2012.10月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」まーがれっとクラス

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S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) まーがれっとクラス





参加者のみなさん、お元気ですか?

ワークショップ・クラスの日から3日が過ぎました。
私は、自分の中の小さな私を感じています。
そして、私が小さな私とつながっていると、物事がスムーズになっていくような気がしています。

ワークショップ・クラスの1週間前から、胸からお腹のあたりがチクチクして、泣きたくなることがよくありました。
当日も、東京に近づくにつれ、泣きそうになっている自分を感じました。

ワーク開始早々、優月さんが
「責任者は私です。だから、自分のことにしっかり取り組んで!」
と言われた瞬間、涙がこぼれました。
思えば、こんな風に「責任は私がとるから、思い切って自分の思うとおりにやってごらん!」なんて言われたことがなかったのです。

私は、学童前期からずっと家族や親戚に「任せる・頼むね・よろしく」と言われて大きくなってきました。
私の肩に長年、いろいろなものがのせられてきたことに気づくことができました。

前回(学童期まで)の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では、自分でも自覚していない悲しみや辛さが身体の中から湧いてくる感じで、私自身ビックリしていました。
こんなにたくさんの悲しみが自分の中にあると分かり、愕然としました。


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今回のワークショップ・クラスでは、悲しみや辛さを感じながらも、どこか落ち着いた自分を感じました。
それ故、前回との違いに戸惑いを感じました。
でもその違いは、大人の私がしっかり存在しているからだと、後になってわかりました。
大人の私が、小さなわたしを迎えに来たのだと実感できました。

ペアになった方からは、大きな気づきをいただきました。
沈黙の後、やっと口にした短い一言が、ズーンと私の心に響きました。
私は今まで、自分のことを「わかってもらいたくて、わかって欲しくて」状況を細かく説明する傾向が強かったです。
でも、短い言葉でも気持ちは十分伝わるということがわかりました。

見捨てられ感がいっぱいで、「ここに居る」と感じられなかった私。
小さいときから今まで、「ここに居ていい」と感じられなかった私。
その訳がわかった気がします。
ワークショップ・クラスに行かなければ、ずっと迷子のままでした。

迷子の私を、大人の私が救いに行きました。
今、やっと自分を取り戻すことができた気がしています。

あの日、あの場所でみなさんと共に、自分自身に向き合えた自分を誇りに思います。


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前期にペアを組んでくださったYさんをはじめ、参加者のみなさん。
一足先に会場を出る私に、笑顔で手を振って見送ってくださり、とてもうれしかったです。

参加者のみなさまの幸せを祈っています。

最後になりましたが、今回も全力で私たちが一歩を踏み出す後押しをしてくださった優月さん。
そっとティッシュを差し出してくださったスタッフの方。
本当にお世話になりました。
感謝の思いをいっぱい込めて「ありがとうございます!」



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F. K.さん(30代/千葉県よりご参加) まーがれっとクラス





「うわぁー、ついに、ついに見てみぬふりしてきたこと、本を読んで、もしかしたら……当てはまる……?」
と思ってきたことが、実感として得られた時間でした。
本を読んだときには、疑いが隠せなかった。
しかし、私の感じたことを大事にすると……やっぱりパズルのピースがちょうどいい具合に、カチッとはまってしまう。
今は、ショックというよりも、「やっぱり、そうだったんだー納得。」という気持ちのほうが強い。

私は、母との関係のみが問題だったとずっと思っていました。
実際、ONSA WORKSHOP に参加を決めた頃は、母子一体の感覚が私の人生を阻害している……と思っていました。
今回、帰宅後、アフターワークに取り組む中で、母以外の家族全員との関係にも問題があったことを発見しました。

家族の中で、私は「私である」という存在は否定され、家族のメンバーの誰かのための、その要望によって私という人格を演じ分けなければならなくなっていました。
私の意見や感情は無視され、両親、それぞれの価値観に従って生きていくことを強要されていました。

私は、その思いをずっと否定し続けていました。
しかし、9月の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」でそこを打破しなければ、次に進めないと指摘され、私の正直な感情を大事にしたら、憑き物が取れたように、とても楽になれました。
なので、今回そのような下地があったので、集中して、真剣に自分の感情とつながろうと必死でした。


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「学童前期」の頃に何かあったのかなぁ~?
なんともいえないほど、体調が悪かった。
瞑想したとき、よくわからない、なんか嫌ぁ~な感じがわいてきて、いたたまれなった。

「学童期」は、嫌なことがたくさんあったから、いっぱい出てくるかと思っていたけど。
「客観的事実ではなく、感情を言うのよ~」……ということで、感情を言い出したら、身体に異変があって驚いた。

私は、今回も全然、泣けなくて、それだけ、私は、感情と自分とを切り離していると、言われて、納得した。
「学童前期」頃に、あった出来事を通して、私は、私の人生をあきらめたように思う。
「あぁ、わたし、大事じゃないんだ……」
「わたしの意志なんて取るに足らないんだ……」
と次々とあきらめていった、そんな時期だったように思う。
あぁ、この時期から、私は私の人生を自分の足で歩くのを止めたんだね。
「もう、この人(母)には、力ではかなわない。しかたがない、この人の言うとおりにするしかない」
そんな覚悟を決めたのが「学童前期」だったのかもしれない。

この「学童前期」の前段階である「前期日程」の「乳児期」「歩行期」ともこの問題はつながっているようにも思いました。
「前期日程」の中で、私は、インナーチャイルドが、存在を肯定してもらっていなくて、寂しい思いをしていたことを知りました。
わたしの存在は、この「学童前期」でわたしを認めてもらう方法を、母とのコミュニケーションの中で、わたし自身を消し去ることと学んでしまったのだと思います。


