2016.02-05月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(後期日程)」はこべらクラス

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タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) はこべらクラス





多彩な3ヶ月でした。
季節も関係あるのかもしれない。まだグレー色の空の冬から、彩り豊かな春へ、の3ヶ月。こう書くと、始めた頃はまだ寒かったんだな、とやはり時間の経つ速度を実感します。

「何もしない3ヶ月」は、考えられないほど、「一歩、一歩」の力のすごさも実感。
多少欲張りな私で、そして、なるべく楽したいっていう甘さも未だ垣間見られる私だから、
「一歩」=「10?」ぐらいなきゃヤダ! はたまた、10? ぐらい進んだんじゃない?!(というのが滑ってる)、なんていう感覚だったんだろうけど、
その「10?」は魔法で、「1ミリ」は優しさのある、それでいて力強く芯のこもった一歩。
そして、その1ミリの集合体のすごさを実感。

最初の頃の「自分のことだけ、集中してていいの? 大丈夫? という不安がある。」のようなことを書いてるのも、
「これ、誰が書いたん?」と一瞬思ってしまったぐらい。
確かに、そう思ってたことや、そういう感じは憶えてるのだけど、
「いいんじゃないの。」と今は思う。


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底から、地上へ。
そういう感じもありました。
季節、って、うん、確かに心の在り方みたいなんと密接してる感じ。

四季がある、って、変化が実に感じられる、っていういいことなのかも。
なんだよ、またイヤな梅雨と夏がくるじゃねーか、という感じだったけど。
あ、今も多少はそうも思う(笑)。
洗濯物が乾きにくくなる。ジリジリ暑いもわっとした空気。


黒く暗いどっぷりとねっとりとしたところから、
とげとげしい攻撃色、春の桜色、淡くて古い霞色、泥のにごり色…。
いろんな色を通ってきて、
今はどんな色かと聞かれたら、この色! とハッキリはわからないけど、
確かにそこに色があるのはわかります。

なかったはずの色。
3か月前よりクリアになってきたかもしれない。


途中、昔の『夢かな手帳』を出すことがあって、
そこにあった「いろんな色の混じりあったパレットの上にいること」。

ふわっと理解が広がる、この瞬間が好き。
うん、”「私は青がいいの!!」と叫んで” た気がする。
決して混じらないように、がんばってきたと思う。

実際にパレットで絵の具を混ぜてみて、
この混ざって滲んでる、「境目がわかれば」、大丈夫なんじゃないか。
そう思った。

自分からぐちゃぐちゃぐちゃーと筆で殴り混ぜなくても(もういいっ! と投げなくても)、
根気よく根気よく、違うなっていう色をよけてったら、
そういうがんばりを続ければ、
この色が私! って出てきそうな気がした。
好きな色でいいよね、これも。あるいは、通った色をすべて混ぜてできた色なのかも。
これもまだ試行錯誤。


この、小さくて静かながんばり、
がんばり、っていうと、どこか今はたどり着くのが「共依存的ながんばり」のイメージになっちゃうけど、
それも、すごく罠なんだなと思った。

これほど、表面何もしない、っていうのは初めてぐらいで、
むしろ、「共依存的ながんばり」のほうが、がんばってるように「見えそうだし、実際そうでありそうな」ぶん、そっちのがんばりのほうが近いんじゃないかと思ってしまうのだけど、
小さくて静かで粘りのある、それでいて人にはわかんない大きながんばり、のほうが、誇りになりそうな、そういう気がする。
そして、そのお仲間さんになれたことも、誇りになる。


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また逆に、最初に書いた(気づいた)のに、またやっちまってる! ってこともあった。
「自分の気持ちとか思うことは、そこらへんに転がってない」のに、
そこらへんを探し始めてて、
あっ! そこらへん(外側)に答え求めようとしてたよね、私、今、そうしてたな。
求める、勝手に借りる、貼り付ける。
この、これがそうだ! っていうのをつかめるのも、また一つ一歩で(謎かけみたいな文になっちゃったけど、そういう感じ)、
ガラッとはないけど、行きつ戻りつ、じわじわ、そういった感じ。


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再び、自分の立ち位置みたいなのがわからなくなるときもあった。
立ち位置、っていうのかな、「何してるんだろ。」っていう漠然としたわからなさ。
迷子感。暗い黒い。

それは、「悪いこと」だと思ってたと思うし、
実際、心が迷子になってなる病気だってあるし、
そして、「それが悪いこと」に動かないぐらいになったときに、ほんとに病気になるんじゃないのかなと思った。

