ONSA トラウマケア・セッション |[1]「サイコセラピー(心理療法)」とは、なんだろう

| 深いレベルで、人生が変わる。
「サイコセラピー(心理療法)」とは、
新しい「今ここ」を、とりもどす技術です

| ONSA WORKSHOP(対面式)
ONSA トラウマケア・セッション[偶数年開催]

[テーマ]
いわゆる「トラウマ」現象と、自身で折り合ってゆく土台をつくる、サイコセラピー(心理療法)のセッションです。
[効果]
身体反応としての「トラウマ」現象が、サイコセラピー(心理療法)により、軽減あるいは減少する効果が確認されております。
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| PAY FORWARD(ご参加者のご感想)


(今までが)時間の無駄だった……の一言に尽きます。

私にとっては人生が大きく変わってしまうほどの重大な出来事に遭遇してしまいました。
それに完全にトラウマが消えてなくなった訳でもありません。

でも、そのことにとらわれて生きていくことをやめました。
そして、一人、心閉ざして生きてきた時間が、とてももったいないと思うようになりました。
過去は過去、今度は今ある人生を大切にしようと思えるようになってきたこと。
未来を見つめれるようになってきたこと。

どんな自分であっても、いい意味で、もういいやと思えるようになりました。
トラウマケア・セッション(TAT)を受ける前は、表面上の問題は解決できたけれど、そのあとに残った傷が痛くてしょうがなくてつらい日々でした。
トラウマケア・セッション(TAT)を受けた今ではその傷の痛みも和らいできているし、日に日に薄らいでいく気がします。

でも実は、トラウマケア・セッション(TAT)を受けてみて、正直、自分に何が起こったかのかがよくわかりません。

1 |
「トラウマ」とは、何だろう。
「サイコセラピー(心理療法)」には、どんな期待ができるのだろう。


こんな現象が、起こっているかもしれない

「大きな声が苦手。自分には関係がないのに、反射的に、おびえてしまう」
「人が、とにかく怖い。びくついてしまう」
「なんの関連もなく、怖い気持ちが湧いてくることがある」
「恐怖に飲み込まれそうになって、凍りついてしまうことがある」


わき上がる、身体の緊張。
足元が、すっぽりなくなってしまうような、凍りつくような身体感覚。

目の前が、ぐるぐる回るような、吸い込まれてゆくような感覚。
繰り返し、過去の記憶が、思い出されてしまうこと……。

正体不明の引力のようなものに、身体感覚をともなって、吸い込まれゆく感じがする。



自由になれたら、人生が変わると思いませんか?

このような状態から自由になれたら、人生が、変わると思いませんか?

サイコセラピー(心理療法)は、それを可能にする技術です。

身体の中に、細胞レベルで記憶された「痛みの感覚」。
その感覚と、「今ここ」の感覚が、切り離されるからです。


理由もなく、怖がらなくていい。
「怖い」という感覚が湧き上がってきても、落ち着ける。
しじゅう、怯えなくとも、もういい。

「今ここ」を、過去の痛みの繰り返しではなく、新しい「今」にすることができる。
それが、サイコセラピー(心理療法)に期待できる効果です。


サイコセラピー(心理療法)を使えば、「今ここ」を、新しい「今」にすることができる。

2 |
「トラウマ」現象は、生命としての「身体」に、自然に備わった、防御のしくみ。
それゆえ、身体に備わった、自然なしくみを利用して、「トラウマ」現象を解除できる。


「心が、傷を負っている」という概念

有名な用語「トラウマ(psychological trauma)」とは、「心的外傷」と訳されます。

トラウマ(psychological trauma)=「心的外傷」
「心」という見えないものに、日常生活に影響を与えるような傷が、刻まれている状態をさす。

「トラウマ」現象を、簡単に説明すると、以下ようなことをさします。

「心」には、形がありません。
手にとって、見ることもできない。
でも、私たちの中に「心」が入っていることは、誰も疑わないでしょう。


仮に、見えない「心」に「形がある」と、仮定してみましょう。
たとえば、革でできた丈夫な「バッグ」だと、想像してみます。

日常の中で、このバッグを使っていると、擦れたり、汚れたり、コーヒーのしみがついたりします。
でも、布でふいたり、栄養クリームをすりこめば、「使い込んだ」という雰囲気に、変化してゆきます。


