2016.06月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」おきなクラス

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R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) おきなクラス



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今回も、たくさんのことを思い出したワークショップでした。

ONSA WORKSHOP(対面式)に参加すると、「自分を大事にする」ということが、すごくやさしく体感できる気がします。

ワークでペアになってくださった方や、ご参加の皆さん全員の、真摯な態度、心からの言葉や涙を前にして、ぐわっと心が動きました。
そして、「できることならやさしく肩をなでてあげたい。これまでの忍耐と健闘をうんとほめてあげて、ゆっくり休ませてあげて、好きなことをやって元気になってもらいたい」と強く思うのです。
そしてそれは、「そうだ、自分にもしてあげていいことなんだ」と自然に思えるからです。


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今回のワークショップを受けて、いろんなことを思い出しました。

赤ちゃんのわたしは、愛されて慈しまれて大事に育てられていたこと。
祖父母と両親のそろった家で、あたたかく安心していたこと。
子どもが生来持っている資質を、私もまたたしかに持っていたこと。

「好奇心」
「楽天的な性質」
「健全な依存性」
「愛」

「これらはかつて私たち全員が持っていて、今も持っていて、(発揮できていないのなら)回復することができる」という優月さんの説明を聞いたとき、ああ本当にそうだ、と思いました。

しかし、「歩行期」、「分離期」に入ると、小さいわたしを取り巻く環境は大きく変わり、父とは仕事の都合で別居。住む家も家族も変わり、不自由で、不安が大きく、オープンではない家庭環境で暮らすことになりました。
そのためか、小さいわたしは(母からの)健全な分離を経験していないようです。

2歳頃の「イヤイヤ期」は、「親を『イヤ』と押し返すことで『わたしはわたし』であることを経験する時期」と今回教わりましたが、私はこれをやっていないような気がします。
「こんな大変な状況でひとりがんばっているお母さんを、わたしまでが拒否してしまったらかわいそう」と感じていたような…そんなことを思い出しました。


ペアワークでは、「胸にあるものをそのまま口から出す」ことをやってみました。
心と言葉がなかなか直結しなくて、もどかしい思いも感じました。胸で感じる気持ちはたしかにあるのに、ぴったりくる言葉がない。なんて言っていいのかわからない。

優月さんに「喉に力を入れなくていいならなんて言いたい?」と聞かれてさらに真っ白になってしまったりもしました。自分ではがんばって心を言葉にしているつもりでも、まだまだ体に力が入っていたようです。

最後の3分間にでてきた言葉は

「やだー」

でした。
「あれもやだ、これもやだ、なにもかもやだ」って。

ああこれだ。
ちいさい頃のわたしの言いたかったことは、これだったんだ、と体でわかりました。言いたかったけど、言っちゃダメだと思って、ないことにしていた言葉。

小さいわたしには、やっと聞いてもらえた安心感と開放感。
大人の私には、やっと本心を言ってくれた(聞かせてくれた)という嬉しさ。
不思議ですが、両方が感じられました。


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ペアになってくださったお二人、一心に受け止めてくださってありがとうございました。
自分の気持ちに正直になろうとする一生懸命な姿や、自分も傷を経験しているからこその笑顔の優しさなど…
参加者の皆さんから学ぶことがたくさんありました。

えらそうですが、人って(人生って)いいなあと心底感じました。
忘れずにこれからも勉強、ワーク続けていきます。




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R. K. さん(30代/静岡県よりご参加) おきなクラス



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ワークショップをご一緒した皆さん、そして優月さん、ワークショップ・クラス当日は生きた時間をどうもありがとうございました。

私は、「インナーチャイルド・ワークショップ」は昨年「後期日程」をはじめて受講、今回は「前期日程」を受講しました。

二人一組のワークでは、前回同様、やっぱりいまいち感情がぽんっとでてこないなあ…と感じました。
何がいったい感情を出すことを阻んでいるのか。
おそらくそれは、「良い子でいようとする意識」「私の家族は良い家族、3世代揃った恵まれた家庭なのだと思おうとする意識」「私は家族が好きなのだと思おうとする意識」、その全てなのだと思います。


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ワークの後半、ペアになった方と優月さんのおかげで「おかあさん、キライ!」という言葉が飛び出してきたのは、そんな私にとって今回のワークショップで得た最大の収穫でした。
普段頭で考えて行動しがちな私にとって、自然と、心から出た言葉だったと思います。
その時のことを思い出すと、なんだかとても不思議な気持ちになります。

ああ、そうなんだ、幼い私は確かに母、父、祖父、祖母を「キライだ」と思った瞬間があったんだ、そしてそう思った自分をいつのまにか押し込めて、無かったことにしていたんだな…。

もっと、感じるままに感じていいのかもしれない。
こんなこと思ったら、まして口に出したらばちがあたるんじゃないかとか、それこそまさに優月さんが仰る「魔術的な思い込み」なのだと理解できました。


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今回優月さんからは「これから(回復するのに)ちょっと時間がかかるかもしれないね」とコメントをいただきましたが、私も実際、そうなのだと思います。
でも、今は、これからの道のりを考えて途方にくれるより、ほんの少しでも前にすすめた私自身を褒めたいと思います。

日常ではやっぱり自分が今どうしたいのか、何を感じているのかつかみづらいし、結果的に将来どんな人生を歩んで行きたいのか、30歳を過ぎた今でもはっきり描けずにいます。
それでも、この状態は私の生まれながらの性格にあったわけではないと思えてきただけでも、ずいぶん救われます。


ここまで不器用ながらも歩いてこれた私、どうもありがとう。
私はね、もっともっとあなたが知りたい。

あなたが喜ぶこと、楽しいことをどんどんしてあげたい。
そして、私にとってほんとうの幸せを見つけて私は私でよかったと心から思いたい。

この決意を胸に、これからも歩いていこうと思います。




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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) おきなクラス



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前回このワークショップを受けた時よりも、今回のワークショップで、やっとピンと感じることが出来たように思います。

私が0歳から3歳までの間の両親のこと。
一体どんな状態だったのかを考えてみれば、とても子どもに全ての愛情を注げたとは到底思えるわけもなく、そんな中で育った自分のことを客観的に感じることがやっと出来るようになりました。

