2014.10月開催 「時間のためのちいさなワークショップ」とけいクラス

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N. O. さん(30代/東京都よりご参加) とけいクラス



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わくわくすることが、まだまだわかってるようなわかってない感じなのかなあと思いました。
自分の好きなことに対する固定観念みたいなのがあるみたいで、いろいろ模索がいりそうだと思いました。

固定観念みたいなのが、少し外れて、自分で決めていた枠以外の場所で遊べることになってわくわくしています。
職業に役立つ範囲での夢しか、自分に許してなかったのかもしれない。
とりあえず、そういうことを抜かして何が自分にとって楽しいのか、追求していきたいと思いました。

一方で、収入はとても大事なので、仕事でしっかりと立てるように、仕事の力は高めていきたいと思いました。
仕事は好きなのですが、やはり、趣味とは違い好きなことだけをやるというわけにはいかなくて、多々勉強も必要で、その勉強をすることを趣味(自分の好きなこと)だと思い込もうとしている部分もあったような気がします。
今回のワークショップ・クラスに出ることで、義務感のない趣味ができて嬉しいです。
趣味を楽しみに、仕事も頑張れそうです。


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洋裁教室の予約と刺繍の通信講座の申し込みをしました。
洋裁は、初心者なので、道のりは長いかもしれませんが、仕事と違って責任はないので楽しめそうです。

手帳は、10~12月の月間予定表と10月の週間予定表を書きました。
計画を立てると、調整できるから、たくさんの事が詰め込みのように入るなあと思いました。
仕事に遊びに、回復に大忙しな感じになっているので、ちょっと、予備日を作ったりなど、まだまだ調整が入りそうですが、今まで、こんなにすんなり三ヶ月分の予定を立てられたのは初めてです。
上手くいかないにしても実践! すこしずつ成長の一年にしようと思っています。

ちょっと進めた自分を褒めつつ、来年もまた、「時間のためのちいさなワークショップ」を受けに行ってるかもしれないなあと思っています。
皆様、ありがとうございました。




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A. Y. さん(30代/東京都よりご参加) とけいクラス



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とけいクラスの皆様お元気ですか?
一週間経った今、あの日のことを思い出すと、ずいぶん前のことのように感じています。
この一週間、私は自分の現実の生活とは別に、自分の中をずっと旅していたような気がしました。

~たいせつな私へ、

あの日、勇気を振り絞って、自分の内側に湧いてきた言葉を外に出せた私は、本当に偉かったね。
その、感じたことをそのまま外に出すことが、自分にとってどれだけ抵抗があって、大変なことか、すごくよくわかるよ!

自分の本当の気持ちが沸きおこった時、それを牽制する瞬間も今回感じ取ることが出来た。
本当の気持ちを感じられているのに、牽制することの方が容易で、自動的にそうしてしまう自分がいることに気づけたね。
そんな自分でも、こうしてその牽制を乗り越えて、外側に、気持ちを出せたことって、本当えらい! よくやったね!~


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このワークショップ・クラスの前の週、私は「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」のワークショップ・クラスを受けました。

そのワークショップ・クラスで、私はたくさんの涙を流しました。
そして今回のワークショップ・クラスでも、たくさんの涙があふれてきました。
感じたのは、明らかに「涙」が違うということ。
こんなにも違いを感じられたのははじめてです。

「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」の涙は、重く、身体全身を使い泣き、どこかデトックスをしている感じ。
「時間のためのちいさなワークショップ」は、「ふわっ!」っと身体の内側からあたたかなものがあふれる感じでした。
「やった!」「よかった!」「気づいてくれた!」そんな言葉をつけたくなるような感覚でした。
この2つのワークショップ・クラスを並べて受けられたことは、私の貴重な経験だったと思っています。


この PAY FORWARD を書いている今日、ワークショップ・クラスで自分と約束をした予定が入っています。
そして、今日実行することは、自分と相談してやめました。
ちゃんと、来週に予備の時間をとっているので、安心してキャンセルすることが出来ました。

前の私なら、一度決めた予定をキャンセルしたり、延期すると、ひどい自己否定で自分をずたずたにしていました。
今回は、選択にお互い納得をし、前よりも自分に寄り添いながら時間を過ごせています。


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ワークショップ・クラスでやった、5億円ゲーム。

私は、去年このワークショップ・クラスを受けたこともあり、「今回も、やるかもしれない」と受ける前から構えていました。
わたし、このゲームをとても怖く感じていました。
それは、自分の本当の気持ちに触れることでもあり、さらにそれを口にするからです。