この状態は、人生の成長や変化と、似ています。
どういうことかというと、こういうことです。

失敗をしたり、試行錯誤をしたことが、全て、人としての、成長のあかし。

時とともに、「失敗」のすり傷は「思い出」になり、「試行錯誤」の打ち傷は、「経験」となって癒される。
すべての傷が、「思い出」「経験」となる。……つまり、「人生」と呼ばれるものの一部を、形作ってゆきます。


生きていて、当たりまえに起こる失敗や挫折は、「トラウマ」ではなく、「経験」と呼ぶ。



「トラウマ」とは、生命体として平常運転「外」の現象

ところが、「トラウマ(心的外傷)」現象とは、この状態と、まったく異なる「傷」。
まったく異なる現象を、さします。



違いを理解するために、さらに、想像してください。
先ほどのバッグが、何かの事故で、裂けてしまったら……。

中に、どれだけモノを入れても、裂け目から、中身がぼろぼろと、こぼれ出てしまいます。
修理をしなければ、バッグとしては、使い物にならない。


この状態が、たとえるなら、「トラウマ(心的外傷)」を有している状態をさします。

「トラウマ(心的外傷)」現象とは、この日常レベルでは、折り合ってゆけないほどの、大きさの「心の傷」をさします。
見えない「心」というものが、傷を負っていて、その傷が、健康な日常生活をさまたげるやり方で、「今」に大きな影響をあたえている状態です。


これが、「トラウマ」現象の、おおよそ正確な定義です。

トラウマ(心的外傷)とは、日常生活に、大きな影響を与えるような「心の傷」をさす。

3 |
細胞レベルに記憶された、「焼きつき」の感覚を、切り離すことができる


心が傷を負う理由は、さまざまある

バッグが裂けた原因……つまり、「心」が大きな傷を負う原因には、さまざまな要因が想定されます。
たとえば、想定外の事故や事件、戦争や災害などは、トラウマ現象の有名な原因です。

災害や事故、戦争や死別等は、トラウマ(心的外傷)の有名な原因。
そして、原因となる現象の発生が、およそ単発・一回性(一度きり)となっていることが特徴。

ところが、心が傷を負うには、別の原因もあります。

長期にわたる精神的な圧力、存在の無視や軽視、暴言などによる、トラウマ(心的外傷)です。

こちらのケースは、目立ちづらく、気づきづらい。
トラウマ(心的外傷)を持つ本人ですら、「まさか自分が?」といったふうに、受傷に気づけないことがあります。




気づきづらいのは、継続的・長期的に行われている「傷つけ行為」だから

具体的に言うならば、このような例で説明できます。

生まれてから、あるいは「物心ついてから」ずっと、精神的に放置されていた。
(うちは「自由主義の子育て」「放任主義」だったなどと、標榜される場合があります)

ほぼずっと、存在を軽視されてきた。
自分の望みを、否定されてきた。
存在や考えを、否定されてきた。
意見をすると、食事を抜かれたり、無視されたり、非難された。

本音を、言えない空気感があった。
家の中で、実は、ものすごく気を遣っていた。
(家族仲がよく、まるで「友達家族のよう」「サザエさん一家のような関係」などと、標榜される場合があります。あるいは、「反抗期がない、手のかからない、偉い子だった」などと、標榜される場合もあります)

あるいは、望みどおりになるまで、執拗に注意され、最終的には、考えを曲げられた……。

このような現象は、いわゆる「ネグレクトと呼ばれます。

心身ともに、適切な養育が行われない。子ども(だった自分)に対して、精神的な関心を持たれない。まず、精神的に「無視」される……。
これら「ネグレクト」現象は、厚生労働省の定める「虐待」の定義に、あてはまります。
「大したことはない」ことが全くなく、大変重大な傷です。


そして、こういった現象が原因で、心に負った傷のことは、「複雑性 PTSD」あるいは「反復性 PTSD」と定義されています。
(* Judith Herman, M.D. らの提唱による/『DSM-5』等に収録の名称となります)

