2020.12月開催 「冬の大勉強 & 大準備会[一般編]」れもいねクラス

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M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) れもいねクラス



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権利と義務について、しつけについて、家族をもつことやパートナーシップについて。
他にもたくさん聞いたと思うけど、混乱しているんだろうか。大切なことを話されたけどわからないことがあるような気がする。

どうしてあんなにたくさんの涙が流れたのか。
なんだかわからないけど、「冬の大勉強 & 大準備会」終わってから、私、足の裏の感じがすごくある。

足の裏がぺたっと地面についているなって感じ。
私の体の感覚がもどるというのならまだいいけど、足の裏だけ。
他も戻ってこーい。


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手術をして「痛いさ、生きているんだから。」と言った人がいた。
そうか、生きていると痛いのかって当たり前のことを実感する。

私は当たり前にあるその痛みを見ないように、なかったことのように扱ってきた。
感情をとりもどすこと。
大切なことだ。

質問をできてとてもよかった。
ここで安心感が得られたとかいうと嘘っぽいけど、ほっとした。

みていてもらえる安心感。
何事も練習ですね。いってきます。




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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) れもいねクラス



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今回のワークショップは腑に落ちることがとても多かったように感じます。

例えば人と広く浅く付き合ってみること。
今までは悪いことだってどこかで思っていました。
広く浅くなんて、相手に失礼じゃないですか! と…。

でも、今は違う。
色々な人と接することで自分を知ることができる。
自分が心地良い人達を理解することができる。
それは本当に重要なこと。


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あと恋愛と結婚は別って言葉の意味。
世間でもよく言われている言葉だけど、好きだったらとか、もういい歳だし、とか適齢期だし等、イコール直ぐ結婚しなければってどこかで思いこんでいました(洗脳?)。

でも好きなら一緒に住むだけでもいいって考えを聞いて、言われてみれば本当にその通りだって思った。
思えばとてもシンプルなこと。~ねばならないって本当に窮屈でした。

私は、どうしていつになっても結婚したいって思わないんだろうってずっと思ってきたけど、家庭って温かいものだっていうよりしんどいものっていう体験しかしてこなかったから、それは当たり前だったってようやく心から理解できたように感じます。


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思うのは、私はまだ道の途中。
だけどその先を切り開いていくのは自分しかいないんだっていうこと。

達成を待つのではなく、この毎日が私の人生だということ。
今の自分の感情を感じること。
目の前の1つ1つを誠実にやっていくこと。
全部全部、ONSA でこれまで習ってきたことです。

これからも、この先ずっと私の人生は続いていくから。
だから適当には進めないって思っています。っていうか適当になんてそんな恐ろしいこと出来ないです。


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優月さん、みなさん。
今回もありがとうございました。毎回思いますが1人じゃないって心強いです。

日々色々あるけど、帰ってこられる場所があるのは本当に心強いです。
またきっと、何処かで会いましょう!




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N. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) れもいねクラス



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今回のワークショップに参加して思ったことは、何回でも同じことを聞くことが私にとっては大事だということ。

私は「知らない」「わからない」がこわくて恥ずかしかった。
助けの求め方すら知らなかった。

私は今までどちらかというと、外側に背を向けて内側を向いていたように思う。
自分の少ない体験の中で一生懸命想像していた。
そして、ただ想像するだけで「自分として」なかなか動くことができなかった。

対処しなくてはいけないときは「それっぽく見えるように」無意識に演技をしていた。
そのうち、そうした時に違和感や虚しさを感じるようになっていることに気づいた。
でも、どうしたらいいのかがわからない。


覚悟をして外側に自分を開いて、信頼できる人たちから解決する方法を教えてもらった。
それを練習して、見守られながら何度も転んだ(今も転び続けているけれど)。
それを繰り返すことで
「知れば、体験すればなんとかなる。
出来ないことはただ経験不足なだけ」
そのことを身をもって知った。


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今回のワークショップで気づいたことは「私は、まだ違うレールの上に乗っていた」ということ。
ハッとした。

人はひとりひとり違って当たり前であること。
できないことがあって当たり前なこと。
そして、それでいいということ。

人には限界がある。
だから、人は助け合って集団で生きていくということ。


私はそんなことも知らなかった。

私の根底には
「人はなんでもひとりで出来て当たり前。
出来ないのはだめ。助けを求めるなんてはずかしいこと」
という原家族からの刷り込みがあった。

もう基礎からずれまくっていることに今回改めて気づいた。


今思うと「何がどうだめなんだ」と思うけれど、そう思い込んだ私は出来ない自分を必死に隠していた。
しかも、そう教えた親のことを完璧だと思い込んでいた。

でも、今回それは彼らが自分たちが出来ないことを巧みに隠していただけだったと知った。
ずっとひっかかって苦しかったところだったので、このことがわかって靄が晴れた気がしてスッキリした。


