2013.11月開催 「トラウマケア・セッション」けふぇうすクラス(2回目:Special PAY FORWARD)

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T. I. さん(30代/徳島県よりご参加) けふぇうすクラス



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1)あなたの問題は、そもそも、どんな主訴でしたか?


ONSA WORKSHOP を受講する前を思い返すと、心のどこかに常に違和感や焦りみたいなものを感じていたように思います。もともと恐怖心が強いところがあり、自己肯定感や自分に対する信頼も低かったように思います。自分の気持ちを伝えたりなど表現することに恐怖心や苦しさをずっと感じていました。



2)どんな環境、どんな過去を持っていますか?
どんな痛みの体験が影響して、そのような主訴を持つようになったのでしょう。
過去を振り返ってみましょう。
あなたは、どのような体験をしたのでしょうか。



父がアルコール依存という家庭環境で育ってきました。幼少時から、それに伴うトラブルに巻き込まれ、常に恐怖心でいっぱいの生活を送ってきました。中学生の頃には、心身の異常に悩まされるようになり、生きていくことが苦しくて仕方なかったのを憶えています。

私は、幼少時から自分の気持ちを表現することがあまり出来ませんでした。恐怖心からか、自分のなかにずっと閉じ込めたままだったのです。

大人になってからも、そんな自分に悩んでいました。人間関係、人とのコミュニケーションが上手く築けないことがとても苦しかったのです。表面的なことではなく、信頼関係だったり、そして自分とのコミュニケーションも取れていませんでした。自分がどうしたいのかどうしていきたいのか、まったくわからなかったのです。心のどこかにずっと苦しさを抱えていました。



3)ONSA WORKSHOP および TAT セッションで、その過去(正確には、過去に対する考えや意見、痛みの感覚やぐるぐる思考など)がどんな風に変わってゆきましたか?


過去に対する考え、痛みなどを少しずつ手放せるようになってきました。WORKSHOP を受け始めた頃は、過去や心の痛みと向き合うことに苦しさを感じることもありましたが、回数を重ねる度に、自分との信頼関係も少しずつ築けるようになり、過去に対する捉え方も変化してきたように思います。過去は過去、今は今というふうに認識出来るようになってきました。



4)TAT セッションを受けるには、どんな前提条件が必要だと思いますか?

ここで言う条件とは、人的条件やお金といった条件ではありません。
たとえば、集中を切らさないで人の話を聞けること、自分の痛みのルーツが分かっていること。「裁かない」 こと、自分にウソをつかないこと、時間に間に合うように来ること、ルールを守れること、協調性が養われていること………など、体験した人だから分かることがあると思います。
ONSA WORKSHOP と TAT セッションをご自身で体験してみて、TAT セッションにはどのような前提条件が必要だと思うか、受けてみて感じたことを、ご自身の言葉で教えてください。



自分との信頼関係を積み重ねていこうとする気持ち、それがいちばん大事だと感じました。



5)もし自分が ONSA WORKSHOP で訓練をしないまま TAT セッションを受けていたら、どんな風であったか、想像して、教えてください。

自分の苦しみ痛みのルーツがわからずに、問題が出てくるたび、TAT セッションで解決しようと依存したかもしれません。



6)ONSA WORKSHOP は、TAT セッションを受けるにあたり、あなたにとってどんな風に役立ちましたか?


自分と向きあう時間を持つことで、自分の問題や、痛みのルーツがどこから来ているのかを知ることが出来たこと。それによって、自分の主訴がどのようなものか意識ができ、TAT セッションにチャレンジすることが出来たと思います。

ONSA WORKSHOP に何度か参加していることで、心を開けれる安全な場所だということもわかっていたので、安心して TAT セッションに取り組むことが出来たと思います。



7)TAT セッションを受けてみた後、1)と2)で書いた問題は、どのように変化しましたか? そしてその変化は、あなたにとって、どんな風に感じた出来事だったでしょう。
あなたの言葉で教えてください。



過去に対してのさまざまな想い。今まで育ってきた環境に対して、正直悔しい気持ちもあったり、上手くいかない時、そんな家庭環境のせいにしたりしていたけれど、今では切り離して考えれるようになってきたと思います。
過去は過去、今度は今ある人生を大切にしようと思えるようになってきたこと、未来を見つめれるようになってきたこと、どんな自分であっても、いい意味でもういいやと思えるようになりました。
これからはもっと自分で自分の人生を大切にしていきたいと感じています。