特に「諦め感」。
私のこと、一番に見て、愛して欲しい。構ってほしいというちいさな私の願望。
きっと泣いて、だだこねて主張していたはず。

でもそれを叶えることはできなかった。
そして私は少しづつ、感情を麻痺させていくしかなかった。

大人になった今の私は、ちいさな私のことを守ってあげたいって思う。
少し、頼りないけど、愛情はたくさん注いであげられるから。
一生。ずっとずっと。


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今年は、本当にワークショップ・クラスの時間が過ぎていくのが早く感じました。
慣れてきたのかな? いや、慣れていいのか? とか頭の中ぐるぐるでしたが、昨日より今日、今日より明日、ちょっとでも前に進んでいられれば、もうそれで満足。

自分のペースでこれからも歩いていく。
ただそれだけです。




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H. M. さん(30代/広島県よりご参加) おきなクラス



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藤沢さん、「おきなクラス」のみなさん、本当にありがとうございました。
皆さんと温かな時間を共有できたことをとても嬉しく思います。

そして、私、「インナーチャイルド・ワークショップ」に参加してくれて、本当に本当にありがとう。
参加して、本当に良かったね。


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ONSA WORKSHOP で「健康な家族」「健康な発達」「健康な考え方」を学べば学ぶほど、私の子供時代は重くて苦しくて大変なものだったと感じます。
それなのに、「両親そろっているんだから」「厳しかったのは愛情があったから」「私の出来が悪いからこんなことになるんだ」なんて、ずっと自分をごまかして、合理化して、麻痺させてきました。
今、色々なことがうまくいかなくて、問題を抱えているのは、この考え方をずっと握りしめていたからで、ある意味当然だったのだと今はわかります。
そして、そこから抜け出そう、自分を救い出そうとした選択は、本当に正しくて賢いことだったと思っています。

ONSA WORKSHOP が、「自分の為に生きることこそ大事なことで、そうすることが回り回って周りを幸せにすること」と、私を励まし勇気づけてくれたおかげです。
私は自分に対して「希望」を持つことが出来ました。


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去年受けた、一度目の「インナーチャイルド・ワークショップ」では、

「お母さん、ごめんなさい」
「お母さんの思い通りの子になれなくて、ごめんなさい」
「お母さん、笑って」

という思いにあふれて、自分でもびっくりしました。
私は、本当に小さい頃から、「お母さんの為に生きる」ということを身に着けていました。母が可哀想、私がお母さんを幸せにしなければ、という思いがありました。

今回は、やっと、本当の自分に会えたように思います。
ワークで書いた手紙の中でも、

「そのまんまのあなたで十分価値があるんだよ」
「いるだけで、キラキラとまぶしくて、とっても大事な存在だよ」

と小さい自分に伝えることが出来て、とっても癒されました。


私は、心が成長しないまま大人になってしまいました。
そして、それは多分、私の両親も同じだったのだと思います。

子どもが、安心して子どもでいられるには、親が「大人」でいることが必要なのだと思います。
私は、このワークショップに参加して、やっと自分の心が解凍して、大人に向かっていると感じています。




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C. H. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) おきなクラス



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私は去年初めて「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けました。
「後期日程」を先に受けたのは、3歳前の自分なんて何の記憶もないけれど、小学校ぐらいならまだ少しは覚えているかな、と思ったからです。

その時は「インナーチャイルド」に会うことが出来て、自分の感情に出会うことも出来て大変収穫があったのですが、まだ何か先にありそうな気がして、3歳前の自分にも会ってみたくなりました。

それで今年は「前期日程」を受けることにしたのですが、やはりというか、プレワークをやっていても、3歳前の自分のことは何も思い出すことが出来ませんでした。

ところがある質問に何故か引っかかってしまったのです。
それはごくシンプルな質問で、答えも単純なのでそれを書けばいいのですが、どうしても心がざわざわしてなかなか書くことが出来ず、とうとう最後に残ってしまいました。

「もしかして、私は寂しかったのかしら。」という気がしました。

当日はこのわずかな手掛かりを握りしめて、あとは出たとこ勝負みたいな気持ちでのぞみました。
藤沢さんの話を聞いていて、「ああ、私にはあれもなかった。これもなかった。」と思いました。健康な人には普通にあるはずのものが、私にはあらかじめ失われていたのだ、と。


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昔、「あらかじめ失われた恋人たちよ」という芝居があったけれど、私の場合、「あらかじめ失われた子ども時代」でしょうか。
「あらかじめ」だからもちろんデフォルトで、デフォルトだから自分の意思ではなく、自分の意思でないから責任もない。
自分の意思でも責任でもないのに本来なら当然あるべきものがないというのは、何だか不当に奪われたという気がします。

何より悪いことは、私自身が、「失われている」ことを知らなかったことです。
もともとあったものが途中でなくなったのではなく、最初からなかったのだからそれが当たり前で、気づきようがなかったのです。

「ない」ことに気付けるようになっただけ進歩かも、と思いました。
ONSA WORKSHOP を受け始めた頃の数年前の私だったら、藤沢さんの話を聞いてもきっと自分のことと思わなかったでしょう。


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いよいよワークが始まって、今回も泣けました。それも涙だけでなく鼻水まで出て、タオルやティシュが必要なくらい。
恥ずかしかったけど、ちょっとうれしかった。
反面、言葉はなかなか出てこなくて、何というか絞り出す感じでした。

「インナーチャイルド」に会うワークでは、藤沢さんの言葉の一つ一つが私の言ってほしかったことぴったりで、胸の中がじんわりと暖かくなって、ちょっと泣きそうになりました。
心の芯のところまで、癒された感じでした。


ここまでで午前中です。その時点でもう出し切ってしまった感じでした。
午後は疲れと眠気が襲ってきて、あまり集中できなかったのですが、それでも、花柄のワンピースを着て庭で一人で遊んでいる「インナーチャイルド」に会うことが出来ました。
言葉がなかなか出てこないのは午前と同じでしたが、途中から、無理して違うことを言おうとしなくていいと思って同じことを何回も言ってもいいよと、自分に許可しました。
結局言いたいことなんてそんなにたくさんあるわけじゃないんですよね。


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一緒にペアを組んで下さったおふたりの方、ありがとうございました。
それからクラスの皆さん、あの時あの場にいた全員が作り出す空気が、ワークを進めるのを助けてくれたと思います。
ありがとうございました。

