2014.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」つばきクラス

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A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) つばきクラス



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優月さん、つばきクラスの皆さん、そして私!
ワークショップ・クラスお疲れ様でした! そしてありがとうございました!!

私は今回参加した「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」、2回目の参加でした。


去年受けた時は、今までで一番これでもかって位に泣いて泣いてしんどかった記憶があり、今回は自分で申し込んでおきながら憂鬱な気分になっていました。
プレワークに取り掛かるのも時間がかかって、結局一週間前に取り組んでる状態でした。

ワークショップ・クラスを申し込んで憂鬱な気分になるのは、自分の中でよくあるのですが今回はいつもと違って自分が受け止められるかという不安の方が大きかったです。
前回受けた時、自分が仕舞い込んでいた心のもやもや・過去の記憶とその傷になってる思いに触れて、泣いて泣いて頭が痛くなるまで泣いたのが衝撃的でした。
頭ではやって良かったと思っているし、心も今まで秘めていた自分の傷が表に出せて色々とすっきりし始めていたので良かった! と思えているのですが、私のどこかで「こわい!!」と思っている自分がいました。


またあんな風になったら、こわい。
しんどい、つらい。
死んでしまわないかしら・・・。

ワークショップ・クラスが終わった今なら、そんなことないと言えるんですけどね。
本気でそんな風に思っていたので、当日ワークショップ・クラス中もびくびく緊張していました。

そんな私が終わってみて思ったのは「死なない」ってことだったりします(笑)。
だって本当にそう思ったんですよ。


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去年受けた時、前半のワークショップ・クラスを終えて涙が止まらなかった。
言葉にならないような胸のあたりのもやもやが出てきてあふれていたのに、後半のワークショップ・クラスでは頭が茫洋として胸がいっぱいというかつっかえていて、言葉も思いも出てこない感じがしました。
そのことが、ワークショップ・クラスを終えてからも気になっていました。
振り返ってみると心が閉じてしまったのかな? と思っています。

あんなに涙が出て、泣いても泣いても子どもの私の気持ちがあふれてくるのは初めての事でこわかった。
言ってしまっても本当に大丈夫なのか不安。
死んでしまいそう、しんどい。

そんな風に思って私はいつも通り感じないよう防衛線を張っていた=心を閉じたのかも・・・。

今回のワークショップ・クラスでも途中で、胸がつっかえて頭でしゃべってる状態になりました。
前回の事があったから自分でもなんとなく、上滑りしているような気がしたのですが、どうしたらいいかわからなくて、とにかくしゃべろうとしていました。


その時、優月さんが本当に思っていることを言ってと言う様な事を言って下さって、ぽんっと「なんでわたしはだめなの」と言っていました。
そこからは頭じゃなくて胸のあたりから込み上げてきた、言葉と気持ちでいっぱいになっていました。

心を開くって本当に難しいなあ、と思います。
これだけ安全ってわかっているのに前回と今回ともに、なかなか開けなかった。
安全な空間、安全な指導があってようやく開けた。
そう思うと、そうまでしないと開いて向き合えない位、こどもの私にとって(もちろん今の私にとっても)大変なものを抱えているんだなあ、と思いました。


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ワークショップ・クラスを受けてどのタイミングで思ったことなのか忘れたのですが、こどもの頃の自分の好き嫌いに自信が持てなくなってきました。
私は子どもの頃から運動が苦手で嫌いと思っていた、小学生の時にはすでにそうだったと記憶していたのですが、ワークショップ・クラスを受けて実はそうでもないのかも? と思いました。

確かに短距離走だとかマラソンだとかは苦手だけど、それは競技自体よりも上手くできない自分がイヤだったのかも。
運動自体は楽しんでいたような気がしてきました。


子どもの頃の私は喘息持ちで、走って遊ぶと発作がでるため母親から走るということを禁止されていました。
それを破って走って遊ぶと、怒鳴られました。隠しても発作が出ると疑われてばれてしまうため、怒鳴られて説教されていました。

母の言うことは、もっともなのですが、当時の私は納得できず「私がつらいだけなんだから、べつにいいじゃん」と思っていました。そんなことを言ったらもっと叱られるだけだから、言ったことはありませんでしたけど。

その時どんな風に怒られたのかはっきりとは思い出せませんが、「だからあんたはだめなのよ」と言うような事を言われて傷ついたのと、捨てられるんじゃないかと感じていた事、叱られた理由を全く納得していなかったのを強く覚えています。


こんな経験から私が走るのが嫌い、運動苦手と思っていたのはそれ其の物どうこう以前の事。
自分の好き嫌いじゃなくて、それをすると怒られるからやらない考えない、に近いのかもしれないと思いました。
今まで本当は自分がどう感じていたのか、そもそも好き嫌いを考えたことや感じたことがあるのか、よくわからなくなりました。

小学生頃、そんな子ども時代から自分の思ってる事や感じてる事が素直にわからなかったなんてショックです。
それと同時に、今こんなに自分が分からない状態はこんな昔の頃から続いているのかと思うと当然のことだと納得してしまいました。


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あとワークショップ・クラス中で「癒す」について話をしていたのがとても印象に残っています。

私は無意識にどこかで、やっぱり癒す・回復と言うことについて、一瞬でこのどうにも息苦しい人生が魔法のように良くなる!・・・なんてことを思っていたようで、癒すとはどういうことなのか説明をきいて、再認識出来た気がします。

癒すこと、回復することは全然魔法とかではない、まったくもって現実的な事。
完璧な状態、傷のない状態になることじゃない。

地に足の着いた、自分で自分を健全に生かすことなんだと言うことに、はっとしました。
まだまだどっぷり共依存というか色々誤解しているのがわかって、先は長いなあと思っています。


対面式ワークショップを終えて、ひとまず今は進めた気になっています。
この先それで終わりにならないよう、しがみついてもっと私と仲良くなりたい。
私を癒してあげたい。子どもの私を可愛がってあげたい。
そんな風に思ってます。

あの安全で優しい空間でご一緒出来たクラスの皆さま。
皆さまもアフターワークに取り組まれていることを励みに、これからアフターワークに取り掛かろうと思います。

本当にありがとうございました。




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A. T. さん(30代/東京都よりご参加) つばきクラス



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「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」ご参加のみなさん。
お疲れさまでした!

