2018.01-04月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(前期日程)」きぐぬすクラス

画像
タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) きぐぬすクラス



タイトル下の線


私へ

このコースが始まったのは1月。
1年の始まりで、まだ冬だった。
それが、今は桜が満開になっている。

時間が経つのは、なんて早いんだろう。そして、時間が経つこと・季節がめぐることは、なんて不思議なんだろう。


文節区切りの線

私は、いつの間にか、過去のことだけじゃなく、「今」に目が向くようになってきている。
いつの間にか、Web. WORKSHOP で書いていることと、日記とカウンセリングが、リンクしている。

いつの間にか、あんなにストレスでプレッシャーだった姉といることが、苦痛でなくなってきている。
今は、和やかと言ってもいい位。

仲良くしたいかというと複雑だし、回復の目的でもないけれど、日常を穏やかに過ごせることはとてもいいね。
両親のことも、「春の大勉強 & 大準備会」に出られたおかげか、あきらめがついた気がする。

健康な両親に育てられた人と自分を比べるのは本当に残酷なことだし、本当に意味がない。
人と比べて落ち込む位なら、「今、目の前」のささやかな時間と決断にエネルギーを注ぎたいって、決意し直している。


いい意味で、過去のことがどうでもよくなってきたし、「今とこれからの自分が大事」と思えるようになってきたんだね。
カウンセリングで、「過去との境界線が出来てきたのでは?」と言ってもらったのは、嬉しかった。

振り返って見ると、自分の境界線を意識出来るようになってきたこと・レベル1で引くことが習慣になってきたこと・自分の時間は自分の為に使っていいと腑に落ちて、罪悪感を感じないようになったこと…ほんの小さいことの積み重ねだった。

あんなに怖かった「感情」も、「ちゃんと向き合えば、流れていく」と分かってきた。
サポートを受けつつだけど、自分で自分の感情を整理出来るようになってきたね。

「時間をかけて少しずつ積み重ねてきたものが、形になる」って、こういうことだろうか?


文節区切りの線

この間、「コミュニケーションは『事務的なもの(正確さが必要)』『コミュニケーション自体を目的とするもの(楽しむ目的)』があって、それを混ぜてしまうと苦しい」という記事を読んで、「なるほど」と思った。
私の家族には、楽しむ目的のものは、ほとんど存在しなかったなぁ…。

だから私は、楽しむ目的の会話の時も意味のあることを話そうとして、苦しかったんだろうか?
本当、特別なことはしなくていいんだなぁ。

そう思ったら、また少しお昼の会話が楽になった気がする。
ああ、私、本当に自分に親身になっているし、真剣だわ…。

一方で、無意識に自分に厳しいところは残ってもいるね。
時々、時間にもお金にも「ダメ!」を連発している。自分に制限をかけているね。
時間もお金も、「本当に自分がしたいこと・好きなこと」をする為に大切にするってこと、忘れずにいたいね。

自分の外側から肯定してもらうこと(特別な予定・特別な物を持つ・自分の外側を飾る)をしなくても満足出来るようになってきたのは、すごくいいね。
今は逆に、回復・仕事・生活上のこと・これから必要なことに備えること・ささやかな交流・小さな楽しみのバランスが取れた時、満足を感じる。


文節区切りの線

そして、「人に自分の存在価値をゆだねること」は、まだ手放せていないね。
(でも、「あの人がいないと、やっていけない」なんてびくびくするのは、もう嫌だ。)

私は何かを決める時、行動の動機が「関心をもらうこと」になっている。
全てと言っていい位、私の行動の動機・基準には、「不安」と「関心をもらうこと」が隠れている。

「(その対象に入り込んで)痛み・悲しみ・不安から目をそらす。問題を見ないようにする」
「同化することによって、自分は OK と思う」
「(その対象に)自分を変えてくれることを、過度に期待する」
気付けば、見え隠れしている。

あまりにも共依存的なことに気付いて、すごくがっかりしたよね。
でもね、これって後退した訳じゃないと思う。
共依存が本当に「自分のこと」「自分の中にあるもの」だと感じ、捉えられるようになった。そして、自覚が深まったということだと思う。