去年は、「作られた夢」を語ることで切り抜けました。
これまでの私が生きてきた処世術を使ったのです。

今回は、自分に嘘をつくことももうしたくないと感じている自分もいながら、新しい一歩を踏むことをとても怖く感じている自分がいました。
「何を言ったらいいか分からない。」
ワークショップ・クラスを受ける前の私は、そう思っていました。
答えを準備しようとしていました。

ワークショップ・クラスを受けていく中で、優月さんから受けた、「誰にも邪魔されず、静かに自分と向き合えるこうゆう空間はめったにない。」と言った内容の言葉が私を後押ししました。
「そうだよ! 今度この空間と確実に出会える機会と言えば、また来年のこのワークショップ・クラス。年に一度しかないこの機会に、勇気を出さないで終わったら後悔する!」
と思い、「えい!」と飛び込みました。

ほんと、飛び込んでよかった。
その時感じたことを、感じるまま、言葉にしてよかった。
誰も否定する人なんていなかった。

去年一度受けたワークショップ・クラスなのに、全てが「はじめて」のような気がしました。
優月さんのレクチャーも、私が感じたことや経験も。
現に、「はじめて」の体験をしていたんだと思います。


まだまだ自分の過去を癒しきれてない自分に、未来を探るこのワークショップ・クラスは早すぎるという思いがずっとありました。
でも、クラスの中で、「家族問題と今回のワークショップ・クラスは別皿」という説明を聞いて、何かが開けた気がしました。

私の理解では、その言葉は、「夢が叶えられればすべてが変わる。訳ではない。」という「気をつけてね」メッセージだったんだと思っています。
同時にそしてその言葉で、私は、家族問題が解決してないからといって、自分の夢について考えてはいけないことなんてないんだと思ったのです。

そのことをクラスで発表すると、優月さんから「自分に聞いてみて。」「自分が正しいと思ったことが正しい。」といった言葉が返ってきました。
転ぶかもしれないけど、怖がらずに、自分の理解や感じたことを信じて、ちょっとずつ、試してみようと思いました。


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今、私の時間には、すでに小さな変化が起きています。
それは、手帳を開くと、自分が書き込んだ予定が「キラッ!」と光って見えたのです。

そして、それを見て「ムフッ。」と感じる自分がいました。
こんなこと、生まれて初めてのような気がします。
始め「あれ?? これって!?!?」と、嬉しくなり、何度も手帳を開いては閉じてを繰り返し、自分が感じている感触を確認しました。そして、ようやく何が起きているのか、理解できました。

これまで、この「結果」を引き起こそうと、コントロールして予定を書き込み、その予定を「キラッ!」っと見なくては。「ムフッ。」と感じなくては、と自分を力で動かしていました。
あぁ、これってこんなにも自然なことなんだ。と思いました。とても「自分だ」と思いました。


このワークショップ・クラスは、自分のこの1年の成長を確かめられ、その大きな成長ぶりに、大大大感動したひとときでした。
2015年の時間も大切に使って、どんどん歩いてきたいと思います。

とけいクラスのみなさま、優月さん、ワークショップ・クラスを運営してくださっているスタッフの皆様。
この機会が私の時間に訪れたことをとても感謝しています。
ありがとうございました!




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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) とけいクラス



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ワークショップ・クラスからの1週間は、ゆっくりと心がけたつもりでも、日常に流されてびゅんと過ぎ去ってしまいました。
いろんなところに考えがいき、なんだか思いがまとまりません。

私は、Web. WORKSHOP も対面式ワークショップもいくつか受けてきて、自分の現状をしっかり見ているつもりだったけれど、今回の「時間のためのちいさなワークショップ」を受けて、まだ自分にきちんと向き合っていないところがあることに気づきました。
それが、私の手帳にも表れているなと感じました。


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ワークショップ・クラスで気づいたことは、私だけの純粋な時間が、自分で思っていた以上に少ないということ。
少ないことは分かっていたけれど、きちんと計算してみると、本当にこんなにもないんだということに衝撃を受けました。

また私は、手帳に予定を書くのが前日だったので、真っ白なスケジュールを見てたっぷりと時間はあると勘違いしているなあと思いました。

そして、スケジュール帳にあらかじめ線を引いてしまうのは、私にとって斬新なことでした。
毎日同じことを記入するより、線で引いてしまえばいい。そうこれは予定なのだから。そうなんだ、これでいいんだと素直に思えました。


