2016.10月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」ゆめごろもクラス

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K. O. さん(30代/神奈川県よりご参加) ゆめごろもクラス



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一年ぶりの ONSA WORKSHOP でしたが、変わらずの落ち着いた雰囲気で安心しました。

今回は明確な目的をもって、この「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加しました。

テーマは「怒り」でした。
一年前の「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」で、地獄の釜の蓋が開き、親にものすごく怒っていたことに気づかされました。そして、そのことを親に向かって叫びたかったことも。

そのあと一年間、怒りの抑圧について気づかされることが多くありました。関係あるかはわからないけれど、その後、持病のアトピーが爆発して、苦しい日々を送ってきました。


でも,実際対面式ワークショップに参加してみて。プレワークをやってみて。
私、怒りを感じられている!! って思いました。

ワークショップ・クラス当日も、家のインターネットの接続の工事に関するトラブルで、イライラしていて、せっかくのワークショップに雑念が入るほどでした。
基本的には、集中していたけれど、心の隙間ができると心に浮かび上がってきて、そのことを思い出してイライラしていました。

イライラすること自体は決して悪いことではなくて、問題は、そこにとらわれすぎてしまうこと。
私なりに、そんな状況の中でもワークショップ・クラスの中にいられたと思います。

そして、自分自身が怒ることを抑圧しているせいか、他人が怒っているのを聞くのがこの一年特にすごくつらく感じることがありました。自分とは関係ないことなのに、後をひいてしまうことがたまにあるのです。

だけど、ワークショップでは、ペアになった方の怒りを問題なく受け止めることができました。そして、ペアの方も私の怒りを受け止めてくださいました。ありがとうございます。

私できている!
怒りを感じることも,怒りを受け止めることも。

それを実感できて、確認できたワークショップになりました。


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そして、「インナーチャイルド」の私が大人の私に宛てた手紙では、私の本音が書かれていました。


私をもう閉じ込めないで
ステレオタイプの理想の像に私を当てはめないで
束縛しないで
自由に遊ばせて
レールを押し付けないで
安全、安定の中に閉じ込めないで
仕事や安定的な給料よりも私を優先して
怒ってほしい、戦ってほしい、私を守るために

これから、この言葉を胸に生きていきます。

優月さん、一緒になったみなさん、ありがとうございました。




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H. M. さん(30代/広島県よりご参加) ゆめごろもクラス



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皆さん、藤沢さん、ワークショップ・クラスでは、本当にありがとうございました。
一緒に温かな時間を過ごせたことを幸せに思います。

そして、私。
ワークショップに参加してくれてありがとう。


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小さな自分も大人になった自分も共通しているのは、とても不安だということ。そして、混乱しているということ。正しいことを経験していないから、大人になった今でも、いつも手探りで正解を探しているような不安を抱えています。

「愛情」…我慢することが愛情だった。
相手が自分を愛しているかは、相手がどれほど譲って自分に歩み寄ってくれるか、だった。
私はそうやって親への愛情を示してきたし、親はそれを求めた。私の意見は尊重されなかったし、我慢することこそ愛情だと思ってきた。
結局はコントロールだった。愛情とコントロールの差がわからない。

両親は、お互いに憎みあい、罵り合いながら、それでもいつも一緒にいた。
たまに、「お父さんは私の悪いところを指摘してくれるんだ。」と母がいい、「お母さんがいるからこの家は回っているんだ。」と父がいうのが理解できなかった。でも、それが「愛情」というものなのだと思っていた。

「悔しさ」…悔しさの感情がわからない。
母はよく、「そんなこともできないの、悔しかったらやってみなさいよ。」と言っていた。
私は、馬鹿にされ、コントロールされていた。そこに必ずついてくるのは「悔しさ」だった。
健康的な「悔しさ」が良く分からない。

「罪悪感の多さ」…責任を多く引き受けてしまうのは、罪悪感があるからだと思う。
本当に、どこまですればちょうどいい責任なのかわからない。

「0か100かの考え」…知恵を出し合って、お互い譲り合ってちょうどいいところを探す、ということをした経験がほぼない。選択肢が少ないというか、根気よく色々な可能性を考えてみる、ということをしたことがない。
じっと黙る(我慢する)か、背を向けるか。白か黒か。


