2016.07-10月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(前期日程)」ほうなクラス

画像
タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) ほうなクラス



タイトル下の線


最後は、かっこよく終わりたいっていつも思って、なかなか終わろうとしない。
振り返りが苦手なのも、ここにあるんだろうな。
今よりも未来へ、がんばれ、がんばれって。

そんな中、PAY FORWARD にきました!! 
やったー。なんやかんや言って、もう6回目。そう思ったら、私、凄い!

本当に三カ月お疲れさま。


文節区切りの線

この時期は、子供の夏休みや行事がたくさんだった。
ほんと、大変だった。
そんな中よくやりました。
諦めないで、転んでは、がーっと机の上をぐじゃぐじゃにしたくなるのをこらえ(ほんとこらえれる様になってきたね)、また、立ちあがる事が出来るようになったよね。

そう、「立ちあがる」。
立ちあがったその場所は、ゼロじゃないんだと知った。
だって、手元に、こんなに分厚い「じかんのきろく」があるもの。

私の中には、何にも残らなかった気がしている。
そんなことないよ。
これは、すべて、私の心の中から溢れだした言葉なんだよ。
そして、私の現在と過去。
生きているし、生きてきたってこと。


文節区切りの線

最初の週に、「課題を読んでいると、子供と重ねてしまって、申し訳なくて苦しい。私の幼少期よりも子供に意識が行く。」と書いてあった。
今は、どうだろう?

あれ? そんな感じがなくなった。不思議だ。
とにかく、自分の幼少期の苦しかった事、嫌だった事に、まっすぐ向き合った。
たくさん、たくさん、溢れだす。それを、一つずつ文字にする。声に出す。
それが、よかったんだろうなと思う。
それは、私の強みだ。大切にしたいな。


文節区切りの線

今の手帳は、白くなった。その白さは、そぎ落とされた感じがする。
三カ月前の手帳が、真っ黒なのは、60%のつもりで、実はめちゃくちゃハードだった。私の頭の中って感じだ。

あ、そうだね。休めるようになったかな。
体を横にする事に罪悪感を覚えなくなったかも。

そうだったら、家事もかなーりゆるくなった。
私は「ゆっくり、丁寧に生きていたい」。
そう思ったら、自分の判断が鈍る事が減ったかもな。
たとえ、晴れていても洗濯しないとか。
私のペースで、私の為に、家事をする。そんな感じかな。
すごく楽になった。不要なものに囲まれなくなった。

育児も、もうあと少しで、何かが見える気がしている。こうご期待。
自分で少しワクワクしている。ここも、私は「ゆっくり、丁寧に生きていたい」。
あ、ここだ。
テレビを見る目を、子供の方を見る目に…笑いながら、子供の話を聴いていたい。少しずつ、角度が変わっていく感じがしている。ぎぎぎぃと音を立てながら…。

自分の一人の時間が、丸一日とれないと、休んだ気になれないのに気が付いた。
「今、ここ」で、休む。ぼーとする。
「今、ここ」が大事。「今、ここ」を生きる。
これが終わったら、休もう。じゃなくて、今、休む。
一日の中に、休める時間がある事に気付いた。
そう、手帳では、一日の欄に予定が書かれていても、細かく見れば、それは、丸一日の予定じゃない。

いろんな事に、巻き込まれなくなってきたなって思う。
これ、凄く思う。
ほんと、こつこつ、一つずつ向き合える様になった。


文節区切りの線

先日、夢を見た。
家に帰ったら、母が台所に立ち、そして、メールの返事をしていない友人がお茶を飲んでいて、もう一人、自分の都合のいい時に連絡してきた友人がイベントチラシを持って座っていた。勝手に私の所にやっていた。
恐怖で目が覚めた。
部屋を見渡せば、誰もいない。

母が、我が家にきたいと子供に電話で話してきた、その夜だった。
絶対に、家に来てほしくない!!! 私は心の中で叫んだ。

こんな夢を見るなんて、私の決断は、間違っているんだろうか…。
責められる感じがしている。私の人生なのに。
そう思った。


私の心の中には、まだ、誰かがいる。そう感じた。
怖い怖い夢だった。

だから、私は、諦めない。
私は私を生きたい!!! もう戻りたくないんだ。戻れない。


文節区切りの線

私の人生の道は、ONSAに出会って、向きが変わった。
あの時、歩きださずに、あのままの道を歩いていたらどうだっただろう。

パラレルワールドがあるなら、きっと、あの時に、違う世界が生まれた。
私は、この道を選んでよかった。ほんと、よかった。
いっぱい泣いた、苦しんだ。そして、いっぱい、笑える様になった、心が軽くなった。身体も軽くなった。
よかった。よかったね。

あの時の私。聴こえる? こんな私になったよ!!


