2017.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」はいくろっぷクラス

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Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) はいくろっぷクラス



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参加しての感想は、私の中にこんな想いがあったんだな…という事です。

あれから、まだ一週間が経っていませんし、目の前の環境は同じだけど、
私の中に「あるもの」が、軽くなっている感覚があります。


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私のインナーチャイルドが言った言葉は、私にとったら驚くものでした。
なんか、もっと怒りの言葉だと思っていたから。
涙が溢れだして、とまらなかった。苦しくて苦しくて息が止まりそうで、このまま消えてしまんじゃないかと思った。

そして、私は今生きています。ちゃんと生きています。

ちゃんと食べて寝て、そうする事が私の力で出来るという事。そういった事実。
それが、もう子供じゃないってこと。


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今も思いだしたら涙で眼が潤みます。心から溢れてくるように想いが何度も何度もやってきます。
たまらなく苦しいけれど、きっと、もう少しすれば、何かまた変化するんじゃないかなって自分に優しくいます。

やっぱり、ワークはすごいなと思いました。
どんなけ本を読んだところで、実際と得るものは違う。
頑張って行ってよかったなと思っています。


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インナーチャイルドの言葉。なんでそんな言葉だったのかなぁと思ってみると、
それは、絶対に言ってはいけないと思っていたな。というものだったのかも、と思いました。
言ったら、私の世界が壊れてしまうと信じ込んでいたのかも。

あー、そう思ったら、腑に落ちました。


「私、もういいよ。そんなもの、もういらないよ。
私が助けてあげるからね。この私が助けてあげる。だから、安心して、笑っていこう。泣いている顔より、笑顔の方がかわいいよ。笑顔が一番可愛いよ。」

私、今回もおつかれさん!!




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A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) はいくろっぷクラス



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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」にご参加のお仲間さん。
先日はお世話になりました。

これまでに何度か「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」、共に参加させていただいてましたが、いつも「前期日程」の方がよりワークに身が入るというか…逆にいうと、「後期日程」はどこかまだ自分のことではないような感じがしていました。

今回の「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」のクラスはこれまでと違い、より「私のこと」という意識が強かったと思います。
夏に受けた同じ「インナーチャイルド・ワークショップ」でも、「前期日程」と「後期日程」では、「何か、どこか、違う」感じが、今回初めてしました。

それは取り扱う年齢に沿って、私の方の気持ちも変えてきている気がしました。
それは、普段相手の年齢が違えばそれに合わせて自分も変える、そんな感じです。
でも、それを今までの「インナーチャイルド・ワークショップ」ではしていませんでした。

多分、私にとって、「昔は昔」、「子供は子供」そういった大きなくくりで見ていたんだと思います。今回の自分は、自然とそうゆう気持ちになっていました。もしかしたら、自分のことをより詳しく、細かく見れるようになったのかもしれません、そして、興味を持ち、より真摯に取り合おうと思ったからかもしれません。

これまで、少し成長した、物分かりができるようになった自分と取り合うことは、これまでとても怖いことでした。
それがさらに私が私のこの時代を避ける原因だったのかもしれません。
今回、現実の私が成長したからか、逃げることなく「私は、私を助けられる。」と思えました。


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ワークで取り合った私の傷は、「前期日程」で取り合った傷とは、種類が違う気がしました。
「後期日程」で取り扱う、幼稚園や小学生の時の私の心。赤ちゃんより少し成長した私が傷ついた傷。これを感じ、私は、あぁ、私って成長していたんだなぁと実感しました。

本来の健康な家族で、健康に育つ時の指針のようなものを基準に、自分の過去を見る。
その視点は、私にどれほど自分の家庭がおかしかったのかを気づかせてくれました。

「当たり前」で「ふつう」だと思っていた私の原家族の風景や、やり取りは、やはりおかしかったのだと思いました。


そしてワークショップ・クラスでヒントをくださった、私の母親のこと。
私は、ずっと父親の方が疑わしいと思っていました。
きっと、母を基準に父を見ていたのでしょう。
それほど私にとって、母は絶対だったのだと気付きました。