8)これから ONSA WORKSHOP ならびに TAT セッションを受け、みずからのトラウマに向き合ってゆく方にメッセージをお願いします。また、痛みのあまり、自分の人生をあきらめそうになっている方に、あなたにしか送れないメッセージをお願いします。


怖くても大丈夫だったと今なら言えます。
私は、WORKSHOP に参加するたびに、いつも大きな山を登るような気持ちで不安でいっぱいでした。でもいつもいつも小さな一歩からでした。目の前のことを精一杯することでしか乗り越えれませんでした。その小さな一歩がいつの間にか力強い歩みとなり積み重なってくると信じています。



9)最後に、ここまで歩いてきた自分自身に、メッセージをお願いします。
誰かに遠慮する必要はありません! 思い切ってどうぞ!
感じていることを、素直に書いてみてください。



今までの自分の人生を振り返ったとき、「よく頑張ってきてくれたね。」その一言に尽きます。

正直、辛かった記憶のほうが多かったけれど、自分の人生に対して諦めずに一歩一歩進んできてくれたこと、本当にありがとう。きっかけがどうであれ、こんなに自分に対して真剣に真摯に向きあうことが出来たことは、本当に尊い時間だと思います。これからも自分と手を繋ぎ、小さな一歩を大切にしながら、幸せな人生を築いていこうね。よろしくね。いつもありがとう!



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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) けふぇうすクラス



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1)あなたの問題は、そもそも、どんな主訴でしたか?


私の毎日は決められたことの繰り返しで、心の底から楽しいことなど何もありませんでした。
進学、就職、結婚、出産と、ひとつ積み重ねていくごとに生きることが重荷になっていきました。
私にとっては、そのどれもが夢をかなえたことだったはずなのに、それらを得た今が全然幸せではありませんでした。

会社の行き帰りも鎖につながれているように重苦しく、夫婦関係や仕事をしながらの子育てにも限界を感じていました。

「私はいつまでこんなことを続けなくちゃならないのよ!! もう仕事をするのも生きるのもやめたい!!」というのが本音でした。
今にも燃え尽きそうでした。

私は未来が想い描けませんでした。
この先良いことなど一つもないような気がしていました。
きっと、次の仕事なんて見つからない。だから、今の職場で文句を言いながら定年まで過ごすしかないんだろうな…。
結局、現状維持が私にとって一番お似合いなのだ…というあきらめの気持ちでいました。

私はずっと死にたかった。ここから消え去りたかった。
私がいない方が世の中も家族も上手くいくのではないかとさえ思っていました。


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それでも、自分自身に取り組む以前より全体的な気分はよくなってきていました。
不合理な罪悪感や、不機嫌な人を見ただけで「自分のせいかもしれない」と思うことは、ほぼ無くなりました。それだけでも、とっても生きやすくなりました。
   
それなのに私は依然、消えない無力感に悩まされていました。
「私はきっとこの状況から脱することができないだろう」
「どうせ私は何をやっても上手くいかないのだ」
「たとえ、今に幸せを感じられなかったとしても、私はこの程度で満足するしかない」
「あぁ…だめだ…私」
という考え支配されていました。

もう何年もお付き合いのある臨床心理士さんにさえいまいち心を開ききれず、仲間を捜しに自助グループに行こうにも、人が恐くてなかなか足が向かないという始末でした。

人が恐くて、人が信じられず、人に対する共感能力も低いのではないかという不安が密かな悩みでした。

他人と上手くやれないわけではないけれど、表面だけ上手く見せかけているだけの、心の交流の無い関係にとても疲れていました。



2)どんな環境、どんな過去を持っていますか?
どんな痛みの体験が影響して、そのような主訴を持つようになったのでしょう。
過去を振り返ってみましょう。
あなたは、どのような体験をしたのでしょうか。



私が小さな頃から、父は何か気に入らないことがあると怒って暴力を振るいました。
母はそんな父の暴力を受けながらも、「この人と一緒に居てあげられるのは私しかいない」と考えていたようです。

目の前で物が飛び交ったこと、母が投げ飛ばされてガラスの扉にぶつかったこと、父が投げたおみそ汁がガスストーブにかかって「ジューッ」と音をたてたこと、ものすごく怖かった。そして、怖がって泣いていた私を両親が慰めてくれることはありませんでした。

