2014.07-10月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(後期日程)」むらさきはななクラス

画像
タイトルはじまり目印

H. N. さん(30代/香川県よりご参加) むらさきはななクラス





今回のワークショップで、私はこれまで考えたことがない思いに気づきました。

それに気づいたときには、怒りとか悲しみとかとてもいろいろな感情が出てきて、ああ、私は長い間こんなことを思って過ごしてきたのか。と思いました。

自分の気持ちを探しだして、ワークショップの中で表現して、を繰り返すことでだんだんそれが明らかになってきたのだと思います。
同時に、損なわれた時間の大きさもわかって、ショックを受けることもあったけど、全体を通してはすがすがしい気分になっています。


文節区切りの線

私が実感したことは、共依存からの回復には時間がかかるという事と、一日意識して過ごすことなら私にもできるかもしれない。という事です。

これまで何度ワークショップを受けても、「回復したらいつかガラっと私の生活が変わるだろう。」と思っていた自分がいたのですが、その考えが子供の魔法の考え方で、一日一日、意識して共依存のパターンに陥らないように暮らすことが大切ということが改めて感じられました。

今回のワークショップの期間は対面式ワークショップと並行して受けたり、課題を行うのが時間的には大変だったけど、その分得るものも大きかったと感じています。
これからも、この歩みは止めずに、一日一日回復をしながら暮らしていきたいと思います。




タイトルはじまり目印

M. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) むらさきはななクラス





あっという間に過ぎ去った12週間でした。

「じかんのきろく」を読み、自分が提出した課題に目を通して、自分自身が喪失してしまったものの大きさに、今更ながらに驚きました。

私は未だに、「私の(両親から)されたことなんて、大したことじゃない(だって、もっと大変な目に遭った人たちがいっぱいいるんだし)。だから、これくらいのことで、悲しんだり苦しんだりしてはいけない。」と思ってしまうところがありました。


でも本当は、十分“大したこと”でした。
Web. WORKSHOP を通じて、幼かった私の受けた傷の大きさを知り、寂しくて辛くて悲しい気持ちを思い出すことができました。


私は、両親に愛されたかった。
愛されたくて、頑張って、でも、両親は私の望むような愛情を私にくれることはほとんどなかったように思います。

大人になって両親から物理的に離れた後は、周りの人から愛情をもらおうと、両親に対して行ったのよりもさらに多くの時間やエネルギーを使っていました。
身体がボロボロになっていても、くたくたに疲れていても、止めることはできませんでした。

共依存関係であった両親が営む機能不全家族で育ったことと、幼い頃から味わい続けて来た喪失や境界の侵犯が、私自身を“共依存者”にしてしまいました。
それも、かなり重度の。


以前は、共依存と聞いても、「ふーん。まあ、私には関係ないよね」と、軽く受け流していたのですが、知ってしまってからは、「これはなかなか手強い相手だぞ」と、時々恐怖すら感じるようになりました。
勉強していくうちに、WORKSHOP の課題や本に書いてあることで当てはまることがかなりあることに気付き、見ないふりをしてきた過去の時間を悔むこともあります。

そういった意味で、第3週目の課題は、向き合うのが辛いものでした。
私がやってみたいことに対する、私の残り時間は、自分が考えているよりもはるかに少ないのだ、と気付き、本当にショックでした。

実現するのがかなり困難な夢があることにも気づきました。
しかし、そこで全て諦めるのではなく、自分が本当に「これだけは絶対に叶えたい夢」を考え、それを実現するにはどうするのか、全部叶えることが不可能ならば、どれだけは叶えたいのかを考えるきっかけになりました。
改めて、「今の仕事を辞める」決意をしました。


文節区切りの線

加えて、ただ「辞める!」と言うだけではなく、「辞めるためには、どんな“武器”が必要か」、そして「やりたいことのためには、何が必要か」を考えるようになりました。

今までは、「とにかく最速、ひとっ飛びでできなければ!」と考えることが多かったのですが(そして、「無理だよね」と諦める)、こうして WORKSHOP を受けながら自分との対話の時間を作ったり、本を読んで勉強したりという、「こつこつ」を続けていくと、案外遠くに進めるものだと気付いたため、「もしかして、私のやりたいことも、こつこつを続けていけば、意外と早く叶ってしまうのかもしれない…」と思い、今は少しずつ、やりたいことの勉強もしています。