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ワークショップ・クラス後、じわじわとそのヒントが私の理解へと向かいました。
いろんなことがすごく納得がいくと思いました。
詳しい知識の部分は追いついてませんが、感覚がすぐに納得につながりました。
「そうゆう人」に育てられた感じがしっくりきました。

目が覚めた感じがし「まとも」な側にすっと立った気がしました。
自分の「まともさ」を自分がちゃんと取り合える気がしました。
これまで、自分は「ヘン」で「おかしい」という思いがぬぐいきれず、それにすがっている部分もありましたが、なんか自然とそれが脱ぎ捨てられた感じがしました。

母との会話がうまく成立しなかったことが「ふつう」になっていました。
「機能不全家族だから…。」で済ましていました。
でも、
「だからあんなにもコミュニケーションがうまくいかなかったのかも。」
「母とのコミュニケーションでスキルを学べなかったことが今の私にも影響しているのかも。」
と、より深い理解が自然とできました。

そのほかにも、母の一貫性のない情緒。
私は私の中で学んできた「常識」の範囲で、母親のことをなんとか理解しようとしていましたが、今回のヒントがきっかけで、私の頭が理解するよりも早く、心と感覚が納得しました。

ワークショップ・クラスで私が取り扱った傷の一つに、いとことのことがありました。
彼女との出来事で傷ついた私。
この4日間、母のことについて調べていました、そのことは、このいとこの彼女のこととも繋がりました。


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私が今回取り扱った傷。
それは2つとも、普通の心では耐えられなく理解できない出来事であり、相手でした。
私は、振り回され、混乱させられていたんだ。
私の生まれながらに、持ち合わせていた心や感覚では、対処しきれないことが起きていたんだ。

なんども似たような理解は重ね重ねしてきましたが、また一歩深く、そして、違う角度で見れました。


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私の内側は日々浄化に向けて動いているようです。
ワークショップ・クラスからまだ4日しか経ってないとは信じがたいほど。

この4日間、発達障害や、パーソナリティー障害のことが私の回復を手助けしてくれる気がし、気になって、私が思いついたできる行動をとっていました。
ONSA の記事を読んだり、そこで挙がっている人物を調べたり、図書館に行ってみたり。

そういった行動がより私を、自己信頼へと導いてくれた気がします。
より自立しようと、心がすっと立った気がしました。

自分の未来を自分の手で創造したいと思いました。
私こそが、私を助け出し、守り、育てられるとより強く思いました。


私は、母の作った枠の中で生きてきたんだと自覚しました。
その枠は信じるに値すると思い、この枠さえ守れば、自分は安全に生きれるのだと思っていました。でも、この枠は私がこれから生きていくのには見合わないものだとわかりました。
私にとって全く安全なものではないし、素敵なものでもありません。


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今回のワークショップ・クラス、私の傷を癒すことはもちろん、その傷をヒントに、私のことやそこに付随する家族問題にも目を向けることができました。

今回も、大切な気づきをくださったこの機会、感謝いたします。
ゆっくり、じっくり、変化のプロセスを見守りたいと思います。




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T. S. さん(30代/長野県よりご参加) はいくろっぷクラス



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私にとって、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」は初めての受講でしたが、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」を受けてからの参加でしたので、以前ほど不安はなく、プレワークを進めていました。
でも日にちが近づくにつれ、だんだんと緊張が高まってきて、自分でもなんだか変だなあと思うまま当日を迎えました。


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ワークショップ・クラスの最中、いろいろなことが思い出されました。幼い頃の体験、あれもひどかった、これも大変だった、こんなこともあった、っていろんなことが走馬灯のように思い出されました。
でも、「お母さん…」って呼びかけても、感情がでてこなかった。
ほんとうに感じて、身をゆだねることができなかった。それがショックでした。