また、私の実家はお風呂とトイレが脱衣所でつながっていたのですが、父は私がお風呂に入ると決まって、トイレに長く入っていたり、歯を磨きに洗面所を使ったりしにきました。
私はしばしば、今じゃなくてもいいのに! と思いながら、父が脱衣所を出て行くのをお風呂の中でじーっと待っていることがありました。

今、児童虐待、性的虐待関連の本を読んでみて、父は私に性的な興味があったのだなと解釈しています。極めつけは、夜寝ているときにキスをされました。
私は、自分自身に何が起きているのかを理解するまでに時間がかかりました。
今でも、その時の記憶が断片的で、はっきりとした時期も思い出せません。
あのころの記憶は、何もかもごちゃまぜになってしまっています。
その中に、もしかしたらとっても楽しかった記憶も埋もれてしまっているのかもしれません。
父は性的に虐待し、身体的にも虐待をしました。誰にも言えなかったし、母にもそのことを伝えるまでにもずいぶん時間がかかりました。


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父は、私のやることなすこと気に入らなかったようで、私が10代になると昔は母に向かっていた暴力が私に向かってくるようになりました。
私が読んだ本の中で、娘の裸を見たくなってしまう自分の苛立ちを、娘にぶつける父親がいるということを知りました。
本当に、こんな理不尽なことがあっていいのだろうかと怒りの気持ちがわいてきます。
私はそんな父に、私の初潮を「おめでとう」と言われたときは吐きそうでした。

そして、父の暴力に傷ついた私を、母は「お父さんを怒らせたあんたが悪い」と言い、妹は「ばかみたい」という目で私を見ていました。
家の中では、私が「問題児」で妹は「いない子」の役割。
妹は「いない」ことで自分に火の粉が降りかかるのをさけていました。
私は妹に、私と一緒に戦ってほしいと思っていたのだけれど。

母には私の思春期の心と身体の変化を見守って、励ましてほしかった。
私は、初潮を迎えてもしばらくそのことを母に言えず、ナプキンが必要だとも言えなくて、ティッシュを丸めたものを使用してしのいでいました。

母には何も相談できなかったし、面倒をかけてもいけないと思っていました。嫌われて無視されたくなかった。
父が私にキスをしてきたことを母に伝えたときの母の反応は記憶がぼやけていますが、何となく怪訝そうな顔をしていたのを覚えています。
次の日から父は別の部屋で寝ることになり、私は寝る位置を換えることになりました。
母の早い対応は今から考えると良かったと思います。父が私の身体に触れてくることは止みました。

私は、これで決定的に母を喜ばせられない子どもになってしまいました。


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私は母に受け入れてほしかった。
父が変なことをしても「大丈夫だよ、ごめんね」と抱きしめて欲しかったのに、それは叶いませんでした。

私は無理だと知りながらも、母に受け入れてもらえることを渇望していました。
それを母にべったり依存することで満たそうとしていました。

何かを決めるときにも母に相談しないと不安で決められませんでした。就職後に家を追い出されなければずっと実家に居座っていたかもしれません。「虐待された子は親から離れられなくなる」という言葉を本で読みましたが、まさにその通りのことが私に起こっていました。

ちなみに、結婚前に夫となる人を紹介したところ「あんなに世話してやったのに!!」とものすごく不機嫌になってしまいました。
変化を嫌う母は私が結婚する事が許せなかったようです。子どもかできたと告げたときもあまり喜んではくれませんでした。

結婚してからも掃除の仕方や料理の栄養バランスなど、母に怒られないようにしっかりやらなくては! ということを無意識に考えてしまっていました。
強迫的に掃除や料理をしていました。


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その後、母との幾度かのぶつかり合いを経て、今は母にもNOが言えるようになりました。適度な距離を取れるようになったように思います。

私はいつでも母に私が一番好きで一番大事だと言って欲しかったのだと思います。
だから母を喜ばせたかったのです。
けれど、私は小さい頃から、何をしても母を喜ばせることはできませんでした。
7歳の頃、母の日にカーネーションの鉢植えをプレゼントしたら「無駄遣いして!」と不機嫌にしてしまったこともあります。
この、母を喜ばせられなかった体験が「私は誰も喜ばせることはできない。」というネガティブな考えとして今の私を制限しているように感じています。