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「義務」と「権利」の話も去年も聞いたのだと思うけれど、これも目から鱗だった。
そういうことを知ることが出来ただけで、私はすごく楽になった。
抑えつけられていたフタがパカッと開いた気がした。

自分の根底にある考え方自体が、まだことごとく汚染されているのかもしれない。
どうして自分が「孤独」に向かっていったのかが分かった気がした。


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あとは、今回も自分を満たすことが最優先だということを肝に銘じた。
そして、今の自分では現実世界で健康な人と健康な人間関係はまだ結べないということも。

健康な人間関係を築こうとしても、引き寄せられるのは共依存の人だということ。
なぜなら、自分を満たさないと人を助けずにはいられない、人の問題に首を突っ込まずにはいられない、すぐに他人重心になってしまうから。

これは痛いけれど心当たりがある。
だから、まだそれが今の自分の状態なのだということも忘れないようにしたいと思った。

まだどんなときもあるけれど、私はもっと自分のことを知りたいし、もっと自分のことを大事にしたいと思った。


優月さん、ご一緒したお仲間のみなさん、いつも色々学んで、シェアすることが出来て心強いです。
今回も、安心できるあたたかい空間をありがとうございました。




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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) れもいねクラス



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ワークショップ中自分の育ってきた環境を思って涙が溢れてきた。
わたしは本当に怖かったと思った。

そして今回は自分が親のコピーになっているということを目の当たりにして、また大きなショックを受けた。
しかも父の影響ばかりに気を取られていたけれど、わたしは母の生き写しになっていることに気がついて大きなショックを受けた。


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わたしが自分は何もできないと感じていたのは、母を見てきたからだったということに今まで気がつかなかった。

母は自分でできると思っていないようにわたしには見えた。
そしてできないことを全部父に丸投げしてやってもらっているように見えていた。


わたしはそのやり方をそっくりそのまま真似てしまっていることに今まで全く気づかなかったと思う。

「自分はできないから全部やってもらうの」
わたしはそれが母だと感じていた。
でもそれを自分も踏襲しているということには気がつかなかった。

心の中に「自分にはできない」という大きな塊のようなものを感じていたけれど、それが母という存在だとは気がつかなかった。
わたしは知らず知らずに母を取り込み真似ていたんだと思った。


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母は出来なかったのかも知れないけれど、わたしには出来たのだと思う。

やればできた。
でもやることができなかった。ずっと。

だからわたしは大学生の時に行き詰ってしまったんだと思った。
そしてわたしは母と同じやり方で結婚に「逃げた」。
その後も学んだやり方で「周りのせいにして」「誰かがやってくれるのをひたすら待って」わたしは生きてきたんだと思う。


わたしの家族が自立した人間の集まりだったら、わたしには自分のことを考えるスペースがちゃんとあったと思う。
だけどわたしの家族の中にはそれがなかったのだとわたしは思う。

代わりにあったのは緊張感と恐怖だったと思う。
とても自立などできないような空気感の中でわたしは育ったのだと思う。
わたしはその頃から本当に必死だったと思う。


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大学生で家を出た時、わたしは何の頼れるものもなくてとてつもなく不安だった。
今こうやって知識を得ながら冷静に少しずつ知識を増やしながら振り返るとそうなって当然だった。

その時のわたしはもう自立する年齢なのに頼れる自分が育っていなかった。
それを感じたら恐ろしくなって当たり前だと思った。
頼れる自分がいなくて、自分は何もできないと思っていたら、前に進めなくて当然だと思った。

自分はできないのではない、やってこなかった、やってこれなかったんだと思う。
だからわたしは自分にやればできるんだよと言ってあげたい。
そしてやってゆくことでしか、頼れる自分を育てられないんだよ。


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母や父からのニーズに応えて相手ができないことをやってあげる反応がわたしの全てになっていると思った。

時間が、「人と関わる。」というだけで構成されてしまっているのは必死にニーズに応える生活をしてきたからなんだと思う。
自分ではなく他人のニーズを満たす毎日だったからその中に自分が不在となってしまうのだと思う。

