2016.02-05月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(前期日程)」ごぎょうクラス

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K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) ごぎょうクラス





12週間(GWを挟んだから13週間だったけど)、たった3か月以内のことなのに、ずいぶん昔のことのように感じます。
この期間は年度替わりを挟んだこともあって、案外たくさんのことが有ったせいかもしれません。時間の流れで起こったこともあったけど、それより、数年来できていなかったことをやっと実行できたことが、私としては誇らしいと思います。

小さい時から「欲がない」「飽きっぽい」「いい加減」「テキトウ」「何を考えているのかわからない」「優先順位がわかってない」などなど、ずいぶんなことを言われ続け、自分なりに悩み、考えてやってみても、「迷走している」と言われ、更にどうしていいのかわからなくなっていた私。
仕事ではそれなりにやりがいは感じていたけど、「これって本当に私がする意義があるのかな?」「”私がする” のに意味があるのではなく、”業務が進めば誰がやってもいいこと” なんじゃないかな?」なんて考えて、ついには「私から仕事を取ったら何が残るんだろう」、「そもそも私は何のために私として生まれてきたのか、生きているのか?」なんてことまで考えても答えは得られず、毎日が消化試合のような気持ちで、それでもわずかに感じられる手ごたえが欲しくて、仕事に没頭していることにして、日々の時間を過ごしていました。

この WORKSHOP にどんなきっかけで辿り着いたのかは忘れたけれど、自分の過去や感情に向かい合って、わからないなりにも四苦八苦して自分なりに編み出した苦しくて哀しい気持ちを伴う(そして更に残念ながら必ずしも嬉しかったり、納得できたりする結果になるとは限らない)対処方法ではなく、先人たちがいろいろ研究してくれたりして、効果があるとされた現実的な処方を、対面だったり、Web 上ではあっても護られた環境の中でトレーニングし直し、実世界でやってみて、を繰り返したことで、本当に少しずつだけれど「これで良い」って思いながら日々の時間を自分の身体と心で楽しみながら生きるということを実感できるようになってきました。
そして、そのままだったら思い出したくもない過去を振り返ることは、実は今とこれからの私のために必要なことだと実感することができました。


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残念ながら、この世に私を幸せにしてくれる魔法を使ってくれる他人はいなくって、私の人生は私が何とかするしかありません。
でも私のことを一番知っている私は、私が生きている間はずっと一緒にいます。
だから本当に効果的な解決法を、私が私に実践するのが一番早く私が幸せになる道だと、実感し始めてきました。
だからこそ今までできなかったことができたのだと思います。他人に言えないヨクボウ(笑)も、私自身になら正直に相談できますしね。

本当に自分に正直になって本当に目指したいものに焦点を合わせ、自分の直感を信じて、科学的に効果的な方法で、自分の足で現実の世界を幸せに生きていきたいと思います。


3か月間、一緒に過ごしたみんなからも、たくさんの学びを頂きました。
悩んでいるのは私だけではないことを知り、それでもそれぞれに頑張っている様子に励まされました。

お互いの健康と幸せを心から願っています。
ありがとうございました。




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R. K. さん(30代/静岡県よりご参加) ごぎょうクラス





私はずっと、自分が何をしたくてどこに行きたいのか、どうなりたいのか、よく分かりませんでした。
金銭的にも物質的にも不自由することのない家庭に生まれ育ち、両親と祖父母までそろっている中で成長した私。
塾に行きたいと言えば行かせてくれたし、大学の編入試験を受けて他大学に入学し直すことも許してもらい、ことに教育の面にかけてはほとんど制約を受けることはありませんでした。けれど編入試験を突破して再入学した後、私はうつ状態と診断されました。
環境の変化が一番の要因だろうと当時は思っていたし、高いお金をかけて編入試験を受けさせてもらったのにこんな状況になってしまって…と、両親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

けれど、今回のワークショップやそのほかのワークショップを経て少しずつ自分の抱えている「問題」が明らかになってきた今、編入試験の事以外にも私の人生において「どうして私はあのときあんなことになってしまったのだろう。それは、私が至らなかったからだ」で処理してきたことがらに対し、別の視点で捉えられるようになってきたように思います。
どうして私は何かトラブルが起きると反射的に「私が悪い、私があのときああしていれば、もっと上手くやっていれば」と自分を責めてしまうのかを根本から見つめ直すきっかけを、ONSAのワークショップからいただきました。

私が悪いと思ってしまうのは、もともとのパーソナリティなのではなく、家族の中で私が生きぬくために身に付けた悲しい処世術で、その処世術のために私は、私が想像するよりずーっとずーっと大きなエネルギーを自分責めと他者の欲求を満たすことに捧げてきてしまったのだと、今では理解しています。
「あそこまでしてもらって、なんて恩知らずな」「ぜいたく病だ」という世間の声はいったん置いておいて、私は私が感じるままに感じてもいい! 今は、そう思います。

とはいえ、やはり日常に戻るとつい周りの声や欲求に敏感になってしまうこともやはり、あります。
でも、以前は周りの声に従うことが「当たり前」だったことに比べると、意識できるようになっただけ、だいぶ麻痺していた感覚が戻りつつあるのかな、とも思います。

