2019.06月開催 「境界線(バウンダリー)ワークショップ」うぉーたーくれすクラス

「境界線(バウンダリー)ワークショップ」の PAY FORWARD(ご参加者のご感想)です。
なお、PAY FORWARD の本文中には、ワークショップ内で学んだ専門用語が登場する場合がございます。その旨どうぞご了承ください。

●コースの内容 
- 「境界線(バウンダリー)ワークショップ」
●もっと読む
- PAY FORWARD(ご参加者のご感想) もくじ
タイトルはじまり目印

S. Y. さん(40代以上/長野県よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


まずは、お疲れ様、自分。
そして、よくやった。

プレワーク、当日のワークショップ・クラス、アフターワークを通じて、沢山の気づきを得られました。

衝撃的だったのは、ワークショップでチェアワークを行ったあと、境界線の練習で自分が言われたくない言葉を言われた時に、全然動揺していない自分がいました。
あれ、普通に「私はそうは思いません」と言えるぞ、と気づきました。
そして、とてもリラックスした状態で、普通にそう言いました。

言われたくない言葉を言われた際には、過去の自分が出てきていたのだと思います。
そう言われて、どうすることもできなかった自分。
でも、それは過去の自分でした。

今の私には、それに対して「そう思いません」と言えるだけの力が備わっていることに気づきました。
そう言えるために何かを得ようとしたわけではなく、自分にその力がある、と気づいただけでした。
びっくりでした。

「今の自分」にフォーカスすれば、私は変わっていける、と気づきました。
そして、「今の自分」に気づくのに大きな力となってくれるのが、からだの感じでした。
思考には過去も未来もありますが、からだには「今」しかないのだと、改めて気づきました。


文節区切りの線


そして、「快」を求めて生きていっていいのだということ、そもそも生き方は私が決めるのだ、ということにも気がつきました。
誰の、何の許可も要りません。許可を誰かに求めるのは、それは私が過去に構築したパターン(処世術)であって、本来必要のないものでした。

私の人生は、私が決める。
言葉に出すと当たり前のように感じますが、やっとこれが、実感を伴ってわかってきました。
とても嬉しいです。


文節区切りの線


そして、私の感情が、境界線を守るための大切なサインだということ、そして、私の本心は、「快」に基づいている、だから、「快」を守る選択をしてよいのだ、ということにも気がつきました。
過去の自分が、いかに不快な状態で生きてきたかが、よくわかりました。

私は病気を経験して、不快な状態にノーと言えるようにはなりましたが、これからはさらに「快」を選んでよいのだということがわかって、とても嬉しいです。
そして改めて、不快な状態にノーと言えなかった自分のこれまで人生を振り返り、不健全な環境の中で生きてきたのだな、と実感しました。
それはやめて、健全な環境の中で生きていきます。


文節区切りの線


ワークショップ・クラス後、毎日チェアワークをやっていますが、やっぱりすごいです。
ワークショップ・クラス当日も、チェアワークの後、言われたくない言葉を言われた際に、すっと「私はそうは思いません」と言えましたが、自然とそういう言葉が出てきました。からだがそう言っていたのです。

言われたくない言葉は、とても嫌な言葉で、受け入れ難いものでした。
そして私のからだは、とてもリラックスして落ち着いて、ただ心地よくあり、心地よくないものは受け入れない、という状態でした。
余計な力を抜いて、リラックスしてからだ本来の持っている力を感じると、からだは「快」をもとにして存在するのが自然なのだ、とわかりました。

だから、リラックスした、思考にとらわれていない状態でからだの感じを感じると、「快」に基づいて生きていける、「快」に基づいた選択ができる、と気がつきました。
からだは、「快」がデフォルトなのだと思います。
自分のからだが、とても大切に思えました。


文節区切りの線


今回学んだことを大切にして、日々コツコツと実践していきます。
回復への希望が持てました。
今の私には、回復する力がある、と感じられました。

これからも、ONSA WORKSHOP(対面式)、Web. WORKSHOP ともに、続けていこうと思います。
しっかりとした回復の方法に繋がることができたたことも、とても嬉しいです。

藤沢優月様、ONSA のスタッフの皆様、そして当日ご一緒させていただいた皆様、本当にありがとうございました。
貴重な経験を沢山させていただき、感謝です。

皆様がご自分の「快」を大切にして生きていけるよう、祈っています。
もちろん私も!