クレンジング・リアクションもおさまりつつある中、日常に戻った私は以前よりしっかりした自分を感じられています。


今回のワークショップ・クラス、プレワークの段階ではいまいち手応えが感じられなかった。
ワークショップ・クラス当日だって、いっぱい用意して準備したはずなのに何も持たないで参加したような感じだった。
こんなんで参加して大丈夫かな? と不安も抱えつつ、そんな自分を「それでもいいよ」と励ましながらどうにか会場に到着。いつもと違う部屋だった。

明かりのついた部屋に入ると、さっきまでの不安は嘘のように優月さんや仲間のいる空間に安心した自分が感じられた。
事前準備もうまく進まなかったけど、今までで一番落ち着いたし、自分でいられたワークショップ・クラスだった。


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私にとって、一番大きな傷になっているのは父親からの虐待。
それにまつわる記憶は思い出されるのに、それ以外の小学校~中学校あたりの記憶が「?」な感じだった。
プレワークで手こずったのもこの辺の記憶。
何も思い出せなくて、気持ちが繋がらなくて、わけが分からない。

その時に、優月さんが助け舟をだしてくれた。
頭で考えるんじゃなくて、ここ(心)で感じる! ストップかかっている「うっ」とした気持ちをガバッと取り払う! 言葉にする必要はない。

その言葉を頼りに暫くイメージと心に集中した。
そしたら、心の下のほうからグワ~っと感情の塊(悲しみ)が押し寄せた。
それを言葉にしなくていいと分かったから自分に集中できたし、ペアの方に過去の傷の証人になってもらうこともできました。
起きた出来事の説明をしなくても、ただ感情を感じるだけでも、というか、そのほうがむしろ、自分の過去に正直になれた気がした。
こういう体験ができたというのは本当に貴重でした。

過去と今をつなげる作業というのは、口で話す、説明する以外にも方法がある。
目の前にいる人にすべてを説明しなくても、私が私の感情を解放して吐き出すこと、そういう語り方もあるんだなと思った。


今回のワークショップ・クラス、過去のことを語ることも重要だったけど気持ちを解放する方法が分かったことは大きな収穫でした。
優月さんが言っていたように、この方法であれば家で一人でもできるし、今なら一人でやっても大丈夫だと思えます。
教えてもらった「指トントン」で自分の安全を確保する方法も試してみます。


ワークショップはじめた頃の自分だったら、一人じゃ手に負えない感情だったと思う。
それもこれも、「インナーチャイルド・ワークショップ」、「境界線ワークショップ」、「ONSA Web. WORKSHOP コース1」「コース2」と通して、自分と繋がりを持て信頼を築いてきた成果だと思っています。


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今回、もう一つの成果は子どもの「今、ここ」が分かったこと。これが本当に分かって良かったです。
私が小さい頃に取り上げられてしまった「今、ここ」の感覚。

これまで私は「今、ここ」が理解できなくて自分の親と同じように、自分の子どもからも取り上げていました。
私の理解の範囲を超えた「今、ここ」を子どもに見せつけられてイライラしたり、怒ったり、なんでもっと反省できないの? って思ったり・・・。そんなのどうでもいいことでした。

子どもが見せてくれた気持ち切り替え、目の前の一瞬一瞬を生きる姿こそ「今、ここ」だったと気がつきました。
子どもの素晴らしい素質を奪ってしまったことを後悔しました。
同時に、これからは肯定的に受け取れる自分に嬉しくもなりました。

私が失って、今必死で取り戻そうとしているもの。
「今、ここ」子どもはとっても上手です。すばらしいです。見ていて羨ましくなります。そういう風に感じられる自分も嬉しいです。


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あと、プレワークを提出した時に優月さんから指摘された、ワークは手書きで書く事! 清書もしなくていいこと。
私は知りませんでした。
ノートに書いて奇麗にまとめたものをタイプしたり、清書していました。

ぐちゃぐちゃのままでいいそうです! 参加した皆さんは知っていましたが、まだ知らない方やこれから参加を考えている方のために書いておきますね。
手は嘘を書けないし、手直しは検閲をかけてしまうからだそうです。

改めてプレワーク見ると、やっぱり手書きがいいですね。
『未来日記』だってぐちゃぐちゃのページのほうが気持ちが伝わってきたりします。
そのままでいい! って言われて安心しました。

これからも沢山本を読んで、ワークショップ・クラス、カウンセリング、自助グループなどの力を借りて回復の道を歩んでいきたいと思っています。
そして、私達、まだ、自力でいける! そのことを本当にラッキーに思って自分を自分の一番の親友にして、トライ&エラーする自分に思いやりと優しさをもち、日々本番の人生を生きていきます。


過去に大きな傷を受けた私、そしてみなさんにとっても、過去を話すということは本当に勇気のいることだと思うのです。
誰にも話せずに、自分にすら正直に語ってこなかったのですから、それをよく知らない人の前で話すなんて本当にハードルの高いことだと思います。

だけど、みなさんそれぞれが自分に集中してワークしていたので、私もその中で安心して自分のワークに集中できました。
今回も、これまでも、ONSA でワークショップ・クラスを受けて、色々な気づきが得られたのは参加している仲間の皆さんのおかげです。そして優月さんやスタッフの皆さんが責任を持って場の運営をしてくれているおかげです。
いつもいつも感謝しています。


ワークショップ・クラスを終えるといつも思うことがあります。
みんな、みんな、幸せになれますように!
10年後でも20年後でもいい、この苦しみに向き合って良かったと思う日が訪れますように!
私の、みんなの、幸せを願わずにはいられません。

私はまだまだしばらく、ONSA でお世話になろうと思っています。
そしてまた皆さんと会える日を楽しみにしています。
これからもよろしくおねがいします!