5億円ゲームでは、何度も何度も自分が何をしたいのかを問うていくと、答えはとてもシンプルになりました。
そしてそのあと、それを具体的に形にするとどうなるかというところで、私は何にも出てきませんでした。
こうしたいという想いは、すごく感じているんだけど、それを形にできていない。
因数分解が私にはできていなかったんだと気づきました。

だから毎日の生活に、その想いが反映された予定がないんだ、入れられないんだと思いました。
ワークショップ・クラスのなかで、具体的に形にするところで、まだ自分の気持ちがいまいちつかめなくって、私何にもないよと感じました。
そんなはずないんだけど、でも自分と向き合ってこなかった時間が長すぎて、私何もないよと感じてしまいました。


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私はもっと自分がどんな人間か知りたいと思いました。
また私は、まだまだいい子ちゃんしてると思いました。

それなりの答え、いい答えを出そうとしている、いや自然と出てきてしまうところに自分でも驚きました。
もういいじゃないかいい子はと思いました。

チェアワークでは、気分が悪いような、それでいてふわ~とするような感覚に襲われました。
藤沢さんから力が抜けたからじゃないと言われて、あー私リラックスしているつもりで、力がギュッと入っているんだなと思いました。
その気持ち悪さは、次の日曜日にも現れて、ワークショップ・クラスでボーっとしたい、リラックスしたいと私の中から出てきていたのに、日常に戻ると全然できていなくて、秋祭りの準備に出かけなきゃとか、台風来る前に買い物行っとかなきゃとかしているうちに、気持ち悪さが出てきました。
心と行動が一致していないから、そういう気持ち悪さが出てきたのかなと感じました。

私が私と向き合うこと、思いや気持ちを感じて肯定していくこと、形にしてスケジュールすること、これが私に必要だと思いました。
繰り返し繰り返し訓練ですね。あきらめずにいきたいと思いました。

藤沢さん、クラスのみなさん、当日はご一緒出来ていろんな気付きを得ることが出来ました。ありがとうございました。




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S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) とけいクラス



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「時間のためのちいさなワークショップ」(とけい)から1週間。
いろいろとあった1週間。
いろいろ感じた1週間。
時間にすると、168時間。
その時間のなかで、私はトライしながら過去の自分と向き合っていたね。

とけいクラスまでは、自分で「かなりいい線いっている」と思っていたね。
それは、日々関わる人たちとの間の境界線がはっきりしてきた「気がしていた」から。

うん・・・そう・・・「気がしていた」んだよね。
とけいクラス当日の私は、他人目線に囚われていたよね。


ワークで書きとめた私の「何がしたい?」は、時間と共に、チェアワークの回数と共にどんどん変化していった。
字も変化していった。
どんどん力が抜けて、私の本音が出てきた。
夢というより、生々しい私の叫びが文字になって出てきた。
まるで浅いところから深いところへと、次第に私の中へ入っていった感じがする。

わたしにとって「したいこと」は、いつも後回しだったんだな。
「しなければならないこと」「勉強」「仕事」を済ませてから、手をつけるものだったな。
それは、親や先生から教えられたこと・・・そう思っていた。

わたしにとって「したいこと」は、育ててもらった親の賛成や同意があれば可能になることだとずっと思い込んでもいたんだな。
だから、ワーク中に書きとめた「したいこと」は、無意識に親や世間に認められる範囲だったり、いいねと言ってくれそうなことだったり、過去からの私が頭で無難に考えた範囲内での「したいこと」だった。

優月さんから「頭じゃない」「胸のあたりで」と声をかけられる度に、どんどんわからなくなっていった。
自分では感じていたつもりが、やっぱりあれこれ策をめぐらしていた、頭が判定してしまっていた・・・今ならわかる。

一回目のチェアワークの途中から、目が回りそうだった。
めまいになりそう、このまま目が回ったら私は帰れなくなる・・・そんな不安がわいて怖くて心配でたまらなかった。
「それだけ身体が緩んだってこと」・・・優月さんにそう言われても、過去のデータ(めまいがしそうになり点滴を受けた)が蘇った私。

そして・・・その後身体が緩むと出てくるのは ~感情~。
ふだん抑えている感情。
押さえないと社会で生きていけないと私が思い込んでいる感情。


私はどれだけ自分に「してはいけない」って課しているんだろう。
身体に力が入ってしまうのも、力を入れていないと私自身に「してはいけない」を課すことができないからなんだ。
どれだけ私は自分自身に厳しかったんだろうね。

