2019.09月開催 「境界線(バウンダリー)ワークショップ」まじょらむクラス

「境界線(バウンダリー)ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容 
- 「境界線(バウンダリー)ワークショップ」
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タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) まじょらむクラス


タイトル下の線


回復も3年目をむかえ、今年のワークショップでは
「できるようになったこと」
「自覚できたこと」
を整理し、自分の進んできた道のりをしっかりと確かめています。
そして同時に、次の課題がでてきたと感じているようです。

ワークショップ・クラスから数日たち、私は24時間、それこそ寝ているときでさえ肩にずっと力をいれているのだと、改めて思い知らされています。

ふーっと力を抜くと、私の心には怖さがあらわれる。

怖いよ!
力を抜いて生きていくなんてやったことないよ!
安心していいなんて、思ったことないよ!
心がそう叫んでいる。


文節区切りの線


今回のワークショップではチェアワークを通じて、私の身体に起こっていることを知ることができました。

日常では、力が入っていることを自覚することからはじめています。
気づくたびに、肩の力と奥歯のかみしめをほどくようにしています。

イラッとしたり、モヤッとしたりしたときは、力を抜いた後もワークの実践です。
みぞおちの下にいる「自分」を感じて、心の中だけで主張しています。


別に戦わなくても、それだけで落ち着いてくる。
今はこれで十分。

外の世界に対して言葉を声にしてみるのは、
まだもっと先のことだということもわかってきました。


私は世界を怖がっている。
それを自覚できたこと。
そして、これから人生を再構築してゆくんだという、覚悟がでてきたと思います。





タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) まじょらむクラス


タイトル下の線


基礎をもっと固めようと参加した今回の「境界線ワークショップ」。
その中で気づいたこと。

身体に関する気づきはうまくなっているように思う。
言われたくない言葉を言われた時に、身体がぎゅっと固くなったり、息がかなり浅くなっていたり、頭と心と身体がバラバラになっている感じ、足元がすっぽ抜けている感じがあった。

以前なら、ここまで細かく気づくことができなかった。
身体と境界線はつながっているとリアルに実感できた。


文節区切りの線


それから、自分の境界線に入られて、「うっ」となると、相手につかみかかるような、相手を攻撃するような感じで対処して、自分を守ろうとしていたけど、その方法だと、相手とより強力につながってしまうな…と思った。しかも歪んだ形で。

戦うのは疲れるだけ。
今までは、自分を守るには、真っ向から相手と戦うか、最初から威嚇して、誰も近づけないようにしていた。どっちも疲れる。

戦わなくても、穏やかに自分を守る感覚がつかめたのも良かった。
平和がいい。
改めて、そう思いました。

同じクラスの皆さま、優月さん、ありがとうございました。





タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) まじょらむクラス


タイトル下の線


私の弱いところであり、去年久しぶりに参加してぐっと成長したと感じられたところでもある境界線を、さらに強くしなやかに鍛えたくて、今年も参加することを決めた。この選択は正解だったと思う。

前日に、去年の「境界線ワークショップ」と同じように、仕事で理不尽な怒りに接した。
腹立たしかったけれど、解決する気満々で参加して、より具体的な理解が進んだし、現実的な対策も学んだ。           

何事も正々堂々と向き合うのが私の取り柄だと思ってたところもあるけど、それは相手を選んですることで、向き合わない方がいい人もいるし、私はもっとラクしてもいい。そんな当たり前のことにも気が付いた。


