2017.02-06月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」おおかんクラス

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タイトルはじまり目印

Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) おおかんクラス



タイトル下の線


私へ

この三ヶ月間、ほんと、ほーんと、よく歩き切ったね。
心から「お疲れ様」と、拍手だよ。

もう、「えー、でも、誰でも出来る事なんだし。大した事ないよ。」なんて、ひとかけらも思わない。
私は、私にしかないできない事を、この人生を、今、確実に一歩一歩歩いているよ。

始めたころは、季節はまだ冬でした。そう、まだ寒かった。
そして、今はどう?
もう春を超えて、初夏です。空にはツバメが飛んでいるよ。

カレンダーの上では、たった三ページだけど、今回は、とても長く感じました。
長かったぁ…。
一週一週が、重くて、目をそむけたくって、長かった。

この長かった日々。
あの痛みも苦しみも、ないわけではなく、消えたわけでもなく。
言うならば、「私の中に吸収された」感じがしています。
あの痛みも苦しみも、今、血となり肉となって、共に生きていこうとしているんだと思います。


文節区切りの線

最初、主人との関係をよくしたいと思っていました。
それに、向き合った期間でもありました。
主人は変わるわけない。そう思っていました。
今は、主人が変わるかどうかは、主人次第だから、どうなるかは、私は解らない。と思える様になりました。
気持ちから行動へと、対等な立場にもなれたし、とてもラクになりました。

いろんな事がありました。
どんなことも、ぐじゃぐじゃほい! しないで向き合ってきました。
その力がついてきて、考える時間も力もついてきたんだと、やっぱり、これは自分で自分を褒めてあげたい。ほんと素晴らしい!
よく、向き合ってきたね。

そして、この目から見える景色が、去年に比べると、色鮮やかになった気がするのです。
こんなにも、世界は、温かくて、穏やかで、こんなに綺麗な色をしていたんだ。
そう、思えている私に、ほんと、驚きです。こんな日が来るとは、きっと、去年の私も、再訓練を始めた頃の私も、想像出来なかったと思う。


文節区切りの線

あの頃は、ただただ、苦しかった。この苦しみから解放されたい! でした。
知識と、「遅いは早い」は、こんなにも、私の人生と世界に力をくれました。

ほんと、ほーんと、しんどかったな。そして、ほんと、よく歩きとおしました。
お疲れさん。お疲れさん。よくやったね。
しんどかったね、苦しかったね。悲しかったね、痛かったね。
私が見てるよ、知ってるよ。私が一番知ってるよ。傍で見ていたよ。
だって、ずっと、一緒にいたんだもん。傍で見ていたよ。

母に言ってほしかった言葉を、私が私に言ってあげてる…なんか、ほっとして、心が嬉しくて、涙が止まんない…。

うん、そうだよね、私、どうもありがとう!!


文節区切りの線

共に歩んだお仲間さん、一人じゃない事が、とても心強かったです。一緒にいてくれてありがとうございました。
藤沢さん、今回も、見守り、励まし、縦走してくださって、ありがとうございました。
これからも、いろんな事を教えてください。

線路はつづくよーどこまでもー。そうそう、私の人生はまだまだつづくよ。
もう歩みを止める気はない。それなら、ワクワクいこう。
命ある限り、精いっぱい生きていこう。




タイトルはじまり目印

K. M. さん(30代/京都府よりご参加) おおかんクラス



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K(自分)へ

「おおかんクラス」、お疲れ様でした。
今回のコースは、本当に最初から、苦しかったね。今までで一番苦しかった。

自分が見ないようにしてきた嫌なことと向き合う毎日。
今までの息抜きも全然効かなくて、「Communication Room」で仲間に話を聞いてもらって、1人じゃないって感じて、乗り越えられたんだと思う。本当に「おおかんクラス」のみんなに感謝だね。
そして、Kが逃げずに諦めないことが、本当にいつもすごいなと思う。

最初の苦しかった時の自分を振り返ると、なんでこうしんどい関係を持ってしまっていたのかなと感じた。そう感じられたのは、この3ヶ月でKが随分変わったということ。自分重心になってきて、楽になってきたということ。