そんな、混乱に満ちた家庭に育ったことを、どこか「諦めている」自分がいます。どこか冷めています。
「仕方ないよ、しょうがなかったんだよ。」と思ってしまって、怒る権利すら自分にないと思っているところがあります。
あの人たちにはこんなこと、出来っこないよ。酷だよ。求めすぎだよ、と、どこまでも親の親役になってしまいます。
母の顔が浮かぶのです。
「こんな可哀想な私にそんなひどいこと言うのね。こんなに一生懸命我慢してやってる私をまだ責めるのね。」「どうしてそんな子になってしまったの。あなたは優しい子だったのに。」と泣く顔が。
そういうのうんざり。面倒みきれない。

でも、もっと私は怒っていいんだと思います。
私にも大事にされる権利があったのです。親に多大な気を使わず、自分が何者かをのびのび試す子ども時代を送る権利が私にもあったのです。

そして、私は、自分をもう一度温かく育てなおしたいです。
正しい「愛情」「感情」「罪悪感」「挑戦」そういうものを学びたい、身に着けたい、と思っています。




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Y. A. さん(20代/福岡県よりご参加) ゆめごろもクラス



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今回「インナーチャイルド・ワークショップ」に初めて参加しました。

私はあまり6歳以下の記憶が無いので、学童期(6歳~12歳)に取り組むことができると思いました。


どういうはじめ方をするのかとてもドキドキしました。

子ども時代に何が起こったのが、何が今にまで響いているのか。
それを心理学的な目線でやわらかく説明してもらえます。

そうして実践的なワークへ入ると、初めはよく分かっていないんです。

たしかに、自分の中には怒りや恐れがあったと記憶している。
でも、出していいのか?
あれ、こんなに感情があったっけ??


それは湯水のようにあふれ出る感情。
当時に戻るような感覚。
怒り過ぎて傷つきすぎてどうにかなってしまいそうな感覚。


27歳の私がしっかり封印して、平気そうな態度を取っていた。
それは、学童期の私がとった態度のまま。


あのころに、君を助け出したかった。
私という、幼い、無力な私を、助け出したかった。


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これだけのことをした後はふらふらです。

この1週間、アフターワークで手紙を書いていると、当時のノートでよく走り書きしていたような憎い感情がこんこんとわき出ていました。
そう、当時気づいていなかった、しつけだし当たり前と思っていたことも、とっても傷ついていたこと。
理不尽な女性というには幼い身体への暴力。


私は、向き合ってよかったと思います。心底。

一緒に集まったクラスの、何度か参加されている仲間がいて、その人たちの真剣に向き合う態度や思いも感じ、「私を癒しに来てよかった」と思いました。


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さて、ワークへ入る前の藤沢優月さんからのお話も、しっかり身に染みております。
自分をなんとなくそう? でも微妙だな…う~ん……? と、うだうだしていたので、はっきりさせるのに良い時期だったのだと思います。

今回ワークショップへ参加されたみなさん、お疲れ様でした。
運営されているスタッフのみなさん、いつもお疲れ様です。
藤沢優月さん、今回に限ったことでは無いのですが、このワークショップの参加者へ励ましの言葉をくださりありがとうございました。

ココロが大事、後天的な習慣を身に着けていこう。
これがきっと、私らしく生きるためだね。




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N. T. さん(20代/東京都よりご参加) ゆめごろもクラス



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ご参加された皆様、お疲れ様でした。

まずプレワークをしていて、書けば書くほど思い出していきました。
そうして書いていって気付いたことは、
「私小学生の頃から実はいい子を演じてた? それは自分の希望ではなく、そうしないといけないと思っていたみたい。」
「母は私をよく見てなくて理解してなかった。」
「小さい頃から母のイメージ通りを演じてた私に、本音を言ったり甘えられる訳がなかった。」

自分への手紙では
「もういい子しなくていいよ。」
「もう期待や要求に応えなくていいよ。」
そんな言葉が自然と出てきて、
「ああ、私はそう思ってたんだ。そうだよね。」
と驚いて、同時に納得しました。