ワーク中盤から涙もろくなったり、布団に入ると本当にすぐに寝落ちしてしまったり、「あれれ?」という外側の変化も現れました。
この症状が必ずしもワークに取り組んだことによるものとは言い切れないけれど、私個人としては、内面の変化が外側に表れてきているかな…? と思っています。


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自分を大切にするということは、自分に甘くすることでもなく、「こんなの大したことない」と傷を過小評価することでもない。
今までの私は、こんな風な間違った方法で自分を大切にしているつもりでいました。

私はもう、このやり方は卒業します。

事実、やり方が間違っていたから、ずっともやもやが消えなかった。
苦しかった。

30歳を過ぎて、周りがどんどん人生の駒を前に進めていく(ように見える)中で、ひとりきりで取り残されていくように思えて、とても怖かった。
でも、このもやもや恐れは、今思うと私にとって大切なサインでした。なんどもなんども打ち消しても、あきらめずサインを送り続けてきてくれた私に、私は心から「ありがとう」と言いたいです。

サイン=違和感から真正面から向き合おうと決心し、私はONSAのドアをたたきました。
そして、ONSAを通じて家族問題の存在を知り、本当の意味で「自分を大切にする」とはどうしていくことかを学び始めました。


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12週間、諸事情で満足に課題に取り組めたと言えない週もありました。
でも、だからといって全てだめだと思わず(以前の0か100かの私だったら嫌になって自分を責めていたかも)、とにかく自分を信じてしがみつこう、と奮い立たせました。


一緒にワークに取り組んだみなさん。
今回、私は課題にとりくむことで精いっぱいで、1度もコミュニケーションルームに書きこみができませんでした。
けれどみなさんの課題や書きこみを拝見して、とても励まされたし、自分と似た境遇の方もいらして勝手に親近感を覚えたり、助けられてばかりでした。
Web. WORKSHOP に投稿されたみなさんの文章はどれもリアルで、切実で、私はいつもその真摯さを「美しいな」と感じていました。


そして優月さん。
課題文や週に一度のメッセージからはいつも私たちへの愛が伝わってきました。
誠実で心にしみわたる言葉を、ありがとうございました。

私はONSAとつながりはじめて約1年になります。回復への道のりは、まだまだ長いだろうし不安になることもしばしばです。
でも、わけもわからず「この違和感は何なの? ただのぜいたく病でしょ?」と自分の声を無視しながら歩いていた1年前より、今のほうがずっといい。
やっと、私は私に「幸せになっていいんだよ」と思えるようになりました。


私は、幸せになります。
そのために、これからも回復作業に取り組んで行こうと思います。

ワークをご一緒したみなさん、またどこかでお目にかかれる日を楽しみにしております。
優月さん、スタッフのみなさん、これからもあたたかいサポートとお見守りを、どうぞよろしくお願いいたします。




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Y. A. さん(20代/福岡県よりご参加) ごぎょうクラス





こんにちは。
12週間、ごぎょうクラスで過ごさせていただいたメンバーのひとりになります。

時間は本当にあっという間ですね。
書き込んでいた手帳、日記、ONSA上の書き込み、信じられないくらい言葉を使ってます。

「家族問題」というのは、専門的な知識でありながら、とても現代人が必要な知識だと思いました。
もっと噛み砕いていかないと。もっと頭と心と体に染み込むまで。

これから先、ずっとこの「共依存」を介して生きなければならないのは、本当にごめんだと。
それと、向き合い、自分重心に、距離を取って。

私にとってのつらいことがこの3か月の間に何度もあって、それは解決していかないとと、はっきり自覚できました。

ごぎょうクラスを開催してくださいました、藤沢優月さん、スタッフさん、同じくごぎょうクラスを12週間受けた皆さん、本当にありがとうございました。




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S. H. さん(30代/大阪府よりご参加) ごぎょうクラス





Sちゃん(自分自身)と、ごぎょうクラスのみなさんへ

Sちゃん、3ヶ月間、本当によく頑張ってしがみついたね。
私は、Sちゃんを誇りに思うよ。

以前の私だったら、すべて完ぺきにちゃんとしていなければ、途中で放り投げていたね。
でも、ONSA Web. WORKSHOP を「コース0/STEP.1」、「コース1/STEP.1」、「コース2/STEP.1(前期日程)」と経験した私は、
完ぺきに最後まで出来なくても、
「練習、練習。」
「トライ・アンド・エラー」と唱えながら、
課題にしがみついて3ヶ月間を走りぬいたね。本当にスゴイよ!