藤沢さん、今回もお世話になりました。
「インナーチャイルド」に会うワークの間、目を閉じて聞いていた藤沢さんの声が本当に心地よくて、声ってすごく重要だな、と思います。

頂いた資料もとても参考になりました。
特に、1から8までの項目は具体的で毎日できそうなので、これにそってやっていきたいなと思っています。




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S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) おきなクラス



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わたしへ

あの日。
疲れ切っているちいさなわたしは、なにも言葉がだせなかった。
言葉にする力も、声を出すことすらもできないほど、
クタクタに疲れきっていて、傷ついている。

身体も心も、「おとな」のはずなのに、
赤ちゃんだったわたしも、ちいさいときのわたしも…
わたしのなかに存在している。

割り切ろう、それぐらいのこと。
誰にだって、辛かった過去はある、わたしだけじゃないんだから…。

物わかりのいいふりをして、そうしないとやってこれなかったのは事実。
傷ついたわたしを、傷ついているわたしを、
ずっと放ったらかしにして、置き去りにして、
平気なふりをして、強がって生きてきたのも事実。
それは、周りの人を優先し、周りの人の言いなりになり、
周りの人の期待に応えることで、生きのびてきたから。


ちいさなわたしを癒したい。
どうやったら、癒してやれるのだろう。
それは、わたしにしかできない、大切な作業。

大切な作業のための時間を…
ちいさなわたしのために、確保する。
取り組んでいく。
時間をかけて。




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Y. E. さん(30代/茨城県よりご参加) おきなクラス



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私は今回、以前から興味のあったこの WORKSHOP に参加して、やっぱり私の家族環境は歪んでいた、小さい頃から私は知らず知らずの間に毒されてきてしまったんだと実感しました。

父と母が、人間としてちゃんとした人だったら、私はこんなに歪んだ人生を送ってはいないはずだし。


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13年前に亡くなった祖父は思いやりがなく、最後まで自分が気に入らないと誰彼構わず感情をぶつけ、怒鳴り続けて私や家族を翻弄し続けた。

去年受けた「時間のためのちいさなワークショップ」終了後の10日後に亡くなってしまった祖母だけが、唯一家族の中で攻撃しなかった人でした。
祖母が他の家族と違っていたのは、一歩下がって状況を見ていたことだった。
しかも、意外と見ていないようで見ていたこと。

父と母は私が従弟に見てくれをからかわれたことを泣いて訴えても、私の言い分を聞いてもくれず、「しつこい」「そんなことで泣くのか」とけなすだけ。
理解のない親と違い、祖母だけが、「バカは相手にするな」と言ってくれた。

色んなことを話してくれた、気持ちを分かち合った祖母がいなくなって、残った家族と親戚は気持ちの通わない人間だけだし、親元で暮らし続けていくことは無意味だし不毛。色々問題はあるにせよ、「これからは自分の時間、人生を何とかしなくちゃ」と感じた。

そして今の私は、うるさい家族とは無関係の自分の部屋でこの文章を書いています。

本当に ONSA WORKSHOP は、「人生」というものを考えさせられる。


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実はプレワークでも書いていて気付いてしまったのが、今まではずっとずっと、
「家族や外部の人間は何も私の叫びに気付いていない、聞いてもくれやしない」
と思い込んでいたのが、ペンを走らせていくうちに、「父と母が私に大事なことをしてくれなかったように、周囲の同級生や教師達が私を無視し続けたように、私も自分の悲痛な叫びを無視し続けてしまった」ということ。

自分でも物凄く嫌なことに、気付いてしまいました。
30年近く生きてきて、全然自覚もないまま時間だけが過ぎてしまった。

何て残酷なんだろう。
人間は自分がされたことしかできないというけれど、本当にそうだ。
やっぱり過去の痛みを引きずったまま。その痛みは全然癒されてもいない。


ワークショップ・クラス当日、優月さんに呼ばれて前に出て、当初はホントに気楽に出てきて、「好きな食べ物は?」と聞かれて、素直に色々しゃべっていたのは良かったのですが、優月さんに突如、

「じゃあ小5の時、何であんなひどいこと言ったの?」

と言われた瞬間、目の前は優月さんなのに、優月さんの顔が当時の嫌な女子達の顔に見え、2016年のはずなのに一気に1995年の感覚に…。
一瞬で生きた心地がしなくなった。

優月さん、私は全然優月さんには怒っても恨んでもいませんのでご安心を(汗)!! 
怒っているのは、当時の連中です。

それにしても、まさか小5とは。
「私は小5の時は知らないからね」とはおっしゃっていましたが、まさか、小学生時代で最も嫌な時を言われるとは…(汗)。
優月さん、素直にすごいよ!!


当時のクラスメイトも担任も嫌いでした。
今もそうなんですけど、相手に強い口調で言われると何も言えなくて、当時私を攻撃してくる女子達に言われた時のような感じになってしまって…。
その相手を嫌いになるし、関わりたくもない! ってなる。

その後、優月さんが皆さんの前で「過去の傷が現在においてもそうさせている」と説明してくださったことで、改めて

「やっぱり私の心の傷は癒えてはいないんだ」と実感した。

かつて再現された嫌な出来事によって、大人になっても、その心の傷をどうにかしない限り私は苦しみ続け、怒り続けるということなんだ…。

しんどい。

じゃあ、いつになったら私は楽になるんだよ!
一生私を苦しめる次元の低い連中の嫌な顔にうなされなきゃいけないの?
そりゃ奴らを苦しめてやりたいし、叩きのめしたいけど。
地獄をずっとこの世で味わえ! っていうのかよ。
だけど、一生天国を味わえないで死ぬのはごめんだ。


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優月さんの説明を聞いていると、本当に「インナーチャイルド」は人生の根幹に関わる問題だと感じた。
子供に必要なことも、幼かった私には全然与えられてはいなかった。

生まれて言葉を発することが出来ない赤ちゃんは、泣くしか自分を訴える術はない。だけど、自分の願いが聞き届けられないと赤ちゃんは「諦めてしまう」なんて…。
やっぱり赤ちゃんも一人の人間。ということは…。
母にほったらかしにされていた私は、諦めてしまっていたということ?

