2017.09-12月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(1)コース1/STEP.1」おりびあクラス

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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) おりびあクラス



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私へ

3か月間、本当に色々なことがあったね。
今回も自分に出来る範囲で、丁寧に丹念に気付きを拾い続けた。
仲間とも助け合った。

ホント、自分を励ませるようになった。
課題じゃなくても、習慣になっている。


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正直このコースも3回目だし、なめちゃう面が出てこないかと不安もあったけれど、つい「これしか出来ていない」になりそうにもなったけど、振り返って見ると私は私に充分誠実だった。
記録は、いつも誠実に教えてくれる。

「色々ある中、あきらめないで Web. WORKSHOP を続けたこと」
これだけでも、ものすごく自分をほめられるんじゃないかな?

色々ある中、「完璧」には出来ない。
私のすることは、「完璧にやる」とか「うまく出来る」ってことじゃない。きれいにまとめることでもない。いい意味で、人は関係ない。この場を借りて、今、自分と向き合うこと。
こう自分を励まして、書き続けた。

回復を始めた頃は、自分がこんな風になれるなんて思っただろうか?
うまく出来ないから投げ捨てるでもなく、限られた条件の中で「限りある今」をあきらめなかった。

そして、今回は今までになく「生活の中に Web. WORKSHOP がある」ということを意識した回だったね。
「回復することを特別なこととしないで、スタンダードにする」ってこういうことかな? と、つかみかけた3ヶ月でもなかっただろうか?

不器用でも今出来る精一杯で自分を支えてくれて、ありがとう。


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リフレッシュ休暇の旅は、本当に行ってよかったね。
誰の受けを気にするでもなく、今の自分のニーズ(自然豊かな場所で、動物とふれ合いながらのんびり過ごしたい)に合った旅先を選べたこと自体が本当に嬉しかったし、うさぎもパンダも本当にかわいかった。
そして、その場に行ってみないと分からないことを感じられてよかった。

気付けば、去年の「時間のためのちいさなワークショップ」からの流れで決めていたね。
続けることでささやかな何かが積み重なっている気がして、素直に嬉しい。

「私が安全なこと・快適なこと・楽しいこと・好きなこと・ほっとすること」を大切にしたこと。やっぱり上質が好き、と実感したこと。
「自分が心地いいもの・場所」自分に取っての「価値観」を「確認」出来たかもね?


子供の頃に言われて嫌だった「なんで出来ないの?」「それ位出来ないの?」を今は自分に向けて無意識に言ってしまっていることと、「健康も体力もタダで手に入る物ではない」と気付いてから、自分の身体にも前よりずっとやさしくなったね。
なぜそうなっているのか理解しようとしているし、「ケアしよう」という意識に変わってきている。
自分を大切にするバリエーションが増えたよね。


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振り返って見ると、今年は私に取って “別れ” の年だった。
身近な人が物理的に離れたり、今まで心の距離が近かった人との関係性の変化を感じる事が多くあった。
「今までの人生から続いてきた、1つのサイクルが終わった」と感じている。

そんな中、私は1つ1つの出来事にしっかり向き合ったね。
(本当に時間をかけて回復してきて良かった! もししていなかったら、どうなっていたことか…。)

そのせいか、今まで思い出せなかったことを思い出したり、気付きを拾えたりしている。
正直、まだ悲しいし、痛みもある。
しっかり悼んで手放して、来年を新しく始めよう?


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Yさんから、お宮参りに行ったとの短い返信があった時。
距離が出来てしまったようで少し淋しかったけれど、Yさんが幸せそうだったから私も幸せな気分になった。
一緒に行動することがなくなっていっても、何かしてもらわなくても、私はただ小さな交流をするだけでも嬉しいと分かった。

私にも、人の幸せが願える心が残っている。
それが分かって、温かい気持ちになった。

「この人たちだけが私を分かってくれる」
「他に私に関心を持ってくれて、分かってくれる人なんていない」
大切なものを失くさないように「ぎゅっ」と握りしめていた手の中には、実はもう大したものは入っていなかったのかもしれないね。
私が必要以上に思い込んでいただけで、認めたくなかっただけで、とっくに「過去=想い出」に変わっていたのかもしれない。

Yさんにお見舞いの品を選んで手紙を書いた時、思い出した。

私は、ずっと今まで、本当にいつも自分に出来るだけのこと・出来る以上のことを人にしてきた。
本当に沢山の気遣いと思いやりと、その為の時間を人に注いできた。
自分の気持ちは完全に置き去りにしたままで。