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途中で「私は全速力で逆走しているのでは?!」と感じることが何度もありました。
最終ワークを迎えた今も、「やっぱり逆走しているのでは?」という気持ちがあります。
でも、「逆走しているからやーめた!」ではなく、
「逆走しているかも…いや…やっぱり逆走しているかも」と不安になりながらも、「練習・練習」と唱えることで、3ヶ月間課題にしがみつけました。

また、「ごぎょうクラスの皆さんと手をつないで一緒に歩いている」ということが、私の励みにも心強さにも安心にもなり、3ヶ月間課題にしがみつけました。
ごぎょうクラスの皆さん、手をつないでいただき、本当にありがとうございました。


「コース1/STEP.1」でも感じましたけど…
この3ヶ月間、本当に濃密で長く、1週間がとても短く感じられました。

この長くて短い、濃密であっという間の ONSA Web. WORKSHOP が
4回分で1年とは、1年は早すぎです、その早さは恐ろしすぎます。


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さて、私がごぎょうクラスに申込むか迷っていた3か月前、
私はバイト先で人間関係に悩んでいて、
また、急に(?)弟が結婚する(らしい)ということを知り、
そして、年末年始から続くわが家での家事問題が長引き、
私のココロとアタマの処理能力が追い付かず、疲れきっていました。

「何が起こっているのか知りたいから、ワークショップを受けたい」という思いと、「このしんどいのに、ワークなんてしているエネルギーない」という思いとが、私のココロとアタマを交錯していました。
でも、「しんどいのが無くなる日は待っていてもこない! ワークしたい今受ける!」と決心して、ワークショップに申込みました。

Sちゃん、3か月前に「私のカラダやココロを生かすために」、
ONSA WORKSHOP に参加すると自分で決めて、行動してくれて、ありがとう。


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私は最初、「機能不全家族」と「共依存」の説明を読んだとき、
「私のことについて書いてある!」と驚きました。
特に、機能不全家族によって与えられる「否定」のなかの、
「話せば聞いてもらえるという信頼感がない」という説明はまさしく、
私が小さいころから、
母に「話を聞いてもらえるだけでいい」と思っていたこと、
そして矛盾して、
「私のことを話せば、怒られる時のネタにされるかも」と怯えていたことを、言いあてられた気持ちでした。
また、「自己否定感」のなかの、
「私自身が欠陥品だから、仲間に入れてもらう資格がない」
「すべて私が悪い。」という言葉は、
私がずっとココロのなかで抱えてきた苦しみでもありました。

こんなふうに、「私のことについて書いてある!」と驚いて始まった3ヶ月間でした。


さて、3か月前の私は、弟が結婚する(らしい)と分かってから、
「私がいなければ、私が消えれば、我が家は完ぺきなのに…」と
思っては苦しくなっていました。
3ヶ月間、共依存について学び、自分と向き合った今の私は、
「私がいなければ、私が消えれば、我が家は完ぺきなのに…」という、
この考えが機能不全家族で与えられた、培われた
「私は欠陥品だから、仲間・家族に入れてもらう資格がない」と思う
「自己否定感」が顕著になって、
ひとりぼっち感がすごくて、寂しかったのかなと思います。

また、「弟の結婚=小姑になる」という、
私の外側、ライフステージのイベント、現実に、
対応するだけのココロの筋力がなく、
今までどおり「子供の魔法の解決法」で、
「私が死ねばすべて解決する」と考えるも、
何も解決せず、前進もせず、対応できず、苦しくなっているのかな、とも思います。

私はいつも、浦島太郎になったり、タイムマシーンに乗ったりしている気分です。
まわりの世界・現実はどんどん変わるのに、
私だけは子どものまま、成長しないままで、困ります。
でも、玉手箱を開けると年だけ重ねた私がいます。
この浦島太郎は本当にしんどく、逃げたくなります。


また、私が小さいころから、母は機嫌が悪くなると、
私を殴ったり、蹴ったり、私だけご飯を抜いたり、
最近では洗濯物を濡れたまま丸めて物陰に隠したり、
お風呂の湯を抜いたり、
昨年亡くなった愛犬の大事な遺品を捨てたりして、
私に嫌がらせをすることで、
「私(母)は機嫌が悪く、怒っているの。」
「お母さんの言うことを聞けない奴、お母さんに迷惑をかける奴は消えろ。」という、無言のメッセージを私に伝えていたのだ、と私は感じていました。
この無言のメッセージが昔は怖かったです。

でも、今は腹が立ちます。
そもそも、この母のやり方は「子ども大人」のやり方であって、
成熟した「大人」が取る行動ではないと、
3ヶ月間、共依存について学び、自分と向き合った今の私は思います。

また、小さいこころの、自分で自分の生命を守れない私に、
暴力、暴言を奮い、ご飯を抜いたりすることは、
殺人につながりかねない危険な行為であったとも思います。

そして、「母の機嫌を損ねるとこうなるよ」という、
究極の「脅し」でもあったとも思います。
おそらく、効果てきめんだったのでしょう。

私を上記の方法で脅せば、
私に母が怒っていることが伝わり、
私は母の迷惑をかけないよういうことを聞いたのでしょう。
だから、母は私をコントロールする方法として、
上記の方法を今も続けるのでしょう。

そして、今、私は母から同じようなことをされても、
脊髄反射で恐怖を感じ、「私が悪く、死ねば解決する」と思います。

でも、今の私は、それが「子どもの魔法の解決法」で、何も解決しないとも知りました。
また、本当は「母の機嫌」は母の問題なんですよね。
私がどうこうできる問題ではない。
そもそも、「私の問題ですらない」んですよね。

「母の機嫌は母の問題で、私の問題ではない」
と、今、私は気づきました。


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私はこれからもっと、
母やまわりの人と私とは別の人間だ、と思えるようになりたいです。
どうしても、まわりの人にカメレオンのように同化してしまう習慣、
ゴチブリの触覚のような動きでまわりの人の動向に、空気に、
アンテナを張ってしまう習慣があるから、
私はしんどくなるのかもしれないな、と思っています。