自分でちゃんと気付けるから、変えていける。


文節区切りの線

今回は、他にも大切な気付きがあったね。

私は「完璧じゃない」「完璧であるべき」という言語・非言語メッセージから、「完璧であれば、責められない」と学んだこと。
だから、「完璧であること」で自分の境界線を守ろうとしていたこと。
…それが自分を苦しめていたこと。

誰かがほめられたり認められたりすると「もやっ」とするのは、もしかして「相手がほめられた」=「私は、ほめれれる所がない」になっているからじゃないだろうかってこと。
「自分の分がなくなる」って、極端だよね。
私の感性には、「白黒思考」がしみついているね。

私は結婚して自分の家族が作れなかったことが、長いことコンプレックスだったね。
確かに、健全に成長して自分の人生を築けなかったという意味では、今も残念だよね。

そして、今はもう気付いてしまった。
私は、結婚してパートナーがいるということで、女性として魅力があることを肯定してもらおうとしていたね。
「家族がいる」という外側の状況から、自分の女性としての価値を肯定してもらいたいという期待があった。
…それが満たされていないから、「私は、女性として価値がない」と卑下していた。
なんて、悲しい。

そんなことする必要なんて、なかったのに。
世間や目の前のその人に認められなくても、私の存在価値には関わりはないのに。
私の心が作り出していた苦しみだった。

今さらだけど、本当に私は「言われたこと・されたこと」がそのまま自己像になっていたし、「自分の存在価値」を自分の「外側」に求めて来たんだな。
自分を苦しめることで、無為に時間を過ごして来たんだな…。

今回も、痛い気付きがいっぱいあった。
でも、その場は痛くても、ルーツに気付くと不思議と癒される気がする。


文節区切りの線

私は、なんて狭い世界にいたんだろう。

共依存は、私にとって “透明な檻” だ。
どれだけ遠くに行っても、何をしても、誰といても、何を手に入れても、私はそこから逃げられなかった。
今なら、自分の行動の動機がいかに「おそれ」「関心をもらうこと」になっていたか・なっているかが、分かる。

そして、そんな風にゆがめられる為に、私はどれだけ傷付いてきたんだろう?
そんな風に、思い至る。

自分の両親に、本当の意味で子供を育てる能力がなかったこと。それに気付けなかったし、認められなかった。
そんな親がいるなんて、知らなかった。

健全な自己肯定感を育てられなかったし、ありのままでいていいと思えなかった。
「全て、私が悪い」になっていた。

「健全」がどういうものなのか、どうしたら身に付けられるのか知らなかった。
健全な処世術を学べなかった。
安心した状態で、心のままに自分を試すことが出来なかった。

書いてしまうとこれだけのことを、知らなかった・出来なかったばっかりに。


文節区切りの線

私は、子供の頃からずっと「早く、早く」「もっと、もっと」って追い立てられてきたね。
何のためにそうしなければならないのか、考える隙もない位に。

だから、私は私を立ち止まらせてあげたい。心から、休ませてあげたい。
自分の心が自然に動き出すのを、待ってあげたい。
(最近、やっと「心が動く」感覚をつかみかけてきたね。そして、心が動かない時の感覚も。)

私は、私に広い世界を見せてあげたい。
人生に「豊かさ」というものがあるのなら、味あわせてあげたい。


私が心から喜ぶこと、私にしてあげたいことは、きっとたくさんあるはず。
私が送りたい人生には、きっとモデルケースはない(そして、きっと、全ての人がそうなんだと思う)。
だから、時間をかけて少しずつ作っていく。

全て、今の私が私に与えよう。
自分がかつて欲しかった形では無理だけど、形を変えても欲しかったものはきっと与えられるはず。


文節区切りの線

失敗もまだ怖いし、「分かっていても、出来ない」ことも多いけど、それも OK だ。
どんな時も「100%ダメ」ってことはないし、出来るようになるための過程だ。
「実際出来るようになる」必要があるってことだ。

それを出来るのは、世界でたった1人、私だけだ。
これは孤独ってことじゃないし、プレッシャーになることじゃないよね?