母は父が仕事に行っている間、いつも寝てばかりいてテレビを点けっぱなしにして、私を放置していたと父から聞かされました。
こんなに早い段階から、私は自分を、人生を諦めてしまっていたというの!?
自我の「じ」が、分かるようになってきた時から、すでにおかしかったからな…。

それにしても母、子供を何だと思っていやがるんだよ!!
だからタチが悪い!! テレビと子供、どっちが大事なんだよ!!!

父は母に対して不満たらたらなくせに、「仕事で多忙」を正当化する。
祖父同様気に入らないとすぐ怒鳴って、文句を延々と言い続ける。
母はだらしがなく、私を他の子と遊ばせることもせず、対策もしないまま放置していた。気に入らないと「私の言うことがそんなに嫌なのか!」「そんなに私が嫌いなの?」と怒る。


優月さんの説明によると、子供は生まれて2歳ぐらいになると嫌々言う時期があり、物事に対して「イヤ!」と言うことで、自分の意志で物事を選択できるようになるということ。
しかも、「イヤイヤ期」は自然に卒業していくということ。
健康な親は、「嫌いなんだね、ハイ分かったよ」で終わるけど、不健康な親の反応はまさに母そのものだった。
そんな母の反応を心理士さんや知り合いの方に話した時、信じられない! って驚いていましたし、心理士さんは「お母さんは子供」と、呆れていましたから。

イヤ! =自分の意志。

これは新しい発見でした。
自分で選びたいんだ。親は無理強いしないんだ。
赤ん坊も言葉が分からないうちからはっきりと表現しているんだ…。となると、やっぱり一人の人間だよな…。
そう考えると、本当にうちの母親って何なんだろう。やっぱり歪んでるじゃん!!


歪んでいたのは母だと分かって安心しましたが、その後優月さんから、
「お母さんと似たような不健康な処世術をしていたら気を付けて」とアドバイスされました。
確かに相手が攻撃してきたり、怒ったりしている時の私は、間違いなく母と同じ処世術だな…。だって、うちの母は父が怒鳴っている間は何も言わないし、何を考えているのか分からないから。完全にフリーズしてるもん。
納得できたけど、これはまずいことだよねって。こういう処世術は。

恐ろしい。
この処世術という癖は、どうにかしないといけないですね。

母と似たような処世術で、私はずっと苦労してきたということか…。確かにこれじゃ、生きづらくなるよな…。
父も母も歪んでいるのに、自覚がない。しかも世間体ばかり気にして。
瞑想したり、ペアワークをしたりしていくうちに、私だって当初は誕生を喜ばれたはずなのに…。


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瞑想をしている時は、何の感情もなかったのに不思議とイメージしていくうちに涙が出ました。私は自分が可愛いと思ったことはないけど、赤ちゃんの時の自分は素直に可愛いと思いました。気持ちよく眠っているなあって。

そんな私を、驚くことに聖母が優しく微笑みながら見ていました。
私はクリスチャンではありませんが、優月さんの言葉に従って瞑想していくうちに、ほんの少しだったけど、不思議と聖母が現れたんです。
自分でも驚きでした。

「お前なんか産まなきゃよかった」

無慈悲で残酷なことを言う愚かな親が後を絶ちませんが、祝福されない子供なんて、いるのかな…。何で虐待できるんだろう。
母もそうですけど、子供産む前に自分のことを考えろよ! 
親になる器じゃないくせに。親になるって、仕事よりもはるかに責任重大だ。
だって、子供の人生を左右することだから。
親がきちんと子供に接してくれなかったら、私のようになってしまうから。

それにしても、肉体と口は一人前でも欲望むき出し、精神が伴っていない器の小さい輩が多すぎる。
「大人」ならぬ、肉体が老いるだけの「小人(ことな)」が多すぎる。


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今回ペアワークや皆さんの意見を通じて、「ひとりじゃないよ」って、初めて実感できました。
会場にいらっしゃっている皆さんはごく普通なのに、こんなに生きづらさを抱えて、寂しさを抱えていた人達だったんだ。

家族に怒っていたのは私だけじゃないって。
もっと言いたいこと言っていいんだって。

私だって、親だけじゃなくてもっと色んな人達に優しくされたかった。
助けてもらいたかった。
温かくしてほしかった。
健康的な意味で、大事にしてほしかった。
仲間に入れてほしかった。私が傷つけられたら、
傷つけた連中をやっつけてほしかった。

それなのに。
親には腹が立ちます。本当に家族って何?


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私が受けてきた傷は相当深刻なのに、両親は2人揃って私の心の闇は「分からなくていい!」と言い放った。私は、子供2人に育てられてしまっていたんです。
子供が子供を育てられるわけがない。いつも同じことでケンカして、ウンザリする。結婚して何十年やってんだよ、この夫婦は!

私はいつも、父から進歩がないと言われてきたけど、本当に進歩がないのは、同じことを繰り返している父と母じゃないのか。
あと数年で70になるというのに。

父は「祖父母との同居は最高だ」と言い張りやがった。私にとって、祖母は一歩下がって見てくれた存在だったけど、祖父はいつも怒鳴ってばかりいて怖い存在だった。気に入らないとすぐ怒鳴って、いつも母の文句を聞かされて、母からは祖父の文句を聞かされて、私は嫌だった。

誰を信じていいのか分からない人間になってしまった。
父は母が役目を果たせない人間だと分かっていながら、世間体を重視した。だから母は図々しく太々しいまま。祖母は優しかったけど、私はいつも怒鳴りつける祖父は嫌いだった。

母も私を、父を何だと思ってきたんだ。
私はあなたのおかげで生きづらい思いをしているんですけど。責任取れよ!!