「目を星に向け、足を地につけよ」という言葉の意味が、ようやく自分の中でしっくりくるようになりました。

「夢を叶えるために、現実的にはどんなことをしたらよいのか、きちんと考えること」
荒唐無稽な夢ももちろんいいけれど、長い間どっぷりと浸かりきってしまった共依存状態から抜け出すべく日々歩いている私には、現実問題として時間は限られている。
「見ないふり」よりも、実際に見て、知って、「では、これからどうしたらいいのか」を考え、実行する方が、夢を叶える最速の方法なのかもしれないな、と思います。


私はまだまだ歩き始めたばかりで、落ち込んだり、恐怖におののいたり、泣いたり、やってしまったことに対して赤面し悶絶する日もいっぱいあるけれど、この12週間をやりきったことは、本当に頑張ったと思います。

私は私を大切にして、これからも、どんどん歩いていきたい。
もっともっと、心から安心して生きて行きたいし、夢もたくさん叶えたい。
だから、自分と向き合うことも、勉強も続けます。


たくさんの、大切なことに気付けた12週間でした。
私、ありがとう。
藤沢さん、スタッフのみなさん、クラスの方々、本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

Y. O. さん(30代/和歌山県よりご参加) むらさきはななクラス





むらさきはななクラスのみなさん、12週間お疲れ様でした。今回もいろいろな気づきを頂きました。
そして私にとって共依存問題に取り組む皆さんの存在が励みになっています。ありがとうございます。

ワークは一週一週は長く感じたりするのですが、毎回のことですが終わってみると早かったなと言う風に感じます。


今回のワークは私にとって今までのワークよりしんどいこと、向き合うのが辛いことが多かったように思います。
そして課題を終えて今思うのは、私は私が思う以上に傷ついているのかもしれないということです。
私は何処かで本当はすごく失望しているのかもしれないと思う。


過去を振り返る課題【あなたは本当は、何がしたかった? 本音では、なんて叫びたかった? したいことができなかったことは、悔しくなかった?】は本当に向き合うのが苦しかったです。
課題の中で「今から叶えられることもある筈」と言いながら(そう書いているのに)心の奥では自分の望みを持つことに希望を持てないというか、何処かで諦めている気がする、いくら自分の夢や希望を思っても、切望しても。

自分が自分であっていいと励まされてこなかったからかな? 自分の考えを持つことを励まされてこなかったからかな?
私の望むもの本当に欲しいものは手に入らないと思っている思い込みがあることは以前からのワークで気づいていましたがそれがとても根深いものなのかもしれないと感じます。

そして私は本当は傷ついていることを押し込めて、隠して生きていこうとしていたのかもと思います。そうしたかったのかも。


最終週を迎える少し前から何だか少し混乱してきて、頭の中も心の中も閉じ込めていたものがあふれて宙に浮いている様な気分で、はっきりと言葉にはできないけれどそんな気分が続いていて考えがあまりまとまらないでいます。

自分らしく生きられない閉じ込められた世界で生きることに深く傷ついて望みを絶ってしまったのかもしれないと思います。

また母にそのままの私を認められないどころかできないことばかりを肯定されてできない自分というものが刷り込まれている気がしてきました。
それが基になっているというか大前提になっている。私はそのことにも深く傷ついていると思う。


文節区切りの線

今回のワークを通して以前と比べて変化があったと感じることは自分が人からの評価や好意を無意識に求めてしまうということを実感したというか、中毒と同じようなものなのだということを実感して納得できたことです。