そしてそうなってしまったことはわたしのせいではないかも知れないけれど、そこから逃げてしまったのはわたし自身なんだっていうことに向き合うのはとても辛いと思った。

逃げてしまったことも責めない。
それぐらい怖かったのだし、助けに出会うこともできなかった。

それぐらい混乱していた。
それでも逃げたことは事実でそこを埋めるには、向き合うしかないよね。
そういう姿勢をわたしはとても勇気があると思うし誇りに思うよ。


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人間関係がうまくいかないとわたしは自分に大きな欠陥があるのだと感じていた。
だからそれはわたしにとってすごく大きな問題だった。

昨年の「冬の大勉強 & 大準備会」でも今まで起こった辛い人間関係での出来事をたくさん書き出した表と自分の夢、これからやりたいこと、どんな風に生きたいか、ライフサークルの表とを見比べて、その二つに何か大事な関連性があるか? と問われた時わたしは拍子抜けして笑ってしまった。

今年もその同じ問いを優月さんから問いかけていただいた。
そしてわたしは同じ穴にはまっている自分に気がついてまた拍子抜けしてしまった。

そういった、自分が「大問題だと思って引っかかってきたこと」が自分のメインストリームとなんら重要な関連性はない、ということを確認できたら、本当に笑ってしまった。
全然笑えないけれど、悔しくて悲しくて泣きながらもやっぱり笑ってしまった。


たとえばラインのやりとりで友達とうまくいかなかったように感じて悩んでいる時間をわたしはとても勿体無いと思った。そしてそういうことを深く考える必要がないとわかるとすごく気持ちが楽になり、軽くなる感じがしてきた。

今の自分の言い方はあってたか間違ってたか、とか、そういう憂慮は心底「どうでもいいこと」なのだとわかった。
仕事上の役割があるわけでもないのに誰かが寂しがらないように「声をかけてあげる」ということも、それを自分がしなくちゃいけないと思ってしまうのはすごく異常なことだと感じた。
(両親に対してわたしはそうしていたし、それが義務みたいになっていた頃があった)

そんな風に心がけなくても自分は普通でいても、十分に優しいやりとりをすることができる人間だと思う。


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義務と責任、ということもまた新鮮な気持ちで向き合えた。

わたしが両親に対して感じていた「責任」は異常なものだったと思った。
面倒を見てあげなければいけない、お世話をしてあげなければいけない。
その感じるレベルが異常な値になっているから今も人間関係の中で異常なレベルで責任感が作動していると思った。

「育ててもらった分のお金を返さなければいけない」「寂しがらせてはいけない」。
わたしは本当にそれらを信じ込んでやろうとしていた。
そして今は両親にはしていないけれど赤の他人に対してお世話を自然としてしまうことがわかってきた。

仕事でもわたしは経験が浅いために今まではそこまで顕著ではなかったが、できることが増えて自分から動けるようになってきたら、周りには罠だらけだと思うぐらいその状況が転がっていると思うようになった。
心して守らなければあっという間にわたしはまた仕事場でも安請け合いのお世話係になりかねないと思った。


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結婚についても昨年の再確認をできた。
昨年衝撃だったことは今回は改めてしっかりと確認した。

自分は大きな勘違いをしていたし、失敗もした。
勘違いと無知のせいで自分を守ることができなかった。

原家族では結婚というのは制度ではなかった。
人生の目標といっても過言ではなかった。

それがとてもおかしな価値観だったということを今回もしっかりと確認した。
わたしは自分が勘違いで人生の大きな選択の失敗をしたということを隠さないでちゃんと印として受け止めて、無駄にしてはいけないと感じた。
自分を守るためには勉強と知識が必要なのだということを決して忘れないでいたいと思った。


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全部の人間関係を「正しく」することなんかできないけれど、わたしは自分の人生を積み上げてゆく方向で出会う人と丁寧に接してゆくことはできる。

わたしはもっとどんどん切り捨てていってもいいんだ、大丈夫なんじゃないかと思った。
もっと自分本位になって、もっと自分の進みたい方向への推進力にぐんぐんと乗っかっていっても大丈夫なんじゃないか、と思えた。

それはひとを置き去りにするとかではないし、同じスピードでぐんぐん進んでる人とは、また先で微笑み合うこともあるんだと思った。

切り捨てるように感じられること、それが、本来あるべき原始の親子関係と、子どもとしてではなく自分も成熟しながら出会う友達や親密になってゆくようなそれ以外の人との関係性との大きな違いでもあると思った。