「悪いこと」だから、「焦る」のです。
その「焦り」もわかるし、「焦る」から手っ取り早いの持ってきちゃう、んで、また迷う。

で、手帳のエッセイであった「なんのため?」
あ、ほんま、静かでないとわかんなさそうやし、
「悪いこと」でもなさそうで、
「このためです!!!」と声高々にマイク持って今は言えないけど、
迷うのも、あっていいし、迷っててもいいような気もした。
30歳代ならわかってて当然でしょ、っていう声にも勝った感じ。

とはいえ、焦る私だっていたのです。
どうして、こんな「簡単なこと」わかんないんだろ、あれ? 以前なら、もっと素早く答えれたような気がするし。
答えが出ない、この出なさ具合に焦る。
なんで出ないんだろう。

今のところ、出てきた答えは、「ああ、私、貼り付けがもうできないんだな。」ってこと。
そして、これ(なんのため?)、「簡単なこと」じゃないな、その前提がオカシイんかもしれないな、
キレイな貼り付けならできるけど、そうじゃなくて、
「私にとっての」答え、ってそうそう出てこんなあ。
迷う、のもいけない。ってなってたのかもしれないな。


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「知識」、いや「再訓練」かな、あるいは「ONSA のこの空間そのもの」かもしれない。
それは、とても雄大で広くて大きくて、信頼と優しさがあるように思いました。

寛大な山に登ってるようなそういう感じで、
時に私が拗ねてむくれても、
時に私がかみつき反抗しても、
時に私が悲しくなって辛くなっても、
時に私が楽しくなっても、
時に私が調子に乗っても、
時に私が思い違いをしていても、
時に私が迷っても、
ただ、黙って側にいてくれるような、そういう感じで、
そこにもし返答があるのなら、「ふんふん、そうか。」という感じ。

時に私が投げ気味になって知識の本をぶん投げ捨てても、
「ふんふん、そうか。」と落ちた場所にずっとそのまま置いてある。

ちょっと反省してしぶしぶ拾いに行っても「ふんふん、そうか。」
その山が「なんか、ほんとの親みたい。」って思えたとき、
すごく大きな風が吹いたように思った。


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「自分から変わるのがお得。」
ゼッタイそうは思えなかったし、ゼッタイ損だと思ってたし、損である理由なんて箇条書きにして何個でも並べられる、って思ってたけど、
うん、ただ、そうだな、得です、と思う私がいます。
ここが「得」になるにも時間がかかった。


今回は、4月から自分の生活リズムも変わるといったこともあったけど、
手帳のおかげでしがみつけた感じ。
今までなかった未知の予定が入る可能性にビビりまくったこともあったけど、ビビりの質か中身がわかってきた感じもします。

昔の『夢かな手帳』の白さも、もしかしたら、この白いのは「夢見てた時間」かも、とも思いました。
そうだとしたら、ほぼ「夢見て」ました。


ただの真っ白じゃなくて、どんな色がそこにあろうとも、彩り豊かな3ヶ月でした。
ご一緒下さったお仲間さんにもありがとう。
これからも、拗ねてむくれて、かみついて、思い違いをして、迷って、時にそうしながらも、こつこつやっていこうと思います。




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Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) はこべらクラス





この3ヶ月は、自分がどれだけ不健康で共依存なのかを深く実感しました。
私から出てくる発想は共依存の発想しかない。
すごく落ち込みました。
私は健康な生き方が分からない。体験したことがない。
すごく悲しい。悔しい。


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健康な生き方をするには、まず私の土台から作り直さなければならない。
私の土台には、恐怖心がたっぷり入ってる。
さらにその奥には巨大な自己否定感がある。
今までの生き方は、自己否定感を強化していくパターンを積み重ねてしまっていたと思う。
本当にショックだけど、この生き方しか知らなかった。

また、何かにチャレンジしたり、何かを選択するときには、自分がどうしたいのかよりも、周りからどう見られるか、どうしたらまともに見えるか、失敗しないか、という基準で選んできた。
それが安全な選び方だと思っていた。

失敗することは私がダメな人間だと証明されることだと思っていた。
だけど今、安全だと思われる方を選んできたつもりなのに、安全だと感じられない。
その代わり、ものすごく不安を感じてる。
もう、今までの方法は間違ってるってことがよく分かった。