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「学童期」である小学生の頃にはすでに、「実体としてこの世にいる感覚がないな~」と感じることのほうが多かった。
学校で学んだり、ともだちと遊んだりといったことに、真剣に取り組むことがなかったなー。
それに、クラスメイトに私の感情のことについて言われたときに、「あぁ、そうね、わたし、どこかに感情を捨ててきたよ……」って心の中で呟いたこともあった。
学校の課題にはまじめに取り組んではいたけど、それ以下でも、それ以上でもなく、ただ、義務だけでやっていたところがあったから、
通知表にも、向上心に欠けるとかって書かれていた。そーいや、積極的に生きてこなかったなー、とあらためて振り返ると思う。

1年前に参加した「時間のためのちいさなワークショップ」で、私には、私の身体が存在するんだ……という発見があって、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」では、私には、わたしという境界線があることをはじめて体感しました。
今回、「インナーチャイルド・ワークショップ」を受けて、その理由がはっきりと分かりました。

わたしは、1年前の「境界線(バウンダリー)ワークショップ」の『人生脚本』のコースや、「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」を通して、「インナーチャイルド」に問題があることがわかってから、おすすめの本を読んで、ひとりでインナーチャイルド・ワークを自宅でやったりしたりもした。
インナーチャイルドとつながれたけど、やはり、わたしひとりでやることには、限界を感じた。
カウンセリングに行っても、結局、客観的事実を淡々と話すだけになってしまって、なかなか、「わぁあああ……」となるほどの感情とはつながれなくて、
9月と10月の「インナーチャイルド・ワークショップ」は、待ちに待っていたものでした。

参加してよかった、と思っています。
それは、しっかりと洗い流されるから。
ほかの参加者の皆さんの様子に触発されるから。


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わたしは、ワークショップ・クラスの会場の近くに住んでいますが、クラス当日は、直帰せずに、ホテルを取りました。
それは、やはり、せっかく、ワークショップで体感としてしっかりと得られたことを、そのまま自宅に持って帰ってしまうと、家族と住んでいるので、また、家族に吸い寄せられてしまいそうだったからです。
家族と物理的に距離を置いて、わたしという考えの中にいたかったから。
まぁ、それだけではなくて、クレンジング・リアクションで、体力的にも自宅にたどり着くには、どうも無理っぽい、というのがあり、実際、そうだったりしました。

私が、はじめて ONSA WORKSHOP に参加した頃、わたしは、職場の人間関係で体調が悪くなって仕事を辞めて、うつうつと過ごしていました。
ワークショップ・クラス会場までは、自宅から片道約2時間半程度。
それ以前の私であれば、大丈夫な移動距離と移動時間でした。
しかし、この頃には長距離に感じられ、加えて、人に会うことに抵抗がありました。
10人程度の参加者さんたちと一体になったとも感じられなかったし、逆に孤独感だけが募っていました。
でも、今回は違いました。
クラスの人たちと一緒にワークショップをやっているんだなぁ……と思えました。


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小さい頃から、存在を肯定されなくて、私の意見は呑み込まれて、ないものとされ、親戚の集まりでは居場所がなく、家族だけがよりどころなんだけど、その一方で家族の中にいても居心地が悪くて、いつも孤独感でいっぱいでした。

だから、2011年に参加した頃は、今振り返ると、心はひらけていなかったし、裁きまくっていたし、なによりも、秘密を知ったら笑われるんじゃないか? と思って、心の奥底にひっそりと存在する秘密を話すことには抵抗があって、ここまでなら大丈夫というラインまでのことしか話せなかった。

だけど、今回は、前回の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」で、その心をひらけないラインをスパッと優月さんに切り込まれてから、「どぷぅわ~~~」と涙とともに吐き出しても、ここでは大丈夫だってわかったから、クラスのみんなの優しく温かいまなざしを感じたから、
「あぁ、ここは今までかかわった人たちとは違うんだなー」
と体感できたからだと思います。

なので、今回は、最初っから思いっきり吐き出せました。
今回ペアになって頂いた方には感謝です。
また、真剣に取り組めば取り組んだだけ、自分に返ってきたので、本当に嬉しいです。


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今、ようやく、スタートラインに立ったのだと思います。
今までは、ワークショップに参加する度に、これから先のことばかり、考えてしまっていて、「今」にいることができていませんでした。

ONSA WORKSHOP に参加したあと、私にはできなかったライン
(= 今までの私の人生の中で関わった人々に言われ続けてきた、これができて当たり前という地平線)
に立てると思っていました。
だけど、数々のワークショップを通して見えてきた景色は、違うものでした。

これから、どんな景色に出会うのかわかりませんが、「今、ここ」での「私の感情」を大事にして、ゆっくりと私のペースで思慮し、選択をし、行動してゆけたらと思っています。
どんな自分に出会えるのか、こわいところもありますが、少し楽しみになってきました。

これから、ゆっくりとアフターワークに取り組んで、このワークショップを完結させたいと思います。
しかし、私にも感情というものがあるんだ、と実感した今は、「感情ワークショップ」に参加してみたいかなーと思い始めてしまったりしています。


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今回、ご一緒させていただきましたクラスのみなさま、大変ありがとうございました。
彼女たちのコメントや質問も、とても勉強になりました。
私のコメントにも反応があったりして、本当にワークショップは生もので、クラスのみんなで作り上げてゆくものなんだなーと実感しました。

スタッフの方、何度も中座して面倒をお掛けしました。
ありがとうございました。

優月さん、このようなワークショップを開催して頂きありがとうございました。
また、機会がありましたら、そのときはよろしくお願いいたします。



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M. K. さん(30代/神奈川県よりご参加) まーがれっとクラス





藤沢さん、仲間のみなさまこんにちは。
お元気ですか?