そしてワークショップ・クラス当日、午前中のワークで
「ああ、私皆みたいに泣けない。泣けない私はダメだなぁ。集中できてないんだな。」
と落ち込んでましたが、優月さんに
「そんなことない。泣かないといけないわけじゃないんだよ。」
と言われて、また人と比べている私に気づきました。
改めてそう言っていただけて安心しました。
それに、だんだん対面式ワークショップの回を重ねるごとに
「ここは安全な場所だから言っても大丈夫。」
と思い始めてもいます。

そして午後のワークをしていて、回数を重ねていく内に私の本音が少し見えました。

私は、小さい頃から本音を言えない環境にあって、言ったらどう思われるだろうと思ったらとても心を開けなかった。
それは母は私のキレイな部分を求めているという非言語メッセージを感じたから。それから外れたら、無視、拒絶、2、3日口をきいてもらえなかった。
そんなことをされたら母に従順ないい子を演じるしかなかった。それを家の中でだけじゃなく、友人にもするようになった。

でも、本当は私という人間を受け入れてほしかった。
拒絶せずにありのままを見てほしかった。
そうしたら私はいい子を演じなくてよかったのに。そうしたら私はもっと自分に自信をもって自分がわからないなんてことなかったかもしれないのに。
本当は、大好きな人にもありのままの私を見せて、本当の信頼関係を築きたい。

私は自分も他人も信頼したい。それは私の願いの一つだ。
それがワークをしていてわかりました。親友と呼べる人にも言葉を選んだりしてしまって、どこかで孤独を感じてた。
「この人は本当の私を知ったらどう思うだろう」
と、どこかで考えてた。
孤独でそれがすごく寂しかったんだと気づきました。この寂しさを私はずっと抱えていたんだと気づきました。


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ワークショップ・クラス終了後、優月さんに活を入れられもやもやしてしまったけど、今更かもしれないけど、腹を括ろうと思いました。
今回の WORKSHOP でもすごく収穫があったし、色々考えたけれど、これは今私がやるべきことだと思います。

ワークで感じた心の奥にあった願いを実現させたい、もっと信頼したい、自分も他人も。
信頼できる自分になりたい。
私の為に、必死にしがみついて、自分の荷物を少しずつおろしていこうと思います。




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S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) ゆめごろもクラス



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この数カ月を振り返ってみて、気がつけば自分の経験値と気持ちが大きく変化した期間だったと思います。
だけど同時に同じ位、「まぁ、このままでいいんじゃない?」という声に負けそうな自分もいます。
「どうせ、変わらない。
今までだってずっとそうだったんだし。
これ以上、がっかりしたくないし、傷つきたくないよ。」
そんな自分の勢力に
「ワクワクすること探そう! 新しいことしよう!」
という小さな私は、直ぐに負けてしまいます。


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今回 WORKSHOP に参加して、この世の中にはまだ私が知らない世界が未知数に広がっているんだと信じることが出来るようになりました。気の合う人達も、大好きな場所も、まだまだたくさんあるんだ。そう、私が知らないだけ。知ったかぶりは得意でも知ろうとしなかっただけ。
だったら、自分のセンサーを頼りに可能な限り、探していけばいいだけだ。焦っても、先には進めないって解ったから、もう開き直り。堂々としてるだけ。
私は、私。
世界に一人だけ。世界遺産以上の、私。

優月さんに「たくさん失敗しな」と言われて
「そっか~また失敗するのか~だったらやだな~」とか正直思いましたが(笑)。
一番は自分の気持ちに正直に、自分にウソをつかない習慣を、身につけていきたいです。


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もうひとつ、何度かうけたこの WORKSHOP で今回変化したことがありました。
それは、父に対して心の奥底から絞りとってくるような声がはきだせたこと。

今までは、わんわ泣いて父を責めていた感じだったのが今回は違いました。心の奥の奥にあった怒りが「もう、いい加減にしろ」という思いと共に言葉を吐き出すことができました。
でも、まだ出し切れてないような気もします。あと、もう少し。もっともっと自分を解放してあげたいです。

