2017.02-06月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(後期日程)」きぶねうすクラス

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タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) きぶねうすクラス



タイトル下の線


3ヵ月の、「じかんのきろく」を読み返して
私の中には「もっと、もっと」という気持ちがある。

もっと、わたしを出したい
もっと、本音がいい
もっと、気持ちを出したい

最初は「できなかった」「くやしい」、そういう気持ちだった。
でもそれも、このクラスで1発でできるわけではなかったね。

私は、毎週毎週、課題にできる限りの力で食らいついた。
もちろん、まだまだ説明的なところや
頭で書いてしまったな、分析ばっかり…という
クセに辟易したところも、ある。

でもこれは、1週間ずつ、私が必死に
「ほんとうの私の周りに塗り固まっている、分厚いペンキの壁を
ひとつひとつ、私の手と心で削ぎ落とそうとした」
その結果なんだ。

そして、そうやって、削ぎ落としていって
不器用ながらも「健康な生き方、考え方」を心に取り込んで、
実際に日常の中でトライして、できたり、できなかったり
そしてフィードバックしたり…。

そういう「基礎の積み重ね」「浄化」作業をしてきたからこその
「もっと」という気持ちの芽生えだと思う。


文節区切りの線

もっと、私を出したい
もっと、私の気持ちや本音を出したい

そう、私は感じられるようになってきたんだ。
私は、私のニーズや気持ちこそを大事にしなくちゃ、
私の人生に、ならないんだと自覚している。

それは、やみくもに「こうすればいいはず」「いい子」を
盲目で懸命にやり続けてきた、
不健康な生き方から抜け出そうとしてる、力強い一歩だよ。

私は、わたしという、世界でたったひとりの存在を
少しずつ、心の内側で感じられるようになってきた。

まだ、全体像は見えない。
バラバラとした、断片を感じている。
でも、確かにそこに「いる」。

その気配を、心で「感じる」からこそ
「これ、出したい」「この私になりたい」、
その気持ちやニーズが、溢れてきてるんだよね。


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だから、この3ヵ月も、ほんとうに私はよくがんばった。

頭で書いてる投稿は、正直、読み返してても苦痛で
でもその合間合間に、キラッと力強く光ってて
私の心と結びつくことばも、たくさんあった。

私は、前に比べればずいぶん、心の根っこのことばや思いを
書けるようになってきたんだな。
それを、私にゆるせるように、なってきたんだね。

自分ほめも、ずいぶんできるようになってきた。
ほめる言葉も、ほめるところも、私の心にしっくりくるようになった。
「ほめられて、うれしい」という気持ちを、
ふわっと感じられるようになってきたからだ。
それは、本当にしっかりした、成長だね。


文節区切りの線

「じかんのきろく」を読み返してて
私は、わたしのこと、だいっきらい
って思ってるんだって、感じた。

私の中で、2人の私がケンカしてる感じ。
だから、うまく進めないんだって、気づいた。

その「だいっきらい」って言ってる私に、耳を傾ける。
そうしたら、その私は、くやしがって泣いてた。

私は、ずっと我慢ばっかりで、
誰も支えてくれたり、励ましてくれたりもしてくれなくて
理不尽な攻撃と仕打ちばっかり受けて、
いつもいつも、誰かによってフタされてた。
何をどう頑張っても、ほめてももらえなくて
「足りないよ」「まだまだ」「こんなんじゃダメ」と否定されるばかり…。

私は、くやしかったんだ。
そしてその、ほんとは周りの人にぶつけたかった、攻撃を
自分に、向けてしまってる。

その表れとしての「私なんて、だいっきらい」。
その、悔しい気持ちと涙なんだ。


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3ヵ月、懸命に投稿しながら
その投稿の奥底には、そういうもどかしい気持ち…。
ほんとは私に「これをわかってほしい」っていう
SOS が発せられてるってことを
私は、感じた。

この…私の中の、仲直り、
これを本気ですること。
それが、私の回復に向けてのステップで、
ほんとに、大切なこと、大切な鍵のように思えた。
振り返る中で、それに気づけて、よかった。


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この3ヵ月は、私の中でもとても揺れた。
仕事で、上司が産休に入り、後輩が辞め、新人が入ってきて
私にかかる仕事の量と範囲が増えたし、
会社自体もぐらぐらと揺れている。

