2020.07-11月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(後期日程)」らずべりークラス

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タイトルはじまり目印

M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) らずべりークラス



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わたしへ

今回もおつかれさまでした。
このコースの終わりに、やっともとの回復の道に軌道修正ができたね。

とても痛い失敗になったけど、ここからまた行きましょう。
自分の直観を大切に、そして信じて。


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今回のこのコースの間には秋の ONSA WORKSHOP(対面式)がありました。
そこで、自分が盛大に滑り続け、回復の道から大きくそれてしまっていたことがわかりました。

共依存の環境の中でひたすら「他人を変えること」に夢中になっていました。


今振り返ると、「わずかな違和感」それらしきサインは何回も自分から送られていました。

私はそれを見ないふりをしてきました。
というよりも、「自分の直感」を信じ切れていませんでした。
そして、結局以前と同じように自分を追い込んで、今回限界が来ました。


文節区切りの線

「しらふ」になった今、「じかんのきろく」や『未来日記』、『夢かな手帳』を読み返すと、この3か月間は「仕事」のこと、「仕事の人間関係」にほとんど時間が消えていたことに気づきました。

自分では、一生懸命自己主張の練習をしたり、ライフスキルを上げる努力をしているつもりでした。
でも、状況は悪くなるばかりでした。


私はどうして良いのかわからなくなりました。
心のどこかで「むなしい」と感じ始めているのにどうしたらよいのかわからなくなっていました。


私は自分が生きたいと思っている「健康な世界」「順風の世界」ではなく「不健康な世界」「逆風の世界」で一生懸命「どうしたらよいのだろう?」と思っていろいろとしていたのだということに気づきました。

自分が「健康な世界」「順風の世界」を知らないことが、「不健康な世界」「逆風の世界」に慣れ切ってしまっている、何かあったときに「こんなものだ」と期待しないことが当たり前になっていることが、原家族の影響が、自分をこんなにも苦しめるのだと思い知りました。


文節区切りの線

正直、本当に今回の「じかんのきろく」はショックです。
自分をまた透明の容器の中に閉じ込めていました。

その容器の中で必死にもがいていました。
しかもまた出られないと思っていました。

両親の時と全く同じでした。
しらふに戻るまで気づきもしませんでした。


「共依存」の怖さを、根深さを改めて思い知りました。
そして、自分が気を抜き始めて、なめていたことにも気づきました。


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今は自分を責めるというよりも、
「さ。気づけたんだから、ここからまた行こう。」
という気持ちです。

だって、きっとまだ何回も転ぶと思うから。


少し休んで、また立ち上がって歩こうと思います。

ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) らずべりークラス



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私へ

3ヵ月、おつかれさま。
途中で秋の ONSA WORKSHOP(対面式)に参加したこともあり、この3ヵ月で体験した変化の波は、私にはとても大きいものだったね。

そんな、さまざまな波を受けとめながらも、毎週毎週、課題に取り組み、感じて、自分の気持ちを書き続けてきたこと。
そのこと、本当にすごいと思うよ。
毎日、あきらめずに進んでくれて、ありがとう。


文節区切りの線

変化を経てから読んだ、最初の頃の投稿。
「一生懸命さは確かだけど、そもそもの足場や目線がずれていたな」
と私は感じた。

でもそれに「私はダメなんだ」とか「悔しさ」は、あまり感じない。
今にして思えば「違っていた」だけど、あの頃の私の真剣さは今も変わらないし、こうやって「書き続けてくれたおかげ」で今の変化をはっきりと感じられる。


今の私の変化につながる、支えになってくれている歩みだから、私は、たくさんのありがとうを言いたい。
本当に、ありがとう。


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3ヵ月の私のつぶやきを振り返ると、過去と、今の私の周りにいる「他人」でいっぱいだなって、改めて私は思う。
気がつくとすぐ、心も時間も「他人」でいっぱいになってしまう私。


でももう、そんなことすら「もったいない」って、今の私は思う。

他人に振り回されて、目の前の今を問題解決に費やしてしまうことも、私の心を苦しめて、余分な消耗をしてしまうことも、受けたストレスを緩和させて、私に戻るのに費やす時間も、何ひとつ、私の幸せにつながらない、不毛な時間だ。


