2017.06月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」しょかのかほりクラス

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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) しょかのかほりクラス



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今回も、新しい発見がありました。
何度参加しても、ONSA WORKSHOP(対面式)はエネルギーも使うし自分の本音と向き合うことが出来るから、不思議です。

今回は、泣けてくる程子どもの私が訴えてきました。
子どもの私。
父に対しては「好きになりたかった」。
母に対しては「さみしかった」。

本当に、子どもって愛なんだって思いました。そうだよね、パパのこと好きになりたいんだよね。そして尊敬出来る人でいてほしかったよね。
嫌いになれない辛さ。
淋しすぎる辛さ。
この2つの気持ちを丸ごと、大人の私が受け止めて子どもの私を抱きしめようって決めました。
いじらしくて泣けてくる。
この世界中のこども達が、子どもらしく生きていけたなら戦争なんてきっと起こらないんだろうな。そんなことを考えました。


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優月さん、クラスのみなさん。
ワークショップ・クラスではありがとうございました。

これからもコツコツコツコツ、努力を重ねてハッピーな時間を増やしていきたい。
また、どこかでお会いできたらうれしいです。




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M. N. さん(20代/広島県よりご参加) しょかのかほりクラス



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優月さんの話を聞いて、自分が幼い頃、普通の家庭にあるものが与えられなかったことをやっと認めることができたし、自分にその責任がないことがわかった。

ズーーーッと、私が変なのかなって心の中に抱えていたし、
母親や父親が子どもだったと認めることはとても苦しかった。
でも、やっぱり、今回、なかまの話を聞いたり、
きっぱりと機能不全家族に長く関わっている優月さんのお話を目の前で聞いて、
やっと、やっと、
本当に自分が不憫なことに気づいてあげることができた。


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「怒鳴らなくていいよ」と、不意に言われて、
私は自分が自分に怒鳴っていることに初めて気づいた。
「怒鳴ったら辛いでしょ?」と優しく言われて、
ふと、そうなの? と疑問に思った。
そして、「怒鳴ることしか見てないんだね」と説明されて、よくわからなくなった。

確かに、母は自分に不都合なことが起こるとよく癇癪を起こしていた。
私の中ではそれは当たり前のことで、
いつも怒られること(?)が怖くて、
人と接するときっと怒鳴られてしまうんだろうな、
といくら普通の善良な人と話してもその恐怖は払拭されなかった。
どうしても人を信頼することが怖かった。

でも、自分にも怒鳴っているんだと説明されて、とってもショックだった。
優しくしてあげたい人にもきつくあたることしか学んでいないなんて。

そして、やっと、
赤ちゃんとして、幼い子供として必要なケアを私は何も与えられずに育ったんだなって、わかった。
うん。
物理的、経済的なものは与えてもらったけど、
本当に必要な精神的、情緒的、愛情を私は受けることができなかった。
そして、今でもその不安定な関係に巻き込まれているんだと。


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一時期、感情もわからなくなって、
大人も怖くなって、
色々なものがおかしくなって、
不安以外のなにも感じなくなかった時があった。
その時もなお、母は
「あなたがおかしい」
「あなたは恵まれている」
「なんでできないの」
「なんでわからないの」
と雰囲気から発せられていた。

その時は私はまだ信じていたかったんだと思う。
母親はいい人だって。
でも、私があんまり好きじゃなかった父親でさえ、
私が一人暮らしを始める時の引越しを見て、
あまりにも母親が私に細かく指示を与え、私が萎縮するのを見て、
「あれはやりすぎ」と客観的に言って、
ああ、これでやっと私は一人で平和になれると思った。


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誰も邪魔する人がいないんだって。

それでも、
心は時々不安になって、
仕事も順調、友達もいる、行きたいところもある、
でも、
なんかちょっと不安、
みたいな今の私。
色々な新しい「しつけ」が本当に必要なんだ。

だから、今、このワークショップに来れたことも私にとっては
安堵であり、希望であり、
自分が本当の人生を歩むための決意なんだって思った。

終わってもただ色々な感情が湧いてきて、
何がどうかもよくわからないけど、
きっと、私は私にさえ遠慮して我慢して生きてきたんじゃないかなと思う。


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いつもどこかでビクビクしていたのは、
自分が自分にさえいつも怒鳴っていたから。
どうしてできないの? って。

もう怒鳴らなくていいからね。
怖い思いをさせてごめんね。

こんなに自分を巣食っていたなんて。
今、書いていてもショック。

ねえ、
ずっと怒鳴ってたらしんどいよ?
怒鳴られたら苦しいよ?