文節区切りの線

恋愛依存症で、性的境界線がきちんと引けなくて、仕事まで影響してしまって、つらかった。
このコースで、最も嫌いな怒りの感情を、自分に許してみた。母と祖母の喧嘩から、自分が感じても表現したくなかった、怒り。
まだうまく出せないけれど、自分の怒りを感じて正しく表現することが、性的境界線をきちんと引くことに繋がるんだと、初めて知った。そうだよね。きちんと嫌だって、怒ることで、相手がわかってくれるんだもんね。

“感情は自分の安全を保つ境界線を設定するための指針になる。”

どの感情も、全て大切なんだ。

“イラつきも、怖れも、悲しみも、喜びも、どんな感情であれ自分のものとして受け止めることができた時、私たちは愛を生きることができる。
回復とは様々な感情に気づくようになり、適切に表現する方法を学ぶことでもある。”

このコースで知ったこと。

最後の遊びは楽しかった。
楽しければ楽しいほど、異性に対して、疲れたなって感じて…、今まで疲れる関係ばっかりになってしまっていたから、ごめんね。

まだまだ戸惑うことばかり…、ある関係をやめても、また違う人にすぐにどうしてこんな感情になるのかな、自分は惚れやすいのかな…、自分の好きになる気持ちってなんなんだろう…。
本当にまだまだ落ち着かない日々…。

それでも、共依存に引っ張られていた場所、境界線にズカズカ入られる場所から離れていく自分がいて、今まで見えてなかった心地よい場所を選ぼうをしている自分もいて、最後の月、週で変わってきている自分を感じる。


文節区切りの線

褒める練習をするようになってから、同じところを歩いてるように見えても、ほんの少しでもできるようになったこと、前進しているところに、目がいくようになったね。
気付いてる自分がいる。すごいね。
できない、同じ失敗をしている、そして責めるの悪循環から、抜け出す方法ができるようになってきたかもしれない。

こうやって訓練を続ければ、今はまだ、以前と違う自分になることを戸惑っているけれど、自分の望んでいる場所に、罪悪感なしに落ち着いていられるようになれるかな。

いろんな選択肢の中で、きちんと自分の幸せになる生き方や関係を、周りに振り回されずに、自分で選び取り、そして納得することができるようになれるかな。


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これからもトライ&エラーをしながら、自分はこれでいいって思える生き方がしたい。できたら、いっぱい褒めて、お祝いしたい。いっぱい遊びたい。やりたいこと、欲しいものたくさんある。時間を大切にしながら、みんなで幸せになりたい。

仲間の皆さん、優月さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございます。私も、ありがとう。
そして、まだまだ訓練を続けますので、これからもよろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) おおかんクラス



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わたしへ

まずは、お疲れ様でした。
なんだか、ぐったりしていますね。疲れたね。
そして、それは「一生懸命取り組んだ証」なのだと思うよ。


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この3か月を振り返った印象は
「なんだか、素直だなあ…。」
です。

とても素直に、自分の内面をさらけだしている気がしました。
課題に導かれることで、自分が今まで気づいていなかった、気づけなかった深いところまで自然と向き合うことができました。


文節区切りの線

今回は、自分のニーズや感情に気付くという練習をしました。
最初、私は「自分のニーズ」が全くわかりませんでした。
でも、それは「ニーズはあったけれど、それがニーズだとわからなかった」だけでした。
「ニーズ」は日々の小さな積み重ねの中にあったのに、私は「なにかとても大きなもの」「立派なもの」だと思っていました。

課題を進めるうちに、少しずつ自分のニーズが浮き彫りになってきました。
そして、それは感情がとても関係しているのだと学びました。

私は、自分の感情を感じることがうまくできませんでした。
自分の感情に自信がなかったのです。
今思えば、感情に正しいも間違っているもないのだとわかりますが、このコースを歩いている途中は知識としてはわかっているけれど、自分の中ではまだ「自分のもの」にはなっていませんでした。
こうして、振り返ってみて初めて「腑に落ちたのだ」だとわかりました。

