08 | 割合にして、約10%。社会的にしっかりしているからこそ、気づかれづらい



「だって、やってゆけているから、大丈夫」
「人生をとりあげられた」人現象は、社会的にも、理解されづらい

あなたや、私のような人たち。

自分に何が起こっているかに無自覚で、「自分が悪いから、こうなっている」と信じ込み、ひたすらがんばって、自分を殺しながら生きている。
社会的には、問題なく「優秀」と言われる場所に属していて、表面上は、問題がないように思える。


(あなたは、そうは、感じていらっしゃらないかもしれません。でも、「社会」を大きな版図で見た時、あなたも私も、じゅうぶん「優秀」と言われる場所にいます)

それゆえ、「生きづらい」と感じて、たとえば心療内科に出かけても、
「学校に行けているので、大丈夫でしょう」
「働けているから、問題はない」
と、分かってもらえない。

それどころか、自分自身ですら、何が問題なのか、わからない……。

がまんできて、がんばれてしまう。
それゆえ、「社会的に問題なし」と、扱われてしまうかもしれない。


全人口の、約10%程度。社会の「がんばりやさん」の比率と、似ている

正確な統計は、ありません。
なにせ、無自覚な人が多い症状です。

ですが、さまざまなデータから総合して類推すると、あなたや私と、同じ状況に苦しんでいる人たちは、「人口の10%程度」と類推されています。

決して、少ない数ではありません。
でも、その大半が、自分が巻き込まれていることに、無自覚だと思われます。


統計的には、おそらく10%前後。しかし、その大半が、自分に起こっていることに無自覚。


自覚がない。だから、専門サポートにつながる意識がない

「自分の幼少期は、たしかに、ちょっと大変だった」
「少し、特殊な環境だったかもしれない」
「でも、がんばって、乗り切ってきた」
これぐらいの意識かもしれません。

つまり、自分が「大変である」という、自覚がない。

周りから、
「大変だね」
「がんばりやだね」
「まじめだね」
「責任感が強いね」
と言われても、
「……そう?」
という程度のボリュームでしか、受け止めていません。
自分が、そんなに「がんばって」いるという自覚が、ないからです。

「がんばっている」という自覚が、自分にない。
なぜなら、これぐらいの「がんばり」は、自分にとっては、いつだって「普通」だったから。

そして今も、がんばっています。
そうやって、日々をなんとか、乗り切っています。

なんとか乗り切れているゆえ、心理学系の棚にも行かなければ、心療内科にも、基本的に縁がありません。

「乗り切れている。だから、どうせ、それほどのことでもない」
「世の中には、もっと大変で、苦しんでいる人がいる」
といったように、苦しさの重みの、具体的な自覚がないからです。



精神医学的にも、認知されづらい、つかみづらい症状

あるいは、たまたま、何かのきっかけで医療機関に出かけても、薬を渡されて終わりかもしれません。
「少し休んで、眠ってください」
「休めばまた、働けますよ」
と、いったような感じです。

その結果、医者にそう言われたゆえ、
「自分の大変さは、しょせん、その程度なのだ」
と、信じ込んでしまうかもしれない。

軽い鬱症状や、不安障害。
そのような診断を受けた人は、ONSA WORKSHOP に、山ほどやってきます。




「自己啓発本」の棚の周りには、「人生をとりあげられた」人が、山ほどいる

それとは対極に、とてつもなく縁があるのが、このパターンです。

「自分には、何かが足りない」
「何かが不十分で、『よくない』」
「『よくない』のは、まだまだ、努力が足りないから」
「足りないものを補えば、人生も、よくなるに違いない」
こんなふうに、セミナーや、自己啓発系の本棚から流入してくる、無自覚な「人生をとりあげられた」人。その人数が多大であることを、体験者である私は、よく知っています。

他に、心当たりもない。
それゆえ、「自己啓発書」系の書棚周りには、解決を求める「人生をとりあげられた」人が、うろうろしている。

私がここで、網を張っている理由が、これです。

(賢い作戦でしたか?)


