。


文節区切りの線


わたしはほんとは何が好き? ほんとは何が欲しかった?
何が実現したら嬉しいの? 何を楽しいと感じるの?
どんな些細なことでもいい。いやむしろ些細で具体的なことがいい。

今までずっとそこが安全だと思って抽象的でつかみどころがない世界に隠れて生きてきたんだ。だからこれからは現実の世界で本当に夢を現実に変えてゆくんだ。本当に小さな小さなことから。
チョコレートならイチゴ味が好きとか、そういうことから。
現実的で、ちゃんと手に入ること。できること。


そして少し大きな夢も、現実的なことを望んだっていい、想像したっていいってこと。例えばスタイリッシュなマンションに住みたい、とか海の見える都会的で快適な空間に暮らしたい、とかそういう「夢」。
小さい頃はそれはダメだと言われたこと、そういう「夢」。

小さなその自分の好みを知ってゆくこと、それに寄り添って本当に自分の現実を本当に実際に作ってゆくこと。純粋に、単に「これやってみたい・これ好きかも」って思う、感じる、そういうことを、探る。
これがものすごく大切なわたしのミッションだ。


安心と安堵に包まれていたら、自然と普通に起こっていただろうそういう心の素直な動きや成長をわたしは奪われていたんだ。本当にそれが失われ損なわれていたんだ。

そのことを決して、決して軽く見ないようにする。
どんなに怖かったかを、どんなに悲しかったかを。


文節区切りの線


わたしは損なわれてきた自分を癒したい。

そして今までのわたしはいろんな辛さを全部人のせいにしてきてたんだなって思う。
わたしが幸せではないのは、相手のせいだと、そういう風に決めつけていたと思う。

相手にどう変わってもらうか。
そういうことを考えていたんだと思う。

今もついそうなってるのかもしれない。
相手にどう変わってもらうか。そんなことばかり考えているかもしれない。
自分のことを真剣に考えたことなんかまだ一度だってない。


友達との関わり方だって「何をくれるか」みたいになっていることが、恥ずかしくて悔しくて辛い。
何かが欲しいから、何かをくれるから、関わる。そういうやり方。
そんな自分がすごく恥ずかしいし、とてもがっかりした。


文節区切りの線


あいつがわるい、世の中が悪い、社会が悪い、仕組みが悪い。そういう見方をそっくりそのまま受け継いでしまった。
独りよがりでがんじがらめになってる世界観。骨の髄まで吸い込んでしまった。
わたしがそういう風に生きている。生きてきた。そのことが一番辛い。

やなことは全部誰かが、何かが悪い。自分の責任だなんてこれっぽっちも思っていない。
つまりそれは自分の力を全く信じていないし、使いもしないということなんだと思う。恐ろしいぐらいの、責任の放棄。


そんな生き方をわたしはしたくない。
自分の力を信じたいし、自分で現実を切り開く。変えてゆく。作り出す。
そういう風に生きたい。

自分の責任で自分の人生をちゃんと生きたい。
人任せや人のせいにして文句だけ言うような、嘆いたりへこたれたりいじけっぱなしで負けてくような。そんな人生はもう嫌だ。

自分の土台をちゃんと自分で作って、守ってゆく。
そうすることでしか、誰かを大切にしたり、誰かとふれあうことができないとよくわかったから。


負けないで、へこたれないで、わたしは本当に優しい人間になりたい。
腹の据わった、ちゃんとした大人になりたい。

人を搾取する目的で近づいてゆくような、境界線を越えて相手から奪うことをなんとも感じないような、そんな態度も悪癖も根絶やしにしたい。
ちゃんとやめたい。


文節区切りの線


スケジュール帳の時間の帯を自分の身体と同じように感じたあの感覚を忘れないでいたい。
自分の決断と行動で境界線を引けた時に生まれたあの空間の中で感じた安堵感を忘れないでいたい。
自分の有限なエネルギーを何に当てるのか、本当の自分の望みと照らして、嘘やヤラセでなく正直に自分に優しくいられるにはどうするのがいいのか、いつも自分に問うていきたい。


こまめに、小さな時間を活用できるようになれた。
疲れを感じた時にほんの数分でもちゃんと休息できるようになってきてる。

自分の住んでる環境を綺麗にしたり整理整頓したりすることの気持ち良さを味わってもっとやりたくなってきている。興奮して疲れることから「身を引く」ようなこともできるようになってきた。
スキンケアやお風呂や休息。自分のお世話をすることはこんなにも気持ちがいいものなのだと今は思い始めてきている。

本当に自分を大切にして生きられるようになりたい。


文節区切りの線


わたしが怖いのは、境界線を引くことだった。相手が去ってゆくとか、どう思われるかとか、いろいろな恐れがある中で、結局一番怖いのは、自分の都合を相手に伝えることだった。

そうした時にどういうことが起こるのか。わたしは恐怖を感じている。
そういう「悲劇」を毎日のように目撃していたから。

癒着しているうちは何も起こらない。
ひとたび個を主張した途端に訪れる恐ろしい光景。
あれが見えるからわたしは一歩をなかなか踏み出せない。


踏み出せないけれども、怖がったままでいても行動は変わった。
怖いのに、怖いままわたしは違う行動を取り始めている。
今も怖いけれどわたしの行動はもう、変化の後だ。


文節区切りの線


わたしの家では人と人とは別々の存在である、というごく自然な成り立ち、あり方が一切認められていなかった。そこは恐ろしい場所だった。わたしはもうその悪夢から覚めたい。
そしてこれは悪夢であって、現実ではないということを、ちゃんと自分の身体と感覚で経験し、感じたい。


自分の意見を持つ、っていうことに少し勇気を持てる気がしてきた。
今まで「考える」っていうことをほぼしてこなかったという自覚が出てきてる。根拠という言葉が大切に感じられている。自分とお金とが繋がってきてる感じがある。
お給料日が嬉しい。
お金を使うときの変な罪悪感が薄れてきて、代わりに慎重さとありがたさが湧いてきた。


文節区切りの線


人のせいにせず、人を悪者扱いせず、自分の責任、自分のこととして解決しようとしている。自分からほっとする時間を作り出せることを自覚できてきてて、それを積極的にするようになれてきてる。

まだやっているけれど、不必要な感情的なやりとりに違和感を感じられてきている。
安心安全なやり取りを「そっけない」とは感じなくなってきている。

周りの人たちに感謝しつつも、わたしはわたしの中のまだ手つかずの領域に気がついてきた。
本当にここを探索してみたいと思うし、そのことにワクワクしてきてもいる。
まだ怖いけれどいろいろ試しにやってみたいことも徐々に集まってきている。


また今回も丁寧に大切に1週間ごとに課題に向き合うことで、いろんなことがわかった。
この気持ち、この姿勢を失わずにこのベクトルのまましがみついていきたい。

この3ヶ月安全な場所を提供してくださった ONSA の皆様、お仲間さんに心から感謝します。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ

ONSA WORKSHOP は、「元・体験者」「回復者」が主催しているワークショップ。
いわゆる「機能不全家族問題」「共依存」のテーマから、実際に回復(リカバー)した者が主催する、実践的な内容。
すでに、長い開催歴があります。

詳しい来歴は、「私たちの想い | 運営者情報」でもお読みいただけます。