「ありのままに感じていい」がやっと腑に落ちた気がします。
これからも、「自分の感情」を感じる練習をしていきたいと思います。

そして、今まではどうしても「自己否定感」が消えませんでした。
自分を信じたいのに信じられませんでした。
でも、以前より少しずつ「自分を信じること」が出来るようになった気がします。
自分の感情を受け入れることが出来るようになったからかもしれません。
ちょっとずつ、自分と仲直りしている感じです。


文節区切りの線

なんだか、自分が赤ちゃんのような気がします。
色々なことを、学び直して。試して。
その現実を見ることは苦しいです。
でも、楽しいです。
とても自由で、自分を解放している気がします。
「知らない」ことを取り繕わなくていい自由。
好きなだけ試していい自由。
そのことに安心します。

道を進むたびに、「基本の大切さ」「小さいことほど大事に」を実感します。
好きなだけ戻って、自分が納得するまでしてみたいと思いました。


文節区切りの線

3か月一緒に過ごした仲間のみなさん。本当に一緒に走っている感覚でした。
とても心強く安心して取り組めました。ありがとうございました。

藤沢さん、スタッフのみなさん。
ワークショップに参加するようになって、自分の環境の変化がものすごく激流です。
その中で、ここにしがみつきながら、伴走していただきながら進んでいけること、とても心強いです。今回もありがとうございました。




タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) おおかんクラス



タイトル下の線


ご一緒した皆さん、藤沢さん、スタッフの皆さん、3か月間本当にありがとうございました。

振り返ってみると、ただただ必死で、しがみつくだけで精一杯でした。
「あー、しんどかった!」が、正直な感想かもしれません(笑)。

そして、この「しんどかった」の中には、うまくいかなかったり出来なかったりしたこともあったけれど、ねばり続けた自分に対する「良くやったね」という気持ちも、どこか誇らしい気持ちもあります。


文節区切りの線

何だか明るく書き始めてしまいましが、実際やっている時は辛くて苦しくて。
(「共依存者は、知らない・出来ないが怖い」に、私もばっちり当てはまっていたんだろうと思います。)
課題を読んではため息、コメントを書いてはため息…でした。

正直に書くと、始める前は、どこか「アサーティブ・トレーニング」や「時間のためのちいさなワークショップ」のように楽しい感じになるのかな? と思っている所がありました(決して、なめていた訳じゃないんですが…)。
が…甘かったです。本当、すみません…という気持ちです。

ここへきても基礎は重要で(ここまできたからこそ、かもしれません)、延々境界線・感情とひたすら向き合い表現し続け、それにコントロール(応用編? 自分の今までの「ポジティブさ」がコントロールだったと分かってショックでしたが、分かって良かった…。)が加わり…。
そして、時間軸が過去から今に変わってきて。

やっぱりどうしても見えてくる「自分」。
それも、今の等身大の自分。現実。

感情も境界線も、ちょっとは出来るようになってきたかな? と思っていたけれど。前より癒されてきたかと思っていたけれど。前より成熟してきたかなと思っていたけれど。
(たしかに、それはそうだと思います。少なくとも、そんな自分に気付いても「なかったこと」にしなくなってきたし、責めなくなったし、責めても気付いて止まって向き合っている。)


文節区切りの線

今ここにいるのは、まだ自分が望んだようには成熟出来ていなくて、色々知らなくて出来なくて、傷ついていて、失敗も繰り返す自分。

そして、かえって、前よりむき出しになった「子供の自分(=自分の本質)」が見えてきた気がする。
私は「ありのままの自分では、愛されなかった」ということに、今も本当に心が痛んでいる。
人からの無関心・否定が、とても怖い。
(今は、気付く度「その出来事・人は、私の存在価値と関わりがない。私は、目の前の出来事が『自分の存在価値』と直結して、脅かされるように感じるのが苦しい。そして、何でも自分と結びつけるのは、子供の自己中心性ではないか? だから、手放したい」と自分に言い聞かせているところです。)