でも、気がつけば何も残っていなかった。
みんないつの間にかそれぞれの道を進み、新たな関係を築いていた。
両親は、あれだけエネルギーを注いだのに、私の欲しいものをくれることのないまま、あっけなく死んでしまった。

それに気がついた時、私は孤独でからっぽだった。
何だか、うらぎられたような気さえしていた。

でも、それは私が誰かに「自分の人生を何とかしてもらいたい」期待を持っていて、心のどこかに見返りを求めて、人のことを一生懸命やっていたからだったんだよね。
友達に「家族」の代わりを求めていたからなんだよね。
ずっと一緒にいて欲しかったんだよね。


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本当に、私は依存症だった。
私は「自分が何を好きか、したいのか、どうなっていきたいのか、何をすれば楽しいのか分からない」から、そういうものを “持っていそうな人” に同化していたし、自分を楽しませること・自信を持つこと・人との交流を人にやってもらっていた。

自分に言い訳して、人から与えてもらうことばかり期待していたかもしれない。
“与えてくれる人” が現れるのを、いつも待っていた。

そうしていると、一時自分の問題も寂しさも痛みも忘れられた気がしたし、楽しくて充実しているかのような感じもした。
(それがやめられなかった。これが私に取って、依存症だった。本当に「私」がいなかった。)

でも、今なら分かる。
私は多分、「そのことをして楽しかった」のではなく、単に相手の楽しい気分に同化していただけだった。
そして、それは「自分のもの」じゃないから、積み重ならなかった。
そうして費やしてきた膨大な時間とお金は、「DO, HAVE」の時間とお金だった。


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そんな風になってしまうほど、私は子供の頃から孤独で、無理をしていたんだよね。
本当に、私はずっと1人ぼっちで、放り出されていた。
友達や色々な年齢や立場の人と交流するチャンスを、与えられなかった。

「人との関係をうまく作れない」は、子供の頃から持ち越した課題だったんだね。
学生時代から持っていた「行き詰まり感」は、ここだったんだね。

私、本当に沢山の時間を、心を閉ざして凍らせて、「依存」で紛らわすことで過ごしてきたんだね。
その時間は私が私の土台を築いたり、誰かと温かい交流をしたり、練習したり、心から楽しめたはずの時間だった。
過ぎ去ってしまった時間を思うと、本当に悔しい。

私は、失われた時間を心から悼み、過去を悔やんで今をつぶすことを手放します。


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今の私は、「人付き合い」を自分に代わってやってくれる人を探すのではなく、「自分で出来る」ようになるのが何より安心・安全なことだと知っている。
「出来ない」って思い込みが、「この人しかいない」「ここでしか生きられない」「これしか出来ない」という捉われにつながっていないだろうか?
そして、自分で「出来る」ようになったら、その捉われはどう変化するだろう?

依存症のことを書くと、分かっていてもがっくり落ち込むね。
でもさ、「今あるもの・持っているもの」にも目が向くようになって来たよね。


私は、ずーっと「自分以外になろう」としてきた。
自分以外の人や考えに価値があって、正しいと思ってきた。
「自分はダメだ」「自分になんか価値はない」「私の考えは、大したことない」って、ひどいことを思っていた。

それが、今は切実に「自分自身になりたい」「自分らしさを掘り出し、認め、大切にしたい」と思っている。
ほんの数年前までは考えられなかったことだ。
いつの間にか、自然に普通にそう思えるようになった。
私に取って、何より素晴らしくて大切な「もう出来たこと」だと思う。


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それに。
私は、自分の状況を否定的に悲観的に捉えてばかりいた。

けれど、今は「私は、自分のこれからの持ち時間を自由に出来る」「何かを決める時、自分の気持ちだけでシンプルに決められる」と、自分の置かれた環境・状況の中のいい面にも気付き、目を向けられるようになってきた。
これって、すごいことだ。

その自由を乗りこなす為に、私は心から健康に・健全になりたいと思う。
「回復」する目的がはっきりしたね。
孤独に80年90年生きるのが怖いと思っているけれど、私だって道半ばで倒れてしまうこともあるかもしれない。だからこそ、目の前の「今」が大切。


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私はきっと、形のある幸せ(家族を作るとか仕事の成功とか、目に見える幸せ)は、今からは望めないだろう。

でも、「『人から関心を持たれる・認められる』が行動の動機だった私が、自分の『好き・やりたい』で動けるようになる」、「不安にさいなまされていた私が、少しでも不安なく過ごせるようになる」、「人の間で苦しかった私が、楽にいられるようになる」、「生きていて素直に『幸せ』と感じられるようになる」ことは出来るかもしれない。
私にも出来ることは、きっと残されている。