文節区切りの線


私がどれだけ、境界線を侵犯され続けてきたか。私がどれだけ大切なものを搾取され続けてきたか。
それがどれだけ残酷なことか。
改めてそのことを思い私の過去を悼む。

そして、境界線が荒らされることにじっと耐えている必要はないのだと、改めて思う。
私の貴重な資質や時間を、そんなことに浪費している場合ではない。


文節区切りの線


私は私の境界線を大切にして、私のことを大切にして、もっともっと幸せに生きていきたい。
そしてそれが可能だと感じられる。
それはとても大きな希望。

私は私の足で立っていて、私のことをしっかり守ってあげられる。
そう思えることが嬉しくて、さらに進んでいきたいと顔を上げて前を向いていられる。

失敗しても、すぐに上手くいかなくても、私はいつでも私の味方だから。
そして、その積み重ねで成長しているって知っている。
だから、また歩き続けよう。


優月さんとスタッフの皆さんの強力な支えのもと、お仲間の皆さんと共に過ごせた貴重な時間。
とても心強く、楽しく学ぶことができました。
今回もありがとうございました!





タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) まじょらむクラス


タイトル下の線


秋の ONSA WORKSHOP(対面式)第1週目はとても辛かった。
この場に来てこそ再確認できることがある。

だからここへ来続けなければ。
改めて強くそう感じた。


文節区切りの線


わたしは今とても疲れてしまっている。
自分を制御できず、追い立てられてあれこれやりまくる。
そんなサイクルに自分が自分を追い込んでしまったから、それまでのペースもリズムもすっかり崩してしまっていた。

自分を追い立てること。
そして自分を責めていじめること。
それはわたしがされてきたことだ。
わたしがすすんでしようとしてすることじゃない。

追い立てられて責められて。
働かされてきた。
それが抜けないだけだ。
やめたいのにやめられないでいる。
それがとても辛いし悲しい。
そんなどうしようもない疲れの中でのワークショップだった。


文節区切りの線


今回は前回と違うセリフ。
「わたしはそれでいいと思っています」
これを練習した。

それを言うとき、言いようのない不安を感じていた。
そう言うことによって対象の相手が去ってゆく。
そう言う不安を感じていた。

わたしは一人で立てると思えていない。
人を失うのが怖いと思っている。
そう言う恐怖の只中で育ってきたんだと言うことなんだ。


そして相手の境界線に手を入れずに宣言する練習もした。

それはストンと自分のエリアの中に重心が収まる感じ。
区切りがちゃんと見えて安全な気持ちがするもの。


文節区切りの線


夏のワークショップからの日々で、わたしは自分が止まれないと言うことを目の当たりにした。
自分の共依存の実態を見たというべきか。

それはとってもショックなことだった。
スケジュール管理もほぼできない状態だった。

それまである意味では管理してコントロール下にあったことが刺激のもとにいざ晒されてしまうと、たちまちのうちに制御不能になってしまうと言う現実に向き合っていた。


この1週間はひたすら自分を責めていたんだと今になって気づく。

責めるのも追い立てるのも、植え付けられた習慣なんだ。

「そんなんじゃダメだ」「まだダメだ」
「こんなこともできないうちにやってはいけない」
そう言う制限を今も踏襲している自分。

そうやって閉じ込めて、出られないようにして、失敗しないようにしている自分。
そうやって閉じ込められて不安の材料にならないようにされてきたから。

「いじめておけば、もう挑戦したり失敗したりましてや成長してしまうことはないだろう。
失敗することも成長することもなければ我々の不安にはならないから良い。」
親からそうやって閉じ込められたのに、それをそっくりそのまま自分でやってたんだね。やってしまうんだね。


文節区切りの線


自分の現状を認めるのはとても辛かった。
全然制御できない歯止めが効かない。
追い立てる習慣も責める習慣も人を求めてやまない心の空洞も。

一つ一つこなす、と言うよりも全部いっぺんに受けてしまう感じ。
全部いっぺんになんとかしなくてはいけないと。
自分を追い詰める感じ。がんじがらめになったり。
八方塞がりに感じられたり、お手上げな気持ちになる。

それはそう言う中で生きるしかなかったってことなんじゃないかな。
もうそんなおりはいらないんじゃないかな。
そうやって追い詰められていたってことが、自分が受けていた虐待そのものだったんだ。