タイトルはじまり目印

M. N. さん(30代/千葉県よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


ワークショップを受けて、やっと、わたしはわたしのありのまま生きてっていいんだと思えた。
声を張り上げて、「私はこういう人間なんです!」って怒鳴るようなことをする必要なんてない。

そうか、わたしは、今まで怒鳴るように生きて来たと感じていたんだ。
それくらい強く主張しないと私の存在を感じてもらえない、と感じて生きてきたんだとはっとなった。


ふつうにしていれば、もう、それが「私」。
軸は私にある。軸を私に取り戻す感覚に触れた一瞬。
あの感覚がいつもの出発点。


文節区切りの線


ふつうにしている「私」って、どんなんだろう。
ふつうにしている「私」は、何をして、どんな風に生きていきたいんだろう。

この一週間は本当に、とげとげ、ざわざわしていた。
怒りがすごくて、きっととんでもなく嫌なヤツだったと思う。
なんとか乗り切った。がんばったー!

早速合わない人が出てきてしまった。
ここから先、さあ、わたし、がんばっていこう~。





タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


境界線、その感覚は決してはじめて知るものではなかった。
ずっと昔からずっとここにあって、消えたことなんか一度もなかった。

ああ、これのことなんだ。
そのことをちゃんと感じられたことがなによりの収穫だったと思う。


わたしの中、という感覚。
そこにきちんと充満して今ここの重心でいれば、お腹のあたりにジーンとちからを感じる。
胸のところからは澄んだエネルギーが広がり、揺るぎない感じがする。
これがわたしなんだ。 
新しい「わたし」の感覚だ。
それは見えない。
だけどこんなにもはっきりとしているんだ。


文節区切りの線


本当に本当によくよくここまで歩いて来たね。
わたしおめでとう! そしてありがとう!

それからそれから、とってもとってもいいよ!
いい感じだよ。ほんとうに、よくやっている。

本当に遠くまで歩いて来たねよ。よくやって来たね。


文節区切りの線


大昔からたくさんの人が蓄積し精査し、大事に守り育て受け継いできてくれたその知恵に、わたしもちゃんとつがながることができた。

「わたし」を育てるのに人は関係ない、ということもわかった。
自分のことは自分さえしっかりしていればなんとでもなる。
そのことを身体と感覚で理解できた。

たとえ短い時間だったとしてもきっと身体は記憶している。
こういうことだ、こんな感覚だっていうことを。


安定した重心、しなやかな立ち方。
横浜のランドマークタワーみたいに足場に余裕があって、クッションのように衝撃を吸収できる。
わたしの在り方を少しずつそんな感じに慣らしてゆこう。


文節区切りの線


同時に今までの自分がいかに他人中心に出来上がっていたのか、そのことを直視することはものすごい衝撃だった。
ショックで言葉もでない。

自分がどんな風に他者に働きかけているのかを直視することはとても辛いことだった。
それが身体に染みついているんだということも。


とても辛いことだけれど、その辛さはわたしを潰す辛さじゃなかった。
現実を直視する辛さ。
その辛さは今までの生きづらさとは違う。
とおりぬけるときの辛さだよね。

今までの生きづらさは永遠に抜けられない辛さ。
自分が自分でない辛さは生きている辛さと全然違う。
生きているのに生きられない辛さは2度と絶対に再び自分に与えてはいけない辛さなんだ。

信じて、楽しんで、だからゆっくり進んでゆこうね。


どうしようもできないこと=他人のこと
そしてそれは「もういいんだ」って思えた、実感できた。
切り離す、そういう感覚が理解できる。
それはびっくりするぐらい心が軽くなる出来事。


文節区切りの線


今までどれだけ振り回されて来たのかを感じて、圧倒されて悲しくなった。
涙が出た。
失ったもの、もう戻らないもの。

間違ったやり方をずっとずっとして来たという悲しみ。
涙は同時に怒りであり混乱でもあり、でも安堵の涙でもあった。

「ひとのことは、もういいんだ」
きっと習慣だから身体はまだまだ今まで通りに反応するかもしれない。
だけどそれも込みでわたしはわたしを受け止めてあげられたらいいんだとわたしは思う。


もういいんだよって優しく言ってあげたい。
何度でも何度でも繰り返し言ってあげたい。
なんてすごいことを今まで頑張っていたのだろう。

わたしを責めるなんて決してしてはいけない。
ほんとうにつらいところをよく生き延びて来たんだよね。
それは何よりも私の優しさと強さゆえ、そして今こうして現実と向き合うということもとても勇敢なこと。

