2017.01-04月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」ぴくとるクラス

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タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) ぴくとるクラス



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ほんと、よくやってるなあ、わたし。
それが今の感想。その一言で今回もういいよ、とまで聞こえます。
たった一言、なんだけど、
しみじみとする感慨深き理解といたわりと、心からの賞賛が含まれてます。


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この3ヶ月、しんどかったです。
それはそれはしんどかった、読み返せばすごくよくわかるし。
実際、体調も11週辺りから良くありません。

健康なスキルに触れるたびに、
そうでなかった過去や、その原因を作った人たちや、それに付随する自分自身の感情や、
それらが大暴れする感じが、すごくしんどかった。

いや~、しんどかったなあ。
500回ぐらい言っていいかな(実際書くと逆にしんどそうなのでやめときます)。
やっぱ、そういう一言しか出てこないわ。


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ニーズに触れるたびに、出てくる出てくる歪んだ信念やら、自己否定感やら。
そして “そう感じ信じたあのとき” も湧き出てきます。

それらを話して言葉にして書き込んで、
そうでない時間でも、私の中に訪れたときは出迎えて、
そうした今、どこか大きくゴロリとひっくり返り、今までなかった優しさや安らぎが自分の中にあるのを感じてもいます。

今までなかった、のではないかな、たぶん、あったのだろうけどあまりに埋もれてて出てこなかった、そうして忘れていった、かも。
忘れないで、思い出して、って、何度も何度も何度も、強く強く強く、訴えていたのだと思います。

だからかな、ありました、「こんなこと、わたし思ってたっけ?」のようなことも。
今読むと、すんごい周りを気にしてるのがよくわかったり。
なんでこんなこと思ってたんだろ、そんなの思う必要ないじゃない、って、自分で思ったりする。じゃあ、そこがとても認めどころ。


少しお恥ずかしいことですが、「子どもがやるような、自分のやることだとわかっていながらも気持ちの方が追い付かず、文句言うのがしたい。」
って、書いたことすら、できてんの。
あ、これやっちゃってるよ、って自分で失笑してしまった。

すごい文句言いまくってて、あげく、知識もボコ殴りしたような、そして、もう辞めたい、とか(こんなこと書いたっけ? と思ってる始末ですが)。
知識さんも、イメージで言うとベイマックスでした。
白くてぽにゃぽにゃしてて、どんだけ八つ当たりして殴っても、ただ優しさそのままにそこにいる感じ。


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ときおり前コースのことも出てきます。
積み重ね、って大切だなあって。

健康なスキル、そして、そうでなかった過去、そうでなかった時間、悼むこと。
そのことを受け止めれなければ、またスルーするか同じような方法で乗り切ろうとしてただろうな、って思う。

一番の最大のものは、自己否定感。否定、否定感の空気。
そいつに振り回され、そいつを埋めるように何か身に付けようとし、そいつのためにがんばってきたんだと思うと、
もう、怒りをも通り越して、無気力までいきます。

それが、そのために使ってきた時間を認めるのが辛いけど(だって、本来そうじゃないんだもの)、
それを経験して知ってきた分、それは、強みにもなると思います。
あいつが悪さをしそうだと、気づき出せる。お前のためにはがんばってやらん、お前のためにガマンはしない、って。


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本来、って、たぶん、「~したい、こうしよう、こうしたい。」で、人って成長するんだと思う。
わたしはじゅうぶん良くて、そこからの出発で、そして「こういうことやってみたい、しよう。」って、そういう時間の使い方なんだと思う。

何かが悪くて、何かがどうしようもなくて、何かが足を引っ張り、ものすごく足りない感にさいなまれ、怖いから急いで何かを外からかき集め、
その悪さを隠そうとし、その悪さを埋めようとし、そうすることで、生き生きとなんかできるわけないだろうが、と。
わたしはじゅうぶんいい、からスタート。
そのカケラだけでもつかめたことは、全国踊って縦断できるほどうれしいことでした。


「~したい。」って、すごく積極性で、
今回は、至るところに積極性のカケラも光って落ちていました。
積極的、って、すごいキライな言葉だったんだけど、
イメージがね、まず歪んでたなあって。
優等生にしかない特権のようなもの、とか。権力のある人が持つもの、とか。

人の言うことを遮ってまでも、自分の意見を言ってねじ込ませて、どうだこのカンペキさ、と人に見せつけるようなものが積極的な発言、とか。
ほんとの積極性は、自分の中で持つ北極星のようなものじゃないかな、って、
まだまだ、これからも模索していきます。


うん、やっぱりとてもいい3ヶ月でした。
いろんなことがあったけど、いい3ヶ月。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) ぴくとるクラス



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まずは、この3ヶ月、急に忙しくなったり、予定が変更になってあたふたしたり、体調を崩したり、色々あったけれど、とにもかくにも歩き通したことを褒めたいと思います。
私、よくやった。
何かあった日も、何もなかった日も、その日なりにできることをしたと思う。

心も体も毎日同じコンディションではないし、スケジュールも変更があるし、時間は常に変化している。
そんな毎日の中では大きいことはできなかった。小さい歩みだったからこそ、ここまで歩くことができた。
小さいけど、コツコツの力って、本当にすごいなと改めて思います。