それをもうやめていい。
これ以上自分に課さなくてもいい。


文節区切りの線


いますごく緊張してしまっている感じがする。
後退しているようにも感じる。
前よりも酷くなってる感じさえする。

身体に戻りたい。
身体の声を聞きたい。聞こえるようになりたい。
本当は聞こえているから。
ちゃんと聞き入れて大切にできるようになりたい。


自分の意見を言うのが怖い。
「わたしはそれでいいと思っています」
ワークの最中にそういった時、お腹のあたりには無数の小さい魚がいて、お腹の壁に全部がわらわらどんどんぶつかってくるような感覚があった。
勇気を出すってこう言うことなんだ。


文節区切りの線


自分の気持ちや欲求や思いを告げるとどうなるか、わたしはものすごい怒りをぶつけられて脅された。
そしてその後何日も何日も無視されて放置された。

父も母も誰もわたしにどうしたの? って声をかけてくれなかった。


わたしは話を聞いてくれる人がいて欲しかった。
どうしたのって聞いて欲しかった。

怖かったけど違うと思うから勇気を振り絞って発言したのに、認めてもらえるどころか自尊心を粉々に砕かれて力の大きな差を見せつけられて挙句に調子を崩しても無視され放置されたこと。

わたしが生きてる意味なんかあるの? って思わざるを得なかったこと。
そんな怖い場所で生きてたって言うこと。
SOS が聞き入れられないところにいたって言うこと。


そんな環境を生き延びた自分に、もうこれ以上自分を責めることなどないと言いたい。
あり得ないぐらい辛い状況をよく生き延びたねっていってあげたい。

そうしないと今わたしが子どもにあたってしまう。
自分ができないことを押し付けてしまう。
嫌味を言ったりしてしまう。

それもとても辛い気持ち悪いこと。
これ以上耐え難いこと。
方向転換したい。なんとしてでも。


文節区切りの線


自分を責めることなんかない。
責めていじめても何にもならない。
何がうまくいかない原因だったのかってことを、気持ちの杭を打ち付けずに冷静に見れるようになりたい。

わたしは自分に優しくなれてないんだな。
そう言うことかなって思った。

じゃあ、自分に優しくなるってどう言うことなんだろうか。
本当の意味で自分を大切にするって言うのはどんな事柄を指すのかな。
きっとそのエリアがまるで未開拓だから見えないままでいるんだ。


文節区切りの線


どんな選択肢やスケジューリングのことを言うのかな。
どんな風に自分に声をかけてあげることが優しさなのかな。

改めてそっちのことを学ぶとか試して見ることの方が責めたりいじめたりすることよりも何百倍も大事なんだって思う。
すぐにはできないけれど。
諦めないでいようね。


疲れた時にはちゃんと休もうね。
自分にできないほどの量のタスクを与えないでおこうね。
気持ちの悪い状況からはすぐに立ち去ろうね。

勇気を出して意思を表明しよう。
対策を立てて実行してゆこうね。
必要ならばサポートを探してみようね。


文節区切りの線


自分が虐げられる者であったと言うこと。
いまもそれを自分に対してする人がいると言うことを認めるのがとても苦しい。
だけどそれは相手側の問題なんだっていうことまた深く理解できた感じもある。

ありえないことをする相手がいるっていうこと。
それは生命のことわりのようなものだから、現実なのだから。
そのことを受け止めよう。自分を責めることなく。

だって被害者のままの気持ちでいたらそこからは出られないから。
それに被害者だけれど、わたしに落ち度があったからなどではないのだから。
この癖を引きずり続けるメリットは全くないのだから。


「わたしはそうは思いません」
「わたしはそれでいいと思っています」
そう言うことが危険と思うならば、少なくとも逃げる。離れる。

そう言う風に自分を守れるようになってゆこうね。
ちょっとずつ強くなろう。A(自分)は強いから大丈夫だよ。
相手の問題に巻き込まれない、とはそう言うことなんだ。


文節区切りの線


そうやって言うと意地っ張りだとかわがままだとかいってくる人がいる。
それは聞かなくていい声だ。

ちゃんとした人は人の意見を聞く余地がある。
気持ちにも心にも余裕があるんだ。
聞く余地のない人の意見を鵜呑みにすることなんかない。
そう言う人とは距離をとっていた方がいい。