もう、私にはそんな風に貴重な時間を捨ててる余裕なんて、ない。
私は、もっともっと、私を生きたい。
誰かではなく、つくりあげてきた偽物の「こうしていればいい」という私でもなく。


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秋のワークショップでの学びを受けて、後半は、「外に出て、世界にふれる」「行動する」「自分の好きを満たす」ことにトライすることが増えた。

うまくいったり、いかなかったり、不慣れなことに疲れたり…。
でもそんなトライ中も、この安全な場所で、私が感じたことを自由に書けること。
それが見えない、でも大きな支えにもなっていた。

書くことで新たな気づきもあったし、体験を咀嚼して、フィードバックすることもできた。
それをくり返して、次の一歩を模索することもできた。


そんななか、ワークショップの最終日、私は「じかんのきろく」の振り返りのために、カフェに行くことにした。
そのとき「最近買った、憧れの服」を着て、私は外に出た。

そうしたら…私はものすごく幸せで、「大切にされている」喜びに全身が満たされた。
ただ、着てみたかった服を着た、それだけのことで。

大げさに思われるかもしれない。
でも、3ヵ月間ずっと、いや、それより前からずっと求めていた「私の幸せ」。
ここにあったんだ、と私は思った。


文節区切りの線

私はずっと「自分を大切にしたい、幸せにしたい。…でも、どうやって?」と
自問し続けて、答えが出ないままだった。

自分に関心を寄せるとか、優しい言葉をかけるとか…。
思いつきはするし、やってもみるけど、あまり長続きもせず、効果を実感できなかった。

でも今日、たったひとつ、「私の好き」をやってみたら、一気に、これまでの私の考えや理屈をたやすくすっ飛ばして「これ!」に巡り会えた。
今まで頭で
「私の好きなものはこれ…」
「幸せはこれ…かな」
とこねくりまわしていたものを一気に飛び越えた。

私の心と身体、全部で感じる喜び。
幸せは理屈じゃないんだなって、心底納得できた。


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この「幸福」な状態で、これまでの投稿…。
私の悩みや問題と思っていることへの文章を読んでいたら
「うん、わかる。でももう、そんなの、どうでもいいよ」
と自然にそう思えた。

これは、問題を否認してる感覚ではない。
そこをどんなに掘り進めても、「私の幸福はない」ということだ。


それより、私は「わたし」を、そして「今」を生きたい。

私が私としてここにいて、それでいいんだっていう肯定に満たされて、その上で「次はどんな楽しいことをしようか」と、作戦会議をする。
その方がうんと、幸せじゃないか。
私は全身でそう感じ、納得した。

その決意は生きる力にあふれていて、自然と元気になれた。
無理をしなくても、理由づけや条件づけしなくても、私は前向きな心になれた。


文節区切りの線

よく「可愛いは最強」と言いますが、今の私には「楽しいは最強」です。

楽しいから、次もやりたくなる。
楽しいから、もっと生きたいと思える。
楽しいから、もっと世界を広げたくなる。

幸せを体験するから、自分のことを好きになれるし、もっとこの幸せを味わいたいと思える。
それが「生きる」ってことだったんだ。

私に欠けていた原動力を、その感覚を、私は最後の最後につかむことができました。


文節区切りの線

晴れの日も雨の日も、ずっと心と対話してきた3ヵ月間。
正直、これまでの人生で一番深く落ちた、ものすごくしんどい時期もありました。
でもだからこそ、一つの山を登ったように、今の幸せをありありと、私は感じることができます。

3ヵ月、頑張ってきて本当によかった。
ありがとう、わたし。
これからもよろしくね。


文節区切りの線

優月さん、スタッフのみなさん
今回も、安心安全な空間のご提供、ありがとうございました。

Web の画面ごしでも、みなさんのあたたかなサポートと迎えてくれるお気持ちを感じ、ログインする度にほっとしていました。

激流の日常に流されそうになっても、ここにくれば私を取り戻せる。
そんなあたたかで貴重な空間に、心から感謝しています。


お仲間のMさん
今回、ご一緒できてとても嬉しかったです!

Mさんの投稿、気づきに、励まされることが何度もありました。
Mさんがトライしたり、前に進もうとしている姿を感じて「私もがんばろう」という力をもらっていました。
またご一緒できることを楽しみにしています!

ありがとうございました!



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。