私は、今までに小さな「私は、出来る」を重ねて来たね。
そうやってきたのだから、これからだってきっと「出来る」。


文節区切りの線

私、ここからだね。これがスタートだね。
ここから根気強くなる必要があるのかもしれない。

「共依存は私の中にある」
「今までのやり方では、苦しい、満たされない。」
「大人の力を使って、自分でやっていけるようになる」
こう気付いて実感できたのは、すごくいい。

そして、今の私は「では、どうしたいのか?」「心底何がしたいのか?」見当がついていない。
自分で自分の重心を保つためには、「心から楽しいこと・好きなこと・やりたいこと・なっていきたい状況」が大切だと分かったけれど、具体的になっていない。
何かつかみかけたかと思うと、手の中からすり抜けていってしまう。
気付くと、人に意識を持っていかれたりしている。
ほんとにたどたどしい。


きっと、すぐに「うまくいかない・出来ない」から、過去の習慣に戻りたくなってしまうのだと思う。
…だから、ここがふんばり所だ。

あきらめたくないね。
「心が動いた感覚」を頼りに、ワークで培った自分への「応援力」を使って、これからも一緒に歩いて行こうね。
…「応援力」って、元から私にあったものだったかもしれない。
自分の中にあったものを、自分の為に使う。
シンプルだけど、気持ちいいね。


文節区切りの線

最後になりましたが、藤沢さん、スタッフの皆さん、仲間の皆さん、今回も本当にありがとうございました。
今回も、1人で向き合っただけでは気付けないことを、沢山気付かせていただきました。

皆さんのご健康と幸せを、心からお祈りしています。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。




タイトルはじまり目印

Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) きぐぬすクラス



タイトル下の線


この3ヶ月もいろんなことに気づくことができたし、自分をより深く感じながら向き合うことができたし、何より継続して最後まで来られたことがよかったです。

途中で体調不良などで2回ほど課題が提出できてなかったり、『未来日記』に向き合うのがブツっと途切れてしまうこともありました。そういう時は、あたふたしながら時間がサーっと流れていく感じがします。
逆に、『未来日記』や課題に毎日向き合える期間は、時間の流れが安定しているように感じました。急なことにも、自分の軸がぶれなかったように思いました。


文節区切りの線

私にはもっと自分と向き合う時間が必要だと思いました。
自分とつながる時間をもっと持ちたいと思いました。
そのなかで、気づいたことを振り返り、それを行動に落とし込めるまで、繰り返しトライしていきたいと思います。

行動がなかなか変えられない私にとって、継続していくことが大事だと感じました。
気づくこと、感じること、自分の思いを行動に移してみることを、継続していきたいです。

優月さん、「きぐぬすクラス」のみなさん、ご一緒できて心強かったです。
今回もありがとうございました。




タイトルはじまり目印

K. M. さん(40代以上/京都府よりご参加) きぐぬすクラス



タイトル下の線


K(自分)へ

本当に、本当に、3ヶ月お疲れ様でした。
このコースは2回目でしたね。

毎年前半は、仕事が忙しい時期で、そんな中、「自分が頑張らないと」と、気持ちばかりが先を行き、身体がついていかず、なかなか自分を褒めることが難しくなっていましたね。本当に、しんどかった。

そんな中、自分の身体をいたわりながら、ワークの中で自分と向き合ってきました。

しんどい中で、思わず今までの反応が出てしまって、子供の頃の解決法をし、あとで後悔することも増えていましたね。
自分は何も変わっていないと、どうしても思ってしまっていましたね。

このタイミングで、6年前の ONSA WORKSHOP(対面式)でした TEG エゴグラムを見つけました。
Kは、CP と A が低くて、当時それを補うためにどうすればいいか調べていて、今読み返して見て、本当に CP と A が今でも備わってないから、今の仕事の苦しみがあるんだとやっと気づきましたね。

変化を妨げる言葉も自分の中で、よく思っていたことも知りました。
その当時は、知識として知ったくらいで、実感として、本当に自分に必要だと思えていなかったんだね…。


文節区切りの線

このコースも2回受けて、前回は初めて知ることでワークをこなすことも精一杯、今回はより実感をともなった時間になりましたね。

この3ヶ月苦しかったのは、外側の見え方ばかり求めていた自分が、自分の内側を満たすために、今必要なことが見えるためだったように最後の最後で思えましたね。

95%の非言語で、人を見ることの大切さも、本当に実感してきました。
これはKにとって大きかったね。

3ヶ月、本当にありがとう。自分を守ってくれてありがとう。