07 | 自然になおらない。時間とともに悪くなる



時間がたつごと、人生ステージが上がるごとに、「悪くなる」

なぜ、「人生を、とりもどす」必要があるのか。

もう、お分かりですね。
とても、シンプルな理由です。

自然と、よくなることはない。
それどころか、時間がたつにつれて、時間の複利配当の力で、加速度的に状況が悪くなるから。



あなたが悪くて、起こっていることでは、ないかもしれない

体験者である私は、「あなたが悪くて、起こっていることではない」と知っているので、こう言えます。

問題は、これです。

「あなたの人生なのに、あなた自身が、いない」
「不在である」



あなたの力は、あなたの人生に、注がれなければならない

あなたの力。
その貴重なものが、あなた以外の人たちのめんどうを見たり、不始末を尻拭ったり、世話を焼いたりすることに、行ってしまっている。

あなたの力は、あなたの人生を、作るためのものなのに……。

かんじんの、あなたの人生に、時間やエネルギーが注がれていない。
そのため、あなたの人生の時間・成長といったものが、どこかで、止まったまま。


人生の時間……特に、あなたの「内側の時間」が、どこかの時点でストップしている。
だからこそ、人生の要所要所……重大な決断をしないといけない局面で、「とってつけた」ような決め方になってしまっている。

ひとつ前の「とってつけた」決断が、次の決断への悪循環になっている。
その、負のループが、延々続いている……。



時とともに、負荷も乖離(かいり)も、大きくなってゆくので要注意

この状態を、このまま、続けてゆくことはできない。

なぜなら、自然とよくなることが「ない」のは、目に見えている。

それどころか、時間が進むにつれて、ライフステージから求められる成長に、ついてゆけなくなる。
しかも、年齢が上がれば上がるほど、ついてゆけなくなる幅が、大きくなってゆく。



自分の人生のめんどうを、心をこめて、自分で見てゆく

私たちが真剣になっている理由は、これです。

「悪くなるのです」

あれほど頼みにしてきた「がんばり」が、効かなくなってくる。
「がんばり」という非常電源だけでは、時の複利の作用で、どんどん乖離してひらいてゆく差は、どうにもならない。



この、とてつもなくシリアスな事態。
それを、隠して、ごまかしてしまうのではなく、一度きちんと向き合う。

なぜなら、肩代わりをしてくれる人は、誰もいないから。
最終的にはけっきょく、あなたが引き受け、生きなければならない、人生になるから。


ONSA WORRKSHOP に集う「お仲間さん」全員が、真剣に取り組んでいるのは、そのため。
自分の人生のめんどうを、自分で真摯に、見てゆくためです。


付け焼き刃が、きかない

そう。
これほどまでに、根本的で、重要なことです。

いろいろな自己啓発本で、気持ちをむりやり「上げて」、しばらくの間演技しても、どうにもならない桁のこと。
あなたも私も、それこそ、何百回と、同じようなことをしてきたはず。

「とりあえず、がんばろう」
それでも、けっきょくは1周して、なぜか同じところに、たどりつく。

その地点が、まさにここです。



無自覚の、「悪い生活習慣病」のような状態になっている

一発逆転も、できません。
一発逆転だと「信じ込んでいたこと」が、最悪のトラップになったなどということは、よく聞く話です。


あなたの、そして私の、物心ついてからはじまっている、長い長い、がまんの歴史。
そして、意味不明の、違和感の歴史。

それを、一発で吹き飛ばしてくれる逆転なんて、存在しない。


私たちの巻き込まれいてるものは、「無自覚の、悪い生活習慣病」みたいなもの。
そのまま放置しておくなら、心の芯のほうから、ゆるやかに死んでゆくような、なかなか重篤な病です。


でも、いわゆる、世間で言うところの「心の病」とは、少し違う。
もっと奥の、心の芯の方の、源流の水源の方で起こっている、価値観のねじれ。

「自分が、嫌い」
「自分は、どこか悪い存在」
こんな価値観が、生きる上での基調低音になっているような、価値観のねじれです。



これは、普通の状態では、ない

「自分が、嫌い」
「自分は、どこか悪い存在」
この状態で、生き続けている。

重ねて、あなたは今これが、「普通だ」という感覚を持っているかもしれません。
あるいは、これが「事実だ」とすら、思い込んでいるかもしれません。

かつての私が、そうだったように。


でも、これが事実なわけはなく、普通でもない。

これは、とんでもない「ねじれ」であり、「誤解」です。



価値観が全く違う世界に、無自覚に生きている

世間でよく、「自分が嫌い」などと、聞きます。
本や歌、小説に、ありきたりなほど出てくるフレーズでしょう。

でも、本当にその言葉や現象を、頭ごなしに、真正直に信じてもいいのだろうか。


もし本当に、「自分が嫌い」なら……。
なぜ世間の人は、あんなに楽しそうに、生きているの?


どうしてあんなに、自分に甘いの?
どうして、助けを求められるの?


自分を嫌ってしまうと、人生がどんどん悪くなる

いわゆる、普通の人の、「自分が嫌い」。
こう言っては失礼ですが、思春期特有の、ポエムのような感覚。

それと、「人生をとりあげられた子」の、心の水源から汚染されたレベルの、「自分が嫌い」。
これは、質においても現象においても、まったく次元の異なることです。



自分を嫌っては、生きられない。
なぜなら、こんな目線で自分を見ていたら、時とともに、人生がどんどん悪くなるから。

「嫌いで、悪い自分だから」
「これぐらい、しかたがない」
「がまんするしかない」

こうして、人生が、どんどん悪くなってゆく。



「がまん」の桁が、まったく違ってしまっている

いわゆる普通の人は、たとえ「自分が嫌い」でも、自分の人生を、悪くしません。

たとえば、誤って、暴力的な人と結婚してしまった場合。

「これは、いけない」
「自分にもいけないし、周りの人を悲しませる」

こうやって、自分の人生を立て直してゆきます。
具体的には、きっぱりと別れて、新しく人生をやり直してゆきます。

人生に、失敗や判断ミス・経験不足は、つきもの。
でも、学んで、やり直してゆく。

いわば、このレベルの健康さで、少々ポエム的な「自分が嫌い」です。

(やってしまった! 若気の至りだった。考えが、甘かった……)


でも、あなたの場合は、……我慢してしまいますね?

「私が見捨てたら、この人は、どうなるのだろう」
「断れない」

そうやって、全体を見渡して考え、感情や心を殺して気配を消し、耐えて犠牲になることで、ものごとを収拾しようとするかもしれません。
しかも、その「がまん」のやり方やスタンスに、大きな疑問を感じないかもしれません。

この、桁の差です。

実感として、理解できるでしょうか。


あなたが悪くて、起こっていることでは、ない

そして、もっと大切なことがあります。

あなたは、嫌われるようなことは何ひとつしていないし、嫌われるべき人間でもない。
ひと一倍がんばりやで、愛すべき人です。

そして、何より重要なこと。

あなたの、「人生をとりもどす」の、プロセスの途中で……。
その事実に、自分で気づく日が、必ずきます。



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