私は家族から人に認められたいと思う事、人から評価を得たいと思うことを表に出してはいけないと教わりました。
何か良いことをしてもそういう態度を表すと、価値がなくなると教わりました。
認められたいと思っている気持ちを表に出すことはよくないこと、価値のないことなので内に隠さなければいけない、閉じ込めなければいけなかったのでそのことが問題をより複雑に見えづらくしていたのかもしれないと思います。

認められたいと思う事を感じてはいけない。
ないことにしなくてはいけないので人からの評価を求めることをしていること、そういうことに中毒になっていることを認識するのが難しかったのかなと思います。

仕事が私にとって人に評価される、認められることを求めるツールになっていることを感じました。
また自分の本当の希望や望みを叶えることができないことを合理化するものにもなっていると感じます。

仕事が上手くいくようになれば落ち着いて働けるようになれば自分の希望に向かい合えると思っているところがある、いつかなんて来ないんだって課題を通して、藤沢さんの言葉をとおして何度も思うのに、苦しくなるとそういう考えになってしまう。
課題に投稿しましたが、私が気持ちよく働けるとか得意で苦しいことが少なくて済むとかそういうことを大事にできていないというか、形ばかりで私はいつも張りぼてのような気分でそのことが、そう感じることが私の自信を失わせていると思う。
認められることを目指さなくても求めなくても、自分で自分を認められるようになりたい。

仕事を辞められないのは経済的なことを考えることや他にもいろいろあるけれどどうにかそこにいることで自分の存在を自分で認めるものになっているからなんだと思う。
大人として見てもらう為、大人のふりをするために大切なものになっているのかもしれないと思う。

この場所に自分を置いておいてはいけないと思うのに最後の一歩が出せない、中毒しているからなのか、新しいことが怖いのか、自分で決める自分の本当の望みは手に入らないと思っているのか、従って生きること、そういう仕事しか私にはないと思っているのか、今の仕事を手放したら私には何も残らないと思っているのか、人に認めてもらう自分を認める手段がこれしかないって思ってるから怖いのかな、私の共依存問題に仕事は大きく影響されていると思う。


文節区切りの線

感情的に心理的に私の恐怖を誘って自分の意向に添わせようとする人の態度にビクビクしてしまうのは幼い頃の躾が○○しないと××になる。というように恐怖を植え付けるものだったからかなと思う。

先日、母と喧嘩することがあって、母に対して私が発する言葉は「べき」という言葉で埋められていました。
私が強く思う事。私の気持ちでしたがいくら「べき」という言葉を使っても母には何も影響のないように感じました。
「べき」という言葉で何かを解決することはできないのだと思いました。

3か月を通してできるようになったと思う事、気づいたこと。

  • 自分に優しい方を選ぶことって幸せだと思う感覚をもてたこと。
  • 心がモヤモヤする時、私は本当は心の内で違うって言っているのかも。
  • カウンセリングを探すことが気が重かったけれど始めていること。
  • 忙しい中いろんなこと、ワークも仕事も頑張ったなって思う。
  • 仕事のこと、業務が追加されることについて私の現状を伝えられたことは私にとってすごいことだと思う。
  • 仕事を続けるのかどうするのか、など考えたくないものは何も考えたくないって何処かに追いやることが多かったけれど、今はちゃんと考えられることが日常になりつつあること。
  • 嫌な事に対して何が原因か見ようとしていること。すべて私の何処かが悪いからとは思わなくなってきた事。
  • 境界線を侵犯してくる人に対して敏感になったこと。巻き込まれているということに気づけるようになったこと。巻き込まれたくないって思うようになったこと。
  • 自己否定感が私が元々持っていた素質の物ではないのかもしれないと思い始めたこと。
  • 私が愛されなかったり、上手くいかなかったことは私の頑張りが足りなかったからではないのかもしれないと思えること。
  • 無理せずできることが何かを探したいと思っていること。
  • 自分の心に嘘をつくことが私の心を蝕んでいるのだと思う。
  • 母の暗なる希望を叶えることを止めにしたいと思っている。不毛だと感じる。
  • 私が一番に求めているものはのびのびとした自由や私らしくいられる環境なんじゃないかって気づいたこと。それが大切な土台で何もかもその上にしか乗らないのかもしれないと思う。
  • ありのままでいれば、いようとすれば合わないこと、できないこと、無理な事があるのは当然の事だと思うのにそれが受け入れられずにいた部分があるけれど、全部努力や気合で何とかしようとするのは無謀だと思えるようになったこと。
  • 好きなもの、これがいいっていう心の声が時々聞こえること。私の声を大事に従って良いんだという気持ちが増えたこと。
最後になりましたが藤沢さん、ONSA スタッフの皆さん、今回もお世話になりました。
いつもありがとうございます。