ねえ、
私、辛かったんだよ。
悲しかったんだよ。
惨めだったんだよ。

当たり前だよ。
当たり前に惨めだよ。

誰でもそんな風に言われ続けたら
萎縮して、
生きる気も失って、
死にたくなるよ。




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A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) しょかのかほりクラス



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「しょかのかほりクラス」の皆様、いかがお過ごしでしょうか?

ワークショップ・クラス当日から一週間、私のもとにはいろんな時間が訪れました。
私の心は、落ち着いたと思えば、なんだか焦り気味になり。
頭にゆったりと余白ができたと思えば、パンクしてしまいそうなほどに、いろんな物事がぐるぐるしてしまったり。
周りの人の仕草や会話、物音が、とても鋭く聞こえたかと思えば、ぐっと深海に潜ったように何も聞こえなく、何も気にならなくなったり。
今、こうしてこの PAY FORWARD に向き合うことで、ようやく落ち着きを取り戻している気がします。


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今回のワークショップは私にとって、「私の傷つき具合」というものを再確認できた、大切な時間となりました。

私は「やっぱり」傷ついていたんだ。
私の中に傷は、「ちゃんと、ある」んだ。
と再確認しました。

その気づきのおかげで、再度「この傷」「この不具合ぶり」は現実に起きていること。と、捉えることができ、私の意識に変化が生まれた気がします。

私の認識の中で、今現在自分の人生に起きている「人生の曲がり具合」と、私が認識している、原家族の中で起きていた問題や、自分が抱えている傷の具合を比べてみると、釣り合っていないことに気づきました。

私の人生は、「こんなにも曲がっている」と感じるのに、私が感じている、「原家族の中で私の身に起きたこと」はそれに相当している気がしない。もっと何かあるはず。と思ったのです。

と、クラスでお話を聞きながら、思いました。
そして、これが今回の気づきへと繋がる扉を発見するきっかけとなった気がします。


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私は今回、自分の中の「怖れ」を見つけました。
私の母は、怒ることが多く、それが怖かったということは、これまでに何度も表現してきました。でも、今回初めて、そして、これまでに私もほぼ気づくことのなかった、「怖れ」を見つけました。

それは、
「母に嫌われるかもしれない。」
という怖れです。

今回のインナーチャイルドは、0歳から3歳を扱ったもの。
その中で、「母に嫌われるかもしれない」という思いが出てきたことは、相当大きな問題だと思います。母がいないと生きて生きていけない年齢の子供が、そういった思いに囚われていたとするなら、自分の命の危険すら感じると思うからです。

今でも、まだ、思い出してドキドキします。
自分の命の危機を感じ、計り知れないブラックホールに落ちていくような恐ろしさが、蘇ってきます。相当怖かったんだと思います。というか、すごく怖かったです。

地面が見えないくらい高いところに取り付けられたつり橋を渡っているような感じです。
一歩踏み外せば、落ちてしまうような。
そんな恐ろしさを、0歳から3歳の頃の私は感じていました。
それって、相当心に衝撃的だと思います。
怖いはずです。
怖くないはずがない。
今それを思い出して感じている34歳の私だって、怖いと感じているんですから。
むしろ、それを乗り越えて生きれたことがすごいと思うくらいです。

私の人生の最初の最初。
私の人生がスタートしたばかりの頃の事実。
それを意味するかのように、私が感じた「怖れ」はとても根っこの部分に触れている気がします。


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私は、クラス前半のワーク中、それまで出ていた言葉が何も出てこなくなってしまった瞬間がありました。さっと涙が引き、心に何にもなくなってしまうような瞬間でした。
その時、優月さんが「凍ちゃった?」と私に話しかけてきてくれました。
「あぁ、これは凍っているんだ。」と私は思いました。

その後の休憩時間中、落ち着きを取り戻した時、ふと思いました。
「あぁ、心が凍ってしまうほどの衝撃が私にも起きていたんだ。」
「凍らせてしまわないと生きていけない体験が、私の中にあるんだ。」

今思うと、クラス中、私が凍ってしまった時、私はその「怖さ」を思い出そうとしているところでした。
その「怖い」ということについて、さらに自分の内側を知ろうと意識を向けていた時でした。
その「怖さ」こそ、私が、凍らせてしまいたいほどの体験だったんだと思いました。

そのクラス以来、私は「怖さ」を思い出すことはありませんでした。
こうして書いている今、また、すぐにそれは思い出され、同じように感じ、涙が出てきます。
「怖い」と思い出しながら涙を流すと、その分、「安心」が生まれるのを今感じています。