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H. N. さん(30代/香川県よりご参加) つばきクラス



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このワークショップ・クラスで私が発見したことは、小さい頃の私は怒っていたということでした。

自分の気持ちが受け止められないことにや、自分が軽んじられていたと感じられたことに怒っていました。

「なんで私の家は、こうなの!」
「なんでお父さんとお母さんはこうなの!」

ということがワークショップ・クラス中にたくさん出てきました。

そのことが理由かはわかりませんが、ワークショップ・クラス後のクレンジングリアクションも、今までよりはっきり現れていて、眠かったり、頭が痛かったり今週はしんどかったです。
これだけ体に現れるくらいのものを、小さいころから抱えていたんだなぁと思って、自分の中の小さい自分に、本当にかわいそうなことをしていたなと思います。


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今まで ONSA のほかのワークショップでも、これまで自分が傷ついたことを掘り起こしてきたけど、今回の発見は、それらの根っこにあるものだったと感じています。

学校や社会で傷ついたことも確かに苦しかったけど、私が本当に苦しかったのは、両親に対して自分を自由に表現できなかったことだったんだ。ということに初めて気づきました。
その状態のまま、社会に出て何とかしようとしていたことが、どれだけハンデになっていたかと思うと、想像の中で小さな自分をギュっと抱きしめたい気分になりました。


今回私は Web. WORKSHOP と同時並行で受講して、申込みするまで、時間が取れるかな~? 一つでも大変なのに大丈夫かな~? でも、なんかこれはきになるな~? と迷っていたのですが、申込み期限ギリギリで飛び込んだ私の勘は間違っていませんでした。
私にとっては、このワークショップ・クラスは受講料+移動費以上の価値がありました。
これからも、自分に正直に、一歩一歩自分を取り戻していきたいと思います。

最後に、優月さん今回のワークショップ・クラスでは色々なサポートをありがとうございました。
優月さんのアドバイスに勇気づけられて、自分が想像していた以上の気づきを得ることができました。ありがとうございます。




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M. K. さん(20代/東京都よりご参加) つばきクラス



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1週間前が遠い昔のように感じられます。

ワークショップ・クラスが終わってからこの一週間は色んな思いや考えがわきました。
もう自分の人生はとことんどうにもならないんじゃないかっていう考えがわきました。
どうしようっていう気持ちとだけど不思議とどうしたらいいかわかっている自分もいて。

何もしたくないって思ったけど、早速月曜日にはカウンセリングを予約しました。
どうにもならなくなった時にと調べておいたところが役に立ち、すぐ行動できました。

そうやって進めるようになったのは今までの私が私に関心をもって準備できてたから。それに助けられました。
私は私を助ける力がちゃんとある。そういうことに気づくこともできました。

今回のワークショップ・クラスをきっかけに、カウンセリングに行き、自分の子ども時代、私が置かれていた環境について助けを借りてもっと振り返り、自分に起こっていたことをちゃんと知ろう、それで今起っている不具合を解決しようという気持ちになれました。
絶望的な気持ちも今では薄れてきました。


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レクチャーやワークの途中で藤沢さんに言われた言葉に、私は傷ついた気分になりました。
根が深いこと、家族の中での役割について、自分でうすうす気づき始めたことを言われたからです。
参加する前に読み直したジョン・ブラッドショー『インナーチャイルド』に、家族の中で子どもが機能不全家族のバランスを保つためにしていた役割についてが書かれていて、自分の家族それぞれが本来の役割以外の役割があること、私には複数の役割があったことに気づきました。

代理妻の役割は本当に嫌ですが、でもそうなのだと思います。私はこの指摘が一番痛くつらかったです。指摘されて怒ってもいた。自分で気づいていたからです。
だけど、指摘されなかったら私はさほど深く考えずに、まだ自分で何とかなると思おうとしていたと思います。
指摘されたらそれができないから、わかってないわけじゃないって怒っていたんだと思います。今でも思い出すとじくじく胸が痛みます。

学童期のワークではプレワークでたくさん出来事を書き出したにもかかわらず、2回目になると言いたいことがあるような、ないような気持ちになりました。
出来事がみんな遠くに感じられ、感情も遠く感じられました。

藤沢さんに助けていただき、心にあるものを出す作業をしましたが、私からでてきたのは「こわい」の一言で後は言葉にならなくて、何に対しての気持ちなのかよくわかりませんでした。
子供の時の出来事とこわい気持ちがうまく結びつきませんでした。ただ怯えていて悲しくて、泣き出した感じでした。
ちょっと落ち着くと怒りを感じました。

今思い返すと、これからやってくることに対しての不安とワークででてきた怖さは似ています。
家族問題のルーツを探ることへの怖さがあります。
それを知って向き合って進まなければいけないことへの怖さです。

まだ何かあるんだろうか、もうこれ以上無理だって気持ちもあります。
このことを思い出すと暗い気持ちになります。子どもの私というより今の私でいたような気がしています。
それに、今回のワークショップ・クラスは私は始まったときから自分が恐れで閉じているように感じました。
それも今回私がワークで向き合ったこととつながりがあるのだと思います。


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瞑想の時間は学童期の時はすっかり寝てしまっていましたが、学童前期の時はとてもよいイメージが見えて、幼い頃の自分を感じることができました。
家の庭が温かい光につつまれていて、そこで大人の私と子どもの私がいるイメージです。
子どもの頃の私は怒っていました。私が関心をはらわないから、すぐ存在を忘れてしまうからです。
だんだん落ち着いて、柔らかくて小さな手をつないで並んで座っていられました。
もう行くねと言うと、行かないでと言われたので、ちゃんと戻ってくる約束をしました。

今度はちゃんと約束を守ろうと思って、毎日自分に話しかける時間をとっています。
横になって庭をイメージして、いろんな時期の子どもの私と大人の私が一緒にいるところを想像すると、落ち着いて自分のペースに戻れるし、私に戻れて楽になれる気がします。
この間やっていたら、頭痛が止まったのには驚きました。座って『未来日記』を書き出すと頭が働きだすので、まずは、ただぼーっと自分を感じることから始めて『未来日記』を書くようにし始めました。