「ゆめごろもクラス」のみなさん。
今回は人数も少数だったせいかいつもより、一緒に頑張ってる感を感じていました。
日常に戻ると、本当に嫌になってしまうことたくさんだけど、前に進むことを諦めないでいたいですね。
本当に、ありがとうございました。




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Y. E. さん(30代/茨城県よりご参加) ゆめごろもクラス



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優月さん、参加された皆様、お元気ですか。
あっという間に「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」から1週間が経ちました。
本当に時間は「光陰矢の如し」で、あっという間に過ぎてしまう。
だけど久々にゆっくり過ごして、セルフケアらしいことができたように思う。

今回も色々な気付きがあったワークショップでした。
本当に、もう一人の自分、心の傷は全く癒されてこなかったことも。


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「インナーチャイルド・ワークショップ」は夏の前期に引き続き、秋の後期に初めて参加しました。
「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では、自分の言いたいことを言えずに終わってしまいました。
途中から「心」ではなく、「頭」で言葉を選んでしまっていた感じがしたから。
それでも、参加されている方達の悲痛な叫びと怒りが伝わってきた。
本当だったら、私だって思いっきり感情を出していてもおかしくないのにな…って。

だから「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加したら、当日はちゃんと心で感じていたことを出したい。
正直、プレワーク中は傷ついた出来事を書いている最中にも、
「テメェこの野郎!!」
って感情がたくさん出てきたし、思い出すだけでも憂鬱だった。

私だって相当というか、超怒っているし、苦しんでいる。
今でも苦しめてやりたい人間が多いから。
ずっとずっと、私の心は怒りや虚無感、諦め、恨み、無力感、不平不満といった負ばかり。

いつもいつも、
「何で私の言うことを聞いてくれないの!」
「こっちの話も聞けよ!」
と、家族や他人に対して不公平だと感じてきた。


何で私は理不尽を被らなきゃいけないんだろう?
全然納得いかない。
何で私に対して意地悪なんだ。何で私だけぞんざいに扱われなきゃいけないんだよ!
他人との関わりが鬱陶しく、疲れることも多かった。

そのうち私は「周りの人間に言っても聞いてくれないし、無駄だ」と、自分の気持ちを押し殺すようになりました。
何でもないように、普通のつもりでいたけど、全然普通じゃないし、何でもないわけがない。
私は器用な道化師じゃないんだ!
自分が感じてきたことを抑えながら生き続けるなんて、しんどい。
空しい。
怒りと不満が一方的に募るだけ。
全然楽しくないし、面白くもない。
心の中はちっとも穏やかじゃなかった。それは今でも感じている。


正直「学童前期」「学童期」「思春期」にかけての私は、「異常事態」の連続でした。
なぜかカヤの外。
いつも他人に意地悪される、攻撃される。
見てくれをからかわれる。
私の意見を聞いてくれないし、無視される。
友達ができない。
努力しても報われないことばかり。
家の中でも、祖父はいつも怒鳴ってばかり。
祖父からは母の文句、母からは祖父の文句を聞かされ、父からも母の文句を聞かされただけでなく、罵倒された。
家の中も、外も、全然平和じゃない。
同級生と遊んでもいつも不利な目に遭わされて疲れる。
全然学校は楽しくなかった。
楽しいことは漫画とか本とか、テレビぐらいしかなかった。
私はなかなか、「嫌だ」が言えない子供でした。

なぜ「異常事態」の連続だったのか、全く分からないままでした。
子供心に、何で私の生活は「異常」なことばかりなんだろうって。


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知るきっかけになったのは、高校生になってからでした。
父から、
「母ちゃんはお前の子守をしていない。代わりにテレビにさせていたからお前はずっとしゃべらなかった。」
と聞かされたからです。
しかし、父は
「俺は仕事をしていたから知らないよ。お前等のことを知っているのは母ちゃんだろ。」
と、仕事を理由に正当化して、母に全責任があるという言い方をしました。
私は内心、ずっと不満でした。
夫婦のくせに「仕事していたから悪くない」なんて、それが道理として通じるわけないだろ!