私は、ワークショップ史上最大級のクレンジング・リアクションがきました。
腰痛・頭痛・肩こり・首こり・全身の倦怠感・強烈な眠気。
毎日の予定を這うようにこなし、可能な限り休む時間を作りながら、身体と心をいたわることの大切さを感じました。


私の学童期(6~13歳)のチャイルドは、全身に「あきらめ」をまとっていました。
どんなに優しい言葉をかけても、話を聞き出そうとしても、一向に心を開かない。
その頃の私がどう感じていたかを話そうとしても、出てくるのは状況説明ばかりで、頭の中は真っ白。
感情といえる言葉がひとつも見つかりませんでした。

「感情につながれていない」

指摘されたこの言葉の意味が、私にはよくわかりませんでした。
数々のワークショップや TAT を受け、窒息しそうな日々から変わってきている私。
自分の心の声を聞いたり、怒りも涙も喜びも前より素直に出るようになってきた。
それなのに、大切な「感情」につながれてないって……。

ふりだしに戻る。

そんな言葉がうかんで、
「結局ここに戻るの? 何度も同じとこ! ダメじゃん!!」
と自分を責めるセルフトークが始まりましたが、しばらくすると
「……ん? 癒すのはここか?」
と。
あぁ、ここに居たのか。
癒すべき場所を、やっと自覚できたように思います。


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私のチャイルドは、なかなか私を信用してくれません。
一切の大人を信用したくないそうです。
きっと、たくさん傷ついたんでしょう。
子供らしさを奪われて、たくさんあきらめたんでしょう。
「どうして? なんで? なんでなの!?」
こっちを見ないで、ずっと自分と他人を責め続けています。
時間がかかりそうですが、ワークショップで分けていただいた知識で、あきらめないでやってみます。

一転、学童前期(3~6歳)のチャイルドは「超ストロングガール」でした。
自分のことに夢中で、とても楽しそう。
約束なんてしなくても、また会えるし、味方でいるってわかってる。
絶対的な安心感に包まれていました。
私がポロっと愚痴でも言おうものなら「なんで? 大丈夫だよ~」と、逆に励まされるパワーがありました。
子供は光の存在だって思いました。


インナーチャイルド、私にとってこれは大仕事です。
でもやる価値はある、そう感じます。

ワークショップに参加できてよかったです。
貴重な時間をご一緒させていただいて感謝です。
ありがとうございました。



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S. K. さん(20代/神奈川県よりご参加) まーがれっとクラス





まーがれっとクラスの皆さん、いかがお過ごしですか?
わたしは、まだクレンジング・リアクションが残る中で、この PAY FORWARD を書いています。
週の最初は、感情があふれる状態を味わいました。
涙目で仕事をし、帰ってから自分の部屋で、自分の感情や、家族のことを思い返したら、しばらく涙が止まりませんでした。

わたしは、このワークショップ内で、家族と結婚、もしくは、精神的近親相姦の状態かもしれないと思いました。
「精神的近親相姦」という言葉は、優月さんのお話で初めて聴きました。
聴いた瞬間に、わたしの中の心がざわつき、感情が動きました。

ペアを組んでの話では、母に対して、してもらいたかったことが大半を占めていました。
それは、「話を聞いてもらいたかった」。
小さいときのわたしは、泣くことも多く、母からは、
「泣いていたって分からないから、ちゃんと話をしなさい。」
とよく言われていました。
話をすると、感情があふれて泣いてしまうし、泣くと話ができなくなってしまう。
年齢を重ねるにつれて、泣くという回数が少なくなって、それが自然のように思っていたけれど、抑えていたのではないかと思います。


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泣いていた子供のわたしを、「そうだね。」と優しく包み込んで欲しかった。
それが叶わなかった事が、すごく悲しくて、家で泣きました。

わたしは、言いたいことが、言えずにずっと苦しくて、怖かった。
小さいわたしは、大人のわたしにやっと、その事を打ち明けられました。
これから、「そうだね。」と言うのは、母ではなく、わたしなんだ。
そう、思いました。


前期、後期ともに参加しましたが、より深くわたしを思い出すことができました。
夕ご飯から戻るとき、暗くて、寒くて、雨が降っていて、いつもなら特に何も感じることはなかった道。
でも、この時は、なんだか心細かったです。
明日館の明かりと、中に入った時の「おかえりなさい」と、暖かさにほっとしました。
皆さんの顔も、何だか優しくて、嬉しかったです。

そして、わたしとペアを組んでくださった方、ありがとうございました。
集まってくる方の傾向が似ているように、ペアの中でも共感の部分が似ているというのが不思議で、ありがたかったです。



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H. K. さん(20代/岐阜県よりご参加) まーがれっとクラス





あっという間に、ワークショップ・クラスの参加から一週間が経とうとしています。

前期のクラスの後、家を出て一人暮らしを始めました。
心の嵐は激しかったですが、ここ数年足踏みを続けてできなかったことができて、今は穏やかな気分でいられる日が増えました。
自分は自分のためにいていいと知ることができました。
改めて、ありがとうございました。


後期は学童期と思春期を扱われましたが、前期と比べたら記憶がはっきりしているので、向き合うことが不安でした。

私は、子どもの自分を愛おしく思えませんでした。
はじめ、その子は無表情で何も言いませんでした。
おそらく実際には感情があったけれど、出せなかったんだと思いました。

私は過去を忘れたくて、全部を捨て去ろうと意識してきました。
ずっとそう思いこんで、やり過ごしてきました。
だからかと思いますが、私は前期のクラスも今回も、心を開くことの意味が分かっていませんでした。
まだ人を、自分を心から信じたり許したりできずにいたんだと思います。

