2017.01-04月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(前期日程)」あうりがクラス

画像
タイトルはじまり目印

R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) あうりがクラス



タイトル下の線


分厚い3ヶ月でした。
なにが分厚いって、これまでに書いたものをまとめた枚数が…(すごいことに)。
ともかく「取り組んだ」ということについて、今までにない充実感を感じています。


文節区切りの線

このワークショップで気がついたこと、考えたこと、感じたこと。気がついた順に書いてみます。

その1
自分が、ものすごく根深く「他人目線」「他人重心」で、「人に評価されよ」という至上命令に、首まで浸かっていたことに気がついた。

電車や道ですれ違うだけの人に対してですら、無意識に気を遣っていた。人から評価されることがもっとも優先順位の高いこと、というルールで生きていた。それを優先するプログラムが、いつも自動的に起動していた。
課題を読んで、たかだか2ヶ月ほど前の私の感じ方に、今は驚きます。

なぜそうなのかも、からまった毛糸をほどくように、だんだんとわかってきました。
小さい頃の育った環境。父、母、祖母、先祖代々の考え方、教え。色のついた水を長年飲んでいたら、からだ全部がその色に染まるみたいな。ああそうだったんだー、と納得度合いが深まりました。
そのことに怒りを感じて吐きだして、一方で、大人たちがそう考えたり教えたりした理由も、わかる気がしたり。

とにかく、いままで私が、自分よりも他人を重視し、他人の評価で自分の価値を左右していた、ってことが、すっきりすっぱりわかりました。
「他人目線重視(自分よりも)」、「他人の評価を通じてしか自分を評価できない」、まさにこれでした。


文節区切りの線

その2
もしかして、ひょっとしてだけど、私も、「このままで十分、このままで良い」のではないかな? と、思えるようになっていること。可能性を信じられるようになったというべきか。
今回の、一番の成果でしょうか。
しかも華々しい(ハイテンションな)感じではなく、地味で静かでおだやかな感覚です。

私にとって、「私は良い」というときの「良い」は、どうやら「誰かとくらべて優れている」「人より良い」という意味だったようですが、「このままで良い」の「良い」は違いました。
優れていなくても「良い」、何かが劣っていても、欠けていても、下手でも、あと良くない感情を持っていても、「良い」。イライラしても、人が妬ましくても、怒っても、自分はダメだ良くないと思ってても、「良い」。今までこんな風に感じられたことはありませんでした。

こんな(良くない)外見で、こんな(良くない)体調で、こんな(良くない)心持ちで、って何度も思いました。こんなに自分をダメダメと思ってて、起きてる間中ずーっと自分を(無意識に)何かしら責めてて、こんなに骨の髄まで染みこんでる習慣が、ほんとに変わるのかなあ、ひょっとして無理なんじゃないかなあ、と弱音も吐きました。
それでも OK でした。

今まで、人は乾いた地面に立っているけど、私の割り当ての地面はぬかるんでてジメジメしてて、やっぱ根本的にダメなんじゃないかなあ、元々が悪いんじゃないかなあって感じていました。
で、ダメなところを隠そうとして、学歴とか職場とか結婚とかで自分に何かを盛ろうとしたり。

毎週課題に向き合い、自分と対話して、私にも土台があるのかも、ちょっとは乾いた地面があるのかも、と今は思います。人より優れてはいないけど、別に優れる必要もなかったな、と。
今はまだ、こう感じている自分におっかなびっくりで、このままずっと続くものか、まだ半信半疑なのが正直なところです。が、いい感じです。
「いま生きてる」というだけで、その人の存在価値とか存在意義とかの、100分の97ぐらいは満たされているのかもしれません。
私が人と比べて一喜一憂している範囲は、残り3くらいなのかも。


文節区切りの線

その3
一度良い感じを掴んで、「もうこれで大丈夫、もうこれで健康的にやっていける、もうこれからは右肩上がりに良くなって、悪い方に戻ることはない」という風には、「ならない」ということが身にしみてわかった。

心も身体もですが、回復は、そういう風には進んでいかないということを実感しました。
ちょうど今、春で、三寒四温といいますが、からだも同じように、楽になって、と思ったらまた戻って、落ち込んだらまた少し持ち直して、をくりかえして、だんだん振り幅が小さくなって(温の方に)安定していくのかな、と。
そういえばこのコースを始めた時は真冬でしたが、気がつけば今は春でした。今日は「真冬のような寒さ」ですが、さすがにもはや冬ではありません。