感じることにもまだまだ制限をかけていた。
「したいこと」にも制限をかけていた。
私は自分に厳しいし、自分にいっぱい「してはいけない」を課しているし、自分のすることにいっぱい制限をつけてる。
このことに気づけた。


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ワークの最後に出てきた「したいこと」。
翌日、私は早速行動してみた。

新しい家の完成見学会に行き、薪ストーブを見せてもらった。
1時間半(90分)のこと。
ワクワクしてあっという間に時間が過ぎていた。

私のなかのわたしが生き生きと喜んでいる、そう感じた。
やってみて・・・えっ!! こんなに簡単だったんだ・・・そうも感じた。


ワーク中に、私はどこかで正解を求めていたよね。
誰かに太鼓判を押してほしい・・・「それでいい」「そういうものよ」って言ってもらえたらどんなに楽か・・・と思っていたからだね。
怖かったんだよね。

「したいこと」をして、上手くいかなかったら・・・失敗しちゃったら・・・。
不安で心配だったから、「したいこと」より「しなければならないこと」に取り組んでばかりだったんだね。
ずっと、逃げていたんだね・・・私。
私自身の~感情~からも、「したいこと」からも、逃げまくっていたね。

「夢」をかなえるの「夢」には、いつも他人から見ての目線だった私。
一刻も早く、それらしい形のある「夢」にしたかった私。

今はまだ「したいこと」をちょびっとずつ感じはじめたところ。
私の ~感情~ を、感じはじめたところ。
感じて、書きとめて、やってみる。
現実の生活の中で、私の貴重な時間の中で、やってみて、感じて、書きとめる。
コツコツやっていこう。

今、こう思えているのは、とけいクラスに行くことを決めて、行った私がいるから。
優月さんをはじめとけいクラスで共に取り組んだみなさんとの時間があったから。
わたし自身との出会い、仲間との出会いに感謝!
ありがとうございます、みなさん!!
ありがとう、わたし!!!




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K. E. さん(20代/東京都よりご参加) とけいクラス



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藤沢さん、「時間のためのちいさなワークショップ」とけいクラスのみなさま

こんにちは。

きのうは、ありがとうございました。
正直、午前中は、ワークショップ・クラスに集中できていませんでした。
こころを開く、ということもよくわからなかったし、みなさまのお顔を見るのがなんかこわくて、見られませんでした。
・・・ご参加のみなさま、ごめんなさい!
藤沢さんにガツンといっていただいてからやっと参加することができました。
みなさまの時間をすみません。

最終的に、わたしの課題は
◎発達障害のサポートをきちんと、専門機関で受けること
◎家族問題、共依存からの回復について、上記の特性も踏まえたうえで
 適切な専門機関でサポートを受け、取り組むこと
の2点、をまずご指摘いただきました。
 
わたしは、過去にも ONSA WORKSHOP を受けているのですが、いくつか受けたあと Web. WORKSHOP を受けたところで、しんどくなって、やめてしまいました。

なぜ、やめたんだろう。
そして、なぜまた来たいと思ったんだろう?

たぶん、ちゃんと終わりにしてなかったことは、わかっていたんだと思う。
でも、終わりと思いたかったし、「あがり」にしたかったんだと思う。

共依存についてくわしく学びはじめたら、あまりにこわくて、逃げたのかもしれないな。
いっぽう、ウェブ上のみなさんの投稿の意味がわからない、と感じることも増えていたな。

そうおもって、過去の投稿を見直してみました。
わたし、調子に乗っているな・・・。
とても恥ずかしい気持ちになりました。
最後の対面式ワークショップで「初心にかえって」と指摘いただいたのですが・・・。

もし、共依存からきちんと回復すること、発達障害に向き合うことを優先して、冷静に、冷静にかんがえたら・・・転職しなかったのかな。

でも、そのことをきっかけにはじまったことや、人生がらくになった面も大きいしな。
冷静に考えても、転職はしたとおもう。

その後、自分に合う、対面で社会復帰の訓練をするセンターや、カウンセラーの人をきちんと探せばよかったんだろう。
でも、そこまで。


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あとは・・・
帰宅して、いろいろ考えていて、そういえばわたし、かつて ONSA WORKSHOP に参加したとき、いつも、藤沢さんや、みなさんのことばが(日本語として理解はできるんだけど)わからないから、あらかじめ調整してからいっていたんだと気づきました。

