03 | ライフステージごとに経験する、理由のわからない違和感


もやっとする違和感が、あったかもしれない


あなたがもし、私と同じように、「生きる時間をとりあげられた」人だった場合……。

「何かが、とてもおかしい感じがする」
とりわけ、こんなふうに強く感じるタイミングが、いくつかあります。

それは、人生の節目節目。
大きな変化や、大きな選択を、前にした時です。



警告の感覚に、気づきづらかったかもしれない

「生きる時間をとりあげられた」人にとっては、警告アラームが鳴るような感覚。
あるいは、ドアがノックされるような、ハッとする感覚です。

どれも多分、とても、小さな音でした。


折々に、小さな違和感の感覚が、あったかもしれない。
でも、ずっと違和感に包まれていたなら、警告の違和感には、気づきづらかったかもしれない。


節目節目に、違和感があった


今から分け合う知識を、あなたが実感として、「生きた」ことがあるなら……。

その時の “感覚” を、具体的に言葉で説明されれば、
「あっ!」
「知っている」
と、気づけるはずです。


でも、その時でさえ、
「人生なんて、こんなもの」
「他の人だって、口にはしないけれど、似たようなものだろう」

こんなふうに、自動的に考えて、違和感を飲み込んだかもしれません。

あるいは、
「私が、至らないからだ」
「私に、何かが欠けているから、こうなっているのだ」

ひたすら自分のせいにして、折々の違和感を、「がんばり」で乗り切ってきたかもしれません。


これから挙げるような違和感を、「がまん」と「がんばり」で、乗り切ってきたかもしれない。


「生きる時間をとりあげられた」人に起こる、ライフステージ別の違和感


「生きる時間をとりあげられた」人には、どんな違和感が起こっていた可能性があるのか。
それでは、ライフステージ別に、見てみましょうか。

ちなみに、この違和感。
いわゆる “普通の人” が語る、「表面上、似たように見える」悩みの深刻度とは、根本的に異なります。

差別や価値下げ、優劣の問題ではありません。
そうではなく、客観的な事実として、そもそもの絶対的な深刻度……原因の根深さが、圧倒的に異なるのです。


まずは、見てみましょう。
そうすると逆引きして、いわゆる “普通の人” が、決してあなたと同じ深刻度で、悩んでいないことが理解できます。


こんな違和感が、折々にあったかもしれない

画像 学生の頃 |

「生きづらい」と、感じていた。
自分は、他の人たちとは、”何かが違う” と感じていた。

喘息や過呼吸・アトピー、摂食障害(もやもやすると、苦しくなっても、ひたすら食べ物を詰め込む)など、身体症状に苦しんだかもしれない。

中学・高校生ぐらいになると、ふと、
「もしかしたら自分の家は、他の家とは、少し違うかもしれない」
と、客観的に理解できたかもしれない。

でも、そんなことを言っても仕方がないので、隠したかもしれない。
何ごとも起こっていないかのように、平気なふりをしたり、表面では明るくふるまったり、あなたのがんばりで、カバーしたかもしれない。
画像 就職活動の頃 |

進路が、決められなかったかもしれない。
(実際には「決めて」も、主体的に「決めた」という感覚では、ないかもしれない)

周りがなぜ、あんな風に自主的に進路を選んだり、決めたりできるのか、わからない。
なぜ、自分に “合っていること” が、すんなりわかるのか、わからない。

あるいは、なぜ、自由に好きなことを選んでいいと、考えられるのかがわからない。
その自信や、「自分を大切にする」という感覚が、自分にはわからない。

そのため、なんとなく、周りの意見に合わせるようにして、進路を決めたかもしれない。
あまり好きでもないことを、「なりゆきで」選んでしまったかもしれない。
画像 交際で |

相手の側から、交際を求められたから、交際をスタートしたかもしれない。

相手から求められたら、「断る」という発想が、なかったかもしれない。
自分の側に、断る権利があるという発想が、ないかもしれない。

求められたら、つきあわないといけないと、どこかで信じ込んでいるかもしれない。

世間から見れば、「なんで、そんなにがまんしているの?」という、つらい交際になっているかもしれない。
自分ががんばるとか、尽くすとか、がまんする以外の交際を、現実として想像できない。
画像 仕事の中で |

責任感に、あふれているかもしれない。

「がまん」や「がんばり」での自転車操業状態が、仕事の中で、常態化しているかもしれない。
終業後や休日にまで、仕事があふれ出しているかもしれない。

周りの人の尻拭いや、失敗した仕事を、引き受けているかもしれない。
そうすることが「当たりまえ」とすら、感じているかもしれない。

先回りして気づいて、手を回して、
「すごいね、気がきくね」
と言われる、立ち位置かもしれない。

皮肉にも、それゆえ、疲れ切っているかもしれない。
もはやこれが、自分の個性や性格なのかもと、思い込んでいるかもしれない。

どうやって、がんばりと激務の循環から脱したらいいか、わからない。
「背負いすぎは、おかしいことなのだ」という発想が、ないか、薄いかもしれない。
画像 結婚や出産で |

結婚は、社会的に「すべきもの」なので、結婚したかもしれない。
その時に、ちょうど交際していたから、その相手と結婚したかもしれない。

出産を経験した時、なんとも言えない気持ちに、なったかもしれない。
素晴らしいことのはずなのに、説明できない違和感……もやっとする感じが、あったかもしれない。

出産の際に、「実家を頼る・実母を頼る」という概念が、理解できなかったかもしれない。
そんなことをしたら、自分の方が、とてつもない面倒を、背負いこむことになってしまう。
画像 子育ての中で |

子育てというものを、具体的にどうしたらいいのか、わからない。
自分が子どもの頃に経験したものと、いわゆる「普通の」子育ては、とてつもなく違うものだと、感じたかもしれない。

あるいは、「がんばって」子育てをしているのに、なぜか、子どもが荒れるかもしれない。
荒れたり、反抗したり、引きこもったり、いわゆる「問題行動」を取りはじめたかもしれない。
父親(夫)が、解決に、非協力的かもしれない。

「夫や子ども、周りが幸せでさえあれば、自分さえ我慢しておけばいい」
そんなふうに、自分をないがしろにしていたかもしれない。

でも、なぜか、それすらも、成立しなくなってしまったかもしれない。
状況的に、いろいろ大変に、なりすぎてしまったかもしれない。


「とにかく怖い」 この、説明しづらい感覚


これら表面上な現象に加えて、とても気づきづらい、基調低音のようなものがあります。
それは、こんな感覚です。

「怖い」。
とにかく、怖い。



それゆえ、こんな感覚が、あるかもしれません。

ちなみに、この感覚も、あまりにも日常化しています。
そのため、あらためて言葉で説明されないと、そうと自覚して、気づくことができないかもしれません。



人が怖い。特に、強圧的な人が怖い。
びくびくしていると思う。

俗に言う、「緊張が強い」。
リラックスという感覚も意味も、わからない。
「凝っていますね」と言われても、緊張している自覚がない。

内心では、人を信用していないかもしれない。
人を信じるということが、感覚的に、わからない。
相手がどう感じるか、どう受け取るかを、過剰に気にしてしまう。

人生が、怖い。
生きる目的が、わからない。
生きる意味も、正直わからない。

“私なんて、幸せになる価値があるように、思えない”
人に、助けの手を借りてまで、生きている価値があるのか、よくわからない。


生き抜くために頼ったのは、「がまん」と「がんばり」


あなたは、もしかしたら、こんな感覚で、日々を送られているかもしれません。

それでも、がんばって、人生を生きてきた。
節目節目に頼ったのは、「がまん」と「がんばり」です。

これが、「生きる時間をとりあげられた」人の、独特の感覚です。


……わかる?

わかりすぎて、恐ろしくなってきましたか?
でも、安心してください。


この感覚からは、自由になれる

この、とても辛い感覚からは、自由になれます。

大丈夫。
解決可能ですから、この記事を書いて、あなたと共有しています。


正直、これは、とてもしんどい。

たとえるなら、しじゅう、見張られているような感覚です。
なれるものなら、この感覚から、自由になりたいですよね。



この感覚からは、自由になることができる。
だからこそ、先を見てみよう。

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