タイトルはじまり目印

H. M. さん(30代/広島県よりご参加) むらさきはななクラス





結局、私は、子どもだった、ということです。
いつか誰かが私を救ってくれる、いつか誰かが私を幸せにしてくれる、いつか誰かが・・・誰かを求めて子どもの発想で結婚してしまいました。

本当にイタイけど、王子様を求めていたのです。
そして、魔法から覚めると(相手をコントロールできなくなると)「信じてたのに!! 裏切られた!! あなたじゃなかった!!」なんてプリプリ勝手に怒ってました。

普通の限界のある人間に王子様役を無理やり押し付けて、私の茶番につきあわせていました。
夫は夫で自己評価が低いばかりに嫌われるのが怖くて私の茶番に無理して付き合ってくれていたのでした。

そして私は女王様気分で自分の「こうすべき」を振りかざして、夫をぶんぶんコントロールしていました。
本当の意味での愛なんて、どこにもなかったんだなぁと思います。


文節区切りの線

「誰か」ではなく「私」だったのです。
私が自分の足で立ち、自分を理解し、自分を救い、自分を励まし、自分を癒さなければならなかったのです。

全ての問題の根源が「私」だったんだ・・・そんなことに気が付いた12週間でした。
だから、むなしくて、切なくて、これからどうしようかと暗い気分になりました。
でも、良かったです。やっと真実に目を向けることが出来ました。
ずっと逃げていたことに直面出来ました。これで、本当に良かったのです。

自分の茶番に付き合わせておきながら、夫に対してはイライラしてしまうことばかり。
夫を見ていると自分を見ているようだからかもしれません。
「たいしたことない」と自分の心を蔑ろにし、アルコールで麻痺させ、外側だけ懸命に取り繕って内側はボロボロ。
それはかつての私の姿です。
もう子どもも二人いるのにこれからどうしよう。夫を見ていると私達家族がまるで泥船に乗っているようで不安になります。

だからと言って、問題解決の為に別れるのは、違うということも学びました。
外側を変えることによって、内側の解決にはならないからです。


私の優先すべきは、今は、とにかく、内側に目を向ける、自分に集中することです。
子どものままの内側に寄り添って癒し、大人の自分を育てるということだと思っています。

この12週間共に歩んだみなさん、ONSA のみなさん、本当に有難うございました。
沢山の気づきをさせていただきました。本当に有難うございました。




タイトルはじまり目印

A. I. さん(30代/愛知県よりご参加) むらさきはななクラス





3か月はあっという間に過ぎました。
その間にたくさんのことに気づきました。
とても過酷だったけれど、もし参加していなかったら、一生気づかずにきたままかもしれないと感じる、たくさんの大事なことに気が付くことができました。

私は、私が小さいころに経験してきたことは、両親からの精神的虐待だったかもしれないと初めて感じ始めることができました。
それは同時に、初めて自分が自分のこども時代を「否認」していることも気づかせてくれました。

ずっと、「あれくらい平気」「つらかった気がするけど、うまく感じられない、よくわからない」「私のうちは変な家だったけど、何がなぜおかしいのか、どうしてもうまく言葉にできない。おかしいと感じている自分がいけないのかも」と思ってきましたし、今でもその感覚はまだのこっています。
それがおかしなことであること、私は自分が想像しているよりもっともっと深く共依存に巻き込まれ、深く傷ついている、問題は深刻であることに気が付きました。