わたしが切り捨てるような感じがすることは、「自立する、大人になる」ということなのかもしれないと思った。
だからそれでいいのではないかと思った。

わたしがそんな風に後ろ髪を引かれるような、ひどいことをしてしまっているような感じがするのは、そこに「頼っていた」大人がいたからなのだと思う。
そしてそれは本来あるべき姿ではないから、わたしはその引かれる気持ちに応えなくても大丈夫だよ。と言ってあげたい。


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本来あるべき原始の親子関係、3歳ごろ前後までの親子関係(母と一体のところから母と分離する頃まで)では親はいつも100パーセント子の味方で勇気づけ励まし温めて受け止めてくれるのが自然なのではないか。

母親が必ず味方でいてくれるというのはとても安全で安心感を与えてくれるものなんだと思う。
わたしにはそれがなかったけれど、それがなかったことがわたしを限定するものではなくて、それがなかったわたしもまたみんなと同じように一人の人間として大切な存在だったんだとわたしは思う。

人生のスタートで大切にされなかった、守られなかったことは今もわたしの生きかたを歪めてしまっているけれど、わたしという人間が歪んでいたり悪いものであったり欠陥があるものだったわけではないとわたしは思った。


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傷は傷として向き合い、癒しつつ、わたしはわたしの人生を勇気を出して選び決めてゆこうと思う。
無理のない速度で自分を大切に毎日を過ごせるように、日々練習と本番を繰り返してゆこうと思う。

挫けそうだけど、そうやって本気の毎日を重ねてゆくことしか今のわたしにはできないし、きっとそれこそが「生きる」というわたしが今までできなかったこと、過ごせなかった時間なのだと思う。
これ以上そういう大切な時間を失わないためにも、自分で考えて決める、というプロセスをおろそかにしない練習を続けたい。


とか、そんな風に大げさで壮大で偉そうなことをいっても無理なので、わたしはもっとゆったりと生きたいと思う。

自分に考える時間をもっともっと許してあげられるようになりたい。
時間がかかるのなら、かかるだけかけてあげられるようになりたい。周りからの圧力(外の世界にはこれがものすごく多いと思う)や自分の不安からの焦りで安易に答えを先走るのではなくて、自分が納得できるまで調べることも考えることも粘るようになってゆきたいと思う。

まだわからないことには、堂々とまだわからないと言えるようになりたい。
そして考え中のふりをして思考停止にはならないでいたい。
わたしはちゃんと答えを出すことを目指して進みたい。


遠くにいるお仲間さんへ
今回もお顔を見て一緒に勉強することができてとても心強かったです。
ありがとうございました。

優月さん 
力強く押し出してくださってありがとうございました。
(またすぐに戻ってしまうかもしれませんが、踏ん張りますのでどうぞよろしくお願いします。)

スタッフチームの皆様
安全な環境を見守ってくださり、ありがとうございました。




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M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加) れもいねクラス



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人間関係がテーマの ONSA WORKSHOP(対面式)。
「人間関係」に関する様々な悩みや問いの答えは、もっと明快な線引きがあるものと思っていた。

それが思い込みだった。私のぜんぜん知らないところにあった。
改めて確認できた。とてもよかった。


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いろんなことを発見しました。

ひとつは、自分のからだの現実感覚の実感があったこと。

「冬の大勉強 & 大準備会」は、からだの体力も、心の体力もとてつもなく使う。
今回の「冬の大勉強 & 大準備会」はその実感が特に残る。「冬の大勉強 & 大準備会」のあと、私は本当にぐったりで、何もする気力も残っていなかった。

自分がそういうコンディションになる。なんだかよくわからないけど、これって私の体力ってことなのかしら? 
疲れた~。
この現実の疲労感が、全身で感じられた。
今回の「冬の大勉強 & 大準備会」は、スポーツに感じられた。きつくて、そして、やり切った感じだった。

そして、夕食に用意しておいたサムゲタンかからだに染みた。
今までの私は、気合でなんとか食事を間に合わせようとしてたことを思い出した。
思わず微笑んだ。

ほんとがんばり屋さんだったなあ。無茶してたなあって。
この味を知ってしまったから、あのような無茶は、もう、ムリムリ。私にとっては新しいこと。

計画する。
これも収穫!