でも、今回泣き続けて過去を悼むことができて、少しは前進したかな、と思いました。
藤沢さんとパートナーの方のおかげです。


他人を尊重しつつ、自分も尊重する。
私の中にはなかった世界です。
そうなりたいです。

すごく不安でまだ怖いけれど、元の自分に戻ってしまいそうな自分を救い上げながら、過ごしていきたいです。



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A. N. さん(30代/千葉県よりご参加) まーがれっとクラス





こんにちは。
あまりまとまっていないかも知れませんが、ありのままの感想を書こうと思います。

私は前期の「インナーチャイルド・ワークショップ」から続けて参加しました。
「インナーチャイルド・ワークショップ」の内容が Web. に上がった時、これはセットで参加した方が良いのではないかと思ったからです。
前期も後期もやる事はあまり変わらなかったのですが、心境の変化は全く違いました。

私の場合、前期を終えたときのクレンジング・リアクションが長く続き、(前期の)アフターワークを提出するまで不安がとても強かったです。
後期は、ワークショップ・クラス当日にもう一つ予定が入っていたこともあり、2つとも無事にこなせるだろうかという不安から、前夜に殆ど眠れず、コンディションが悪いまま参加することになりました。
調子が悪いと何かとネガティブに考えてしまい、ワークショップを楽しむことが出来ませんでした。
しかし翌日になると不安はいつの間にか消え去り、電車の中から見える穏やかな街の風景を見て、いつも通りの生活が送れることに、ただただ感謝したい気持ちで一杯になりました。
(どうしていきなりそんな穏やかな心境になったのかは謎なのですが(苦笑))

帰ってから数日経って思うことは、私の中では「インナーチャイルド・ワーク全体が一つの大きな流れになって、変化の時を経て定着し始めたのではないか」と。
後期のワークショップ・クラス以来、前期の時にあれほど仲良くするのが難しかったインナーチャイルドが、とても落ち着いているのです。
居場所をやっと見つけられたと安心しているかのようです。
私自身も、「いい子にならなくていいよ。一緒に泣いて、一緒に悩もう」と呼びかける余裕が出てきました。
これからも、二人で共に歩いていきます。


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優月さん、スタッフの方、ワークショップ・クラスでご一緒した皆さん、本当にありがとうございました。
ペアを組んでくださった方の、元気で前向きな姿勢を見て、私も頑張ろうと思いました。
ご縁を戴いたこと、とても感謝しています。

最後に、「インナーチャイルド・ワークショップ」への参加を検討されている方へ。
(ご都合が宜しければ、)前後期共に参加されると、また違った体験が出来るかも知れません。
心配事に、徹底的に取り組みたい方にはオススメですよ。



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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) まーがれっとクラス





優月さん、サポートスタッフさん、まーがれっとクラスの皆さま、素敵な時間をありがとうございました。
おかげさまで、今回もとても多くの気づきと恵みをいただきました。

子どもの頃の自分に起こったこと。
正しい知識とともにそれを振り返り、何が誤解で何が大切だったのか。
過去と、今の私に必要なものは何だったのか。
いろんなことを沢山感じたワークショップ・クラスでした。

クラス中も「今回は特に情報量が多い」と思いながら
整理するのは後にして、とにかく感じとることに集中して参加していました。

その中でも特に心に残ったのは、学童前期のレクチャーでした。
その時期に学ぶこと、そして起こりうる問題について聞いていたとき
「私はここが一つの転換期だったんじゃないか」
と思いました。
この時に受けた傷やショック、その痛みから身を守るために作ったルール(思い込み)が
私のその後と、今に大きく影響しているのではないかと。

その後、休憩時間に優月さんにそのことを聞いて
あぁ、やっぱりそうだったんだ、と思いました。


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そして、これは個人的なことになりますが
「あなたに起こったことは、決して浅くないと私は思っています」と
優月さんがおっしゃってくださった時
私はどこか、安堵を感じました。

私は今年、複数の WORKSHOP に参加させていただきましたが
きっと、受け始めた最初の頃にこの言葉を聞いていたら
ショックで悲しんでいただろうと思います。

けれど、このタイミングでこの言葉を聞いて
「そうか、それだけショックなことを経験したんだ。
だから、そこから抜け出すのにも、ある程度の時間が必要なんだ」
と受けとめることができ、安心したんです。

どこか、うまくいかない自分。
それを自分の能力不足、努力不足と自分を責めて、嘆いて、絶望していたけれど
本当は、癒されないまま放置された心の傷が原因だった。
無防備な子ども時代に受けたショックと、助けて欲しいという自分からの SOS。
それを無視して、押し込んで、前に進もうとしても、うまくいかないんだ。

そのことに気づけて、ヘンな言い方かもしれませんが、今の自分を肯定できました。
だから、安心したんだと思います。
これは、これまでの WORKSHOP で、たくさんの知識と気づきを受け取っていたおかげだと思います。

ケアのためにできることを、具体的に教えてくださったこともとても嬉しかったです。
自分の心と相談しながら、やっていきたいと思っています。

クラスのワークでは、やっぱり自分の気持ちを言うのは難しい……と感じつつ
「けど、それだけやってこなかったんだよ。そのことに気づけて良かった」
と思いました。
だから、まだまだ自分の気持ちを言うのに不慣れでも
今の自分のレベルで、十分合格点をあげたいです。


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そしてクラス後の1週間。
仕事で慌ただしい日々を送り、ゆっくり心の整理をすることができませんでした。
昨日、ようやく一段落し、読みたかった心理学の本を読みました。
読み進めるうちに、私の心の声が聞こえてきました。