これはとても重要なことで、このコースに参加して得られたとても大きな気づきでした。
自分に起きている事態がどれほど深刻かを知れて初めて有効な対策をとれると思うからです。
自分の「否認」はそれは強力で泣きたくなりましたが、でもやっと自分に思いやりをもって、自分の人生に起きている事態に目を向けてあげられて、気が付けて本当に良かったとも思いました。

そして、このコースで「共依存」の理解をさらに深めることができたのも、今回の大きな収穫でした。
私が今どんなふうに共依存関係の中にいて、どんな風に巻き込まれて行って、どんな風に問題が隠されて行くのかも、自分で理解できるようになりました。


共依存の回復は、とても私には残酷で、仕組みを知れば知るほど、
「自分らしく生きるために進むか」
「わかった上であえてとどまるか」
結局その二者択一しかないのではないのかということにも気づきました。
これは、今回一番大きな収穫であり、一番ショックなことでした。

結局、「選択」と「決断」を自分でしていくこと、それが生きていくということだと思いました。
自分らしく生きていくために、この先いろんな決断をしなくてはいけない時が来るかもしれない。
それを、あいまいにしてしまえばそれが「選択」になるし、自分らしさをなくしたくなければいずれかの道を選ばないといけないかもしれない。

誰かが選んで与えてくれるわけではない。
それがきつい決断でも、勇気がいることであっても、やらなければ、やらないを「選択」したことになり、そっちの方向へ道が伸びていくということを、痛感しました。
それでも、これも気づけてとても良かったです、本当に。


文節区切りの線

コース後半の再訓練の時は、共依存の仕組みを理解していく過程と比べて体になじみがなく、課題の意味も理解できない時があり、いかに自分が「健康な人間関係」に慣れていないか、そういう体験が少ないかもわかりました。

しかしながら、即返しなかったり、心の中で自分の意見をもってみたり、「べき」という考え方を検証してみたりする中で、自分の中に新しい感覚や時間の流れ、今までにあまり経験したことがないような気持ち、感覚、自分重心とはこういう感じかな、という感覚が出てきて、それがとても心地よかったです。
そして、着実に私の現実生活の中で根付きつつあります。

小さな一歩で、すぐに大きな変化はないし、しょっちゅう失敗するけれど、つみかさねて新しいスキルが自分の中で育ちつつあるのはしっかり感じられ、とても誇らしく思います。引き続き、毎日の生活の中で練習していきます。


このコースに参加して、私はようやく私自身に今何が起きているか、このままいけばこの先どうなるかを、「現実に今起きていること」として理解できるようになりました。
これが、今回の総括そのものではないかと思います。

どんなにかひどい環境で育ち、どんなにか傷つき、それを徹底的に感じないように心の深いところに閉じ込めてきました。
だから、大人になった今も、「今、私傷つけられたよ! 不快だよ!」を感じることができず(本当に信じられないくらいにそうで)、思っていることを言えず、相手や状況をコントロールし、結果、子どものころと同じような、自分を傷つける環境を作り上げていました。


今まさに、私はその中でとても傷ついていて、私らしく生きていない。そのままいくと、もっと状況はひどくなる。
ようやく、それを認められました。
すごくつらくて苦しかったです。でもやっと認められて、大事な地点にたどりつけたとも思いました。
このコースに参加した故だと思います。
それを知らないと、隠していた一番底にある私の本音に気づかないと、自分を助けてあげることはできない。
だから、やっぱりこの3か月は相当貴重な時間でした。


自分の味方になることもずいぶんでき始めました。
自分との約束を守ることはとても気持ちがいいし、自分との信頼も増していきます。


文節区切りの線

たくさんの宝物を得た3か月でした。
これを手に、この次のコースに進み、引き続き自分らしく生きる人生を取り戻していく歩みを続けます。
何度、「回復なんて始めなきゃよかった!」と思ったことかしれません。
今までにそんなことはありませんでした。それくらい、今回は大変でした。
それでも先へ進みたい、ここであきらめる気は全く湧いてきません。

自分らしく生きること、自分の存在意義を他人に委ねず自分でしっかり感じられる人生は、それこそが私にとって「生きる」ことそのものであり、そこを得られずに一生を終えるなんて、やっぱりありえないと思うのです。

今のままでは苦しいから。そして、もっと人生を楽しみたいし、自分の可能性を感じたいし、このしみついた古い考え方ではない、新しいスキルで世の中を見たいから、感じたいから、人生が心底楽しいと感じたいから。
あきらめるわけにはいかないです!