お仲間さん、沢山の気付きと、共に歩んでくれてありがとう。
藤沢さん、どんな時も、そっと温かく見守ってくれて、縦走してくれて、ありがとう。

ガッツポーズに、拍手喝さい。




タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) ほうなクラス



タイトル下の線


今回も、本当にあっという間の3か月間でした。

私は、最近ずっと1度に1つずつワークショップに参加していましたが、今回はこのクラスと並行して、夏の ONSA WORKSHOP(対面式)のアフターワークと、秋の ONSA WORKSHOP(対面式)「時間のためのちいさなワークショップ」のプレワークもやったので、自分に取って大きなチャレンジでした。

このワークショップでは「過去」、秋の ONSA WORKSHOP(対面式)では「未来」と、逆方向に目を向ける内容だったので、正直混乱したし、なかなかプレワークは進まないし、Web. WORKSHOP についていくのも精いっぱいでした。
毎日もう必死でした。

自分の理想としては「両方を少しずつやる」だったけれど、なかなかそうはならず。
実際に自分が使った時間を見ると、Web. WORKSHOP =過去にさいた時間の方が多かったです。
ちょっとがっかりした気にもなりましたが、「それが今の私の心の中で(今と未来より、過去の領域が大きい)評価する必要はない。それはそれでいい。」と感じました。


ただ、時間がない中だからこそ、私はいつもより自分の過ごす「時間(有限なもの)」を意識出来たかなぁと思います。
「限られた持ち時間の中で、どうしたら両方のワークに時間をかけられるか?」「どうしたらその時間に満足出来るか?」意識しながら、トライ&エラーし続けられました。


文節区切りの線

私は、違うと分かっていても「がんばること」「がまん」「自分を変えること」が自分の存在証明で理由だったので、今までは「自分の持ち時間全てをワークにかける」位やらないと、自分を OK と認められませんでした。
又、時間制限を設けず「出来るまでやる」「限界までやる」と思っているところがあったと思います。
(我ながら、なんだかスポ根みたいだったと感じています。根性でどうにもならないと分かっていても、過去の習慣は根強いですね。)

回復を最優先するという意味ではそれはそれで良かったのかもしれませんが、その考えはすごくプレッシャーになっていたし、時間も不安定だったかもしれません(プレッシャーからワークに取組めず、気晴らしに走るパターンがありました)。
又、「ワークがあるから、先のことなんて考えられない」「効率優先」「したいことは後まわしで仕方ない」という、どこか逃げにつながっていたかもしれません。

今回は、限りある時間の中でワークする為に、あらかじめ自分の使える時間を意識し、やる時間を決め、スケジュールを具体的にして取組めるようになってきたと思います。
又、出さない手紙を書く時に、今回初めて「今感じたことを書ければ OK。書きたいことが出てきたら、又書けばいい。」と思えました。

目標に「今出来たことだけで充分、と思えるようになりたい」と書いていましたが、少し近づけた気がします。

今は、回復を最優先にしつつ、今の生活・時間を満足して過ごしたり、前向きな未来を作るための時間を少しずつでも取れるようになりたいと思っています。


文節区切りの線

3ヵ月を振り返って、私は本当に勇敢によくやってきたと思います。

今回このワークショップは3回目だったので、初めは正直もう気付くこと・思い出すこともないんじゃないかと思っていましたが、そんなことは全然ありませんでした。
共依存を自分のこととして心底理解するのは難しいということ、だからこそ何度でもやる必要があるのだと自覚しました。


私は、3回目にして、初めて共依存を理解した気がしています。
3回目にして、初めて本当に自分の身に起こっていたことなんだと自覚したような気がするし、自分に取っての共依存がよりクリアになったと感じています。
前より「自分のしていること」に気付けたし、幼かった私が安心や愛情を欲しくて始めたことなんだと理解できました。


私が母と共依存関係になったのは、自分の境界を築く前でした。

私は、小学校入学の1年前に引っ越しをするまでは、自己評価が高く、イヤなことには抵抗する心の力があったと思う。
母はおおむね精神的に安定していたし、父も家庭に関心あったし、周りに気にかけてかわいがってくれる大人が沢山いたから。それに遊ぶ友達もいたし、大好きな幼稚園もあったから。