だけど残念ながら、母はだらしがないし、私が意見すると「そんなに私が嫌いなの!! やり方が気に入らないの?」と怒り出す。祖父もそうだったけど、母も話が通じない。お互い似た者同士で、低レベルな争いをしていたんですね。

2人とも家族に疑問を抱いていない。
問題は私にあると思っているだけ。
元々お見合いで会った父と母だから、愛は存在してもいない。
子供が子供を産んで育てるって、超リスキーだし、超グロテスクだよ。


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色んな思いが出てきて、とにかく今回は、水分と糖分が欲しくてしょうがなかった。
優月さんのキャンディの差し入れはありがたかったです。
あっという間に消費してしまいました。

ワークショップ・クラス翌日は、空腹なのに腹部の違和感と胸のムカつきがひどくてスポーツドリンクしか受け付けられない状態でした。
夜になって少しは食べられる状態にはなったのですが、起きてからは本当にムカつきがあって、普段は気にしないにおいでさえ、鼻にきて不快に。


今まで体験したことのない反応が起きています。

私が受けてきた傷は、深くて異常だったこと。
本当に、今まで生きてきた軌跡を振り返っても、嫌なことが真っ先に思い出される。親からは、間違った考えをずっと押し付けられてきたことも。

だけど私を救えるのは、親でも他人でもなく、私しかいない。
「インナーチャイルド」の問題は、本当に納得いくまで何度でも受けたいと思います。

いつになったら、気楽に生きられるようになるんだろう。
いつになったら、「生きててよかった!」と感じられるんだろう。
いつになったら、自分の「好き」を取り戻せるのか。
自分を誇れる時は、来るのかな…。

時間はかかると思います。
だけど、同じことを繰り返してばかりの「負の時間」は、送りたくない。
「正の時間」をこれからは送りたいです。


優月さん、今回も本当にありがとうございました。
可愛いキャンディありがたかったです。
真剣だけど、ところどころに気持ちよさがあって、安心して受けることが出来ました。


ワークショップ・クラスに参加された皆さん、ペアになってくださったお二方、お昼ご一緒してくださったRさん、ありがとうございました。
聞いてくださっただけでも嬉しかったです。

皆さんにお会いして、皆さんの声を聞いて、私だけじゃないんだ、素直に感じたことを言っていいんだと、勇気をいただきました。
改めて、「ひとりじゃないよ」って、実感できた一日でした。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) おきなクラス



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今回のワークショップ・クラスに参加して、私が感じたことは、

「なかった」

ということ。
それを、その重みを、ひしひしと実感しにいったクラスだったと思います。


私は、健康な子どもの資質を、そのまんまで出すことが、できなかった。
安心して過ごせる、健康な家庭環境が、なかった。
子どもとして受け取る権利のあることが、もらえなかった。

様々な「子どもに必要なこと、与えられるべきもの」が、私にはありませんでした。
「ない」ものを、理解することは、とてもむずかしいです。
それが、幼くて何もわからない、当時子どもだった私には、尚更でした。

私は、私の家の「おかしな状況、環境」「不健康な反応や関係、ルール」に、気づけませんでした。
それが私にとっては「ふつう」だったし、「せかい」だったからです。


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「人生なんて、こんなもんでしょ」

まさにこの言葉通りの認識を、私は私の機能不全家族から受け継ぎました。

それが私に、土台からのねじれを生んで、その上に積み重なる私の生き方は、どんどん、不健康なものになっていきました。
でもそれに、私は気づくことはできませんでした。自分が住んでいる場所の空気や水は、意識できません。

私は、大人になっても私の生き方が「ふつう」で「あたりまえ」で、
それに対して音を上げる私は「努力が足りない」「未熟だ」「もっと大人にならないと…」。
私は、誰よりも私自身に始終責められ、否定され、追いつめられていました。

でも、私が住んでいた世界、「ふつう」に思っていた出来事、仕打ち、生き方は、ちっとも「ふつう」なんかじゃありませんでした。


優月さんが一つずつ説明してくれる「人生が汚染される仕組み」を聞く度に、「あぁ、私はまさにそれを発症してる」と思い、「生まれながらにして、子どもの持つ資質」を聞く度に、「え、私、そんなの発揮してた記憶、ほぼないですけど(基本、我慢でしたけど)」と、思いました。

「不健康な症状」には、全て手が挙がりました。
「健康なこと」には、全部「なかった」が当てはまりました。

加えて「今、こうやって次々と手を挙げてるけど、これ、異常ですからね」という優月さんの言葉に、「そうか、そうだよな…」としみじみ。

はーい、私、あれもこれも当てはまります!!
もちろん、両手あげて「そうだそうだ! 私はそうなんだ! (やっと合致するものが目の前に現れた!)」というのもあるけど、
ここで「当てはまるー! (そうなのよ!)」で、終わってはいかんのだな。


当てはまる、そして、それを知って、じゃあどうするか。

「埋めていこうよ。」

が、本当に大事なんだと思う。ここまで歩いてきた私のために。


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私は「知る」ことで、父や母から(当人達も無意識とはいえ)植え付けられた様々なウソ、呪縛、制限を、解くことができた。
私の父や母は、私が私であろうとすると、怒ったり否定したり、足を引っ張ろうとしたり、よりかかろうとしてきます。
それが私の父や母の生き方なので、それはもうあきらめます。

でも私は、もう父や母がそうやって暗にしてくるコントロールに、のまれません。
どんなに「あなたのために」「私は親よ」という言葉でくるんできたって、結局、彼らが私にしてくることの動機は、「彼ら自身のため」がほとんどです。それが、彼らのやり方です。

でも私は、もうそれに支配されなくていい。
だって私は「健康な子ども、健康な家庭」の性質を知ったから。
私たちは家族だけれど、私の個人としての尊厳は、大人の事情には関係ありません。


私の原家族には、残念ながら、健康な家庭の要素はことごとくありませんでした。
そのために、私が「得られなかったこと」「失ったもの」「損なわれたこと」「育てられなかったこと」…。
それら、一つ一つの内容、そしてその途方もない大きさや重要さが見えてくればくるほど「なんてことだ…」と、私は呆然とします。


これから、私が取り戻していく必要のあることの多さや道のりを思うと、本当に、ため息が出ます。
(だから、見たくない、知りたくない、何とか微調節でうまくおさめたい…というずるさや逃げが、私の中で発動してたと思います。私の抱えたものの大きさを自覚した今なら、それは逃げたくなっても仕方ないよね。「当然だよ、こんなの一気には受けとめきれない」と思います。)

でも、今でも私は「あーあ」って思うけど、
このクラスに出る前…自己流だけど、私の最大限の力や正直さで取り組もうとしてた私には、もう戻りたくありません。

だって、それでどんなに努力しても、きっと思うようには進めない。
(私自身、私の思考が、既に共依存の世界観で染まり切っているから。)