そして、これらの私の習慣は、
「ヒトやモノを通じてでしか、自分自信の存在を認識できない」から、
「自分で自分の存在を認めらない、認める自信がない」から、
身についてしまったのかな、とも思います。


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ところで、私は、この期におよんで(?)、
「共依存」というコトバに逃げて、自分の甘えやダメさを隠しているだけなんじゃないの?
世の中には私よりもっと大変でしんどい人がいるのに、この程度のしんどさでギャーギャー言っている自分は甘えているんじゃない? 我慢できるでしょう?
むしろない問題を作って甘えているだけじゃ?
と、私はまだ思っているね。

また、カウンセラーの先生が言うみたいに、
「(私から)話を聞くかぎり、(私の)母をヒドイ人だとは思えない。母が『死ね』と子ども(=私)に言ったことはいけないことだけど、本気で言ったわけではないでしょう? 小学生のケンカでの捨て台詞みたいなものでは?」
と、「私が悪いのに、母を悪者にしているだけなのかも」
とも、私は思っているね。

でも、藤沢さんの今週のメッセージにもあるけど、
それは、「現実の深刻さを否定したり間引いたりする症状である『否認』では?」
とも、私は今、私自身のその考えに疑問を感じているよ。

「私が悪いのに、母を悪者にしているだけなのかも」なんて…
まさしく「自己否定感」そのものだよね?
本当に、「自分の問題を他人と比べたり、『もっとひどい人が、世の中にはたくさんいる』と言ったところで、何になる」だろう?
「私の問題」なのにね…。
改めて私は、「自分がない『習慣』て本当に怖い、手強い」、と感じています。


おそらく私は、
私の家族が何かが壊れていた「機能不全家族」だ、
(私が悪いのであって、家族に問題があったのではない、とまだ声も残っている。)
私は「共依存」という問題ある習慣を持っている、
と思ってしまう(本当に知ってしまう)ことが怖いんだよね。

どこかでまだ、私が我慢すれば、私が頑張れば、無茶な話だけどタイムマシーンに乗ってうつ病になってヒキコモリになって世間一般的に正しいとされる線路から外れた時に戻ってやり直せたら、私が死ねば、私がそもそもいなければ…
私は弟のように、弟と同じように、母から、父から愛してもらえるんじゃないか、と期待や希望を持っていて、
私の家族が「機能不全家族」で、私が「共依存」という問題ある習慣を持っている、と認めてしまうと…
その期待も希望も無くなってしまうから、
私は認めること、本当に知ってしまうことが怖い。


でも、3ヶ月間「共依存」について学んだ私には、
「私が我慢すれば…」は「条件」で、
その条件を満たせば、
「両親から愛される」は「コントロール」だ、
と知っている。
そして、これが私の「子どもの魔法の解決法」だということも知っている。

それから、共依存者でもある両親は、
「現実として、私を、正しい力で愛せる能力がない」という現実も知っている。
(知っているだけで、認められない、受け入れられないけど…。)


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また、私は、
「私が親から愛されれば、私はこの世を生きていける」とも思っていることに、今気づきました。
そして、
「親から愛されれば」は「条件」で、
「私は生きていける」は「コントロール」だ、
とも今気がつきました。

そして、これが、
「ヒトやモノを通じてでしか、私自身の存在を確認できない、
極端なことを言えば、私が生きていていいと思えない」
私の習慣性の状態、私にとっての「共依存状態」だ。


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私は、私のままで、今のままでじゅうぶんなんだよ。
私は、何かを達成しなくても、完ぺきでなくても、生きていていいんだよ。
本当は、私が私に「私のままで生きていていい」と認めることが、難しいんだよね。

でも、きっとそれは…
機能不全家族で培った「自己否定感」が強いからだね。
これから、「共依存」という今までの習慣から、新しい方法を身につけていこうね。

「1年は、ONSA Web. WORKSHOP のカタマリたった4回分」という恐怖とともに、まずは自分(の体)を大事にして、
目の前のことをひとつずつ丁寧に、
私に集中したい、今にしがみつきたい、と思います。


最後になりましたが、
藤沢さん、ごぎょうクラスの皆さん、
この12週間どうもありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いいたします。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) ごぎょうクラス





本当に、あっという間の3か月でした。

3か月の間、私は、本当に毎日必死でした。
こんなに自分のことに必死になれたのは、人生で初めてかもしれない。

「私でも、自分のことにこんなに一生懸命になれるんだ」
そのことに、今、静かな喜びを感じています。


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私は、このクラスが始まった頃は、自分が自分の感じていることや考えていることを信じられず、心の中が荒れていたけれど、10週目位から不思議と静かに穏やかになりました。
なんだか、今までになく、すごくやり切った感があったというか。

その反面、自分の問題がなくなった訳ではないと分かっているものの、11週・12週のモチベーションをどう持っていけばいいか分からず、PAY FORWARD を書けるか不安でした。

そんな中、自分の3か月の歩みを振り返って、私が私に前より優しくなってきたと感じました。
(以前は、自分に優しくすることをわざとらしく感じていたけれど、今はそれが普通・自然になってきている。習慣が置き換わっているのかもしれません。)

「私が私に、心からの思いやりを持っている」
それだけのことが、とても嬉しい。

過去の自分の書き込みが、12週目の今の私を励ましてくれている。
なんだか、不思議な感じです。
3ヵ月間一緒にやってきた仲間の存在も感じつつ、今感じることを書いてみたいと思います。


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私は、このコースは2回目でしたが、前回より課題の文章も仲間のコメントも、心の中に深く入ってくるようになったし、自分のしてきたこと・していることに気付けるようになったと感じました。
よい意味で、自分のルーツを再確認出来たと感じています。
やっぱり、基礎からやり直して同じコースをくり返したのは、良かった!