処が、引っ越し後はその全てがなくなり、母と私だけの閉鎖的な環境になった。
母が付き合う人もほとんどなく、周りに気にかけてくれる大人はいなくなり、遊ぶ友達もほとんどいない環境だった。
父は家庭に関心がなくなり、助けを求められなかった。姉は、自分のフラストレーションを私にぶつけるようになった。
私は、小学校でも、周りから浮いていた。

そんな私には、本当に母以外頼れる存在がいなかった。母しかすがるものがなかったから、すがるしかなかった。
(私は、この時の「母しかいない」という気持ちを引きずったまま生きてきたんだと思います。今も、私は「この人しかいない」「ここしか居場所がない」という思い込みがあります。「その人」がいなくなることで、私の人生はどうにもならないように感じます。)

だから、母からのメッセージは絶大。

「あなたのせいで」
「あなたは大切じゃない」
「あなたは NG」
私はそれをそのまま受け入れて、自己像・自己肯定感がそこなわれ、抵抗する気力はうばわれた。
私は劣っている存在、歓迎されない存在、だから母に頼らないとやっていけないし、母に認められるようがんばらなくてはいけない。

「私の言う通りにして。」
「私と同じであって。」
「都合よく立ち回って。大人として私を支えて。でも、私より出来る存在にならないで。大人にならないで。私の境界線から出て行かないで。」「私を助けて。私の人生を何とかして。」

限りのない要求に、巻き込まれた。


閉鎖的で支配的な環境で、自分で何かを選んだり、本当に自分がしてみたいと思ったことにチャレンジしえてトライ&エラーする経験なんて、出来なかった。
私に出来た選択といえば、「楽な」選択をすること、ぎりぎりまで決めずに人の考えを借りて決め、「仕方なかった」と自分を無理やり納得させることだけだった。

どこかに納得のいかなさや苦しさを抱えていたけれど、「ここ(家族)でなければ、生きられない」「すがるのはこの人しかいない」と思うからこそ、ひたすらガマンするしかなかったし、「家族を悪く思う自分が悪い」と自分の感覚をまひさせるしかなかった。

「共依存者は、人から認められないと自分がない感じがする。でも、他人は思い通りにならない。だから、いつも認めてもらえるように人をコントロールする。コントロールするのは、社会的に自立した人ではなく、未熟な存在の方がしやすい。その典型は、自分の子供。」
母と私の関係そのものでした。

私は、母の都合のいい存在でいるようコントロールされていた。
母は「あなたのせいで」と言うことで、「自分(母)で自分のことを責める」ことで私の罪悪感に訴え、「あなたは優しいから(優しいいい子なら、私の期待通りふるまって)」と言うことで、私を思う通りに動かしていた。期待通りに動いた時だけ、私は認めてもらえた。
私は、本当に「支配的な親と愛情を欲しい子供」の関係に巻き込まれていた。

でも、誰も味方がいなかった中で、小さい子供に何が出来ただろう?


文節区切りの線

私には物理的にはお父さんもお母さんもいたけれど、心理的には頼れる人がいなかった。
自分が頼る代わりに、ずっと心理的に親の役割を肩代わりしてきた。
「私がもっとがんばれば、私が変われば、母は私の欲しいものをくれて、満たしてくれるに違いない。」って思って、暗黙の要求にずっと無理して応えてきた。

与えることの出来ない人たちに与えてもらうために、必死でやってきた。
与えるのが無理な人を相手に、無理な方法で承認を求めていた。
何という矛盾。

私は、本当に「お母さん」を求めていたんだなぁ。
私には、本当に「お母さん」=「(心理的な)安心、受容、承認、励ましを与えてくれる存在」がいなかった。
私は、ずっと表面上はしっかりしているふりをしながら、信じられない・信じられるものがないから不安で、本当に無意識のうちに「ずっと変わらないもの」「母なるもの」がほしくて、探し続けていた。
ずっと、安心したかった。

(今までも気付いていない訳じゃなかったけれど、心底認められなかったのは、自分の中にまだ「認めたくない」という気持ちがあったからだと思う。
私はとっくに分かっていたつもりだったけれど、心のどこかに「私はいい大人なのに」「あんな大人子供にまだ愛情をもらいたいと思っているなんて、認めたくない」という気持ちがあって、自分のしていたこと・していることを素直に受け入れられていなかったのだと思う。)


文節区切りの線

そんな風に成長した私は、大人になっても「母親のような存在」を探しすがる以外、安心を得る方法を知らなかった。
常に「自分を認めてくれる人」「承認を与えてくれる人」「(自分から見て)すごい人・素晴らしい人」「自分に関心を与えてくれる人」「私の問題を解決してくれる人」を、自分の中心にすえて生きてきた。