今わたしがやろうとしていることはとても勇敢なこと。
わたしのために必要なこと。


文節区切りの線


わたしの成り立ちの謎が解けてきた。
わたし、という人間の何が壊されていたのか。
壊されて来たのかが、よくわかった。

「みんながふつうにできてることが、できない」
というわたしの焦りのような嘆きのような気持ちの構造がどんどんとわかって来ている。


「快」という文字が脳裏に焼きついている。
お昼を食べながら、カフェでノートに向かいながら、わたしは世界のことわりをまるで違った風に受け取っていたんだと思った。
わたしにとっての世界がどれだけ「世間」と離れ離れだったか。

それは大切なはずのたった一つのピースが隠されていたということ。
私の心、私の感情、私の身体、嫌な感じがこれほど大切だったなんて。


文節区切りの線


「子どもの世界」と大人が規定する世界に閉じ込められて、大人になることを許されなかった。
成長も許されなかった。
他者という感覚が抜け落ちていた。
悲しいし悔しいけれど、そういうこと。

そこを認めなくては前に進めないんだ。
とんでもないところに生きていたんだと。
はっきりと知るからこそそこを踏み出す勇気が出る。

わたしがそこを離れることは、わがままなどではない。
わたしにとってとてつもなく大切なことなんだ。

でもそうしてわたしが今、再び発見できたのは、わたしにはパワーがある!
資質がある! できる! やり遂げられる!

実力もある! みーんなちゃんとある! ということ。
ただその力を使うことを封じ込められてきただけ。


にわかに信じがたい。
それが本音だ。

でもそれでもきっとできるんじゃないかな。
きっと大丈夫だよ。
そうわたしが言ってあげるんだ。


文節区切りの線


ゆっくりいくのがいいんだ。
だってね、今までどんなに急がされてきたのか。
どんなに走らされてきたのか。
そのことを軽視したくない。

わたしをもうこれ以上痛めつけないために、わたしのことを本当の意味で大切にするための一歩一歩は、全てが大きな優しさでありたい。
そう決めたから。


今までやってこなかったことを繰り返すのは勇気がいる。
本当にこれであってるのかって不安にもなる。
それでも自分で答えを探して進むんだ。

自分のことを支えながらゆく。
他の誰でもない、自分が自分を支えながらゆく。
自分の声で自分を支えるしわたしにはそれができます。


文節区切りの線


これまでを生き抜いてきてくれたわたしへの優しくてゆっくりな一歩一歩が大切なご褒美。

一歩一歩をとびきりゆっくりと歩む。
自分を抱きしめながらゆく。
不安になるということは、挑戦しているということ。
自分にとびきり優しくなって進むんだ。

本当に、本気で、自分の人生を生きると決める。
ハラで決めるんだ。

イヤという気持ちがものすごく大切なのだと今はわかる。
このエネルギーはぜんぜん悪いものじゃない。
大切なアラーム。
境界線の侵犯を知らせてくれるもの。

わたしがこれを感じられなくなることはとても危険なことなんだ。
わたしは人間の持つ自然な正常な働きを縛りつけられていたんだ。
嘘の子どものイメージを被せられて。

自分の不快を自分の不快だと断言することができなかったんだ。
それが許されていなかったから。怖かったから。


だけどもうそれも手放していいんだ。
もういいんだよって自分に言ってあげていいんだ。


文節区切りの線


わたしの境界線の中にあるものはわたしのもの。
わたしはそのエネルギーをわたしのために使っていいんだ。
これからは自分の「快」を掘り起こしてゆく。
わたしがわたしの気持ちを知ることがなによりも大切。

小さい頃からずっとひとりぼっちだった。
自分だけがおかしいのだと思っていた。

だけど違った。
ちゃんと仕組みがあった。
そしてわたしはひとりじゃなかった。
たくさんの仲間がいたし、誰よりも頼りになるわたし自身がいつも一緒だったよ。





タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


わたしへ

まずはお疲れさまでした。
本当にお疲れさまでした。

「境界線ワークショップ」は5回目の参加となりました。
春から仕事を再開し、現実生活の中で境界線について考えることが多くなり、基本に戻ろうと参加を決めました。


文節区切りの線


私はこの ONSA のワークショップに出会った頃、境界線が全くない状態でした。
境界線というものがあることも知らなかったし、知ってからもはじめは境界線を引くことに罪悪感すら感じていました。
それは原家族からの影響でした。
影響というよりは「境界線を持つことは悪いこと」という呪縛のようなものでした。