私は、人間として苦しい状態で育ち、色々よそおうことでそれを隠してきたけれど、もう限界だったんだろうと思います。
自己否定感を隠すために自分のまわりにくっつけてきたものが、ぼろぼろはがれてきた感覚。
喜ばしいことなのかもしれないけれど、とても怖い。

自分の状況も見えるようになるにつけ、過去の時間はもう戻らないし、過去にもらえるはずだったものはもうもらうことは出来ない。誰も何とかしてくれない。本当に、自分で自分を育て、自分の人生を作っていかなくてはいけない。
これが心に迫ってくる。


文節区切りの線

「自分を知りたい」「回復したい」
自分で望み続けてきたことだけれど、押しつぶされそうな気持になって、「見たくない」って思いも出てくる。

でも、知ってしまった以上、止めるという選択はしない。
「まず自分で自分を理解し、幸せにする」
こう思えるようになったのは、続けさせてもらっているおかげです。

本当に地道に、目の前の1つに取組んで。
温かい励ましをもらい、仲間を見て「苦しいのは、わたしだけじゃない」って思って。
しがみつくものがあることが、本当にありがたいです。

本当のことを「恥ずかしい」と思うことも書くと、もう秘密じゃなくなる。
それだけで、どれほど心が軽くなるか。
1回書いただけで癒されるのは無理なこともあるけれど、確実に少しでも楽になる。


文節区切りの線

このコースは、内容的に私たちに取って、とても高度だったのではないかと思います。
私は、この1回目で咀嚼出来たなんて、とても思えません。

…「出来る」と思う方が無謀だった、と思います。
(本格的に回復を始める前までは、私は全てのコースを1回やればすっかり回復できるものと思っていました。おそろしいことに…あの頃の私は、実際やることや時間の重みを知りませんでした。それに、自分に超人的ながんばりや能力を期待し課していたのにそれに気付かず、そのことを当然と思っていました。そして、1つ出来ないことがあると「私は、ダメだ」にしていた。なんて残酷だったか。それに比べると、そう気付けた今は前より現実的になれたのかもしれないし、自分に優しく出来るようになってきたのかもしれません。)

とはいうものの、長年の習慣は手ごわく。
コースが始まった頃は「まだ私には時期早尚な内容だから、『1個でも気付ければ、良し』としよう」と思っていたのに、しばらくするとそんなことは忘れ、現実の出来事にも巻かれ、人と比べたり、出来る手ごたえのなさを歯がゆく感じていました。
(実際、10週目位までどんよりしていました。)

でも、12週目の課題で今までを振り返って、確かに深く腑に落ちるところまではいかなかったけれど、私はその時なりに1つ1つの課題に取組んでいた。
課題を理解しようとして、過去を振り返り、今を見て、よろよろと感じ、考え、実際に行動し、必死に咀嚼しようとしていた。
(「自分に必死になる」って、出来るようになったことだ。)
自滅してしまった週もあるけれど、私はもう自分を投げ出すことは出来ないし、充分誠実であろうとしていた。
「『甘いおかし』では、もう『空腹』は満たせない」と気付いているから。

私も、皆さんも、とてもけなげだった。
気分が高揚しているせいかもしれないけれど、「それだけでも充分じゃないか?」って気もしています。

そのおかげか。
11週、12週目になったら、私は小さなことで喜んでいます。

「正直、心のどこかで『もう、どうでもいいや』と思っていた私が(まだそんな所がなくなった訳ではないけれど)、休みの日にお昼を買ってでも食べた。牛乳買って、カフェオレまでいれた!」
「用事をする休みの日に、行ってみたかったカフェへ立ち寄ってみた。素通りしていたお店を覗いてみた。食べたことのないものを買って食べて見た。…そうしたら、時間が生き生きしてくる感じがする。」

「こんなの、大したことない」ってならなかったのが、素直に嬉しい。
常に出来るようになったのじゃないとも、心のどこかで分かっている。
でも、この小さなことに気付け、大切に思えるようになったのが嬉しい。