優月さん、今回も素晴らしいプログラムをありがとうございました。
もし、ワークショップに参加していなかったら、私はこんな知識にたどり着けただろうかと思うほど、大切なことをたくさん学ばせていただきました。知れてよかったと思うことばかりでした。

クラスのみなさん、3か月間ありがとうございました。
書き込みからたくさん感じたり気づかされたり、学ばせていただきました。
自分と似た体験を読ませていただいて改めて自分の体験を振り返ることができたりしました。感謝しています。




タイトルはじまり目印

M. N. さん(20代/埼玉県よりご参加) むらさきはななクラス





『未来日記』や過去の課題を見直してみて、このクラスで仲間の皆さんと一緒に12週間頑張ってきたんだなと改めて思いました。
わたしは、すぐ(もう、ほぼ自動的に)「何もできていない」なんて思い込んでしまうみたいなので、振り返りの作業って自分にとってすごく大事な事だと感じています。
気づいた事を無かった事にしないために、ここに書いておきます。

  • この三ヶ月間、わたしは精一杯一生懸命生きてきたのに、すぐそれを自分で無かった事にしてしまう。
    そうゆうのは、悲しいなと思う。
  • わたしは、なんでも「上手に」やろうとしてしまう。
    あと、すぐ「もう出来てる」って思い込むクセもある。
    なんでも、そんなに早くは出来るようにはならないって当たり前のことだけど、やっと今回実感した。
    意識して立ち止まって考えないと、一回で上手に出来る事を目指してしまう。
  • 「あんまり行きたくない集まり」に参加することの不自然さに気づいた。
    行動と気持ちがバラバラ。
    気づいたけど、参加してしまうことの方がまだ多い。
    「またやってしまった!」って嫌な気持ちになるけど、「なんか、このパターンにいつもひっかかるな」と気付けるようになってきた。
  • 友達と誰かの愚痴を言ったりしている時のわたしは、他人の事や減らない問題にイライラすることで自分自身と向き合うことから逃げてることが多い。
  • 自分の気持ちに気づくことってなんか気持ちが良い。
    それを大切にするのはもっといい感じ。
この三ヶ月間を振り返ってみたら、わたしなりに結構進んでいました。
でも、「進んでない!」と焦ったり、立派そうな「何か」を他所からとってこようとしたり。
そこは、ぐっとこらえようと思います。
自分の外側に何かをくっつけるのは、もうやめたいです。
今回の Web. WORKSHOP では、手取りばやい方法じゃなくて何度も本当に出来るようになるまでこつこつ練習していこうと思うことが出来ました。

むらさきはななクラスの皆さん、藤沢さんやスタッフの方々、本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) むらさきはななクラス





本当にいつものことながら、Web. WORKSHOP を始めるときの12週間は、先のことを考えると長いなあと思うのですが、振り返ってみればあっという間だなあと思います。
時間が過ぎ去るのは本当に早いなと感じます。


今回の Web. WORKSHOP を終えてみて思うことは、これが達成ではないんだということ。
私はコースを一つ受けるたびに、心の浮き沈みが激しかったけれど、ようやく最近現実をそのままで直視できるようになったんじゃないかと思います。

無理やりいいように加工せず、マズイ現実をちゃんと見られるようになってきたと思います。
そして、毎週の課題に向き合いながら、自分が同じ失敗を繰り返していることにも気づけました。
心が感じ取れる深さが少しできたと思います。
さまざまなことを流さずに、感じ取ることが、立ち止まることができてきました。
毎日の少しずつの歩みが、こうして振り返った時大きな一歩になるんだなと思いました。