(1回目は、新しい知識を自分なりに理解するのに必死で、深く感じるところまでいかなかったかもしれません。否認も今より強かったし。それに、人の感情がダイレクトに自分の中に入ってきすぎて、人と自分の感情を混同し、自分が分からなくなる感じが怖かった。今は、前より深く感じるようになったけれど、自分の「境界」を意識しながら感じられるようになってきたのかもしれません。)


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私の両親、特に母は、成熟した大人ではありませんでした。
今思うと、共依存を抱えた人でした。
自分の中にある生きづらさ、社会と向き合うフラストレーションに健全に向き合えず、家族がうまくいかない原因(主に、母と姉の関係)を、子供だった私のせいにしました。

子供だった私は、「私のせいだから、私が悪い。私が何とかしなければいけない。問題を解決して、家族を幸せにしなければいけない」「不幸の原因の私が、幸せになってはいけない。私はがまんしなければならない」と思い込みました。

母の影響で、姉も又、自分のフラストレーションを私にぶつけることが多く、母と姉の関係の悪さに、父は無関心でした。


そんな中、私は、家族を自分に取って安全な場所にする為に、必死で家族の中のバランスを取る役目をしていました。
私は、家の手伝いを進んでやって、雰囲気が暗い時は面白いことを言って笑わせ、母が落ち込んでいる時には話を聞き、気分を上げることを言い、相談に乗り、時には無邪気なふりをして場を和ませ、子供の私が未熟で「出来ない」ってことで母や姉に優越感を持たせ…。

無意識に、考え付く限りのことをやっていたと思います。
私が、そんな風に立ち回って役に立つと喜ばれたし、「役に立った時だけ」認められたから。
逆に、空気を察して立ち回らない時は、責められたから。


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又、自分の身を守る為だけではなく、子供だった私は家族が好きでした。
だから、家族の悲しんだり苦しんだりする顔を見たくなかったし(自分が原因なら、なおさら)、喜ぶ顔を見たかった。
私は、好きな人たちからほめられたかったし、認められたかったし、愛されたかった。

私は、母から「役に立つ、便利な存在」であることを求められていました。
でも、いくら「役に立っても」尊重されるのは私の意見ではなく、大切にされたのは長女である姉の方でした。
空気感と態度で、私は「あなたは大切な存在じゃない。大したことない」というメッセージを受け取っていました。

(「私は大したことない存在で、認められる為には人の役に立たなくてはいけない」「自分は大切でないから、人に譲らないといけない」という思い込みは、ここからきていたんだと思います。「私=劣っている。間違っている。悪い」からスタートしたのは、本当に間違いだったと思います。この前提は、誰も幸せにしませんでした。)

私には、「役に立つ」ことでしか自分を認めてもらう方法を知らなかった。
(このやり方しか知らなかったから、家族の外の世界でもこの処世術で生きてきて、長い間とてもつらい気持ちで過ごしました。)

役に立つ為に身を守るために、私はいつも家族の顔色を伺い、私の関心は常に自分にではなく家族にありました。家の外では、その時一緒にいる人が、そうでした。
又、私は、「家族は、同じで当たり前。同じであるべき」という空気感の中に育ちました。


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私は、自分のことを知って、やりたいことを試し、失敗と成功体験から学ぶ時期に、自分にエネルギーが注げず、家族や他人にエネルギーを注いでいました。
自分の本心を感じたり、気持ちを大切に決め、行動する練習が出来ませんでした。
家族の枠を超えて、「自分」という存在がどういう存在なのか、向き合えないまま大人になりました。
その為、ずっと自分のことが分からなかったし、何かしたいと思いながら「本当は何がしたいのか」も分かりませんでした。

それに、物心ついた頃の両親の空気感は「人生=不幸」「大人になる=つらい、苦労する」で、唯一の処世術が「がまんすること」だったので、私は本当は成長して大人になるのが怖かった。人生を先へ進めて行くのが、とても怖かった。
(今は、少しずつ「両親の境界線の中で、両親が感じていたこと」と捉えられるようになってきました。)

それでも、その時々の年齢で、決めなければいけないこと(進学・就職・結婚、等)はやってくる。

今思うと、私にはその時決められるだけの心の成熟度に達していませんでした。
私には、やりたいことも「決める基準」もなかった。
だから、いつも何かに追われているような感覚を持ち、決断を迫られる度、誰かの意見や周りの空気感、世間の「こういうもの」という価値観を取り込んで、何とか「こなして」きました。