私は子ども時代を失って大人になってしまいました。
子どもの自分として生きられず、周りの大人を気にかけることをしてきました。

失われた時間を思うとどうしようもない気持ちになります。もうどうしたらいいんだろうって思います。
子どもには到底背負いきれない役割の数々をこなして生きなければならなかった自分。
私はそんな自分がかわいそうでならないです。
だから、もう自分がそれを背負わせるのもやめたいです。私はもっと力を抜いて生きたい、楽になりたい、自分や人との関係を脅かす感情から自由になりたい、やりたいことをして生きていきたい、楽しく心から人と一緒にいられるようになりたいだけです。


私は私に戻る必要がある。
もう時間も無駄にしたくない。だから新しい方法で前に進みます。
これまでの歩みで、たくさんのことが私はできるようになり、変わることができました。

今回のことでふりだしに戻った気がして、私は何にも変わっていない気がしたけど、私は今よりもっと自分らしい生き方を求めて進んでるんだ、そのために必要な通過点なのだと思えるようになりました。
痛みを感じることを通り抜けないと、新しい道にでられないのは、しんどいけれど、たくさんの助けをかりながら、進んでいきたいです。




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A. Y. さん(30代/東京都よりご参加) つばきクラス



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つばきクラスのみなさん、いかがお過ごしですか。
この PAY FORWARD を書いているいま、ちょうどワークショップ・クラスを受けてから一週間が経とうとしています。
本当に、私は先週「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けたのだろうか? というくらい、一週間という時間は簡単に記憶を持っていってしまうのだと思いました。
記録、記録!


今回のワークショップ・クラス「も」とても濃い時間が過ごせました。
ワークショップ・クラスを受ける前、終わる頃には、ヘトヘトになるかなぁ・・・と、予想していました。

実際には、想像していた何倍もの体力を、ワークショップ・クラス前半でとうに使い果たしていました。
感情が動くって、こんなにもダイナミックなことなんだと、実感しました。
しばらくこんな体験をしていなかったように思いますし、もしかすると、これだけ深いところからわき起こった感情は、はじめてだったのかも知れないとも思いました。


ワークショップ・クラスが終わったあとの感触は、まるで私ではない、別の人がそのワークショップ・クラスを過ごしたような感覚でした。
帰り道、家に向かって歩いていると、「あれ? 私、ワークショップ・クラス行ったんだよね??」というくらい、ワークショップ・クラスを受けたことが、夢の中、非現実の世界のような感覚がありました。

それは、普段知っている自分とはまるで違う自分がワークショップ・クラスにいたと感じていたからです。
特に、体力がなくなり、ぼーとし始めた後半のワークショップ・クラス。
自分へのコントロールがなくなり、感じるまま、心の底からわき起こるまま、ワークに取り組んでいた気がしました。

その別の人とは、「本当の私。」だと思います。
「普段の私とは違う私。」
「いつも知っている自分とは違う私。」
とは、実のところ、「本当の私」だと思いました。
普段の私は、自分をコントロールし、演じていたんだ、ということを、その差を感じて実感しました。


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印象に残っている事がいくつかあったので、書き留めておきます。

  • 頭ではなく、胸のあたりでわき起こることを感じること。
    そして、もし出てくるのであれば、それについてくる言葉を口から出す。ということ。

    これが、私にとって、とても分かりやすく、自分がワークに取り組むときの大きな助けになりました。
    この体験で、自分が普段どれだけ、頭でいろいろ考えているかが、よーーーく分かりました。
  • 今回この「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けるのは、2周目目で、前回と大きく変わったなぁと思ったのは、瞑想の時に出会う、ちいさな私の反応でした。
    これまでのワークショップ・クラスでは、瞑想の中でちいさな私と出会ったとき、大人の私に信頼を寄せてくれることはなく、何を言っても信じられないと言った反応でした。

    今回、瞑想の中で3歳から6歳の頃の私に出会った時、はじめ、ちいさな私は、母の手を握りしめ、母の身体に半分自分の身を隠していました。
    私が何を聞いても、もじもじして、母の反応をうかがうばかり。

    でも、「こっちへおいで、一緒にお話をしよう。」といった内容の誘導があり、そう大人の私が、小さな私に話しかけると。
    ぱっと、母の手を放し、私の方へやってきました。その、「ぱっ」と母親の手を離した時、小さな私が勇気を出して、新しい選択をした気がしました。
    「もうこれ以上、こんなのはイヤ!」と言わんばかりに。「解放」という感覚のようなきがしました。

    それに続く瞑想で、私は、小さな私の大きな変化に、2つ気づきました。
    それは、ちいさな私が、大人の私を、とても頼れる人だと感じていること。
    それまでべったりだった、母よりも、私の方がよっぽど賢い大人だと、ちいさな私が感じていること。

    それから、大人の私から小さな私に語りかけた肯定的な言葉をきいて、ちいさな私は、心から自分の存在を肯定されていると感じられたこと。

    でした。
    この2つは、貴重で、忘れられない体験でした。

    ちなみに後半の6歳から13歳のころの瞑想は・・・「ぐっすり」でした(笑)。

    きっと、心の奥底に、優月さんの語りが響いていたことと信じています。
    私の気づかないところで、変化を起こしてくれているのでしょう。
  • 今年のはじめに、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」を受け、そして今回、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けることができました。
    比べてみると、自分の成長とともに、抱える感情の大きさも大きなものへと変化するのかもしれないと、思いました。
    ワークショップ・クラスで3歳から6歳の頃の自分の感情を受け取った、現在31歳の私。
    ほんの数分その感情を感じただけで、そのあと目を開けているのも無理! って言うくらい、体力を奪われたからです。
    小さい頃のその感情は、いまの私でも、手につかめるくらい、すぐ目の前にあって、とても大きな固まりを胸のあたりに感じました。とてもリアルで、とても「生モノ」でした。

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今年のうちに、「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」が受けられてよかったです。
またいつか、タイミングを感じたら、受けようと思います。

しばらくは、せっかく修復の糸口をつかめた自分との関係を、自分のできる限りでケアをして、大切にしていきたいです。

つばきクラスのみなさん、私のワークの相手をしてくださった方々、優月さん、そして、クラスを安全に運営してくださったスタッフのみなさん。
みなさんのおかげで、無事、クラスを最後まで受け、貴重な経験を得ることができました。
本当にありがとうございました!