うちは両親が共働きだったので、平日の夕方から夜までの時間は唯一心からリラックスできる時間でした。
親が居るときの家の中は全く安全ではありませんでした。
両親は私に、お行儀よく、おとなしく、口答えしないよい子になって欲しいと考えていたようです。私の意見は重要ではなく、親に口答えせず従順でいることが求められていました。


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小さい頃はとにかく父を怒らせないようにビクビクしながら過ごしていましたが、思春期頃になると父の暴力に立ち向かわずにはいられませんでした。
私は自分を守るために、父と取っ組み合いの喧嘩も戦いもしました。
家に父が居るときはいつでも反撃できるように身構えていなければならないので、本当に疲れました。
父は今、実家を出て別居していますが、あの頃別居していてくれればよかったのにと思わずにいられません。

私が、自分が女性であることを喜べないのも(そして結婚生活を喜べないのも)、人といると落ち着かない気持ちになるのもこんな幼少期からの環境が原因だったのだと思います。
そして、自分の意見を言うことで暴力を受け、感情を表現すると怒られたり、バカにされたりしたため、私はだんだん自分の感じていることに自信が持てなくなっていきました。特に喜びの感情は私に恥辱感を起こさせるため、なるべく感じないようにしてきました。
この無意識の習慣が、私から幸せを遠ざけていったのでした。


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小学4年生の時、一番仲の良かった親友に裏切られたり、女子グループに無視されたり、意地悪をされることもありましたが、家庭での危機に比べればさほどつらくはありませんでした。とにかくいじめには取り合わないようにしていたら、自然と止んでいきました。
仲の良い友達も助けてくれたのもありがたかったです。

家庭の中では誰も助けてはくれませんでしたが、窮地に陥ると誰かが助けてくれました。友達のお母さんは、私を気にかけてくれて、一緒に遊びに連れて行ってくれたり、教室で無視されたときも「気にしなくていいよ」と言ってくれる友達がいました。
親友だと思っていた子が離れていったときも一緒に遊んでくれた。
ありがとう。


私がここまで生き抜いてくるのは本当に大変でした。
まさに、私は生き抜いたという言葉がぴったりだと書いていて感じました。



3)ONSA WORKSHOP および TAT セッションで、その過去(正確には、過去に対する考えや意見、痛みの感覚やぐるぐる思考など)がどんな風に変わってゆきましたか?

私は、TAT セッションを受ける度に気持ちが少しずつ前向きになってきているのを感じています。
今回の対面式セッションでは、ドバッとクレンジングリアクションが出て、「あ、いま何かが行ってしまったのね」と感じました。
ずっと取りたかった重苦しいそれらが行ってしまうことに名残惜しさを感じている自分がいて、少し笑えました。

私は「家族の問題で学校生活を無駄にした」「貴重な青春時代を楽しめなかった!!」と悔し涙を流した日々もありましたが、何故か今は「その中でも、楽しいことはたくさんあったな。友達とくだらないことで笑いあったことも楽しかったな。」という気持ちがわき上がってきています。

加えて、初めての海外旅行だったイタリアで、イタリア人の無愛想さに大きなショックを受けたことが何年も尾を引いていたのですが、今そのイタリア旅行のことを考えると、そういえば笑顔で接してくれた店員さんや、親切にしてくれた人たちもいたなあ、私は悪い出来事や不機嫌な人の態度にばかり心を奪われていたのだなあと、そんな風に感じられるようになってきました。
なんか不思議です。
そしてなんか幸せな気分です。

Web セッションを終えてから仕事が忙しくなってきたこともあって、今は体調がいまひとつですが、これが晴れたら出てくるであろうスッキリ感が今から楽しみです。

自分に取り組み続けて、今私はかなり生きやすくなりました。
孤独感も減りました。
日々を過ごしていると「あーいやだ!」と思うことも多いですが、それでも何となく「私は、大丈夫」という自信のようなものか芽生えてきたのを感じています。



4)TAT セッションを受けるには、どんな前提条件が必要だと思いますか?