魔法のように、何かや誰かに出会って、そこからはどんどん回復、めでたしめでたしっていうのは幻想でした。
そうならないことにショックを受けて落ち込む必要はそもそもありませんでした。
こんなに取り組んでるのに全然よくならないってパニックになることが多い私ですが、大丈夫、取り組んでいれば実は前には進んでいるのでした。


文節区切りの線

その4
単なる感想ですが、今回は、課題に取り組んで、ものを書くのが楽しかったです。
なにせ「他人目線重視」の私で、これまでは、わかりやすく、とか、美しく、とか、正しく、とか考えて文章を書くことが多かったのですが、今回は自分の生理にぴったりくる文章、自分のリズムに合う文章を書いて、あまり見直さずに投稿しました。自分の、人生最大の大失敗と思っている出来事についても、思い切って書くことができました(今でも読み返すと汗が出ますが)。

自分とほんとに向きあって、気持ちを感じて、考えて、書くという作業が、ときに面倒であっても、楽しく充実していました。
おかげで、「取り組んだ」「ともかくやった」という達成感があります。


文節区切りの線

その5
「自分がなにか悪いと思っていて、人に嫌われることをおそれて、びくびくして小さくなって生きること」。
これが、今までの私のやりかた。そして親や家から教えられたルールでした。
このルールで私たちはなんとかうまくやってきたから、あなたもそうやりなさいと言われてきた(と、私は受け取ってきた)のでした。

この暗黙のルールを、今回はっきり陽の下に出して、今の私がちゃんと検討して、で、「もういい」と私は思ったのでした。
もうこのルールでやっていくのはやめる、と決意しました。
自分の悪いところに注目して、責めて責めて改めさせるやり方。もうこれは使えない方法、これでやってもうまくいかない方法だ、と今までの経験でもうすっかりわかったからです。

このやり方は、やめる、捨てる、手放す、決意をしました。
すぐにまったくゼロにはできないでしょうが、「あ、また古いやり方でやってる」と気がついたら、やめることにしています。


文節区切りの線

その6
最後にお礼を。力強く伴走してくださった優月さん、ONSA の皆さん、一緒に取り組んだクラスメートさん。ほんとにありがとうございました。
熱意と、前に進もうとするエネルギーを感じました。

人ってほんとに変われるんだな、と今は感じています。
別人にようになるんじゃなく、これまでの私の延長上に、少し軽くなった、今までよりゆるんでいい感じの私が乗っている気がします。
まだまだこれからも続けていきますので、またよろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

M. Y. さん(30代/長野県よりご参加) あうりがクラス



タイトル下の線


今回、何度目かのワークで、初めて ONSA の有り難みを実感しました。

決して気軽に参加出来るお値段ではなく、対価として手に入れられるものは目に見える物ではなく。
しがみつく先がここで良いのか確信が持てないながらも、どうにかして何かにしがみつき現状を抜けなければならないと感じる日々でした。

しかし、今回のワークで、私にとっての ONSA の価値が見えて来ました。

お会いした事もないクラスの仲間。でも確かにそこには「相性」というものがあり、コミュニケーションの5%しかないという Web 上の書き込みでも、仲間の構成によって自分の奥底に到達できる事もあれば、むしろ閉じてしまう事もあるのだという事を、今回は本当に実感しました。

人目を気にし過ぎる人生を歩んで来た事もあり「自分に合う人」とか「私が心地よく居られる人」とか、全く見えないまま今まで生きて来たという事を思い知らされる3ヶ月でした。

そんな事も見えてないのに結婚して子供を産んだんです。そりゃー無理でしょう!!! と、今なら本当に思います。


ここまで、ワークを積み重ね、手帳をつけ、『未来日記』を書き、自分と向き合い続けて来たからこその気付きだったと思います。
知らない間に、私、こんなところまで来られたんだ。と驚いています。
しかし、確かに私が歩んで来たからこそ到達出来たんです。これからもこの道を歩み続けたいです。

また、同じクラスの仲間に心から感謝致します。
仲間がいなければ、今回のワークでこんなにも自分を知る事は無かったと思います。
ありがとうございました。