それにね。
私は「私を愛してくれる人なんていない」「だから、孤独だ」と思ってきたけれど、私は私の人生の脚本家で演出家で主演女優だし、私の中の傷ついた子供は私の「最愛の子供」だ。その子を愛することは出来る。
その子を精一杯守り、大切にし、育てよう。
いつだって「私の中身」が問題じゃないって、もう知ってるよね?
最愛の子供が傷ついていることと、処世術の問題なんだよね。
だとしたら、回復をしなかったら本当に勿体ない。

私には私に出来ることがあるし、私が私を愛することが出来る。
それは、今の私にしか出来ないことだ。


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以前は、「人生が変わる」ってすごい大きなこととか、外側の変化のことだと思っていた。
でも今は、「目の前の時間を、自分が安心して・満足して・快適に過ごせるようになること」「その為に、自分が『今』目の前の時間の中で、小さな選択を本当に自分が望むように選べるようになる(シンプルに自分の『好き』『したいで選ぶ』)」ことだと感じてきている。

それが私に取っての「自立」でもあると思う。
私は、今でも無意識に人の関心をひくことを目的に行動していることがある。
人の関心・承認を得るためでもなく、人の顔色を気にしたり、バカにされないよう警戒するでもなく、何かから逃げるためでもなく、ただシンプルに「自分のしたいようにする」が出来るようになりたい。
これが私に取って、「生まれ変わる」「新しい人生を生きる」ってことなのだと思う。

そして、それはいつも「『今』目の前の時間」から始まっている。


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書いていて、今までで1番泣いた PAY FORWARD だったかもしれません。
ごく個人的なことばかり書いたので、分かりづらかったと思います。
コースの中身ともあまり関係なくて、すみません。
今自分が感じたことを大切にしたいから、そのまま提出させていただきました。
読んでいただいて、ありがとうございました。

最後になりましたが、藤沢さん、スタッフの皆さん、仲間の皆さん、本当にありがとうございました。




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K. M. さん(40代以上/京都府よりご参加) おりびあクラス



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大好きなKへ

「コース1/STEP.1」3回目、お疲れ様でした。
ほんとやってよかったね。

ワークをする中で、

「自分にあった時間の使い方をみつけて、自分の心と一体になる時間を、仕事の中でも、プライベートでも増やしていきたい。」

そう書いてあったね。


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この3ヶ月の間、手帳に空欄が多くなった週は1回だけで、時間を追うごとに、仕事でも自分の心と一体になる時間が、確実に増えていったね。

仕事に関しては、本当、“雨降って地固まる” みたいにしんどいことが多かったけれど、そんな時に前向きな考えが出てきて、今までなかなかできなかったことに対して、突破口が見えたよね。

とにかく挑戦している。何を言われるか気にするより、間違っていたとしても、とにかく自分で考えて、相手に伝えようとしてきた。偉い。

「本当はいろんなことに気づけるし、自分に思いはあるし、考えもある、それを欠点と思って、大事にしてこなかったとも思う。」

そうワークの中で、書いてたよね。
だからこそ、今回は自分の気付き、思いを大事にしてきた。

そうすると、とっても働きやすくなってきた。自分のリズムみたいなものが見えてきて、ずいぶん楽になったよね。
自分で考え、自分の思いを伝えて、自分で実際にやってみる。だからだよね、自分のリズムをつかめたのは。そうやって初めて自分のものになって、やれることが増えてくる。

今まで、自分を抑えていて、自分で考えることを諦めていたから…、よく、また自分で考える力を身につけたよね。頑張ったね、偉かったね。


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最後の出さない手紙では、自分のこだわっていたものにさよならできたね。それも大きかったね。

最後の週は、異性に対しての自分の行動でまたしんどくなって、自分のことがなかなか褒められなくなっていたね。

そうなると、自分の冷たい心をいっぱい感じたり、失言が多くなったり…、きっと Yes, and…、じゃなく Yes, but…、になっていた。

母と言動が似てるように感じたり、混乱している。

きっと、次のコースに向けての伸びしろなんだろう。

異性に対しては、自分がこれからどうしていきたいのか、常に混乱しているよね。


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優月さんからの11月「じかんのギフト」 “1人で生きてゆくことは2人で生きてゆくこと”。
このギフトが本当にKのものになるまで、焦らず、諦めず、自分に向き合って欲しい。これからのKの課題だね。

今回は、仲間と一緒に見つけたと思えるものがあった。ずっと一緒にやってきたからだね…、本当にありがとう。
この気づきは絶対、これからの自分に活かされると思います。

優月さん、スタッフの皆さん、仲間のみんな、ありがとうございました。