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優月さんがワーク中に話していましたが、親の都合は子供にとっては関係のないこと。子供は、歓迎されて、認められるべき存在だということです。
そう考えると、やはり父と母はお互い無責任であったということ。
夫婦としての責任どころか、子供である私に対して何の責任も果たしておらず、私の欲求も全然満たしてくれてもいなかったということです。

書いていて、また父と母に対して腹が立ってきました。
私が長年感じていた疑問と不満は間違っていなかったんだと、確信しました。

優月さんに上記の父の言動を話したところ、
「関心事じゃなかったんだね。」
と言われ、心にズーーーーーーーーーンときて、重かったです。

正直、「関心事じゃなかった」ということにショックでした。
でもそれは本当なんだろう。

やっぱり小さかった頃の私は、軽んじられていたという事実。
色々話を聞いていくうちに、父母、祖父は自分達の都合や感情を子供である私に押し付け、ぶつけてきたということも。
まさに、やってはいけない禁忌を犯し続けてきた、「不健康な家族」だったのです。
言いたいだけ言って、私の言い分や気持ちなんてまともに聞いてもくれず、反抗すればいつも人格攻撃された。
だから、大家族という家族形態が大嫌いになりました。
核家族で暮らしている家族が、気楽そうに見えて、羨ましかった。

家族の問題は子供には関係のないことなのに、私は知らない間に家族の問題に巻き込まれていたのでした。
私はアンタ等のサンドバッグじゃないんだよ!!

自分でも、何て人間達の集まりの中に生まれてしまったんだろうと思います。
以前お世話になっていた心理士さんも、私の描いたジェノグラムを見て、
「こうして見ると、ストレスの多い家だね。」
とおっしゃっていましたが、その言葉も WORKSHOP への参加と、優月さんの説明を聞いていくうちに真実味を帯びてきました。


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ペアワークでも、私は父母だけでなく、既に故人である祖父に対しても相当怒っていたんだと実感した。
全然、私の気持ちなんて分かってない!

私の気持ちを聞くどころか、一方的に自分の感情をぶつけて怒鳴っていただけだった祖父。
私が中学時代、同級生の男子女子だけでなく、下級生にも見てくれをからかわれて辛かった時期、母が私に歯列矯正をさせようとしていました。
しかし、それを聞いた祖父は
「どこもおかしくないのにする必要なんかないだろう!! 何考えているんだ!」
と母を怒鳴るだけ。
私に対して、
「どこもおかしくないよ。」
とは言ったものの、言われた私は全然嬉しくありませんでした。
むしろ祖父の無神経さに諦めを感じ、「おじいちゃんには何を言っても通じない」と思うようになっていた。
だから…何を言われても何にも言わないで、自分の本音をしまい込むだけ。結局母も、祖父に言われたせいで、歯列矯正の話は無くなってしまいました。

「2003年に亡くなってホッとした」とは、カウンセリングとかでも吐き出していましたが、それだけじゃ全然足りなかったんだな…。
全然癒されていなかったんだ。ずっと不満は残ったままだったんだ。
本音を抑えて生きてきたけど、ずっと辛かったのは変わりなかった。
私自身、祖父に対する怒りが段々出てきてビックリしました。
怒りを訴えていくうちに、いつの間にか泣いていました。


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その後、優月さんから「怒鳴る」癖を指摘されたこと。
「家では怒鳴ることが当たり前だった」と言われた時は、正直ありがたかったです。
そうそう、その通りです! ずっとそうだったよ! って思わず頷きました。

父もそうですが、祖父もそうですし、父の兄弟である叔父達にも共通しているのが、「怒鳴る」こと。父方の人間は声が大きくて通る上に、怒鳴ると余計に響くし。
生前祖父が怒鳴り散らしていた時は、正直、生きた心地はしませんでした。

私の家族の特徴であり、常套手段でなおかつ最も悪い癖。
処世術が出ていることです。

父は怒鳴る祖父のことを、「あれがじいちゃんのコミュニケーションだ。」と言っていましたが、普通だったら「怒鳴ること」なんて、もうその時点でコミュニケーションじゃなくなっていると思います。
私もそうですが、怒鳴られた方は怒鳴った相手に対していい気はしないだろうし、脅されている気になったり、萎縮したり、敵意を抱き始めるかもしれないのに。

家の中で起こっていたことは、全然健全なコミュニケーションじゃないよ。
威張って怒鳴り散らして、私は萎縮しまくりだったのに。
いつも祖父の都合ばかり。
どこがコミュニケーションなんだよ!
とっくに機能不全じゃないか!!