「前期日程」を受けた時には、感情が溢れてきて、言葉も出てきたのに、今回は全くと言っていいほど、感じることができなかった。
言葉を出そうとすると、頭が作動して、いろいろ考え出すことの繰り返しでした。


でもそれは、どこかで、感じないようにしようと決めていたのかもしれない。それは幼い頃の私の決意だったのかも。もう、感じないようにしよう、それを出さないようにしようという…。

私は本当はとてもゆっくりで、微細にいろんなことを感じているのに、幼い頃はそのままであることが許されませんでした。感じているいろいろなことは、そんなちっぽけなこと、そんなつまらないことに関わっていられないと、無視され、次第に私自身もそう感じる自分をちっぽけでつまらない自分だと封印してしまったのかもしれません。
その決意をこの時期にしたのかもしれない…。
ワークショップ・クラスを終えて日々を過ごすうちにそう思いました。


ワークショップ・クラスの中では、何かを感じ切って表現することができなかったけれど、でもその後で、向き合って得たものが今回のワークショップの実りかなと思いました。
こんな風に得ていくものもあるんだなと気づき、改めて ONSA WORKSHOP(対面式)の威力に驚いたりしています。


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今回私には、回復を焦る気持ちがありました。
でも、そんな風にすぐには変わっていかないんだなあ。

今回のワークショップでは、それが身に染みた感じです。
できなくても大丈夫。
できないあなたでもいい。
今は感じられなくてもいい。この自分ともう一度、一歩一歩歩んで行こうと思います。

優月さんの言葉、クラスで組んでくださった方、「はいくろっぷクラス」のみなさんの歩みに励まされました。
ほんとうにありがとうございました。




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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) はいくろっぷクラス



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ワークショップ・クラスから1週間が経ちました。
先週のことなのに、はるか昔の様に感じています。

この1週間は体を低くして過ごす、感情の振り幅が大きくなるというのを、とても強く感じました。他人のちょっとした事に反応してイライラしたり、なんでもない事に慌てたりして、アナウンスがなければ一呼吸置いて落ち着くことはできなかったと思います。


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ワークショップ・クラスは新しい知識と知っていたけど理解できなかったことを説明され、また世界の見え方が変わった気がしました。私がみている世界観は大分変で、それが生きにくさに繋がってるのがまた一つわかってきました。
あと過去はすごく今の私に影響をしてるということも。

クラスのワークでとても印象強かったのが、子どもの私がして欲しかったニーズを話すということができなかったことです。
まず口を開いても喉が詰まって言葉が出てこなかった。
「お母さん」の一言が声にならなかった。
喉がキュとしまって口をパクパクしてました。

言いたいけど言えない、本当にそんな感じ。
何十年経っても子どもの私が感じていたことは変わってないみたいな、その場にいるみたいな感じでした。

あと、して欲しかったことが浮かびませんでした。
やっと口から出たことは「なんで」「どうしたらよかったの?」「わからない」。
どれも私が悪い、正解は何? どうしたらお母さんは褒めてくれたの? いいって言ってくれたの? と思ってました。

私がどうしたいか、どう感じてたじゃなくて間違ってた。愛されなかった。私が悪いからどうすればいいの? と泣いている感覚。私がどうして欲しいなんてわからない、感じない様にしてる気がしました。
子どもなのに欲しいがわからない、自覚はないけど大人の今振り返るとものすごく可哀想で辛い子どもなのだど思えます。自分のニーズを感じるようになるのはいつなのだろうか、どのくらいかかるのか、考えるとゾッとします。

知識をつけて、小さくても少し進むと自分の深刻さの度合いが予想よりずっど大きいことがわかってきてしんどいです。毎回このくらいと思うことを更新して行く感じで、うんざりもします。

いつかなんとかなるって甘い幻想は今でも思うけど、そんなんじゃどうしようもないのも感じられる様になってる。
先は本当に長いようです。


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クラス中に劣等感の話が出て、その時の私はあまり感じないと思っていたのですが、帰り道ずっと引っかかっていました。
ダンスをはじめてからのことを思い出していたら、全然そんなことなかったです!