ここで言う条件とは、人的条件やお金といった条件ではありません。
たとえば、集中を切らさないで人の話を聞けること、自分の痛みのルーツが分かっていること。「裁かない」 こと、自分にウソをつかないこと、時間に間に合うように来ること、ルールを守れること、協調性が養われていること………など、体験した人だから分かることがあると思います。
ONSA WORKSHOP と TAT セッションをご自身で体験してみて、TAT セッションにはどのような前提条件が必要だと思うか、受けてみて感じたことを、ご自身の言葉で教えてください。



私は、たくさんの ONSA ワークショップを受講してきました。
はじめのうちはとにかくその場に居るだけで精一杯でした。課題の締め切りにヒーヒー言いながら、とにかくこなすことしかできませんでした。
締め切りの厳しさに釈然としない思いで「時間時間ってビジネススクールみたいじゃない!! これって夢と関係ないでしょ!!」なんて内心反発していたこともありましたが(はじめの2回は特に…優月さんごめんなさい…。)、少し慣れてくると、それは私に対する意地悪ではないことに気が付いて(当たり前ですね…私は初めの頃相当ゆがんでいました…。)ワークショップの内容も頭に染み込んでくるようになりました。

そして、同じワークショップを何回も受けているうちに「知っている」ことが「できる」ことに変化していきました。

何度か ONSA ワークショップを受ける課程で、今まで私にとっては当たり前で、人に話しても取り合ってもらえないだろうと思っていたことが、実はトラウマと呼ばれるものなのかもしれないと気付くことができました。
このことで、なぜ私はこんなにも自分を責めてしまうのか、自分を好きになれないかの原因がつかめました。

自分自身に興味を持って、地道な一歩ずつをあきらめずに自分自身と付き合ってみたら、いつの間にか遠くまで来ていました。

ONSA ワークショップを複数回受けるうちに「4つの約束」も身についてくると思います。これにプラスして、道のりは本当に地道なもので、気分の浮き沈みもあるものなのだと覚悟を決め、あきらめずに自分自身と向き合うことができたら強いと思います。



5)もし自分が ONSA WORKSHOP で訓練をしないまま TAT セッションを受けていたら、どんな風であったか、想像して、教えてください。


私が ONSA ワークショップの存在を知らずに TAT のみを目の前に差し出されたら、私は自分をもっともっと頑張らせるための道具として利用していたかもしれません。
嫌いなことを無理してやり続けたり、嫌いな人を愛そうと努力したりなど、自分に優しくない方向に突き進んでしまっていたかもしれません。
また、TAT をゴールにしてしまって、その後自分と向き合うことを止めてしまっていたかもしれません。
そしてまた、ひたすら他人にエネルギーを注ぎ続けてしまったかもしれません。



6)ONSA WORKSHOP は、TAT セッションを受けるにあたり、あなたにとってどんな風に役立ちましたか?


ONSA ワークショップで徹底的に自分と向き合うことを通じて、両親の子育ての何が健全で何が不健全だったのかが理解できるようになりました。それが現在の私にどのように影響しているかも認識できるようになりました。
そうやって取り組んでいくうちに、私にとって取りたいトラウマが何なのかをはっきりさせることができました。
また近親姦が、私の考えていたよりも重い傷を残すことも知り、しっかり自分と向き合う覚悟ができました。

たくさんのワークを経て、ONSA ワークショップ内では自分のことを話すことになれてきました。
私が受けた傷を軽く見ない、だからといって復讐に命を燃やすのでもない、とにかく自分自身を大切にすることを学びました。

今まで誰も取り合ってくれなかった私の想いを自分自身がきちんと聞いてあげること。
その練習をずっとしてきたおかげで、また TAT を受ける機会が訪れたのだと思います。



7)TAT セッションを受けてみた後、1)と2)で書いた問題は、どのように変化しましたか? そしてその変化は、あなたにとって、どんな風に感じた出来事だったでしょう。
あなたの言葉で教えてください。



私は、私の人生はこの先もずっと変えることができないと切実に悩んでいました。何の為に生きているのかわからず、とてもむなしかった。
私の人生が上手く行かないことを身近にいる人のせいにして、彼らがいるから私は幸せになれないのだと強く感じていました。

今は、父のことも母のことも、もういいやと思えてきました。
あの人たちにとっては、あれが精一杯だったのだろうから。
あのときお父さんやお母さんが不機嫌だったのは私のせいではないし、私がどうにかできる問題でもなかった。

だから私は私自身の人生を楽しく生きていこうと思えるようになってきました。
私の周りには、無愛想で不機嫌な人ばかりではなく、優しくてあたたかい人もいるのだから、そちら側の人たちに近付いていこうと思います。

私の過去は変えることができないし、他人も変えることはできない。
そして、私の全てを一気に変えることもできないけれど、私は少しずつ自分自身を良い方向へ変えてゆけるのだと感じています。
「私はこれからもっともっと良くなってゆける、私は大丈夫」と確信しています。