でも、このクラスに参加して、まさに全身全霊で受け取った、感じ続けた知識は、消えない柱やよりどころとなり、私が古いパターンにのまれそうになったときに引き止めてくれる灯台の灯にもなって、きっと私を導いてくれるはず。
だから私は、このクラスで受け取った「実感、体感」をしっかり咀嚼して、前に進んでいきます。


どんなに立派で素敵そうに見えても、
波風が立たなくて、周りの人に攻撃されないとしても、
「私が不在」の人生は、つまらない。
どんなに頑張っても、生きてる実感や喜び、手応えがありません。

私は、私の頑張りを、私の幸せにしっかり結びつけたいです。
そうできるだけの力が、きっと私にはあります。

教えてもらった「子どもの性質」が、今だって私の中にあるのなら、きっと、うまくいくはず。
私は私の中の肯定的な力を使って、生きることを選びます。
そっちの方が、うんと幸せや喜びを味わえそうだからです。


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「私が私であること」

かつての私には、それは「恐怖」に結びついていました。
それは、そうすることで父や母、兄に攻撃されたからです。

でももう、私はその古い環境や世界、パターンに私を閉じ込めるのを、やめます。
私は「私が私であること」の違う意味を、本当の意味を、私の手で知っていきます。
そこはもう、私の父や母や兄には支配されない、自由な世界。私がつくっていく世界です。


私はそっちを、精一杯つくりなおしていきます。そっちに全力を注いで、もう人のことにはかまけません。そんなことしてるヒマが、私にはないからです。

私は私の重心を、私に戻します。
少しずつでも、やります。
できなくても、またやります。
時間がかかることを私に許して、コツコツ、やり続けます。


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最後に、今回のワークで印象的だったことを。

今回も私は、私が受けたショックな出来事に対する怒りやニーズをぶちまけました。
(ペアになってくださったMさん、Sさん、ありがとうございます。)

「私の人生では私が主役なの!! (あんたじゃないよ!)」という言葉が出てきたのには、びっくり。
ここまでの掘り下げの先に、新しい私のニーズがつかめました。


もちろん、ここで明らかになった私のニーズは、子どもの頃には満たされず、私は悔しい気持ちでいっぱいです。
でもそうやって、私の中にたまってた気持ちや思いを全力で出して…
その後の瞑想で子どもの頃の私を感じた時、私は、成長の過程で、こけたり、失敗したり、こぼしたりしてる私を感じることができました。

あぁ、私、当たり前にふつうの子どもで、ちゃんと失敗してきたんだ。
ちゃんと失敗して、それをフォローしてもらって、できないをくり返して、できるようになっていったんだ…

そういう私がちゃんといたんだって思ったら、頑になってた心や世界がふーっとゆるやかに広がり出しました。
抑圧されていた感情が解放されて、埋もれてた記憶や感覚が感じられるようになったんだと思います。


私は、ちゃんと子どもだったし、ちゃんと失敗してた。
失敗しても「そういうもんじゃん」「…??(なぜ、こうなったのかわからん)」で平然としてたし、いちいちそれで「私なんて」と責めてなんていなかった。

私は、ふつうにがんがん、思うように行動して、失敗もケガもして、学んでいったんだ。
私は、完璧でもなかったし、最初から全部ができたわけでもない。そしてそれで私は「OKだよ」って、受けいられてたんだ。

そのことが唐突にわかって、私はほっとしました。
私にもちゃんと、普通の子ども時代のエピソードがあったんだ。


今まではショックな出来事だけが私の子ども時代を占拠してたけど(ショックな出来事=私の子ども時代…みたいな感じ)それを出すことでだんだん小さくなっていって、その空いたスペースに、普通のエピソードが入ってきた感じ。
バランスが取れてきた感じがして、私はほっとしました。
私は、傷や痛みだけの人生じゃないよ。


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今回のワークショップ・クラスも、たくさんのことを心と身体で知って、あれとこれがぱちぱちとつながって、いろんなことを感じられました。ONSA WORKSHOP(対面式)では、「私はどのくらいの状況か」が、レクチャーや優月さんのアドバイスによってくっきりと見えてくるので、本当にパワフルです。

優月さん、スタッフの皆さん、ご一緒したクラスメイトの皆さん、
貴重な時間を、ありがとうございました。




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N. T. さん(20代/東京都よりご参加) おきなクラス



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ご参加された皆様、改めましてお疲れ様でした。

今回私は初めての「インナーチャイルド・ワークショップ」でした。

プレワークは自分でも思い出しながら、そして親にその当時を聞きながら取り組みました。
取り組む前は「そんな小さい頃のことなんて覚えてないよ」って思っていたけれど、取り組んでいる内に自分の記憶だけでなく、その時の状況が親からの情報をもとにわかってきました。

その中で感じたのはどうも私はけっこう親に放置されてたかも? ということ。
思えば私は小さな頃に親と一緒に遊んだり、甘えたりしたことはあまりなかったかもしれないと気づきました。


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そしてワーショップ・クラス当日、優月さんの話を聞きながら、プレワークでなんとなくそうじゃないかなと無意識に感じていたことが、ああやっぱりそうかと思えました。

私は「イヤイヤ期」がなく、母と私をうまく分離できない状態で育ってしまったこと、記憶がないほど忙しかったと母が言っていた状況では、きっと私はその中で「泣く」という自己表現をあきらめてしまったこと。あきらめてしまってそのまま育って、今こうして「自分がわからない」「自分のやりたいことがわからない」という苦しい状態になっているのかなと思いました。
小さい頃ずっと側にいて、必要な時に抱きしめていてくれれば、違ったかもしれないのに。そう思うとなくしてしまったものの喪失感でいっぱいになりました。


そしてワークは今回私は私なりに「もっと踏み出してみよう」と思って取り組みました。
そう思ったらなかなか言葉が出てこなくて、のどのところで今まで言えなかったことがつまってしまってなかなか声に出せなくて、先に涙が出てきてしまって、それがしばらく続いたけれど、今まで封印していた言葉を出しました。

「ここで言ったことは誰にも聞かれないし、せっかくだから吐き出してしまえ」という優月さんの言葉も励みになったと思います。
多分今まで一番大きく踏み出せたワークだったと思います。


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大人と子供の自分との手紙のやりとりは、不思議な感覚でした。
子供の私からの手紙は自分で書いているのに、まるで本当に子供の私からもらったように感じました。
私の中の小さな子どもを忘れてしまいそうになったときは引っ張り出して読んで、一緒にいることを感じようと思います。