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Y. S. さん(30代/福島県よりご参加) つばきクラス



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Web. WORKSHOP を受けたことがなく、しかも「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」から入ったからか、当日は、ずっと「???」な感じと疎外感があって、「なんだかえらい所に来てしまった・・・」「Web. WORKSHOP を受けてからのほうがよかったかも・・・」と、思っていましたが、いきなり行ってショックを受けたことで、今の自分の状態がはっきりわかって、かえってよかったのかもしれないと、今は思っています。


ワークショップ・クラス中は、終始「怖い」と思っていました。

呼びかけること自体が怖くて、話すときは目を合わせることも難しくうつむきながら、なんとか言葉がでてくるという感じでした。
だから、当日はげっそりしすぎてうまく伝えられなかったけれど、ペアになってくださった方にはとても「感謝」です。


終わってからも、当日感じていたもやもやは継続中です。

私は「きゅぴーん」と何かがわかったわけではなく、参加してから3日後ぐらいにやっと、「私の中にあるのは、この心臓がきゅっとなる詰まる感じだ!」「この怖い感じが私の中にあるんだ」ということに気づいて、当日感じた怖さと今の自分の状態がやっとつながった感じがしています。

それから「今の感じ・・・そうかな?」「これも・・・かな?」という具合でぽろりぽろりと少しずついろいろなことがでてきたのは、むしろ、ワークショップ・クラスが終わってから今までの間でした。

正直まだ、とっちらかっている感じです。


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ワークショップ・クラス中に私が発した第1声は「もっと、遊びたかった」でした。

心臓がつかまれるような感じとともに、

「習い事に行くのが毎週毎週とても嫌だった」
「顔色を伺って、正しいことばかりしなければいけないのがつらかった」
「怒られるのが怖かった」
「もっとしたいことたくさんあったのに」

そんな言葉がぽろぽろでてきた。
小さい私の「遊びたかった」でもそれを表現できなかった感じに触れられました。

子どもの私は「代理妻」と「代理母」、もっと言うなら「家族が求めるそれぞれの理想の母」と「実際の母」の差分を埋める役割を必死に演じていた(今も?)ように思います。

そうすることでなんとか自分の居場所を確保し、自分の存在価値を確認しようとしていた。
そして、そう気づくとちょっと寒気がします。


私は「怒り」というものに必要以上に恐怖があって、それは職場でも、とても感じていました。

体調に不調をきたすぐらい一生懸命頑張って、つらいのにつらいと言えなくて、それでも雰囲気を悪くしたくなくて、黙って一人で耐え抜くことを選んでしまう・・・。

この追い立てられて、かつ、押さえ込まなければいけない感じ、今の私は、小さいころの私と同じことを職場で繰り返していることにも気づいてしまいました。
(うわぁ・・・確実に今に影響を及ぼしている!!)

まだ、いろいろ出てきそうな感じがしています。


これから先が長そうなことを考えるとげんなりしますが、でも、何もわからなかったときよりは、いい。
うん、いい。そう思います。

当日は、だいぶげっそり、げんなりしていて、よたよたと会場を後にしてしまったので、この場を借りて。

藤沢さん、ワークショップ・クラス参加者の皆様、大変お世話になりました。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) つばきクラス



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つばきクラスのみなさん、優月さん。
ワークショップ・クラス当日はありがとうございました。
今回は、私が今日できることを今日できる分やることを意識して参加しました。

「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」に参加して、私にとってはこのワークショップ・クラスが回復のカギを握っているのではないだろうかと思いました。
そのため、是非とも「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」も受けたいと思い、とても楽しみにしていました。


最近は、変わることを少しずつですが受け入れられるようになってきました。
だから、正直自分の内側を覗いてみることは楽しみが半分、怖さ半分という心境でもありました。

そして、やっぱり参加してみて思ったことは、よかったの一言につきます。


普段はなかなか感情だったり、泣いたり、弱音を吐いたりすることはできません。
それができる環境、自分を解放できる環境があるという安心感と解放感は私にとってはとても落ち着きます。

私は、今回家族以外の他人から子供の頃にあったイジメが大きなテーマなのではないかと頭で考えて、ワークショップ・クラスに臨みました。
実際、感情を解放したらそうではなくて、そこには私が父と母への不満や、恐れを抱いていた事が大きな原因だったと分かりました。

今、次のステップに向けて行動を始めようとしています。父へのトラウマ、家族を持つことへの恐れをカウンセリング、自助グループ、そして ONSA WORKSHOP など、複合的に活用し、もっともっと私を癒し、勉強し、いっぱいいっぱい自分と仲良くなりたいと思います。




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M. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) つばきクラス



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藤沢様、参加された皆様、お疲れ様でした。

ワークショップ・クラスを受けた後は、いつものように、身体はクタクタに疲れているのに、頭は妙に冴え冴えとして眠れない夜を過ごしました。
翌日は、どうしても外せない仕事があったので、身体は熱く、頭はボーっとしたまま、何とかして仕事に行きました(結局、その仕事は無くなってしまいましたが・・・。午後からが本当に辛かったです)。

今回は、1週間近く身体が熱くて重くて、トイレに行くと熱い尿が出て(尾籠な話ですみません)不安になりましたが、週末に近づくとそれもなくなって、身体はだいぶ楽になりました。

2回目の、自分の過去について話していた時、藤沢さんが傍に来て、「その時、どんな気持ちだった?」と聞かれて、私は、一瞬言葉に詰まりました。

私はやっぱり、「怖い」とか、「寂しい」とか、「悲しい」などの気持ちを、表現するのがものすごく苦手なようです。
Web. WORKSHOP を並行して受けているためか、最近そう感じるようになりました。


私は、本当は、「怖くて、不安で、悲しくて、死んでしまうんじゃないかと思っていた」のでした。
ずっと触れずに来ていた感情に、やっと触れられたように思いました。

週の半ばの夜に、ふと子供の頃のことが思い出され、「私は悲しくて、寂しくて、辛かった」と口に出して、泣いてしまいました(ひとりきりの空間をすぐ作れるのは、ひとり暮らしの利点です)。
もちろん、ワークショップ・クラスで教わった通り、膝を指でトントンするのを忘れませんでした。