そして、「その人だけが全てにおいて OK で、他の人は NG(けなす対象)」になっていた。
自分も含め、NG だった。
でも、その人の価値観・やり方を自分の中心にすえている限りは、私も OK になっていた。
その人と同化し、その人の境界線の中にいる限りは、私も OK だと思えた。
(だから、私は「その人」にしがみついて離れられなくなっていた。離れていかないように、コントロールもしていた。)

こういう自己認識方法しか知らなかった。
(この処世術は、母がしていたこととそっくり同じだった。私は、母の処世術をそっくりそのまま取り込んでいた。あまりに長い間、母に取って「母=私」、私にとって「私=母」だったのだと思う。)

母親のような存在でいてもらうために、無意識に相手の承認を得る行動を取っていたと思う。「いいなり」と言ってもよかったかもしれない。
そして、「ずっと変わらないもの」「母なるもの」を人に求めると、何だか裏切られたような気持になって終わる。

どこか苦しい・おかしいと感じながら、私には「自分」というものが育たず「自分でやっていく」自信がないまま大人になったから、母や母から学んだ処世術で人に承認を求めることがやめられなかった。
自信がないからしがみつく、人にしがみつくからいつまで経っても自信がつかないし、人生が進まない。
そんな悪循環の繰り返しだった。


文節区切りの線

今回私に取って大きかったのは、ずっと私に「母なるもの」を与え続けてくれ、とても大切な存在だったYさんへ出さない手紙を書いたことでした。
今回色々気付けたのは、この手紙を書けたからなのかもしれません。
私は、「母なるもの」を自分の外へ求めることにお別れし、自分自身で安心を自分に与えると決めました。

今の私に取って本当に怖いのは、変われないことなのかもしれない。
このまま過去の延長で、ズルズル同じパターンで生きることかもしれない。ここに留まったまま(家を出られないまま)終わることかもしれない。
私は、このままどうしたいか分からなくて決められなくて、動けなくて一生が終わってしまうのが怖い。

だから、今とこれからを、今度こそ自分の本心に素直になって、大切にして、決めて、動いていきたい。
これからを生きる力をつけたい。
心の中の「今と未来の領域」を、少しずつでも増やして行きたい。


文節区切りの線

アップダウンを繰り返し3か月経った今、私の心の中は不思議と穏やかで平和です。
自分の傷を、子供の頃の苦しさを前よりずっと理解したから、私は自分に対して優しく声をかけられるようになりました。
厳しくすることではなく、思いやりをもつことで、「止まる」ことが出来るようになってきました。

でも、その平和は自然に湧き出たものではなく、人から与えられたものでもなく、ワーク・日記・カウンセリングを通して自分と向き合うことでやっと得ている貴重な平和なんだと、今は知っています。
だから、私はこれからも自分と向き合うことをやめません。


文節区切りの線

最後になってしまいましたが…。

藤沢さん、Web. WORKSHOP を継続するよう勧めて下さってありがとうございました。
続けたからこその気付きだったと思っています。

一緒に歩んだ皆さん、沢山の気付きと勇気をありがとうございました。
最初は全く知らないもの同士でしたが、3ヵ月お互い真剣にやることで支え合えましたね。
声をかけあうことは少なかったですが、今では不思議と皆さんに親しみを感じています。

私は、「あの人がいなくなったから、私はもう人とうまくやっていけない」「私は人間関係がうまく作れない」「将来、一人ぼっちになってしまう」と、どうしても感じてしまうんですが、皆さんとの経験を通して「私にも新たな人との関わりをつくれるかもしれない?」と、まだ少しですが感じられました。


そして、Web. WORKSHOP に参加することを決め、実際に3か月間やってきた私、本当にありがとう。
今出来ることは、やりきったね。
PAY FORWARD、今日終わらせられるようよくやったね。お疲れさま。
「過去」のことは、一旦ひと段落。明日は、思いっきり「未来」に心を開こう。

私は、いつもあなたのそばにいるよ。これからも、どうか宜しくね。




タイトルはじまり目印

K. M. さん(30代/京都府よりご参加) ほうなクラス



タイトル下の線


K(自分)へ
お疲れ様です。

「コース2/STEP.1(前期日程)」を始めるにあたって、すごく怖かった自分がいたけれど、休み休み進めるような課題だったので、3か月、なんとかやり通すことができました。