その後、私はワークショップに参加したり、本を読んだりして境界線について学び、最近は以前よりも少しずつ境界線を引くことに罪悪感を感じなくなったり、「NO」というチャレンジも出来るようになってきました。
自分の中で成長を感じるようになっていました。


そんな状態だったからか、初めてワークショップに参加することを「楽しみ」に思っていました。
地に足がついていないというか…。

きっと、滑りかけていたのかもしれません。
でも、実際にワークショップに参加すると、「全然、まだまだじゃん…」とショックを受けて帰ってきました。


文節区切りの線


ワークショップで境界線を引く練習をしたときに大号泣しました。
自分でもびっくりするくらいの号泣ぶりでした。
5回目なのに…とその日はがっくりしましたが、それは心を全開にすることができたからこそのものだとも思いました。

心を全開にしたから、自分が本当はそれらの言葉や扱いにどれだけ衝撃を受け、どれだけ傷ついていたのかを知ることができたのではないか。
そして、職場でも「大丈夫」だったのではなく、感じることを OFF にすることで自分を守っていたことにも気づくことができました。

また、今さらですが自分はこのワークショップという場所を、本当に信頼して、安心できる場所だと無意識に認識できるようになっていて、知らないうちに「心が全開」になっているんだなと改めて実感しました。
ワークショップに参加することによって、自分が思っている以上に我慢したり、疲れていたり、身体に力が入っていることに気づくことができました。

「いろいろ出来るようになった!」
「チャレンジできるようになった!」
という面ばかりを見ていたけれど、
「そっか…。やっぱり私、疲れてたんだ…。」
とじわ~っと感じることが出来たこともよかったです。


文節区切りの線


今回は自分がどういうことを言われたり、どういう扱いを受けたときに境界線がなくなってしまうのか、それを受け入れて頑張ってしまうのか、ということに改めて気づくことができました。
藤沢さんにも言われましたが、だいぶ核心に迫ってきました。

自分の弱点がわかっても、実際に境界線を引けるかは難しいですが、それらにのみこまれないように意識するところから始めたいです。

日々、練習したいと思います。


クラスのみなさん、お疲れさまでした。ワークで組んでいただいたお二人、本当にあたたかかったです。
そして、藤沢さん。いつも安心できる空間に感謝しています。

ありがとうございました。





タイトルはじまり目印

N. G. さん(20代/群馬県よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


ONSA WORKSHOP(対面式)に参加して。

どうやら私には、境界線を明け渡してしまうところがあるようです。
境界線を意識するワークで、私は「あっ境界線が越えられる!」と思ったけど、受け入れなければいけないと思ってじっとしてしまったときがありました。

そのとき、私が私にかけた言葉。
「受け入れなきゃダメ。拒否しちゃダメ。」
その理由を考えても分かりませんでした。

なぜ自分を否定するのか。
それは環境由来なのかもしれないし、もともとの性質なのかもしれない。
でも。それでも。
私は、生きていかなくてはいけない。
私の資質、いいところ。
そこを明け渡すようなことはしてはいけないのだ、と改めて思いました。


文節区切りの線


今回の ONSA WORKSHOP(対面式)に参加して、私は愕然としました。
私は苦しくても嫌でも、その環境にずっととどまってしまうようなのです。

自分の状況に気付いた時には、数年経っている、という感じなのです。
そんな性質を改めて実感しました。

これじゃ間に合わない…。
私はやりたいことだって、かすかな夢だってあるのに。
この状況はまずい。
でも、一人ではどうすればいいのか考えることもできない…。


一人で考えられないのなら、誰かとつながってみる。助けを求めてみる。
私にはそれが必要みたいです。
0を1にするには、私の力だけじゃ難しい。
何年もかかる。

でも、ひとりじゃなかったら。
仲間がいれば変われるのかもしれない。
そんなことを思うようになってきました。


文節区切りの線


ワークショップ・クラス当日のお昼。
私は周りを観察してみました。
やっぱり、健康そうな人は、おいしいものを選びとろうとしているし、会話も楽しそう。
ちょっと、ショックでした。

そしてこれも驚いたのが、外出先なのにリラックスしていること。
どうやらとても安心しているようなのです。
健康そうな人は、生きているだけで安心しているのか…。
なんてすごいことをやってのけているんだ…とも思いました。