対面式ワークショップは、いつも最後にほわんとした、何とも言えない温かい気持ちになることができますし、自分と同じ、または私以上に「人生を変えたい!」と思っていらっしゃる方々と直接触れ合える貴重な体験のできる場であるので、これらも受けていきたいと思います。

最後になりましたが、一緒に組んでくださった方々、私のお話を親身になって聞いていただき、本当にありがとうございました。お二人の優しさに支えられて、とても大切な時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

藤沢さん、お声掛けしてくださってありがとうございました。
大事なことに気付かせてくださって、本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

H. W. さん(10代/宮崎県よりご参加) つばきクラス



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一週間、落ち着いて、ゆっくり考えてみました。

いま思っていることは、「私は悪くなかったんだ」ということです。
これは、私が知らなかったことです。

今回のワークショップ・クラス、とても怖かったです。
うまく言葉にならないけれど、そのことは私自身が、よく分かっています。

これからは、距離を置いていこうと思っています。

今回のワークショップ・クラスでも、とてもお世話になりました。引き続き、よろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

J. O. さん(40代以上/東京都よりご参加) つばきクラス



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藤沢様、皆様 ありがとうございました。

今週はクレンジングリアクションで、下痢、便秘、そして、眠気・だるさ。
毎回毎回、眠気は本当にひどいです。

「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」は2回目ですが、手帳を見てみたら、昨年の11月9、10日で「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」を受けていました。
1年あっという間です。

しかし、昨年までの「何も変化なく連日追い立てられて横滑りしているうちに、時間が過ぎていってしまったああ・・・」という感覚はすいぶんと薄らいできました。
今年の『夢かな手帳』は、共依存の訓練をよろけながらなんとか続けてきた記録みたいになっています。ちょっと誇らしかったりもします。

『夢かな手帳』も壊れて分解気味。8月ぐらいからマスキングテープで何箇所も補強して使っています。そんなになるまで手帳を使えた自分が嬉しいです。
記録って大切と藤沢さんはおっしゃいます。
私、ほんとうに少しずつだけど色々と変わってきていると感じました。


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私は孤独感や孤立感・疎外感を非常に強く感じて生きています。
今回もそれを強く認識したワークショップ・クラスとなりました。

小さいころや、小学生のころ、どうやってお友達と接していいのかわからなかった。
どうやって、お友達を作ればいいのかわからなかった。
学校で一人ぼっちだった時期もある。学校は辛かったです。

お友達になるためには相手に選んでもらう必要があった。
お友達は私が選ぶものではなかった。
だから、周りに選んでもらえるように周りに良い様に振舞っていた。

そんな私になってしまったのは、両親のコミュニケーションがおかしかったため、私が小さいころに学べなかったからだったのですね。

思い返すと、孤独・・・から浮かぶ、親からかけられた言葉は

「人間だれでも一人で孤独なもの」
「人間なんてしょせん一人なんだから」
「人間なんて寂しいのよ」
「最後は一人なんだから」

ある意味正解な言葉なのかも知れませんが、なんだろう、あなたが寂しいと感じていてもしょうがない。それは当たり前と言われていたのかな?

小学生高学年の頃には、この言葉を私は知っていました。
どういうシチュエーションで最初に言われたのかは覚えていませんが、そうか、人は寂しいと思うのはしょうがないことなんだ。これって、普通なんだ。とずっと認識して生きていました。

何回目かのペアワークの時、私は、話す時に顔に笑顔を作って、○○○について話しますと始めていました。
その瞬間、あ! 今私笑ったよ。これ、絞首台のほほえみっていうのじゃないの?? と笑った自分に動揺していました。

私は確実に笑っていました。瞬間で笑顔作っていました。笑顔なんて出るような状況じゃないのに。
今までも様々な場面でこうやって瞬間に笑顔で自分をごまかして、一生懸命悲しいことや辛いことから守ってきていたのかもしれないです。

脈絡なく、思いつくままに、つらつらと書いてしまいました。
今回も、藤沢さん・ペアワークをご一緒させていただいた方々・皆様から沢山の気づきをいただくことが出来ました。本当に心から感謝いたします。
自分に責任を持つことを心にとめ、止まらず、進んでいきます。
また、どこかでお会いすることがあるかと思います。今後ともよろしくお願いします。




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A. M. さん(30代/東京都よりご参加) つばきクラス



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私は、「インナーチャイルド・ワークショップ」ではいつも何を話したらいいのかわからず「・・・」となってしまうのですが、今回も始めのうちは言葉が出なくて困りました。

何となく、喉のあたりで気持ちを表現することがブロックされているようで、言いたいことがあるのに言えない状態でした。
小さい私が「言っちゃだめ!」と必死で止めているようでした。
言いたいことがあるのに言えないのはとても苦しかったです。そして、やっと言葉に出せた感情は、とても激しい怒りと悲しみでした。

その感情を私が言葉にしたとき、あの頃に引き戻されたような気がしました。(あの頃と言っても、何歳の時だったか記憶が欠落してしまってわからないのですが。)
裏切られた怒りと悲しみ、そして母はそれに本気で向き合ってくれず、私を平手打ちにし父親との関係を選びました。その絶望感。

父親の「こんなこと、誰かに言ってみろ! 言っても信じてもらえるわけないぞ!」という態度に対する怒りと絶望感。
私自身が女であることへの怒りと嫌悪感。
そんなものがぐるぐると渦巻いて胸が苦しくなり、身体がぶるぶるふるえました。

私は、この気持ちをもう一度味わいたくなかったから、必要なときに誰もそばにいてくれなかったのを再度自覚するのが嫌だったから、感情と記憶を凍結してきたのかもしれません。
だって、痛すぎます。
子どもに耐えられることじゃなかったなって思います。


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今まで受けた中でいちばん素直な気持ちを出せた「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」でした。
今回も「・・・」で終わるかもなと思っていたので、少々驚いています。

こんなに大きな感情が出てくるなら、「ONSA TAT セッション」も一緒に申し込んでおけばよかったな、そしたらまた大きな荷物をおろせたのに・・・。なんて、後悔先に立たずですね。