めちゃめちゃ劣等感があって、しんどかった。悲しくて悔しかった。
踊れない自分が惨めで、なんとかしたかった。

諦めるにはキラキラしてる皆が羨ましくて、自分なりに必死にレッスンに参加し続けてました。ようやく最近出来ないことがわかる様になり、練習をすれば私なりのペースだけどいつかは出来るようになることが実感出来るようになり、劣等感を意識しなくなったみたいです。
うまく言葉にならないけど大人になってはじめたダンスのレッスンは、私の回復とても助けになってるのを感じました。


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PAY FORWARD を出したら、またワークショップ・クラス前の様に慌ただしい毎日に戻ってしまいそうで怖いです。
わかってるけど出来ない、いつもと同じぐるぐるとしてしまう、変わらない変えられない。
少しでも戻って立て直して、行動できるようにしたい、この気持ちを忘れないでいたいと強く感じています。




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H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) はいくろっぷクラス



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Sちゃんへ

ワークお疲れさま。本当に疲れたね。
私を大事・大切にするために、時間とお金とパワーを使ってくれてありがとう。


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今、私は「しんどい」という疲労感とともに、不思議と清涼感のある、穏やかな気持ちを心に抱いています。その中に少し「もやもや」したものも感じています。

前半の学童前期のワークでは、気づいていたけど、やはり私のなかに「お父さんとお母さんに弟みたいに愛されたい」という思いがあったことを再確認できました。

我が家では、弟だけが「子ども」で、私は「お母さんとお父さんと同じ『大人』組」という雰囲気を私は感じていました。
そのなかで私は、弟と同じ子どもでありたかった。
自由に遊んだり、泣いたり、笑ったり、欲しいものを欲しがったりしたかった。「お姉ちゃんだから」と我慢したり、「女の子だから」と手伝いさせられたりするのがイヤだった。

でも、「お姉ちゃんだから仕方がないのかも?」とあきらめていたのかもしれません。
そんななかで、私は両親の(特に母の?)私と弟に対する接し方の違い・差にとても傷ついていたことにも気づけました。


私は今、自由に遊んだり、泣いたり、笑ったり、欲しいものを欲しがったりしたい。そして、失敗してもいいから、思ったことを挑戦・実践できるようになりたい。そして、「失敗すること」や「新しいことに挑戦すること」を怖いと思ってもいい、と自分に許したい。


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それから、私は「お母さんに急に殴られて、怒られること」がとても怖かったんだ、ということにも気づけてよかったです。
そして、まだ「私が悪かったからお母さんに殴られても仕方なかったのでは…」と思ってしまうけど、「小さな子どもにいきなり殴りかかり、罵倒する、怒りをぶちまける」大人=私の母の行動が異常だと気づけてよかったです。
社会で、他人に同じことをしたら暴行罪になるような危険な行為ですもんね。

(どうして、この「小さな子ども」が「自分」になってしまうと行動の異常性が薄れるのだろう?)


子どもの私にとって、「突然殴られ、怒られる」ことは、母に「言うことを聞かないから(殴るんだ)。」と説明されても、とても怖い体験だったと思います。
私は、母から突然殴られた驚きと痛みと、恐怖を感じていたろうな、と思います。


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また、学童後期では、ワークの場では声にしなかったけど、私は「お母さんに『死ね』ではなく、『生きていていいよ』と言ってほしかった。お母さんに言われた『死ね』という言葉を消す言葉がほしかった。」と、私のニーズに改めて気づきました。そして、母からずっと「(役に立たない・かわいくない・いうこときかない・みっともない)お前はいらない」という雰囲気・メッセージを感じていたなかで、「やっぱりいらないんだ。死んだほうがいいんだ。死ななくちゃいけないんだ。」私が思う決定打となった母の「死ね」という発言に、私は深く傷ついているんだ、ということも再確認できました。