文節区切りの線


今の職場、育ってきた家庭環境。
言葉には言われないけど、でも、なんとなく伝わってくるものがあります。

それに引っ張られて、私はまだまだ不健康なんだな…と日々感じています。
でも、それでも知れてよかったと思っています。


これからアタックしてみる道。
前よりもはっきりと道のりが見えますが、でもまだまだ遠いようにも見えます。

まずは、目の前の一歩から。
小さな歩みだけど、でも一歩ずつ歩いて行ったら、目指す未来にたどり着けそうな気がしてきます。


文節区切りの線


参加したお仲間さん、藤沢さん、スタッフさん。
現実を見せてもらえて、ありがたかったです。

ひとりじゃ受け止めきれなかったです。
でもみなさんがいて、どうにか受け止めることができました。
貴重な時間を作ってくださり、ありがとうございました。





タイトルはじまり目印

M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


追加募集で滑り込みで申し込みしました。

仕事を始めたばかりだったこともあり、迷いに迷っての申込でした。

ONSA WORKSHOP(対面式)は初めてで、すでに「変容ワークショップ」に申し込みしており、2つも同時にできるどうか、自信が持てなかったから。

そもそも Web. WORKSHOP の「コース0/STEP.1」ですら、思い切って申し込んで、そこから、1か月くらいしかたってないし。

やれる? また、お金と時間の無駄使いになりはしない?

だけど、始めるなら、始めるのは早ければ早いほどいいに決まってる。
もう十分に遅い。
だけど、時間に追われてしまうのが怖い。大切なものを見失いたくない。
ああ、でも、こうして自分を後回しにしてきたのも事実。
子どものことを優先して、自分をないがしろにしてきた。
その結果、結局、子どものためにすらなっていなかったじゃないか。

絶対に、「時間に追われてやることはしない!」と決めよう!
受講費は勿体ないかもしれないけど。
思うように出来なかったら、また受講すればいい。

プレワークができなかったとしても。
効果が減ってしまったとしても。

自分を休めることを最優先に。無理をしない。


文節区切りの線


そう思って望んだら、何度も来てる方がいて、「あー、やっぱり申込してよかった」。
何度も繰り返して来ないと。そう簡単に身に付くもんじゃないんだ。
であれば、やっぱりスタートはなるべく早く。

実際、あまりうまくできなかったようにも思います。
前日までにとてもストレスのあるイベントがあり、疲れていました。

そうでなかったとしても、頭で理解しようとして、実感レベルまではなかなかたどり着けない。
これまでの習慣はそう簡単に変えられなかった。たった、1日。数時間ですら。

本当に手ごわい。
その手ごわさがこれまで以上にリアル実感できた。
それがわかったことが一番の収穫。
「出来ないこと」が認識できないと、「できた!」がわからないもの。


文節区切りの線


ワークショップ・クラスの日のあと、2、3日はこのことをずっと考えていた。
言われて一番イヤなことを言ってもらうワーク。

「あなたは自分の生き方で生きてはいけない」

母に、こんな言葉言われたことなんて全然ない。
むしろ、両親がいつも言っていたのは、「うちは放任主義だから、こどもは好きに行動すればいい」だった。

だけど、現実に私が取っていた行動は、母の母校の女子大を第一志望にしていた。

それ以外の選択肢はダメだと。
言外で言われていたと、この時、「初めて気づきました。」と言っていた。

あの場でそう言ったけど…後になって、思い起こしてみると、私は前から知っていたんじゃない?
うすうす感づいていたよね?
頭では知っていた。知識としては知っていた。

でも、あの場では、確かに「初めて知った」だったのだ。
嘘ではなく。
あれは、心からの叫びだった(ように思う)。

心の中で自分に言い聞かせてる。親が自分の幸せを願ってないはずない、と。
いつか、謝ってくれる。
何か理由があったはず。
あまりに忙しい毎日で、できなかった。
その時の世の中の子育て論は違ってたから。
etc。


文節区切りの線


ずっと考えていて、思ったこと。

もしかして、私は、2種類の考え(感じ方、感覚、反応 etc)を持っている。
(1)「じっくり冷静に考えて出てくる考え・思考」と(2)「反射的、感情的に湧き出る考え・感情」の2つ。

(1)→ うすうす知っていた。冷静に考えれば、そこに導くための言葉をたくさん話していた。
(2)→ 初めて知った。(母がそんなこと思うはずないと心の底で否定していた。だから、そうでないと初めて知った。)

そして、(1)と(2)の感じ方を自分では無自覚に行ったり来たりしてるようだ。
(2)はきっと、自分の心を守るための防衛反応ではないか?
(1)を肯定したままでは、苦しくなってしまうと、無意識に(2)に逃げ込んでいないかな?