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もう一つは、母との関係を今一度見直そうと思う。
あんなにかわいらしい母で、私の気持ちとしてはいまだに大好き。
けれど「母が一番の相談相手で、私の一番の理解者」くらいに思っていたところからは卒業したいと自然と感じられるようになった。

そして、距離が欲しいってたまにどこかで感じていた自分を許せるようになれた。
そう思ったら、私ももっと生きる力を身につけたいと感じるようになってきた。

「生きる」ってどんなことだろう。どういう力が必要だろう。
私には「生きる」ってことがまだよくわからない。
そこから始めてみます。


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究極には、何のための人生か。

マクロとミクロで見たら、人生がマクロで、人間関係はミクロ。
ハッとなりました。

私は、私の幸せのために生きたい。
言われるまで気づかなかったなんて!!

心を開くことを恐れないで、
私の時間感覚で生きる。そうなりたい。
私の幸せのために生きる。




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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) れもいねクラス



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知らないと気づかないことはたくさんあると感じました。

私の感じている生きづらさや、腑に落ちないこと、何度も繰り返してしまうことには理由があり、世界観のズレが大きく関わっていました。
それでいてポエムとかスピリチュアルではなくて、教科書通り、科通りに成り立っていました。

私の今までに誰も教えてくれなかったですし、ここでしがみついて行動しなくては自然と変わる様なものではないというのもじわじわとわかってきました。


私にとって衝撃的なこともありましたが、なるほどだからそうなのかと納得もしました。
まだ衝撃が強かったから悲しい気持ちが湧いてこないけど、そのうち感じる様になるのかもしれないと思います。


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結婚についての定義の話を聞いて、それもまた知らなかったし誰も教えてくれなかったことでした。
私は恋愛=結婚と考えていたので、結婚のできない私は恋愛もできないと思っていました。

なので少し未来の楽しみができた気がして嬉しかったです。
同時にその定義だからこそ結婚に対する恐怖心もあながち間違いではなかったのだなと思いました。


問題が大きすぎるのと、再訓練が必要な事柄が多すぎて怖さも感じています。
今ここ、改めて踏み止まっていきたいです。

ありがとうございました。




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) れもいねクラス



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わたしへ

本当にお疲れさま。
私の立ち位置が違う状態で今回の話を聞くと、当たり前だけど見えてくるものが違った。
去年も同じ話を聞いていたけれど、より鮮明に、私にぐぐっと迫ってくるように聞くことができた。

私は、自分だけでなく、原家族、今の家族、過去、現在、未来のつながりをイメージした。
今の私が理解できるだけのつながりではあったけれど、未来から逆算すると、時間の重要性が差し迫ってくる。
だからこそ、今が重要で、今を動かす、やるか/やらぬかなのだと思った。


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それから、ありのままの自分を認めること。
自分がどういう現状にあるのか…、痛みを感じないわけじゃない。
正直、とても痛い。

痛みから自分をせめることで、自分が自分から逃げたくなることを認めつつ、ぐっと自分につなぎとめる。
私が、私の気持ちをだまって聴いてあげる。やさしく受け止めてあげたい。


今できることを、ひとつひとつやっている私に、よくやっているよ、頑張っているよと心から声をかけてあげたい。
盛りに盛った状態であるけれど、これからの時間をよくしたい、そのために、一歩一歩やっていこう。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) れもいねクラス



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ワークショップ・クラスで教わった、幸せや人間関係の定義。
それをもとにして、私は、自分のプレワークを振り返ってみた。

そうしたら、そこに書いてあった「悩み」はことごとく「悩み」ではなくなった。

それは
「そもそも私は、関わらない方がいい人と付き合っているんだ」
「私は、私の幻想や思い込みをふくらませて、悩んでいる」
「私のこのガマン、そもそも必要ない」

正しい、しっかりした知識を知り、それに自分の考えを照らしてみると、私のゆがんでいる部分やとらわれている思い込みがよくわかる。


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私は、原家族の不健康な価値観や考え方、人間関係のありかたにすっかり土台が染まっている。
その世界観のまま、どんなに私が頑張っても、その先に、私の望む幸せはないんだ。

私がうまくいかないのは、私の努力不足でも、頑張り不足でも、自分の悪さや欠けのせいでもない。
ただ、前提となる土台が、あまりにも違うんだ。
そのことを、私は改めて深く痛感した。


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ワークショップ・クラスのレクチャーを聴いていて、私は、自分の実感や経験のなさが、ここまで自分の人生や価値観に影響しているんだ…と思った。

