2020.06-09月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」えんどれしあなむクラス

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タイトルはじまり目印

M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) えんどれしあなむクラス



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また、この13週も最後の日を迎えた。
もがいて、しがみついて。

逃げたくなって、なんで私ばかりズルいって思って。
苦しくて、悶々としてて、辛くて。

時間ばかりを浪費しているように感じることも多い日々でした。


回復することをさぼってる自分。
結局、被害妄想で何もせずに、誰かの助けを待ってる自分。
「だれも助けてくれない」と人のせいにしてる自分。

そうやって、自分を責めて、イジメて…。
それは、自分から逃げてるんだ、と。
言い訳をこしらえてるんだ、と。


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PAY FORWARD を書くにあたり、
13週の自分の足跡を追うのを、とても億劫に感じました。

この13週、言い訳や自分をイジメをし、逃げてばかり、さぼってばかりの自分だった。

夏休みの宿題をたくさんためた小学校の8月の最後の3日間を思い出すようでした。


印刷した「じかんのきろく」を読んでみると、そこには、ただサボってる自分ではなく、一生懸命にもがいてる自分もいました。

たくさんたくさん、とにかく書いていました。
「今の自分」を残そうとしていました。


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13週前の私は「ダメな自分」を抜け出そうとしている自分でした。
「ダメな自分」を自分の力で変えよう、変えようとしている自分でした。

13週の間に、私は「ダメな自分」をイジメながらも「今の自分が、この自分(=ダメな自分)」だと、「認めないといけないのでは?」という疑問を持ちつつ、もがいてる自分でした。

うまく言えないし、イマイチ自分でもよくわからないが、そんなことを考えて、うーんうーんと考えて過ごしていました。


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そんな中で、できたこともあった。

「見えない利益」が少しまた見つけられたように思う。
変えられないモノを変えられないと諦めること(特に夫のこと)。

「見えない利益」がまだまだ見えてないと思われること。
だから、「回復」は手強いんだということ。
などだ。


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何度も出てきてるけど、難しいし、わからない、このテーマ。
「境界線」「コントロール」

13週前にはできてなかった、感度があがった。
「感情」を感じること。「感情」を言葉に表すこと(相手には言わないけど)。

難しくて、訳わからん。「遊び」というテーマ。
私は楽しんでるのか、楽しまねばという義務感なのか…。
楽しむことへの罪悪感が湧いてしまう。


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それで、そもそも、私は何のためにこんなもがいてるのか?

それは、このモヤっとした生き辛さから逃れて、幸せになるため。
なのだけど、
「今、息子が楽しく幸せに過ごしてた…。」
私は「今のままでもいいや」ってなっちゃうな、と思った。

けれど、順番は、「まず私」らしいので、頑張るしかないのです。


私が本気で自分のためだけに、自分の幸せのために、全力を出せるようにならないとなーと感じています。

こんな自分が好きでなく、なんだか無性に嫌気がさします。
こんな気持ちを正直に書くようになった自分を、「成長」ではないか?
とも思っています。


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優月さん、お仲間さん、お二人の言葉から、気づきとか、「何か」をもらいながら、13週、書き続け、うーんうーんともがき続けることができました。

今回もまた、一人だったら歩き続けられなかったと痛感。
出来たことや成長も、見つけることができました。

これからも、うーんうーんともがきながら歩き続けます。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) えんどれしあなむクラス



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今回のこのクラス、受講歴はあっても今の私だから気づけることに、本当にたくさん気づいてくれてありがとう。

これまで学んできたことや体感したことなどが、さらに深くきづかせてくれることにつながったね。

現在とこれまでの人生が、私にとってどういうふうにつながっているのか、それがもたらす私の人生へ不具合、不具合というか、私の人生を先延ばしにして私の人生そのものが始まっていないのではないか、という深く痛みを伴った気づき。


私の人生の目的、何かをすることの全ての原動力は、
自己否定 → 偽りの理想像に基づく(駄目な自分から、こうあるべき私になるため)
ことで成り立っていた(無意識下で)。

だから、私は○○したい、こうしたい、これが好きというニーズはそこには必要がなかったし、存在する余地もなかった。
そこから、私がなくても、生きていける術(外側を満たすことや、役割を見つけこなすことなど)が発達していった。

これは、私の意思とは関係なく、そういう自動操縦(考えなくても、場の状況に反応し行動すること)となるよう、プログラムされていた。それは愛着を育むことができなかった幼い子ども時代の環境によると思う。


文節区切りの線

だんだんと深いところまで自分掘りが進んできたと思う。
避けては通れないものがより見えてきたように感じている。
直面することの怖さもあるけれど、私が私の人生を取り戻すために向き合っていきたい。

ひとりでは無理だけど、ここには仲間もいる、それがとても心強い。

また、一歩歩んでいこう、私とともに。
私は、私の味方だから、私は私を見捨てない。