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クラスの中で、

「私の中から聞こえてくる言葉は、私が私にわかって欲しくて言っている事。
誰かに聞いてもらおうとするんじゃなくて、私がそれを聞いてあげる。」

そんな内容の話を聞いたかと思います。
私は、その話を聞いた時、自分への「責任」を感じ、背筋が伸びる思いをしました。

「そうだ、私を助けるのは、私。」

「怖い」と訴えている私の気持ちに耳を傾け真剣に取り合うのは、この私。
私は、意を決して受け止める思いでした。
私の「怖い」という気持ちを受け止めるのは、とても勇気がいりました。
「怖い」という気持ちを受け止めるのが怖く、
「怖い」という気持ちを言うのが怖かったです。

今回のように、「これは私が負っている傷だ。」と、自分の傷口としてはっきりと認識したことはこれまでなかったように思います。
「痛い」とまでは思っても、自分の体に実際に傷を負った時のような認識はこれまでありませんでした。
でも今は、見えないけれど、「これは私の傷」と言う認識をはっきりと持っています。
「これは私の一部」「私のもの」と言う、どこか責任感のような感じです。


言えてよかった。
ほんと、言えてよかった。
やっと、安心できる。
これを抱えたまま、これからの人生を生きるのは、嫌だと思いました。
こんなお荷物、もう抱えて生きていくのはごめん。
この痛みは、もういらない。
これがなくても、もう私は生きていける。

傷口にかさぶたができ、もうすぐ自然と剥がれ落ちるような、
今、そんな時期にいる気がします。


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最後に、
新しい会場、とても素敵でした。
きっと、たくさんの物件を見て探されたことと思います。
ありがとうございました。
私にとって大切な時間をあの場所で過ごすことができ、良かったと思っております。




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M. M. さん(20代/神奈川県よりご参加) しょかのかほりクラス



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とてもあっという間の一日でした。「インナーチャイルド・ワークショップ」としては2回目、「前期日程」としては初めての参加でしたが、本当にやっと、自分の内なる気持ちを少しずつ言えるようになったかなぁと思います。

いい子型の家族問題に巻き込まれているかも…と思い、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加したのがおよそ2年前。
当時はワークで自分の気持ちを発するということがほとんど出来ず、何を言いたいのかも感じ取れずにいました。
それに加えて、言葉を発しても、一巡して自分の番に戻ってくる間に、気持ちというか、感情というか、喉まで出かかっていた言葉たちがスーっと引いていってしまう感覚もあったので、心を開き切れていない、自分に素直な気持ちを出し切る許可を与えきれずにいるということも感じていました。

けれど今回は、以前よりもすんなりと、口をついて出てくる言葉が増えていたり、また、言葉が引いていってしまう感覚もそれほど感じずにワークが出来たので、以前からの成長をほんの少しですが感じられました。


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ワークショップ・クラス前半の「インナーチャイルドの瞑想」では、赤ちゃんの自分に対して「この世界へようこそ」と声をかけたときに涙がこぼれました。
「私はこの世界にいてもいいんだ」と少しだけ感じられました。
その言葉をまだまだ手放しでは信じきれないけれども、「私はこの世界から歓迎されていると信じたい」と強く思いました。
「この世界へようこそ」の言葉に対して、「歓迎してくれて、ありがとう」と素直に受け入れられる私になりたいと思いました。

ワークショップ・クラス後半、最後の瞑想の時には、幼い自分に声をかける前に、疲れていたのかどうやら眠っていてしまったようで、記憶が飛んでしまっているのですが、たぶん、とてもリラックスした状態ではあったのだろうと思います。

帰りの電車でも、座るなりすぐに眠ってしまったので(寝過ごしてはいません! 笑)、こんなに疲れるほど、今の私に出来る限りを尽くしてワークショップ・クラスに取り組めた自分を褒めたいと思います。




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S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) しょかのかほりクラス



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「インナーチャイルド」の対面式ワークショップを過去にも受け、小さなわたしの傷を知りました。
今回のワークショップ・クラスでは、もっともっと記憶の彼方の傷を自覚しました。

赤ちゃんのころも、よちよち歩きのころも、わたしはまだ言葉を獲得していませんでした。
言葉を知らないわたしが、自分の感情を表すには泣くしかなかったのだと思います。


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ワークをくり返すなかで、辿り着いたのは「わからない」という5文字の言葉でした。

自分はなぜ生まれてきたのか「わからない」
わたしはどうすればいいのか「わからない」
これからどう生きていけばいいのか「わからない」
どうふるまえばいいのか「わからない」
自分はここに居ていいのか「わからない」
どうしてここに居るのか「分からない」
自分という存在が「わからない」

わたしは今までずっと、「わからなさ」を抱えながら生きてきたんだと思いました。
同時に「わからない」なりに「わからなさ」を抱えたまま、どうにかこうにか生きてきたんだとも思いました。