わたしにとっては、ばらばらな三つのこと(総合的には1つのことなのですが、その三つを詳細に説明し終わってから、1つにまとまるイメージ)は、藤沢さんのことばでは、総合した1つのものとなるので、あらかじめ、「わたしにとっては別々と感じられるけど、これは同じ問題だよ」というのを知識で理解してから参加するというか・・・。

ONSA ホームページで書かれていた「『機能不全家族』問題を抱える、いわゆる『発達障害』者について」の記事の「発達障害の方専用には、できていない」という意味が少しわかりました。(参加する前は、わかりませんでした。)

知り合いに対してもそうで、しょっちゅう連絡をとっている数人は別として、日付をあけてから友だちに会うと、その人のいっていることがよくわからなくなります。

SNS があるようになってから、その人の日記を全部読み直したり、基本的には、聞き手になることで、なんとか調整していったりしていたのですが・・・、これが、自己流の対処法なんですね。
そういう「わからなさ」がふつうではない、ということ自体がわからないので、自己流といっていただけて、よかったです。


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それから、「焦って『できた』と思って、課題を飛ばすと、結局人生がひどいことになって戻ってくることになる。そうなる前に、はやく気づいてほしい」といっていただいたけんについて。
 
ONSA にきていない間に、そういえば、ひどいことになりそうだったことが1回ありました。
最終的には、周りの方に助けていただいてなんとかなった、ということだったのですが、その原因は、「発達障害を甘く見ていた」ということでした。
 
まず、発達障害のセンターには予約をするとして。

それから共依存のこと。
実家と連絡をとったときに「この人ら、なんなんだろう」とか、健康な家庭の話を聞いて、「やっぱりおかしい」と思っていて、 意識的に距離は離していた。

ただ、じゃあ、自分が自立できているか? というと、そうではないんだろうな。
わーーー、っていわれたときに、冷静に NO がいえないことが実際あったので。
 
参加したとき、「手帳が真っ白なときと、書き込みが多いときがある」と書きました。
家族べったり、じゃなくなったぶん、仕事に依存する、仕事しているわたしに依存する、ようになっていたのかも。

仕事上の「Kさん(自分)」は、限りなく自分に近いけど、別の存在。
なぜワークショップ・クラスで「自分のために日記を書きたい」といったか、仕事のための(人に見せる用の)自分ばっかり強化してきたからかな・・・。
そして、その自分と、自分だけの自分が似ていて違うから、ややこしすぎてわかんなくなったかな・・・。

正直なところ・・・
たぶん、ONSA に参加しなくなった原因として、仕事のルールと、ONSA のルールが違うこと、でわからなくなった、というのもありました。

前の仕事は、思想性が全然ないところだったので、よかったのですが、自分の中に、同じトピックでいくつかルールがあることの意味がよくわからなくなってしまって。
「全か無か思考」ですね。うーん。


それから・・・
また、今日みつけたやりたいことで「家」がキーワードになっていた理由も考えました。
いくつかあります。

まずは、実家との問題を、精神的にもっと切り離したいこと。

次は、はじめて人と暮らしていて、自分が、ルールのすり合わせが下手だということに気づいたこと。
「家にずっといる人になれれば、家のことはまかせてもらえるはず」という思い込みがありました。
(そう思い込んでしまうのが、共依存にプラスして、自分の発達障害による思い込みの強さが加速させているのだとおもいます。)

あとは、誰にも合わせなくていい自分の言葉の世界をたのしみたい。
多数派の考えがわからないとわかると、感情としてはとってもかなしいし、さみしい気持ちになります。
怒りが出てくることもある。

「Aという解釈が世の中のルールとして、Bという解釈は、消えてしまうの?」
「わたしが感じた感じ方は、記憶しないとなくなっちゃうし、自分しか記録できない。」
だから日記は続いています。

それから・・・
わたしの場合は、あまり書くことで感情が表現できないので、直接人と話すのが、いいかもしれない。
カウンセラーの方を探してみようか。

・・・ここまで書いて、一週間たちました。
まだやっぱり「わからない」という感覚が強いです。
このまま、わからないまま、課題を続けようとおもいます。
 
ご一緒してくださったみなさま、そして藤沢さん、
ありがとうございました。



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C. H. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) とけいクラス



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『夢かな手帳』を使い始めてから2年目、去年よりは使えてると思うけれど、まだまだ使いこなせていない、このタイミングで、「時間のためのちいさなワークショップ」を受けることにしました。