本当はこうしてほしかった。
こんなことをされて、すごく辛かった。
その痛みや辛さを、誰にも言えなくて、悲しかった。

それをただ感じて、そしてただ泣きました。
久しぶりに泣けた、と嬉しくもありました。
(一時、悲しいのに泣くこともできない時期が続いていたので。)

私は、苦しみを癒す前に
まず、ただ、その苦しみや悲しみを感じたかった。
それを自分に許したかったんだと、ようやく気づけました。
それが、今の私が最初にしたかったことだったんです。

ずっと、この苦しみや悲しみから逃れたくて
なにか素敵そうなことや自分らしい生き方をしなくちゃ、
早くそういうものを見つけなきゃ、と焦っていました。
けどそれは結局、自己否定から生まれたもの。
焦る割に、全然前に進めなかった理由も、ようやくわかりました。

自分の苦しみを、ただ苦しみのままで受け入れられるようになること。
これがきっと、悼むこと。私が自分を取り戻す最初の一歩です。

そして、本当に私はひとりぼっちだったんだなと、思うことができました。
1人で頑張ってきたけど、1人で頑張りきることではなかった。
まだまだ、頑固な頑張りグセで反応してしまうところはあるけれど
少しずつでも、思い込みを変えて、自分にやさしい生き方にしていきたい。


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これから、少し時間をかけて、
これまでの WORKSHOP で優月さんに教えていただいたこと。
これまでの自分の「じかんのきろく」。
心理学の正しい知識。
それらを振り返り、結びつけ、深めていきたいです。
自分のために、幸せのために、「使える」ようになりたいです。

最後に、私が自分を癒すことについて
「逃げなんじゃないか」という迷いを打ち明けたとき
「大切なのは、幸せになることですよ」と優月さんがおっしゃってくださったこと。
すごく胸に沁みました。
一生大切にします。

優月さん、今回もパワフルで深くて、温かくて明るい!素敵な変容の時間をありがとうございました。
サポートスタッフさん、穏やかな強さと優しさで、場を守ってくださってありがとうございました。
おかげさまで、安心して心を開いてクラスに参加できました。
まーがれっとクラスの皆さん、あたたかで安全な場を作ってくださりありがとうございます。
以前のクラスでご一緒した方とも再会できて、嬉しかったです。
お一人お一人の、笑顔も涙も、とてもきれいで大好きです。

本当にありがとうございました。



タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/東京都よりご参加) まーがれっとクラス





「このクラスに参加したい。でもこわい……」

自分に必要なワークだと感じながらも、あと一歩自分と向き合う勇気を持てず、ギリギリまで悩んで申し込んだクラスでした。

でも、届いたプレワークを開いて読みだしたとたんに、涙がどっとあふれて止まりませんでした。
やっぱり、私はこの子と向き合う必要がある。
私の中のインナーチャイルドは、「やっとこっちを見てくれたね」と嬉し泣きのようでした。

それにしても、ワークショップに何度も参加して思うことは、頭で理解することと、体感してこころで感じることは全く別物だ、ということです。
こころで感じるって、本当に大切ですね。
嫌な思い出の多い学童期に焦点を当ててプレワークに取り組んでいましたが、実際は記憶のほとんど残っていない学童前期に「もやもや」の根っこを見つけました。

今の父と母は共依存の関係ですが、私が記憶にないくらい小さいころも、そうであったのだろうと思います。
父も母も、感情を表に出すことはもとより、感情を感じることすら分からなくなってしまったのかもしれません。
わたしは、いつもそばにいてくれたお母さんの愛情をもっともっと感じたかったし、私の感情も受け止めてほしかった。

もっとわたしを見て!

私は、こころを求めていたんだと思います。
でもそれは叶わなくて、私は感情を表現することも、ひとから感じることもできないまま育っていきました。


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だから私の小さいころの記憶は、イメージがほとんどです。
明るい感じがしない。
人の気配が感じられない。
家のなかが暗い。
思い出せるわたしは、いつも口を引き結んでいて目は笑っていない。
何を感じていたのかも全く分からない。無の世界にいました。

「おとなしくていい子ね」
「泣かなくてえらいね」

周りの大人たちは私に向かってそう言うので、自分はそういう性格なんだと思い、その言葉どおりにわたしは振る舞いました。
成長するにつれ、わたしは母親の生き方を真似るようになりました。
謙虚さは美徳。
感情は抑えるもので、自由に表現するのはわがままと思うようになりました。

クラスのワーク中に幼いわたしが、大人の私に宛てた手紙には、抑えていた怒りがわきあがっていました。

近所のお姉ちゃんたちの仲を壊そうとしたのも、
「そうだったんだね、うらやましかったんだね」
と分かってあげることができました。

性格が暗くて陰険な子供時代だったと、その頃のわたしを嫌っていたけれど。
本当はそうじゃなかった。
ごめんね、わたし。

ワークで思いきって、小さなわたしが抱えていた思いを、一緒に感じることができてよかった。
もう一度、一緒にやり直そうね。


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私は、二年前に一度夢を手に入れたものの挫折して、手放してしまった経験があります。
自分のなかに、夢を持って生きている人はいつも明るく元気なひと、という思い込みがありました。

当時のわたしが気づいていなかったこと。
それは、生きていくうえで一番大切な「ありのままの自分を肯定できること」です。

失敗してもいい。落ち込んだっていい。嫉妬も、怒りを感じる時も当然あっていい。
大切なのは、その時々の私のこころに寄り添って声をきいてあげること。
それがきっと「センスのある人」なのだろうなという気がします。

自分にしかできないことを仕事にしたい。好きなことを仕事にしたい。
ずっとずっとそう思っていました。
その一歩をようやく踏み出せる気がします。

感じるままに感じていいんだよ。

この言葉を、いつもわたしにかけてあげようと思います。


クラスでお会いしたみなさんと一緒に、優月さんの仰る「深いたのしさ」を作り出せたことを本当に嬉しく思っています。
ありがとうございました。



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M. K. さん(30代/東京都よりご参加) まーがれっとクラス





優月さん、サポートスタッフさん、まーがれっとクラスのみなさん、
昼間でも風が冷たく感じるようになって来ましたね。
いかがお過ごしでしょうか?