そのことの繰り返しによって私の人生は作られたし、私の共依存は強化され、「自分がない」「自分で自分のことがよいと思えない」「これからどう生きたいのか分からない」と感じる状態になりました。


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改めて自分のルーツを整理してみて、本当にテキスト通りのことが起こっていたんだと、改めて驚きました。

間違った前提で、やり方で積み上がってきた自分の人生。
私は、今まで、自分の過去の選択を
「あの時こうしていれば」
「もっとこうだったらよかった」
と悔やんでいましたが、このコースを通して自分を振り返ったら、全く後悔がなくなった訳ではないけれど、
「私は与えられた環境・限られた条件の中で本当によくやってきた」
「その時々の自分の持っていた知識と実力(感じる力、処世術)では、それが限界だった」
と感じるようになりました。


私はすごく空しさを感じていたし、空しく感じる事を「病気になる前ぶれなんじゃ?」と怖がっていたけれど、今は「空しい」と感じるのは、これ以上間違った方向へ、間違ったやり方で進むのを止めてくれるストッパーになっていたと感じます。
私は、意識・無意識共に、全力で自分自身を守ろうとしてきてくれた。
何度間違っても、見捨てずにいてくれた。
昔は、自分の理想通りじゃない自分が嫌いでしたが、今は自分のことを戦友のように感じて、愛着を感じるようになりました。


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私は、今まで自分は共依存状態にあると感じていましたが、家族との出来事・関係は、一方的に私が依存されてきたと思っていました。
でも、それは違っていました。

私は、母が病気をしていた時、母の病気を自分の人生がうまく進まない理由にしていた(人に対しても、自分に対しても)。
母の病気に付き合うことで、私は母に、姉より私が大切な存在だと認められようとしていました。
姉にも、私の方がよい存在だと認めさせようとしていました。

思いっきり児童思考ですが、「私ががんばれば、母の病気も良くなる。私の欲しい愛情をくれたり、人生の手本になるような存在に変わってくれる」ことも、無意識に期待していました。
私は、自分に存在価値を感じるために、自らまかれに行っていました。

私は今も姉と同居していますが、姉の時間感覚の薄さ・行動の遅さ・子供っぽく自己中心的な面・私に家事や処世を当てにする面(私から見て感じることですが)に、すごくイライラしながら過ごしていました。
私は、一方的に姉に依存されていると感じていました。

でも、それも違っていたみたいです。
長い間、「こんな相手と共依存しているなんて!」と、認められなかっただけみたいです。

私の時間の中身を見て見ると、家にいる時間は、姉に意識を取られて過ごしていました。
その時に考えていることは、姉がNGで私がOKということ。
私は、姉をNGと思うことで、自分を「よい」と感じて(自分を認めて)いました。
「姉より出来る自分」「姉に取って影響力の大きい自分」に存在意義がありました。
そして、無意識に姉にもそれを認めさせようとしていました。
(「姉が悪い」⇒「私は悪くない」⇒「私は、変わらなくていい」⇒「変に安心感を得る」⇒「何も変わらないか、相手を変えようとしてトラブル」という不毛なパターンもありました。)

私は、子供の頃、姉より私自身を「認められたかった」「大切にされたかった」という思いを、気付かないまま引きずっていました。思っていたよりずっと、子供の頃の不平等で理不尽な扱いに怒ってもいたし、傷ついてもいました。
幼い頃の欲求を、形を変えて繰り返していました。無意識に傷を癒そうという行為だったのかもしれません。

姉は私に「母のように甘えさせてほしい」との暗なるメッセージを発していますが、私も気が付くと姉に「頼りになる存在に変わって欲しい」「気を利かせて行動すること」を期待し、パワーゲームをしています。


気付いた時は愕然としたし、10年後・20年後も同じことをしていたら? と思うと、ぞっとしました。
私は、こんな風にいやな気持ちのまま生きたくない。
でも、自分から相手をつかんでいるなら、自分が変わることで手を放せるかもしれない。

今思うと、私の心が穏やかになったのは、もしかしたらこんな風に「自分のしていること」に気付けるようになってきたからかもしれません(今までは、どうしても「自分がされたこと」に注目しがちだった)。
「気付いたら、止まれる」
小さいけれど、大きな気付きだったと思えます。


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もう一つ大きかったのは、共依存は「根」があるからこそ起こる状態なのだと、心から感じたことです。

共依存は
「自分が分からない」
「自分で、自分のことをよいと思えない」
「自分が何をしたくて、目指していて、どうすれば満足で、どうなっていきたいのか分からない」
から起こること。
(まさに自分自身でした)

だから、共依存から回復することは、単に「自分の症状(困った行動・自分を苦しくさせる行動)をしないようにすればいい」ということではなく、「何か正しい答え・方法を見つければいい」でもなく、もちろん「解決してくれる人に出会う」ことではなかった。
これまでの自分の人生を振り返って気付いたけれど、「根」があるからこそ形を変えて困った症状が出ていたし、困った状態になっていた。


だからこそ、私は、前よりももっと、
「自分を知りたい」
「自分で自分を肯定し、精神的に自立できるようになりたい」
「自分が何をしたくて、どうなっていきたいかを、時間がかかってもいいから、本音で知りたい」
と思うようになりました。
もっと、自分の内側の痛み、苦しさ、素直な希望を知ってあげて、それを大切にしながら現実の時間を生きられるようになりたい。