そんななかで、仕事もふんばって頑張りながら、
このクラスにも真剣に向き合い続けたこと
ほんとうにすごかったと思う。
よく頑張ったね。

同時に「休みたい」「疲れた」「よくわからんくなってきた」私もいたし
「今、楽しめばいいんじゃない」「今、好きなことを楽しむのが人生じゃない」
そうやって、新しい価値観も入ってきて

正解もあるし、スリップもある、
その混ざり合いの状態を生きてて、結構浮き沈みは激しかったな。

「自分の気持ち、言えた!」と思ったら
いや、それは強がり(合理化)だった…と気づくことも多々あって
自分のなかでモヤモヤ、消化不良になったり
ぐしゃぐしゃ、どれがほんとの私なの?? って、混乱した頃もあった。

「またやっちまったよ…」と、自分の「できてるフリ」に
がっくりくることも、何度もあった。
情けなくてくやしくて、またかよーって、涙することもあったね。

でもそれも、そんだけ色んな、私でないものが私の心にまとわりついてて
それを一生懸命、はぎとろうとしてるんだって思ったら
よくがんばったねっていう気持ちになる。


文節区切りの線

私の「1回でうまくいかない」は、
それだけ、大量のごしゃごしゃがまとわりついてる証拠。
それだけ、私はしんどい思いと、しんどい生き方のルールを背負っていたんだ。

それに勇敢にトライしたんだ。
「うまくいかなかった…」のは、トライした証拠だよ。
それに、1回の「とほほ…」で落ち込むけど
それによって「あぁ、ここですべったんだ」と気づけて
私の中の、頑固な生きグセや思考グセも、意識できるようになってきてる。
正直に向き合い、認められるようになってきてるよ。
それは、すごい進歩だし
私の内側についてきた力だよ。

私は、そういった日々の波に翻弄され、
スリップしても、またここに戻ってくる。
そのこまめなリセットは、うまくできるようになってきたね。


文節区切りの線

やっぱり、基礎が大事だなって、しみじみと実感。
だって、あれこれ惑わされたり、
「これでもうまくいくんじゃない?」と思っても
やっぱり、ここに戻ってくると
この知識や世界観の安定感を心が感じて
心が「こっちで大丈夫だよ」って言うのを、何度も感じたもん。

地味で、訓練が必要で、一発ではうまくできない。
魔法みたいな華やかさはないし、
「いいよいいよ」と延々と甘やかしてくれるわけでもない。

「自分でやる」ことのずっしりした重さもあるし
「やめたい、投げ出したい」「まだこれなの?」「いつまで毒、出てくるの?」
「いつまでこれ(過去や家族)に、私はとらわれてるの?」
「私は考えすぎ? 悩みすぎ?(私の性格がいけないのかな…)」
そんな疑いと迷いは、尽きることなく、出てくる。


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でもきっと、理屈じゃない。
人から見てどうか、でもない。

私の心が納得すれば、抜けるし
まだもやもや、迷うってことは、
何かがひっかかっていて、それを見たい、見つけてほしいという
私からのサイン、SOS なんだよって思う。

だから私は、進み具合や速さや、世間体、他人に重心を取られず
私の中の納得感や、すっきり感、心の正直な感覚に耳を澄ませて
この先も、進んでいこう。


文節区切りの線

私は、不完全で、不器用だ。
一度学んだことが、うまく消化できないこともあるし
頭で「わかった!」気になって、簡単に私をだましちゃうことも、ある。

ずるもしたいし、魔法にも何度も心奪われてふらふらする。
30代も後半になったのに、まだ子どもの未練も抱えている。
ここまで学んできても、まだすぐにこけるし、自己流に走りがちだ。

でも、それでも
今日の、この一歩は、確実なもの。
私に正直になった、一歩。

甘えたり、ずるしたくなったり、人をうらやましくねたんだり
同じとこでぐるぐるして、勇気なくて、いくじなしで…。

でも、そんな私を、私は
しゃーないな、って受けとめられるようになってきた。
だって、私も誰も、不完全な存在だもん。
できることも得意なことも、できないことも苦手なことも、あるよね。

なにより、いまの私が素直にこう感じてるなら
それが今の私なんだよね。
なら、それでいいんだよね。


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私は「こんな私なんて、ダメ、ダメ」っていう攻撃にへこたれてけど
それがずいぶん「あぁ、でもこれが、ありのままの私なんだ」って
落ち着いて、受け入れられるようになってきた。
「受け入れたい(だってそうすると、心地いいし)」という私も、出てきた。