「投影」の話では、自分の異常性に気付けてよかったと思いました。
頭がおかしいんじゃんなくて、自分の歪んだ考えに気付けた。
それは母から常に「あんたは太ってるから」といわれ続けていたり、雑誌やTVの影響だったりで自分がものすごく自分の体型にコンプレックスをもっていたこと、電車などでやせている人を見る度に「どうせ私なんて」とおもってしまっていたこと。そう考えることはおかしいと理解できてよかったと思いました。
ワークショップ・クラスでそう言われたときは頭がパニックになってしまったけど、あの時話を聞いてよかったと思います。


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ワークショップ・クラスに行くたびに、
「皆幸せになってほしい。そして、私も」と思います。

ぐらぐらになりかけた私の軸を立て直してもらっている気がします。
改めて、自分の為に生きようと思います。

ご参加された皆様、そして優月さん、ありがとうございました。




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Y. O. さん(30代/和歌山県よりご参加) おきなクラス



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「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)おきなクラス」にご参加された皆さん、藤沢さん、先日は、ありがとうございました。

あれから、一週間経ったのだと思うと、時間の流れが速く感じますが、だけど、今週は、一日一日を、かみしめるようにして、過ごしていた気がします。
まだ、ワークショップでの体験したことを、消化しきれていないとは感じますが、今の感想を書かせて頂きます。


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私は、「インナーチャイルド・ワークショップ」には、以前から興味を持っていたのですが、ずっと、何となく怖くて、受けてこなかったのですが、今回、参加することができて、良かったと思っています。

幼い頃のことを、振り返ると、辛くなるのでは、と思っていましたが、ワークの中で、藤沢さんが、子どもの成長について、身振り手振りで、お話してくださるのを聞いていて、機能不全で育ってきた私でも、寝返りができるようになり、物に捕まることができるようになり、歩くようになり、周りの物に興味を持つようになり、etc…と一つずつ、できることを増やして、私なりに成長し、今に至るのだなと、その過程を思うと、何て言うか、胸が温かくなりましたし、少し勇気が出てきました。
そして、ワークショップを終えてから、自分に対する信頼感が少し増したように感じています。

家族に対して、言いたかったことを伝えるワークでは、プレワークに書いたことではない言葉が出てきて、自分でもちょっとびっくりしましたが、それは、ずっと思っていたことで、ペアになってくださった方の、お話を聞いていて、共感する部分があって、自分の心の中にあった、モヤモヤとしていたものが、言葉として出てきたのかなと思います。


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私は、自分の両親は、世間体や、お互いの両親を安心させるために結婚をしたと思っていて、その二人の間に私が生まれてきたことに、腹立たしさを感じている気持ちがあるのだと、感じました。

そして、健康に子どもが育つための条件である、「両親ともに健康で、子どものお世話ができること」「子どもは、両親にとって重要な存在であること」につていの、説明を聞いていて、私の両親は、ともに、成熟した大人ではなかったし、両親は、自分たちの両親、特に同居していた、私にとっては父方の祖父母のお世話をしていたのだな、と思えました。

私よりもそちらが優先で、それに比べると、私のことなど大切に見てはいなかったのだな、と感じました。二人にとって重要なのは、自分達の親でその親のニーズを叶え、認められたい、安心させたい、と思っていたように思えます。

私は、父方の祖父母にとっては、待望の孫であったし、両親も私の誕生を喜んでくれたと思うけれど、私には、両親の結婚、家庭を持つこと、子どもを持つことは、自分たちの両親を安心させ、孫を抱かせる為の、手段に過ぎなかったんじゃないかと思うと、悲しい気持ちがします。


両親が独立せず、両親が私の祖父母の顔色を伺ってばかりいる、そんな混乱した家庭の中で「両親が自分の方を見ていてくれている、という安心感」は、なかっただろうなと思います。

わたしは、家の中の人間関係に気を取られていたと思うし、「安心して自分の人生を探検して、試していいのだ」と思えないでいたと思うし、不安だったと思う。今、そう書いていて、私の心の中にある、不安って、根本的にそういうところからきているのかな、等と思ったりもしました。


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また、ワークショップ中、感情が出てこず、言葉に詰まっていたときに、藤沢さんが、そのままでいいんだよ、と言う様な言葉をかけてくださり、私の中からホッとするような、とても、悲しくなるような気持ちが出てきて、涙が出たことを思い出して、プレワークで書いた、幼稚園に入ったころから、苦手な事が増えて、それを克服しようと頑張ってきた事を思うと、「元々の私じゃダメなんだ」「できないことができるようにならないといけないんだ」って、そんな小さな頃から、私は無理して頑張ってきたんだな…と思いました。

そして、ワークショップの中であった、赤ちゃんのうつの話には、びっくりしましたが、納得もしました。
「泣くと、そばに来てくれるという安心感」は私にはあったのかな…等と考えたりしました。
また、「イヤイヤ期」についての説明も、そういう事だったのだと、すごくわかりやすく、納得できました。

自分と他者とは違うもの、という境界線がまだ、曖昧な私は、きっと、「イヤイヤ期」を、健全に受け止めてもらえなかったのだろうと思います。私の家族のしつけとは、家族が恥ずかしい思いをしなくて済むように、私を教育すること、人に迷惑をかけないこと、だったのだと思います。

私が結婚に希望が持てないのは、色々な理由があるとは思うけれど、もしかすると、両親を見ているからなのかも知れないと、この一週間の間に、感じるようになりました。
世間体の為に何となく結婚した二人、嫌味ばかり、言い合っている二人を見ていて、理想的な夫婦が、世の中には沢山あることは、頭ではわかっていても、健康的な夫婦像が、私にはイメージしづらいのかも知れないと思いました。


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今回のワークショップでも、たくさんの気づきがありました。
皆さんありがとうございました。

「クレンジングリアクション」もあったり、疲れもありましたが、ワークショップ・クラス後、少し元気が出た気がしています。
この気持ちを、大切にしていきたいと思います。

アフターワークは、これからですが、ゆっくり、時間をかけて、今の私が感じられることを大切にして、消化していきたいなと思っています。




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M. K. さん(30代/東京都よりご参加) おきなクラス



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「インナーチャイルド・ワークショップ」はあんまり覚えていなくて、記憶がほとんどないです。