それがなく、埋まっていないと、私は不安で心許なくなる。
だからそれを、かりそめでも埋めて、安心するために私は「正しさ」や「まねごと」でかためるしかなかったんだ。

今、私はその習慣や思考グセに苦しんでもいるけれどその出所は「仕方のない環境、事情」だったとわかった。

そうするしかなかった、子どもの私を、私はねぎらってあげたい。
そしてそこから、今ここの現実で少しずつ、私は「実感」「この世の手触り」を増やしたい。


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私は、「冬の大勉強 & 大準備会」に何度か参加しつつも「私の人間関係、そこまで悪くはない」と思っていた。

でもそれは「表面上、ケンカしない」という意味でとらえていたんだと私は気づいた。
それは、健康な人間関係ならある意味当たり前のことで、そもそもの私の基準が、不健康なほうにずれまくっているんだと痛感した。

今の私の人間関係の本当の問題は、私の喜びにつながるような人間関係をもてていないということだった。

…これは、へこたれる。


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でも、一方で私は、この会でのお仲間さんとのちょっとしたやりとりに心あたたまった。

あたたかなやりとり、お互いの尊重、私もあなたも OK な空間。
その雰囲気や感覚を、私はあちこちで感じた。

私に「こういう人間関係がいい」というセンサーは、確かにある。
そして、私のほしいものは、こんなにも素朴なんだ。


そこに、ものすごい努力も達成も、条件も何もいらない。
私が立派かどうか、正しいかどうかも関係ない。

ただ、私は私のままでいて、それでいいと心から認める。
そして、私と人は違ってていいんだということを、心底実感する。

そこに軸を置いて、私は私の心地いい人間関係をつくっていこう。
きっとできる、大丈夫。


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今年の最後に、とても学びの深い会に参加できて私は本当によかったです。

優月さん、スタッフのみなさん、お仲間さん
ありがとうございました!




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) れもいねクラス



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「私たちはありのままでいい」

そんな当たり前のことを、私は習わなかった。
ありのままではダメだと教えられてきた。


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私の人間関係は、スタートが全然違っていた。間違ったスタートから、間違った方向に突き進んでいて、それしか知らない私は、苦しい人間関係の中にずっと留まったままだった。

誰かに依って立つことが、どれだけ脆くて危ういか。
そんなことは長続きする訳がなくて、最初から破綻してる。
その繰返しに疲れ果てて、私は人と上手く付き合えないのだと結論付けていた。

でも、土台が、スタートが、全く違うだけだった。
私が悪いのではなかった。
そしてその違いがどれだけ大きくて、そのために、私は人生をどれだけムダにされてきたか。そのことに怒りを覚えて、大きな喪失感で途方に暮れる。


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誰かの問題を解決するのが私の役目だと思ってきた。
私のそばにはいつも問題(を抱えて私に持ってくる人たち)が絶えなくて、私の解決力で他人の役に立つことが私の存在意義。それでこそ存在する価値を認められるように感じてた。

自分で何とかする気のない人たち。
こんなのにかかずらわっていたら、私の人生はいつまでたっても始まらない。
そして、関係を絶っていかなければ、いつまでも私は盗られ続ける。

不毛な関係しか知らなかったけれど、そこ以外の居場所が無かったけれど、抜け出してみればなぜそんなところにいたのだろうと思う。
そんな居心地の悪い場所に、もう二度と戻りたくないと、目が覚めたような思いがする。


文節区切りの線

誰とも上手く付き合えないと思っていた私も、薄い関係をじわじわ増やしてる。
こんな風に薄い関係を作れるなら、私でも健康な関係性が築ける、という希望に嬉しくなる。
人の温かさに戸惑いながらも、素直に受け取れるようになってきた。

重たいしがらみから自由になることが、どれだけ私を穏やかにしてくれるか。
身をもって感じる。

重た過ぎると思った人間関係は、私の想像よりもはるかに軽くて楽しいものだった。
誰かと気軽なやりとりを楽しんで、何かを分かち合えること。
そんな場所があちらこちらにあったら、きっととても幸せだ。


文節区切りの線

私は、本当に自分が一緒に過ごしたい人とだけ過ごそう。
本当に安心できる人、心から楽しめる人とだけ、自分の時間を分かち合おう。

人と人との温かい関係の中で、自分らしく幸せに豊かな人生を生きていきたい。
その瞬間、瞬間を、楽しんで、幸せを感じて生きていたい。
望んでも得られなかったもの、奪われたものを、自分の手で取り戻して、転んでも何度でも立ち上がって、自分の足で歩き続けよう。


オンラインという空間の中で、お仲間の皆さんの顔を見ながら、安心して学びを得ることができました。
人とのつながりがより本質的なものに変わりゆくような状況の中、改めて多くのことを学べた貴重な場となりました。
今回もありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。