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「職場や仕事に家族を求める」
私は自分ではそうではないと思っていたけれど、今週のメッセージを読んで、「やっぱり私もそうだったかも…」と思うようになりました。

私の家族も、境界線が混乱した家族でした。
私が子供で心理的な支援も沢山必要としていた時、両親から「分かって欲しい(彼らの気持ちを、立場を)」というメッセージを受け取っていました(言語でも非言語でも)。
私は子供の立場で、親の親の役割を担うようになっていきました。

そのせいか、大人になってからも私の境界線は混乱していて、「求めるべきではないところに求めて、得られずに傷つく」という経験をしました。
大分境界線が整理されてきた今も、理解できていないところがあると思います。

「職場や仕事に家族を求めるから、認められないと傷つく」
だから、私は去年業務応援の話があった時、感情的にとても傷ついたのかもしれない…。

認めるのは痛いけれど、これから同じことで傷つくのを止められるかもしれない。
課題以外でも気付けることが沢山あって、ありがたいです。


文節区切りの線

最後に「遊ぶ」の課題をやってみて、私の考えはすごく制限されていると感じました。
子供の頃には環境に制限されていたのが、今は自分自身に制限されている。

私は、「遊ぶ」が課題と分かって、どこか「これで、大手を振って遊んでいい!」と感じました。
(遊ぶ「行動」と、「心を遊ばせること」の両方に)何というか、私に取って「遊ぶ」も誰かの許可がいるものだったみたいです。

そして、「楽しむもの・楽しむこと」自体を、どこか「回復の役に立たないもの」として無意識に排除してしまっていたということも。
私は、今も気付かないうちに、厳しく自分を律しているのかもしれない。
思っていたより、「生産性」「効率」に捉われてもいる。

私の中には、どこか「役に立たないもの」=「無駄」という意識があるみたいで、「楽しむこと」自体が「無駄」になってしまっているみたいだ。
(覚えている限り、私は実際的で生きて行くのに役に立ちそうなものには興味はなく、芸術とか音楽とか歴史とか内面の世界が大切だったから、なんだか矛盾している気もするけれど。)

自分が好きだからやる。楽しみたいからやる。
1回で出来なくても、コツコツ練習したりやり方を変えてみたりしてみればいい。
本当、1回の失敗で「すべてダメ」にしたら勿体ない。
(逆に、1回で完璧に出来る事なんてあるだろうか?)

思えば、こんなシンプルなことを「あの頃」の私は知らなかった。
(知らなくて当然だったのかもしれない。私は、本は与えてもらっていたから想像することは得意で出来たけれど、「遊ぶ」「本当にやりたいことをやってみる」を実際やってみる経験自体が足りなかった。そして、「うまくいかなかった時は、励ましてもらったり、別のやり方をアドバイスしてもらう」なんてことは望めなかった。)
今になってでも、知れてよかった。
この視点を持って、遊ぶこともやりがいあることもコツコツ探して行きたい。
今まで出来なかったことも、やってみたい。私に、経験させてあげたい。


文節区切りの線

それから、ふと気が付いたことだけれど。
私の心は、今もがっちり閉ざされている。

私は、「人」にも「楽しむこと」にも、どこか心を閉ざしている。
(逆に「開いていること」がどういう感じなのか分からない。気が付いたらこういう状態だったから、知らないのかもしれないし、開け方も分からない。)

私は、人といても、楽しむために過ごしていても、どこか心の中の苦しみに目がいっている。
「どうせ無駄だ(=役に立たない)」という心の声もどこかにあって、感じる事をブロックしているのかもしれない。
心の中に、まだ消化しきれない感情があって、それがじゃまをしているのかもしれない。
「今、目の前のこと」に集中していなくて、「今ここ」にいないのかもしれない。
「新しいもの」が入ってこないのも、必然なのかもしれない。

1つの体験から、沢山学べたね。
私は、かつて「思うだけ」の人だった。
でも、少なくとも今は、思うだけでなく実際にやってみている。
失敗してめげても、又立ち上がって続けている。
これらは、そうやって続けてきて、実際「やったからこそ」分かること。
勇気を出してやってみて良かった。