ワークショップ・クラスから、早いもので1週間。
優月さんがワークショップでおっしゃっていたとおり、まるで妊婦に戻ってしまったかのようなぼんやりした意識と、気持ちとは裏腹にスローにしか動けない身体の感覚にようやく慣れて来ました。

昨年の今頃、ちょうど臨月でした。
その頃と同じように、意識して自分を丁寧に扱うことに集中してみると、今のスローなペースが子どもの私とぴったりで。
「待って!」、といつも言いながら、「急がなくちゃ」と焦っていた子どものわたしが、安心していられるのがわかりました。
そのままの自分でいて大丈夫、安全だとわかったので、安心していろいろなことに腹を立てたりもしました。
いつもなら我慢して、もやもやした気持ちになるのに。

腹を立てながら、ワークショップ・クラスで寝そべったときの明日館の床の感覚を思い出して、心が静かになるのを感じたりもしました。

子どもの頃の、嫌だったことの数々。
父の転勤さえなかったら、辛い思いをしないで済んだかもしれないのに。
ずっとそう思い続けて来ました。


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ワークショップ・クラスでは、そのときどきの「悲しい、悔しい」気持ちが置いてけぼりになっていることに気づきました。
そのときどきで泣いては来たけれど、全然足りていない感じ。
子どもの私は、呼吸が苦しくなるほどしゃくりあげそうになっていて、大人の私はびっくりしてしまいました。

左手で書く子どもの私からの手紙は、本当につたなくて、一生懸命で、けなげで。
初めて自分をかわいいと思えました。
大人の私は子どもの私を守ってあげたいと、思えました。
まるで、自分の子どもを初めて抱っこしたときのように。

誰も自分のことを抱きしめてくれないのだとしたら、自分で自分を抱きしめればいい。
そんなことを思ったりしました。

優月さんと、サポートスタッフさんと、まーがれっとクラスのみなさんと、たくさんのティッシュペーパーと、ともにあの場所にいられたこと。
今も思い出すだけで心がふわっと温かくなって幸せです。
本当に、ありがとうございました。



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C. K. さん(30代/神奈川県よりご参加) まーがれっとクラス





私は「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」には参加していませんでしたが、前期参加者のPAY FORWARDと藤沢さんのブログでのお誘いの言葉に触発されて、今回、後期の WORKSOHP に参加させていただきました。

今回のプレワークで、改めて子供時代を振り返って書いてみると、全て記憶の中にあったこととはいえ、当時自分が大変だったのだ、ということを認識できました。

今回のプレワークは、以前に参加した他の WOKROSHP のワークに比べ、難しくはなかったのですが、一方 WORKSHOP 自体は大変でした。

私の現在の問題点として、事実は事実としてわかっていても、そこから自分の感情を引き出すのが難しいことがわかりました。
これは、前回別の WORKSOHP に参加した時にも薄々感じていたことでした。
今回は、特に具体的な記憶の少ない学童前期は、本当に困難でした。
これは次に別の WORKSHOP に参加する時にも、恐らく当面の私の課題となると思います。

次は是非「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」の WORKSHOP に参加したいと思っています。



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M. T. さん(20代/広島県よりご参加) まーがれっとクラス





頭の切れる女になりたかった。
誰にも迷惑をかけないように。
ひとりでも生きていけるように。
親や妹の視線に怯えないでいいように。

学業の成績は比較的良かった。
体育以外で4以下をとったことはほぼない。
それが、教師や周囲の期待を後押ししていたのは間違いない。
それでも、母はなぜオール5を狙わないのか常に訝しんでいたけれど。

幼い頃の私は愛されるということを知らず、
育てられているのは優秀だからだと信じ込んだ。
社会で何かをなすために育つことを許されている、
そう信じていた。重力を知るはるか前から、きっと。

最近気づいたことだが、私は目と運動神経の連携がかなり遅いらしい。
包むとか、切るとか、投げるとか、重ねるとか。
形や動きや距離感をとっさに見分けられないから、
おこなう動きがどこかでゆがんでしまう。

間に合わない。
自信が持てない。
挙動不審。
親や妹の視線。
潰される。

98点をとって帰ったら「なぜケアレスミスで点を落としたのか反省しろ」と言われる家が普通じゃないなんて思わなかったのだ。


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勉強はできた。
文を並べるのは楽しかった。
レポート課題や記述関係のテストは最後までさんざんだったけれど。
それでも、文を通してしゃべるのは楽しかった。

誰もが私に期待した。
私も私に期待していた。
家を離れて半年後に倒れるまで。
小説に、物語に、しがみついていなければ私はとうに飛び降りていたと思う。
長い長い不定愁訴の中で、それだけが顔を上げる理由だった。

誰にわかっただろう。
空腹や睡眠の感覚にギリギリまで気づけないこと。
からだよりも先に目や耳、頭がつかれてしまうこと。
ささいな気候の変化で、自律神経が簡単にくるってしまうこと。
そして、それらが起こすもろもろに対し、正すことを思いつきもしない、ということを。