そして、あせる気持ちもあるけれど、内面の変化は自然に任せるしかないのかもしれないとも思うようになりました(あくまで、やることをやりながら、ですが)。
「べき」や「しなくてはいけない」という発想だけではどうにもならないし、それで決めるは違うと思うから(それをやったら、今までと同じになってしまう)。
私は、少しずつでも変わってきていると感じるから、その都度キャッチして、書いて、自分の小さな変化を自分で認める方が今は大切だと感じています。


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私はこの3ヵ月を通して、「ありのままの自分」=「等身大の今の自分」を知ることに挑戦してきました。
「自分を知ること」って今一つ曖昧だったんですが、何か特別なことをしなくてよかったんですね。

書くことによって客観的になれ、客観的になることが「自分を知る」ことだと、腑に落ちました。
(そして、過去の自分が「客観的になること」=「自分に批判的になること」と思い込んでいたと気付きました。)
今さらですが、回復は特別なことをするんじゃないってことに、安心を覚えました。

そうして知った「ありのままの自分」ですが、残念ながら、今の心で何を選んでも気に入らないだろうな、と感じました。
それだけイヤだと感じるなら実家を出て独立すれば? って心の声もしますが、私はきっと自分が損をしたような気になると思います(独立しないを選んでもそうだと思います)。

今の心でパートナーを求めても、私はきっと相手に満足しないだろうとも。
私は、たしかに前より自分を知ってきたけれど、心から「こうしたい」「こうなりたい」ってものが出てこないから。

だから、消極的に見えるけれど、今はまだ大きなことは選べない。
それより、もっと自分の「根」にあるものを認めていやしたい。
「自分は何か?」「どうしたい?」に集中したい。
(最近、自分のことを知るのが楽しくなってきました。)


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等身大の自分の思いに、もっと気付きたい。
もっと自分で等身大の自分を認められるようになりたい。

いきなり大きな決断を迫るんじゃなく、小さいことから自分の本心で決める練習をしたい。
日々の小さい気付きを大切にしたい。
その上で、選べるようになっていきたい。
こんなことが、あの頃の自分が本当にしたかったことなのかもしれない。

(一方で、私は「変わらない」ということにすごく安心感を得ているとも気付いたので、「変わらない為に、自分の感情を合理化していないか?」「先延ばしにしてるだけじゃないか?」との心の声もあります。
自分の心にうそをつくクセもたしかに今の自分なので、気を付けて気付いていきたいと思います。自分を知れば自分との付き合い方も分かるという、前向きな気付きでもあると思います。)


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カウンセリングで、私は(自分で自分の感情を整理しているという意味で)昔も今も自己完結していると言われました。
自分でもそうかな? と思ったんですが、過去と今では違っていたと気付きました。

昔の私は、感情を割り引いたり、合理化したり、なかったことにしたりして、感情を抑圧していただけだったから、本当の意味で完結(整理・解決)出来ていなかった(だからこそ、過去の痛みを引きずってきた)。
でも、今は、ワークショップとカウンセリングの力を借りつつ、自分で気付き・感じ・考え・表現し、それによって完結(整理)出来つつある。
「自分で」ってところが、大きい。


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それから、私はもろ白黒思考をしていて「理想通りの自分・状況じゃないから、ダメ。幸せじゃない」と考えがちでした(もちろん、今もなくなった訳ではないですが)。
でも、振り返りのワークを通して、ダメだと感じる日でも、書きだしてみると結構いいところ・認められる所はあるんだと気付けるようになってきました。
ワークだけじゃなくて、自分自身についても、人生についても同じなのかもしれない、と思うようになっています。

そのせいか、ほんの少しずつだけど、自分でやっていく自信みたいなものが出て来たように思います。
これは、心から大切に認めてあげたいことですし、変われるチャンスをもらえたことに感謝しています。


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回復途上の私が書くのもなんなのですが、ワークショップが気になっている方がいたら、ぜひチャレンジしてみて欲しいと思います。
お金はかかるけれど、旅行へ行ったり、洋服を買ったら使ってしまう額ではないかと思うし、得られるものを思うと、決して高くないと私は思います。

カウンセリングに行きだして気付いたのですが、これだけのことをカウンセリング一本で知るとなったら、すごく時間もお金もかかると思います。
私は、以前は「科学的な知識」「データ」「理論」って苦手なイメージを持っていたのですが、今は正しい知識を知ることはとても大切だったと感じています。


なんだか、今回も長くなってしまいました。
読みにくかったかと思いますが、読んでいただいてありがとうございました。

最後になってしまいましたが、藤沢さん、ONSA スタッフの皆さん、3ヵ月一緒に歩いた皆さん、本当にありがとうございました。
そして、これからも宜しくお願いします。




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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) ごぎょうクラス





3回目の参加となった今回のコース。
訳あって最後のほうの週は、参加できなかったけど、自分と向き合うことはやめていません。

コースを通して、以前の私と比べて、随分進んできたなと感じ取れることも、ここはまだだなと思うことも、はっきりとわかるようになってきました。それを、受け入れられるようになってきました。本当に、毎日少しずつの歩みってすごいんだなと、改めて感じています。