それが見分けられるようになりたい。
だんだんわかってきている。
そんな自信はある。
あとは自分の方からも扉を閉ざすことができますように。
自分の扉の中のことにもっともっと集中できてきますように。


文節区切りの線


わたしはまた一歩進んだと思うよ。
だって2度目のワークショップに参加したよ。
逃げずに行ったよ。迷わなかったよ。

だから大丈夫。
大丈夫だよ。わたし。
本当によくやった。ご苦労さま。
また一歩進んだんだよ。

わたしがわたしを支えるから信じてほしい。
ちょっとずつでも。


文節区切りの線


勇気を出してみよう。
「わたしはそれでいいと思っています」
「わたしはそうは思いません」
自分の意見。自分の信念。
自分の感覚。自分の考え。
それをわたしは持ってもいい。

もちろん持ってもいい。感じたことを感じていい。
わたしの感じることを大事にしていい。
それを出すか出さないかも自分で決めていい。
扉を閉じるのも開くのも自分次第で決めていい。

自分の心地よさ安全感を最優先していい。
相手の心地よさのために自分を差し出さなくていい。
そんなことを要求してくる人と付き合わなくていい。
健康な人間関係がちゃんとできるようになるから。訓練すれば。


文節区切りの線


わたしは今は人を求めることに無意識に惹きつけられる自分に言いようのない痛みを感じている。
それが現状のわたしでそのことがとても辛いと感じている。
共依存。それが抜け切らないアルコールみたいに自分の身体を蝕んでる。
そのことがとても辛いと感じている。

だけどそれって、わたしにとって健康ではない方向へ行ってるんだぞって言う。
きっとただそれだけのことで、そのことで自分自身を痛めて自分を責めたりしなくていいんだと思う。
あ、そっかって気づけたらいいだけで、そのことで自分を責めることにメリットはない。

責めてしまうのは抜け切らない癖だ。
痛みはわたし身体のの嫌だ! って言う叫び。あっちは嫌! もう行きたくない!
あれは嫌なことだよ! って言う体の叫びなのかもしれない。
健康な状態がわかり知ることができるにつれて痛みは無くなってゆくのかもしれない。

自分にとってプラスになっていないってわかったら、いくら楽しくてもやめられる。


文節区切りの線


わたしが自分で変えられて、自分の効力感を感じられることってなんだろうか。
どんなことだろうか。
自分のこと。
他人を巻き込まないこと。
自分だけのこと。
大事なこと。
そっちの方は探ったことがないんだから、もっともっと探しまわってみようよ。

それを夢というのかもしれない。
まだ始まったばかりだ。
一歩ずつ探してゆこう。
やってみよう。

間違いなんかないよ。
Aならできるよ。
一緒に歩きます。

もっと気楽に安全に。
もっと自分を大切に。
ゆったりとした気持ちで。
焦らずたゆまずにゆこうね。


文節区切りの線


いまもまだ不安が勝る。
わたしはちっとも境界線を守れておらず、なのに気持ちの上でさえ反応できないぐらい麻痺してしまっていると感じている。
そのことがとても辛いと思う。
だけどそれでも、大丈夫だよと言ってあげるんだ。
言ってあげたいんだ。

辛かったよね。
怖かったよね。
もうダメだって感じたんだね。
うん、よくわかるよ。

大丈夫冷静になってよく見てみよう。
Aにはできるよ。
それだけ怖かった、痛かったって言うことだ。
自分を労ってあげようね。


人のものを自分のもののようにしようとしたから。
辛かったのかな。
それは気持ちのいいことじゃなかったんだよね。
大丈夫。
時間も信じて、たゆまず歩いてゆこうね。
みんなと一緒に。

自分のものをちゃんと見つけようね。