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私は、このクラスの最初に、「未知なことに対して、恐怖心が強い」と書いたのですが、
どうしてこんなに恐怖心が強いのか、その謎とからくりをもっと知ることができました。

私は、すべてを知り、コントロールしないと安全ではないと感じていました。
今までの私にとっての安全であることとは、正しいこと、失敗しない(ように見える)ことでした。
失敗することは、私がダメな人間であること、無価値な人間であることの証明だと思っていました。
だから、怖くて動けなかった。動けば失敗するかもしれないと思うと怖かった。

失敗しないために、安全を確保するためにコントロールしていないと私の世界は崩壊してしまうと思っていました。
コントロールの強さと、恐怖心の強さはつながっていると思います。

コントロールして、私の安全を守ってるつもりだったけど、結果はまったく逆で、より危険になっている。行き詰っている。
すべてをコントロールするなんて、無理だし、それに、失敗しない人間も非現実的でした。
非現実的なことをしようとしているから、この現実でうまくいかないのは当然のことでした。なのに、それが分からなくなる世界にいるんだと思うと、とても怖いです。


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恐怖心が強いというと、「自立すること」も私にとっては本当に怖いことです。
でも、他人に頼ることばかりでは、さらに私を危険にさらしてしまう。
安全で、ラクな方を選んでいるつもりが、不安や恐怖はどんどん大きくなっていく。

そんなのはもう、イヤだ。限界だ。
私は、本物の安心や安全や平和が欲しい。
そのためには、自立することが必須なんだ。

だから、私に、自分で生きていく力をもっとつけていきたい。
私の内側の力を鍛えていきたい。


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ガッチガチの共依存の世界。
ひとつずつ、ほどいていく。
安全も安心も平和も、私の手で作っていく。
私の手で作れるなら、不思議と怖くない。

何となくホッとする。このホッとすると感じることが本物だということかもしれない。
私は、健康な世界に生きたいです。


最後になりましたが、「ぴくとるクラス」の皆さま、3ヶ月ありがとうございました。
ひとりじゃないことの心強さを何度も感じることができました。
そして、優月さん、ONSA スタッフの皆さま、今回もお世話になりました。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) ぴくとるクラス



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この3ヶ月、ありがとう。
2017年ともに始まったこの Web. WORKSHOP。
わたし、初めから全力で飛ばしてたね。
そんなつもりはなかったけど、振り返りをしていると、
どの日も、どの自分の言葉もほんと「全力!」だった。

自分のことながら、「私ってすごいなぁ。」って思いました。
生きる力というか、健康になろうとする力というか。
そうゆう力が自然と沸き起こるようになってきている気がしました。


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この3ヶ月を見ていると、手を抜いて生きた日など一日もなかったです。

それは以前ではあり得なかったこと。
数年前のわたしは、
人生を「流す」ように生きていました。
目をつぶって「今よ、早く過ぎ去れ!」と願いながら生きていました。

人生と向き合うのが怖くて、怖くてしょうがなかったのです。
避けるように生きることが、雑に生きる結果を生んでいました。
丁寧に生きるのには、目の前の恐れと向き合わないといないからです。
わたしには、恐ろしすぎて耐えきれませんでした。

そんな風に生きていたわたしは今や、「今」の時間に食らいつくかのように生きています。
すごい変化です。


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そんな「今」の時間の中でも、特に過ごし方に変化があったのは、わたし以外の誰かとともに過ごす時間。
それは数秒間という短い時間でさえも変化しました。

相手の目を見る。
相手の話を聞く。
相手を大切にしたいからこそ、その人にちゃんと伝えようと丁寧に話すわたし。
相手が何をしているのかをちゃんと見る。
相手がどんな気持ちでその行動をしているのか汲み取る。
そして、相手の優しさを受け取る。

これらを自分の心とともにするのです。
それは、数年前のわたしには、あまりにも怖くてできなかったことです。

今のわたしにはそれができます。
そして、そのおかげで、わたしは30年以上生きて初めて、人の心の温かさを感じれるようになった気がします。それは「形式上」ではなく、わたしの心で。
わたしは、日々触れ合う周りの人達からのわたしへの優しさがわかるようになり、受け取れるようになりました。
それはとてもとても温かく、思い出すと涙が止まりません。

「人間の心なんて、とても土臭くて人間臭い。」と以前は嫌っていました。
もしかしたら求めても手に入らないから拗ねていたのかもしれません。
「そんなの恥ずかしいし、ダサい」なんて思っていました。

そんな自分の中のプライドや強がりが崩れてほんとよかったです。
今体験していることの方が、わたしは断然好きです。


文節区切りの線

この3ヶ月の間、課題をきっかけに、たくさん、たくさん…、無数の数えきれないほどの気づきがありました。
わたしが全力で生きてくれたおかげです。
諦めず、舐めずに、歩き続けてくれているわたし。
ありがとう。

そして、ワークショップが存在し続けてくれているおかけでもあります。
このワークショップが、わたしの日常に存在し続けてくれていることに心から感謝します。