ONSA WORKSHOP(対面式)で「心を開きましょう」というのは、「(2)をしっかり見つめましょう」だったのでは?
そして、私は「心を開く」ということが、よくわからなかったけど、それは、(2)の反応に対して、無自覚だったからわからなかったのではないか。


それは、こうも言えるかも。
(1):境界線を意識している私
(新しい知識・習慣を身に着けようとしている私)
(2):境界線に無自覚でいる私
(これまでの習慣で無自覚にただ反応している私)


文節区切りの線


まだまだ、頭が混乱しているけど、掴めそうで掴み切れていないけど、練習していこう。これからも。

「腑に落ちました」とか「違いがわかりました」とか、そういう感じには至れなかった。
帰り道、落ち込みました。
(うん、そうか、そうか、よしよし。)

だけど、振り返ったら、新たな発見、再認識が、そこには確かにあり、新たな一歩を歩んでる自分がいた。見つけてあげられた!!


文節区切りの線


心を開くことが苦手。
自分に自分で無自覚に嘘をついている。
(たぶん、それは自分を守るための古くて役にたたない習慣。)

そんな自分を救い出すことができる自分になる!
そのための知識と訓練を、もっともっと意識してやる!!
今ここから!

もっとまとめたかったけど、今はこれが精いっぱい。
精いっぱい、よく頑張りました。→ 私

そして、優月さん、みなさん、どうもありがとうございました。





タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


今回の「境界線ワークショップ」をうけて、よくやく私の中での実感レベルとして、腹に落ちた感じがした。すでに4回目の受講ではあるけれど…。
だけど、子どもの頃からの自分の身に起きたことを頭だけでなく身体を持って理解するには、これくらいの回数は必要なんだと、思った。

毎日の日常の中で生きていると、何度も習ったことを忘れてしまっていることにも、今回驚いたし、けど、それは逆位にいえば、それくらいこれまでの役に立たない習慣に絡め取られているという現実の表れでもあったんだと、身体をもって体感した。


文節区切りの線


私は、何度でも学び直せる力をもっていることは、これまでのワークショップに取り組んできたからこそ得られた、積み上げてきた力だと思う。
だから、今回も、忘れてたことはあるけれど、こうやって自分の身体にしみこむまで繰り返しやっていこうと素直に思える。

今のこのタイミングで、「境界線ワークショップ」を受けられたことは、本当によかったと思う。


境界線は他人は関係ないということを、日常の中で、私が肌感覚として感じ取っていくということ、その中で、チェアワークをやって、今に戻ってやっていくということ、それがよくわかった。

何度でも学び直せることをありがたく思う。

優月さん、参加者の皆さんありがとうございました。





タイトルはじまり目印

M. T. さん(30代/神奈川県よりご参加) うぉーたーくれすクラス


タイトル下の線


私がクラスで気づけたことは、
自分にとって生きることとは、「我慢」し、「耐える」こと──本当にそのものだったのだと、改めて感じたこと。


そして、どうしても自分が普通─むしろ、(それ以上に)優秀でないと駄目、でないと私の存在価値はない── 
という「思い込み」があり、これにより何より自分自身が自分を批判していた── 
という点でした。


文節区切りの線


「お前は優秀で、しっかりしていなければならない」
「自分たち(両親)の人生や生活を支え、助けられるくらいに(何かあれば将来的に自分たちを養えるように)」
「でなければ、お前の存在価値はない─(それがお前の存在価値)」

──というこの価値観に基づき、私は自分を苦しめ、悩んでいることにも気づけました。


これは、両親からの(影響を受けた)「思い込み」─…両親(や周りの大人たち)の価値観でもあったし、
私自身の「思い込み」でもあったし、
そして、あと私の一縷のプライドによるものもあったのだと、そう思います。
このことに気づけたのは私にとって、とても大きなことです。


文節区切りの線


ではワークショップクラスに参加された皆さま、ONSAスタッフの皆さま、そして藤沢優月さん
改めてましてお疲れさまでした。
そして、本当にありがとうございました。

真摯に向き合ってくださいましたこと、そして、多くのご配慮に心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました。