04 | 「人生をとりあげられた子」の該当する、具体的な症状



「人生をとりあげられた子」の具体的な症状を、見てみる

もう少し具体的に、見てみましょうか。
具体的に見てみることは、とても重要です。

なぜなら、当事者であった私も、
「このことの、何がおかしいの?」
「現実がなんとか回っていたら、何か問題でもあるの?」
と感じていました。

その前に、そもそも、解決できるなんて、思ってもいませんでした。

だって、これらはまさに、
「物心ついた時から、私が、生きている感覚」
だったからです。

私は、「生き方の問題」だと思い込んでいました。



「人生をとりあげられた子」の、具体的な症状リスト

ですので、具体的であるということは、とても重要です。

リストにしてみて、当てはまるなら、気づける。
というわけで、「人生をとりあげられた子」が、あてはまる症状のリストです。


「人生をとりあげられた子」の、具体的な症状 |

[1]
物理的あるいは精神的な意味で、家族やパートナーとべったりだと、苦しくなる。

[2]
人との適切な距離感が、感覚として理解できる。だから、距離感が混乱している時に、苦しくなる。
人と近づきすぎると、苦しくなる。

[3]
他人の力を借りずに、弱音を吐かず、一人でやり遂げる。
実際は、誰よりも優秀に成し遂げる。
でも、苦しい。

他人のぶんまで抱え込んでしまい、言い出せなくなって、苦しくなる。
見越して、先読みして完璧に達成して、もっと頼まれて、抱え込んでしまう。発達し過ぎた責任感をパンパンに抱え込んでいることが、苦しみの原因のひとつ。

[4]
人に頼らなくとも、自立して生きてゆける。
ところが、つい習慣的に、人の顔色をうかがってしまうことを、やめられない。

[5]
年齢に応じたライフステージということが、どこか理解できている。
それゆえ、焦りがすごい。

外側は立派に、年齢に応じたライフステージに至っている。
たとえば、学校に在学中とか、就職活動中とか、会社で部下がいるとか、結婚して子がいるなど。

しかしながら、いつどんなライフステージの時でも、自分が今いる年齢相応の、外側の基準に達しているにもかかわらず、自分が「成熟していない」という自覚がある。
それゆえ、焦る。


よく似ているけれど、「人生をとりあげられた子」とは異なる症状もある

ちなみに、これとよく似ているけれど、少し違う症状があります。
もし、このような感覚なら、本ページ末のリンクへどうぞ。


苦しむ気持ちは、同じ。
そして、解決するために、いろいろな方法があります。適切な方法に巡り会うことが、いちばん重要です。

以下が、似ているけれど、いわゆる「人生をとりあげられた子」ではない症状です。

似ているけれど、「人生をとりあげられた子」とは異なる症状[1] |

[1]
物理的あるいは精神的な意味で、家族や友達、恋人とべったりで、離れられない。

[2]
人との適切な距離感が、理解できない。
人と離れると、心細くなる。

[3]
他人の力を借りないと、何かが全うできない。
それが、苦しい。
学生時代も、その時々で誰かに手伝ってもらいながら、課題をクリアしてきた。
社会に出てからも、誰かに手伝ってもらったり、指示してもらわないと、仕事や日常生活が進められない。

逆に、誰かに指示してもらったり、マニュアルのある仕事は、上手にできる傾向がある。
(たとえば、40代まで「マニュアルありき」「指示ありき」の仕事を担当しているため、気づけないなど)

[4]
人に頼らないと、現実が立ちゆかない。
どこかに行けない。手続きができない。お金の管理ができない。
旅行に行ったり、出かけたりが怖い。

[5]
年齢に応じたライフステージということが、実感として、今一歩理解できない。
あるいは、年齢に応じたライフステージに、至れていない。
(* あなたがまだ、学生である場合は、イメージしづらいかもしれません。その場合は、ひとつ後の表も、参考にしてください)

相応の年齢に至っているにもかかわらず、老後を含む、将来のことを「具体的に」考えていない(不安は覚えるが、行動レベルに移っていない)。
あるいは、どうやって生き抜いてゆくかの戦略を、うまくイメージできない。
焦りはあるが、実際の行動を変えさせるほどの焦りではない。

本当のところの実感としては、ものごとの大きさが、理解できていない(=それゆえ、行動がともなっていないという事実がある)。

さらに、見てみましょう。

こんなことは、ないでしょうか……。
もしそうなら、それは「人生をとりあげられた子」ではないです。



これらは、「人生をとりあげられた子」の症状ではない

似ているけれど、「人生をとりあげられた子」とは異なる症状[2] |

・「やろう」と思っていても、実際に「できない」。

・「自分なりに『できるだろう!』と想定できる」レベルと、実際に「できる」レベルとのあいだに、大きな差があるようだ。

・自分の中の考えや意見と、「現実」の間の想定が、かけ離れていることが多い。

・学校生活の中、その後社会生活の中で、人に実際に手助けを受けたり、助けてもらうことを中心にして、その時々の課題をクリアしてきた。

・自分自身の力で、適切に決められない。
つい、依存してしまう。
いつまでたっても、自分で決めたことがなぜか、想定とかけ離れてしまう。

・時間管理、金銭管理、身の回りの管理、家事などが苦手。
がんばろうとチャレンジしても、現実として、うまくできないことが多い。
学生の場合は、提出物などを、忘れがちになってしまう。

・年齢を重ねても、年齢相応の「外側」(仕事や収入など)が、ともないにくい。
学生の場合は、授業やテストなどに、ついてゆけないことがある。
あるいは、特定の科目のみ、極端についてゆけない科目がある。

・いろいろなことに対して、
「それが、自分宛に言われていることだ」
「自分も当事者なのだ」
という意識が、薄いか無い(当事者として、いろいろ自覚できない)。

別の言葉でいえば、
「空気読んで」
「空気、読めないよね」
と、他者から言われることが多い。
あるいは、
「不思議ちゃんだよね」
「あの人は、不思議ちゃんだから」
と言われることが、なぜか多い。

・適切に「察する」「空気を読む」ことが苦手で、トラブルに巻き込まれることが多い。
空気を読んでいるつもりでも、実際は空気……「非言語コミュニケーション」が読み切れていない。
それゆえ、いつも「気づくと、トラブルの中にいる」という状態。

・後から考えるとわかるのだが、なぜか同じ間違いを、何度も繰り返す傾向がある。
しかも、その間違いに突入する最初に、「あ、同じ間違いに突入しようとしている」と、気づけない。


「人生をとりあげられた子」でない場合は、以下のリンクへどうぞ

上に当てはまる場合は、いわゆる「人生をとりあげられた子」の症状ではありませんので、以下のリンクへどうぞ。
別ページで、解説がひらきます。

ケアーにつながる[1]|「あなたの幸せは、あなたにしか守れない」 これが、いちばん大切な土台


苦しむ気持ちは、同じ。
解決するために、いろいろな方法があります。そして、適切な方法に巡り会うことが、いちばん重要です。



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