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私は、私を粗末に扱ってきた。
ガマンして、私の気持ちはなかったことにして、誰かを優先させてきた。
でも、もう今は、苦しい。
いや、ずっと苦しみはどこかで感じていたけど、それすらなかったことにしてた。

こんなのはもうイヤだ。
苦しみよりも、喜びや楽しさ、生きてて良かったって感じたい。


私はもう、このまま今までの苦しい生き方を選ぶのか、それとも、健康な生き方を学んで、再訓練して、新しい生き方を選ぶのかを選択できる。
私は、健康に生きる方を選びたい。

自分と向き合うのはしんどいし、エネルギーもたくさん使う。粘ることも必要。
回復には時間がかかる。
でも、私は私をあきらめたくない。
コツコツとこれからも歩いていきたいです。


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落ち込んだり、大きなため息が何度も出て、ヤケになりたくなったり、大きく揺れ動いた3ヶ月でした。
回復をやめたくなることもあったけど、しがみつくことができて、再び回復に戻ることができたのは、このワークショップがあったことと、同じクラスの皆さんがいてくださったおかげです。

本当に心の支えでした。
ありがとうございました。

それと私へ。
この3ヶ月、よくしがみついたことを褒めたいです。
ありがとう。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) はこべらクラス





わたしへ

まずは3か月間、お疲れさまでした。
このコースが始まった頃はまだ冬だったんだね。
もう、初夏です。今回もよく頑張りました。粘りました。えらい!!

終わってみれば、本当に本当に早かった。
あっという間だったね。


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振り返ってみると、初めの頃は不安でヨロヨロ、立っているのがやっとと言う感じでしたね。
自分が「共依存」だと頭では理解できるけど、どれくらいひどく巻き込まれているのかが、よくわかっていなかった気がする。
どこか、まだ他人事というか…。
わかりたくなかったというか、認めたくない気持ちもあったと思う。

「そんなに、ひどくないよ。言いすぎだよ…。」
という感じだった。

でも、今は違うってはっきりわかるね。
課題を進めるうちに、自分の考え、行動が全て「共依存」の習慣が影響しているってわかってきた。
そして、それを現実に肌で感じて理解した。


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今回、自分のなかで大きかったことは「現実としての実感」が出てきたこと。

「言ってはいけない」
「言えない。言えばそれを認めることになる。」

現実問題として目の前に出てくるのが怖かった。
苦しかったけど、出せなかった。
でも、ワークを進めるうちに向き合わざるを得なくなってきて、それをおもてに、現実にさらした。

そしたら、苦しくなくなった。
現実と向き合う怖さ、苦しさ、辛さはあっても、一生懸命隠していた、自分を殺していたときの苦しさはなくなった。


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最近、目の前に私より全然大きな黒い玉がある感じがする。
自分が一生懸命隠してきたもの。

きっと、それは自分の中から出てきた黒い「共依存の玉」。

それは自分がどうしてもわからなかった生きづらさの理由。
その玉の大きさが自分が感じる「ことの重大さ」。


でも、それを感じるようになって、逆に不安が少しなくなった気がする。
「これと向き合っていくのか~。」って感じ。
理由がわからなかったときよりずっといい。

自分の中で「事実」をやっと受け入れることが出来たのだと思う。


まだまだ、辛かったり、行き詰ったとき「もとに戻ったほうが楽」と反射的に戻ることもあるね。
習慣を変えることは本当に難しいね。

まだ、歩き出したばかり。でも、あせらず行こう。
「今、ここ」を、「灯台の時間」を、「チェアワーク」を忘れずに行きましょう!


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そして、3か月一緒に過ごしたみなさん。
今回、本当に「ひとりじゃない」と実感しました。

自分に集中すればするほど逆に「ひとりじゃない」と感じた不思議な空間でした。
とても安心できました。
本当にありがとうございました。

藤沢さん、スタッフのみなさん。今回も心に残るメッセージ、サポートをありがとうございました。

これからも、よろしくお願いします。




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T. A. さん(30代/東京都よりご参加) はこべらクラス





自分が悪いから、何をしてもうまくゆかない。
優しくないし、気も利かないから、愛されない。
生まれ持った性格。
親から受け継いだDNA。
「仕方ない」と諦めながら、どこか諦めきれなかった。

自分のことを好きになれないようなことだって、いっぱいしてきた。
自業自得。
こうなったのは仕方がない。
どうせ…。全部、私のせい。

私は私以上になれないって、ちゃんと分かっている。
それでいい。人生ってそんなもんでしょ?
こんな自分でも結構満足しているし、うまくやっている。何事もなく生きられている。
そうやって、強引に自分を納得させて見て見ぬ振りしてきた。

だけど、本当は満足なんてしていなかった。
私は、私が大嫌いだった。許せなかった。

一体どうして?
いつまでたっても届かない…。
どうしてこんなに虚しいのだろう?
私が何をしたというのだろう?