「人生をとりあげられた」人は、ほぼ常に、自分を卑下しています。
自分の存在価値に、疑いを持っています。
生きることに、罪悪感を抱いています。
自分の存在を、「よい」と思っていません。


それゆえ、なんとか解決しようと、「自己啓発本」の本棚の周りを、うろうろしています。
そして、決して少なくない方々が、ONSA WORKSHOP に、このルートで流入してきます。


現象に気づいたなら、あなたが、あなたの謎をといてゆける

もしかしてあなたは、自分にとって「正解」の場所のひとつに、たどり着いたかもしれません。
私たちに起こっていることの、謎をといてゆける場所です。


「正解」の場所のひとつに、たどり着いたかもしれません。
この現象には、原因と理由があって、謎もまた、解いてゆけます。

あなたが、あなたに起こったことの、謎を解く。
あなたは、自分で解けます。……私自身が、そうできたのと、同じように。

その能力が、あなたの中に、きちんと備わっている。
そして、その手順はまさに、こういうことになります。

1 自分にいったい、何が起こったのか、気づいてゆく
2 自分の人生を、とりもどしてゆく
3 自分の人生を、主体的に作ってゆく

「1」をスタートすることで、自然と、「2」も「3」も、はじまってゆきます。



説明しようのない違和感であり、世界観の違いを生きている

どう説明しても理解してもらえない、この違和感。
自分自身でも理解できず、また、どうやっても辻褄が合わない違和感。
ギャップのようなもの。
あるいは、「ずれ」。

あるいは、この恐怖。
あるいは、怒り。
「なにかがおかしい」という気持ち。

それなのに、いわゆる世間の大半の人が、同じことを、気にかけてもいそうにないこと。

どうにも、表現しようのない、とらえどころのない違和感。
その感覚や正体を、ONSA WORKSHOP に集っている「人生をとりあげられた」人は、みな知っています。


言葉にしづらい、とらえづらい、不思議な「生きづらさ」。
この違和感は、幻想ではなく、たしかに実在する。そして、原因も理由もある。

外側の体験の形こそ、多少違っても、全員、同じような違和感を体験しています。



生きる力が秀でているゆえ、「がんばって」生きてこられてしまった

ONSA WORKSHOP の回復の場に集っている方々は、あなたと同じ。
社会的に「ふつう」どころか、優秀な人たちが、とても多いです。

肩書きとしての学歴は、関係がない。
外向きの学歴が、高い方々もいますし、そうでない場合もあります。

でも、生きる力が総じて高くて、責任感が強い。
場を読む力に秀でていて、社会的には、頼れる人たちが集っています。


あなたは今、自分をそんなふうに、自覚していらっしゃらないかもしれません。
でも、周りから見れば、とてもしっかりして見えて、思い悩んでいるようには、見られないかもしれません。

ごねたり、駄々をこねたりするどころか、どんな非常時でも、周りに迷惑をかけないよう、がまんができる。
自分を二の次にして、状況を読み、耐える力もある。

それゆえ、心療内科の医師には、肯定的な意味で、おそらく相手にしてもらえない。



目的は、「とりあげられた人生を、時間内に、とりかえす」こと

「人生を、とりあげられた」人たち。

体験者としての私も含め、誰もが、
「助けを必要とするのは、『弱い人』」
という先入観やイメージを、みごとに覆すような人ばかりです。

おそらく、いちばん助けが必要なさそうなぐらい、しっかりしている人たちばかり。
でも、確かに何かを「とりあげられました」。

外面的には、しっかりしている。
でも、確かに何かを「とりあげられました」。

とりあげられたものの正体は、正直、まだよくわかりません。
ですが、胸の中にある、言いようのない空虚感や違和感だけが、何かが確かに「とりあげられた」ことを語っています。

こんな複雑で曖昧な状況ゆえ、「とりあげられた人生を、時間内に、とりかえすために」、適切で賢い助けが、誰よりも必要です。
あなたが、助けを求めない人だからこそ、実は誰よりも、助けを必要としているかもしれません。


助けを必要とする、具体的な理由がないからこそ……。
曖昧で、とらえどころがない違和感だからこそ、助けが有効かもしれません。