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「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では母の処世術も自覚するようになりましたが、やっぱり無意識のうちに、「怒鳴る」処世術も身に付いてしまっていることも。
私は、父と祖父、母の悪い癖が身に付いてしまっていました。感情的になると、無意識のうちに怒鳴っちゃったり、口調が強くなっちゃったりするので…(最初にペアになってくださったKさん、あの時恐がらせてしまったらごめんなさい)。

子供が父親と母親を人生におけるロールモデルとしながら成長していく、という話もありましたが、父と母はやっぱり私にとっては反面教師で、なおかつ非常に不健康なロールモデルだったんだなあと実感させられました。
「代理母」、「代理妻」の話もそうです。
私が恋愛や結婚願望、子供を持ちたいという願望が全くないのは、父と母の歪んだ関係を見てきたからです。
父と母のようになりたくない。第二の自分を作りたくない。それは今でも変わりません。

「子は親の鏡」
「親の背を見て子は育つ」
というけれど、本当ですね。
親が不健全なら、子供も当然不健全になる。
うちの父と母は長年私に何をしてくれていた訳?
本当に、スーザン・フォワードの著書のタイトル通り、『毒になる親』じゃないか。


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ずっと、もう一人の自分は飢餓状態だったんだ。長い間 SOS を送ってくれていたんだなあ…と、感謝です。
「インナーチャイルド」への手紙でも、もう一人の自分の手紙は、
「いやだ! いやだ! いやだ! いやだ! いやだ!」
「言ってくれてありがとう」
と記されていて、苦しみが伝わってきました。
私自身、「そうだよね、ずっと辛かったよね。これからは嫌だ! って言って良いんだよ。」って、「インナーチャイルド」を労わる気持ちも出てきました。

WORKSHOP 後半は、みぞおちが痛かったんです。おそらく、クレンジングリアクションかなって。
我慢できない程ではありませんでしたが、きっと、怒りを吐き出したからかな。
今もまだ痛みがあって、チクチクみぞおちが痛みます。
相当毒が溜まっていたんだろうな。
だけど、ようやく本音を出すことが出来て、一歩進んだ感じがした。

まだまだ言い足りないこともある。
だから、小さいもう一人の自分を癒すには、時間も相当かかるだろうと思う。


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どんなに時間とお金がかかっても、私は「これでいいのだ」と実感したい。
私の家族は、私の気持ちを考えたことをしてくれなかった。
今後もそれは変わらないし、現在大人の私が、もう一人の小さい自分を癒すしかない。
遠い道のりだけど、まずは一気じゃなくてできることから。


優月さん、クラスに参加された皆様、本当にありがとうございました。
毎回楽しみにしているのですが、皆さんとお話する時間も楽しかったです。
焦らず、できることから、一つずつ自分を幸せにしていきたいです。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(30代/東京都よりご参加) ゆめごろもクラス



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私は、母という重い課題を今まで背負ってきたのだなと思いました。
私にとって、母という存在は、子どもにとっていちばん好きなもの、嫌われたら生きていけないものでした。
私はもういい大人なのに、その幼い頃に思っていたままの気持ちで母と付き合ってきてしまいました。


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私にとっては、父という存在こそが私を縛り付けていて、そこが解消されれば私は自由になれると思っていました。
なので私は、ONSA で5年半、ほぼ父とのことに焦点を当ててワークをしてきました。
そして今、私の中で父の存在は、驚くほど小さくなってきて、おかげさまで、本当に生きやすくなってきました!
15年勤め続けた、ハラスメントが日常化していた職場をやめることもできました。

けれど私は、その過程で母と付き合うことが苦痛になってきてしまいました。
私は、母とはそれなりに付かず離れずで上手くやっていけると思っていました。
けれど、母と会うとどっと疲れが出たり、モヤモヤした気持ちが湧いてきたりすることが、私の中で無視できない大きさになり、それがイライラの元になっていきました。
母からの電話を着信すると、すごく嫌な気持ちになって、不機嫌に対応してしまう。そんな自分も嫌でした。