文節区切りの線

回復を続けるにつれて(人から見てどうであれ)、思ったより私の心の中の空洞は大きいし、人生が損なわれた大きさも、傷ついた度合いも大きいと感じるようになった。
心の奥にある絶望感も、きっと大きいと思う。
散らかり切った自分の部屋を見て、「セルフネグレスト」の単語が頭をよぎる。
感情を抑えつけるくせも健在だ。今は、姉に感情を巻き取られている。
(私の「感情」=「過去」は、思ったより姉に影響を受けているかもしれない。)

まだ、全然油断できる状況じゃないと思います。
私は、私が感じたことを心から信じられるようになりたい。実際に、自分の手で人生を進められるようになりたい。

とは思いつつ、現実の時間の中ではすぐに人と比べて、自分を見失いがちなのも今の自分です。
だから、忘れないように何度でも思い出せるように、書きます。
私は、自分のことを知った上で、「人と同じ幸せ」じゃなくて、「自分に合った・向いている幸せ」を見つけたい。
過去の自分、状況には、もう戻りたくない。そして、「自分の」幸せのあり方を見つけたい。

これからもしがみつかせてもらいながら一歩ずつ進みたいと思いますので、宜しくお願いいたします。
ご一緒した皆さん、またどこかでお逢い出来たら宜しくお願いします。
お互い、幸せになりましょうね。


文節区切りの線

余談ですが…。
私は、今まで PAY FORWARD を「気付いたこと・学んだことを全て書かなくては!」との気迫で、1から10まで書こうとしていました。
それはそれで良かったのかもしれないけれど、多分それは完璧思考だったかなと…(書くのに気が重かったのです)。
今回も全くそういう所がなくなった訳じゃないけれど、心のどこかで「ここまで書けたから、いいか」と思えました。ちょっと、気が楽でした。

1週目の課題で「『完璧』を目指すことを手放していきたい。『今出来たことだけで充分』と思えるようになりたい。今の自分と自分がしたことに、満足出来るように変わっていきたい。」と書いていたので、一歩前進したことを認めてあげたいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

Y. A. さん(20代/福岡県よりご参加) おおかんクラス



タイトル下の線


今回の12週を振り返ると、家族機能不全の中での「孤独」や「凝固」がとてつもなく、人生の根源を固まらせる状況に追い込んでいると思いました。

トライ&エラーが無い家庭内ではうまく自らの感情を汲み取れず、失敗や成功をとんでもない「事件」として捉えられる。成功と失敗を繰り返すことで、幼少期や思春期の間の自己形成を、境界線として確立できるはずなのに、萎縮したまま成年期を過ごすとそれが家族内の歴史となり、家族内の子供へ引き継がれる。

では、この連鎖を今、知識として与えられた私が動かなくてはならないと非常に感じました。


文節区切りの線

最近の私は、現実が忙しいというより本来背負える責任を負えるよう努めました。自分の中で「自立する方法を知る」「自己管理できるレベルの生活をする」と思い、やっと一人暮らしを始めました。

とにかく母や、絵の先生が話を聞きたがるのは不気味でした。「もういい大人だから」と話すと、なぜか食い下がります。一体彼らは何をしたくて、境界線をのっそりと上がろうとしているのだろうか。
私は、その理由を話したい人には、話したい。
話したくない人には、話したくない。

そう、思って私自身の境界線を守れた気がします。


文節区切りの線

それで、この課題中に、試験勉強を頑張って、でもやっぱり落ちて、今まで勉強にはげめてなくって、締め切りを守りきれない自分がまたいつも通りか、悲しい、悔しいと、そして諦めていました。
でもそれって、やっぱり自分で決めてしまっていて、いつも通り「落ちぶれている私」を作り上げるのは、社会人として、人としてほんとうにまずいと考え直しました。3ヶ月くらい経ってですけれど。
もっと勉強のコツがわかっていたら、挫折しなかったのかな。勉強関連は色々と。
最近になって、「丸暗記」ができないことはないな、とか思えるくらい人とコミュニケーションを取ってます。なんだろう、コミュニケーションとか質問がガンガンしている。これ、私にはできないと思っていたことです。結局前の試験でも落ちたけれど、それでも自分がコンプレックスに思っていた勉強ができないを多少はできる方向に近づけたと思う。