ワークショップ・クラスから1週間、まだクレンジングリアクションがきついです。眠くて考えがまとまりません。
仕事も忙しいのに、細かい部分が気になって上手くはかどらなかったり、仕事が終わってぐったりしているのに夜寝付けなくて夜更かししてしまったりしています。
気分も落ち込み気味で、生きていて何が楽しいんだろうとか考えてしまいます。


数日前は私の誕生日でした。
やっぱり、全くうれしくありませんでした。
こんな思いまでして生きていて何が楽しいんだろう・・・苦しくてたまらない。
この苦しさから無理矢理私を引っ張り上げて日常をこなしている日々です。

ここ最近は、また数年前の苦しさに逆戻りしているように感じらて苦しいです。
これからどうしていったらいいんだろう・・・。

たぶん、その答えは急いで出すものではないのでしょう。
Web. WORKSHOP などを引き続き受けながら、考え続けていきたいと思います。


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つばきクラスの皆さま、おつかれさまでした。
このクラスの名前はつばさでもつばめでもなく、つばきクラスでしたね。
最近ボケボケしていて、優月さんに言われて「あ、花の名前だったんだ・・・」と認識しました(笑)。なんだか鳥のイメージだったもので。

ペアになってくださったお二方、ありがとうございました。
安心して自分に集中することができました。


優月さん、今回思い切って自分の気持ちを表現することができました。
ありがとうございます。

そして毎回、私的な質問をするたびに、私は自分で考える力が育っていないのだなと恥ずかしい気持ちになるのですが、そう感じられるようになっただけでも進歩したのかな・・・すみません。
ONSA スタッフの皆さまも、いつもありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします。




タイトルはじまり目印

C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) つばきクラス



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あっという間に、ワークショップ・クラス当日から1週間経ちました。
この1週間、様々な記憶や感情が浮かんでは消え(なぜか、今回は父に関することを思い出しました)、心が過去にいた時間が多かったです。

ご参加の皆さん、お互いに健闘しましたね。本当にお疲れさまでした。
そして、藤沢さん、スタッフの皆さん、安心して自分と向き合える場を提供して下さり、いつもありがとうございます。
皆さんの存在のおかげで、私は、今回やっと「自分に集中する」「がんばらなくてもその場にいていい」という感覚がつかめました。
(そして、自分の内側に集中していると、疎外感はあまり感じないものなのだと気付きました。日頃感じてしまうのは、今の自分が本当に大切にしたいもの、やりたいこと、なりたい状態が分からず、自分の人生に集中してないからなのだと感じました。)

PAY FORWARD は、毎回何をどう書いたらいいか迷います。
今回も、当日学んだり感じたりしたことの他に、プレワークで出てきたこと、この1週間で出てきたことが混じっていますが、今書けることが今の全てと思って書いてみます。


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今、1番に感じることは、私はまだこんなに傷ついていたんだということです。
ありのままの自分らしさを両親から認められなかったことが、今も本当に苦しくて悲しい。

この1年、対面式ワークショップや Web. WORKSHOP で自分の生い立ちや苦しかったことを沢山表現してきて、最近は両親に言いたいこともなくなってきたかな? と感じていましたが、そうではありませんでした。
(両親とも他界していて顔を合わせることがないので、感じる機会が少ないだけなのかもしれません。相手が目の前にいようといまいと、過去に相手に感じていた気持ちをしっかり感じ直して解放することは、必要で大切なことだと感じました。)


私は、自分の気持を言うワークの時(前期と後期共)、泣きながらすごく歯を食いしばっていました。
両親への、姉への理不尽さに対するくやしさ、怒りで全身が震え、その反応の強さに自分自身が驚きました。
私は悲しみの方が強く出るかと思っていたのですが。
(そんなに強く感じていたのに、今まで感じず忘れていたということは、「いい子にしてかわいがってもらいたい、認めてもらいたい」と思っていたからなんだろうと思います。)

具体的に何を言ったかあまり思い出せないのですが、相手に「どうして!」と責める口調になっていたと思うので、お相手になっていただいた方には本当に申し訳ない気持ちです。
ただ優しく寄りそって聞いていただいて、本当にありがとうございました。
ただありのままを聞いてくれる人がいるというだけで、私はすごく安心して表現出来ました。

私は、約1年前、「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」に参加したのですが、その時は「自分の感情を表現する」がよく分からなくてひたすら状況説明になったり、泣いても「もらい泣き」で自分の感情を感じて泣けていませんでした。

今回、初めて自分の感情(本心)を表現して泣く、ということが分かった気がするので、これが今回の最大の「もう出来たこと」かな、と思っています。
つらかった気持ちを感じるのは本当に苦しいけれど、自分の気持ちに制限を加えないでただありのままに感じることは気持ちいいと、今は感じています。


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インナーチャイルドワーク(学童前期)で出会った子は、大好きなうさぎのぬいぐるみを抱いて、素直で好奇心いっぱいのキラキラした目で私を見ていました。
庭の縁側に座って話をした時、「助けにきたよ」と言ってもきょとんとしていました。
まだ、自分は愛されていて幸せで、両親のことを信じて好き、と感じているようでした。
「あなたと一緒にいるよ。一緒にやろうね。」というと、「ホント!?」とすごく嬉しそうでした。一生懸命いい子でいたけれど、本当はすごく寂しかったのだと大人の私は感じました。

反対に、インナーチャイルドワーク(学童期)に会った子は、暗い目をして何か言いたげに唇を尖らせていました。
何を話しかけても、不信のまなざしを向けてくるだけで、何も話してくれませんでした。
心を閉ざし身を固くして自分を守っている印象で、「どうせ私を傷つけるんでしょ」と言っているようでした。

今回思い出せたのですが、私は「上を目指せ」と言われなかったし、「あなたは次女だから自由に育てた」と言われていたので、自分は厳しく育てられたと思っていませんでした。
けれど、実際は相当「両親の望む・常識と思う子供像」「○○才なら、こうあって当然」にあてはめられて育ってきました。(これって、厳格なんでは? と感じます。)

その像になる為のやり方も教えてもらった記憶はないのですが、そこから外れると、「これ位出来るはずなのに(出来ないのはおかしい)。大丈夫なのか?」と言われていました。
(子供には分からないと思われていたようですが、私はしっかり感じていました。)