母を嫌うことなんてできない。
私は、ずっとそんなふうに思っていました。
母を拒絶している様を想像するだけで、とても悪いことをしているように感じていました。
今も、それは感じています。そのことを考えると、怖いし悲しいしせつないです。
健康な家族に生まれれば、こんな葛藤を感じずにすんだのに……。
私は、それがとても悔しいです。

そんなわけで、ワーク中も何か言おうとするたびに、なぜか言葉がでなくなってしまったり、「今日も何も言えなかった」と不完全燃焼な気持ちが残ってしまったりすることが多かったです。

私は、ここを打ち破ってやる! と思う気持ちと、どうせこのままワークを重ねても何も変わらないというあきらめの気持ちの両方を感じながら、ここ数年は鬱々と過ごしていました。

私は、対象が母になってから、ワークにもいつになく身が入らず、脱線してばかりいました。
それだけ母のことは、私にとって重いことなのだと思います。
父なら、やっつけてやる! と力わざで立ち向かっていくこともできますが、母は、それでは、罪悪感に押しつぶされて終わってしまう。
父と母とでは、アプローチが違うのだと気づきました。

父とはもうほぼ交流がありませんが、母はまだ私に連絡を取ってくることがあるので、それにどう対処していくかが、これからの課題です。
とにかく、今は、母に会うと気分が沈みます。だから、できるだけ会わずにいたい。


そんな中、ワークショップ・クラスの日に、ワークが終わってケータイの電源を入れてみると、母からの着信が何件も入っていました。
母の実家からもらったお米と、あとは食材などを家に持ってくるという用事の連絡だったようです。私は、電話に出られなかったので、夫に対応してもらったため、クレンジングリアクションが強く出ているときに、母と接することは避けられました。

母からは、対面式ワークショップの日になると、連絡がくるパターンが多く、私は毎度イライラしていました。
なぜ母はこのタイミングで連絡をしてくるのだろう、放っておいてほしいのにと思っていました。
しかし、よく考えてみると、10月3日は私の誕生日で、その付近はいつも対面式ワークショップを私が受けているからだと気づきました。

それはありがたいことではありますが、もう私は、母から誕生日を祝ってなんてほしくないと思っています。
お母さん、もう私を生んだことは忘れてくださいという思いでいっぱいです。
私は、私が10月3日に生まれたということを母の記憶から消し去りたいです。


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私は、今回の対面式ワークショップでは、だいぶ言いたいことが言えたという感覚がありました。
やっと、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」・「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」合わせて8回目で、自分が本音では何を感じているかわかってきました。

私が ONSA でお世話になった5年半。
対面式ワークショップと Web. WORKSHOP 合わせて、受講回数は40回を超えました。
私の想像では、もうほぼ回復している予定でしたが(笑)、ここまで来るのにも、想像していた以上に時間がかかりました。
実際にやってみると、時間の重みがわかります。


もっと早く始められていたらという思いと、あの時が私にとって一番のタイミングだったという思いとの両方があります。
そして、あのとき始めておいてよかったなと強く思います。

そうして自分と向き合い続けてきて、今、なんとなく一段落ついたかなという気持ちもしてきています。
これからは、また別の課題があるような気がしています。


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先日、やり残したTODO+ワクワクする予定を書きだしてみたら、100個以上もありました。
私は、年末から来年にかけて、このリストと向き合いながら、またワークに取り組んでいこうと思っています。

自分のやりたいことをやり始めたら、どんな気持ちがするのだろう。
自分に合う友達って実際どんな人なんだろう。
私の持っているやり残しをやり遂げたらどうなるかな。
ひとつひとつ感じながら、それらをワークに反映させながら、過ごしていきたいです。


「ゆめごろもクラス」の皆様、お疲れさまでした。
なかなか話しかけられないけれど、おなじみのお顔が見られると、とてもうれしくなります。またお会いできることを楽しみにしています。

また、優月さん、スタッフの皆様、おかげさまで、またひとつ無事に終えることができました。
今回も受講できてよかったです。
どうもありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。