02 | 「人生をとりもどす」ための講座を、主催しています


「人生をとりもどす」活動を行なっています

それでは、あらためまして、一緒に見てゆきましょう。

「これは、いったい、何なのだろう?」
「何が、起こっているのだろう?」
この答えに、迫るためです。


そのために、少し遠い方から、話をスタートさせてください。


あなたが今、ご覧いただいている、このページ。
ONSA WORKSHOP についてのページですが、このワークショップは、2003年から続いています。

テーマは、「人生を、とりもどす」。
「温かな居場所に、もどってゆく」です。


活動テーマは、「人生を、とりもどす」。
「温かな居場所に、もどってゆく」。

こんなふうに言うと、小説や映画の世界のように、感じるかもしれません。
ですが、フィクションではなく、本気のリアルでなければ、2003年からのべ370クラス以上も、クラスが開催されていないはずです。

しかも、1クラスのクルー(期間)が、約1-3ヶ月もあります。
たった1日や1週間、パッと何かをするのではなく、じっくり型です。

何が言いたいかというと、とても大切なテーマを、扱っていると言いたいです。
大切なことを扱っていなければ、これだけ長い期間、必要とする人が、絶えないわけがありませんから。


「人生を、とりもどす」
「温かな居場所に、もどってゆく」
とても大切なテーマを、扱っています。



「とりもどす」のは、「ない」「わからない」から

「人生を、とりもどす」
「温かな居場所に、もどってゆく」


ONSA WORKSHOP では、このようなテーマで、活動をしています。


すると、こんなことが自動的に、言えると思いませんか?

「とりもどす」
ということは、そもそもですが
「ない」
「わからない」
という感覚が、あるということ。


「ない」「わからない」という感覚があるから、「人生って、なんだろう」と感じる。

ONSA WORKSHOP にご縁をいただく「お仲間さん」はみな、漠然とした感じを、お持ちです。
言葉にするのが難しい、とらえようのない、感覚のようなものです。

それはきっと、こういうもの。

「生きるって、そもそも、なんだろう」
「人生って、なんだろう」
そして、
「私の人生って、いったい、なんなのだろう」

しかも、こんな哲学的な問いかけを、子どもの頃から考え続けています。

あなたは、どうでしたか?


「人生って、なんだろう」と、小さな頃から、考えていましたか?



よく考えてみれば、特殊な経験をしたかもしれない

もう少し、別の方向から、見てみましょう。

乱暴な言い方で、くくりますが、普通の子どもは、
「人生って、なんなのだろう」
とは、考えないものです。


いわゆる、普通の子どもは、今日のごはんのことや、おやつのこと、おねだりしたいもののことや、明日の学校の楽しいことばかり、考えています。
つまり、食べ物といたずらと、欲しいもののことばかりです。

昨日あったことは、明日には、忘れてしまいます。
誰かに怒られても、すぐに忘れます。

あなたがもし、そんな子ども時代に、なじみがないとしたら。
あなたは(そして私も)、「特殊な経験をしている」ということになります。


そう言われてみれば、どちらかというと、特殊な経験をしたかもしれない。



外側の自分と、内側の自分が、一致しない感覚がする

あるいは、自分の中の、不思議な矛盾に、心当たりはないでしょうか。

職場や社会の中では、責任感があり、我慢強く、しっかりしている。
言われたことは、言われた通りに、きちんとこなす。

なぜなら、それが「当たりまえ」だから。
いい加減なんて、とんでもない。



それなのに、不思議な矛盾が、起こっているかもしれない。

「自分の人生」のようなものが、ないのです。
どう生きていいのか、わからない。



だから、正直、とても困ってしまいます。
なぜなら、外側の自分と、内側の自分の感覚が、一致しないから。

外側の自分と、内側の自分が、一致しない。

人間の成長ステージは、
「自分の人生を、自分で決めてゆく」
「自分で、人生を切り拓いてゆく」
ことを、自然と、強いてきます。

でも、それがどういうことなのか、つかめません。
未来なんて、どこか怖いし、具体的に、想像ができない。

それなのに、日々の「しなければならないこと」や義務は、きちんと全うできる。


義務は、きちんと全うできる。外側から見れば、問題のない人生を送っている。

外側の、社会で評価されている、「しっかりさん」具合。

それなのに、内側に広がる、とてつもない不安定さと、心細さ。
迷子になってしまったような感覚。
心の中に、ブラックホールが広がっているような、漠然とした、恐怖の感覚。


このふたつが、一致しない。
自分でも、何が起こっているのか、よくわかりません。

外側は、うまくいっている人に、見えている。
でも、内側には、言い知れない不安と恐怖が、延々と広がっている。
でも、そのことはきっと、誰も知らない。なぜなら、私が、そのことを話さないから。



「成長すること」を、怖く感じる人たちがいる

生きることは、成長し続けること。
しかも(多少の困難はありつつも)、成長は基本的に、楽しいことです。


学生が、社会人になり、社会人が、親になる。
こうして、社会的な責任を、ひとつずつ増やしながら、飛べるハードルもまた、増えてゆく喜び。
人は、喜んで、大人になってゆきます。


ところが、これとはまったく、異なる感覚をも持ったまま、同じように「大人になる」人たちがいます。

頑張りと義務を、緊張と恐怖ゆえに、日々こなしつづける人たち。
そうやって、たくさんの責任を果たすのは、目に見えない恐怖のようなものに、常に追われているから。

しかも、常に追いかけてくる、恐怖や不安の理由を説明しろと言われても、わかりません。
だってこの感覚は、ずっとあるものだから。

だから、考えない。頭の隅に、追いやる。
そして、目のまえのことを、ひたすらがんばる。

これが、
「人生をとりあげられた」
人たちです。


あなたに、あてはまりますか?

頑張りと義務を、緊張と恐怖ゆえに、日々をこなしつづけてしまう。
たくさんの責任を果たすのは、目に見えない恐怖のようなものに、常に追われているから。

でも、その理由を説明しろと言われても、わからない。
これが、「人生をとりあげられた」人たちの、内側に広がる感覚です。
しかも、このような感覚を抱えていることを、外側からは、うかがいしれません。