今までの私の時間は、張り切っていっぱい詰め込んで、どんどんこなしていく時と、まったくやる気がなくてダラダラしてしまう時の両極端で、リラクックスして集中というのが理想なのに、私には難しいみたいです。

手帳にやるべきことや、やりたいことを書いて、出来たらチェックして。でも気が付くと、いつの間にかそれがゲームのようになってしまって、赤い丸がいっぱいつくとヤッター! って、そういうことじゃないのに。
手段の目的化っていうのかな。
それもよく見ると、やるべきことばっかりで、やりたいことがなかったりでした。

だからワークショップ・クラスでは、手帳の使い方を手取り足取り教えてくれるんじゃないか、教えてほしいなという漠然とした期待を持っての参加でした。


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実際に参加してみると、確かに手取り足取りだけど、想像していたのとは全く違う手取り足取りでした。
ワーク中は作業をするのに手いっぱいで、今自分が何をしているのか全く分からず、流れについていけていませんでした。
後から振り返ると、当日の参加者は2度目の方が多かったので、初回の私が付いていけなかったのは当然だと思えるのですが。

5億円ゲームをやった時も、初めは5億円という数字に囚われて、変に現実的になってしまいました。
その後も、頭で考えない、心で感じる、ということが頭でっかちの私には難しく、それだけ別に訓練してくれないかな、と思ったくらいでした。
藤沢さんに手伝ってもらって、やっと絞り出すことが出来ましたが、一人だったら到底できなかったと思います。

つくづく、自分からっぽなんだな、と改めて思いました。
からっぽの中から無理やり絞り出すんだから、それは疲れるに決まってます。

そしてワークショップ・クラスから帰ってからは、今までにないくらい落ち込みました。
多分、しゃべりすぎた後の自己嫌悪、みたいな感じだったと思います。

と言っても、自分を出し切った、と言うには程遠く、むしろ出すのが大変だった、なかなか出し切れなかった、というのが正直なところです。

そう言えばプレワークの時から書くのがしんどくて、何度も止まってしまっていました。
自分のことを人に話すのは苦手な人だとは分かっていたけど、まさか、自分に対して言うことすらできない人だったなんて。


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それから少し落ち着いて、ゆっくりと考えながら、ワークショップ・クラスで教わった通り手帳に線を引いたり、アフターワークを実行するための準備の時間をとって、ネットで調べものをしたり。
その時間の中で、ワークショップ・クラスで起こったことが、自分の中で少しずつ立ち上がっていくように感じました。

あの場でやったことは、すべて本で読んでいて、知っていたことでした。
手帳に線を引くのも以前にやったことがあったし。(あんなにたくさんではなかったけど。)

だけど知識と体験では全く違います。
ワークショップ・クラスの場で実際に手を動かして、そしてその後も手帳と向き合って、体験したことで、「あ、こういう風にやるのね。」と頭でなく、体で理解した感じです。

手帳のワークと夢のワークも結び付いていませんでした。
ワークショップ・クラスの時は、その二つが別々に感じられて、二つの違うワークをしていると思っていましたが、今は、その二つが有機的につながっているのが分かります。


「夢を実現する」とか、「夢を生きる」って、夢じゃなくて現実なんだなって、変な言い方ですけど。

一緒にワークショップ・クラスを受けたクラスの皆さんに、助けられた面も大きいです。
人数が少なかったこと、経験者の方が多かったこともあって、中身が濃い時間だったと思います。

誰もが道の途中で、昨日より今日と、一歩ずつ先に進んでいるんだな、と思うと何だか心強かったです。
みんなの夢がかないますように、祈っています。

終わった後、大急ぎで電車に飛び乗ったので、あまりお話が出来なかったのが残念です。
もっと、いろいろお聞きしたかったです。

藤沢さん、クラスの皆さん、ありがとうございました。




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H. W. さん(10代/宮崎県よりご参加) とけいクラス



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PAY FORWARD を出そうかどうか迷っていたんですけれど、出すことにしました。
提出期限から大幅に遅れてすみません…。

学んだことは、時間って、こうやってガタガタ崩れていくのね…ってことでした。

あと私、私のために、お金は湧いて降ってくるって、本気で思っています。
違うんですね。

私、ワークショップ・クラスをなめていました。
そんなつもりなかったけれど、どこか遊び半分でした。
「東京行ける~、ワークショップ行ける~」って、どこか旅行気分でした。
自分が恥ずかしいです…。

いちどにひとつずつ。を、守って、ゆっくりゆっくり焦らないで、粘り強くいくことにします。
次からは気を付けます…。ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。