それが当たり前だったから、その延長で、私は大人になってからもずっと、大切な自分にいつも「こんなんじゃダメだ」とやっていました。
ちっとも自分で自分の味方ではなかった。
これじゃあ、小さい自分にそっぽを向かれても仕方ないと思いました。
又、子供の頃両親に言われたことを、いかに自分が素直に信じこんでいたかに気付きました。


この子との仲直りには、まだ時間がかかりそうです。
私の中には、今の私に気付かれ、癒されるのを待っている記憶・気持ちがまだ沢山眠っていると感じたので、これからも少しずつ向き合っていきたいです。
(私が過去にうまくいかなかったのは、自分の痛みを「人に分かってもらうこと」「共感・同調してもらうこと」を目指していたからでした。
まず、私が私の味方でいて、自分の痛みをしっかり感じて表現して癒すことが、何より大切と気付きました。)


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このワークショップ・クラスでは(「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」もそうでしたが)、色々なことのつじつまが合ったというか、「なるべくして今の自分になった」ということがよく分かりました。

私はすごくストレスを感じながら成長してきました(身体は)。でも、心は健全な依存を許してもらえず、押さえつけられていて、健康的に成長してきたとは言えなかった。

小さい子供なのに、周りに両親がいても「守ってもらえない」と感じながら過ごすのは、どれだけ不安で孤独だっただろう。
私は、泣いたり自分の感情をうったえると、聞いてもらえなかったり、責められたり、からかわれたりしてきたので、いつの間にか「責められないこと」を目的に生きるようになっていました。
今の自分が肯定感を持てないのも、安心感を感じられないのも、無理のないことだったかもしれない。


私がこの時期に学び損ねたテーマ・課題は・・・

  • 積極性
    年長~小学1年生にかけての約1年間、幼稚園に通えなかったりけがで学校を休んでいたから、そもそも人と関わる機会(コミュニケーションを学ぶ)が少なかった。
    積極的に何か言ったりすると、押さえつけられていた。
  • 男女役割モデル・コミュニケートの技術
    私は、多分両親から健全なパートナーシップを見せてもらっていない。
    2人が話し合って譲り合って協力する姿を見た記憶がない。
    母はこの頃すでに、自分の言いたいことを、私に代わりに言わせようとしていた。
    「仲直りの仕方」なんて、見たことがない気がする。いつも、「無かったこと」になっていたから。
    私が大人になるまでに両親から学んだ処世術は、「滅私奉公」と言っても過言でない気がする。
    暗なるメッセージは、「自分のことは置いていて、まず人につくしなさい。そうすれば、同じかそれ以上のものが返ってくるから」。

    だから、人と接する時疲れたり(私は自分の面倒を見てもらうことを期待して、せっせと人の感情の面倒を見ていた)、必要以上に緊張感を感じていた。
    (「1度コミュニケーションを失敗したら、お終いだ」という思い込みがあった。「『失敗してはいけない』という空気感だと、何が問題なのか分からず解決出来ない」には、納得しました。)

    又、誰かと親しくなることを「個性を認め合う」ではなく、「相手に同化すること」(家族の中で、同じ考えであることを求められていた)だと思い込んでいたから、自分の気持を抑えて相手に合わせる内に、自分が分からなくなった。
    そして、自分が分からない自分を人に分かってもらえるはずもなく、孤独感を感じる原因の1つになった。
    だから、人の間に出ていくことに気が重くなった。

    今回初めて思い出したけれど、父は2人目の子供は男の子が欲しかった。
    だからかもしれないけれど、私はこの頃男の子のように「活発」であることを期待されていた。
    (私には全く合っていなかったけれど。)
    それ以上思い出せなかったけれど、私は男の子なのか女の子なのか自覚しにくい育てられ方をしていたのかもしれない。
    又、私は代理父、夫、時には母を暗に演じさせられてきた。

    そのせいか、私は社会人になって大分経つまで、男女に役割の違いがあることに気付かなかった所があるし、男性に「頼る」という発想がなかった。
    必要以上にがんばるくせが付いていたのだと分かった。

    (話はそれますが、思い出しついでに・・・。)
    私は、20代の頃、父と同世代の男性に何となく怒りを感じていましたが、それは私を分かって守ってくれないのに、逆に「分かって欲しい」という空気感のあった父に対する怒りが転化したものだったと、今は思います。
    それから、今回「お父さんのかわいい娘」というフレーズが気になりました。私は、この頃父に構ってもらえなくなっていって、父は私にとって存在感の薄い人になっていったのに、不思議な気がします。
  • 「私はできる」相互依存、協調性
    自分が「したい」ことに挑戦して、「出来た」と感じる経験が少なかった。
    私は健全な心理的依存を許されておらず、代わりに「代理父・夫・母」を演じていた。
    小学4年生の時、いじめ(無視)という疎外にあっていた。
  • 自己確立、家族からの独立
    アイデンティティ、実験、コミュニケーション、性、職業、親離れなど自分を掘り下げる時期に家族の心理的面倒を見ていたから、本音で学び試せていなかった。
私は、その時々に必要なことを学べず、試せず、課題をクリア出来ていませんでした。
(それで、今までよくやってこられたと思います。)
そもそも人生の土台作りが準備不足だったから、どこかいつも「私の人生はいつ始まるのだろう?」と感じていたのも、ある意味当然のことでした。

学び損ねたなら、今からこつこつと学び直していくしかありません。
私は、素直でがまん強かったから共依存に巻き込まれ、留まっていた。それならば、そのねばり強さを回復に使おう、と改めて決意しました。

気が付いたら、ずいぶん沢山書いていました。(読んで下さって、ありがとうございます。)


最後に・・・私は今までの歩みの中、本当はしょっちゅう「もう遅いんじゃないだろうか?」「自分の中からやっかいなものが出てきたら、どうしよう。新たな問題が出てくるのが、こわい」と思っていました。
それでもあきらめたくなくて、助けを借りながら、あがいてここまで続けてきました。
そんな自分に、今回初めて心からの労わりの気持を持てました。
ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。