しかし、推測だけど、私の母は記憶を維持することが難しく、子どもに「死ね」と言ったり、殴ったりすることがどれだけ子どもを傷つけるかを想像することが難しい人だったのかもしれないのです。
でも、「現実」はそうだったんだ、と考えると、私の体験が腑に落ちるのです。


私にヒドいこと(ブス・汚い・死ね・疫病神など)を言ったあとに、母から謝れることはありませんでした。そして、私に「○○しなさい」と言った数分後に「なんで○○してるのッ?! ○○してはダメだッ!!」と怒ったりしました。
母がそんなことをするのは、私が悪く、私のせいだ、私が母に仕方なく怒らせているのだ、と思っていました。
(どれだけ母を自分がコントロールできると思っていたのだろう。魔法使いかッ?! 「子どもの自動思考」コワい…。)

でも、現実には、「私は悪くなかった。」


私がどんなに「いい子」にしても、「頑張って」も、弟みたいにあの人たちの「天使のような可愛い子ども」にはなれなかっただろうし、喜ばすことはできなかった。逆に、怒らすこともできなかった(ハズ)。

母の機嫌の悪さに、私は責任がないし、本当は関係がなかった(ハズ)。

私は悪くなかった。


両親が記憶を維持しにくいために、言うことがコロコロ変わるので、私は混乱していた。

両親がヒドいことを言えば、殴れば、子どもが苦しむことを想像できないため、私は言われっぱなし、殴られっぱなしで、死に逃げたくなるぐらい苦しんでいた。

私がお母さんの言いつけを守れなかったり、聞いていなかったりして悪い子だったのではない。

私が悪いことをして、お母さんに殴らせ、怒らしていたのではない。

私は悪くなかった。

そして、私が私だから、お母さんに殴られ、怒られていたのではない。

私が存在していたから、怒られていたわけでもない。

SちゃんがSちゃんだから、悪かったわけでも、嫌われていたわけでもない。

私は私でよかった。

SちゃんはSちゃんのままでよかった。

Sちゃんは生きていてもいい。

本当は、現実には、お母さんの不機嫌はSちゃんには関係のないことだった。


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私はワークでこの事実・現実に気付いたとき、解放された気持ちになりました。
心のなかが穏やかで爽やかな感じもして、その気持ちをかみしめるほどに、涙が止まりません。

また、平気で子どもに暴言をはいたり、暴力をふるったりする両親に、私は「何をしてほしい」と求めていいのだろう、何を要求しても無駄だろうし、私が愛してほしいようには愛してもらえないだろう、と途方にもくれました。
そして、「でも、弟にはできていたのに?!」という怒りも感じ始めました。

ONSA WORKSHOP(対面式)のワークショップ・クラスを終えて時間が経てば経つほど、解放された爽快感や穏やかさは薄れていき、「もやもや」したものを多く感じるようになっています。

それでも、子どものときの私には両親に求めるものが何かしらあったはずだ、と思います。
そして、その要求を欲してもよかったし、「欲しい!」と声に上げてもいいはずだった、とも思います。
だから、これからは(も?)隠れた・気づいていない自分の要求を見つけたいと思います。

私はもっと私を知りたい。
そして、私は私で自分自身を満たしたいです。


文節区切りの線

私は悪くなかった。
私は私のままでよかった。
私は存在していてよかった。
自然と同じく私も私で、すてきだった。
だから、私も欲してよかった。
私も「欲しい」と声をあげてよかった。
私は生きていてよかった。

お母さんなんて関係なかった。
私が存在していいかどうかに、お母さんなんて関係なかった。
お母さんに死ねと言われたからといって、存在してはダメなことはなかった。
 
私は私のままで生きていていい。

SちゃんはSちゃんのままで生きていていい。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。