反復性のトラウマ(心的外傷)は、原因となる現象が、一回性ではなく、繰り返し反復して発生している。
ところが、これらの傷つけが「日常の一部」「当たりまえ」化しているため、トラウマを受傷していることに、本人も気づきづらい。
(本人にとっては、物心ついてから、ずっと日常の光景であったため)

「存在を、大切にされない」
「人格を、ねじ曲げて、直される」
「考えを、否定される」
これらは、あらためて考えれば、とてもひどいことです

ところが、ひとつずつの現象をとってみれば、外側からわかりづらく、たとえるなら「警察沙汰になる」ような事件には、めったになりません。


反復性のトラウマ(心的外傷)は、外側から、とても気づかれづらい。

ですが、それら小さな暴力が、継続的に行われる。
すると、たとえるなら、「心がダウン」してしまうのです。

「もう、しんどい。何も感じない、考えないようにしよう」
「黙って、言いなりになろう」
「深く考えさえしなければ、とりあえず、『今は』苦しくならない」

これが、多くの方が悩まれているほうの、「トラウマ」現象のルーツです。
しかも、心の傷(受傷)は、長い時をへて、無意識の記憶の奥にしまわれ、とても気づきづらいのです。

反復性のトラウマ(心的外傷)は、受傷している本人も、存在に気づきづらい。

心理学の「トラウマ理解」の一般通念においても、あるいは、ONSA WORKSHOP(弊社のワークショップ)においても……。

この、複雑性・反復性のトラウマの存在は、人生「回復」の再訓練がスタートとなって、ある程度の期間が経過してから、自覚される場合がほとんどです。
それほど、自覚しづらく気づきづらい、無意識の奥の襞の中に、受傷の記憶がしまいこまれています。


4 |
「機能不全家族問題」に巻き込まれた多くの方が、
身体レベル・細胞レベルで繰り返し襲ってくる、「痛みの記憶」に悩まされている


見えない「傷」の存在が、「今ここ」に影響を与えている

ここで、百万歩譲って、考えてみます。
もし、この受傷の記憶が、「今」という時間に、何の悪さもしないのなら……。
重ねて、百万歩譲って、過去のことは、放置しておけるかもしれません。

ところが、そうはゆかないのが、トラウマ(心的外傷)のやっかいなところであり、同時に、「神秘的」なところでもあります。

トラウマ(心的外傷)は、自覚され、癒され解放されるまで、ノックをやめません。
つまり、痛みの記憶に気づかれようと、「今ここ」の人生に、多大な影響を与えてくるのです。



「痛みの記憶」は、不思議なことに、「今ここ」の人生の中でも、繰り返し再現されます。

こんな例が、わかりやすいでしょう。
新しいことをしようとしたり、新しい環境に進もうとしたり、前向きな一歩を踏み出そうとすると、こんなことが起こります。

「こんなことをして、大丈夫だろうか」
「また、ひどいことを言われたりしないだろうか」
「また、ひどい目に遭わないだろうか」
「……怖い!」

反射的に、細胞レベルでの痛みが、よみがえります。
そして、文字通り「凍りつく」ような身体感覚を、味わいます。


「どうせ、失敗する」
「自分には力がなく、人生を、切り拓いてはゆけない」
「何をやっても、どうせだめだ……」

あの理由この理由を駆使して、ついには、あきらめてしまいます。

こんなふうに、影響が、「今」の時間に、多大に及んでくるのです。
その結果、人生を受け身・無抵抗で、生きてしまうかもしれません。


いわゆる「トラウマ」現象は、自然な身体反応の、一部でもある。
そのため、身体反応として、繰り返しよみがえってくる。
過去に起こったことではなく、「今」も、起こっていることである。



身体の反応がともなうことで、見えない「傷」の存在が、逆算してわかる

こんなふうに、過去の否定的な記憶の影響に巻き込まれる時を、冷静に観察してみます。
すると必ず、身体の反応をともなっていることに、気づくはずです。

「頭が、まっしろになってしまった」
「足元が、ふわふわする。地面がどこか、分からない」
「全身が、凍ってしまう」
「思考が、ストップする」

過去に体験した、強い感情が、身体レベルで再体験・追体験されています。
そして、あたかも「今ここ」で、過去の出来事が起こっているように、身体レベルで再体験されます。