小さなわたしの傷を知るだけでなく、小さなわたしが本当に頑張って生き延びてきたことを、現在の私が理解しました。
これは、私にとって、とても意味のあることでした。

ほかのだれでもない、私自身がわたしのがんばりを認める…。
このことを、腹の部分から感じることができました。

わたしを救うのは、この私なんだ…。
深いところでそう思いました。


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今回も、たくさんの気付きを得ることができました。
優月さん、スタッフのみなさま、そしてクラスで共に取り組んだみなさん、
ありがとうございました。

そして、今回もワークショップ・クラスを受講した私。
ありがとう。




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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) しょかのかほりクラス



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今回の「インナーチャイルド・ワークショップ」は、前期後期を合わせて3回目の参加でした。

以前の時と比べると、寂しいや怖いという感情だけでなく、より一層深い部分の感情が湧き出てきたと思います。
私は母に対して言葉を発することが、こんなにも気を遣わないといけなかったのかということに気づくことができました。

ペアワークの中で、藤沢さんにのどまで出てきたところで頭で考えてると指摘されて、本当にその通りだと気づかされました。
自分でも気づかなかったけれど、この言葉は言って大丈夫かどうかを、私は小さい頃から考えています。本当に謎が解けると思いました。

私が日常生活の中で、相手を持ち上げようとする無意識の言動は、ここが原点だと感じました。
母に迷惑と思われないよう、手間をかけさせないように、私はこれをずっと無意識でやっていたんだと気づくことができました。
そして今も、相手が母でなくても、その言動を繰り返しています。

だから、本当に一つ一つ、少しずつ自分の心を癒していくということが必要なんだと身にしみて感じました。
小さな私を癒しながら、自分と向き合っていくことをやめたくないです。
私の傷ついた心を感じて認めて癒していきたいと思います。
私を救ってあげられるのは、自分だけなんだということを改めて強く感じました。


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藤沢さん、ONSA のスタッフの方々、「しょかのかほりクラス」のみなさん、歩みをご一緒できたことありがとうございました。
ペアワークでご一緒させていただいた方も、重ねてありがとうございました。

一緒に進んでいる仲間がいて、ひとりじゃないんだととても心強かったです。
ありがとうございました。




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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) しょかのかほりクラス



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Sちゃん(自分)へ

ワークショップ、本当にお疲れ様でした。
途中で過呼吸になりかかってしまって、最後までワークできなくて悔しい思いしたね。
でも、「もうヤダ!」と途中で投げず、諦めず、最後まで参加してしがみついてえらかったね。
呼吸の練習に集中できていたのもスゴいよかったよ。

でも、本当に悔しかったんだよね。
ワークショップの翌朝、目が覚めての第一声が「悔しい!」だったぐらい、
私は本当に本当に、悔しかったんだよね。


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ココロから直に思ったこと、感じたことを吐きだそうとすると、
初めてのことに挑戦するからなのか、
そうすることに恐さを感じるからなのか、
パンドラの匣を開けるみたいに…、
開けてしまった後にどうなるのか怖くなるからなのか、
正解を出そうとしていたのか、
焦っていたのか、
コトバがこんがらがっちゃって、
カラダもこんがらがっちゃって、
アタマは真っ白になっちゃって、分からなくなっちゃったね。

ココロから直に思ったこと、感じたことを吐きだすことを、これから練習していこうね。
大丈夫!
ワークショップで出来なかったから終わりじゃないよ。
これから練習していけばいいからね。大丈夫。


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そして、私が過呼吸になりそうで、口にするのが怖かった言葉、
ワークショップで私に聞いてほしかった言葉は、
「お母さん、助けて!」だったんだね。
Sちゃん、よく言えたね。よく伝えてくれたね。ありがとう。

私はこの言葉が意外だったよ。
「お母さん、もっと愛して!」
「お母さん、私をもっと見て!」
という言葉を予想していたから、
「助けて!」とココロから吐き出される、叫ぶとは思わなかったよ。

でも、
ワークの最後に大人の私が、子どもの私に会いに行く瞑想で、
当時住んでいた家に、私とお母さんがいたけど、
お母さんは私に背を向けて台所にいた。
「助けて!」と叫んでも振り向かない、
手をのばしても届かない場所にお母さんはいた。

だから、
大人の私が会いに来た時、安心して嬉しかった。
でも、
大人の私が帰ってしまう時、
子どもの私は「またひとりぼっちになってしまう」と怖くて、
大人の私が帰ってしまうのがイヤだと感じた。
そして、
大人の私も、子どもの私をほったらかして帰るみたいで、とても心苦しかった。

だから、
また子どもの私に会いに、
「インナーチャイルド・ワークショップ」に参加したい、と思いました。