そして、この歩みを私はこれからも続けていきます。
私は自分がないなと、空っぽだなと思うことがあります。
私にはまだたくさんの知識が必要だと思います。
その知識を得ながら、自分の心できちんと感じ取りながら、これからも日々過ごしていきたいと思います。


今回も、藤沢さん、ONSA スタッフの方々、お世話になりました。ありがとうございました。
むらさきはななクラスのみなさん、12週間ありがとうございました。
みなさんのコメントに、たくさんの勇気と気づきをいただきました。ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. K. さん(30代/北海道よりご参加) むらさきはななクラス





12週を一緒に歩いたみなさん、藤沢さん、どうもありがとうございました。
毎週の課題に対してみなさんがそれぞれの視点で書かれた書き込みを読んで、私は多くの刺激や発見を受け取りました。


今回の開催期間中、私の生活ペースは授業や帰省のために北国-東京を頻繁に行き来する慌ただしいものになっており、WORKSHOP 後半に差し掛かる頃には集中が途切れていました。
ですがその中で、私が今までしていた「課題に対して、自分の思い込みを掘り下げる形での集中」も少し緩んだように感じます。


私が課題に書いてきた私の過去や思い。
それはもちろん私にとって大切で意味のあることです。

でも、私はそこで感じていたコンプレックスや辛さばかりが真実であるとして、それらを集中して掘り下げすぎ、辛くなっていたのだと思います。
私は自分の未来のために現在の回復作業をしているのに、私の課題への取り組み方は「過去の辛さやひどさをかみしめて終わり」になっていた。
そのことで、「可哀想でだめな私」という逃げ道を、自分に許しているのだとも気づきました。
私は「自分を幸せにする」ということに伴う、現実的な責任と覚悟を軽く見ていました。

この3か月の間。
夫が私の親族について、夫の視点で見た感想を話すとき。
私が罪悪感とコンプレックスを抱いていた弟(小)が、私をハグして「悪い弟でごめんね、見捨てないでくれてありがとう」と語ったとき。
私が感謝をしていた弟(大)が、父の共依存的なところについて文句を言いながらも、父と同じような行動をとることがあるのに気付いたとき。
そして、みなさんが自分の体験や考えを書き込んだ投稿を読んだときにも。


私が今まで自分の中で決めつけて、そのまま突き詰めていたことに、新しい視点がもたらされました。
私が私のやり方で課題に没入している時とは違う、胸の中に風が吹くような爽快さを感じました。
私の今の視点や進め方では、この喜ばしい、未来へ繋がる感じに繋がることは難しいと思います。

ですので、私は一旦コースを遡ってやり直すことにしました。
私は、私を幸せにします。
そのための示唆やヒントを、この WORKSHOP で学ばせていただきました。




タイトルはじまり目印

J. O. さん(40代以上/東京都よりご参加) むらさきはななクラス





12週間ありがとうございました。

毎回感じますが、長かったけれど短かったです。
私・・・お疲れ様でした。
皆様、ありがとうございました。

後で後でと追いやってしまうこと・・・。
例えば、このWORKSHOP でも情報量が多かったりするときに・・・今日は、あまり時間が取れないけれど、明日以降で取れるはずだからささ~って読んでまた明日じっくり読もう! としていたのです。

些細なことでも、後で考えよう~とやっていることにやっと気がつくことが出来ました。
恐ろしいです。

Web. WORKSHOP が進むたびに、自分の状況に対しての恐怖感が増えてきていますが、それも燃料にして、自分に嘘つかないように慎重に向き合います。


自分責めは本当になくなってきています。
以前だったら、「どうして私はこんなことも出来ないのか・・・ぐるぐるぐる~」と自分のことを責めまくってしまう状況に遭遇してもかなりの割合でやらなくなりました。


本当に少しずつですが、変化しています。
毎日、今ここの、この時間で自分のことを感じるということが大切だと心に留めて訓練を続けます。

こういう場があって、本当に良かった。出会えてよかった。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。