だから、怖いのです

「怖い」のは、概念レベルで、怖いわけではない。
身体が、過去のトラウマの追体験を「している」ので、「今ここ」の、「事実の体験」として、怖い。

これが、トラウマ(心的外傷)のやっかいな部分の、核心部です。



つまり、実体験・繰り返し体験として、繰り返し蘇ってくる身体の恐怖で凍ってしまっている。
その結果、前向きな一歩が、踏み出せなくなるのです。

あまりに圧倒的な身体感覚ゆえ、「踏み出す」という選択肢すら、考えられなくなってしまいます。
それほどまでに、強烈な身体感覚が、繰り返し、追体験される場合が、大変多く起こります。


トラウマ(心的外傷)は、あたかも、その現象が「今ここ」で起こっているかのように、不可思議で強烈な身体現象をともなう。

硬い言葉で言えば、こういうことになります。

身体レベル・細胞レベルの「過去の記憶」と「今ここ」が、不適切に結びついている。
その、不適切な結びつきの縄が、変わろうとする・変わりたい自分を、過去の痛みに、引っぱりもどします。


トラウマ(心的外傷)に由来する身体反応を、いちいち感じていては、日常を生きてゆけない。
そのため私たちは、たいていの場合、トラウマ現象を「抑圧」している。
エネルギーを無理に封じ込めて、感覚を切り離して、無視している。

ところが、その結果として、人生を前に進めることもできず、出口なしの袋小路に入った感覚に、とらえられている。



この、不思議で困惑する身体現象からは、自由になれる

サイコセラピー(心理療法)は、対処が難しいとされていた、不適切な「結びつき」を、切り離すことができます。

| サイコセラピー(心理療法)に対処できること
– 過去の、つらい出来事の記憶
– それにまつわる強い感情/痛み
– 凍りつく感覚・痛み・恐怖などの身体反応

身体に本来備わった、自然な仕組みを応用した、科学的/化学的な仕組み。そして、心理学の仕組みの両方を使って、身体レベル・細胞レベルの痛みの記憶を、「切り離します」。

サイコセラピー(心理療法)を使うと、トラウマ(心的外傷)の強烈な身体感覚を、「切り離す」ことができる。
受傷の記憶は、そのまま残る。でも、身体感覚として、影響されにくくなる。

5 |
身体レベル・細胞レベルの「痛みの記憶」が、「今ここ」の感覚から、切り離される
「過去」が、「過去」のものとなる


「過去は過去」「今は今」が、本当に起こる

サイコセラピー(心理療法)を使うと、平たい言葉で言えば、こんなことが起こります。

「過去に、つらい出来事があったことは、記憶にある。しっかりと覚えている」
「しかし、もうその出来事に、引っ張られない。思い出しても、痛みや恐怖を感じない」
「思い出しても、めまいがしたり、身体が凍りついたりしない」
「その出来事は、『過去のこと』になった」
「『今ここ』で不安や恐怖を覚えても、そのことは、過去の出来事とは別のことだと、全身の感覚で理解できる」

過去の出来事のことは、しっかりと覚えています。
その事実が、なくなるわけではない。
記憶としても、明確に残っています。

しかし、その出来事はもはや、「今ここ」に繰り返し、痛みをもって再現「されない」のです。
「過去」が、「過去」になりました。


これが、「サイコセラピー(心理療法)」が実現しうる、現実的な効果です。

サイコセラピー(心理療法)を使って、トラウマ(心的外傷)の強烈な身体感覚を、「切り離す」。
すると、「過去」が、「過去」にできる。
身体反応としての「過去の痛み」に影響されにくくなるため、「今」に集中して、生きられるようになる


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ

ONSA WORKSHOP は、「元・体験者」「回復者」が主催しているワークショップ。
いわゆる「機能不全家族問題」「共依存」のテーマから、実際に回復(リカバー)した者が主催する、実践的な内容。
すでに、長い開催歴があります。

詳しい来歴は、「私たちの想い | 運営者情報」でもお読みいただけます。