このコースの中でも、いつものパターンで、つい「いい子」になる私がいました。
そうやって「ふり」をして、その場を何とかやり過ごそうとする私がいました。

気づけるようになったことはすごいこと。
そして、私はもう「ふり」をして生きていくのはやめたいと思いました。
私を癒してあげたいと思いました。

私は、私の人生が何一つ始まっていないように感じました。
外側の環境は、学校生活を経て、社会人になって、結婚して…と進んでいるのに、私の中身は何の成長もできていないように感じました。
私は、今からでもやり直したいと思いました。
自分の思いが何にもない人生を続けるのをやめて、転んでも、つまづいても、ぶざまでも自分の気持ちで生きていこうと思います。

今の私になら、これから積み重ねていけるものがあると思う。
少しずつ、少しずつ、必ずやっていけると思う。

私には考える力がある。
健康な身体がある。
家族がいる。
「今」を積み重ねていこう。
「今の私の想い」を叶えてゆこう。
「今の私の生活」の思い出を重ねてゆこう。
「今の楽しさ」を積み上げてゆこう。
そうやって、これからの私の人生を、自分で作っていこう。

これがこのコースを通して、感じたことです。
期限に遅れましたが、提出しておきたいと思います。


ごぎょうクラスのみなさんの投稿に、気づくことができたことや、励まされたこともあり、同じ時間を共有できたことに感謝しています。
優月さん、今回もありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) ごぎょうクラス





最初はこの WORKSHOP にもう一度取り組むことをためらってた。
2年前に受けた内容をまた一からやり直すことに、自分の中で何となく抵抗があったり、私はもうある程度は回復してるのではという思い。

それでも、共依存からもう足を洗いたいから、もう一度取り組んでみようと申し込んだ3ヶ月前の私に、ありがとうを伝えたい。
今改めて自分の足跡を振り返ると、私はこの3ヶ月で少しずつだけど確実に強くなった。
3ヶ月前よりも自分があって、自分への信頼感も大きくなってる。


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考えてみると、私はいつも怖かった。怖くて仕方なくて、恐怖で足がすくんで目をつぶって生きてきた。
それが辛くて、ここから逃げ出したかった。

怖さは無知からくるのかもしれない、と今は思う。
自分のことも他人のこともよく分からなくて、やみくもに生きてきた。

今回も日記にメモしたクラウディア・ブラックの「回復とは…」。
その中に「もはや恐れや自己否定感を土台にして生きない」ようになりつつある、今の自分を見つけて嬉しく思う。


年度末のより多忙な時期を挟んで、WORKSHOP に取り組めるのかも不安だったけど、できる範囲で自分なりに頑張った。
メンバーの皆さんと比べて、あんまり書けてないな…ともやもや思うこともあったけれど、それでも自分を責めなくなった。

そして、忙しい中で日々いろんなトラブルも起こるけど、自分がダメだからとか、自分のせいでとも、あまり思わなくなってきたし、思っても立て直せるようになってきた。
この時期に WORKSHOP があって良かった。
参加してたから何とか乗り切れたのかもしれないと今は思う。


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これまで、他人にイラっとすることは未熟なことと思ってた。
長い間そう教えられてきたから、つい自分に非があるように感じてしまう。

だけど、境界線を荒らす人たちに私が感じていたことには理由があったし、私の気が短いとか、怒りっぽいとか、そういうことじゃないって分かった。そう刷り込まれてきただけで、私の性格の問題じゃない。

私をぞんざいに扱う人達とは線を引くまでだ。
私は私なりに、無理せず、自分も大切にしながら進んでいけばいい。


そのことが身をもって理解できるようになって、私はまた一歩進んだ。
まだまだ必死すぎて、巻き込もうとする人たちを手を振り回して避けようとするだけで精一杯のこともあるけれど、私が私を大切にしてくれると分かっているから、自分の中で不安定ながらもちょっとした安定感が育ってる。


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WORKSHOP が終わってからも、毎日いろんなことが起きる。
不本意なこと、上手くいかないこと、前に進もうとする私の足を引っ張るかのような出来事…。

それでも、私は諦めないし、心が折れたりくじけそうになっても立ち直れる。日記を書きなぐってもなお収まらないことがあっても、立ち止まって時間をかけて自分を取り戻してる。
そういう自分に嬉しく心強く感じながら、また一つずつ進んでいきたいと思う。

完璧じゃなくても、かっこ悪くても、一生懸命、前に向かって歩いてきてくれてありがとう。
そして、引き続きまた一緒にあるいていこうね、私。


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一緒に参加した皆さん
皆さんがいること、そして一生懸命取り組んでいることに励まされ、私も自分なりに取り組むことができました。
自分が上手く表現できないことも、皆さんの書き込みで理解できたり、気付けたりしました。

それぞれの場所で、これからも歩き続ける仲間がいることを励みに私もまた歩いていきたいと思います。
ありがとうございました。


優月さん、スタッフの皆さん
今回も安全に学べる場を用意していただき、また温かなメッセージを送り続けていただき、ありがとうございました。
また引き続きお世話になりますので、どうぞよろしくお願いいたします。