仕事もすぐには辞められないし、すぐに離婚することもできないけれど、今までのように取り組んでゆけば、あせって全てを壊さなくても、もっといいものを手に入れるタイミングも訪れるのだと思います。

これからは、私が巻き込まれていたこと、しがみついていたことから少し距離を置いて冷静に観察してみようと思います。



8)これから ONSA WORKSHOP ならびに TAT セッションを受け、みずからのトラウマに向き合ってゆく方にメッセージをお願いします。また、痛みのあまり、自分の人生をあきらめそうになっている方に、あなたにしか送れないメッセージをお願いします。


自分の体験を書いていると、本当に大変な人生を歩んできたと感じます。
そして、数年前の私はこの自分の体験を大変だとは感じられませんでした。
何故こんなに生きづらいのか、何をしても罪悪感を覚えるのか、自分に自信がないのかがわかりませんでした。
ただただ、訳も分からず自分を責め続けていました。

今、つらいことがつらいと言えるようになってとても楽になりました。
ONSA ワークショップやカウンセリング、たくさんの本を読むことを通じて、自分がいかに大変だったかを理解することができました。

私は時々、「きっと私よりもつらい思いをした人もいるのだろうし、私の痛みなんか、たいしたことない」と思ってしまうことがあります。
そんなときは、体験してきたことは人それぞれ違うのだから、私がつらいと思うことには「つらかったね」と言ってあげてもいいのだと思い直すようにしています。

私は、私の体験を「つらかった!」と思えるようになってから、前向きに自分自身と向き合うことができるようになりました。

そしてその中で怒りや恨みの感情を通り過ぎ、ほんの少し幸せを感じられるようになってきました。


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私は私の人生を、誰かを恨むことや仕返しをする事に費やしたくはありません。

私はもっと私の人生を楽しむことに時間を使いたい。
私の人生の主役は私なのだと言うことをいつでも忘れずにいたい。

優月さんが「練習すれば誰でもできる」といつも言ってくださっていたことは本当だったなあと、しみじみ感じています。

私はこれからも自分と向き合うことを続けていきます。

クレンジングリアクションが出続けているときや、気分が落ち込むときには、「ああ…きっと私、もうだめだ…。」といつものように考えて、つらくなってしまうときもあります。
そしてしばらくしてそんな気持ちは波のようにすーっと引いていき、少しの落ち着きを取り戻した後、また次の波がやってきます。
波にもまれるのは苦しいけれど、波が引く度に少しずつ私が強くなっていくのを感じます。

だから、自分と向き合うのは楽しくて面白いなと思います。

私は、私の体験してきたことを家族も含めてもっと知りたいと感じています。
そして、これからも私と一緒に歩んでいくことを続けていきます。



9)最後に、ここまで歩いてきた自分自身に、メッセージをお願いします。
誰かに遠慮する必要はありません! 思い切ってどうぞ!
感じていることを、素直に書いてみてください。



私へ
いつも私に向き合い続けてくれてありがとう。
自分と向き合おうと本気で決めてから、一緒に密度の濃い時間を過ごしたね。
ながいながい時間だったと感じるけれど、まだ3年もたっていないのにびっくりしたよ。

自分自身を信じて歩み続けるって、大変なことも多かったし、クレンジングリアクションもつらかったね。
もう二度と浮かび上がれないんじゃないかというくらい落ち込んだこともあったよね。
それがクレンジングリアクションだとわかっていてもつらいよね。

それでもあきらめずに、辞めてしまわずに取り組み続けてくれてありがとう。

私はほんの数年前の私とは確実に考え方が変わっているよね。
本当に3年も経っていないなんて信じられないよ。
なんど数えてもやっぱり3年経ってないんだよ…。

あの頃「どうせ私なんか、何をやっても変わらない」と思いこんでいたのに、今は「なんか、できそうかも」と思えているんだよ。我ながら驚くよね。

TAT は確実に私の歩みを進めてくれたと感じるね。

優月さんに感謝を捧げます。本当にありがとうございます。

そして、あのとき直感で TAT を受けたいと思えた私にも、ありがとう。

この体験は、私が前を向いて歩み続けて行くための糧にしていこうね。
そして、2014年も引き続き ONSA ワークショップで自分と向き合って行こうね。

これからもよろしくね。
ありがとう!!!