08 | 助けを求める。相当荷が、重くなっているから



あなたが「まずい」と感じた時は、「相当まずい」

どれだけ根深いことなのか、少しは、共有できてきたでしょうか。

同じ状況の経験者・当事者・回復者(サバイバー)としての私に、言えることが、いくつかあります。


まず、あなたが
「これは、まずいかも」
と感じた時。

それは、世間レベルでいえば、「相当まずい」と言えます。



「がまん」できる桁が、違いすぎる

別の言葉で言えば、あなたの背負っている荷物の重さが、相当な重量に達していると言ってもいい。
あなたも私も、「人生をとりあげられた子」は、がまんが、でき過ぎる。

がまんできる耐性が、あり過ぎます。
重い荷物を、背負え過ぎるのです。


ある援助者が、言っていました。

「いわゆる、世間の人は、3キロぐらいの荷物で、『重い』と言う」
「でも、いわゆる『人生をとりあげられた子』は、70キロぐらいで、やっと弱音を吐く」


心身の「助けて」のサインに、素直にしたがう

あなたが「折れる」まで、待ってはいけません。

人間には、身体と心があります。
どちらも、意味があって、動いています。

ですから、心が「しんどい」と言ったら、助けを求めていい。

「こんなことぐらいで……」
「弱音を吐くなんて」
「『がまんが足りない』と言われたら、どうしよう」
「だらしのない、甘えた人間になってしまうのではないだろうか」
「まだ、もう少しなら、がんばれる」
そんなことを、ぐるぐる考えなくていい。


もっと言えばあなたの身体は、もうずっと以前から、助けを求めて、悲鳴をあげているはずです。


助け合うことは、実は、普通のこと

助けを求めること、助けられること。
それは、弱い・負け犬・人生の敗者……ということでは、ありません。

私たちの環境が、たまたま、そうではなかっただけ。

人はとっくに、お互いに助け合って、暮らしています。
それが普通で、むしろ、私たちがなじんでいる環境のほうが、異常なのです。



外からの客観的な指摘も、とても役に立つ

ここに書かれているような、外からの指摘もまた、とても役に立ちます。
異常な環境にいて、でも、それを「当たりまえ」と信じ込んでいるとしたら、自分で気づけるわけがないでしょう。


当事者としての私の場合も、外から、教えてもらいました。

私があなたに、今こうやって、いろいろ書いているように、外側から、
「それは、普通のことでは、ないかもしれないよ」
「あなたのせいではない。でも、普通でもないよ」
こんなふうに、指摘してもらったのです。


具体的に指摘してもらわなかったら、自分で気づくことは、できなかったと思います。

なぜなら、おそらくあなたもそうであるように、私の「自分を見る目」は歪みきっていて、
「自分が悪い」
「だから、自業自得」
「もっと、がんばれるはず」
けっきょく、ここにたどりついてしまうのです。



信頼できると「感じられる」助言は、実は、信頼できる

「あなたが悪いのでは、ないかもしれないよ」

こんなふうに、外側から指摘してもらうことで、私ははじめて、
「自分が悪い」
この、歪んでぐるぐるした輪から、出ることができました。

助言してくれた人(大学の、心理学の教授でした)の人柄が、信じられそうだったからです。
彼は、本当のことを言っているように、思えました。


適切な場に、助けを求める。すると、道がひらける

そして私は、あなたが今こうやって読んでくださっているような、
「科学的な」
援助の場に、自分を連れてゆきました。

つまり、自分から、助けを求めたのです。


私に起こっていることを、もう経験していて、克服した人たち。
その人たちのところへ、自分を運んだのです。

それが、大きな転機となりました。

そして、回り回って同じ思いで、私は今、ONSA WORKSHOP を開催しています。



体験した人にしか分からない、重力がねじ曲がったような、歪みと違和感。
分かる人にしか、分からない、透明で見えない世界観。

歪みを見破るのが、本当に大変な世界観です。


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