同じ程度の知能を持つはずの人々の中でなんにもできない自分を見せつけられ続けて、私は本来逃げだしたかったはずのルートに戻ってしまった。

5年前には諦念があった。
1年前には困惑した。
半年前には周囲に苛立った。
今は――

私をさばく声を、聞き流す。
単純な動作ほど容赦なく辛辣に批判するその声を、とらえて、押し流す。
料理をするのがそんなに嫌いじゃなかったことを思い出して、
休日の夜からとうとつに作り出したりしてみる。
子どもよりも稚拙な動きにため息ついて苦笑して、
視線をあびないでいられることを素直に喜ぶ。

もういい、と、言えたらいいのにと思う。


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あの日、私はインナーチャイルドに会えなかった。
後半からの参加だったからだろうか。
瞑想の終わりにさびしさを感じたし、どこかでは会えたのかもしれないけれど、よくわからなかった。
あと、はからずも慟哭したことや思春期にいつの間にか入ってたことにびっくりしていた。
いつの間に1段階目の穴うめをしなくなったんだろう。

ワークショップを重ねていく中で、不本意な傷が、呪いがどんどん色を濃くしていく。
そろそろ専門機関の必要も素直に信じられる。
日常を生きながら、進んでいけますように。

ペアになった方、クラスの皆様、ありがとうございました。



タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/東京都よりご参加) まーがれっとクラス





ありがとうございました。
ご一緒できた時間に感謝を、こころから。


大きく2つ、私は気づくことができました。

1つめは、もらえなかったものを、
今度こそもらおうとする私のパターンのことです。

私の育った環境は、家族、親戚も含めて共依存と機能不全でした。
ちいさいころ、親戚の借金や祖父母の介護、混乱した家のなかで、
母親を、叔母を支えなければ、助けなければ、
なんとかしなければ、家族をもとに戻さなければと、
夜に聞こえてくる、何を言っているのかよく聞こえない重い話し合いを
自分の部屋のガラス戸越しに、緊張して震えて様子をうかがって、
小さいころ自分の部屋で決意していました。
私が家族を背負って、責任をおって、立て直さなければならないと
思っていました。
当時はわかっていなかったけれど、私はどうしようもなくこわかった。
体が固まるほど、こわくて、不安でした。


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会社でいそがしい人、大変な人がいると、無性になんとかしなければ、
何かして助けなければという変な焦りと不安が沸いてきて、
結局自分が力になれなかったという無力感をもち、
相手に恨まれているのでは、憎まれているのでは、
また助けられなかったと自分を責める mind-set がありました。
子供のころから延々ひきずってきた、凍ってしまっていた私の後悔でした。

今思えば、家族に大人の男性がいない感じでした。どこにも。
身体はそこにいるのだけれど、フワフワと存在感のない何かおかしい感じ。
私は、家族を守らない父に叔父に、怒りを感じていました。
「どうしてなの?! おまえらしっかりしろよ!
あまえてんなよ! にげてんなよ! なんでなんよ! なんなんだよ!」
と、責めて批判してきました。
どこかで、言葉にしてぶつけたらこの人は耐えられないだろうと感じていて、
何も言わずに私は我慢してためこんでいました。
だから、反抗期も思春期も親との衝突はなく部屋にひきこもって、不登校でした。
小学校中学年くらいから、もう心は閉じて人を疑っていました。
不信感でいっぱいでした。
小学校でも中学校でも高校でも大学でも、今までも、
ずっと友人らしい友人もいなくて、私はいつもひとりでした。
変な仲間はずれもあったし、自分から人を避けました。
強がって気にしないフリをしていたけれど、毎日こわかったし不安で、
ひとりの自分はどう思われているんだろうと比べて恥ずかしかった。
学校の成績や人の目が苦しくて、緊張してどこにも行き場がありませんでした。
やすらげる時間がありませんでした。
本当に私はつらかった。


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怒りの奥に、張り裂けるような痛みと恐怖がありました。
手術のときだって、私が大変なときだって、
いつだってお父さんに守ってもらえなくて、そばにいてくれなくて、
まともに聞いてもらえなくて、
私は本当にこわかった、本当にさびしかった、本当につらかった。
私は小さいころから今までどうしようもなくこわかった。
ひとりぼっち。死ぬほどさびしくてこわかった。
わたしどうなるんやろうという焦り、不安。
この感触を30年以上私は体にまとってきていました。
なかよしの家族やカップル、友人や仲間と楽しんでいる人達をみると
みじめな、さみしい気持ちでやりきれなくなりました。

私は、笑って安心して、皆となかよく暮らしたかった。
外から帰ったら、たくさんあったことをお話して聴いて欲しかった。
外でいろいろあったって、おうちに帰ったら大好きな人達がいて、
なぐさめてもらったり、励ましや、ほっとできる安心が本当に私は欲しかった。
一緒に楽しめる友達や仲間がいて思いっきり遊びたかった。
お父さんにも、お母さんにも
愛してほしくて、守ってほしかった。


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ちいさい私が、叫んでいたことはこうでした。
お父さんもお母さんも、わたしのこといちばん好きちがった。
お姉ちゃんも、おばあちゃんもおじいちゃんも。
わたしのこといちばん好きじゃなくなった。
だれももうわたしとあそんでくれやん。なんで?
わたしがすきな人が、わたしのことをいちばんすきとちがった。
ほしいものがほしい人からもらえなかった。

この痛みを感じると本当に切なくて痛くて、涙がでます。
すごく小さいときには信じていた愛が、家が混乱して
全部なくなってしまったと絶望した私が叫んでいた痛みでした。
家のなかにも、学校や外にももうなくなってしまった。
これを今も大人になっても、私は繰り返していました。
私は、この人のいちばん好きな人じゃなかった。
私は、また探さなきゃいけない。
そう思い知るたびに、傷ついて、涙がでました。

