2015.09-12月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(前期日程)」りんじークラス

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タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) りんじークラス





私へ

三ヶ月間お疲れ様。
苦手な振り返りを何度も何度もやったね。そして、ここにこれたね。
振り返る事が習慣になってきている。やれた事に目がいくようになってきた。
そして、「諦めない私」に少しずつ少しずつ変わり始めている気がするよ。
素晴らしいね!!!

「なんか苦しいな。」から、「めちゃくちゃ苦しい、おかしい! やばい!」と、麻痺していた感覚が戻ってきた。
どこか他人ごとだった共依存が、一段と自分の事と実感したね。

そう。これは、私の事なんだよ。
ここに書かれている事は私の毎日の日常なんだよ。
心のどこかで、あのドラマの様な波乱万丈の世界に憧れていたのかもしれない…。

苦労して、最後はハッピーエンド。
あれは嘘もん。現実世界にはハッピーエンドは待っていない。
ドラマの様な私の日常が見えて、結末を想像してみて、見渡せばそっちが当たり前の環境にいる。

私は私を生きたい。
私は私の意思で私の感情で私の命で私の為に生きたい。

そして、気付けてよかったよね。ほんと。
三か月前に、ここにこようと思って、しがみついてよかったね。

私をちゃんとここで承認してあげたい。
誰かにしてもらうんじゃなくて自分で。

そう、そうだね。

三ヶ月間よくやりました。諦めずにやりました。振り返りもやったよ。
すばらしいね。
私が私を承認します!!


文節区切りの線

後ろ髪を引っ張られる感覚があります。
それだけ、共依存は私の中に大きく存在している。

がんがんやれば動けなくなってしまう事。
頑張って無理をする事じゃない。
一歩一歩やっていく事。
自分を褒めていく事。

この三ヶ月間で実感をした「やばい!」「諦めない!」は財産やなと思う。
この実体験が私の始まりで、必ずいつか財産になる日がきっとやってくると信じたい。

三ヶ月間、共に歩いた友。どうもありがとう。
藤沢さん、ONSAさん、ありがとう。

また逢いましょう!!




タイトルはじまり目印

M. N. さん(20代/埼玉県よりご参加) りんじークラス





「じかんのきろく」をまとめ終わりました。
すごい量!

このコース三回目にしてやっと、「これは自分のことを知るためにやってるんだ」ということが分かってきました。

今までは、(はっきりではないけど)なんだか他人のことを書いているような感じがしていました。
いまいち入りきれていないというか、目の前に透明な壁があってその向こう側から見ているような感じ。

いろんなことを感じたり気づいたりしながら進んできた私に、ちゃんと気づけるようになってきた今回のワークショップ。
毎回きっと同じくらいたくさん進んできたのかもしれないけど、それに気付けていなかった。

でも、それも、ここまでなんとか頑張ってきた私がいるおかげ。
誰かのためじゃなくて、自分のためにやっていることだから、今まで歩いてきた分、全部が私の力になっている。
ありがとう、私!

クラスの皆様、藤沢さん、OFFICE ONSA のスタッフの方々、どうもありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) りんじークラス





この3ヶ月は、感覚の宝庫、でした。

「とても温かなコース」でもあった。
ここが温かくなったことが、とてもうれしい。
「私たち」の感覚から、「私」の感覚への移動。

小さいわたしの思い、小さいわたしの言いたかったこと、当時思っていたこと。
それらが、純度100%の素直さで出てきたことは、自分自身でも驚きでした。

ああ、そう思ってたんだ。
そう言いたかったんだ。
そうそう、それだった。

否定もジャッジもなく、ただ、「そうなんだ、そうだったんだ。」という感じは、
私への優しい理解へやじるしが向いていた。
すんごくよくわかった! と今の私が奥底から納得する。
納得って、すごいです。


ずっと見えない隠された否定が、ときにあったんだと思う。
書き込みの文章の句読点の次は…。
だからダメなんです。
こういうこと思ってるからダメなんだよ。
で、そういうとこがダメなんだよね。
ほんと、進んでないなー。もう。
ね、ダメでしょ。
ダメ…かなあ。どう? (いや、わかんないから。って聞こえる。)
カッコ付きで書いていったら、どれほどの膨大な量になるんだろう。
読むほうも疲れてくるはず。なので、書かずとも無意識に思ってた私は、どれほど疲れてたんだろう。

そういうのが、減っていった、気づいたら減ってた感じ。


文節区切りの線

不思議な感じもあった。
ものすごく怖がってる悩んでる小さいわたしが言ってることに、
今の私がまるで親のように受け止めて、「そうだよね。それしなくていいよ。」と言ってあげている感じ。

その小さいわたしが言ってることも、よくわかるし、
今の私が言ってあげた言葉も、ああ、わかった。と小さいわたしが受け取ってくれたような、
そういう感じ。
小さいわたしが受け取ってくれたら、今の私もすごく納得してる。

そして、このコースのとちゅうに ONSA WORKSHOP(対面式)をはさんでいたので、そこからの飛躍的さは、目を見張るものがありました。


まず、目が覚めます。
すごい覚めようです。
「子どもの魔法の解決」が、ほんまに魔法なわけ。
えっ?! これ、めっちゃ魔法やん! と誰かにつっこみたくなるぐらい。実際は自分につっこみました。
いや、こんなので消えへん、解決してへん、って。