麻痺していたものが取れているのか、すごく苦しくて、心が痛い思いをしている自分がいます。
ワークをしていても、仕事で疲れていたり、お酒を飲みすぎた時など、軽はずみな行動、反応をしていて、次の日には苦しくなっています。
嫌な夢を見たりします。

4、5年前に優月さんにカウンセリングを薦められて、自分はそんなに重症? って感じて、カウンセリングも重く感じて、真剣に探せていなかったし、依存する相手から離れれば、自分は治った気でいました。
今は、自分に対して、怖いと思うし、このままではよくないと本当に思います。


文節区切りの線

私の共依存はなかなかワークでも言いにくくて、自分の中のぐちゃぐちゃな気持ちをすべていうことはできなくて、苦しく感じたりしました。
けれど、その中でも、思い切って言ったことに対して、仲間も言いにくかったことを言ってくれたのかなと感じたことがありました。

ONSA のワークでは、自分をたくさん褒めます。
不意にしてしまう軽はずみな行動、反応から自分を責めたり、悲しくなったり、とても褒められないと感じますが、この自己肯定感のなさが、相手に依存する原因…。

だから、褒めます。

この3か月、自分とたくさん向き合って、逃げなくて偉かったね。
共依存をそのままにしておくと、どうなるのか知りたかった。知れてよかったね。
自分の反応がどこからきているのか、自分にとっての家族問題。始めた頃は全然わかってなかったけれど、このコースで随分踏み込めたね。


まだまだ時間がかかるけれど、諦めてない自分がいる。
ワークで言えないことが出てきて、自分のような症状の人がどんな思いでいるか、そんな症状の人ばかりが投稿してるネットを見てみた。苦しんでない人が多い。けれど、自分の心は苦しんでいる。周りがそうだから自分も平気、ではなくて、自分の心を、自分を大切にしたいと思った。

そのためにワークは続けたいし、カウンセリングも考えてみようと思う。


文節区切りの線

「ほうなクラス」の皆さん、ありがとうございました。これからも諦めず、自分を大切に、頑張りましょうね。
優月さん、スタッフの皆さん、いつもありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

A. K. さん(20代/静岡県よりご参加) ほうなクラス



タイトル下の線


この3ヶ月、共依存という問題の知識を増やして、自分と向き合っていこうとしている間はすごく長く感じました。
でも、3ヶ月が過ぎようとしている今振り返ると、あっという間だった気がしています。


文節区切りの線

このコースは初めてで、なにか問題があると感じて、共依存についてのぼんやりした知識しかないというところから始めました。
このまま放っておいたらどうなるか、今の私が「本当は」どういう状態なのかを課題をやっていく中で見ていったのですが、気が重かったです。どこか、現状から目をそらそうとしていて、それが子どものころに身に着けた不健康な考え方から来ているのではないか、と気付きました。このまま放っておいて時間がたつとどんどん大変になる、と自分のこととしてとらえられて、本当に怖いと感じたので、私は不健康な考え方を変えていきたいと改めて強く思いました。

共依存がどういったものか文章を読んで、今まで当たり前、と思って見ていたものが共依存的考え方だと知って衝撃を受けたりもしましたが、共依存とは何かという知識を増やして、そこから離れていきたいと思えたので、以前の何かが問題だけれど、どうしたらいいかわからない、で終わっていた状態からは一歩進めたかなと思っています。

記録をつけて、課題をして、振り返って客観視してみて。
今まで、これくらい当たり前だ、しょうがない、と流してきていたことがおかしいことであることや、自分を大事にしていなかったことに気が付きました。
けっこう感覚を麻痺させていたようだと今は思っています。


そして、このコースで、問題があることに意識がいってしまっていて、自分がこれからどうしていきたいか、どうしたらその方向にいけるかということに全然時間を使えていなかったことに気がつけました。

これからは、もっと自分がどう感じているか、どうしたいかを大事にして知っていきたいと思います。あと、どういうものが共依存的考え方か、ということについての知識が増えたので、なんとなくでも行ったら良くない方向、いい方向が掴めてきたのは良かったと思います。


文節区切りの線

共依存の問題は、思ったより重く感じられて、きっと一人だったら、今までみたいに、躓いたところで問題をそのままにしてしまったり諦めてしまっていたりしたかもしれないけれど、WORKSHOP で課題を提出することで変化にしがみついていられたと思います。
一緒の「ほうなクラス」の皆さんの投稿も、私も頑張ろうと思えて励みになりました。

「ほうなクラス」のみなさま、スタッフの方々、藤沢さん、3ヶ月ありがとうございました。