何かが「できる」からオッケーとする、
理想通りだから、オッケーとする、
その、こりかたまった考え方、私へのジャッジからも
ずいぶん、心がやわらかくなってきたね。

素敵そうな私になるより、
理想通りの私になるより
不完全で情けなくても、今の私をオッケーとする、愛する。
その方がうんと心地いいって、感じられるようになってきた。
この、心の広がり方も、私は好きだ。


文節区切りの線

「できない」「できなかった」ことなんて、1日の中に山ほどある。
そこを見て、「できないをつぶそう」というやり方をやめて

「もうできたこと」「できるようになったこと」
「私がわたしでいて、うれしかったこと」「私の心がふわっとうごいたこと」

「私が、わたしのために、できたこと」

そういうことに重心を置いて、うんと、ほめよう。

今まで、私こそがわたしを、道具や機械みたいに扱ってきた。

そんな私が「私のために」って思って
何か一つでも行動できたのなら、
それは、私にとって大きなシフト。

それが、私の「叶えたかった夢」のひとつなんだ。

へたくそでもいいし、こけて泣いてもいい。
とにかく私は、一歩でも、毎日、進んでいこう。

私の心が「こっち」という方へ、私と一緒に進んでいこう。


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私の心も人生も、親や他人によって侵犯されまくってきた。
それを今も、私は引きずってしまっている。

でも、私には
「私の心の中にある世界を、私の人生で生きてしまう」
そんな権利が、ある。

私の心の中にあるもの、私の心で決めるもの、
私の心で選ぶ人生。

それは、本当のほんとうには「誰にも奪いされない」
そういう、尊くて、力強い、気高いものなんだ。

私は、他人の揺さぶりに負けない力がある。
まっすぐ、私の思うように、私の人生を生きていい。

その、気高く凛とした思いを大事にして、私は私の人生を
ひとつずつ、つくっていきたい。

私は、私を誇りに思って、生きていきたい。


文節区切りの線

優月さん、スタッフの皆さん、クラスメイトのTさん、
今回も、しっかり自分に集中できる3ヵ月を、ありがとうございました。

みなさんのおかげで私は、いろんな私をありのままに出すことができ
それがそのまま、自分堀り、私を知ること、私を許し愛することの
練習にもなったと思います。

3ヵ月間、ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) きぶねうすクラス



タイトル下の線


「じかんのきろく」を読んでみると、この3か月間の初めにあったことがずいぶん前のことに思えたり、3か月が瞬く間に過ぎたような気もしたり。
どちらにしても、私はこの3か月も必死だった。一生懸命自分のことを考えて自分に向き合うことを止めなかった。
仕事では年度末で慌ただしかったり、自分自身の異動もあったりして、時間もなかったけれど、ないなりにできることをひとつずつ。私は私をあきらめなかった。


最近、心が凪いでいる時に、ふと幸せに思う。そういう時間が増えている。
私はこの3か月で、前よりも強くなった。
自分でいられるようにもなってきた。

もちろん、波立つこともあれば、大荒れの時もないわけじゃない。
腹の立つことも、心を持っていかれそうになることも、日々起こるけれど。
それでも、私は私をなくさずに、私であり続けられる。

きっとその積みかさねで、私はもっと強くなれる。
そしていつでも私が好きな私でいられるようになる。
そのことを、これまでのどの期間よりも強く実感した、そんな時間だった。


文節区切りの線

今まで私が特段気にかけていなかったことも、私の強みだと改めて認識した。
気付いていなかっただけど、私には誇れる資質がある。その良さを伸ばして、負いすぎる責任を手放して、私らしく生きていけばいい。

そして、私は私に大事にされていないと感じる時、傷付いた気持ちになっていると気付いた。
必要以上に自分を卑下したり、主張せずに言われるがままになったり、その場を収めるために道化てみたり。そういう時にずいぶんとモヤモヤするのは、私のことをないがしろにしているから。
そんなことを他人にしたりされたりするのはひどいと思うのに、自分に対しては気付かないままずいぶんと傷付けてきた。

私を大切にするのがどういうことか分かり始めたから、大切にされていると感じられるようになってきたから、それを習慣にしていこう。
そういう私が好きだから、もっと自分のことを好きになろう。

大丈夫、私なら。
だって、こんな遠くまで歩いてこられたんだから。


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優月さん、スタッフの皆さん
今回も安全で安心できる場をありがとうございました。

ご一緒したYさん
今回もご一緒出来て心強かったです。気付きを色々もらいました。
ありがとうございました!