むしろ、自分の筋力は育たず、よけいに衰えるような。で、その衰えた分、また依存するものを探すのに時間を使うような。
あっ、自分がそれぐらいオカシかったんだー。私、オカシかったんだー。

自分がオカシイと気づくのに、ここまでかかった。
今まで、そこかしこに「魔法が効かないんです。」と書いてたような気さえしました。


今まで当たり前と思ってたことは、当たり前じゃなくて、
こんなの現実的でないと思ってたことが、とても現実的。

「魔法の仕組み」というのが、自分の中の動きでつかめたことは、とても大きいことでした。
自分を守るほうへ、今度は方向を変えられる。


文節区切りの線

親のしてくれた最高基準もわかった感じ。すごい低い、低すぎて、ビックリするぐらい低い。
そこなんだ、最高基準、そうか、わかった。

会場で優月さんが振ってくれた言葉も、そこから真剣に取り組むきっかけにもなりました。(振られるとは夢にも思わず、でしたけど。)
実家を出たら、終わり。じゃなくて(ほんと、そう。終わりなら私ここにいません。)、心の中に居座ってるでしょ?
それが、ほんとに自分の中でどういうことだろう、と探す、探る。

そうなの、居座ってる。それは、ほんとに何だろう、何なの、何だよオイ(あっ、拗ねだしたので方向転換)、ほじり続ける。
私はいったい何と戦ってるの? 戦う…いや、ほんとは何と向き合わなきゃいけないのだろう。
向き合う相手は、もはや目の前の実体ではなく、目の前にも今はいない。ときおり会う、以前より数の減った電話がたまにある、それだけ。疲労感を伴うことはまだあったりするけど。


影の正体がわかる、あるときふと気づく。
「自分はダメ。ダメ。できてない。あなた一人じゃ、ホラ、立てないよ。」今までの「自分はダメ」よりも、もっと実態を帯びた形ある感じ。

それをもう、やめたい。やめなきゃいけない。やめると決意する。少し、後戻りできない、言い訳できない気もする。
でも、もうその穴には戻りたくない。

やめるには、何かを引き受けなきゃいけない。
何か…心の奥底ではわかっているけど、認めたくない、認めたら今までの何もかもが壊れるような、何か。


私は、きちんと愛されてない。愛されて育ててもらえなかった。
それを認めると書いたら、晴れた空も出てきた。


文節区切りの線

証明書も保証書もシナリオも、ない。ないのが納得できた。
(この証明書の中身は、『夢かな手帳』のいう証明書とはえらく違った種類のもの。私のは、外部委託して待ってた感じ。あの、自分で発行していこうか。うん。)
今まで、あると思ってたし、ないようだと気づいたら、どうかどこかにあってくれと半ば祈ってたようで、今回、あっ、ほんまにないんや、と納得した。

人対人の場面。シナリオ、何かのマニュアルがないか、探している、という自分に気づく瞬間、つかめることができた。
あ、私、今すごく探している、この場を平和に収める(と書いたら聞こえはいいけど、要は自分の思い通りになる結末)、ハッピーエンドに導く素晴らしいシナリオを…。

で、気づく。これ、今、行動や思ってることを決めてやるの、私なの?
「そうです。」と聞こえた声が、優月さんの声のような気がした。

今ここ、で自分の思うことを、へたっぴなりに、言う。
結果は、もちろん、自分の思い通りにならず。伝わったかどうかもアヤシイ。
それでいて、なぜか、自分が少し背が伸びたように感じる。
ヘタなんだ、とか、苦手なんだ、ということは、ダメだということでなくて、
そう気づくことが自分への理解。選択においての指針。


文節区切りの線

「回復は達成ではない。」もさらに身に染みるように感じた。
達成でもないし、戦いでもないんだ。達成、ってあたりが、もはや「魔法の解決」に思えてしまう。この感覚の違い。
戦いになると(強く決意する、という自分との闘いはあるけれど)、自分に厳しくなる、責めてる。

自分に優しくあること、それも、より実態を帯びてきた。
影も、「イジワルきつね」も、戦うと、なぜか時間を奪われる、ものすごく。
なかなかできないけど、彼らは彼らでいてもらって、
私は私で、やれることを、やりたいことをやってくわ、と。
それがもっとできるようになりたいな。


文節区切りの線

環境を、理解して納得するのも大事だと思った。
『未来日記』にある、個人の感じにくさ、というものを、今回なぜか実感して、
元々、そういう環境にいるのだという実感は、自分への理解を深めることになります。

自分を認め、褒めることのPAY FORWORDだけど、
最初に書いた目標「自分で自分の人生が持てるように。」

まず思ったのが、ざっくり大ざっぱ大きすぎるだろ、と自分でビックリした。
こういう最初のころの感覚の違いに驚く。

そう、こうやってスケジュールの予定もよく書いてるよねえ、私。
ドーンと書いて、5分ぐらいでできると思ってる。

「はい、持てました。」とはなってないし、なるわけないけど、
少しづつ、の感覚なら、うん、できてきたと言える。

優しい理解と濃密な3ヶ月でした。
ご一緒下さったお二人の方々にもとても感謝です。
温かい存在にありがとう。