私は、ちいさな私の傷を埋めようと、
親からもらえなかったものを、今度こそもらいたいと
人間関係のなかで繰り返してきました。
そして、またもらえなかったら、また耐えられない痛みを
味わわなければならない恐怖も同時にあって、
好きだと言わないし、近づかない踏み込まないこともしてきました。
相手からの行動とひたすら待っていたり。
私が好きと感じた人達こそ特に。
逆に、相手に嫌われないように、もしくは好かれないように避けたり。
まったく出口のない、身動きのとれない、
恐すぎて、こんな矛盾に満ちた苦しい行動パターンを
私はやっていました。


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ちいさいわたしの叫び、傷が、こんなに今の私に影響していました。
ワークショップを体験して整理できるようになったから、つながりがわかります。
自分でわかったから、意識して止まれる。
自分のパターンを変えられます。
自分を愛して癒してあげることもできます。

ちいさい私がほしいものが、もらえなかった。
本当に本当にほしかったのに、もらえなかった。
もうもらえない。もうない。
悲しい。
感じながら今思うのは、だからこそ、私は私がいとおしい。
ちいさいわたしも、今のわたしのことも。
よく、ここまできたねっていとおしい。
過去を、両親を、育った環境、なにもかもすべて、
そしてわたしを、ゆるす。もういい。さよなら。
ありがとう。


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2つめは、私に暗に課せられていた家族での役割、
今は私こそが他の人にやっていた役割の押し付けのことです。

ワークショップで確かな知識をもらって、
私は、父から代理母、母から代理夫の役割を暗に要求されていたと気づきました。
小さいころから、なぜか落ち着かなくて、
特に小学校に入ってから今まで、父親、母親から接されるときの妙な感じ、
気持ち悪かった理由がわかりました。

今私も、両親にされたように人に対して代理夫、代理母、代理父を要求する、
隠された動機が私の中にあったことに気づきました。
私は、仲良くなりたくて境界線を近づける行為をしているつもりが、
無意識に、変な動機を水面下に隠して侵入しよう、
相手から愛や関心、資源をもらおうとしていたことに気づきました。

私もされてきたからわかる ”妙な感じ” を、相手も感じていたかもしれない。
関係がうまくいかないのは当然でした。
申し訳なかったな……
私は、相手を両親の身代わりにしようとしていました。
特に最近は、男性に父親を重ねて、身代わりになれと強制していました。
そして、今度こそ思い通りの親のように愛してくれと相手を変形させようとして、
また相手がそうならないことを非難して、逆恨みしていたんです。
過去からの未解決の怒りまでも相手にぶつけて解消しようとしていました。
なんてことだろう。
相手の人は、私の満たしてくれなかった両親の代理じゃない。
もし関係がもてたとしても、それは幻想でお互いに病気で本当の愛じゃない。
今の時間ではない、現実ではない、過去を満たそう埋めようとする幻想です。
もう私はやっちゃいけない。
私は、過去のトラウマ、役割から解放されよう。もうやめよう。
もう今は、相手を相手のまま見させてもらおう。
そうします。


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だから今わかります。
私が私であることで、相手が相手であることで、
正気で、愛し合えることって、
こんなにうれしくて、ありがたいことなんてないんじゃないかな。

私は今まで、もやっとした過去のフィルター越しに今をみていました。
常にぐるぐる何か考えながら目に映るものをみていました。
物事も相手も自分も、正気の目で見られなかった。

私は、ワークショップ・クラスで過去の私の痛みをまともに感じて、
悼んで、なにもかもゆるして、
過去も含めて私のことがそのまま大事だと受け入れて、
私は私を本当に愛していると感じられるようになりました。
深い優しさをもてるようになった。
だから、ほんものの思いやり、優しさ、信頼、理解が実現できる。
尊重できて、敬意をはらい、尊厳をまもれる。
自分にも、相手にも。
それをやってゆきます。


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2つの気づきをとおして。
私は、”いま” の私に立ち戻ったように感じています。
32歳のわたし。
今までの道を忘れていないから、私は深い優しさをもつことができました。
涙がでるような、いとおしむような優しさです。
そこにいて時間がとまったように密に感じられる、そこにいる、優しさ。
相手の目の前にいること、聞いて、話して、ただ見つめていて、
その方にあなたという存在がとても大切だと伝わったなら、うれしいな。
不思議なのは、そうしていると私こそが感謝や、愛おしさ、やすらぎを感じられます。
ほんのりとうれしくて満たされる感じ。あいさつのときと一緒です。
こんな私になれました。

私は、不毛な叶わない夢がわかりました。
過去満たされなかった、果たされなかった未完の想いを埋める、
まやかしの、実体のない夢ではない夢です。
今までの私が追ってきたものでした。
本当に私はがんばってきました。わたしを、ゆるします。
おつかれさま……もうやめていいよ。さようなら、です。

私は、私の ”いま” の自立した夢を生きよう。
私が私に責任をもって今を生きよう。
愛して、感じて、支えて、守って、思いやって、信じて、
お話をきいてあげたり、みとめてほめてあげたり、
泣いて笑って、抱きしめて、優しくして、
私重心の ”いま” 望む夢を生きてゆこう。
それがどんな感触どんな感じのものなのか、
またご報告させてもらえたら、うれしいです。


こころから、感謝を。
ちいさいわたしを助ける機会をいただけて、ありがとうございました。
ふじさわさん、ONSA、仲間との出会い、日常でやってきた試練に、感謝を。

愛をこめて。
ラブ!


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。