でも、「発達障害」の診断を受けに行って、やっぱり学習障害の気もあったり、接客(電話対応)に必要な気遣いや簡潔な答えを出せないので、仕事を変えないと、このままだと苦しい。だから、仕事を変えたいと思っています。それは、自らの意思で、迷惑をかけると思うし、自分にもあっていないのだと思う。無理に細かい仕事に振り分けられて、ひたすら判断を仰がないといけないこの仕事は本当になんなのか? 私自身の今後のを真剣に考えました。

ちゃんとしたセンターでの結果は7月。…平日に突然休みが取れるような仕事でもないので、そこは調整。
色々なことを、「共依存」について学んでいる間に経験したと思います。


文節区切りの線

「どうしてうまくいかないのか?」

とぐるぐる考えて、思考停止して、「私が○○だから」と、やっぱり思ってしまうけれど、どうにか態勢を戻そうとする、境界線やパターンを取り入れて、私の人生を輝かせたいと思える ONSA Web. WORKSHOP に参加できて、本当に良かったです。

お仲間の様々な「変化を訪れさせたい」と奮起する日々に救われました。


私自身に、本当にありがとうと言いたい。
今後も回復を続けていきたいね。
平和な生活を送りたいと、願っていこうね。




タイトルはじまり目印

K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) おおかんクラス



タイトル下の線


私にとっては3度目のこのコースでしたが、ネガティブな感情の底にあった小さな私の望みや、本音がやっと出てきた気がします。
たまった毒がやっと底をついてきたのかな、少なくとも毒を流す道ができたのかな、って思います。

毒を吐きまくっても、現実世界を生きている限り、「完了!」というのはないのもわかりました。
毎日お風呂に入るように毒を流し、ご飯を食べたり、眠ったりするように自分を褒めたり、休めたりしながら、明日への活力を取り戻すっていうことが、この先もずっと必要で、それが現実なんですよね。いい意味での諦めというか、覚悟が決まったというか。

そして自分の弱さも強さもずるさも悲しみも怒りも、ちょっとは良いかもと思えるところも認めることができてきて、少しは自分や他の人の見方もやわらかくなってきたかな? って感じてきました。

一緒にこのコースを歩いてくれた仲間たちから気づかされることも多くて、視野も広がったように思います。
伴走してくれた優月さんも、本当にありがとうございました。

これからみなそれぞれ回復の道を歩き続ける中で、またお会いすることもあるかと思います。
その時にはお互いにうんと幸せになっていましょうね。
それではまた!




タイトルはじまり目印

I. N. さん(30代/広島県よりご参加) おおかんクラス



タイトル下の線


何度かワークショップに参加させていただき、改めて感じたことがありました。
私は、自分と向き合うと言いながらも、日々の忙しさを理由に自分と向き合う事から逃げてしまいがちでした。
でも、本当に少しずつですが、自分から逃げる回数が減ってきたように思います。
それはやっぱり、ワークショップに参加されている方の影響だと思いました。
皆さんが必死で自分と向き合っている様子がコメントから伝わってきて、私に勇気をくださいました。

それから、今回のワークショップで、私の中には心の奥に押し込めたままの怒りが存在していることに気付きました。
何度も何度も、自分の感情を確認する練習をして、やっと分かりました。
きっと、自分が気付いていない感情もまだまだあるのだろうな…ということもボンヤリとですが分かってきました。
時間はかかるかもしれませんが、この怒りと性根を据えて向き合おうと思います。

ワークショップを通して私に勇気と気付きをくださった、「おおかんクラス」の皆さまと ONSA の皆さま、そして藤沢優月さんに、感謝しております。
まだまだこれからですが、頑張り過ぎずにしがみついていきます。
ありがとうございました。