諦めながら、横目で世の中を恨んでいた。
人間は汚くて、嘘つきばかり。
優しさとか、思いやりとか、友情とか…私にとっては嘘っぱちの演技にしか感じられなかった。
人は信用できなかった。


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私の住んでいた世界は、暗く冷たい場所だった。
その場所以外知らなかった。
私はずっとひとりぼっちだった。

生まれた時から奪われるばかりだった。
優しさや思いやりを持ちたかったけれど
誰かに与えられるほどの愛情なんて1滴も残っていなかった。

これ以上奪われないように、怖い目にあわないように、バカにされないように。ただそれだけだった。
安心も安全もなかった。
愛情だと信じていたものさえ、コントロールだった。
それが私の家族だった。


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私は知らなかったんだ。
優しさとか、温かさとか、やすらぎとか、安心とか…そういうものが本当に存在すること。
WORKSHOP の回数を重ねるたびに、その感覚は強くなっていった。

私は分かるようになってきた。
「信じる」って、どういうことか。
自分との絆が深くなるにつれて
自分の感覚を信じられるようになってきた。
少しずつ人が信じられるようになってきた。

私はわかるようになってきた。
「安心」って、どういうことか。
本心が言えるようになること。
私は私でいてもいい。どんなことでも感じていい。
情けなくて、惨めで、不安で、怖くてたまらなくても…
それを言えることが「安心」なんだと。


文節区切りの線

自分といっぱい話をして、絆を深めてきたから
私が戻ってきた。

おかえり!

大切な大切な、私。
私ともっと仲直りしたい。
私をもっと知りたい。

まだ回復の道の途中。
この先も平坦な道のりではないけれど、こうやって歩いてこられたのだから、きっと大丈夫。

世界には私が知らないことが、まだまだ沢山ある。
道に迷いながら、失敗しながら、一緒にやってゆこう。
一緒に成長してゆこう。


文節区切りの線

私へ。
まずは3ヶ月間、おつかれさま。
えらかったね。本当にえらかったと思う。
目の前のひとつひとつ、ぐしゃぐしゃポイせずに歩んだ日々。
課題や日記を読み返してみると、自分でもびっくりするくらい真剣に取り組んだ足跡が残されている。

自分のために生きた時間だった。
自分の人生を生きるんだ! って意志があった。
怖いところもいっぱい通ったけれど、逃げなかった。
勇敢だったね。

WORKSHOP 後半は身体にガタがきたよね。
ひどい腰痛に襲われて普通に生活することもままならなかった。

まるで私自身が生きることを拒否しているみたいだった。
回復に取り組んでいるのになぜこんな目にあうの?
まだまだダメってことなの…? とか、いろいろと考えたけれど、単に無理しすぎだったね。


回復作業は心と身体がとても疲れる。
だからこそ、無理にでも時間とって休むことが必要なのに、間髪入れずに家事、子育て、学校行事、仕事…。
ONSA の課題と、他の WORKSHOP、カウンセリング…。
睡眠不足、栄養不足…。
心も身体も無視して詰め込んで、頭でっかちになっていた。

早く回復したいという気持ちから、少しの時間も無駄にしたくなかった。
だけど、どんなに詰めて頑張っても、その結果として回復がついてくるわけじゃなく、それは達成を目指していることになるわけで…。自分置き去り状態を繰り返す私に身体が「ノー」を突きつけたのかもしれない。


自分のことを後回しにせずに休めるようになること。
これは、これからの課題。
なかなか難しい。

まだまだまだまだ、できないことは山ほどあるけれど…
もうできたことも、いっぱいあるよね。

自分に嘘つかなかった。
隠さなかった。
本心を言えた。
3ヶ月前の自分との約束を果たせた。
すばらしいね!

たった2年半くらい。
こんなに変わったなんて信じられる?
こんなに遠くまで歩いてきたんだ。
こんなにたくさん手放せたんだ。

私は私のままで十分。
至らなくても、届かなくても
もう、十分。
これまでだってそうだったように
これからも、できる限りのことをしてゆこう。

そして、
もっともっと人生取り戻すぞ!
自分の人生を生きてやるぞー!!


 

| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。