「乳児期」の時は一人にされたことを悲しんでいて、「歩行期」の時は自分が両親、特に母親にされてきたことに、とてつもなく怒っていました。他人の前で怒りを出せたのは、大事なことではないかなとふと今思いました。

私が言ったことはメモしてある限りでは

「めんどくさかったんでしょ」
「閉じ込められて怖かった」
「許さない」
「ひとりでさみしかった」
「なんでそんなことするの」

でした。
言いたくても言葉にならなかった感じていたことが、大人の私が手伝ってようやく言葉になったのだと思います。


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瞑想は2回ともどんな風景が浮かんだのかが記憶にあまりないけど、1回目の時、物音がして集中できませんでした。
というのも、母が怒っている時は物音を立てていたからです。
ドアをバタンと閉めたり、ガチャガチャ必要以上に何かの物音を立てるのは「怒ってる」ことを表しました。だから物音を聞くと、私は怖くなります。「怒ってる」ことを表していないとわかってても、音で反射的にびくっとします。

そのことを「歩行期」の時のことをしゃべる時に話せたのはよかったと思います。
今までは気づけなかったので、「インナーチャイルド・ワークショップ」で話したことがなかったことです。


私は自分に起こったことが悲しくて、納得がいっていなくて怒っていました。
火曜日くらいまでは怒りがとても強かったです。
子供の時のことも思い出してきて、お母さんはイライラする時、舌打ちを私が子供の時よくしていたことや、お父さんは手をつなぐ時、私の指の関節をならすのが嫌だったことを思い出しました。

その時のことがあまりメモしていないのが残念です。
疲れていたし、言葉が胸の内にわいてくるスピードがとても早く、書くのに追いつかなかったです。
書いてあるのは3行だけです。

「お母さんとお父さんにとてつもなくいかりがわく。
死ねとか思う。でも結局今どう生きるかしかない。
てめーが自分でやれよとか思う」

どんなに怒って悲しんでも、今をどう生きるかしかない。
わかってても、受け止めていくのはきついなと思います。
親には自分のことを自分でやってと思っています。


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私の「インナーチャイルド」が書いた手紙には「みんなきらいだよ」が何回も出てきます。
その言ってる感覚はとても納得できます。

「みんなきらい」というのは私にとって正しい今感じてること。
そうか、そうだよねって思います。
「みんな」っていうのは親や育ってきた環境に関わった人たち、今の会社の人たちだと思います。
「みんなきらい」ってわかってることのほうが大事、それで大丈夫だよって思います。

私は自分に起こっていることがひどいことだと思えませんでした。
というのは、起っていることが普通だと思っていたからだし、しばらくすると、そういう家で育ったことが恥ずかしいのと、自分に起こったことと自分の価値がセットになっているような感覚がありました。

それがなくなったのは、カウンセリングで先生に、子供でそれができないのは普通と言われてからだと思います。

それまで私は子供では到底無理な要求を課せられていることにも気づかず、罪悪感に苦しんでいました。
それは学校の先生との間で起こったことですが、それを話したことで不要な罪悪感がなくなり、そうすると他の出来事も私は無理な要求をつきつけられ、できないことに苦しんでいたとわかってくるようになりました。

だから、客観的なしっかりした第3者の目で自分の過去を見ることはとても大切だと思います。
私の場合はそうした自分に合った先生に出会うこともけっこう大変でした。
同じことを話しても、ここまでしっくりくる説明のされ方は今までの先生にはありませんでした。
合わなければ探し続けることも本当に大切だと思います。


文節区切りの線

私はまだまだ過去の感情を解放する必要があると思います。
だけど、それだけでは人生がつらいままです。
これからの人生を幸せに生きらるように必要なことをひとつひとつ、自分に問いかけながら身につけて実践していきたいと思います。

忙しい時期でも、できるかぎりがんばった自分に感謝です。




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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) おきなクラス



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「おきなクラス」の皆様、優月さん、先日はありがとうございました。
私は、ワークショップ・クラスが終わってからボーッとなってしまい、PAY FORWARD になかなか手が付きませんでした。書こうとするのに書き始められずに日にちばかりが過ぎていきました。
それでも、このまま投稿せずに無かったことにするのも嫌なので、何とか書いてみようと思いました。

優月さん、遅くなって申し訳ありません。
投稿させてください。


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「インナーチャイルド・ワークショップ」は、私にとって一番手応えのないワークショップです。
私にはその自覚があったので、ワークショップが始まる数ヶ月前から、本を読んで「インナーチャイルド」や「自分の育ち」に関して理解を深めようと努力していました。けれど、そのかいも空しく、今回も私の本音に触れること無く終わってしまいました。

今回私は、ずっと私の心の重荷だった父のことが一段落ついて、今まで隠れていた母とのことが課題になってきていました。
私は、心の奥に「かわいそうな母のことを私が助けてあげなければ」という思いがあることに気が付きました。
けれど実際、私が助けてあげなければならないほど母はかわいそうなのかと考えると、それは違うような気がしています。
母とのこれからの付き合い方を考えると気が重いです。


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私は、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」を受けるのは4度目です。
私はいったい何度これを続けなければならないのだろうか…と、ワークショップが始まるまではそのことで泣きそうでした。
けれど、ワークショップが終わる頃には「来てよかった!」という気持ちで帰ることができました。

私は、私の息子の育ちを見ていると、「ああ、私もこうして育てられてもよかったのだ」と感じます。家庭が安心できて、寄り添ってくれる人がいて、自分のニーズを堂々と主張できる。素直に感情を出せる。

「インナーチャイルド・ワークショップ」は、子育てにとても役に立ったなと思いました。
私の子育てを思うとき、たとえワークショップ中に素直な気持ちが出せなくとも、私の内側は確実に変容をとげているのだと感じました。
ワークも何も受けずに子育てを続けていたら、私はもっと混乱の中にいただろうと思います。

ただ、私は完璧な親ではないので、息子の心に数々の満たされない部分を残してしまっていると思います。そのことに対しては、申し訳なく切ない気持ちがします。親の私は、なるべく健康度を上げて「共依存」から回復する努力をするしかありません。

子育てはまだ続きますが、これからは自分育ても並行してやっていくことが必要かなと思っています。
少しずつやっていきます。

ありがとうございました。